Turning Fate/The story of a certain future



another episode
〜あかとしろのあくま(後編)〜


◆    ◆    ◆





「ミス・マクレミッツ?」
 陽炎立つ真夏の正午。街角のオープンカフェで、フル−ツパフェのアイス部分を溶かさないようにと手早くスプーンを動かしていたバゼットに、その男は何ともぞんざいにそう尋ねてきた。
 スラリと背の高い男だった。太陽を背にしているせいか、どうにも表情を窺い知ることが出来ない。
 それにしても、この猛暑の中、黒いコートを羽織っているなどまったくどうかしている。もう少し目立たない格好を選べないものなのだろうか?
「そうだが……まずはそちらから名乗るべきではないか?」
 だから本心としては聞くまでもないことだった。猛暑の中、黒いコートを着込み、銀のクロスを首から提げたこの男を、自分は待っていたのだ。随分と待たされたおかげで、今食べているこのパフェは三杯目だ。
「失礼、こちらから名乗るべきだったな。言峰綺礼だ。今回の重要聖遺物回収、及び悪魔崇拝者殲滅任務における、君のパートナーと言うことになる」
「……聖堂教会との共同任務……こうして直に目にするまでは半信半疑だったよ。よくもまぁこの香港に送り込む気になったものだ」
 バゼットが所属している魔術協会も含め、この手の組織はウンザリするほど縄張りにうるさい。教会がイギリス領地であるこの香港に、いかに聖遺物の回収とは言え代行者を派遣してくるとは、なかなかに異例の事態である。
「信仰は人の拠り所であって、人を縛るものではない。くだらん縄張り意識などで行動を左右されていてはたまらんよ。それに、私は一応協会側にも籍を置いている」
「なるほど。聖職者なんて生き物はもっと堅物揃いだと思っていたよ」
 少しだけ、感心した。どうやら見た目よりは柔軟な思考の持ち主であるらしい。以前にもバゼットは教会の代行者と組まされたことがあるが、彼らの思考は信仰やら何やらで偏りすぎていて、ほとほと苦労させられたものだった。その点、この言峰綺礼という男はよっぽどマシに思える。
「ふむ。だが先入観的なもので言わせて貰えば、ミス・マクレミッツ、君も相当に予想外だぞ。一級のルーン魔術の使い手で、召喚、使役、さらには結界にも精通した魔術師と聞けば……」
「――それは」
 綺礼の言葉を遮ったのは、鋭い眼光と、銀の閃きだった。
 目を逸らした覚えなど無い。瞬き一つ、そのほんの刹那の間に、可愛らしい意匠の施されたパフェ用のスプーンが神父の首元に静かに突き付けられていた。
「それは、私が女だから……と言うことかな、ミスター・コトミネ?」
 高く、重い声。
 彼の発言を侮辱ととったのか、誇り高き双眸が綺礼を射抜く。
 しかしその驚くべき技量を前にしても、綺礼に動じた様子はなかった。漆黒の瞳は冷え冷えとする視線でバゼットを見据えている。
 すると、その口元がニヤリと歪んだ。
「……日本語の発音が、上手だな」
「話を逸らすな、代行者」
 とは言え、バゼットは譲るつもりはないらしい。大人げないとは思うが、このような世界で生きている以上、初見の相手に舐められないことは基本中の基本、非常に重要なことだ。
 滑稽な意地の張り合い。馬鹿馬鹿しい、なんとも馬鹿馬鹿しいが……互いに折れることのない二人は無言で視殺戦を繰り広げる。
 その無意味な対立をどれだけ続けたか。
「……ふっ」
 やがて溜息と共に視線を逸らしたのは、綺礼の方だった。
「喋りすぎたな。行こう。既に標的の本拠は押さえてある」
 肝心なところを濁し、黒い代行者はさっさと背を向けて歩き出そうとする。謝る気などは毛頭無い、しかしこの場は自分が折れよう――思わずそんな尊大な言葉が聞こえてきそうな背中だった。
 だが、その後ろでバゼットが席を立とうとする気配は一向に無い。
「……急がなくていいのか?」
「散々遅れてきたくせに、よくも言う。もう少し待ってくれないか?」
 僅かに柔らかく微笑みながら、バゼットはクリームを掬い取った。
「まだ少し残っているんだ。残しては、勿体ないだろう?」





◆    ◆    ◆






 深夜。
 月と雲が織りなす光陰はあくまで鮮烈。風は微弱、柔らかな静謐。夜の早い古都に佇む古式ゆかしい屋敷、そこに集いしはこの世界の美しき異端達。
「まさか、その日のうちに来るとはね。存外にせっかちだな、君達は」
 魔術師。
 魔の力を行使し、この世の裏を席巻する者共の一角。
「昼間はどうも。確かにせっかちだとは思うけれど、時間をおいたからと言って何かが変わるものでもないでしょう?」
 一人は赤。長い黒髪に挑発的な目つき。
「わたし達に……そして貴女に必要なのは、無為に過ごす時間ではないわ。わかってるはずよ、そのくらいのこと、とうに」
 一人は白。長い銀髪に雪のような肌。
「そう、だな。ああ、だから、私は……」
 そして、最後の一人の色はいまだ見えない。煌めく髪の色も、落ち着いたスーツの色も、吸い込まれそうな瞳の色さえ、今の彼女を語り得ない。唯一語る部位があるとすれば、それは中身のない左袖。
 バゼットの屋敷、その最奥の間で三人は対峙していた。
 凛とイリヤの視線が、いまだ座したままのバゼットの背後、掛け軸の下に飾られた聖杯へと向けられる。本物の聖杯の器だ。冬木の教会から彼女が持ち去ったものに間違いない。
 燭台の灯が、向かい合う二人と一人を妖しく照らし出す。そこに流れるのは、まるで気心の知れた友人同士が持つような空気。お互いに、昼間の邂逅で感じた印象に間違いはない。
 好ましい相手。それでもこれから始まるのは、まごうことなき死闘。
「断っておくけど、わたしも、リンも、強いわよ?」
 そう言って翳された指先に、魔力が収束していく。そこに至って、ようやくバゼットがその重い腰を上げた。
 物静かで柔らかな、しかし何処か張りつめた空気を纏う矛盾した佇まい。
「わかっているさ。こう見えて、この稼業は長いんだ」
 余裕は崩れない。中身のない左袖をはためかせながら、バゼットは右腕を前に突きだし、静かに両目を閉じた。途端、空間に魔力の波動が行き渡る。
 準備は万端。
「さぁ、それでは始めようか、お嬢さん達」
 流れ詠うようなその言霊がスイッチだったのか。まるで屋敷全体が巨大な魔術回路であったかのように、各所、隅々まで魔力が流れ込んでいく。
 風もないのに、燭台の灯が激しく揺らめいた。
 中庭に敷き詰められた玉砂利が、まるで怪魚が海面に浮上するが如くに所々盛り上がる。そうして耳障りな音と共に現れたのは、女神の息吹を感じ、冥府から迷い出でし死者の群れ。
 竜牙兵。
 ルーンを刻んだ竜の牙によって生み出されるゴーレム。その竜骨共が手に持つ武器は、剣であったり槍であったり様々だ。且つ先日イリヤが倒して除けた連中よりも、力を感じる。
「牽制に放っておいた竜牙兵は幼竜の牙から作ったものだったんだが、それにしてもあんなにあっさり倒されるとは思わなかったよ。忠告するが、今度の奴らは私が特殊な加工を施した成竜の牙から作った連中だ。先日とは、一緒にしない方がいい」
 しかも、その数は二十体を超えている。牽制どころか魔術師二人を迎撃するには充分すぎる数の骸の戦士達を前に、しかし凛もイリヤも全く臆してない。
「わざわざありがとう。でも、侮らないで欲しいわね」
「侮ってなどいない。だから竜牙兵をこれだけ用意しておいたんだ。それとも、この数の竜牙兵に一度に襲い掛かられて何の問題もないとでも?」
 基本的に接近戦や混戦を苦手とする魔術師に対し、数で攻めるのが最も有効な手段の一つであることは決まり切った定石だ。しかもそこが閉所であったなら、如何に超一流の魔術師であったとしても勝機は薄い。武術を修めた魔術師も少なくはないが、基本的にそれらはもしもの時の護身が目的である。成竜の牙から作り出された竜牙兵の戦闘力はその程度の格闘能力など歯牙にもかけまい。故に、この事態は凛とイリヤにとってどう考えても絶体絶命の窮地のはずであった。
 バゼットの勝利はほぼ確実。それは、凛が翳した宝石を見たところで揺らぐはずのない程の確信だ。
「宝石の魔力を上乗せした魔弾による広域攻撃が奥の手だというなら、考え直した方がいい。一応、それなりの対魔処理は施させて貰った」
「それなり?」
 馬鹿馬鹿しい、どこがそれなりなものか。
 元々、竜というのは対魔力、抗魔力に非常に優れた種族である。竜の牙から生み出される竜牙兵も、それらの基本値は並の使い魔と比べて非常に高い。加えてバゼットほどの術者が能力増強を図ったというのなら、拡散させた魔弾では到底倒しきることは出来ないだろう。
 それでも、凛に動揺はない。
「バゼット。貴女、不思議には思わなかった?」
「……不思議?」
 この期に及んで何を……そう笑おうとして、出来なかった。それどころか、薄く微笑みを浮かべたのは、追い込まれたはずの凛だ。
 けして自棄ではない。二十体余の竜牙兵、操る術者自身も強敵。そのような事態においてまだ彼女の目は諦観など欠片も抱いていない。
「魔術師がコンビを組んでいるのよ? なら、簡単じゃない」
 宝石が、光を放った。
 が、その光は凛自身に作用したものではない。
「先日の戦い、別に映像で見られていたわけではないようね」
 迸る奔流の中心に立つのは、赤ではなく白の魔術師。
 凛の後方、今の今まで静観を決め込んでいたイリヤの右腕が、何かを掴むかのように前方へと突き出されていた。握り締められた白い拳からは、黒い光としか形容出来ない不可思議なものが幾筋も伸びている。
「貴女が放った竜牙兵を破壊したのは、イリヤ一人よ。それも――」
 白磁の如き白肌にうっすらと浮かび上がる、黒き呪印。
 顕れようとしているのは、彼女のその繊細な手にはあまりにも不釣り合いな巨大な剣……いや、斧か。その大きさは、長身のイリヤの三分の二ほどもある。
 魔術師が誰かとコンビを組む場合、最も都合が良いのは、当然の事ながら後方で術を行使するまで敵の攻撃から守ってくれる前衛の戦士である。共に前衛に立てない魔術師が二人で組んだところで、実戦ではあまり意味はない。
「――それも、接近戦で、ね」
 そう、一人は前衛なのだ。
 凛とイリヤ、魔術師が魔術師のパートナー。前衛に立つのは白き魔術師、後衛に立つのは赤き魔術師。
 一見巨大な石の包丁のようにも見えるそれが、徐々に存在濃度を増していく。
 白き魔術師は、大剣を。赤き魔術師は、宝石を。
 銀髪が魔力を宿し、薄く輝きを放つ。
 幻想的な現実。闇の中に顕れようとしている巨塊は、闇よりも黒い、刃とは到底呼べぬ無骨。
「……これは、まさか、宝具……?」
 英霊達が所持し宝具と呼ばれる、愛用の武具や特異な固有能力。かつて短期間とは言えランサーのマスターでもあったバゼットの目には、今イリヤが取り出そうとしているものはそう映った。
 だが、違う。
「いいえ、これはまだ、宝具ではないわ」
「まだ?」
 閉じられていた紅い双眸がゆっくりと開かれ、バゼットの言葉を否定する。
「そう、未完成品なのよ」
 かつて何も出来なかった悔恨に誓った。強くなることを。
 全ての大切なものを守れるだけの力を。
 再び戦いが起こった時に、例え相手が英霊であったとしても抗えるだけの力を求め、自分達の持てる魔力と技術の全てを注ぎ込んで作り上げた魔剣。
「――完了」
 現界。
 圧倒的な重量感と、存在感。
 サイズは一回り以上小さいが、その形状は間違いなくかつて最後まで彼女を守り通した巨人の振るった大剣。



        バーサーカー
「剣名、“――黒斧――”」



 名を呼ぶと言うことは、即ち力を喚ぶこと。
 それはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンのためだけに存在する、漆黒の守護者にして破壊者。
 その極厚な刃はあらゆる敵を断ち、またあらゆる攻撃を防ぐ攻防一体の巨刃。
 腰を落とし、無造作に構える。それはあまりにも不釣り合いな巨大のはずなのに、何故か彼女の手にあるのが最も自然なことのように感じられた。
「……いくわ――」
 疾駆。
「ッ!」
 白き美貌と相反する、黒き蛮性。
 彼女の中に巣くう暴力の顕現は、まさしく狂える大英雄の主であった証。
 黒い旋風が、薙ぎ払う。壁を破り、大気を裂き、死神達を破壊する。
「こ……れは……」
 バゼットの表情から、消えることの無かった余裕が消えた。
 成竜の牙、その硬度は鍛え上げられた鋼にも勝る。だが、白き剣士の黒い一撃はそのような硬さ、ものともしない。
 ただ、振るう。
 それだけの単純な行為の前に、まるで積み木が崩れるかのような滑稽な音とともに竜牙兵は次々と微塵になっていく。
 彼らとて、知能を持たない使い魔であってもけして愚鈍ではない。ある者は武器で、ある者は盾で、それぞれ凶悪な斬撃を防ごうとするが、イリヤの黒斧はそれらをまるで意に介さず断絶しているのだ。複数の英雄達を彷彿とさせる動きで。
 けして無礼てかかっていたわけではない。
 所詮は身の程知らずの小娘達と高を括ったつもりもない。
 一級の魔術師と相対するつもりで挑んだ。その上で早期の勝利を確信し、しかし現実は目の前で見事に粉砕されている。
「なるほど……一級どころじゃなかったか」
 が、その予想外が僅かに喜ばしいのは戦士としての宿業か。協会きっての武闘派などと呼ばれもしたが、何のことはない。単に他の引き籠もり達と比べて闘争本能に忠実だっただけだ。
 ならば存分に……
「腕を振るおうじゃないか、リン、イリヤ!」
 自らの左方、死角に向かって渾身の気合いを込めて駆け抜けてくる凛へと向き直りつつ、バゼットは久方ぶりの心地よい闘争に身を任せた。





◆    ◆    ◆






 黒斧によって薙ぎ払われた空間を、赤い弾丸が一気に飛び出した。
「イリヤ、そいつらは任せたわよ!」
 四肢に込められた魔力を全開にし、最高速度で突っ込む。
 魔術師としてはバゼットの方が上、戦士としての差はおそらくそれ以上だろう。凛も幾度となく死線をくぐり抜けてきたが、それを生業としている彼女の実戦経験の前ではそんなものは無いものと思った方がいい。
 だが、それでも敢えて魔術ではなく格闘戦で挑むのはそこに勝機を見出したからに他ならない。相手は協会が抱える生粋の戦闘者。そんな相手に、付け入る隙があるとすれば……
「たぁああああッ!」
 隻腕の、左。狙うはそこ以外にはない。
 予想外のイリヤの力に驚愕している隙をついて、皮肉にもかつて綺礼その人から教わった走法で一気に距離をつめる。原型は中国拳法らしいが、かなり大幅にアレンジが加えてあると彼は言っていた。それ以上は特に興味もなかったため聞いていない。
 バゼットの近接戦闘能力はいまだ不明だが、左腕がないというのは戦士としては致命的なはず。前衛のはずの竜牙兵がイリヤに掛かり切りな今こそが、最初にして最大の勝機だ。
 氣を練る。一撃を、爆発的な一撃を喰らわせるための、必殺の呼吸。
(とった!!)
 完璧なタイミング。魔力で強化された身体能力、練り込まれた氣の力を纏った掌手が、バゼットの左脇腹へと突き出され――
「ッ!?」
 ――弾かれた。
 彼女の、長い左脚に。
「シィッ!」
 直後、その脚が円の動きでもって凛の身体を巻き込む。知覚出来たのは、せいぜいがそこまで。
「!」
 その後にとったのは、咄嗟の、本能的な回避行動。
 理性は混乱し、状況を正しく見極められるだけの冷静さは欠かれている。そんな中で、本能だけが身体を動かしてくれた。
「く、うぅ……」
 腕が、軋む。
 しかし頭上で左右の手を交差させていなければ、頭蓋は叩き潰されていた。それだけの威力をもった、必殺必倒の踵落とし。
「今の、動きは……」
 偶然ではない、明らかに磨き抜かれた熟達の技。防御した左足を相手の身体に引っかけて姿勢を崩しつつそのままの流れで上方へと移動、一気に脳天目掛けて振り落とすとは。
「私は、元々足技の方が得意でね。ムエタイ、テコンドー……色々と学んだんだ。おかげで左腕がこんなになった今でも、存分に戦うことが出来る――!」
 言い終わるのと同時に、矢継ぎ早に繰り出される蹴りの乱舞。
「な、っぅう、ッ!」
 長い脚が、しなる。右かと思えば左、左かと思えば右。上段下段、あらゆるところから間断なく迫り来る嵐のような連撃。
 速い。まさか、これほどの体術の使い手だったとは誤算もいいところだ。
「フッ! ハッ、ツァッ!」
 蹴る、蹴る、蹴る。
 防ぐ、弾く、流す。
 嫌なくらいに冷たい汗が、凛の額を伝う。これなら魔術戦の方がまだマシだったかと後悔しても後の祭り。このまま接近戦を続けたとしても、およそ勝ち目というものが見あたらない。
 致命的な判断ミス。が、それ以上に、敢えて義手などで誤魔化さず隻腕であることを相手に強く見せつけたバゼットが一枚上手だったということか。不覚にも、戦う前から既に相手の術中にあったのだ。
 イリヤが竜牙兵を全滅させて救援に駆けつけるのが早いか、凛がバゼットの蹴りの前に沈むのが早いか……
「つぇいッ!」
 しかし如何に一撃の速度に勝ろうとも、立地状態からの脚技である以上は同時に二発が飛んでくることはない。
 こうなったら、左右全力、片っ端から蹴り脚を迎撃するのみ。うまく掴んで手繰り寄せることが出来ればいいのだが、大技は放たず、あくまで数で勝負するつもりらしい。その辺りの堅実な判断も、巧い。
 しかし、まったく縦横無尽に放たれてくるその多彩さ。
 耐えきれない。このままでは、いずれ両腕を蹴り折られる。攻勢に転じようにも、こうまで見事に隙がないと体の入れ替えようもない。
 ただ本能に従って、迫り来る蹴り脚を弾く。イリヤの様子を確認したくても、目を逸らしたらその瞬間にデッドエンド。
「はッ!」
「くぅ!」
 右のハイキックを左肘で受け、右手で足首を掴もうと狙うが、そうしようと手を動かした瞬間にはもう右足はミドルキックを繰り出してきている。
 その刹那、互いの視線が絡まった。
「あいつは……血溜まりの中で足掻く私を一瞥もせずに去っていった」
「……バゼット」
 左拳を叩き付けるように、弾く。
 先程の一撃で、左肘を痛めた。今度大きいのがきたら、防ぎきれない。
「だから、私は彼がその時どんな顔をしていたのか、知らない」
 静かで深い激情を宿した瞳が、凛ではなく、その先にある何かを射抜く。
 バゼットが見つめる先に立っているのは、現在戦っている凛とイリヤではないのだ。彼女はいまだ終わらぬ戦いを続けているに過ぎない。故にどんなに緻密な攻撃も足掻きの産物。
 それらを告げる視線と、一撃。左のハイキックが凛のこめかみを掠める。
(やばっ!)
 今の掠め方は、やばい。脳が揺れ……意識、感覚が……沈む――
 凛の身体が蹌踉け、そこにとどめとばかりに右ハイが放たれる。蹴り倒そうなどという生やさしいものではなく、頭を根こそぎもっていこうとする高速のそれを、混濁とした意識がスローモーションのようにとらえている。
「見て、みたいんだよ。ただ、それだけさ――」
 倒れる。いや、倒れる前に首を刈り取られる。
「リンッ!!」
 イリヤの叫びが、やけに遠くに感じられた。。





◆    ◆    ◆





「リンッ!」
 哀れにも頭上に剣を構え防御姿勢を取った竜牙兵を、その剣ごと唐竹に叩き壊して振り向いた先、バゼットの猛攻の前に凛が崩れ落ちようとしていた。
 猛然と、駆ける。
 まだ完全に意識を失ってはいないようだが、いい感じの一撃をもらったのだろう。朦朧とした眼は迫り来る死神の鎌をぼんやりと見つめるだけで、脳が身体に回避行動を命じている様子はない。
 死刑執行。あの蹴りの前に、凛の細い首は間違いなく千切れ飛ぶ。
「させるかぁ!!」
 そこに、すかさず割ってはいるイリヤ。黒斧が猛然と振るわれ、流石のバゼットも大きく後方へと飛びすさった。凛との戦闘に夢中で気付かなかったが、既に全ての竜牙兵はイリヤによって倒されてしまっていた。
 骨の欠片がそこら中に散乱し、不気味な髑髏の山を築いている。
「……よくも、リンを」
 倒れ込む凛を左腕で抱えてそのままゆっくりと横たえた後、イリヤは黒斧をバゼットへと向けた。
 獰猛な紅い瞳に、しかし麗人は顔色一つ変えやしない。
「ふ、これは……」
 黒斧の剣先を見やり、バゼットはさらにバックステップで距離をとった。
 この短時間で二十体余はいた竜牙兵を全て倒すとは、目算誤りもいいところだった。凛は圧倒出来たが、イリヤ相手に近接戦闘ではおそらく敗北必至。
「やるね。魔術師としても一流、剣士としても一流か」
「わたしの周りはね、剣の師匠には事欠かなかったのよ」
 剣を振るい、誰かを守る。そんな姿に憧れたのは、果たしていつからだったか。
 無理矢理に繋ぎ止めた命、そんな己の肉体能力が果たしてどれだけのものかなど未知数。だが、自分にも出来るはずだと信じた。信じて剣を習い、剣を創り、力の限り振るってきた。
 大切な人を守る。それはやはり、この黒い大剣で。
「……ふ」
 右手を上着の内ポケットへと差し入れ、バゼットは軽く笑みを作った。
 イリヤの信念と覚悟は、相当なもの。その目を見れば、なまなかな手段では迎え撃つ事すら不可能だとわかる。ならば持てる全ての力を出し切るのみ。
「だが、私にも奥の手というものはある」
 そう言ってバゼットが取り出したのは、
「竜の牙? でも……」
 またもや、竜の牙。だが今までのものと違い、やけに古びたそれは所々が欠けている代わりに、感じられる魔力の量が桁違いに大きい。
 幼竜どころか、成竜以上。最強の幻獣たる竜種の、これは……
「そう、これは老竜の牙。これで作る竜牙兵は、一味違う」
 その言葉に、イリヤが眉間を歪ませる。嫌な汗が滲むのがわかった。
 一味? 馬鹿な――そんなもので作られた竜牙兵は、驚異どころの話ではない。確実に人の手に余る。
 バゼットが牙を床に放るのとほぼ同時に、イリヤが駆け出す。
 作らせるわけにはいかない。その前に彼女を、倒させてもらう。
「もらった!」
「そうくると思ったよ」
 このタイミングならば、勝った、と。しかしそのような確信を容易く打ち砕くバゼットという驚異。
「!?」
 しまった、と思った時にはもう遅い。牙を放った右手はそのままイリヤへと向けられ、紅蓮の炎を纏った魔弾三発を撃ちだしていた。
 加速してしまった今の状態では、回避は不可能。威力は例えば凛のそれなどとは比べるべくもないほどお粗末なものと見たが、直撃はいくらなんでも不味い。黒斧を盾にしても三発全ては防ぎきれまい。だが、
「……舐ッめるなぁ!」
 いまだ朦朧としつつも、凛とて黙ってはいない。なんとか半身を起こし、イリヤの正面に水性障壁を張り巡らす。
 炎の魔弾が水の壁とぶつかり合い、巻き起こる蒸気が視界を塞いだ。そこを直感に任せて黒斧で横一線、薙ぎ裂く。
「……ちぃッ」
 だが、そこにバゼットはいない。今の一連の攻防の隙をついて彼女は既に後方へと飛び、二十メートル程離れた、丁度中庭の真ん中あたりに立っていた。
 雲が晴れ、月明かりが照らし出す麗人は特に傷も負っていなければ息を乱してすらいない。協会の傑物、よもやこれほどのものとは。
 黒斧を下段に構え、イリヤは静かに深呼吸した。



 再び雲が流れ、月が隠れる。
 闇の中、薄ぼんやりと浮かぶバゼットの顔は、素直に笑っていた。
「黒斧……ふふ、厄介なものだ。だけど……」
 完全に抗しえないものでもない――そうとでも言いたげに、印を組んだ右手が隙無く突き出され、魔力を放出する。
「今度こそ、魔術師らしく後衛に回らせて貰うとしようか」
 その言葉に反応したのか、イリヤのすぐ手前、竜の牙が鈍い紫の光を放ちながら、変化し始めた。灰褐色の牙の表面に無数の複雑な呪刻が浮かび、立ち上る白煙は次第に力強い巨躯を形成していく。
 それは今までの竜牙兵が持っていた、人型のシルエットとは異なっていた。
 身の丈、二メートル以上。人身竜頭、異形の骸骨兵。イリヤの黒斧並に巨大な二本の半月刀を両手に携えた、竜の戦士。
「老竜の牙より生まれ出でし竜牙兵。相手にとって不足はないだろう?」
 不足はないどころか、最悪の組み合わせだ。バゼット程の魔術師に、並の幻獣種を凌駕するであろう竜牙兵が前衛としてつく事がどれほどの驚異か。
 黒斧を握るイリヤの手に、力がこもる。気持ち悪いのはその手が汗ばんでいるからだけではない。
「リン、やれそう?」
「……ごめん、甘かった。もう、大丈夫」
 まだ少しふらつきながら、凛も戦線に復帰した。格闘戦では完膚無きまでに敗北を喫したが、こうなったからには魔術で負けるわけにはいかない。
「これで対等。いくよ、お嬢さん方」
 バゼットの口端がニヤリと歪み、竜牙兵が猛然と双剣を振るう。
「速い!」
 巨体でありながらその速度も、これまでの竜牙兵より数段上。左右から繰り出される剛剣を、黒斧を巧みに操ってなんとか弾く。
 重い。
 たった二撃を弾いただけで、手が痺れる。速いからと言って、けして軽いわけではない。致命の破壊力を秘めた、超重高速の剣戟。
「ぐ、うぅ……!」
 如何に魔力で身体能力を引き上げていようとも、イリヤの白い腕は異形の剛腕の前にあまりにもか細く、非力に感じられてしまう。
 一方、息詰まる剣戟の後方では、二人の魔術師の戦いが展開されていた。
「魔晶、穿つ風! 魔晶、絡め取る緑!」
 魔晶石の魔力を解放。狙い定めた風の弾丸で竜牙兵の肩を狙い、大地より生ずる木の根にその足を封じよと命じる。威力は上々、如何に老竜の骨が耐魔に優れようとも、充分に通用するはず。
 格闘で後れはとっても、魔術でまで大敗するわけにはいかない。そんな意地を乗せた魔力が、空間を行き来する。
「生じよ盾、其は全てを覆い尽くす光壁! 枯れよ、割れよ、地に還れ緑!」
 しかしバゼットも黙ってはいない。宝石などの力を借りず、あくまで己の魔力のみで凛のそれを巧みにランクダウンさせ、竜牙兵には通じないレベルにまで下げる。
 光の盾を貫いた風は、しかしその威力を大きく損ない竜牙兵の肩に中って霧散した。同様に、木の根もカラカラに干涸らびて、拘束する力を失う。
「宝石使いと威力比べをするつもりはないよ。私の魔術は君の魔術のランクをほんの一つか二つダウンさせてやればいいのだしね」
 凛の全力に対し、バゼットは六割から七割の力を行使してやればサポートとしては充分すぎる結果を出せるのだ。前衛同士の戦いは竜牙兵に分がある。後は、こうして凛を足止めし続けるだけで勝利は確定する。
 擦り切れる程に歯噛みし、なおも呪文を唱えながら凛はその天才魔術師と謳われた頭脳を総動員させて打開策を考じ続けた。
「聖石、炎の剣! 相乗、強化、紅蓮の大剣!」
 一撃に魔力を上乗せて、Aランクに相当する威力でもってバゼットを直接狙う。
「氷雪は吹き荒ぶ。冷気もて癒せ、掻き消すは怒れる炎!」
 だが、それも回避に専念したバゼットを討つことは出来ない。放たれた紅蓮の炎は氷雪によって威力と速度を削がれ、その隙に麗人は卓越した体術でもって退避を完了している。
 ふと、イリヤの方に視線を向ける。圧倒的な破壊力を秘めた剛剣同士の打ち合いは、見ているだけで心臓に悪い。
 このまま一対一を続けても、勝てない。少なくとも、戦闘力がほぼ互角である以上持久戦に持ち込まれては生身の人間であるイリヤの敗北は必至だ。
 ならば、どうするべきか。
 思わず自嘲気味な笑みが浮かぶ。
 結局、自分の打つ手はいつも博打なのだ。
 手の中の宝石を痛いほど握り締め、凛は今考えていることを速やかに実行に移すことにした。



「く、あぁ!」
 迫り来る双剣を、力任せに弾いたのは果たして何度目か。
 イリヤは引き続き背筋が凍り付くような戦いを強いられていた。
 手にした武器は、互いに必殺。先に一撃をもらえば、即敗北に繋がる威力の攻防は、一瞬たりとも気を抜けない。
 しかして同じ条件下であるならば、圧倒的に有利なのは気力や体力を消耗することなく剣を振り続けることが可能な竜牙兵だ。イリヤの膂力はあくまで魔力でもって増幅したもの、攻防の度に限界は近付いている。
 魔力に限りがある以上、持久戦はそれだけで敗北と同義。
「ッえぇい!」
 横薙ぎに振るった黒斧を、半月刀が受け止める。弾き飛ばして距離を取ろうにも威力が足りない。決着をつけられるだけの一撃を放つには、機械的に攻撃を繰り出してくる竜牙兵は厄介なことこの上ない相手だった。
 凛は凛で、バゼット相手に苦戦を余儀なくされている。
 当然か。単純な攻撃力だけならまだしも、総合的な地力ではあちらが上回っているのだから。
「こ、の!」
 無言のままに繰り出される、相も変わらぬ連続攻撃。憎らしいほどに威力も精度も落ちない。
 一人では、勝てない。このまま打ち合い続けていたら、魔力が尽きる前にまず集中力が途切れてしまう。
 思考が敗北へと偏った、まさしくその瞬間だった。
「イリヤッ!」
「リンッ!?」
 その行動はまったくの予想外。
 博打どころの話ではない。大穴万馬券に向こう三年間の生活費を全額注ぎ込むかのような馬鹿げた行為。
 全力疾走。
 100メートル走でもするかのように豪快なランニングフォームで、凛が竜牙兵目掛けて突っ込んできたのだ。
「ウ、ソ……でしょ!?」
 意表をつかれたのはイリヤだけではない。バゼットもまた反応が後れた。それでも即座に凛を迎撃しようと魔弾を放つ手際は流石としか言いようがない。
 が、それを防いだのは、黒斧。
「ナイス!」
 初めこそ驚きはしたが、相棒の意図くらい即座に解した。
 迸る二発の魔弾は黒斧の刃に遮られ、鉄の焼ける嫌な音が辺りに響く。そこに生じた煙を突き抜け、半月刀を頭上に構えた竜牙兵――その丁度左脇腹の部分へ凛の身体が滑り込もうとさらに加速する。
 振り下ろされる双刃、その右側から繰り出された一刀を速度に任せかろうじて紙一重で回避。
「左っ!」
 しかしすぐさま左方から時間差で繰り出される残る一撃。その斬速は致命的、頬を撫でる剣風はまさしく死の風。
 すぐ後ろにいるはずのイリヤの叫びが近くて遠い。しかし、言われるまでもなく宝石ごと右手を翳し、障壁を展開。
「ぐぅ!」
 あらゆる防御を断ち進まんとする、悪夢の如き衝撃に左手が震える。しかしけして負けられない、退くことの出来ない気迫が絶望を押し返す。
「あぁああ!」
 気合い一閃。必死の一撃を弾いて、障壁は宝石ごと砕け散った。
「……喰らえぇッ!!」
 掴み取った勝機、残る左手の宝石に込められた魔力を全解放、ありったけの破壊をイメージ。
 そして、炸裂する光芒。
 凶暴な魔力の牙が荒れ狂い、竜牙兵の左半身を吹き飛ばす。
「まさか、そんな!」
 驚愕の声は、バゼットのものだった。彼女が老竜の牙に刻み込んだルーン、それによってもたらされる対魔防御には相当の自信があった。あれを攻性魔術の単純な攻撃力だけで破ることの出来る魔術師は、協会が把握している者達の中にも数えるほどしかいまい。その防御壁のうち、幾重にも張られた遠距離戦用外部障壁を零距離まで接近することで無効化、ルーンで増幅された竜骨そのものの対魔防御を文字通り気迫でぶち抜いたのだ。
 さらに、竜牙兵を貫いた魔力はそのままバゼットをも喰らい尽くさんと獰猛に襲い掛かる。
「く、のぉ!」
 なりふり構わず相手の魔弾を防ごうなど、果たしていつ以来であったか。まさしく全力、全霊を振り絞った絶対障壁。
「っ――――ッ!!」
 声無き咆吼。意地と意地のぶつかり合いは、轟音と共に終結を見た。
 片膝をつき、滝のように流れる汗を拭おうともせずに息を吐きながら、それでもバゼットの視線は凛とイリヤを見据えたまま、揺らがない。
 イリヤへ向けて親指を立てながら、凛もまた満身創痍。
 残された力は双方共に僅か。次が、正真正銘、真の決着。
「……まったく、楽しませてくれる」
 余裕からではない、心からの晴れやかな笑顔。
 そう、とても晴れやかだった。今までバゼット・フラガ・マクレミッツを苛んできたあらゆる束縛が、宙に溶けていくかのような。
 半壊しながらも立ち上がった竜牙兵に、残された全ての魔力を注ぎ込む。
「……終われそう?」
 そう訊ね、凛も笑った。
「そうだな」
 答え、バゼットが立ち上がる。
 竜牙兵と再び対峙し、イリヤも黒斧を八相に構えた。
「終わらせよう、私の……」
 三人の視線が交錯する。
 もう、言葉はいらない。
 あの日から止むことの無かった左腕の疼きが、いつの間にか、止んでいた。





◆    ◆    ◆






『バゼット。お前は、いつか後ろから斬られる日が来る』
 それは果たしていつのことだったか。二人の派遣先はほぼ同域、組んで仕事をすることも珍しくなくなってきた頃だったと思う。言峰綺礼は、任務を終えて夕食をともにしていた時、バゼットに対して不意にそんなことを口にした。
『……なんだ、新手の皮肉か?』
 どうせまたいつものタチの悪い冗談だろう。そう思い、バゼットは笑って軽く受け流した。この神父は、人をからかう悪徳を至上の喜びとしている節がある。
『いやなに、忠告だよ。君は聡いが、情に絆されやすい部分がある。もう少し注意深く周到に事に挑まなければ、命を落とすことになるやもしれんぞ?』
『ふ……。忠告、ありがたくいただいておくよ』
 それが純粋に自分を心配しての言葉とも思えなかったが、バゼットは特に気にするでもなく食事を楽しむことにした。



 ――そう言えば、あの時、綺礼はどんな顔をしていただろう。



 今にして思えば、あの発言が皮肉だったのだとしたら自分はなんという救い難い大馬鹿者だろうか。風に揺れる左袖、例えようのない喪失感は、結局は自分の甘さが招いたこと。そんなことはわかっている。どうしようもなくわかっている……けれど。
 それでも、終わらせなければ進めない。
 床の間で鈍い光を放っている聖杯は何ともちっぽけで、しかし自分にとっては確かに忌まわしき呪われた道具だったのだ。
 その呪いが、ようやく解かれる日が来た。
 あの日の綺礼の顔は、いまだ見えない。だがそれでも、勝っても負けても、全ては……終わる。
 竜牙兵に注ぎ込んだ魔力は、現在自分を奮い立たせている気力そのものに等しいだけのもの。骸の戦士の敗北こそが、己の敗北に直結している。相手方も、黒斧の一撃に二人の残る全ての力を結集してくるだろう。
 文字通り、最後の一撃。ついに一度として共に戦うことの無かった、たった数日だけのパートナー……彼がこの戦いを見たとしたら、何と言うだろうか?
「……無様は、晒せないな」
 ルーンのピアスを指で弾き、そのまま流れるような所作でネクタイを正すと、麗人は泰然とした佇まいで一身に月明かりを浴びた。
 視線の先に立つ二人に、心より感謝を。
 美しい対峙だった。
 先に動いたのは、竜牙兵。
 バゼットが指し示す先、黒き巨刃を従えた白い魔術師に向かって、異形の巨躯が駆け抜ける。
 主と同じく、左腕を失った隻腕。しかしその速度はこれまでで最高。故に、これから放たれるであろう一撃も最強の一撃。物言わぬゴーレムと言えど、しかし彼こそが今の自分のサーヴァント。ならば信じよう、その一撃がもたらす勝利を。
 勝って閉じる。バゼット・フラガ・マクレミッツの聖杯戦争、その、幕を。



 黒斧を八相に構えたまま、猛然と突っ込んでくる竜牙兵を前にイリヤはスゥッと息を吐いた。かわすことも、防ぐことも考えていない。正面から激突し、打ち砕き、勝利する、ただそれだけがこの黒斧に込められた意義。
「……リン」
 その呼びかけに、凛も黙って頷く。
 まだ未完成ながら、黒斧は宝具を模して、否、想定して創られた武器。宝具の持つ圧倒的な威力――そこに僅かでも到達せんと、凛とイリヤ、そして二人の仲間達が持てる力の全てを注いで創り上げた絆の魔剣。
 敗北はありえない。この巨刃はまさしく無敵の守護者にして、この世界に顕現した破壊そのものとも呼べる存在。
 瞳を閉じ、凛は詠うようにその言葉を口にした。



        バーサーカー リベレイション
「――――“黒斧 解放”――――」



 力の、解放。その瞬間、刀身から漏れ出す圧倒的な魔力。黒い光はイリヤの身体を包み込み、なお膨張を続ける。そこに、さらに凛の残された魔力をも付加。制御不能と怖れられた狂戦士、その全力を彷彿とさせる禍々しいまでの威力。その手綱を、二人は完璧に操ってみせた。
 凛とイリヤ、二人の瞳は、迷いのない確信に満ちている。
 振りかぶられた黒斧を見つめながら、しかし己の従者がもたらす勝利を微塵も疑わぬバゼットの眼差しは、ひたすらに真っ直ぐに。
 もはやとどめおくことなど不可能な圧倒的な暴力を、今、この一振りでもって解き放つ。それはまさしく神話の撃。無限の生持つ蛇をも殺し尽くした、神世に放たれし伝説を、この剣で現世に甦らせよう。全てを射殺す、刃の矢で。
 今こそ、決着を。



       ナインライブズ・シューティングブレイド
「――――“偽・射殺す百頭”――――!!」



「……なっ!?」
 眼前の光景に、バゼットはただただ愕然とした。
 破片が、飛び散る。
 炸裂する黒い閃光が、二つ同時に見えたのはけして見間違いではない。
 竜牙兵の放った無比の一撃。あらゆるものを粉砕するであろうそれを受け弾き飛ばしたのも黒い刀身なら、同時にその不気味な竜頭をぶち抜いたのも黒斧。
 さらに、もう一振り。
 一振りのはずなのに、しかし砕かれたのは竜骨の右肩と左足。一度の攻撃で必ず二ヶ所を破壊するこれは、本来あり得ない、魔術ですらない魔法の御技。恐るべき、まさしく魔技。
「……多重、次元……屈折現象……!」
 一流の魔術師としての知識が、その現象の正体を、俄には信じられない現実を告げる。否定しようにも、彼女が心血を注いだ従者は三振六撃目を受け、微塵となりつつあった。
 そして、幕が下りる。
「――das……Ende――」
 決着を告げる言葉。四振八撃目にて、白き魔術師の黒い剣舞は終わった。
 一撃目で上空へと飛ばされていた半月刀が、その名が示す如く月の光を反射しながら地面へと突き刺さる。
 柔らかな風が吹いた。
 バゼットは中天を仰ぎ見た。
 空に輝くのは、ただ星と月の光のみ。他の何も、見えやしない。
 それが何故かとても愉快で――その顔は、心底晴れ晴れとした笑顔だった。





◆    ◆    ◆






「恐れ入ったよ。まさか、多重次元屈折現象とは。トオサカは宝石翁の魔導に連なる家だと知ってはいたが……あそこまで辿り着いていたんだね」
 勝てないはずだ――そう呟いて、バゼットは瞑目した。しかし凛もイリヤも無言で首を横に振る。
「いいえ、まだまだよ。本当なら、“偽・射殺す百頭”は全方位から同一同時に襲い掛かる九つの刃を想定しているの。それなのに、まだたった二本が限界……到達には、程遠いわ」
 かつてイリヤを守った漆黒の巨人が神話にて用いた秘技と、凛も知る侍が生涯を費やし到達した魔技。その二つの特性を併せ持つそれこそ、二人が目指した究極。守るべきものを守れる、そんな力。
 遠坂家に保管されていた宝石剣に関する奥義を研究、それを応用し、剣そのものに多重次元屈折現象の力を付与せんと試みること数年。単純に力を引き出すだけでも凛とイリヤの二人がかり、それでも一度に繰り出せるのは二振同時攻撃が今の限界。連続で放てるようになったのもつい最近のことだ。
「なるほど。それは、遠いな」
「ええ、ホント……遠いわ」
 少しだけ苦く微笑んで、イリヤは黒斧をしまった。巨大な無骨が薄れ、ぼやけ消えていく。
 軽く伸びをして、バゼットはゆっくりとそのまま後ろに倒れ込んだ。大の字で寝ころぶその姿を見て、凛とイリヤもそれにならう。
 三人とも、暫くの間言葉もなく黙って星と月を眺めた。
「綺礼の顔は、見えた?」
「いや、見えなかったよ」
 質問も、返答も、ひどく簡潔に。
 全てが終わってみれば、ただ形良い唇から零れ出る溜息だけが、僅かな想いを物語る。今は、それでいい。
「……リン」
「なに?」
 バゼットの右腕が、スッと差し出される。
「……煙草、持ってないか? なんだかね、凄く一服したい気分なんだ」
 その言葉に、思わずイリヤが噴き出す。その横で、凛も笑っていた。
「? 何か、おかしいことでも言ったかい?」
 凛の所作から彼女は喫煙者だろうとアタリをつけて聞いてみたのだが、禁煙主義者だったのだろうか?
「いいえ、なんでもないわ。でも、ごめんなさい。今、コレしか持ってないの」
 差し出された手に胸ポケットから取り出したソレを一本握らせて、凛自身も笑いを堪えながら一本口にする。
「……なるほど。まぁ、いいや」
 どうして二人が笑っているのか、バゼットにもようやく得心がいったらしい。クックッと喉を鳴らし、受け取ったリラックスパイポを銜えて、もう一度じっくりと空を見る。
 本当に、綺麗な夜空。
 明日は二人を連れて馴染みの定食屋にでも行こう……ぼんやりとそんなことを考えながら、バゼットはゆっくり息を吸った。






〜to be next fate〜






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