〜Turn F〜


episode-05
〜衛宮邸の夕刻編〜


◆    ◆    ◆





「……遅い」
「セイバーも何やってるんだろ!?」
 衛宮邸、夕刻。
 居間では凛とイリヤが士郎とセイバーの帰りを今か今かと待ち侘びていた。大河とライダーはまだ帰宅しておらず、桜は現在台所で夕餉の用意をしているが、本来は今日の当番は士郎だったのである。
「忙しい研究の合間を縫って夕飯を食べに来てるのに、あの馬鹿、何処で道草食ってるんだか」
 登校途中、アーチャーに吹き込まれた第六法の研究を早速開始した凛であったが、そもそも遠坂の魔術の基本は第二魔法のゼルレッチ翁なので勝手が違いすぎる。しかし諦めるわけにはいかない。台所で鼻歌交じりにお米を研いでいるミルクタンクワームにだけは負けたくはないのだ。姉として、女として、ヒロインとして。
 が、腹が減っては戦は出来ぬ。どんなに研究に没頭しようとも食事をしないなどと言う選択肢は遠坂凛の中には無い。自宅でアーチャーに作らせようかとも思ったのだが、彼は今頃は駄目人間の集いで酒宴の最中のはずである。
 日中、警察署から呼び出され『……またですか。今度は誰が……』とウンザリしながら出かけていったセイバーも、まだ帰らない。
 ……その頃、よもや士郎とセイバーがクレープ屋の前でコクコクハムハムハァハァハァハァしているなど、神ならぬ二人には与り知らぬ事であった。
「……そう言えば、バー作とオリグーは?」
「あの二人!? 道場でMG作ってたよ!!」
 バーサーカーはグフ制作中。
 オリグーはケンプファー。武器たくさん持ってるから。
「仲良いわね、あいつら」
「んーそうねー!?」
 寝っ転がって今週号のマガジンを読みながら生返事を返しつつ、煎餅をかじりかじりするぶるまぁ幼女。リズムよく揺れる両脚が健康的だ。でも、それを見て健康的とか漏らす人間の思考は不健康だ。
「イリヤ、あんたちょっと行儀悪いわよ? しかもマガジン読んでるからってさっきからやたらと“!”マークと“?”マーク多いし。それも全くもって不要なとこばかり」
「んーサンデーならそっちにあるよー!?」
 言われるがままにサンデーに手を伸ばし、凛もゴロンと横になる。小言終了。
 ペラリ、ペラリとページを捲りながら、暫し無言になる二人。
「マガジンっておもしろい? わたしあんま読まないんだけど」
 ポッキーを銜えながら、何とはなしに聞いてみる凛。
「おもしろいよー!? ジゴロ次五郎さいこー、だぜ!?」
 この幼女、趣味最悪である。
「それよりサンデーって今何がおもしろいのー!?」
「むー……何だろ」
「美鳥の日々ってどうなの!? 今度アニメ化だって聞いたよ!?」
「あー、わたしあれパス。弓山は美鳥たん萌えーとか言ってたけどね」
 それどころかたまに右手だけ霊化させて、そこに凛やセイバーのフィギアを取り付けて遊んでるのはここだけの秘密だ。
「言ってた言ってた!! オリグーとか槍チンもニマニマしながら読んでたわ、そう言えば、だぜ!?」
「ホントどうしようもない連中よねー」
「だよねー、だぜ!?」
 夕飯前に寝っ転がってお菓子食べながら週刊少年誌の雑感を述べ合う二人の少女に「どうしようもない」とか言われるのは本来なら遺憾極まりないことなのだろうが、しかし事実として彼らはどうしようもない生命体なので仕方がない。
「もう、二人とも何やってるんですか」
 と、そこに台所から普通人降臨。腰に手をあてお叱りモードだ。
「あ、桜。食べる?」
「いりません。ほらほら、起きてください。でないと鼻の穴に蟲を混入しますよ? 細長いのを見繕って五匹ばかり」
 その手の中には全長16cm程の細長いオオカレエダカマキリ。
 前言撤回。この娘普通どころかものごっつえぐい。
「もうちょっとしたら他の皆さんも帰ってくるはずですし、そうしたら夕飯にしましょう。イリヤちゃん、バー作さんとオリグーさん呼んできてくれる?」
 さん付けで呼ぶくらいなら本名かクラス名で呼んでやればいいのに、敢えてあだ名で呼ぶあたり、桜も相当いやらしい性格をしている。
「は〜い。じゃ、ちょっと行って来るね」
 マガジンを閉じた途端に普段通りの喋り方に戻りつつ、のそのそと起きあがり、ぶるまぁの皺を伸ばしながら道場へと向かっていくイリヤ。もしも切嗣が生きていたなら、娘の成長に感動するあまり押し倒していたかも知れない。実父としての心を覆い隠し、ぶるまぁハンターとしての理想を鉄の覚悟で貫き通す人非人、それこそが衛宮切嗣のハードボイルド哲学。商店街で自伝も発売中だ。
「それにしても、先輩は何をしてるんでしょう……しかも、セイバーさんまで帰ってきてないだなんて」
「んー、偶然町で逢ってそれからデートとかじゃないの?」
 相も変わらずサンデー読みつつサラリと言ってのけた凛のセリフに、桜が手の中のオオカレエダカマキリくんを握り潰してグァッと咆吼する。哀れ、オオカレエダカマキリくん。
「姉さん、そんなこと言ってて良いんですか!? 今頃先輩がセイバーさんの寝技で有効どころか技有り取られてるかも知れないんですよ!? く、あの毒婦、清純そうな顔をして純朴な先輩を誑し込むなんて許せない! 姉さんはあの食い意地だけ一丁前どころか五人前の泥棒猫を許せるとでも言うんですか!? だけど喧嘩はからっきしどころか一級品だなんて許せないムキーッ! ちょっと金髪でロリ入ってるからって調子に乗ってあの淫売がぁ!」
「桜、桜、影から蟲漏れてる。ってか、あんた自分のこと棚に上げすぎ」
 眼の色を燃えるように紅い攻撃色に染め上げながら、セイバーを呪い殺さんとばかりに延々つらつら呪詛を吐き続ける妹の方をチラリ一瞥して窘めながらも、凛さんまだサンデーに夢中。
「クハーーッ! 信じられない、姉さんは先輩よりもモンキーターンがそんなに大事なんですか!?」
「うんにゃ。今読んでるのメジャーだし」
「取り付く島も無し!? 姉が、姉が信じられないこの無念! 実妹も想い人もあろうことかメジャーに負けたー!!」
 ゴロゴロとツヅレサセコオロギを撒き散らしながら転げ回る桜。一度黒くなってしまってからどうも情緒不安定気味なのが困りどころである。
「ほらほら、藤村先生じゃないんだからそんなゴロゴロしないの。はやくそのツヅレサセコオロギしまって涙を拭きなさい。誰も桜よりメジャーが大事だなんて思ってないから」
 そう言って、ハンカチを差し出す凛。ハンカチも赤い。
「う、うぅ……姉さん……ぐすん……ハンカチが何やらガビガビです」
「あ、午前中に弓山ぶん殴った拳拭いたの忘れてた」
 赤いどころか、所々赤黒く変色していた。
「うぁああああッ姉さんの人でなし! 残虐超人!」
 間桐桜の姉に対する恨みと辛みがランクアップ。今夜は姉の枕に砂糖水を染み込ませて仕返しします。起きたら髪がベタベタになってて、しかも蟻ンコにモテモテ間違いなしの豪華得点付きだ。
「まったく、玉のような涙と一緒にダンゴ蟲まで飛び散ってるわよ。キショッ!」
 このダンゴ蟲は臓硯お爺ちゃん謹製の特殊なダンゴ蟲で、桜の涙腺が枯れ果てるほどの喜びや悲しみに遭遇した時に溢れ出す仕様となっている。特に害はなければ意味もない。単なるお爺ちゃんの茶目っ気、最近ご飯を作ってくれない薄情な孫娘への嫌がらせだ。コロコロ。
「うぅ、涙と共にダンゴ蟲が溢れるこの身が憎い……」
 ヨヨヨッと泣き崩れる桜。ダンゴ蟲達もクネクネと体をくねらせている。意外と芸が細かい。
「桜……悪いのは貴女じゃないわ」
「……姉さん?」
 妹の肩に手を置き、優しく首を横に振る姉。その顔には、聖母のような微笑みが浮かんでいる。そして、もう片方の手はしっかりとサンデーの読み途中ページに指を挟めていた。
「悪いのは貴女じゃない。悪いのは、その何がつまってるのか知らない乳よこの腐れミルクタンクワーム」
「うあ゛ぁあ ・゚・(´Д⊂ヽ・゚・ あ゛ぁあぁ゛ああぁぁうあ゛ぁあ゛ぁぁッッ!!!」
 脱兎。いやさ脱蟲。
 桜は走った。夥しい量の涙とダンゴ蟲を残し、影の中へと引き籠もっていった。
「やれやれ……夕飯の準備終わってんでしょうね」
 だが、それもいつものこと。どうせ士郎が帰ってくればにこやかに戦線復帰を果たすだけの図太さが今日この日まで間桐桜を支え続けてきたのだから。
 頑張れ桜。負けるな桜。蟲は思いの外頑丈なものだ。





◆    ◆    ◆





「バーサーカー、オリグー、もうすぐご飯だから片付けて居間に……くさッ!」
 道場では、オリグーとバーサーカーが仲良くサフ吹きと塗装をしていた。ボディのブルー部分をグラデーションに気を遣いながらエアブラシ吹いているバーサーカーの眼には一点の曇りもない。まさしく職人の眼だ。
「む。イリ坊、我は今サフ吹きの真っ最中なのだ。邪魔せぬでもらおう」
「■■■■■ーーーーーッ!!」
「もぉっ邪魔せぬでもらおうじゃないわよバカ! 窓くらい開けてからやりなさいよこのバカ!」
 イリヤキック炸裂。しかし腐っても英霊、この程度の攻撃力ではオリグーは悦ぶだけなので逆効果だ。
「イリ坊、シャツの裾をブルマに入れないと可愛いおへそが丸見えダラベアッ!?」
 イリヤジャブからイリヤリバーブローへの流れるような連続攻撃。最後は防御の下がった顔面へイリヤコークスクリューが炸裂し、英雄王の鼻がグシャリという嫌な音とともに叩き折られる。そのまま、顔面から嫌な角度でオリグーは崩れ落ちた。
「美幼女へのセクハラは死罪よ、死罪。わかったらさっさと片付けて居間に来なさいスカポンタン!」
 塗装の真っ最中だったグフと、腰に手を当てて怒り心頭のイリヤ、顔面から止め処なく血を流しながら痙攣するオリグーを交互に見やり、バーサーカーは無念そうに散らかっていた道具を片付け始めた。エアブラシやスプレー缶をはじめ、あらゆる道具がパンツの中へと吸い込まれていく様はシュールと言うより気味が悪い。
 モゾモゾと復活を果たしたオリグーも、ゲート・オブ・バビロンの中に道具をしまい始めた。ここまでくるともう宝具でも何でもねぇ。
「で、今日の夕飯は何なのだ?」
「さぁ?」
「イリ坊よ、我はそろそろくさやの干物には飽いたのだが……」
「そんなこと言ったってアレ食べなくちゃあなた達現界してられないんだから仕方ないじゃない。セイバーは何も言わずに食べてるわよ?」
 くさやの干物。日本全土の食物事情を見渡しても、間違いなく王座に君臨するのではないかと思われるキング・オブ・発酵食品。ある者はこれを焼く時の臭いは『肥溜めを火で炙ったような臭いだ』とまで形容したが、あながち嘘ではない。
 主にムロアジやトビウオなどを“くさや汁”と呼ばれる塩汁につけて干すのだが、このくさや汁、古いものでは江戸時代の昔から延々継ぎ足されてきた様々な微生物の温床なのである。
『古い物には霊が宿る』とはよく言ったものだが、それは物に接してきた人や動物の思念が次第にその物にチカラを与えるためだ。このくさや汁も、干物制作者達の様々な情念と、干物にされた魚達の魂や霊子が霊格の高い塩を媒介に溜まり続け、伊豆諸島には今や遠坂の宝石数百個分の魔力を蓄積しているくさや汁まで存在している。その魔力内包量、くさやの干物一つでセイバーが約三日は現界出来る量に相当するのだから侮れない。
 馬鹿みたいだが、本当の話なのだ。
 ちなみに、鼻が曲がりそうなほど臭いとは言え、慣れると病み付きになる味でもある。事実、セイバーは病み付きになった。
「しかしだ、我は単独現界が可能なのだから別にくさやの干物に頼らずとも平気なのだぞ?」
「なんであなたのためだけに別のおかず用意しなくちゃいけないのよ?」
 もっともな話だ。
「オリグー、自分がこの家では一番身分が低いんだって事ちゃんとわかってる?」
 まったく酷いちみっ子である。容赦が無さ過ぎる。
「むぅ、納得出来る」
 だが納得出来てしまったらしい。
 擦り込まれてしまった底辺意識はそう簡単には拭い去れないものなのだ。
「■■■■■ーーーーーーーッ!!!!」
 後ろでは、あまりのことにバーサーカーが泣いていた。
「バー作よ、貴様、我のために泣いてくれるのか?」
「■■■■■ーーーーーーーッ!!!!」
「……貴様、良い奴だなぁ」
 オリグーの目尻にも、涙が輝く。
「■■■■■ーーーーーーーッ!!!!」
 狂戦士は泣いていた。
 バーサーカーはでかいのでセイバーの三倍、つまりくさやの干物を三尾は食べなければ身がもたない。
 それが、どうしようもなく悲しかったのであった。





◆    ◆    ◆





「呼んできたよー。片付け終わったらすぐ来るって」
「お疲れさま」
 サンデーを読み終わった凛は、今度はテレビを見ていた。
「あれ、サクラは?」
「干物が臭いから、影の中で焼かせてるわ」
 ひでぇ。
「まだタイガもライダーも帰ってないの?」
「士郎もセイバーもまだよ」
 イリヤも床に座ってテレビを見始める。マガジンの続きは特にいいらしい。
「……静かねぇ」
「……そだね」
 テレビの音だけが流れる、実に平穏なひととき。
 凛もイリヤも、それを満喫していた。
 みんながあつまってワイワイガヤガヤと騒ぐのも楽しいが、たまにはこんな日があってもいい。
 火花散り、血を流し、魂を削り合い、油にまみれたあの聖杯戦争が嘘のようだ。
「あの時は命の奪り合いを演じたわたし達が、今はこうして一緒に夕飯になるのを待ってるだなんて、ね」
「んー、でも、いいんじゃない? わたしは、今の生活好きだよ?」
 そう言うイリヤの屈託のない笑顔につられ、凛も極上の笑みを返す。
「そうね、わたしも好きだわ」
 聖杯になど頼らなくても、こんなちっぽけな幸せくらい簡単にかなう。
 ――どうか、この幸福がいつまでも続きますように――
 二人の少女は、心からそう願わずにはいられなかった。



 ……と、その時。
「あれ、リン、電話みたいよ?」
 電話のベルが鳴り響いた。現在不在の誰かからかも知れない。
「そうね。わたしが出るわ」
 腰を上げ、受話器を取る凛。
「……はい、もしもし、衛宮ですけど。はぁ。え? 警察署? はぁ。……んなッ!? セイバーと衛宮くんが……? ……はぁ、わかりました。すぐ迎えに行きます。はい、すいませんいつもご面倒を……はい」
 電話口でペコペコと頭を下げ、凛は受話器を置いた。心なしか、部屋の空気が澱んでいる。
「……士郎とセイバー、捕まったって」
 そう言った凛は、振り向こうともしない。ただ、肩を震わせていた。
「……リン、今の生活、好き?」
「……やっぱ嫌いだわ」
 幸せはまだ遠い何処かにある。だからこそ、人は聖杯なんてものを望むのだ。
 ――どうか、わたし達に本当の幸福を――
 二人の少女は、心からそう願わずにはいられなかった。










「……で、どっちが迎えに行く?」
「……あんた、士郎の姉でしょ?」

 さらば、ひとときの安らぎよ。





〜to be Continued〜






◆    ◆    ◆






オマケ
登場人物紹介と用語集

間桐桜(その2)  間桐桜は改造ヒロインである。
 その全身には、臓硯お爺ちゃんの手によりおもしろおかしい改造が施されているのである。
 涙腺の限界を超えると涙の代わりにダンゴ蟲がこぼれるのもそんな改造の結果である。
 他にも全身に24の秘密があるのである。
 それらがどんな秘密かは、秘密なので、秘密なのである。
くさやの干物
&くさや汁
 100年単位で継ぎ足され続けてきた“万能の汁”とも呼ばれるステキな塩汁につけて作られる干物。くさや汁は、微生物の温床でありながら食品衛生上問題のある菌は逆に生息し辛いという奇跡の保存液である。
 教会や時計塔はその製造方法を知ろうと躍起になっているが、国外流出は依然として免れ続けているらしい。
 塩分控え目、カルシウムとタンパク質が豊富な他、リン、鉄、ナトリュウム、カリュウムビタミンや高濃度魔力を多量に含んだ英霊にも優しい健康食です。
 鼻が曲がりそうなほど臭い。セイバーの好物。


Back to Top