「……で、なんでお前が此処に居るんだ?」
「異な事を聞くものだな、衛宮士郎。私は聖職者だぞ? 教誨のために鉄格子の前に立つことの何処におかしな点があるというのだ?」
冬木市警察署、地下留置場。
クレープ屋で散々クレープを食べ倒しておきながら代金が不足していた罪で、士郎とセイバーは現在冷たい牢獄の中にいた。
そしたら、綺礼が来た。
とてもとても嬉しそうに、スキップを踏みながら来た。
「そもそも教誨なんて警察署の留置場とかじゃなくてもっと本格的な刑務所でやるもんじゃないのか? しかも牧師じゃなくて神父がやってるのって見たことないぞ」
「いや、そう言うな。単なる娯楽だよ、私のコレはな」
真顔でそんなことを言ってきた。
綺礼は正直だ。ある意味ではオリグー以上に正直だ。この神父が人に嫌われる理由の八割はおそらくこの正直なところにある。
「コトミネ陳腐」
「セイバー、私は陳腐ではない、神父だ」
しかし言い得て妙だった。
「すみません。日本語の発音がまだ不得手なものでして。で、陳腐。確かに私達は罪を犯しました、咎人です。その事について申し開きするつもりはありません」
「セイバー、こんな奴に頭を下げるなんてどうかしてるぞ? お腹空いたのか?」
「シロウは黙っていてください」
「はい」
セイバーによる士郎の躾はほぼ完璧にペディグリーチャムだった。
「ですが、幼気な少女にぶるまぁを履かせ尚かつシャツの裾を出させている外道の貴方に教誨されるほど、私は堕ちてはいない」
「……俺は?」
士郎のことは無視し、セイバーの視線が綺礼の横に立つ少女の元へと向けられる。
「え? え?」
本気モードのセイバーの眼光は士郎を七度も殺せる威力だ(大したことない)。ガクガクと震えながら、少女は綺礼の背へと隠れた。
「ほぅ、ではセイバー、君は私が悪意を持ってこの娘に斯様な格好を無理強いさせていると、そう言うのかね?」
「違うのですか、陳腐」
やれやれ、と綺礼が両手をヒラヒラさせながら頭を振る。凄く、ムカツク光景だ。
「アンリ、お前からも彼女に言ってやると良い。その格好は自分の趣味でやっていることだ、とな」
そう言われて、綺礼の背後から怖ず怖ずトテトテと歩み出てくる少女。
「ご、御主人様の仰るとおりです。セイバーさん、わたしは自分の趣味でこんな格好をしてるんです……う、うぅ」
サメザメと泣く少女の年の頃はイリヤと同程度。彼女と同じように体操着とぶるまぁを着用し、やはり同じように裾を入れないでいる。長い黒髪をツインテールにしたその容姿は、どことなく幼かった頃の凛に似ていると言えなくもない。
第八のクラス、服従者、アンリ・マ油。
第三次聖杯戦争の折り、アインツベルンが投入し聖杯の中を油で汚染し尽くした少女は、その両目に涙をたたえて綺礼を肯定した。
「そら、本人も認めているではないか」
「ツーか言峰、お前まだアンリたんに自分のことを御主人様とか呼ばせて悦んでたのか……この変態め。キモーイ」
「人聞きの悪いことを言うのはやめて貰おうか衛宮士郎。私は彼女のマスターで、彼女は私のドレ……サーヴァントだ。ならば、私のことを御主人様と呼んでいてもなんら不都合はないではないか。と言うよりも、アンリたんとか言ってる貴様の方がよっぽどアレだ。キモーイ」
こいつら最低だ。ホント最低だ。
「ご、御主人様、エミヤさん、喧嘩はやめてください」
必死になって下衆共の争いを止めようとオロオロしながら頭をペコペコ下げるアンリ。だが、憎み合う二人の心は既にバトルファイト。止まらない。
「アンリ、泣いてはいけません。シロウと陳腐の争いを止められるのは、今この場には貴女しかいないのです。ちなみに私はお腹が空いて動けませんので悪しからず。……zzzz」
やっぱりお腹は空いていたらしい。
何処から取り出したのか、『一回休み』と書かれた看板を胸の前に掲げ、ヨガの眠りに入るセイバー。目を瞑って即座に眠れるのだからのび太くんも吃驚だ。
「むぅ、セイバーが仏様のように寝入ってしまったからにはこの戦いまさしく無援のものとなってしまったか……だが、言峰一人倒すなどこの衛宮士郎の力を持ってすれば造作もないことだ!」
「ほう、言ったな小僧。靴下の白さなどと言う紛い物の美しさに心奪われた愚か者の分際で、黒ニーソを奉ずる私に立ち向かうなど笑止。ぶるまぁ裾入れなんぞを提唱した養父のもとへと送ってやろう。熨斗つけて」
ウェルカムトゥーディスクレイジータイム。このイカレた空間へようこそおこしくださいました。士郎の手には投影した白い靴下が握られ、綺礼は懐から黒ニーソを取り出した。鉄格子を挟み、睨み合う両雄。
「……zzzz……はッ! あの構えは!」
「はぅ、セイバーさん、起きるのいくらなんでも早すぎですよ」
寝入ってからまだ一分と経ってないのに、セイバーは健やかに目を覚ました。
「私のヨガの眠りは特別製なので、五十秒も眠れば充分なのです」
ほとほと無意味だ。
と言うより、普段からあれだけ食っちゃ寝してるのだからわざわざヨガの眠りに入る必要など無いのである。ただでさえ出番が少ないのにその希少な時間を睡眠に割くのがどれほど愚かしいかはきちんと理解しているらしい。
「それよりも、あの構えは……まさしくハンドレッド・ウォー・タイプ。百年戦争の型に違いありません!」
百年戦争の型。それは戦士達の互いの実力が伯仲した時に発生する。一分の隙もなく睨み合う両者が、先に動いた方が負けるということを瞬時に理解して動きを止めてしまう事からそう呼ばれる現象である。百日や千日の比ではない。
「ご、御主人様とエミヤさんの身体から……闘気が……」
「そんな大層なものではなく単なる邪気だとは思いますが……なんて、怖ろしい」
白い靴下と黒ニーソの形をした邪気が、絡み合う龍の如くに天に向かって上昇していく。なんて嫌なビジュアルだろう。セイバーはあまりのことに頭を抱え、アンリは素直に驚愕している。勘弁して欲しい。
大上段に、靴下を振りかぶる。 技を放つタイミングは、同時。互いに申し合わせたわけでもないのに、だがそれは相手も必ず応じるだろうという確信であった。 じっくりと、お互いを見やる。
好ましくない相手だった。尊敬に値しない、どうしようもない敵だった。
もはや語りたくもない。
全力で、靴下を振るう。その果てに、勝利を掴む。
どちらが先に、ということもない。同時。まさしく同時に、その身体は動いていた。
「とりゃッ!」
「ふりぁッ!」
ペチペチ。
ペチンペチン。
ペーチペチペチ。
ペチコーン。
ペチカブリャ。
「やるな言峰! 流石は親父の好敵手、信じられない程のウンコ野郎だ!」
「衛宮士郎、よもやここまで靴下を自在に使いこなすとは、正直呆れたぞ!」
白い靴下と黒ニーソが空気を裂く音がマヌケに響き合う。二人の凄まじいまでの攻防は、鉄格子に阻まれ一撃たりとも互いの身体にヒットしていない。
「セイバーちゃん、この二人は……何をやっとるのかね?」
「コグレさん……出来れば、聞かないでいてもらいたいのですが」
騒ぎを聞きつけたのか、看守の小暮さんがいつの間にかやって来ていた。手に持った盆にはお茶と饅頭が乗せられている。
それらを受け取り、コクコクハムハムと頂きながら、セイバーは小暮さんと世間話を始めた。今年の桜は早咲きらしい。
ペチペチ。
小暮さんは、娘を夜遅くまで塾に通わせるのは反対なのだが、奥さんが聞き入れてくれないのを悩んでいるらしかった。もしも娘が変質者にでも襲われたら……そう考えると気が気でないのだと言う。
ペチペチ。
セイバーは、オリグーやランサーが夜中に出歩かないようにしばき倒しておこうと心に誓った。もしも奴らが小暮さんのところのお嬢さんに何か無礼を働きでもしたら、申しわけなさすぎて二度とこの警察署には顔を出せなくなる。
ペチペチ。
いや、顔を出さないに越したことはないのだ。そもそもこうしょっちゅう警察署に身内を引き取りに来なければならない現状がおかしいのだから。しかし今回のように万が一にも自身が厄介になることがあったりしたら、その時は腹を切るしかない。
ペチペチ。
小暮さんにはいつもお世話になっている。彼は疲れた表情でセイバーが警察署を訪れる度に、笑顔でお茶とお茶菓子を出してくれるのだ。
ペチペチ。
小暮さんは、気苦労の多いセイバーのいわば心のオアシスであった。
ペチペチ。
小暮さんの煎れてくれるお茶は安物の出涸らしだ。経費削減のためとは言え、こんな美味しくもないお茶ですまないねぇと微笑んだ彼の姿に、セイバーは現代日本の父の姿というものを見た気がした。
ペチペチ。
さっきからペチペチペチペチ本当に五月蠅くて仕方がない。
ペチペチ。
二人のバトルファイトはまだ続いていた。常人が見て理解できる戦いではない。情けない意味で。
ただ一人、アンリだけが固唾を呑んで、この死闘と呼ぶのはきっと闘争本能に対する侮辱以外の何ものでもない戦いを見守っていた。
「それじゃセイバーちゃん、さっきお家の方に電話したから。もうちょっとそこで我慢していておくれ」
「コグレさんこそ、娘さんが心配なのはわかりますが、あまり気に病みすぎぬよう」
心底心配そうなセイバーの言葉に、小暮さんは皺の目立つようになった苦労人の顔を歪めて、
「はは。わかっとるよ」
そう言って、去っていった。
「よい方ですね」
いつの間にか二人の戦いからセイバー達のやりとりへと視線をうつしていたらしいアンリが、少女の外見に似つかわしくない何とも感慨深い様子でそう漏らした。
「ええ。平和な時代とは言え、父親とはああして強くなければ務まらないものなのでしょうね」
セイバーは王であった。女の身でありながら父を演じねばならぬ、しかしその前に彼女は高潔なる国王であった。
国も家庭も守れなかった自分に、果たして何が足りなかったのか……小暮さんの背中は、セイバーにそれを教えているかのような気がした。なのに……
「言峰、貴様にはわかるまい! 白い靴下と白磁の如き白肌が織りなす清純とエロティシズムが相生相克するこの魅力! 靴下の白さは即ち心の潔白! 穢れ無き純心のみが纏うことを赦された天上の美だ!」
「だから貴様は未熟だというのだ。黒という全てを塗りつぶす色の下に隠してこその素肌! 目に見えるものしか理解しようとせぬ愚か者め。今こそ享受せよ、見えぬが故の美のなんたるかを!」
全部ぶち壊しだった。
「セイバー、いくらなんでもツッコミに容赦が無さ過ぎないか?」
「感動的な場面に水を注すシロウが悪い」
セイバーチョップはパンチ力。烈火怒濤の一撃をまともに後頭部に喰らい、士郎の頭の形は歪んでいた。檻の向こうではそんな士郎を綺礼が鼻で笑っているが、よく見れば膝のあたりがガクガクと勢いよく震えている。アンリも涙目だった。ひしゃげた頭が聖剣の鞘の力で見る見る再生していく様は、ハリウッドも裸足で逃げ出すCGッぷりだ。凄く気持ち悪い。
「さて。衛宮士郎も悔い改めたようだし、私はそろそろ帰らせてもらうとするか」
さも自分の手柄であるかのように言い残し、立ち去ろうとするウンコ神父。
「お待ちなさい、コトミネ陳腐」
それを引き止めるセイバーの言葉に、綺礼の背中が哀れなほどに縮こまる。
「なんだね、セイバ……いえ、なんですかセイバーさん」
綺礼は死んだ魚のように濁った目をして振り向いた。
「最近、以前にも増してオリグーがうちに居着いていて正直困っています。ウザイので持ち帰っていただきたいのですが。出来れば石を抱かせて柳洞寺裏の池にでもダイビングさせてくれると助かります。非常に」
再生の完了したらしい家主もセイバーの隣でそうだそうだと騒いでいる。衛宮士郎には既に実権は無い。
「あ、ああ。すまないな。いや、奴はどうにもアンリとそりが合わないらしくてな」
「アンリと?」
おかしい。アンリは美幼女だ。オリグーならハァハァしこそすれ、そりが合わないからといって逃げるように衛宮邸に居着くなど考えられないことだ。
「奴は前回の聖杯戦争の時、アンリがこぼした煮えたぎった油を全身に浴びて大火傷を負ったからな。今でもアンリの顔を見るたびに『天麩羅!』と叫んで逃げていくのだ。この間など目の前でエロ本をバッと開いて泣かせるし」
とんだ英雄王である。
「わたし、謝ったんですけど……オリグーさんは悪夢に魘されるかのように震えながら『天麩羅……天麩羅……アジフライ……』と呟くばかりで……」
「道理で……おかずに揚げ物や油物が出るたびに絶叫するはずだ。この前はコロッケを見た途端にバー作のパンツに飛び込もうとしたからな」
その時のコロッケは当然セイバーと大河が分け合った。カニクリームコロッケだった。まろやかクリーミィでとても美味しかった。奪取に出遅れたイリヤはとても無念そうな顔をしていた。桜は目からダンゴ蟲をこぼしていた。
「わたしが悪いんです。わたしが……わたしが煮えたぎった油なんて、それもクセの強いゴマ油なんてかけてしまったから……」
アンリは本気で心を痛めているらしい。オリグー相手に美幼女が涙を流すなんて世も末だ。士郎もセイバーも、心底そう思った。
「うむ。せめてサラダオイルならこうもならなかったのだろうが……」
そういう問題ではない。
「アンリ、大丈夫です。オリグーはけして貴女を嫌っているわけではないと思います。彼は幼女が大好きですから」
セイバーはわりとどんな酷言でも躊躇無く吐く。自分の周りにいる王侯貴族はみんな社会的、政治的能力が欠損しているなぁと士郎は他人事のように思った。それにそんなことよりも、今、重要なことはオリグーが幼女を好きか嫌いなどという些末事ではないのだ。即ち、
「ああ。黒ニーソなんてやめて白い靴下を履けばオリグーなんて一発で――」
「シロウは黙っていてください」
「――はい」
士郎の真理は最後まで言い終わることすら出来なかった。
しかし、アンリはどうしても自信を持てないようだ。
「セイバーさん……わたしは、赦して貰えるでしょうか?」
怖ず怖ずと、不安げに、自問自答するかのように。そんな彼女に、セイバーは、
「ええ。大丈夫」
キッパリと、そう答えた。
「……は、はい! わたし、頑張ってみます!」
涙を拭き、満面の笑顔を見せて頷くアンリ。セイバーも笑顔でそれに応じた。士郎も綺礼もその光景に胸キュンだった。ホント駄目だこいつら。
「それでは、エミヤさん、セイバーさん、お世話になりました」
「いやいや、こちらこそ何のおかまいも出来ず」
牢屋の中なのだから、それはそうだ。
「アンリ、貴女もあまり思い詰めない方がいい」
アンリの笑顔には迷いがない。まさしく聖女のような微笑みだ。
「はい。オリグーさんに、もう一度ちゃんと謝ってみようと思います」
なのに、なんだろう、この台詞に漂う不条理さは。酷く、癪だ。癇に障る。士郎とセイバーの心を言いようのない不快感が駆け巡った。もっとも、その対象はオリグーなのだが。
「……気持ちはわかるぞ衛宮士郎、セイバー。私も不快極まる」
綺礼がここまで感情を顕わにしているのも珍しい。
今夜、オリグーはきっと死ぬ(また)。
「あ、あの、皆さん、どうしたんですか?」
「いや、なんでもないんだよアンリ」
「貴女は気にせずとも大丈夫です」
「うむ。案ずることはない」
士郎やセイバーはまだしも綺礼までもが邪心無き笑顔で答えた。
三人の心は一つ。今ならきっとアテナ・エクスクラメーションもシャインスパークも撃てるに違いない。
「……では、帰るか」
「はい、御主人様。お二人とも、お元気で」
少しだけ控え目に手を振るアンリに、冷たい鉄格子の中の二人は温かな気持ちで手を振り返した。
「なぁ、セイバー」
「はい、シロウ」
二人はとても穏やかな気持ちであった。心が一気に癒された気がする。
「あの笑顔を守るためにも、俺は自分の理想を貫こうと思うよ」
「この身は貴方の剣であり盾。その理想を貫くため、私も共に歩みましょう」
そう言って、固く手を握り合った。
気高くも尊い理想。実現は夢幻の如し。進みゆくは茨の道――だが、それでも、その果てにあの幸せな笑顔を守ることが出来るのなら――
人は皆、何かを守るために戦っている。小暮さんもそうだ。
その何かが、この世に生きる全ての人々であっても構わないはず。
心新たに、二人はその想いと誓いを胸に刻んだ。
「……でも、まずは此処から出ないとな」
「……そうですね」 |