「……げ」
「……おや」
「……うー、ヒィック!」
結局士郎とセイバーを二人で一緒に迎えに行くことにして出てきた途中、マウント深山商店街の入り口で、凛とイリヤはまずい連中と会ってしまった。
「凛、それにイリヤスフィール。このような夜中にどうしたのかね?」
「あ、こんばんはです」
凛の兄弟子、言峰綺礼と、彼のサーヴァントであるアンリ・マ油。
「あれ、遠坂とイリヤじゃないか。……ん? 遠坂が二人? 三人?」
「おお、分身の術でゴザルな。風流風流!」
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! スゲェな嬢ちゃん! 増えても薄いゲベスッ!」
深山町に生息するサーヴァント、アーチャー、アサシン、ランサー。しかしランサーは不用意な発言が祟って早くも撃破された。倒れて痙攣している。ちなみに葛木のマンションは逆方向なので店の前で別れ済みだ。
「あ、半分くらい槍チンの魂が入ってきた」
イリヤの心のランプが黄色に明滅。
「……あ」
痙攣が、止んだ。
「槍チン、槍チン! しっかりするでゴザルよぉ〜」
「先生! それは地蔵です! わははははは!」
普段はストイックな侍と、皮肉屋な己のサーヴァントの変貌ぶりに凛は頭を痛めた。元から駄目な奴らではあったが、酒が入ると更に手の着けようが無くなる。
「やれやれ。これだから白い靴下なぞ奉じる連中は……むぅ!?」
呆れたようにそう言った綺礼の視線が、ある一点で静止し、見開かれる。その肩はワナワナと震え、普段クールぶっているこの男からは考えられないことだった。
「凛! き、き、き、貴様……」
「御主人様、落ち着いてください! 遠坂さん、逃げてー!」
アンリの悲鳴が木霊する。今は夜中の十一時半をまわったところ、商店街は居酒屋も含めて店じまいの時間だ。とは言えまだまだ通行人はいる。町衆の注目を浴びまくりで素面の二人は恥ずかしくて仕方がない。
「貴様、その白い靴下は何ごとだ!!? 恥を知れぇい!!」
綺礼の背後から幾つもの黒ニーソの影が触手のように迸る。恥ずかしいのはこの人です。
「私は貴様をそんな娘に育てた覚えは……そこに正座しろ! 正座しろったら正座しろ! えぇい、放せアンリ! 私はこの馬鹿娘を、馬鹿娘を!」
幼女の姿とは言えアンリも英霊である。魔力で筋力を上昇させれば綺礼を羽交い締めにして押さえつけることくらいは充分可能なのだが……
「ご、御主人様、バー作さん並です! これ以上は……遠坂さん、早く逃げて!」
狂戦士と互角、もしくは上回る程の超腕力でアンリを振り解こうとする綺礼。必死に幼女を振り解こうと藻掻く神父の異様さよ。この男が仮にも自分の後見人であることを思うと、凛は泣きたくなった。
「私は今までお前を手塩にかけて育ててきたつもりだ! 黒ニーソが似合う超一流のツインテールレディとして! なのに、だというのに……!!」
「……そこまでにして貰おうか、神父」
アンリを引きずりながら凛に迫る綺礼の前に、赤い影がズイッと立ち塞がった。
「……弓山、邪魔をするならいかに貴様でも容赦せんぞ」
そう言って、右腕にあるアンリの令呪を見せる綺礼。英霊キラーの異名をとるアンリと戦えば、如何にフィギアマスターアーチャーでも勝機は無い。だが……
「弓山だけではないでゴザルよ」
その隣に、アサシンも並び立つ。右手には物干し竿、左脇には地蔵のフル装備。
「ふむ。なるほど。腕利きのサーヴァント二人を同時に仕留めるのはアンリと言えでも確かに難しい。だが……」
右腕に更に一つ、そして左腕にも一つ。オリグーとランサーの令呪を袖まくりして見せつける。
「私にはあと二人のサーヴァントが……あれ?」
だが、その二つはうっすらと消えかかっていた。それを見て、凛が何かを思いだしたかのようにポンッと手を叩く。
「あ、そう言えば家を出る時にオリグーの奴が『早く飯にしろ』とか言うもんだからぶん殴って沈黙させてきたの忘れてた」
壁にめり込むくらい、ボグシャッと。
ランサーはすぐそこで半死半生。オリグーも衛宮邸で半死半生。英霊二人は遠坂凛の拳の前に消滅しかかっていた。
「むぅ、なんたる役立たず。こうなればアンリよ、お前の力を思い知らせてやれ」
「い、嫌です! 今の御主人様の心は憎しみではち切れそう……そんな命令は、聞きたくありません!」
泣きながら頭を振るアンリに、無情にも綺礼は令呪をかざす。
「ならば致し方あるまい。本来なら令呪などでお前を縛りたくはないのだが……興国の興廃この一戦にあり。白い靴下を奉ずる輩なぞに蹂躙されるわけにはいかないのだ。許せよ、アンリ」
「許すか」
「ブルバキューンッ!」
イリヤキック炸裂。綺礼の顔面がアスファルトにめり込む。
「もぉ! わたし、これ以上駄目人間の魂なんて回収したくないの。余計なことしないでよね!」
なるほど、英霊の魂回収役たるイリヤには切実な問題である。半死半生で入ったり出たりを繰り返す駄魂の記憶や知識に一々苛まれるのだからたまったものではない。
「ほらほら、泣かないでアンリ」
凛の胸に顔を埋めながら泣きじゃくるアンリ。
「これで平和は守られた……苦しい戦いだったけど、黒ニーソは滅びた」
「うむ。良かったでゴザル。あとはアンリに白い靴下を履かせるだけでゴザルよ」
まだやばい奴らが二人ほど残っておりました。
「さぁ、遠坂。アンリたんを我々に渡すんだ。プリーズプリティロリータ」
「誰が渡すかスカタンッ!」
凛のゴッドハンドがアーチャーを粉々に打ち砕く。が――
「これは……フィギア!?」
「ふっふっふ。オレの固有結界を忘れたのか?」
気付けば、周囲の光景は荒れ果てた荒野に変わっている。一体いつの間に発動したのか、そこは既にアーチャーの結界世界、アンリミテッド・フィギア・ワークスの中だった。
「霊的素材をフルスクラッチして作り上げた1/1英霊エミヤの群れ、その中から果たして本物のオレを見つけだすことが出来るかな!?」
荒野に並び立つのは、様々なポーズを取ったアーチャーの群れ。しかもどのポーズのアーチャーもいい笑顔をしている。酔っぱらって千鳥足のくせに、こういう事だけはそつがない。
「流石でゴザルよ弓山! まったく見分けがつかんでゴザル」
悔しいが、アサシンの言うとおりだった。本物と瓜二つのフィギア達は、たえず現れたり消えたりを繰り返し視覚を惑わす。その中を魔力を遮断してアーチャーが動き回っている限り、容易に見つけだすことは出来ない。
「はっはっは! レッドデビルウィズゴッドハンドもこうなっては可愛いもんだ。このままフィギアの群れに埋もれて溺死するか? 遠坂」
勝ち誇るアーチャー。
ゴッドハンドとイリヤキックでアーチャーフィギアをどれだけ破壊しても、ここが固有結界の中である以上は無限に現出してくる。圧倒的な物量の前に、凛とイリヤはあまりにも無力だ。
「……く、こうなったら」
「諦めたのかい、遠坂?」
凛の手が、己の靴下にかかる。
「イリヤ、こうなったら靴下を脱ぐわよ!」
「なッ!!?」
「わかった!」
アーチャーの驚愕をよそに、イリヤの手も白い靴下へとかかる。
「う、うわぁあああああああ! や、やめろ遠坂、イリヤ! 後生だからやめてくれぇえええッ!!」
その非常事態に耐えきれなくなったのか、アーチャー本体が今にも白い靴下を脱ぎ捨てようとしている二人へと疾走してきた。
「……今よ!」
突っ込んできたアーチャーの顔面に、カウンターで炸裂するゴッドハンド。後方に吹っ飛ぼうとするその後頭部を、今度はイリヤキックが延髄切り気味に蹴り捉える。ゴッドハンドとイリヤキックの挟み撃ちに、声もなく崩れ落ちるアーチャー。
亜茶原弓山ことアーチャー・英霊エミヤ、死亡確認。
「さぁ、これで残るのは貴方だけよ、アサシン先生」
世界が元通りに変容していく。アーチャーの亡骸を抱きかかえながら、アサシンは拳を握り締めた。
「……もう、すっかり酔いも醒めた」
ゆらり、と。闘気も、殺気もなく、清流の侍が立ち上がる。
「なら、引き下がってくれるわね?」
駄目人間の一団に属してはいるが、その中でもアサシンは比較的まともな部類だ。酔って自身を喪失していた先程までならば兎も角、素面の今となっては幼女に無理矢理白い靴下を履かせようなどとは思うまい。
「確かに……無理矢理に靴下を履かせようなどとは雅に欠ける行為。先程までの非礼は詫びよう」
その言葉に、凛もイリヤもアンリもホッと胸を撫で下ろす。
「……だが」
しかし、安心したのも束の間、アサシンの手が愛刀と地蔵に添えられる。
「友のこのような無惨な最期を前に、黙っていられる程私も情の薄い男ではない」
瞬間、その長刀の刀身が揺らぎ、三本の刃がアンリの黒ニーソを散り散りに斬り裂いた。
「きゃっ、いやぁああああああ!」
「な、燕返し!?」
無限に連なる平行世界と現在自分が立つ世界を自在に繋ぐ、現存する五つの魔法がうちの第二、その御業と言われる多重次元屈折現象。
アサシンが辿り着いた究極をもってすれば、皮膚を切らずに衣類のみを切り裂くなどという漫画セクハラ剣法も容易い。
「また、つまらぬモノを斬ってしまった……」
くっくっと笑い、物干し竿を背中に戻すアサシン。
「さて。素直に履くか……それとも」
涼しげながらも鋭い眼光がアンリを射抜く。あらゆる英霊を凌駕するポテンシャルを秘めながらも、アンリは心優しき幼女。百戦錬磨のアサシンの迫力を前にしては、ただ泣き震えるのみ。
白い靴下を手に、アサシンがズイッと前に進み出る。
絶体絶命の窮地を前に、凛は背中を嫌な汗が伝うのを感じていた。
「さぁ、素直に履くか……それとも無理矢理履かされたいか」
ゆっくりと、アサシンの手が白い靴下を掲げる。
勝てない。この侍の揺るぎない想いと信念の前には、如何なる小細工も通用するわけがない。
地面に突っ伏しているランサー。
アスファルトに顔をめり込ませている綺礼。
静かに横たえられたアーチャー。
累々たる屍を踏み越え、今、アサシンがアンリに迫る。
「……邪魔するのなら、容赦はせんぞ」
アンリを庇うように両手を広げる凛に、侍は冷たくそう言い放った。
「アサシン……わたし、貴方だけは尊敬に値する男だと思ってたわ。いいえ、今だってそう思ってる。だから……」
「ふっ。それは光栄だが、しかし私とて曲げるわけにも折れるわけにもいかぬ」
彼の靴下に対する想いに、一片の揺らぎもない。
「……仕方ないわね」
凛の両拳に、バーサーカーですら一撃で屠るに充分な威力の霊子が集積していく。中れば必殺。掠めただけでもその部分をえぐり取るだろう。
刹那の視殺戦。そして――
「……いくわよ!」
「むっ!」
凛の両手に意識を集中していたアサシンは、完全に虚をつかれた。後方に控えていたイリヤの手から、巨大な氷塊が放たれたのだ。
それと全く同時に凛も地を駆ける。完璧なコンビプレイ。呆れる程に長い物干し竿をこのタイミングで抜き放つのは不可能だ。
「……しかし、甘い!」
だが、それはあくまで相手が普通の相手であった場合。アサシン程の手練れを前にしては、所詮は素人の浅知恵、生兵法。
「ッ!?」
アサシンの身体が、奇妙な構えを取る。それは魔術の発動にも似た気合いの込め方だが、しかし彼は魔力を持たないサーヴァント。果たして如何なる技を持って凛とイリヤのツープラトン攻撃を防ぐつもりなのか……
だが、アサシンの眼には一抹の不安もない。
これは夢でも幻でもない、現の技。剣霊の辿り着いた境地。 その技の名は――
「秘投! 地蔵ミサイル!!」
途端、アサシンが小脇に抱えていた地蔵の足下から爆音が響き、ジェット噴射で飛び立っていく。
「う、うそぉ!?」
音の壁を突き破らんばかりの速度で飛ぶ地蔵は、イリヤ渾身の氷塊をあっさりと砕いてしまった。そのまま上空へと向かい、ゆっくりと旋回する。
「くっくっく。我が地蔵は捉えた獲物はけして逃がさん」
自動追尾。目標は間違いなく遠坂凛その人。
「ちょ、待っ! アンタそういうキャラじゃないでしょう!!?」
「はっはっは。今さら何を言う。これまでもこの程度の不条理は嫌と言う程味わったはずではないか。ん?」
腕組みし、地蔵の動きを見やりながらニヤリと笑う清流の侍。
逃げまどう凛を地蔵は逃がさない。土煙を上げながら猛然と突き進む。
「リン、伏せて!」
イリヤから地蔵を撃墜せんといくつもの魔力衝撃波が放たれる。しかし、そのどれもが地蔵の周囲に張られた防御フィールドを破ることが出来ない。
「く、こうなったら!」
意を決し、振り向きざまに拳を叩き込もうと地蔵を迎え撃つ凛。
渾身の力を込めたゴッドハンド、地蔵の防御力がどれほど強固であろうとも打ち破れないはずがない。
拳を放とうとしたその瞬間――
「なぁ!!?」
凛はまたも己が目を疑った。
さっきまで自分を追尾していた地蔵が……増えている。
真っ直ぐ飛んでくる地蔵、左上方から突っ込んでくる地蔵、右方向から低空飛行してくる地蔵……その数、三体。眼前で展開されたソレがなんであるか、遠坂の当主である彼女が見間違えるはずもない。
「これは――多重地蔵屈折現象――!!」
多重地蔵屈折現象。第二魔法と全く関係がなさそうでありそうなそれは、平行する世界との繋がりがもたらす、完全なる同一同時地蔵存在。
魔術とは明らかに違うそれを、魔術師であるが故に理解した。そして、魔術師であるが故に、己の死を冷静に悟った。
死ぬ。遠坂凛は死ぬ。
その身体は地蔵の直撃によって爆散、夥しい量の血を流し、臓腑を撒き散らして、自分は死ぬ。それは覆しようのない事実。数瞬の後に確実に訪れるであろう、既に決められた未来。
地蔵の顔は無表情だ。慈悲の欠片も持たない死神が、凛の命を絶とうと迫るまさにその時――小柄な身体が凛の前へと飛び出していた。
「なん……と……!」
驚愕は、アサシンのものであり、凛のものであり、イリヤのものであった。 光。
神々しい、この世の理とは一線を画す尊き黄金のテラテラとした光。その光は、優しくアンリと凛の全身を包み込んでいる。
「……アンリ……」
茫然とした凛の呼びかけ、しかし誰よりも驚いていたのはアンリ自身だった。
薄く張ったそれはまるで油膜。
無意識のうちにかざした手の先で展開されたのは、“全て遠き油想郷”。最高級の油をお届けする製油所の名を冠した宝具。アンリ・マ油の身体の一部にして、しかし永遠に失われた半身。
黄金の油は、今、完全に地蔵の猛進を遮断していた。
「……まさか、我が渾身の一投を防がれようとはな」
路上に転がる地蔵をよいしょと背負い、アサシンは静かに背を向けた。そして、ゆっくりと遠ざかっていく。
「……先生」
「ア、アサシン先生さん……わたし……!」
「言葉はいらぬ。敗者には何も与えるな。私は本気で白い靴下をアンリに履かせようとし、そして敗れたのだ。ならば、ここは潔く退くまでよ」
誇り高き侍は、そう言い残して真夜中の路地へと消えた。
三人は静かにその後ろ姿を見送っていた。格好良いのに、でも何故かどうしようもなく納得のいかない結末だった。
「アサシン先生さん、無理すればわたしに白い靴下を履かせることも出来たのに」
「……いや、そこで無理するのは本当に救いようがない大馬鹿よ」
それなのに純粋に目を潤ませているアンリは、近い内に本当に悪いお兄さんに騙されて誘拐されてしまいそうだ。そして今のこの町は悪いお兄さんには出血大サービスで事欠かない。危険極まりない。
「先生の戦い、見届けさせて貰った。その遺志は私が……ムギュ」
「死んだままでいなさいこのクソバカ」
いつの間に復活したのか、悪いお兄さんの筆頭選手、アーチャーがそろそろとアンリの足下へと匍匐前進してきていた。それを思いっきり凛とイリヤが踏み潰す。
蛙の礫死体のようになって、アーチャーは今度こそ完全に沈黙した。
「……すっかり遅くなっちゃったわね」
「……そうね」
「……御主人様、起こさなくちゃ」
目前に転がるのは三つの死体。
先程までアサシンの手にあった白い靴下が風に舞う。
兵共が夢の後。深山町の一日がもうじき終わる。
一人の少女と二人の幼女は、溜息をつきながら一日に想いを馳せた。 |