「自分の不幸を嘆いてばかりじゃ前に進む事なんて出来ない……でも、嘆かずにはいられないわよね、ライダー」
「……サクラ……」
その日、二人は珍しく間桐邸で朝食をとっていた。士郎ラブの桜が朝から衛宮邸に押し掛けないなどまったく希有な光景である。
少し焦げたトーストを一口一口噛み締めるように……その度に桜色の唇から悩ましげな溜息が漏れ出す。これでテレビで流しっぱなしにしているのが『ムシ・ムシ大行進』のビデオ――それもβ――でなければ、屋敷の内装も相まってか深窓のご令嬢にも見えそうなものであったのに。
……が、どんなに屋敷が立派でも、今の間桐家は亡夫の遺産と臓硯お爺ちゃんの年金で何とか食いつないでいる貧乏家族である。朝食だって何の変哲もないヤマザキの食パンにヤマザキのイチゴジャムだ。目玉焼きすらない。立派なティーカップの中に注いであるのは出涸らしの緑茶である。
「……はぁ……」
「おい、桜。ジャム取ってくれよ」
二枚目のトーストにマーガリンを塗りながら、慎二はそう言って義妹の方へと手を伸ばした。だが桜は義兄のことなど見ようともしない。
「おい、桜」
「……はぁぁ……」
「桜!」
「……はぁぁぁ……」
「くそ、僕を馬鹿にしてるのか!? もういい、ライダー、ジャム取ってくれ」
こうなったら桜はきっとテコでも言うことなど聞いてくれやしない。仕方なく慎二はライダーへと向き直った。しかし……
「私のマスターは桜です。海草みたいな頭をしているくせに最近生え際が後退しつつある方の命令には従えません」
「く、くけけけ、くかーッ! お前達がいつもいつもそうやって奇天烈な発言と行動を繰り返した挙げ句に僕を馬鹿にするから抜け毛だって増えるんだ! この間だって『間桐くん、先日コスプレしてバイクを乗り回してた人って貴方のとこの居候さんよね?』とかクラスの女子に訊ねられて誤魔化すの大変だったんだぞ!?」
髪が抜けないよう優しく頭を掻きむしりながら慎二は絶叫した。いつもそうだ。最近の彼の周囲は変人魔術師に奇人英霊が跳梁跋扈する異常空間である。その尻拭いをさせられ続けたストレスのせいか、今では朝起きてから枕を見るのが恐ろしくて仕方がない。
だと言うのに、自分にそこまで心労を与えておきながらそれでも最終的にはどんな奇行も『美人だから』と許される桜とライダーは実に卑怯だ。
「お爺ちゃんからも何か言ってやってくれよ! この二人にさぁ!?」
慎二はなんとか援軍を確保しようとテーブルのお誕生日席に鎮座しているこの屋敷の主を見た。だが老魔術師は我関せずとばかりにフルフルと震えながらトーストを囓っている。
「お爺ちゃん!」
「シンジ殿、暫し待たれよ。魔術師殿はトーストのカスを落とさぬように必死なのだ。ああ、魔術師殿、ジャムで口周りが汚れておりますぞ!」
そう言って甲斐甲斐しく老魔術師の口をナプキンで拭ってやるのは髑髏面の不気味なサーヴァント。本来は間桐家の宿願を叶えるために聖杯戦争のルールをブッチしてまで召喚された真アサシンこと通称アサ真であったが、今の彼は老人介護で忙しいのでそれどころではなかった。
「くそぅ、どいつもこいつも僕のことを馬鹿にして!」
両腕でテーブルを思い切り叩き付け、慎二は激昂した。
そんな孫を老人がギロリと睨む。
「くぉりゃ……ぬしゃ人様が飯食っとる時にテーブルをブッ叩くとは何事じゃ?」
老いたり痴呆症気味とは言え、そこは腐蟲の大魔術師間桐臓硯。その眼力の迫力に慎二はゴキブリに睨まれた一人暮らしのOLのように萎縮した。
「そもそもの心構えというものがなっとらんのじゃ。魔術師たるもの、常に己を見失うことなく努めて冷静に振る舞わねばならんと言うのに、おヌシは事ある毎にやれ桜がだのやれライダーがだの……このアサ真の方がよっぽど魔術師に向いておるわい。時に桜、飯はまだかの? ワシはもうお腹ペコペコじゃ。気分はお腹と背中が合併前でスト寸前じゃよ」
「魔術師殿、朝食は今食べておられる最中ですぞ」
「ありゃ? ……まぁ兎も角、アレじゃ。心構えじゃ心構え。努々、それを忘れるでないぞ真之介」
「僕の名前は慎二です!」
どうしてサーヴァントの名前は忘れないのに孫の名前は忘れるんだろう。慎二は泣き出したい気分になった。この家には自分の味方は一人もいないのだ。
「……そうだったかの? むぅ、では真之介って誰じゃ? アサ真、おヌシ知っちょらんかのぅ?」
「はぁ、存じませぬ」
「ほいじゃ桜とライダーは?」
「いいえ、知りません」
「私もわかりません」
「……ふむぅ……」
臓硯はまだ頭を捻っていた。
慎二は一際大きな溜息を漏らすと、重い足取りで食堂を後にした。まったくこの屋敷は地獄だ。早く自立して出ていきたい……慎二は切実にそう願った。
「慎二の奴は何をふて腐れておったんじゃ?」
鬱々とした様子で慎二が食堂を出ていった後、臓硯は心底不思議そうな顔で桜に訊ねた。
「お爺様が名前を間違うなんてベタなギャグを真実味タップリに仰るからですよ。兄さんどう見ても本気にしてましたよ?」
「失礼じゃの。この間桐臓硯が孫の名を忘れる程耄碌しとるわけないではないか」
わざとやってる方が何倍もタチが悪い。
さっきまでのプルプルとした震えが嘘のように手早くトーストを片付けると、臓硯はお茶を啜って一息つき、桜の顔を見やった。
「……して、桜。今日は一体どうした事じゃ? いつもならまるでこれから生き残り最終戦争に挑むブルース・ウィリスみたいな顔して衛宮の小倅のところにすっ飛んでいくところを……おヌシのことじゃ、久方ぶりに家族の食卓を楽しみたかったなんてことがあるわけあるまい?」
何気に酷い言い草だが、しかし臓硯は間桐桜という少女の全てを熟知している。彼女がこうして食事に同席し、しかもいつもはケチって滅多に出さないイチゴジャムを食卓に並べたと言うことは何らかの魂胆があって然りなのだ。
「流石ですね、お爺様。全てお見通しとは……実は、お願いがあるんです」
「ふむ。可愛い孫の頼みじゃ。ライダーをプリキュアにしてくれとか言う無茶な願いでなければ聞き届けよう」
「……お願いですからその話はもうやめてください……」
そう言って恥ずかしそうに俯いたライダーの仕草が何とも萌えだったので、臓硯もアサ真も和やかにお茶を啜った。髑髏面を外し忘れていたアサ真はむせた。でもなんだか凄く嬉しかった。
「ライダーをプリキュアにしてくださいなんて言いません。彼女をこれ以上パワーアップさせてもわたしの利になることが一つもないじゃないですか。次の人気投票で負けるわけにはいかないんですよ、わたし」
切実だった。
「いや待て、次があるとは限らんのじゃぞ」
「無いわけないじゃないですか。FD発売に合わせてきっとありますよ。それでもってオフィシャルにすぐ黒化するネタキャラ扱いされてるに決まってるんですからこれ以上敵の戦力を増強させるわけにはいかないんです」
静かに、しかし力の籠もった言葉。五百年を生きた臓硯ですら背筋の凍る怨嗟の声に、アサ真は仮面の中を冷たい汗が伝うのを感じた。
「うむ……どうやら戦いの趨勢を読むチカラはしっかりと育ったらしいのぅ」
「四面楚歌ですから」
そう、これ以上やられっぱなしでいるわけにはいかないのだ。
自分を乳蟲扱いする姉にも、垂れ乳扱いするチミッ子にも、汚れ系のネタとほとほと無縁なままの騎士王にも、負けない。負けてなんてやらない。巨乳キャラの意地にかけて貧乳共を叩きのめしてやらなければ、人類に明日はない。
「虚数空間の中で干物を焼かされる日々にもお別れです。わたしは人を超え、蟲を超え、そして神になってみせます!」
「その意気じゃ、桜! 巨乳にて悪しき空間を断つのじゃ、桜!」
溜息をつくライダーを横目に、老人と孫はしっかりとその手を握り合い、勝利を誓った。アサ真の乾いた拍手が、虚しく間桐邸の食堂に響き渡った。
「桜、おヌシに足りないものはズバリ、色気じゃ」
「……色気……?」
「うむ、そうじゃ」
そう言われ、桜はなるほど、と納得し相槌を打った。
確かにスタイル抜群、ボディのエッチさではトップ1であるライダーに次ぐだけのものを持ち合わせておきながら、どうにも地味だ。黒化モードのアレもエロスとはまた違う気がする。
「それじゃあ、ライダーみたいなボディコンでも着れば……」
「何を言うておるのじゃ。時代遅れも甚だしいというか今時ボディコニアンくらいしかあんなボディコン着やせんぞ。あんなモン着ても逆効果じゃ」
額に青筋浮かび上がらせながら、拳を握り締めて立ち上がろうとするライダーをアサ真が何とか制する。事実なだけにとても悔しかったと見える。
「しかし新しければいいと言うわけでもない。例え基本が古くさかろうと、もっと、こう、今風にリファインされたエロコスならば良いのじゃ。温故知新の精神を忘れてはならん。昔ながらの良きものに、今の感覚をジャストフィットさせれば衛宮の小倅の小倅もたちどころにスタンディングオベーションじゃ。……ク、クク……今の我ながら最高」
自分のギャグに含み笑いする老人の言葉は、しかし正しく的を射ていた。ライダーのボディコンは確かに十年前のセンスだが、けしてエロくないワケではない。足りないのはもっと今風のアプローチだ。
「それでは一体どんなものを着れば……」
「うむ。新しくもあり、古くもある……あらゆる要求に応えるには、応用じゃ、ビバ応用じゃよ桜。重要なのは臨機応変な対応なのじゃ。時と場所、プレイ内容に応じて千変万化するエロコスなんぞ、考えただけでもドキがムネムネ、股間がピラミッドパワー全開じゃ」
そう言って、臓硯は桜に小さな包みを渡した。
「……これは?」
「開けてみるとええ。お前が望むものがそこに入っておる」
大魔術師の一言に、一同思わず息を呑む。
桜はそろそろと包みを縛る紐を解くと、その中にあった箱を思い切って開けた。
「……チョーカー?」
そこに入っていたのは、桜の花弁をあしらった飾りの付いた可愛らしいチョーカーだった。そう、確かに可愛らしかったが……
「これがエロコスなんですか?」
「急くな急くな。まずはそれを首に装着するんじゃ」
頭上に疑問符を浮かべたまま、言われた通りに首にチョーカーを装着し、桜は祖父へと向き直った。
「これでいいですか?」
「うむ、結構。次に、おヌシが今着てみたいコスチュームを頭に克明に思い浮かべながら、『チェリーフラーーーーッシュ!!』と叫んで空中に舞い上が――」
「ストップお爺様」
臓硯の口上をニッコリスマイルの桜が遮った。さらに老人のか細い両肩が物凄い力で締め上げられる。
「……お爺様、わたし、本気なんですよ? 大真面目なんです」
「のぉぐぅ、ほぉおおお……ワ、ワシも真面目じゃ! 信じてくれ桜、別に謀っとるわけでもからかっとるわけでもない!」
キラキラと輝く瞳で己の潔白を説く祖父を、渋々解放する。
「……わかりました。凄く胡散臭いけど信じます。……これでもし変身できなかったらゴキジェットの刑ですよ?」
蟲使いというか半ば蟲と同化している臓硯にとって、ゴキジェットは天敵も天敵、一発でコロッと逝ってしまいそうになる劇薬だ。
小便ちびりそうになる程震えながら、老人はコクコクと必死に頷いた。
「……それじゃ、いきます」
気を取り直して精神統一。
頭の中に、今着てみたいコスチュームを想い描く。
「よいか、細部までしっかりイメージするんじゃぞ? 出来れば白い靴下じゃとお爺ちゃん嬉しいかな? かな? かな〜〜〜?」
「お爺様、うっさいです」
お爺ちゃんショボーン。
仕方ないのでアサ真に慰められつつ事態を見守る。
やがて桜の全身を桜色の光の粒子が覆い始めた。そのまま全身のバネを使って空中高く飛び上がる。
「チェリーーーーーッ……フラーーーーーーーッシュ!!!」
桜の花弁が画面一杯に舞い散る。ピンク色の眩い光がまるでポケモン事件の再来の如く、否、あいつの愛機がストロボ焚いたぜってな如くに、臓硯の、ライダーの、そしてアサ真の網膜を焼く。
「おお、成功じゃ! 実験は成功じゃ!」
「……は?」
「……え?」
三人の見守る中、桜は完璧に変身していた。
臓硯の頬を涙が伝う。アサ真は無言のままジッと桜を見つめる。ライダーは、何が何やらワカラナイと言った顔でかぶりを振っていた。
「……どう?」
怖々と、上手くいったのかどうかを訊ねる。暫く放心していたアサ真だったが、何とか自分を取り戻したらしく、言葉を紡ぐ。
「いや、その……サクラ殿。変身は上手くいっているのですが……いや、何と言いますか……趣味は人それぞれですから……だが、むぅ……」
どうにも歯切れが悪い。
一体何がどうなっているのか、自分の姿を見下ろそうとした桜に、今度はライダーが告げた。
「……サクラ……一つだけ聞きたいのですが……何故、よりにもよって……デビルマンレディなのですか?」
………………………………………………………………
「……え? ……は、あ……えぇ!?」
自分の身体を見下ろし、絶叫が迸る。
桜の姿はまったく見事なまでにデビルマンレディと化していた。
「いや、ライダーよ。これはサクラ殿の趣味だ。我々が口を出すことではない」
「……そ、そうですね。サクラが何に変身しようとも、サクラはサクラですから……」
「ちっがーう! わたしは看護婦さんになろうと思ったんです! いくら永井先生繋がりだからってよりにもよってマンレディだなんて性別不明瞭なのに変身しようだなんて思いません!」
言うが早いか、涙を流しながら大喜びしている祖父へと掴みかかる。
「どういう事なんですか、お爺様!!?」
「……ありゃ? なんじゃ、デビルマンレディになってみたかったんじゃないのか? おかしいのぅ、失敗したのかのぅ……?」
どうやら本気で不可抗力らしい。
「むぅ、上手くいったと思ったんじゃがなぁこの『第六架空要素固定装置』……」
「そりゃ悪魔の力だぁッ!!!」
かくして、祖父臓硯の発明した第六架空要素固定装置によって悪魔の力を手に入れた間桐桜。
サクラチョップはパンチ力、サクラキックは破壊力だ、桜!
衛宮士郎を手に入れ、姉達に勝利するまで戦え、キューティーチェリー……じゃなかった、サクラマンレディ!
「……うぅ、結局こんな役回りなんですか……」
「サ、サクラ、そう落ち込まないでください。蟲人生よりはまだ悪魔の方がマシという考え方もありますから……それに、その恰好はかなりエッチですから当初の目論見は成功したということで……」
「……う、ぐす……うぇえええ〜〜〜〜ん……」
合掌。
|