闇だった。
目を覚ましたつもりが、実はまだ自分は目を開けていないのではないかと錯覚するくらいの暗黒がそこにあった。
まだ、頭がクラクラする。
セイバーは頭を振るうと、混乱へ向かおうとする思考を必死にまとめ上げ、まずは冷静に現状を把握するべく努めることにした。
肌に食い込むロープの感触から、自分は囚われの身であることはわかる。
だが、どんなに頭をこらしてみても、一体いつ、誰に囚われ、何処にいるのかがさっぱりわからない。
手探りしようにも、こうガッチリ縛られていては無理だ。先程から魔力を通して力尽くで引き千切ろうと試みてはいるのだが、そのくらい、対策は講じてあるのだろう。ビクともしない。
そんな時だった。
「……フフ。目が覚めたようね」
闇の奥から響き渡ったのは、女の声だ。
「そ、その声は!?」
知っている。その声の主をよく知っているが故に、セイバーは驚愕した。
「何故……何故貴女が、こんな真似を……!」
その声の主は、確かに目的のためなら手段を厭わない非常さを持ち合わせた人物だった。だが、それも過去の話。今の彼女にはこのような非道を行う意味がない。理由が見あたらない。
「答えろキャスター! 何故このような真似を――!?」
セイバーの怒号が響き渡るのと、暗闇が突如として溢れんばかりの閃光に覆われたのは同時だった。そのあまりの激しさに、人間以上のスペックと言えども目が眩み、何も見えない。痛む瞼を押さえたくとも手が動かせなくてはそれすら出来ず、セイバーは苦痛に呻きながら頭を振った。
「ごめんなさいね、セイバー。本当は、手荒な真似はしたくなかったのだけれど」
嘲るようなその物言いは、間違いなく聖杯を争っていた頃の彼女のものだった。
この現世で手に入れた二度目の生、その幸福を誰よりも噛み締めながら、何故再びこのような所業を――それをどうしても問いつめたくて、セイバーは涙に潤んだ瞳をこじ開けた。
まだ、視界は霞んでいる。だが目の前に立っているのがキャスター一人ではない事だけはわかった。
影は二人。そして霞み歪んだ視界であってもその人物がわからないはずがない。何故なら、それはこの冬木の地に現界しているサーヴァント達の中にあって特に長い時間を共に過ごしている相手のシルエットだったからだ。
「……ライダー……何故、貴女まで……!」
言葉にならない悔しさが自然滲み出た。
仲間として、友人として、家族として信頼していた相手の裏切り。かつて一国の王として生きていた頃にはありえなかった安息を与えてくれた一人が、今、こうして無様に這い蹲った自分を見下ろしているのがどうしようもなく悔しく、そして悲しかった。溢れる涙はけして痛みのためだけではない。
「キャスター! ライダー!」
獅子の悲泣が木霊する。
二人の美女は嗤っていた。
形良い唇を薄く歪ませて、逆上する騎士王を愛おしげに見下ろしながら。
やがてキャスターはもうこれ以上は堪えきれないとばかりに哄笑した。ライダーも同様に、普段の彼女からは想像もつかない程陽気な笑い声をあげている。
それがセイバーの怒りに油を注いだ。燃え上がる炎が心中の天を焦がす。
「キサマらぁっ!!」
だが怒りに震えた渾身でもってしても束縛を解くことはかなわなかった。
噛み締めた唇から鉄の味がする。
セイバーは両眼を力の限り見開き、せめてもの抵抗として二人に視線の刃を向けた。次第に光にも目が慣れつつある。見慣れたはずの二人の姿が、徐々に視界に……視界に……
「――――――――は?」
目をこす……ろうとして出来ず、取り敢えずセイバーは何度も瞬いてみた。
まだぼやけているが、さっきよりは随分とマシになったので、もう一度二人を見る。
「……………………え〜と……」
ライダーが黒い。
キャスターは白い。
ライダーが黒いのはいつものこととしても、何故だろう。なんだかフリフリしている。
キャスターが白い服を着ていても別に悪くはないのだが、なんだかヒラヒラしている。
二人は――黒キュアと白キュアのコスをしていた。
いや、よく見れば細部が以前とは異なっている。一番の違いは、ライダーがヘソを出していないことだった。士郎やアーチャーが見たら噴飯ものだ。
その顔に浮かんだ笑みもまったく無邪気なもので、慈愛に満ちた眼差しがセイバーを優しく見下ろしている。
「フフ。セイバー、歓迎するわ」
どうやら、ここはキャスター宅らしい。
カーテンが閉め切られているのでよくわからないが、時刻もまだせいぜい夕方と言ったところだろう。あの暗闇も閃光も、魔術によるものだったようだ。
「ど、どういうことなのです!? 何故私をこのような――」
しかしそうすると余計今の状況が理解できない。
なんで自分はいい歳こいたコスプレイヤー二人に縄で縛られ転がされているのだろう。まさかこれから二人のコスプレショーを延々拝まされるとか、そんな嫌イベントが待ち構えているのだろうか……早く帰りたいなぁ。
「何故――と訊かれても、そうねぇ。セイバー、私達には、貴女の力が必要なのよ」
笑顔のまま、キャスターはそう言って足下に置いてあった紙袋をゴソゴソとあさり始めた。ライダーも妙に清々しくこちらを見ている。
「……さぁ、セイバー」
そうして、キャスターはセイバーへと一着の衣装を差し出した。
ニッコリと。
凄く嬉しそうに。凄く愉しそうに。
「――セイバー……貴女はこれを着て、今期追加要員、三人目のサヴァキュアである、“セイバールミナス”になるのよ――!」
……本気でさっさと帰りたくなった。
「嫌です! 何故私がそんなピンクなファッションでアホなポージングを決めなければならないのですか! 帰して、帰してぇ! シロウ、助けてシロウー!」
「ほらほら暴れないの。暴れられると手元が狂っちゃうわ」
凶悪な笑みを浮かべ、キャスターはセイバーの服を脱がしにかかっていた。
一方、ライダーは結い上げられたブロンドをほどき、ツインテールに結び直そうとしている。
「セイバー、何しろ時代はMaxHeartです。となれば私達二人だけではサマになりません。劇場公開も遠い夢です。そんな感じなので諦めてください」
「イヤァアアアアアア! 私は無関係です! 大体“ふたりはサヴァキュア”じゃなかったんですか!? 補充要員入れたら三人じゃないですか! 放して……放せッ! 下郎! うわぁあああああああん!!」
そんな感じもどんな感じもない。
セイバーは暴れた。力の限り暴れた。
だが、スキル怪力を発動させたライダーはことのほか手強く、キャスター特製の荒縄に拘束された身体は悲しいまでに無力だった。
「大丈夫よセイバー。一度着てみれば吹っ切れるわ」
「吹っ切れたくなどありません! ……ん、ふ、あっん! ちょ、こらキャスタ……なんでパンツに手をかけるんですかぁ!?」
「あらあら、ごめんなさいね」
屈辱だ。もう死にたい。
ふん縛られて可愛いヒップの半ばまでパンツをづり下ろされ、フリル付きのピンクの衣装を着せられようとしている……伝説の――アーサー王が。
「本当はアンリを誘おうか最後まで迷ったのだけれど、まぁルミナスだしセイバーのブロンドが捨てがたいカナー……って思ったのよ。だから、もう諦めてくれないかしら?」
こんなに嬉しそうなキャスターを見たのは、もしかしたら結婚式以来ではなかろうか。いや、ある意味あの時を凌駕している気さえする。
「髪の色なんて拘らなくてもいいでしょう!? そんなこと言いだしたらライダーだって茶髪ではなく紫ではありませんか!」
「まぁまぁ。いいじゃないの。MaxHeartなのだし……」
「理由になってません! 大体なんですかMaxHeartって!? そんな噛ませ犬が布だけかぶってパワーアップしたみたいなネーミングのためにどうして私が斯様な辱めを受けねばならないのか!?」
足をジタバタさせながら、セイバーは猛り狂った。
気分はロードシルバーカートリッジだ。
「仕方ないわねぇ。ライダー、セイバーが落ち着くように何か歌でも唄ってあげて」
「はぁ。それではファンディスク用に新たに収録されたTHIS ILLUSIONの新アレンジバージョンでも……」
そう言うや、ライダーは何処からともなくラジカセを取りだした。
「そ、そんな話は初耳です! アレンジバージョンって……」
抗議の声などお構いなしに、ライダーの手が再生ボタンに伸びる。
ポチッとな。
……すると、流れ出したのは確かにアレンジされてはいるもののTHIS ILLUSIONのメロディだった。
夢に見ていた(マ〜ック−スハ〜ッ♪)
あの日の影に(マ〜ック−スハ〜ッ♪)
とーどかーない叫び(マ〜ック−スハ〜ッ♪) |
「それ要所要所に“マ〜ックースハーッ♪”って入れただけじゃないですか!!」
「ム。人が気持ちよく唄っている最中にケチをつけないでください」
頬を膨らませて、ライダーは拗ねた。
その仕草の可愛いのがむしろムカついた。
明日の自分は なんて描いてーも 消ーえなーい願いに濡れる
(マ〜ック−スハ〜ッ♪)
|
「これではアレンジもへったくれも――」
「はい。着替え完了」
「ってギャアアアーーーーーーーーーーッ!?」
セイバー、いやさセイバールミナス、絶叫。
「あら、ダメよセイバー。女の子がギャーなんて楳図かずおみたいな叫び方をしては」
「叫ばせたのは誰ですかッ!」
「似合いますよ、セイバー」
「嬉しくありません!」
口元に手をあててオホホと嗤う二人の前に、セイバーは今や完全に“セイバールミナス”へと変身していた。“輝く命”と言うよりは字面だけ見ていると聖ルミナス女学院みたいだ。ミカエラじゃなくてまだ良かった。
「そもそも、二人とも前回のコスプレ事件がトラウマになっていたのではなかったんですか!? それが何故、また……」
セイバーの言葉に、目に見えて意気消沈していく二人。
肩を落とし項垂れたその姿には、ついさっきまで満ち溢れていたはずの生命力は欠片も感じられない。
「……あ、あの……キャスター? ライダー?」
ポタリ、と。
雫がフローリングの床を濡らした。
「……キャス……ター……」
キャスターは――メディアは泣いていた。
伝説に名を残す魔女が、まるで少女のように、肩を震わせて泣いていた。
「…………て、……たな……た……」
「え?」
「……だって、仕方なかったのよ……」
それは、迷い子のような表情だった。
自らが進むべき道を見失い、途方に暮れてしまった少女の貌。
セイバーはかける言葉を失った。ツインテールにされてしまった髪を揺らし、踏み出そうにも踏み出せない一歩を躊躇する。
「……セイバー、キャスターを許してやってはくれませんか?」
「……ライダー」
涙するキャスターの肩を抱き、ライダーがポツリ、ポツリと語り始めた。
「これも、仕方なかったのです」
「……仕方なかった?」
「……テコ入れしなければ、人気を一年以上持続させるなど不可能……」
「やはり帰ります」
「ああ! 待ってセイバー!」
「まぁ、確かに気持ちはわかります」
「でしょう?」
勝ち誇った顔で『でしょう?』とか言われても返答に困るのだが、言い分はわかる。延命のためにテコ入れするのは当たり前のことであって、そのためには手段など選んでいる余裕はないのだ。
人気が無くなったらお終いですから。いや、もう、全部。
「う、うぅ……だって、だって……」
「ああ、もう泣かないでくださいキャスター」
「……人気が無くなったら、捨てられてしまうんじゃないかって……」
噎び泣くキャスターの言葉に、セイバーは全てを理解した。
そうか――だから彼女は……
「大丈夫ですよ、キャスター。そんなこと、あるはずがありません」
「……セイバー?」
セイバーはキャスターの目元に手をやると、優しくその涙を拭った。
そう、大丈夫だ。
そんなこと、あるはずがないのだから。
人気など、関係がないのだから。
「元気を出してください」
そう言って微笑んだセイバーを暫し見つめ、キャスターは、
「……ありがとう」
小さく、そう呟いたのだった。
「それはそうと、私の服を返してください」
「それはダメ」
「何故に!?」
「えー」
「えー、じゃなくて!」
「ダメよ。これから写真撮影なんだから」
「……は? ちょっと、放しなさいライダー! 放してぇーーーっ!!」
めでたしめでたし。
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