〜Turn F〜


episode-18
〜真夏の海の恋・発動編〜


◆    ◆    ◆






 〜前回のあらすじ〜

 オリグーがまたバカなことを言った。





◆    ◆    ◆






 海は青かった。
 空も蒼かった。
 この夏、いちばん静かな海だった。空だった。
 桜はそんなブルーをひたすらに眺めていた。このまま時間が停まってしまえばいいのにと、半ば本気で思う。
 錯覚したのだ。
 時間が、全て停まってしまったもののように。
 誰も動かなかった。動けなかった。
 おかしい、と。その場にいたほとんどの者はそう感じていた。
 だって、オリグーなのだ。オリグーのいつもと同じ他愛もないバカな発言だったのだ。ならば時間が停まってしまうはずなど無いし、あってはならないはずなのだ。何故ならそれがオリグーだから。神が定めたとしか言いようのない絶妙な駄目人間の配役こそこの男の立ち位置であるはずだから。彼に発言に対し万人がとるべき対応は等しく『過剰なまでのツッコミ』と相場が決まっているに違いないのだ。

 ――なのに――










「わかった。結婚しよう」










「……あ……い……う……え……?」
 ようやく動きを取り戻した桜は深海から何かの間違いで海面近くまで浮上してしまった深海魚のように口をパクパクしつつ楓と由紀香を伺い見た。由紀香は夢見るような表情で倒れ伏し、楓は楓で口パクどころか今にも浮き袋が零れ出そうなチョウチンアンコウのように非常に形容しがたい面相をしている。
「ちょっと待てぇ!!」
 だからその絶叫は少女達のものではなかった。
 無論、■■■■■でしか喋れないバーサーカーのものでもないし、アサ真はパラソルの方で完熟した臓硯の艶やかな肢体にサンオイルを塗っているからこちらの騒ぎとは無関係だ。
 叫んだのは、ナンパワカメだった。
「ひ、ひ、ひ、氷室! き、君は今自分がなんて言ったかわかってるのか!?」
「わかった。結婚しよう」
 一言一句声の調子も先程と何ら変わらない見事なリピート再生だった。
「リピートしなくていいよ!!」
「むぅ……間桐、君の兄上は我が侭だな」
 凄く困った顔されました。困ってるのはこっちなのに。
「氷室! そ、その男がどんな奴かわかってるのか!?」
「詳しくはわからんが――」
「そいつは凶悪な変態なんだぞ!? 人類が巨大な足だとすればそこのオリグーとかいう奴は水虫に該当する!」
 正直ワケのワカラン例えだったが桜も楓もつい頷いてしまった。バーサーカーも頷いていた。水虫に感染している部分なのかそれとも水虫菌そのものなのかはこの際置いておいて、オリグー=水虫というのはなんとなく納得できる。
「なのに君はそんな水虫野郎のプロポーズにわかったとかイエスとかダーとかウイとかンディヨーとかそんな答えを返してしまっていいのか!? 水虫になると痒いんだぞ!? 僕は中学の時にあれは市民プールの足拭きマットからだったと思うけど水虫を伝染されて酷い目に遭ったんだからな! マジ痒かったんだ!!」
 ナンパワカメは泣いていた。仮にも義兄妹として暮らしてきた桜にはわかる。あの涙は本当に、心からの悔し涙だ。義兄は本当に悔しいのだ。それはそうだろう。だってあのオリグーがプロポーズでOKもらっちゃったんだから。
「間桐慎也君」
「慎二だよ!」
「ああ、すまない」
 鐘の表情は全然すまなそうじゃない、相変わらずの氷ッぷりだ。
「確かに私はそこのオリグー氏のことはよく知らない。先程の私の親友への不埒な言動を見るに君の言う通り彼は水虫野郎なのかも知れない。だがそれとこれとは話が別だ。彼の求婚には誠意を感じた。男らしかった。以前君が私に送りつけてきた回りくどい暗号文のような恋文とは比べ物に――」
「わぁわあうあ゛ぁあ ・゚・(´Д⊂ヽ・゚・ あ゛ぁあぁ゛ああぁぁうあ゛ぁあ゛ぁぁーー!!!」
 ナンパワカメの全身がアクティブに動く動く。まるで波に揺れる海草のようだ。
「……義兄さん、いつの間に氷室先輩にラブレターなんて……」
「む、むむ、昔の話だぁ! 今は何とも思っちゃいない! だ、大体そんな話を今さら持ち出すだなんて――」
「安心したまえ。内容の半分以上は理解できなかったし結局断ったわけだが、私とてこれでも女だ。恋文をいただいたのは素直に嬉しかったし、今でもきちんと保管してあるぞ。よければ間桐にも後で見せ――」
「きゃら・・ぶ・げぇ(゜皿゜)はぁぷ・゚・ あ゛ろ。゜(゚´Д`゚)゜。ぺびたまらきぼぷ!!!」
 ワカメ大錯乱。今にも血の涙を流しそうな騒ぎッぷりだ。もしラブレターを朗読でもされたら地球を巻き込んで自爆してしまうかも知れない。
「それ見たことか。この程度のことで動揺するなど……それに比べ、オリグー氏を見てみろ。先程から一言も発さずどっかと構えて……」
 みんな氷室の核爆弾級了承発言ですっかり忘れていたが、確かにオリグーは何も話さずに男らしくどっかと構えている。こんな男らしい表情のオリグーを見たのは、それなりに長いつきあいだが桜も初めてだ。
 確かに、黙ってさえいれば顔は悪くはないのである。
 卑屈だが時に潔くもあるし、言動はアレだが態度はでかいため男らしく見えないこともない。そんな感じで桜は必死に考えを巡らせオリグーの美点を挙げ連ねようとした。だが、結局どう考えても答えは一つなのである。
 駄目だ。
 この男は、駄目だ。
「……なぁ間桐」
 楓がちょんちょんと肩を叩いてくる。
「……え? あ、はい。オリグーさんは生ゴミなので月曜日ですよ?」
 分別はキチンとしなければ怒られてしまう。
「いや、そうじゃなくてさ。その、そいつ……気絶してないか?」
「ふぇ?」
 楓の言う通りだった。
 オリグーは、立ったまま気を失っていた。





◆    ◆    ◆






「立ったまま気を失う奴の何処が男らしいと言うんだ!」
 海の家のテーブルを力の限りに叩きながら、ワカメは必死に訴えた。桜も楓もバーサーカーもその意見に同意する。ちなみに、ようやく意識を取り戻した由紀香はこの場にいると精神衛生上よろしく無い気がしたのでアサ真と臓硯に預けてある。ついさっき楓が様子を見た時はアサ真と和やかに砂のお城を作って楽しんでいたのでひとまずは安心だろう。
「むぅ、それはだな……」
 ワカメの迫力に口籠もるオリグー。相変わらずこの男は勢いに弱い。
 そのオリグーを庇うように鐘がスッと手を差し出す。
「まぁ待て。……プロポーズを了承された喜びのあまり気を失ってしまうなんて、こちらとしても女冥利に尽きるというものではないか」
 無表情なままだがどことなく嬉しそうだ。オリグーも予想外の援護射撃にうんうんとこれまたムカつくツラで頷いている。
 そんな二人にワカメがさらに激昂し顔を真っ赤にして喚き散らしている傍ら、桜は楓に耳打ちした。
「……あの、蒔寺先輩」
「……なに?」
「もしかして、氷室先輩って実はアレ天然ですか?」
 まるで『病気なんですか?』と聞いているかのような言い様である。
「実はも何も見たまんまだよ。あたしもここまで酷いとは思ってなかったけど、一途と言うか真っ直ぐというか」
「はぁ」
「■■■■■〜……」
「でも一見言葉巧みな理論派だろ? だから今まで何人もの男がアンタの兄貴みたいな感じで挑んでは撃沈してったワケだけど、確かにストレートに『結婚してくれ!』みたいなのはいなかったのよ。でも、まさか……」
 三人の視線がオリグーへと向けられる。

 ……

 溜息しか出なかった。
 一方、ワカメの方も限界が近そうだ。息継ぎもせずに喚き続けた結果、呼吸困難寸前である。死相が見えている。
 しかし困った。
 桜は義兄の能力をよく知っている。義兄では鐘を止めるのは無理だ。絶対に不可能だ。あのワカメに出来ることと言えば、このまま泡を吹いてぶっ倒れるか、その前に血管が切れて卒倒するかのどちらかだ。
 オリグーは口の端を歪ませながら、ワカメをやりこめる鐘の雄姿に見惚れている。常人なら殺意を抱かずにはいられないツラだが、そちらを見ていない鐘にとっては一言も発さずにいるのがむしろ加算点らしい。きっとベラベラ喋る男は男らしくないとでも思っているのだろう。……まぁ、今のワカメを見れば確かにその通りなのだが。
「……不味いですよね?」
「ああ。いくらなんでもこのまま親友が変態の嫁になるのを見過ごすわけにはいかないし、こう言っちゃなんだけどアンタの兄貴じゃどうしようもないし……」
「あれは魔化魍です。義兄さんじゃありません」
 毅然と言い放つ桜。
「わたしには義兄も姉もいません」
 そのあまりにも空虚で薄ら寒い目に、楓は身震いした。
「じゃ、じゃあさ、あのオリグーが実は男らしくも何ともない、情けないことでは天井知らずの生物だって事を見せつけてやろう」
「そうですね。それが現状では一番だと思います」
「■■■■■ーーーーーッ!」
 桜もバーサーカーも力強く頷く。とは言ったものの、今の鐘の目にはおそらくとてつもなく凶悪なフィルターがかかっている。あのオリグーが男らしく見える程のものをぶち抜くには並大抵の策では無理だ。
「間桐、アンタ確か蟲を操れるんでしょ? だったらフナムシの群を操ってアイツに嗾けるってのは……」
「む、無理ですよ! わたしの専門は節足動物昆虫綱で、フナムシは甲殻綱なんですから! 甲殻綱で操れるのはダンゴ蟲くらいで……」
 フナムシは甲殻綱等脚目です。
「そうなん? いや、前に遠坂のヤツが『うちの桜は蟲ならベンジョムシだって自由自在に操れるんだから』とか自慢げに言ってたからてっきり……」
 ベンジョムシは俗称。正式にはワラジムシ、フナムシと同様甲殻綱等脚目です。
「あ、あのアマァ……ッ!!」
 たわわな双丘を上下に揺らしつつ姉への憎悪が膨れ上がる。この件で恨みポイント80増加。あと200Pでクーデターです。
 しかしその事については後だ。今は一人の女性の未来を救う方が重要である。
「オリグーには弱点とか欠点みたいなのは何かないのかい?」
「むしろ弱点と欠点、悪点と汚点、疑点と自殺点とが六神合体してるような超ボロット生命体ですから……」
 今さらそれ以上のものを新たに探す方が困難だ。
「やっぱり曇りまくってる氷室んの目を覚ますのが一番か」
「ですね。正常な思考でよーくと見直せば、オリグーさんに美点なんてあるはずがありませんから」
「■■■■■ーー」
 そう言ってオリグーへと視線を向けたら目が合った。
 オリグーは照れくさそうに笑っていた。
 殺意が湧いた。





◆    ◆    ◆






「ふぉふぉ……若いモンは、ええのぅ」
 ビーチマットに寝ころんで身体を焼きつつ、臓硯はサングラスの位置を正し、海の家と砂浜の光景を心底喜ばしいとばかりに眺めていた。
 海の家では相変わらず揉めているようだが、それもこれも500年を生きる自分から見れば実に若々しい青春の一幕だ。
「うむ。争うがええ、若人達よ。時に争い、互いを傷つけあって、そうやって絆は深まっていくのじゃ」
 そうじゃそうじゃとストローに口をつけ、パパイヤジュースを一啜り。美味である。
 一方、砂浜ではアサ真と由紀香が楽しそうに水をかけ合ってはしゃいでいる。いつもいつも間桐家のために誠心誠意尽くしてくれているアサ真に感謝しつつも、自分の欲求を口にすることもなく黙々と日々を過ごす彼を心配していたのだが、今回の海水浴はどうやら良い休暇になったようだ。
 眩しい日射しの中で、臓硯は過ぎ去った日々を懐かしく思いつつ、若者達の輝く未来に幸多からんことを願わずにはいられなかった。





◆    ◆    ◆






 凄まじい形相で倒れ伏しているナンパワカメを横目に、桜は楓とともに必死の説得を繰り返していた。バーサーカーは言葉が通じないためボディランゲージでオリグーの危険性を説いているが、これではこっちが変態のようだ。
 死闘既に一時間半。正直、こんなに苦戦するとは思っていなかった。
「君達が私の身を案じてこの結婚に反対なのはよくわかった。だがいくらなんでもそこまで他人様を悪し様に言うのは感心出来ないな。良くないことだと思うぞ」
「悪し様に言ってるワケじゃありません! 全部本当のことで……」
 まったく、桜は真実しか口にしていない。誇張など欠片もなく、ありのままのオリグーを語るとそれだけで悪口雑言になってしまうのだから仕方がないのだ。
「氷室ん、そいつの顔見ればわかるだろ? 絶対にやめた方がいいってば」
「蒔の字、外見で人を判断してはいけない。人間の価値は顔じゃないだろう?」
 実は凄く酷いことを言われているのにオリグーは嬉しそうだ。いや、おそらく理解出来てないだけなのだろうが。
「■■■■■ーーーーーー!! ■■■ーーーーッ!」
「……その、すまないが何を言っているのかわからん」
 道理だった。
 暫しの間、場に沈黙が訪れた。互いに言葉が見つからない。
 やがて、桜はもう耐えられないと言った様子で捲し立てた。
「どうすればわかっていただけるんですか、氷室先輩……そこの男は正真正銘凶悪な変態なんです! 結婚なんてしても先輩が傷つくだけです!」
 ……が、それにつけても暖簾に腕押しとはまさにこのことである。親友と後輩(と変なデカイヤツ)の訴えにも鐘は首を横に振るばかりで、決意は固いらしい。
 暫し睨み合った末、鐘はフッと一息吐いて、
「なぁ、蒔の字、それに間桐……とバー作氏。三人が言うことは理解出来る。今日の由紀や私への視線と言動から察するに、オリグー氏は確かに変態なのだろう」
「わかってるじゃないですか!」
「■■■■■ーーーーーッ!」
「――だが」
 即座に入ったツッコミを毅然と遮る。
「例えどんな変態だろうと犯罪者であろうとも、彼の求婚は私の心にこれ以上ないくらい響いたんだ。今まで私は二十三人もの男性から告白を受けたが――」
「おい、ちょっと待て! あたし十七人しか知らないぞ!?」
 楓の訴えには『はて、そうだったかな』とだけ返すと、鐘は瞑目し言葉を続けた。
「だが、どの男も口先だけは達者だが中身の無い薄ら寒い言葉ばかり……」
 桜は掌に爪が食い込む程強く拳を握り締めながらその話を聞いていた。隣では楓が奥歯が磨り減りそうな程に激しく歯軋りさせていた。
 ……なんだろう、すっげぇ悔しい。
「その点、彼を見ろ。あそこまでの直球は投げられたことがない」
 オリグーもしきりに頷いているが、単に変化球を投げる技術がないだけだ。
「彼の言葉には、真実があった」

 ――……もう、駄目かも知れない――

 桜、楓、バーサーカーは、がっくりと肩を落とした。
 もういっそ、祝福した方がいいのかも知れない。





◆    ◆    ◆






「あはは、楽しかったぁ。楽しかったですね、アサ真さん」
「そうですな。はは、私も年甲斐になくはしゃいでしまって……いやお恥ずかしい。ユキカ殿も私のようなおじさんの相手では退屈でしたでしょう?」
「そんな事ありませんよ。本当に、すっごく楽しかったです! おかげで……その……お腹空いちゃいました」
 ペロッと舌を出し、恥ずかしそうに空腹を告げる由紀香と一緒にアサ真は海の家の暖簾をくぐった。海の家の定番と言えばのびたラーメンにソースベトベトの焦げた焼きそば。年若い乙女に御馳走するにはどうかとも思われたが、しかし海の思い出としては悪くないはずだ。祭の出店もそうだが、あれは味を楽しむものではない、雰囲気を楽しむものだ。
 当初は人見知りする大人しい性格からか会話もぎこちなく、どうにも終始構えてしまいがちな由紀香だったが、二時間近く二人で遊んだ結果すっかりアサ真と打ち解けていた。
 由紀香には、特技と言う程でもないが善人と悪人を「なんとなく」だが嗅ぎ分けてしまう、幼い頃からそんな変わった力があった。別にそう意識しているわけではない。けれど、由紀香は自分でも不思議なくらいアサ真に気を許していた。
「それじゃあ、アサ真さんは何を食べますか?」
「そうですなぁ。私は――……おや?」
「? どうかしまし――」



 海の家の中は、その一角だけ傍目にも明らかに異様な雰囲気を放っていた。

 倒れて泡を吹いているワカメが一人。
 無念そうに頭を下げている少女が二人。
 ガックリと項垂れている巨人が一人。
 その三人を軽く窘めている少女が一人。
 勝ち誇っている変態が……一人。



「二人とも私の大切な友人だし、バー作氏も本気で心配してくれている……その気持ちは素直に嬉しい。だから、三人の言い分もきっと真実なんだろう。だが安心してくれ。オリグー氏が例えどのような変態であろうとも、私が必ず更生させてみせる。それがきっと、私の使命なんだ」
 鐘はそう言い終わると、静かに椅子に腰掛けた。
 桜も楓も、もはや言葉もない。バーサーカーも同様だ。これでオリグーが更生するならもういっそそれで良いのじゃないかとさえ思った。
「そう残念そうな顔をするな、サクラン、バー作。我はきっとお前達の分まで幸せになってみせることを約束しよう」
 ムカつくが、反論する気力もなかった。ツーか、コイツ今回ほとんど喋ってねぇ。
 もう、いい。どうなったって構わない。
 祝福しよう。おめでとう。
「蒔ちゃん、桜ちゃん、ど、どうしたの!?」
 そこに由紀香とアサ真が駆け寄ってきた。
 だが、理由を尋ねる由紀香に二人は何も答えられなかった。
 バーサーカーが悲しげに大胸筋を震わせた。
 アサ真には、由紀香の肩をそっと抱いてやることしか出来なかった。






〜信じられないけどto be Continued〜






◆    ◆    ◆





オマケ
ワカメのラブレター

氷室鐘くんへ



突然の手紙、驚いたかい?
僕の名前は間桐慎二。君も知っているとは思うナイスガイ穂群原代表(笑)だ。
僕はつい先日、君が陸上部の練習で校庭を駆ける姿を見てドキがムネムネしてしまった。
宣言しよう。君はビューティフルでキューティクルだ。
君のような女性がこの現世に生まれ落ちた奇蹟を僕は神に感謝したい。
どのくらい感謝したいかと言えば、お歳暮で松阪牛を贈りたいくらいだ。
いいかい?
松阪牛だ。
松阪牛のすき焼き、僕は一度だけ食べたことがあるんだが、いやあれは本当に美味しかった。
あれを食べれば海原雄山だって「Oh! マイコ〜〜〜ンブ!」と叫んで飛び上がると思うよ。
そもそも何でもかんでも魯山人風じゃなきゃ駄目だってのは彼一流のポーズだね。魯山人の名前さえ出せば文化人に見えるだろうって浅はかさが丸見えだ。嘆かわしいよ。
以前の彼は何かあれば「女将を呼べ!」「このあらいを作ったのは誰だ!」と大騒ぎだったのに。
ところで魯山人って何をした人なんだろうね?

まぁいい。話が逸れた。

要するに、僕が言いたいのは僕と君は一億と二千年前からの因縁があると言うことだ。
いいかい?
月には誰も知らない社がある。全てはそこから始まったんだ。
この運命、デスティニーを君は信じられないか? 僕は信じる。
何故って?
僕と君だからさ。
こう言うと君は不安になるかも知れないけど、僕はたいへん女子にモテる。
今朝も下駄箱を開けたらラブレターが大雪崩だ。
けれど僕は彼女達の想いに応えることは出来ない。
君のせいだ!
君がいるから僕は彼女達に応えられないんだドゥーユーアンダスタン!?

……でも、それは君の罪じゃない。
僕達二人の罪なんだ。
だから二人で背負っていこう、この罪を。
そうやって生きていくのが、僕達に科せられた罰ならば。
悲しむことはない。
一人なら拭いきれない涙だって、二人なら僕が拭ってあげられるから……

さぁ、出かけよう。
一切れのパン、ナイフ、ランプ鞄に詰め込んで。
永遠が、僕達を待っているから……



君の王子様、間桐慎二より    



 なお、この手紙を読んだ鐘は内容がほとんど理解出来ず、そのため親友の由紀香と楓に解読を依頼したところ、楓は抱腹絶倒、由紀香ですらハンカチで口を押さえて笑いを堪えるのに必死だったという。
 この手紙がラブレターであることを鐘が理解したのは、楓がようやく立ち直ったその後であった。






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