〜Turn F〜


episode-21
〜舞い降りる剣編〜


◆    ◆    ◆






「んぐ……アンリ、そこのマヨネーズを取ってくれ」
「あ、はい。御主人様」
 アンリから手渡されたマヨネーズを実にしみったれた量だけサラダにかけ、綺礼はシャクシャクとレタスを噛み締めながら言峰家のいつもと変わらぬ朝食風景をぼんやり眺めていた。
「アンリ、次はオレに頼まぁ」
 アンリからマヨネーズを受け取るランサーも、
「油娘、我には胡椒を頼む」
 ぞんざいな態度とは裏腹に内心ではビクビクしながら胡椒を取ってくれるよう頼むオリグーも、
「こら、アンリを油娘と呼ぶのはやめるよう言ったろう」
 そんなオリグーの言い様を嗜める鐘も、
「……もぐ……ふむ……」
 まったくいつもと変わらない。普段通りの朝である。普段通りの朝であると、綺礼は必死に思い込もうとしていた。疑念を口にすることが、恐ろしかったのかも知れない。口にして、返ってきた答えが予測しうる最悪の解答であった場合、もしかしたら自分は立ち直れなくなってしまうかも知れない、そんな恐怖があったからだ。
「ほら、口の周りに納豆がついているぞ? まったく、だらしがないな」
「……ん、おお、すまん」
 やれやれと苦笑しつつ、鐘が甲斐甲斐しくオリグーの口周りを拭ってやるのを見て、アンリは嬉しそうに微笑み、ランサーは忌々しく見て見ぬふりを決め込んでいる。
 突然だが、綺礼には他人が幸せそうにしているのを見ているとコケにしたくなると言う大変困った悪癖がある。それが若いカップルだった場合、引き裂きたくてたまらないというゴミ溜めに涌く蛆虫にも劣るクソッタレな精神も持っている。
 そんな彼が何故こんな光景を我慢出来たのか。
 認めたくなかったからである。
 当たり前である。認めてたまるものかこんな光景。蜃気楼だ。もしくは転所自在の術とかに違いない。ミラージュとかイリュージョンとか、きっとそんな類だ。
 だが、そんな薄汚れた堪忍袋もいい加減我慢の限界だった。
「……一つ、いいかね」
 静かな切り出しに、全員の視線が綺礼へと集中した。
「ここ最近、ずっと疑問に思っていたのだが……えぇと、そこの君。確か凛のクラスメートだったと記憶しているのだが」
「?」
 鐘が何だろう、とでも言いたげに首を傾げる。
「何故君が我が家の食卓にいるのかね? アンリか……それとも槍チンに誘われたのかね?」
「ん? 私か? 私はオリグー氏の婚約者だ」

 ――綺礼は、目も耳も、五感の全てを疑った。

 今、なんて言った?
 この娘、一体なんだと言ったのだ?
「……すまない。よく聞こえなかったんだが――」
「だから、私の名は氷室鐘。オリグー氏の婚約者だ」



 ………………………………………………………………………………



「 ゜ ゜ ( Д )」
「きゃあっ! ご、御主人様の目が!」
「お、おい言峰!? こりゃやべぇぞ!」
 目ン玉飛び出しエフェクトと同時に派手に後ろに倒れ込んだ綺礼をアンリとランサーが咄嗟に支える。
「いけねぇ、ショック症状を起こしかけてやがる! アンリ、心蘇生だ! お前の魔力を直接心臓に叩き込んでやれ!」
「は、はい! ん〜〜〜〜……え〜〜〜〜いっ!!」
 綺礼の胸の上、アンリが翳した手から直接魔力が放たれ、その度に神父の身体がビクンビクンと不気味にのたうつ。だが綺礼は泡を吹いたまま一向に目覚める気配がない。目玉も飛び出したままだ。
「えいっ! えいっ!」
「まだ駄目か……オリグー、油だ! 聖杯から油持ってこい! こうなったら口に流し込んでやるんだ」
「あ、あ、油ぁッ!? ヒ、ヒヒヒ、ヒィィィーーーーーーッ!」
 オリグーの油トラウマが発動。これで普段の三倍くらい使い物になりません。
「私が取ってこよう。聖杯というのは地下室に置いてあるアレでいいのだな?」
 ちなみに、オリグーと付き合うに際し、鐘は聖杯戦争等一通りの事情を説明されていた。無論、綺礼には一言の断りも無しに。
「ああ、頼むぜ嬢ちゃん! このままじゃ今夜は言峰の通夜だ!」
 一瞬、この場にいる全員が『それも平和でいいかも』、とか思ってしまったのは秘密である。こんな男でも一応は言峰家の家長だ、目玉が飛び出たままの奇天烈な死に様を晒させるのは寝覚めが悪い。
 陸上部で鍛えた脚力を発揮し、手早く地下から鐘が油を汲んでくる。
「他に容器がなかったのだが、これで大丈夫だろうか?」
 ヤカンだった。
「大丈夫だ! 一気に流し込むぞ!」
 オッケー出ました。
「御主人様、油です!」
 注入開始。
 アンリと鐘が綺礼の上半身を起こし、半開きになった口へとランサーがヤカンの先を突っ込んでそのまま石油ストーブに灯油を注ぐが如くに流し込む。錯乱中のオリグーはその周りで『油、油』と慌てふためくばかりだ。あれ? コイツいつも通りじゃね?
「あが……ごが……ごぷっ……ぐふぅっ……」
 不気味な音を発しつつ油を飲み込んでいく綺礼の顔が次第に青く染まっていく。今のこれはどう見ても死体色である。
「おい、気のせいか顔色が悪くなる一方じゃないか?」
「あちゃー、おっかしいなぁ飲ませすぎたか?」
「はわわわわ! ご、御主人様ー!?」
 反応は三者三様だが、取り敢えずわかっていることがある。
 このままだと、言峰綺礼は死ぬ。
 死亡届にはオリグーに婚約者がいると知った事によるショック死と記入するか、それとも油で溺死したとでも届け出るべきなのか……どちらにしろ七代先まで恥辱の歴史が刻まれかねない死因だ。離婚した奥さんと娘さんに被害が及んでしまうのだけは出来れば避けてあげたい。今は遠い町で全てを無かったことにして幸せに暮らしているそうだから。
「油……油が……油――ん?」
 その時、油に脅えて隅でうずくまっていたオリグーは玄関のチャイムが鳴ったような気がした。錯乱のあまりの幻聴かもしれないが、それでもこの場から逃れるにはいい口実である。
「い、今チャイムが鳴ったようだから我が見てきてやろう。か、感謝はせずともよいぞ? き、客を出迎えるのも王の務めだからな!」
「おう、頼まぁ。……ゲェッ! またヤヴァ気な顔色に……」
「……き、黄色は流石にやばいのじゃないか?」
「はぅー! こ、今度はエメラルドグリーンっぽく染まってきました〜!?」
 ……振り返りたくない。
 十年余の付き合いであるが、今朝が今生の別れかも知れぬなぁなどと考えつつ、オリグーは玄関扉の前に立った。と、もう一度チャイムが鳴る。どうやら幻聴ではなく本物の客のようだ。
 今日は土曜。時刻は八時を回ったところである。客にしては早いが、聖杯戦争関係者だろうか? アーチャーかアサシンがランサーを誘いに来たとも考えられるが、バーサーカーあたりが自分を訪ねてきたのかも知れない。
 どちらにしろあの油臭さから解放されるならそれでいい。それ以上は特に深く考えることもなく、オリグーは扉を開けた。

「ただいま戻りました。ああ、オリグー。久しぶりで――」

 バタン。
 ガチャリ。
「……ふぅ、施錠完了」
 何も見なかった。そう言い聞かせ、オリグーは爽やかな笑顔で額を拭った。
「今日は何処にも出かけぬ方がいいかもしれんな、うむ。王の勘がそう告げている。早々に言峰の通夜の準備でもするとしよ――」
 オリグーの言葉は、そこで轟音に掻き消された。
 今の今まで言峰家の扉だったはずのものは砕け散り、宙を舞っている。舞い散る破片の向こう側、逆光背にして構えたる人物は薄く微笑んでいた。
「ご挨拶ですね、オリグー」
 革手袋が締まる音がやけに大きく、物々しく耳に響く。
「バ、バ、バ……」
「槍チンやアンリ、それと――言峰は元気ですか?」
 頑健な扉を粉砕した脚が、ゆっくりと前進してくる。オリグーは、いつも情けないがそれとは比べ物にならないくらい脅えていた。セイバーの風呂を覗いたのがバレた時と同等、いやさ本能が感じている恐怖はそれ以上だ。
 侵入者との距離が徐々に縮まっていく。が、距離など大して関係はあるまい。その気になれば彼女の間合いはオリグーより広く、最大射程は数倍長い。
「そう怯えなくてもいいでしょう? オリグー」
 ついに目の前で彼女が立ち止まったその時、オリグーはようやく呪縛から解き放たれたかのように叫んでいた。

「バ、バ、バ――バゼットゥオオオオオーーーーーーーッッ!!」

「騒々しい出迎えですが、まぁいいでしょう」
 両手を組んで天に祈りを捧げるオリグーに、バゼット・フラガ・マクレミッツは思わず身震いしたくなるような笑顔で応えたのだった。





◆    ◆    ◆






 オリグーの絶叫は当然の如く食卓で綺礼を解放する面々の耳にも入っていた。
「バゼットゥオ?」
 鐘は何やらわからぬと言った風体で。
「バゼットが!」
 ランサーは喜びと苦悩が綯い交ぜになったかのような面相で。
「バゼットさんが?」
 アンリは純粋に歓喜を顕わにし。
「……バ、バゼ、バゼバゼ……グバッ!」
 いまだ意識の戻らぬ綺礼は悪夢に魘されるかのように。
 それぞれの反応などお構いなく、規則正しい足音が食堂へと向かってくる。直後に酷く情けない足音を引き連れて。
 やがて、それが立ち止まった。
「久しぶりですね」
 食堂の入り口に立つのはスーツ姿の凛々しい女性。ショートカットに泣きぼくろが印象的な、一見“デキる”タイプの女性である。その佇まいに鐘は「ほぉ」っと感嘆し、アンリは「お久しぶりですー」とはしゃいでいる。
 そしてランサーは……
「バゼットォオーーーー――」
「ふふ……ふぅんッ!」
「――オオーーーーォベシッ!」
 持ち前の俊敏性を生かして再会のハグを敢行しようとし――たのはいいものの、一蹴りで撃墜されていた。青白い闘気を纏った蹴撃は一般人である鐘の目から見ても破壊力抜群である。と言うか、蹴られたランサーはその場で三回転半くらいしてから地面に激突、バウンドして天井に突き刺さっていた。
「む、むぅ……相変わらずの技の冴え……槍チンめ、愚かな真似を」
 いつの間にか鐘の隣へ這うように移動してきていたオリグーが、恐ろしい恐ろしいと唸りながら解説している。
「まったく。みだりに女性に抱きつくような真似は控えるようあれ程言ったのに、まだその癖がなおっていなかったのですか?」
 腰に手をあてプリプリと説教するバゼットだが、哀れランサーの首から上は天井に刺さったままである。しかし一応聞こえてはいるらしく、右手が弱々しく振られていた。どうも「すまねぇ、つい」と言いたいらしい。
「バゼットさーん!」
「アンリ、元気にしていた?」
 一方、アンリの方は嬉しそうに抱きしめて頬摺りまでしている始末。まぁ全身青タイツのマッチョマンと美幼女、どちらを抱きしめますかと訊かれたら普通は誰だって後者を選ぶだろう。
「オリグー氏、彼女は?」
 言峰家においては新参の鐘には彼女が何者なのか皆目見当がつかない。小声でオリグーに耳打ちすると、オリグーも低く唸りながら説明しだした。
「うむ。あれは槍チンの本来のマスターでな、バゼット・フラガ・マクレミッツというなんとも恐るべき女なのだ」
 恐るべき、の部分をやたら強調しているのは、天井に突き刺さったランサーの姿を見れば容易に想像がつく。なるほど、冬木に巣くうサーヴァントの中でも敏捷性では一、二位を争う槍兵を絶妙のタイミングで迎撃してみせた手際は素人目にも達人級である。と言うより、ランサー、一向に落ちてくる気配がない。
「しかし槍チン氏も音に聞こえた大英雄のはず。先程のあれも手加減を――」
「いや、あれはそれなりに本気だ。と言うよりバゼットに抱きつこうというのであれば我達英霊と言えども全身全霊、命懸けで敢行せねば到底不可能だしのぅ」
 オリグーの怯え様は尋常ではない。弱味の多い男ではあるが、基本的に態度は尊大なのでここまで怯えっぱなしなのも珍しい。
 と、そこでようやくランサーがスポンッと抜け落ちてきた。
「イテテ……ったく、相変わらずとんでもねぇなお前さんは」
「尊敬する英雄にそう言って貰えるとやはり嬉しいものですね。槍チン、貴方も変わりないようで何よりです」
 アンリを解放し、ランサーへと右手を差し出すその穏やかな雰囲気は、これが先程の蹴りを放った女傑と同一人物なのかと思わず目を疑いたくなる程である。だが、そこでオリグーは鐘に小声で「よく見ておけ」と告げた。
「はは……隙ありぃッ!」
 差し出された右手を握り返そうとしたまさに瞬間、ランサーの姿が視界から消え失せる。人間に視認出来る限界を超えた超高速移動、あらゆる警戒網をかいくぐって盗撮に勤しむ槍兵の真骨頂である。
 よく見ておけ、と言われてもこんな動き、見切れるわけがない。しかし鐘は見ていた。ランサーの動きではない。バゼットの反応を見ていたのだ。
「……甘いッ! フラガストライクッ!」
 再び青白く輝いた右脚が、振り向き様に虚空を射抜く。
「ぐぉあっ!」
 何も無いように思えた空間からまるで染み出したかのように現れるランサーの姿。さらにそこへ、
「ダブルストライクッ!」
「あべっ! ぶほぉっ!」
 容赦ない追撃が、二回。ランサーは今度は廊下の果てまで派手に吹き飛ばされていった。
「弱Kならノーマルのフラガストライク、強Kならダブルストライクだ。むぅ、以前と比べ射程は短くなっておるようだが威力は益々磨きがかかっておる」
 弱Kとか強Kという言葉の意味はわからないが、兎に角凄い威力だ。
「今のは……体術なのか? それとも魔術?」
 鐘の質問にオリグーが首を横に振る。
「どちらでもない、あれは宝具による攻撃だ。あの女の実家は、神世の宝具を二つも継承しているとんでもない家なのだ」
 バゼット・フラガ・マクレミッツが用いる二つの宝具。
 一つはフラガラック。アンサラー――如何なる相手の攻撃にも先んじて命中する究極の後出し先制攻撃宝具である。
 そしてもう一つが、フラガストライク。
「効果は……今の蹴り技?」
「あんなものは単に装着した状態で蹴りを放っただけだ。あの宝具の真の恐ろしさはもっと別のところにある……うぅ……恐ろしい、我は恐ろしい……」
 それ以上はよっぽど恐ろしいのか、恐ろしいと繰り返すばかりである。
 さて。暫くアンリと近況を話し合っていたらしいバゼットだが、見慣れぬ人物がいることに気がついたらしい。ツカツカと鐘へと歩み寄ると、非常に洗練された物腰で一礼し、「バゼット・フラガ・マクレミッツです」と名乗った。
「御丁寧な挨拶、痛み入ります。私は氷室鐘と申します。実はそこにいるオリグー氏の――おや?」
 いつの間にかオリグーの姿は消えていた。恐怖に耐えきれずトンズラこいたのだろう。いくら恐ろしいからと言ってもあまりにも不甲斐なさ過ぎる。後で折檻決定だ。
「氷室さんはオリグーさんとお付き合いなさってるんですよ」
 アンリは余程バゼットに懐いているのか先程からベッタリくっついて離れない。
「なっ、あのオリグーと!? ……いや、すいません。つい取り乱してしまいました」
 無理もない。誰だって取り乱すはずである。むしろ取り乱さない方がおかしい。今でも友人知人の誰しもが会う度に鐘にやめておくよう忠告しているのだから。
 バゼットは鐘を一頻り眺め、ふむ、と何事か納得したかのように頷くと、
「貴女のようなしっかりした女性が側にいてくれればオリグーも安心でしょう。彼は色々と扱いづらい点もあるかも知れませんが、根は悪人ではありません。どうか今後ともよろしくお願いします」
 そう言って、再び頭を下げた。この異国の少女がどうしてか他人と思えない。
「はい。私もまだ至らぬ点ばかりで恐縮ですが、彼共々よろしくお願いします」
 何故だろう。鐘も鐘で、バゼットには妙な共感を覚えると言うか、シンパシーのようなものを感じていた。
 そしてその理由は、すぐさま判明することとなる。
「……それで、その……アンリ」
「はい?」
(む?)
 バゼットの雰囲気は、一変していた。急に忙しなく肩を揺らし、ソワソワと目を泳がせている。頬も心なしか赤い。
「……言峰は、何処に?」
 疑問氷解。
 なるほど。自分と彼女は何のことはない、境遇が似通っていたのだ。そうかそうかと納得し、鐘は食堂の一角を指差した。
「あそこです」
「言峰ッ!?」
 そこには口にヤカンを差し込まれたままドドメ色になって死に損なっている言峰神父がいた。神の御許へ召されるまで後数分といったところか。周囲から荘厳なラッパの音が聞こえてきそうな雰囲気である。
「い、一体彼に何が?」
「それが……私がオリグー氏の婚約者だと聞いて余程驚いたらしく」
 それだけ聞けば充分だ。どれだけの衝撃だったのかは容易に想像がつく。
「言峰! 私です、バゼットです! 言峰!」
 返事がない。どう見てもただの屍です。本当にありがとうございました。
「ようやく……ようやく任務が終わって戻って来れたのに……」
「バゼットさん……ご、ごめんなさい、わ、わたしが、グスッ……ついていながら……ヒック……御主人様を……」
「……いいのよ、アンリ。仕方がないわ。オリグーに彼女が出来たなんて聞いたら、誰だってこうなってしまうでしょう?」
 しゃくり上げるアンリを優しく慰め、バゼットは深い悲しみをたたえた瞳で綺礼の死体を静かに眺め続けていた。
 復活したランサーも、声をかけようとして出来なかった。
 彼女は、今、最愛の人を喪ってしまったのだから。





◆    ◆    ◆






 ――言峰綺礼は困り果てていた。

 どうしよう。本当は大分前から目覚めていたのだけれど、完全に復帰するタイミングを失してしまった。なんだかアンリもバゼットも本気で泣いているし、鐘もランサーも湿っぽい顔で『生前の言峰綺礼は』などと語り合っている。オリグーの野郎がいないのが無性に腹立たしいが、今問題とすべきはそんなことではないだろう。
 まいった。
 何せ相手はあのバゼットなのである。クソ真面目極まりない彼女の誤解を早々に解かなければ、このまましめやかに埋葬されてしまいかねない。いくらサーヴァント並に不死身と称される怪人言峰でも火葬されては生きてられないし、土葬状態から復活というのも困難極まる大奇術だ。
(今「ウッソぴょ〜ん」とか言って目覚めたら、私はきっと怒ったバゼットに全力で殺されてしまうだろうし……ぐむぅ……)
 どの選択肢の先にも死亡エンドしか見えないのは気のせいだろうか。マルチバッドエンドシステムなんて納得いかねー。ごめんこうむる。
 バゼットが何かの拍子に退室した瞬間を見計らってトンズラこくのがおそらくは一番なのだが、そう上手くいくかどうか。
「あれ?」
「どうした、アンリ?」
 その時、アンリが何かに気付いたかのように綺礼へと近付いてきた。
「今、御主人様、動きませんでしたか?」
 目聡い。
「おいおい、アンリ、言峰は死んだんだ。動くわけねーよ」
 微妙に声の調子が上擦っている。コイツ、さては気付いていやがる。
「そうだな。惜しい人物を亡くした。式はこの教会で挙げるつもりだったのだが」
 鐘は兎も角、オリグーの祝福なんざまっぴらゴメンだ。
「アンリの言いたいこともわかります。まるで、まだ生きているみたいだ」
 バゼットも、こう、もう少し不真面目で片意地張っていなければ好みのタイプなのだが、彼女と付き合っていると日々調教され自分が男としての牙を削ぎ落とされていくのが実感出来るため非常に苦手なのである。大体浮気なぞしようものなら粉々にされてしまいかねない。
 ああ、とっととどっかに行ってくれないだろうか。そろそろヤカンを銜え続けているのも辛くなってきた。口内から喉、胃へと染み込んだ油が気持ち悪い。
「じゃあ役所に死亡届出さねぇとな。嬢ちゃん、確かあんたの親父さんは役所で働いてるんだったよな?」
「わかった。すぐに連絡してこよう」
 流石にこれ以上は綺礼が哀れに思えたのだろう。ようやくランサーは人払いを始めた。アンリには関係者各位を呼びに行ってくれるよう頼み、バゼットにもアンリを手伝うよう言い含める。
 どうしてこの教会にいるのか不思議でならない程に素直な女性三人は、槍兵の言うことに何ら疑問を抱くこともなく頷くと、それぞれ退出していった。



「……もう大丈夫だぜ、言峰」
「ッぐぼぁっ! ボェ、おおぉえエエエエッ! ぐ、ぐぷ、ぎ、ぎぼじわるい……ほ、本気で、し、死ぬかと思ったぞ……刻の向こうにララァが見えた」
 盛大にヤカンごと油を噴き出し綺礼蘇生。まるで噴水のようだ。
「今のうちに逃げるんだな。もしバゼットに見つかったら……」
 ランサーともあろう者が言葉を濁す。思いつく限りもっとも悲惨な末路しか浮かんでこない。何と言うか、アンリには絶対に見せられないことは確かだ。
「うむ、そうさせてもらおう。しかしまさかこんなに早く戻ってこようとは……」
「そんなに苦手ならテメェなんでコナなんざかけたんだ?」
 ランサーがもっともな疑問を口にする。バゼットに聞いた話によれば、最初に彼女にコナかけたのは綺礼のはずなのだ。だと言うのにこの男ともあろう者が彼女程の美人に対し逃げの一手とは……
「酔っていたのだ! それにあんなに本気になられるとは予想していなかった」
「お前、相手をよく見て口説けよ……」
「それを言うな。お前こそ、好きなら奪い取っていってくれ」
 出来るならとうの昔にそうしている。
 お互いに溜息しか出ない。
 大体が綺礼のナンパの手口に引っかかる女なんて普通に考えればありえないのだ。何しろカウンセラーと宗教家の合いの子的詐欺紛いの口八丁が常套手段の男である。フラレた時の捨て台詞、『クロスワードと女は似ている。難解なほど楽しい』がこの男の全てを物語っていると言っていい。
 ランサーとしてはバゼットを解放してやりたくてたまらないのだが、いかんせん自分が召喚された時には彼女は既に綺礼にラブ・イズ・ブラインド状態だったのだから手の施しようがない。
「まぁいい、ほら、逃げろ。このままじゃマジで死ぬぞ」
「恩に着るぞ、槍チン。私はこのまま暫く身を隠す。魔術協会に連絡してバゼットに至急指令を与えるよう伝えるから、後のことは頼んだぞ」
「おう、わかっ――」
 不意に、ランサーの時が止まった。
 それだけで、ああ、もうオチは予想がついた。嫌だけど、凄く凄く嫌だけどもう観念するしかあるまい。しかし振り向きたくないものだ。そこに自らの絶対的な死があるというのに振り向かなければならないというのは、ちと酷すぎやしないだろうか。
「……一つ、尋ねたいんだが」
「……何を?」
 聞き覚えのある、よく通る声である。
 声の調子からはどのような感情も読みとれない。が、そんなのは上辺だけだ。憤怒の炎はまるで蛇の舌のようにチロチロと身体に絡みついてくる。
「……やっぱり、その――バッドエンドかね?」
「……答えは必要?」
 不要だろう。
 覚悟した瞬間、これまでの人生で背負ったきたあらゆる荷物の重みが消失した気がした。人は死ぬ時は何も持っていけないのだ。
 ランサーの時が再び動き出す。
 蒼い槍兵は笑っていた。どうしてかは訊くまでもない。自分も笑っているからだ。
 笑いながら、綺礼は振り向いた。
「――フラガストライク・フリーダム――」
 バゼットの背で、宝具フラガストライクの真の姿……左右五対、十枚の翼が眩しい輝きを放っている。あらゆる因果を支配し、使用者をこの世界の主人公たらしめる凶悪極まりない宝具の姿がそこにあった。
 バゼットが微かに首を傾げ、ニコリと微笑む。
 さぁ、断罪の刻は来た。
 神に祈りを捧げながら、綺礼は遠い空の下で暮らしている妻子の事を想った。

   ハ イ マ ッ ト ・ フ ル バ ー ス ト
「――全て覆す自由の翼――!!」

 七色の光が全てを飲み込んでいく。
 光の中で見た妻子の姿は、とても幸せそうだった。










「……終わったようだな」
 礼拝堂側で膝を抱え事の成り行きを見守っていたオリグーは、ポツリと呟いて空を見上げた。今の衝撃から察するに、バゼットが真名開放したのだろう。
 二人とも早々に逃げればよかったのに、引き際を誤るからこうなる。
「三十六計逃げるにしかず。さて、バー作でも誘ってプラモ屋にでも行くと――」
「――ふむ。逃げも一つの手ではあるが、今日のは少々男らしくなかったな」

 背後から聞こえた声は、さながら弔いの鐘の音か。
 ……正直、最近バッドエンドから疎遠だったため油断しておりました。

 ――言峰、槍チン……我も、すぐにそこへ逝くぞ。その時は、出迎えてくれ――

 もはや言葉もない。
 ズルズルと引きずられながら、オリグーには何処で選択肢を間違えたのかをボンヤリと考えることしか出来なかった。






〜to be Continued〜






◆    ◆    ◆





オマケ
登場人物紹介と用語辞典

バゼット・フラガ
・マクレミッツ
 ランサーの元マスター。
 以前に埋葬機関と合コンがあった時に綺礼と知り合い、酔ったところを口説かれて一体全体どんな化学反応を起こしてしまったのか彼に惚れてしまう。それ以来、綺礼の半ストーカー。
 聖杯戦争に参加するため意気揚々と冬木市を訪れてランサーを召喚するが、綺礼の謀略により協会から呼び戻されて超困難な任務にばかり就かされていた。ランサーのマスター権はその時に一時的に彼に譲渡したものである。
 超がつく程にクソ真面目。思い込んだら試練の道を行くが女のド根性。血の汗流して涙を拭かない人生まっしぐらである。
フラガストライク  バゼットの家に伝わる宝具の一つ。弱Kと強Kでシングルとダブルを使い分けられる他、ソードやアグニ等のパーツを換装することで様々な効果を引き出せる万能兵装。
 しかしその真の恐ろしさはフラガストライク・フリーダムへと換装した時にある。ストフリはこの世界を一つの物語と見立て、使用者の配役をその主人公へと強制的に割り振ってしまうのである。あらゆる因果を覆し主人公補正を手に入れた使用者は例え核爆発の中心地にいようとも御都合主義で助かってしまう。
 真名開放は「ハイマット・フルバースト(全て覆す自由の翼)」

 ホアタ本編でバゼットとアンリが主人公となっていたのも、偏にこの宝具のおかげであると言えよう。

 監督の嫁曰く「バーサーカーにもガチで勝てます」だそうで。


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