「うむ。やはり旅は良いものだ」
蒼い空。白い雲。
花が咲き、鳥が飛び、風が舞い、月は……まぁ夜になれば見えるだろう。今日はこんなにもいい天気なのだから。
「……旅って……ただ単に市内をぶらついてるだけじゃないか」
なのに、そんな気持ちに水を差すハスキーヴォイス。
「むぅ、風流を解さぬようでは女としてのタカが知れるというものだぞ、綾子」
「そうでござるよ美綴殿。肝心なのは粋でござるよ、イキ」
男二人がそうだそうだと頷いているのを、少女は呆れ顔で見やった。
ここは冬木市。冬が長いためそう名付けられたらしいが、そんな由縁があろうと今は立派に春。ぽかぽか陽気に桜は満開。まさしく、風流。
深山町と新都を繋ぐ、冬木大橋。その上を、三人の男女がのたりのたりと歩いていた。
その中でももっとも人目を惹くのは、いつもの陣羽織とは違ってもっと楽な着流し姿の古風な男。
アサシン。
別にアサシンという名前ではない。かといって職業でもないし、呼び名と言えば、周囲の者達は親しみと敬意を込めて先生と呼んでいる。
本名は……本人が頑なに言おうとしないため不明。
では、何故にアサシン――暗殺者などという物騒な異称を持っているのか?
それは、彼がこの冬木の土地で行われてきた聖杯戦争にて呼び出されたアサシンのサーヴァントであるためだ。
そのアサシンとしての彼の真名は、佐々木小次郎改重装型と言う。
何故に改(カスタム)なのかと言えば、それは彼が本物の佐々木小次郎ではないからで、何故に重装型なのかと言えば、それは彼が通常の佐々木小次郎と比べて重武装しているからである。
「ほらほら先生、早くしないと日が暮れちゃうよ」
川の流れを見つめながら、一々歩みを止めては進みを繰り返すアサシンを叱咤するのは快活そうな少女。
美綴綾子。
穂群原学園に通う女生徒で、今年で三年生。現在アサシンは生活のために、週に何度か常々懇意にしている衛宮邸で道場を借りて剣術を教えているのだが、彼女はその教え子にあたる。
本人は武芸百般を目指しており、他にも幾つかの町道場にちょくちょく顔を出しているらしい。曰く『美人は武芸に精通していなければならない』のだとか。
……アサシンとしては、女は花か小鳥の如くに愛でるべしが信条だったのだが、この時代に来てからどうにもそれが揺らいでしまった。時代の流れというものは、いやはやまったく怖ろしい。
「これこれ美綴殿、まだ昼過ぎでござるよ。そう急かすものではないでござる」
そんな綾子をインチキ時代劇口調で窘める少年。
後藤。
下の名はアサシンも綾子も知らない。
アサシン自身本名を名乗らずにいる身だし、敢えて聞こうとも思わないのでただ後藤とだけ呼んでいるのだが、同じ学園に通う綾子も知らないと言うのだからおかしな話である。クラスメートの衛宮士郎に訊ねても、「あれ? そう言えば知らないな、後藤くんの下の名前……」などという返事が返ってきた。
後藤は、以前、商店街でアサシンが悪漢共を懲らしめたのを見ていたく感動したらしく、それ以来何かにつけてアサシンと行動を共にしている。
別に剣術を習い覚えたいのではなく、本人曰く『拙者のことはうっかり八兵衛のようなものだと考えていただきたいでござる!』だとか。
「急かしもするよ。橋渡るのに何十分かける気さ?」
「いいではござらんか、少しくらい。人生にはゆとりも必要でござるよ」
そんな後藤の言い分に、しかし綾子は納得がいかないらしい。
「そんなこと言ったって、これがあたしの性分なんだから仕方ないだろ?」
「うむむ。困った御仁でござるなぁ。先生は我々と違って荷が重いのでござるよ?」
さて、流石にゆっくりしすぎたらしい。アサシンは二人へと向き直り、
「いや、気にするな、綾子、後藤。別にこやつが重くて歩調が緩かったわけではない。単にあまりにも天気が良かったため、空や川を眺めていただけだ」
そう言って、背中に背負った“それ”の頭をペシャリと叩いた。
地蔵。
優美にして風雅な侍の背中で、とてつもなく異彩を放っている怖いくらい無表情な石仏。それこそが、アサシンがこの現世に留まり続けるために必要な、マスター。前掛けを捲るとちゃんと令呪もある。
彼は同じくサーヴァントであるはずのキャスターによって呼び出された、イレギュラーなサーヴァントである。だが、サーヴァントと現世を繋ぐためにはその時代の依り代が必要となるため、キャスターは彼を柳洞寺の山門に縛り付けようとして――
『……クチュンッ』
――失敗した。
なにしろ当時は冬の最中。寒さに耐えかねたキャスターお姉さん、可愛いクシャミに邪魔をされ、山門の脇で朽ち果てかけていた一体の古めかしい地蔵を依り代にしてしまったのである。
故に、彼は英霊でもなければ暗殺者でも佐々木小次郎でもない。
長刀物干し竿と古びた地蔵で武装した、真名・佐々木小次郎改重装型。地蔵から半径約30メートル以上は放れられないため、常に地蔵を背負って歩く侍。如何に見た目に滑稽でも、それがアサシン。
「すまなかったな、二人とも。では、行こうか」
確かに遊山も程々にしなければ陽が暮れてしまう。
けして風流を軽んじるわけではないが、今回の目的はそれとは別だ。
「我々の世直しの旅は、まだ始まったばかりなのだからな」
――話は昨日に遡る。
『先生! やはり先生の背負った刀と地蔵は、悪しきを挫き、弱きを救うために振るわれるべきだと思うでござるよ!』
馴染みの八百屋に頼まれて、野菜の曲芸切りを店頭で披露していたアサシンに、後藤は泣きながらそう懇願した。
後藤的には、敬愛する先生が空中に放った大根を星型やハート型に切り刻むのは憤懣やるかたないらしい。
『んなこと言ったって、後藤。このハートの出来映え見てみなよ? 凄いよ、コレ』
『美綴殿は黙ってて欲しいナリ! 我が輩は先生に言ってるナリよ!』
『……後藤、アンタさては昨日時代劇だけじゃなくキテレツ大百科見たね?』
『そ、それは関係ないでござるよニンニン! 兎も角、先生の技がこのような大道芸に使われるのは、某、我慢がなりませぬ!』
そうは言われても、今の時代は取り敢えず平和なことこの上ないのである。
聖杯戦争も平和解決してしまい、各マスター&サーヴァントも時折警察の世話になったりもするが基本的にはこの町に馴染んでしまっている。
天下泰平、世は全て事も無し。特別成敗しなければならない程の悪党など……悪党など……
そこまで考えてアサシン、閃いた。
『……ふむ、わかった。後藤、おぬしの言うことももっともだ。明日、悪党を懲らしめるための世直しの旅に出ようではないか』
『せ、先生! わかっていただけたのでござるナリねニンニン!!』
『……後藤、混ざりすぎだってば』
こうして、桜舞い散る土曜の夕方、『明日は日曜だし、おもしろそうだからあたしもつきあうよ』と言う綾子も含めて、世直しの旅決行と相成ったのであった。
「……で、私の所に来たというワケか」
新都の郊外に建つ、教会。
その礼拝堂で、アサシン達三人は二人の男と対峙していた。
「ったく、先生も暇人だなぁ」
「そう言うな、槍チン。手近なところで悪党というと、そこの陳腐しか思い浮かばなかったのだ」
アサシンの答えに、そりゃそうだ、とばかりに肩を竦める蒼い槍兵。クラスはランサー、真名はクー・フーリン。で、通称は槍チン。
「アサシンよ、私は陳腐ではない、神父だ」
特に気にしている風でもないのに、取り敢えずそう言って訂正だけしているのはこの教会の主、言峰綺礼。
「先生、この神父が冬木市転覆を企む稀代の悪党なのでござるね!?」
「うむ。こやつはとんでもないぞ? 諸々の事情から面倒を見ることになった幼子に、自分の趣味で無理矢理黒ニーソを履かせるような大悪党だ」
誰のことかは推して知るべし。
「なんだ、悪党じゃなくてただの変質者じゃないか。黒ニーソ好きのロリコンとは救いようがないねぇ」
「君、素直なのはいいけどその一言が人をどれほど傷つけるか考えなさい」
そう言って綾子を注意する綺礼は涙目だ。
「そもそも、日曜の真っ昼間から突然訪ねてきて何かと思えば『お前を成敗する』と言われても、こちらとしたところで困るぞ」
涙を拭い、さりげなく寝癖をなおしながらいつもの調子で語る神父。どうやら先程まで寝ていたらしく、黒い神父服の裾からフリル付きのパジャマが覗いていた。しかも足はサンダル履きだ。
その姿、明らかにプリキュアを見終わってから就寝したのだと見受けられた。
「……ぬぅ、ではどうしろと言うのだ?」
アサシンが問いかける。
どんなに手で撫でつけてもなおらないので、寝癖のことは諦めたらしい。腕組みをし、暫し物思いに耽った綺礼は、
「世直しはわかったが、やはり物事には順序というものがあるだろう」
そう答えた。
「……順序、でござるか?」
「その通りだ、少年。ただ単に成敗するだけでは、些か情緒に欠けるだろう?」
「確かにそうかもね。あたしも出来ればもう少し盛り上がりってものがあった方がおもしろいし」
綾子も後藤も、納得したらしい。
「そうだろう? 君はなかなか見所があるな。どうだ、うちに入信しないかね?」
「教会に? いや、あたしは神様って奴は別に信じちゃいないんだ」
「誰が教会に入信と言ったのだ。私が入信しないかと言っているのは、『〜ああっおもしろい 夢の言峰教〜』だ」
…………
「なんだ、聞こえなかったのか? 『〜ああっおもしろい 夢の言峰教〜』入信、今なら特別キャンペーン実施中で、この黒ニーソをプレゼント――」
「てぃッ!」
綾子中指一本拳人中打ち。
「――ブホッ! ……痛いではないか」
綾子の一撃が綺礼の人中を絶命必至の鋭さで打つ。とても危険なのでよい子の皆さんは絶対に真似しないでください。
「先生、やっぱりこいつはとんでもない悪党だ! さっさと始末しよう!」
「お、落ち着くでござるよ美綴殿、殿中と言うか神前でござる!」
このままでは勢いに任せて綾子が綺礼を悪滅してしまいかねない。それはそれで世界平和に繋がると思えなくもないが、憎しみは憎しみを呼ぶだけだ。後藤は必死に綾子を止めた。
「……と言うわけだ。陳腐よ、大人しく物干し竿の錆となれ」
「致し方あるまい。だがアサシンよ、最後に一つだけ、これだけはどうしてもやっておかなければならない事があるのだが……構わんか?」
いつも飄々として人を小馬鹿にしたような態度の男が、珍しく見せた真剣な眼差しに、アサシンは続く言葉を無言で促した。
「……午後八時二十五分のお約束だけは、果たしておきたいのだ」
「午後八時二十五分のお約束?」
そうだ、と頷く悪の神父。
死を覚悟した瞳が、その重要性を強く訴えかける。
「そうか、わかったでござる!」
「後藤?」
突如、後藤がようやく得心がいったとばかりに柏手を打った。
「風呂でござるな!?」
「そうだ、風呂だ」
ニヤリ、と綺礼が微笑む。
それを聞いてアサシンも瞬時に理解した。
午後八時二十五分。
それは全て遠き理想郷。
約束されたサービスタイム。
悪党の屋敷に潜入したくノ一は、午後八時二十五分を過ぎたあたりで絶対に風呂に入らなければならない……これは宇宙の真理、世界の常識、日本の掟だ。
そうして風呂を覗いた悪党は、お湯をかけられトホホのホ。
「……というわけだ、槍チンよ」
「応よ! 準備できてるぜ」
リヤカーを牽いて、槍兵登場。
すっかり忘れられていたランサーだったが、いつの間にか奥の方へ引っ込んで準備をしていたらしい。
「なっ!!?」
驚愕するアサシン、後藤、綾子。
目の前に登場したのは、鋳鉄で作られた独特のフォルム。
まさしく天の杯。万能の釜。軽量で持ち運びに便利。組み立ても簡単。通販特価十五万八千円。
「うむ。いい頃合いのようだな」
濛々と温かな湯気をたてる、それは……
五右衛門風呂。
「さぁ、入りたまえ」
「誰が入るかぁああああッ!!」
綾子正中線四連突き。
「――ゲボァッ! ……痛いではないか」
死にます。普通は確実に死ねます。
しかし綺礼は倒れない。幽鬼のように風呂を指差し、
「さぁ、遠慮なく風呂に入りたまえ」
「嬢ちゃん、入った方が身のためだぜ?」
「そうでござるよ美綴殿!」
「うむ。ここは入るが道理というものだ」
「なんでアンタらまで一緒になって風呂をすすめてるんだこのド阿呆共がぁあああああッ!!!」
綾子乱舞。
「……す、すまなかった」
「……つ、つい、ついでござるよ」
アサシンと後藤は懸命に地面に額を擦りつけた。だって入浴シーンは見たいけど命は惜しいし。
気を取り直して。
悪魔の誘惑に打ち勝った二人は、再び綺礼、ランサー両名と対峙した。
五右衛門風呂を背に、神父は両手を前に突きだしてワキワキと指を動かしている。表情はいつも通りなだけに相当キモイ。
「ならば腕ずくで入れるまでだ。槍チンよ、アサシンを食い止めろ。その隙に私は彼女の服を丹念に脱がしその若い肢体をたっぷりと視姦してからゆったりと湯に浸け前も後ろも隅々までじっくり洗ってバスタオルで丁寧に全身を拭った後に黒ニーソを履かせて存分に愛でるから」
「な、ずりぃぞ言峰!? しかも黒ニーソだとぉ……締めは白靴下に決まってるだろうが! まずはテメェからぶっ殺してやる!!」
「ぬぅ、逆らうつもりか貴様! こうなれば令呪を使ってでも……」
欲望のままに争う主従。
その姿の、なんと――醜いことか。
「先生、何はともあれ今がチャンスでござるよ!」
「承知!」
右手に愛刀、長さ五尺余の奇剣、物干し竿。
左手に重器、重さ約300キロの石仏、地蔵。
目指すは醜く罵り合い、争うマスター&サーヴァント。
「言峰綺礼ッ!」
討つべき敵の名を叫び、力の限りに床を蹴る。
一直線に駆け抜けるその速度は、まさに疾風。
「――ぬ!」
アサシンへと向き直る綺礼とランサー。だが、全ては遅い。
信頼など無く、情の欠片も通い合わない主従になど、この一撃が果たして後れをとるものか。
侍が一生を捧げた剣と、今世においてその身と世界を繋ぐ絆の地蔵。
それら二つのかけがえのないものが眩い光を放つ。神々しいまでの閃光が礼拝堂を照らし、そして、集束した後に顕れたのは一振りの――
「合身融合――貴様、何者――!」
地蔵型の刀身が重たく煌めかないそれは……え、剣?
……何はともあれ、旋風が巻き起こる。
綺礼とランサー、二人はアサシンが手にした奇態なその剣? に魅入られたかのように、微動だに出来ない。
「今こそ報いの時だ、陳腐!」
愛刀の柄から生えたる重き地蔵を渾身の力でもって振りかぶり、今、天地を揺るがす最強にして無敵の必殺剣。
見守る後藤と綾子が、息を呑む。
弾ける光。震える大気。ついに振り下ろされる、捌きの鉄槌。
「地蔵剣! 愛国聖杯返しッッ!!!」
炸裂。
「ッ――――!」
轟音。
「ぐぅおぉおおおおぁああああ!」
大爆発と共に舞い上がったマスター&サーヴァントは、そのまま天井に激突。勢いを失うことなく床に落下し、活動を停止した。
その背後にあった五右衛門風呂も砕け、入浴剤の甘いバラの香りが礼拝堂を満たしていく。
「……成敗!」
地蔵と物干し竿がそれぞれの姿へと戻り、アサシンの背中へ収まる。
こうして、戦いは終わり、一つの悪は滅んだのであった。
夕暮れに紅く染まった冬木大橋を、三人の男女がのたりのたりと歩いていく。
「やったでござりますな、先生! これで冬木の平和は守られたでござる」
「うむ。まぁ入浴シーンがなかったのは残念だったが……すまん。冗談だから腰だめに正拳を構えるのはやめてくれ綾子」
殺気のこもった視線が突き刺さって痛い。ホントに痛い。
「ったく、これだから男って奴はホントにどうしようもないね!」
その事に関しては、周囲に生息しているXY染色体が特別に駄目な奴らというだけの気がしなくもないが、何はともあれ綾子さんご立腹である。
「まぁまぁ美綴殿。そら、夕焼けが綺礼で……いやさ綺麗でござるよ」
一瞬、橋の向こうで倒したはずの神父がピースしていたかのように見えたが、きっと幻だ。三人とも見なかったことにした。
「……しょうがないね。夕焼けに免じて、許してあげるわ」
ホッと胸を撫で下ろす男二人。夕焼けに心から感謝だ。
「しかし先生、お疲れなのに、重くないでござるか? よろしければ拙者が背負うでござるよ?」
「はっはっは。いや、心配無用。大丈夫だ、後藤。それにこやつには過重の呪いがかかっているらしくてな、常人に背負えるものでもない」
何しろ約300キロの地蔵である。子泣き爺を背負って歩いているようなものだ。
「何よりも、今回の勝利はこやつのおかげよ。ならばこの重さも心地よいものだ」
一欠片の情も通わず憎み合う主従と、絆という重さを常に背負って固い信頼で結ばれた者同士。どちらが勝つかなど、はじめからわかりきっていたことだった。
しかし油断してはならない。
人の心に闇がある限り、いつまた第二、第三の言峰綺礼が生まれるとも限らないのだ。
冬木の空に、月が浮かぶ。
桜舞い散る春の一コマ。
美しいその光景を胸に、三人は平和への想いを新たにするのであった。
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