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『ばちあたり』






 ある日、地蔵を見かけた。

 それも一つではない。
 横一列に並んだ地蔵は、数にして六。
 各々、かなりの年季が入った地蔵であり、長年に亘って外気に晒され続けていたのであろう。苔が生え、蔦に絡まれたその姿は草木に隠れていて、一見では地蔵に気付くことすら出来まい。
 それを見つめ陣羽織の男。

「ほう……六道地蔵か、これはまた、珍しい」

 格好からして奇異の目で見られそうな男であったが、美しい容貌と落ち着いた物腰は、その風体を当然の如く受け入れさせる。言うなれば、自然体。
 その男、名を佐々木小次郎と言う。
 しゃがみ込んだ彼は地蔵の一つへと手を伸ばし、指が汚れることも厭わずに張り付いた苔を拭い取った。
 これといって信心深いわけではない。
 だが、何となく見棄てるのは気付いてやった者の立場として忍びなかった。

「それに、地蔵には何かと縁がある」

 己の背後に向けて小次郎が呟いた。
 そこには一抱えもある地蔵が背負われている。その重さは一見しただけでは解らないだろうが、相当な重量であることだけは窺えた。だが、彼は苦を感じる様子もなく平然としている。

「ふむ、この地蔵……かなりの年代物か」

 地蔵を背負っているからなのか、知らず知らずと地蔵に詳しくなっている小次郎。そのまま掌を汚しながらも地蔵の手入れを進める。蔦を取り除き、苔を落とし、周囲の草木を刈って陽光の元へ。
 そしてお供え物を添えるのも忘れない。散歩がてら商店街で購入しておいた焼き鳥を、小次郎は六の地蔵に供える。

「昔話では笠であったな」

 眉根を寄せる気配。地蔵を眺めつつ零れる小次郎の言は苦々しい。
 昔話では足りなくなった物を自分の物で補っていたはず。もっともそれは、小次郎の言うとおり、焼き鳥ではなく笠であったが。それに、あの話の時節は年末の大晦日であり、葉桜揺れる時期では無かったと思う。
 結果として、焼き鳥が不足するということは無かった。その代わり、焼き鳥が余ることも無かった。買った焼き鳥は六。地蔵の数も六。
 まあ、これも自分の分で補ったことになるのだろう。
 空の手元を眺め、小次郎は吐息を一つ。
 
「まあ、駄賃くらいは貰っていこうか」

 物言わぬ地蔵に告げると、自分が供えた焼き鳥から少し見繕って手元へと戻す。駄賃と言うにはどこか奇妙で、先程の小次郎の行動とは矛盾した光景だ。自身もそのことに気付いているのだろう、くつくつ、と腹の中で響かせるように小次郎は笑う。

「意地汚いとか、罰当たりとか言ってくれるなよ……こいつの分だ」

 七つ目の地蔵を指差し、小次郎はその場をそっと後にした。




「ほう……まるで笠地蔵のようだな。もっとも、笠ではなく団子ではあるが」

 その日の晩、夕刻の地蔵についての始終を聞き終えた葛木が、口の端を歪ませながら告げた。思わず面食らう。小次郎が記憶している中で、この葛木という男は冗談を言える様な男ではなかった。

「状況から見ればそう言えなくも無い」
「恩返しでも期待していたか?」

 く、と猪口の酒を飲み干し、葛木が言った。
 葛木の問いに何と答えていいものか窮してしまう。少し長くなりそうだ、と葛木はは酒の肴を一本見繕って山門前の石段に座ろうとする。

「ああ、そこには座らないでくれ。まだ掃除が済んでおらぬ」
「掃除?」
「まあ……な」

 見やれば、石段には砂利のようなモノがばら撒かれていた。その石屑は拳の大きさのものから、文字通り砂利の大きさのものまで大小様々で、石段に散乱するにはあまりに多すぎる。
 その奇妙な様子に訝しむ葛木だったが、元より感情を面に出さない男だ。それ以上は追求せず、山門へ寄りかかるようにしながら、猪口に新たな酒を注ぐ。
 山門前にて、二人は月を仰ぐ。穏やかな風が頬を撫でて、酒で火照った身体に心地よさをもたらす。月明かりに浮かぶ宵の光景も淡い灯火のようで美しく、まさに酒を飲むには絶好の刻限であった。

「しかし、難儀だな」

 ふと、葛木が呟く。
 やけに今日は饒舌だった。珍しいことがあるものだ。小次郎はそう思いつつも、葛木の言葉に耳を傾ける。寡黙で鉄面皮ではあるが、小次郎と二人で酒を飲むときは少し饒舌になる。

「難儀、とは?」
「恩を返そうにも、当の本人に我欲が無くては地蔵も困るであろう」

 この男の話を聞くのは嫌いではなかった。剣にのみ生涯をかけた剣士。朽ち果てた殺人鬼。互いに感じ入るものがあったのか、不思議と話が合い今宵のように酒を飲み交わすことも多い。

「まあ、確かに恩返しなど期待していなかった……」
「それでは地蔵が可哀想だ」
「……生憎と、信心深くは無いのでな」

 苦笑を零し、小次郎も酒を飲み、肴を一本食らう。
 喉を通り抜ける熱い感触が、外の冴え凍る空気と混ざり合うようで、肌が震える。
 しばし、その震えを堪能しながら小次郎は己の背負った地蔵を見やりつつ、それに、と一つ加えてから続けた。

「相手に我欲が無くても、やってこなくてはならぬ地蔵……それこそが難儀なのでは?」
「それも尤も」

 然り、と葛木は頷いて酒を飲む。地蔵が難儀だという点では二人の見解は共通していたが、それに至る考え方の相違が面白い。葛木の考えを反転させたかのような小次郎の考えは、まるで実際に地蔵と立ち会ったかのような現実感を感じさせた。
 葛木が続けて酒を注ぎ、飲み、そして戯れ混じりに問いかける。

「では、もし相場通り地蔵が来たら。何を求める?」

 答えを知っていながらの問いに、小次郎は地蔵をしばし見つめなおし笑みに表情を変える。己の刀に手をやると、堅い感触が彼の中で確かな実感となって指先から伝わってきた。

「決まっておろう。私には元より名前も地位も何も無かったのだ。剣のみに生きる私が求めるのは剣の境地」
「と、いうことは」

 感慨無く、小次郎は呟いた。

「無論。斬捨てた」

 斬捨てるのではなく、斬捨てた。その言葉の意味するところに気付いた葛木は、石段に散乱した石屑を改めて見やる。月明かりにぼんやりと浮かび上がる輪郭は粉々で原型を知ることは叶わない。
 だが、その石屑の量を一見すると。

 一抱えの地蔵が丁度六つほどの分量であった。

 ふ、という苦笑は葛木のもの。珍しい。この男が笑みを浮かべることは、彼が冗談を言うこと以上に珍しいことであった。

「罰当たりめ」
「言ったであろう、信心深くは無い、と」

 残った地蔵は背の一つ。

 それを背負った剣士。
 彼は肴の焼き鳥へとかぶりつくと、闇に浮かぶ蒼々とした月のように笑った。


                          

 <了>






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