◆    ◆    ◆




「こんばんわ。いい夜ね、サムライさん」

銀の鈴を振るような声で少女は呼びかける。
その紅い瞳が見据えるのは、山門の前に立ちはだかる異形のサーヴァント。
いや、異形と言えば彼女の後方に侍る巨漢も同様だ。
鋼じみた筋肉が幾重にも重ねられた鉛色の巨躯は小山を思わせ、
蓬髪から覗く両眼はあらゆる感情を切り捨てたかのように濁っている。
だが、己のサーヴァントであるバーサーカーを見慣れた少女にとっても
その敵はいささか異様だった。

なんとなれば――

深い紫紺の民族衣装と冗談としか思えない長さの片刃剣。
そこまでは、いい。
少女――イリヤスフィールの膨大な知識の中には
「侍」という種類の戦士に関するものも存在していた。
右手に握られた規格外の長剣も、ただ長いだけだ。
美しくこそあれ魔力の欠片も感じさせない。
問題は……

「ねえ、聞いてもいい? …背中にしょってるのは、なあに?」

少女の問いは涼やかな黙殺にて報われる。
典雅な陣羽織を生活感溢れる背負い紐で台無しにしている侍は
薄く笑うのみで答えない。

「……答えたくないならいいわ。
 どうせマスター共々ここで死んじゃうんだから。ふんだ」

内容の剣呑さとは裏腹に、形の良い唇を尖らせて不満げに呟く様はなんとも愛らしい。
その姿に何か感じるものがあったのか、無言を貫いていた侍がようやく口を開く。

「年端もいかぬ娘が、そのように荒んだ物言いをするのは感心せぬな…」
「やっと喋ったと思えば、魔術師を子供扱い? 自分の立場が分かってるの?」
「……魔術師であろうと鬼であろうと、この門をくぐらせるわけにはいかぬ。
 この私にも背負っているものがあるゆえに、な」
「背……………」

微妙に意味ありげな言葉に刺激され、少女は改めて侍の背後を見やる。
背負い紐にくくられた「何か」がそこにはある。
なんだか気になる。

「もう一度だけ聞くわ。…その背中には何があるの?」
「知りたくば押し通れ。そこな荒武者は見掛け倒しではないのだろう?」

そう言って不敵に笑う表情からは巨人に対する恐れは微塵も感じられない。
挑発めいた言動に対する怒りとそれを上回る好奇心に突き動かされた少女は――

「…やっちゃえ、バーサーカー」

――己の「最強」を行使した

「■■■■ーーーーっ!!!!!!」

びりびりと大気が震える。
獣じみた咆哮と共に石段を駆け上がったバーサーカーは、愛用の斧剣を振りかぶる。
神殿の礎より削りだした無骨そのものの兇器が唸りを上げる。

――両断する

白い少女がそう確信した攻撃は。
ぎゃりっ、という耳障りな音と共にあらぬ方向へ受け流された。

「えっ…!?」

イリヤの驚愕は当然だ。
破城槌めいた威力を誇るバーサーカーの一撃が、
あんな細い剣にいなされるなど有り得ない。想像も出来ない。
だが、事実として斧剣は対象を見失い、
たたらを踏んで体勢を立て直そうとする巨漢の首元に――

「そら」

愉しげな声と同じ速度で魔性の一刀が疾る。
大人の胴ほどもあるバーサーカーの首へ、月光を照り返しつつ迫る刃。
絶命を免れない攻め手は、しかし。

「…ほう…斬れぬ、な」

確かに巨漢の首を落とす筈だった一刀は、石でも叩くような感触のみを侍に伝える。
斧剣が風を巻いて跳ね上がったが、悠々と後方に退いた侍を捉えることは叶わない。
僅かな膠着の後、再度振るわれる斧剣。
払い、突き、打ち下ろし。
取るに足らないサーヴァントを爆砕すべく、縦横無尽に荒れ狂う。

「なるほど、これは凄まじい……生前はさぞ名のある英雄だったのだろうな」

そう言いながらも細い刀身はその全ての攻撃を受け流す。
焦れた少女は一際高い声でサーヴァントを叱咤するが、剛と柔の拮抗は変わらない。
ややあって――

「……このままでは夜が明けてしまうな。ならば…」

荒れ狂う斬撃から僅かに身を引き、侍は異様な構えを取る。
殆ど完全に敵に背を向けて。
その頭上、大きく振りかぶった手には何も握られていない。
そう、何も、無いのだ。

――そして少女は、侍の背にあるものを見る。

人形。
石造りの人形。
穏やかに微笑む人形。
赤い布を首に巻く人形。

あれは――

「異国の魔術師よ、教えてやろう。これは地蔵というものだ」
「ジゾウ…」

名称などどうでもいい。
なぜそんなものを背負っているのか。
何の意味があるのか。
重くないのか。

「その豪傑には我が最強の剣で報いなければなるまい。…感謝するぞ」

一人で盛り上がる地蔵侍を呆然と見守るイリヤ。
不可解と意味不明と理不尽が人の形をとって目前に在る。
ふざけているようには思えない真剣な眼差しがとても怖い。
バーサーカーよりもバーサクしているなんて反則だ。
おとうさん助けて。

「…バーサーカーは、強いね」

中空を見つめながら夢見るように呟く少女は、少しだけ走馬灯を回して現実逃避中。
主の精神的危機を感じ取り、思わず背後を振り返るバーサーカーお父さんは心配性。
その刹那。

「秘剣――――地蔵クラッシュ」

卑劣極まりないタイミングで炸裂する魔技。
野獣の直感で敵に向き直ったバーサーカーの視界に、アルカイックな笑みが広がる。
宝具ではない。まして剣ですらない。ざらざらした質感の、暗灰色のそれは――

ごんっ

工事現場の杭打ち作業に酷似した音がするや否や、狂戦士の頭部は消失していた。

「バーサーカー!!!」

我に返ったイリヤの悲痛な叫びが夜闇を切り裂く。
少女は知った。秘剣の正体を。別にビタイチ知りたくはなかったが、それでも知った。

「…ていうかどこが剣なのよっ! このインチキ侍!!」

首を胴体にめり込ませて尚倒れない巨躯に一瞥をくれて。
あろうことか英霊を地蔵で殴りつけるという暴挙に及んだ似非侍は可笑しそうに笑う。

「……昔、戯れに地蔵を斬ってみようと思ったことがある。
 知っているか? 地蔵は石で出来ていてな……鉄の刃で断つことは叶わぬのだ」
「秘剣の『剣』はどこにいっちゃったのか、と聞いてるのーっ!!」

白皙の頬に朱を上らせ、憤懣やるかたない様子でぶんぶんと腕を振り回しつつ
抗議するその姿は、お好きな方が見れば齧ってやりたくなるような愛くるしさだ。
だが生前より人妻にしか食指が動かぬ、やや気まずい性癖の持ち主であった剣士は
微動だにしないまま朗々と語り続ける。

「何度試みても傷をつけるが精々……されど…生憎、他にすることもなかったのでな」
「無職? 貴方無職だったのね? 所謂ゴクツブシ?」
「……………」

少しだけ悲しそうに眉を顰めるあたり、大体そんな感じだったらしい。
真実を抉り出す行為は時として人を傷つける。

「跳ね返される物干し竿を見るうちに気付いたのだ。
 ……我が剣でも断てぬ地蔵こそが――最強の刀だと」
「ふーん。そうなんだー。へえー」

男っとこ前な表情で語られるのは脱力モノの発想転換。
既にお城帰るモードに突入しているイリヤは心の底からどうでもいいといった風情。
バーサーカーはごきごきと気味の悪い音を立てながら再生中。しばらくお待ちください。

「故にこの身に敗北は無い。…地蔵がある限りは、な」
「……だったら拾ってあげようよ」

いつの間にやらちゃっかり物干し竿は手にしているくせに、地蔵は足元に転がっている。
きっと重いから嫌なんだろう、と魔術師特有の緻密な頭脳は推測する。
ちなみにその程度の推測なら誰でも出来るのだが。

「ふむ……六道の辻から戻って来たか。
 …貴殿、どうやら容易くは死ねぬ身のようだな。どうする? 続けるか?」

再生完了→再起動したバーサーカーを横目で眺め、独り言のように呟く地蔵侍。
問われた狂戦士の、感情を宿さない筈の瞳は「うんざり」と「げんなり」の色が濃い。
思いの他、彼は理性的だ。

「……もういいよバーサーカー。帰ろ」
「…■■■■」

それは相変わらず唸り声としか聞こえない返答ではあったが、
バーサーカーと強い霊的繋がりのあるイリヤには判る。
「激しく同意」と言ったのだ。きっと。
言い知れぬ敗北感と虚脱感に打ちひしがれ、とぼとぼと石段を下る主従の背に
快活な声が掛けられた。

「いや、久方振りに愉しかったぞ。
 …いずれ是非、もう一度手合わせを願いたいものだな」
「………………………………おやすみなさい、サムライさん」

言いたいことを山ほど飲み込んでようやくそれだけを口にする。
「この●●野郎」とか「キ●●イ」とか言ってはいけないのだ。淑女の嗜みとして。
ちょっとアレな人に対して「お前、ちょっとアレだぞ」とズバリ言ってしまうと
殺されるコトだってある昨今だ。
とりあえず今夜の戦いは「無かった事」にしよう。
人はそうして大人になっていくのだから。

「……良い退屈しのぎが出来たな。
 聖杯戦争……単なる茶番かと思っていたが、いやなかなかどうして…」

立ち去る少女と巨人をいっそ優しくさえある目で見守りながらひとりごちる。
血の沸き立つような戦いのみを求めた身にとって、今宵は僥倖とも言える時間だった。

「さて、次はどのような強者が現れるか……」

踵を返して山門をくぐる侍の輪郭は、次第に闇に溶けていく。
気配の残滓も立ち消えた後に残るのは、打ち捨てられたかのように転がる地蔵だけ。

――人はそれを、忘れ物という






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