◆    ◆    ◆





俺たちは登り始める。長い、長い石段を。


季節は夏。
各人が己を賭して聖杯を求めた「あの冬」も移ろい、過ぎた日々となった。
俺の目の前で失われた人がいた。
銀髪の少女。
忠義ものの狂戦士。
そして、赤き外套の騎士。
俺の傍らに居続ける人もいる。
衛宮の家の大切な家族――藤ねぇと桜。
怪我を負った友。
微妙な関係が続く、あかいあくま。
そして。
「どうしましたか、シロウ?」
セイバーもまた此処にいる。





イリヤの空、JIZOUの夏






季節は夏。
一斉に鳴きさざめく蝉の声と照りつける太陽。
匂い立つ緑の木々を左右に、俺とセイバーは黙々と石段を登り続ける。
――あつい。
足を動かしてはいるものの、頭が段々と呆っとしてくる。
直角にせまる角度から降り注ぐ光と熱は、夏という季節を以ってこの上ない凶器と化す。
こんな被熱射病環境で練習に勤しむなんて、高校球児は偉大だ。
ほんとにガンバレ甲子園。
……いかん、意識が一瞬何処かに飛んだ。
しかし仕様が無いじゃないか。いくら体を鍛えているとはいっても、それは魔術を使う者として万が一に備える為。
こんな酷い暑さに対処するなんて想定していな――。
「どうしましたか、シロウ?」
逝きかけた俺の意識は、涼しげなセイバーの言葉でなんとか戻って来た。
「……悪い、セイバー。あんまり暑いんで呆っとしてた」
セイバーは少し顔をしかめて左手を腰に。右手の人差し指をすっと立てて言い放つ。
「いけませんね、シロウ。体が鈍っているのではありませんか?」
「いや、だってこの暑さだし。
 でもセイバーは本当に涼しそうだな。その格好で暑くないのか?」
セイバーの洋服はあの冬から変わっていない。
長袖のブラウスにロングスカートという、熱が篭りそうな格好。
「私は鍛え方が違います。この身は聖杯に召還されたサーヴァント。
 シロウ、貴方の剣となり盾となると誓った私がこれしきの暑さに敗けると思いますか?」
セイバーは余裕綽々といった表情で汗一つ流していない。
……って、汗一つ流してないなんてオカシクナイカ?
「セイバー?」
俺は不審に思ってセイバーへと手を伸ばす。
すると。
ずさぁっ。
聖杯戦争時も真っ青の勢いでセイバーが回避行動を取った。
「どうした、セイバー?」
「いえ、ななななんでもありませんよ?」
あからさまにオカシイ。
さっきまでは汗一つ浮かんでいなかったセイバーの顔には、今やだらりんと大粒の汗が。
「セイバー、動かないでくれ」
「だ、だからなんでもありません」
「なんでもないなら、別に平気ってことだろ? 少し近づくだけだから」
「ううぅ」
セイバーが言葉に詰まった隙を見逃さず、俺は再び手を伸ばし体に触れた。
瞬間。
ひんやり。
俺の手の辺り、つまりセイバーの体の周りの空気は妙に冷たかった。
否。冷たいのではない。
気流が小さく渦を巻いている。
その風が体表から熱を奪うだけでなく、澱み熱せられた空気を遮断することで簡易な冷房効果を生み出す。
――風王結界。
そんな名が思い当たった。
それはセイバーの宝具。
宝具とは、英雄であるサーヴァントが持つ究極にして至高の一。
その宝具にすれば個人用冷房の役割など、なんて簡単――。
「って、宝具をそんなことに使うなよ!」
「い、いえ、これには深い事情が。 
 と言いましょうか、そもそもニホンの夏がこんなに暑いのが悪い」
あ、開き直った。
「とにかく行きますよ、シロウ。
 このまま遊んでいたら柳堂寺に着くまでに日が暮れてしまう」
そう、此処は柳堂寺へと続く石段。
見上げれば、幾多のサーヴァントを相手に難攻不落、あの山門が未だ小さく。だが確かな威厳を持ってそこにある。
……まだ遠いなぁ。




儂に出来るのは、只見ることだけであった。
此処で多くのものを見続け、記憶しておく。
その中には不快なものもあったし、また心地良いものもあった。
とは言え、奇妙なものについては「あの冬」の日々に見聞きしたものに勝るものはあるまいて。
始まりは、そう月夜の晩であったか。

奇妙な気配を感じて意識を起こす。
気配を追って視線を遣れば、その先にあるのは見慣れた山門。
否。普段とは異なるのが一点。
山門の下に人が立っている。夜更けとは言え、それ自体は珍しいことではない。
しかし。
その奇妙な格好を見れば話は別であろう。
身に纏うは、古き世の陣羽織。手に持つ刀は、三尺余りかという長刀。
侍?
一瞬我が目を疑ったが、それは幻ではない。
侍が滅んでから既に一世紀余りが経とうというに。
今の世にこのような格好をしているからといって、よもや本物ではあるまい。
儂はかか、と笑い飛ばそうとした。
その刹那。
長刀が翻る。月光を反射し輝く刀は正に流麗。
しかして侍から感じられるのは鋭く洗練された、偽りなき殺気。
その両極を見た儂が感じたのは、只、美しいということ。
そして悟った。この侍は本物なのだということを。

「これは懐かしいものを見た」
くくく、と細く微笑って侍がこちらを見る。
そして近づいてくると――なでり。
――事にもよって儂の頭を撫でおった。
瞬間、頭が沸騰する。
いくら老いさらばえたと言え、こんな若造に撫でられるとは侮辱。
ええい、目にもの見せてくれん。
などと思っていると。
「変わらぬものがあるとは、実に嬉しい」
侍はそういって微かに笑んだ。
このような顔を見せられては怒っているのも難しい。
儂は我ながら大人気無かったか、とひとりごちて頭を冷やしにかかった。


信じ難い光景は続く。
打ち合わされる刀と剣。
方や、空間を薙ぐ三尺余りの長刀。
方や、振り下ろされる剛剣。剣と呼ぶに余りにおぞましき質量が軽々と宙を舞う。
当然の如く、それを持つ者も人間離れしている。
巨人。
そう呼ぶが相応しい。
この様な異形が相手ではあの侍とて一たまりもあるまい。
儂はそう思っておった。が、そんな考えは直ぐに覆される。
侍は打ち据えられる剛剣を柳の如く受け流す。
そして僅かな隙を縫い反撃を試みる。
身を躍らせる巨躯と、剣を手に舞う痩躯。
この光景を美しいと言わずに、何が美しいというのか――。
そしてまた異様な光景がもう一つ。
それは。
「やっちゃえ、バーサーカー!」
あの巨人に命令をしているのが、まだ幼き娘だということ。
帽子と外套に身を包むその姿は、この国の人間には見えない。
なにより月光を受けて淡く輝く銀の髪。
多くが黒髪を持つこの国では滅多に見ることはないだろう。
この間も巨人と侍の闘いは続く。
その決着は未だに着かず、時間が只流れ行く。
剛の剣と柔の刀。
その雌雄を決するは一体何物か――。
「むー。つまんないー」
緊張感のない言葉にこちらも気が抜ける。
銀髪の娘はいかにも退屈、といった表情をこちらに向ける。
「アサシンなんてちょちょいのちょいだと思ったのに」
そんな言葉を発して娘がこちらに近づく。
そして儂の頭に手を当て――なでり。
やっぱり頭を撫でられた。
――儂の頭はそんなに撫でる魅力に富んでいるのか。
なでりなでりなでり。
娘は飽きもせずに撫でてくる。
いや、これはこれでやわらかくてきもちいい。
などと不謹慎なことを思ってしまう。南無阿弥陀仏。
そして娘は気が済んだのか手を止めて、少し腰を落として儂の両の目を覗き込み、言った。
「あなたも、ずっと独りだったの?」
眉根を少し寄せ、口元をほんの少し歪めて、娘はそう言った。
儂は一瞬呆気に取られてしまう。
すると。
今度は、ぱぁっと笑う。
「なんてね。今はバーサーカーだっているもの――。」
そう言うと娘は踵を返して巨人に近づく。
「帰ろう、バーサーカー。このまま戦っていても夜が明けちゃうわ」

「あの娘と何を話していたのだ?」
侍はそう言って、くくく、とさも可笑しそうに笑う。
「決着を着けられぬとは、なんとも残念なことよ――」
侍は儂の傍に腰を下ろし、肩を持たせかけて来た。
そして儂を背負うかの如き体勢を以って言う。
「彼の狂戦士――また手を合わせたいものだ」


その後、侍と巨人が再び戦うことはなかった。
侍は、黄金の騎士と二度に渡り闘い、そして敗れた。
彼の侍は飽くまで闘えたのか――。
銀の娘とは、あの一度の邂逅のみ。
願わくは、あんな顔を今はしていなければ良いのだが。
何時の世も童の悲しげな顔など無い方が良いのにな――。

儂が出来るのは、只見ることのみ。
――だが、彼の者達の記憶を、我が内に永久に留めんことをコイネガウ。
……。




「これは何ですか、シロウ?」
山門の傍ら、先行していたセイバーが指をさす。
俺は未だ荒い息遣いをゆっくりと整えて言う。
「それは、お地蔵様だ、セイバー」
セイバーがふむ、と頷く。
「まぁ、いつも俺達を見ていてくれる守り神様みたいなものかな」
ふむ、と再び頷いて言う。
「それでは、私とアサシンとの闘いも見られていたのでしょうか?」
「かもな。
 いや、絶対憶えているさ。セイバーとアサシンの闘いなら絶対に」
俺はアサシンに助けられたことがある。
そして全ての決着の夜にアサシンがセイバーと闘い、敗れたことも聞いた。
だが、と思う。
そんな剣士が相手であれば、セイバーでも苦戦をしたのではないか――。
死闘の勝者であるセイバーが、地蔵の頭に手を置いて言う。
「私とて憶えています。あの闘いの一瞬、一刻を鮮明に。
 そして忘れはしません。
 私がこの時代にある限り、アサシンも、我が剣を交わした相手は皆、忘れはしません」
セイバーが口元を緩め、穏やかに微笑む。
「絶対に」


耳に残るのは、蝉のさざめき。
鼻に薫るのは、緑の息吹。
目に映るのは、一体の、ちっぽけな、苔生す地蔵。
季節は夏。
さんざめく太陽の下、今日もお地蔵様は見詰めている。



―了―







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