◆    ◆    ◆




 私はシロウを愛している。
 この気持ちに嘘をつくことはできない。
 しかし、それはあっても良いのだろうか。
 マスターに恋をするなど、あっても良いことなのだろうか。
 この気持ちは捨てなければいけないのではないだろうか。



 
アサシンお悩み相談室





 誰かに相談したかった。
 しかし、それはできない。
 打ち明けることで、相手に自分自身の弱みを見せてしまう。もしかすると、相手を嫌な気持ちにしてしまうかもしれない。
 そのような気持ちを誰に相談できようか。

 凛
 彼女はシロウを好いている。この家で暮らしていれば、誰にだってそれが分かる。
 そんな彼女に相談すれば、困るだろう。自分の好きな人のことを他人に相談されるなど、不快に決まっている。
 彼女の性格からすると、顔には出さないだろう。だけど、絶対に相談されたくないはずだ。
 桜
 彼女も凛と同様に彼を好いている。彼女が彼を好きになったのは多分私が知るよりも以前だろう。
 それだけ彼女は長い期間彼を意識しているということだ。相談されれば、不快に思うだろう。
 そして彼女は嫉妬深い。私と彼が会話をしていたりすると、よく彼女はそれを睨んで見てくる。
 明らかに不快だろう。そして彼女の不安を重くすることだろう。それは目に見えていた。
 大河
 彼女になら相談しても良いかもしれない。子供っぽくて悪戯好きなところもあるが、彼女は根本的に良い人だ。
 彼女も彼を好いているが、凛や桜と違う種類の『好き』だ。彼女ならシロウや私の事も良く考えてくれる。
 ただ問題は、口が軽そうだということだ。この思いを他の人に言われては困る。凛、桜には特にだ。
 その上彼女は今入院している。先日にあった学校の事件のせいでだ。故に、今彼女に相談することはできない。
 イリヤスフィール
 彼女は……駄目だ。
 彼女は見た目相応の振る舞いをするが、ここぞという時に大人っぽくなる。
 もし私が彼女に相談したら…………いや、考えたくも無い。

 やはり、この気持ちは胸の内に秘めておくほうが良いのだろう。
 だが、それでいいのか、と自分自身の気持ちが自分に問うてくる。
 ──少し、町の中でも散歩して来ましょうか。
 夜風に当たってもう少し考えてみよう。
 そう決めると、彼に一言いってから出て行った方が良いと思い、彼に声をかけることにした。
「シロウ」
 彼の名前を呼ぶ。
 返事は無い。
 いつものように土蔵で魔術訓練だろうか。土蔵は彼の工房になっている。いや、なっているのではないと思うが、ほとんど工房に変わりない。
 土蔵に続く道を歩く。
 土蔵に近づいていくと、土蔵の中から物音が聞こえてきた。それはシロウが土蔵にいることを示している。
「シロウ」
「うわっ!」
 重い物が落ちる大きな音がした。私が土蔵の中を覗き込んで彼に声をかけた時に、彼が持っていたダンボール箱を落としたからだ。ダンボール箱は床に落ちた拍子に引っくり返ってしまい、中に入っていた物が周囲に散っていく。
 そんなに驚くことも無いだろうと思う一方、魔術の訓練中じゃなくて良かったとも思った。魔術の訓練中の精神の乱れは魔術の暴発や失敗を起こし、本人に害をもたらすからだ。
 安堵のため息をついた私は散らばった物を拾おうとした。
「す、すいません。シロウ」
「いいよセイバー、拾わなくて。これは俺が片付けるから気にしないで」
 そう言って彼は急いで散らばった物を拾おうとした私を止めた。
「し、しかしシロウ」
「いいって。それよりどうしたんだセイバー。何か用か」
 やはり拾った方が良いのではないだろうかと思ったが、二度も同じ事を聞くわけにはいかない。
 そして用件を言おうとして、彼の顔が目に入った。
 釘付けになる。
 それと同時に先ほどまで悩んでいたことが頭に浮かんできた。
 この気持ちは、間違っているのか。
 サーヴァントの分際でマスターにこのような気持ちを懐くのは間違っているのではないか。
 この気持ちを彼にぶつけても良いのだろうか。
 頭がパンクしそうなほどに詰まる思いを抱えた私に、彼は不思議そうに聞いた。
「どうしたんだセイバー。俺の顔に何か付いてるか」
「……い、いえ、何でもありません」
 顔を近付けてくる彼を見て、顔が赤く染まるのを感じた。
「?」
「そ、それで用件ですが、今から少し町の中を散歩して来ても良いでしょうか」
「今からって、夜中だぞ。襲撃に遭ったりしないのか」
「だ、大丈夫です。残っているのはキャスターとアサシン、あとはランサーだけですから」
「いや、そんな事言っても────」
「それでは失礼します!」
 理由にならない事を言って土蔵を出る。キャスターとアサシン、そしてランサーしか残っていなくても町の中で襲撃に遭う確立は高い。
 だが、どうしても外に出たかった。どうしてもこの気持ちをこの家の外で考えたかった。



 玄関で靴を履いて外に出る。
 鍵をかける。カチャ、という音が夜の静寂に響いた。
 鍵をかけた姿勢のまま少し考え、それからもう一度鍵を捻った。
 カチャ、という音がして鍵が開く。
「……開けてても、大丈夫ですよね。多分……」
 自分に言い聞かせるように、少し大きな声で言った。
 玄関を離れ、道に出る。
 夜空を見上げると、星がチラホラと見えた。
 自分が生きていた頃とは同じで違う夜空。その夜空の中で星が一生懸命に光っていた。
 美しいからこそ、それは人を困らせる。
 歩を進め、夜を歩いていった。
 誰に聞かせるでもなく夜空に向かって呟く。
「……ふふふ、笑っちゃいますよね」
 七人の中でも最強と言われるセイバー。
 それがたった一人の、ちっぽけな気持ちで悩んでいる。
 戦では優れた強者なのに、普段は簡単に壊れる気持ちで悩んでいる。
 生きていた時代では悩まなかった気持ちで、こんなにも悩んでいる。
「シロウが……悪いんですよ……」
 頬筋を冷たい何かが流れた。
 それを手で拭う。しかし、一つ流れたソレは、雨のようにとどまることを知らずとめどなく流れ出る。
 ポタポタと地面に落ちるソレは溢れ出る気持ちと一緒に地面に染み込んでいく。
「何かあったのか、セイバー」
「!」
 横から聞こえた声に振り向いた。
 脇を木々で囲まれて、いつか上った長い石段があった。中ぐらいのところにアサシンが座り込んでいる。
 いつの間にか柳洞寺まで来てしまったようだ。
 自分の不覚を呪う。まさか敵に出会うとは。
 すぐに全身武装になって不可視の剣を構える。泣き腫らした目でアサシンを睨みつけた。
 しかしアサシンはそれを手で制す。
「よせ、私は泣いている女子と戦う気は無い」
「…………」
 アサシンは座っている階段の隣をポンポンと叩いた。隣に座れという意味だろうか。
「何故泣いている。……話ぐらいなら聞こう。だから武装は解け」
 手を招くアサシンに少し警戒したが、殺気がないことを感じ取ると武装を解いて隣に座った。
「それで、どうしたのだセイバー」
「………………」
 話すのを少し躊躇ったが、何故かアサシンになら自分の悩みを話しても良いような気がしてきた。
 剣を交えた仲だからなのだろうか。それともアサシンが持つ雰囲気にだろうか。
 自然と口が開く。
「……実は、シロウの事なのですが」
「────シロウ?」
「あ、私のマスターのことです」
「あぁ、そうか。話の腰を折ってすまんな」
「いえ、気にしないで下さい。……それで、シロウの事なんですが、最近妙な気持ちに気がつきました」
 アサシンは夜空を眺めながらこちらの話に耳を傾けている。
 同じように私も夜空を眺めた。
 夜空には先ほどと同じように輝く星があった。私はその中で一際大きく輝いている星を見つめながら話を続ける。
「最初の頃は気がつきませんでした。土蔵の中で尻餅をついている彼を見て、彼がマスターなのか、なんて少しガッカリもしました」
 その星は北極星という。
 昔から方角を定める時はあの星を目印にしていた。
 北極星は常に北に位置していて、常に誰かの目印になっている。
「最初に彼がマスターで良かったなって思えたのは、彼の料理を食べた時でした。今まで食べた中で一番美味しいその料理は、彼の心の中のように綺麗でした」
 私はその星を常に目印にして、過去の戦場を渡り歩いてきた。
 その星に感謝をすることは無い。それは、ただ単に利用しているだけだったから。
「初めてこの気持ちに気づいたのは、バーサーカーのマスター、イリヤスフィールの城に攻め込んだ時でした。逃げる時に凛のサーヴァントであるアーチャーがバーサーカーを食い止めてくれて、そのままアーチャーは倒されてしまいました」
 その星の光の強さに気がついたのは、先ほど夜空を見上げた時だった。
 いつもは気づかないその光の強さを、今は実感できた。
 その星が、共に戦う彼と重なって見える。
「前回ライダーと戦った時に魔力不足になっていた私は、動くのも必死でした」
「……待て」
「はい、何でしょうか」
「……何故魔力不足になる。サーヴァントはマスターから魔力を貰っているではないか」
「いえ、私とシロウは召喚方法がデタラメだったために、パスが通っていなかったのです。そのうえで魔力を大量に消費する宝具を使ってしまい、現界するのもやっとでした」
 いつの間にか敵に教えてはならない弱点を言っていた。しかし、それも気にしなかった。
「……そうか」
「はい、それで魔力補給するため、私はシロウに抱かれました」
「………………」
「その時に気づいたんです。この気持ちを……。ふふ、笑っちゃいますよね、抱かれてからこんな気持ちに気づくなんて」
 いつの間にかまた涙が出ていた。
 先ほどと違い溢れることの無い涙は、目にたまって景色を歪ませる。
「ふむ、で、何が言いたいのだ?」
 アサシンが何が言いたいのかよく分からんといった顔で聞いてくる。
 袖で涙を拭った。
 視界が晴れ、アサシンの横顔が見える。
「マスターにこんな気持ちを懐いて良いのか、ということです」
「そうか」
 それからしばらく、沈黙が続く。
 アサシンはずっと夜空を見ていて、彼の横顔からは彼が何を考えているのか分からない。
 何か答えてくれるでもなく、励ましてくれるでもなく、彼は夜空を見続けていた。
 その横顔を見てから、彼と同じように夜空を見上げる。
「…………くく」
 アサシンが忍び笑いしたのに気づいて、彼を睨みつけた。人が真剣な話をしたというのに笑うということは侮辱以外の何物でもない。
「アサシン、何を笑っているのですか」
「くくく……はははははは!!」
 私の声を聞いて大笑いした後、アサシンは不機嫌そうな顔をしているであろう私の顔を見た。
「いや……お前の悩みを聞いていたら、キャスターの事を思い出してな」
 それを聞いて、まだ生き残っているサーヴァントの一人、キャスターを思い出した。
「はっ! そういえばキャスターは……!」
「安心しろ、主人に抱かれているところだ」
 主人、とはキャスターのマスターのことだろうか。
 そう考えてから、分かっているであろう答えを求めて聞き返した。
「何……?」
「あやつはあやつのマスターに恋をしているということだ。そう、お前と同じようにな」
「………………」
「あやつも苦悩したんだろう。恋心をマスターに懐いても良いのか。……それを経てあやつはマスターと共にいることを選んだ」
「………………」
 キャスターはその思いを行動に移した。
 私と同じ。いや、それ以上に考えたのだろう。自分なんかが彼に思いを伝えたら、彼が嫌がるのではないのか。こんな身の自分自身を、かれは愛してくれるのか。そして、本当に彼と共にいても良いのか。
 その考えの上で彼女は結論を出したのだろう。
 それでは、私は?
 彼女と同じ結論を出すのだろうか。それとも違う結論を出すのだろうか。
 王の名を捨て、求めていた聖杯を放棄し、名を汚して彼と共にいることを望むのだろうか。
 アサシンが口を開く。
「お前がどうするかは自分で考えろ。だが、一度その思いをぶつけてみるのも良いかもしれん。それで断られたら踏ん切りがつくかもしれんだろ。……自分自身の気持ちを……大切にしろ」
 彼は真剣に彼自身でその答えを導き出してくれた。
 私がどうすべきなのか。私がどうあるべきなのか。
 その答えを鵜呑みにはしない。問題は、私がどうしたいのかなのだ。
 あくまでも参考にすぎない。しかし、その答えは私に一つの道を教えてくれた。
「……アサシン。…………すまない、恩に着る」
 立ち上がり、アサシンに向かって礼を言う。
「この無数の星の下に私達は出会った。…………一期一会の縁を大切にな」
 アサシンはもう一度夜空を見上げると、立ち上がって背を向けた。
 その後姿に私は礼をする。
 顔を上げると、地蔵と目が合った。その目を見て自然と頬が緩む。
 アサシンの背中に背負われた地蔵が、優しい目で自分達を見守っているような気がした。






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