「メリーエープリル士郎」
「なに言ってるんだ、遠坂?」
聖杯戦争から二ヶ月。
士郎の前から少女が消えて、早くも二ヶ月が経とうとしていたある日のこと。
うららかな春の朝の日差しを浴びて、遠坂凛は買い物帰りの衛宮士郎に会うなり開口一番そんな言葉を投げかけた。
「なに、アンタわかんないの? やっぱエープリル士郎ね」
勝ち誇ったように胸を反らす凛。貧相な乳が強調されてもやはり貧相だ。
「お前が貧しいのはわかったから、兎に角まずは説明してブギュッ!」
凛ナックル炸裂。
「エイプリル士郎の分際で生意気よ」
「暴力反対! 俺は断固として暴力には屈しないぞ! 非暴力不服従を掲げて正義の味方になってやる! なってやるぞこの貧にゅべぎゃらばッ!」
凛クラックシュート炸裂。でもパンツ見えない。
理想を唱える人間は常に理不尽な苦難に見舞われるものだ。
士郎は心の中に荒涼とした剣の丘を思い浮かべて凛の暴力に耐えた。きっと目の前のこのあかいあくまの心象は拳の丘だ。筋肉ムキムキのモヒカン共がバイクに跨って「ヒャッハー!」とか叫んでるに違いない。札束なんてケツを拭く紙にもなりゃしねぇ!
「この種もみは明日なんじゃ……ワシらの明日なんじゃ……」
「シロウ、混乱するのもいいけど早く立ち直った方がいいよ」
「……う、げふぅ。はぁ、はぁ、死ぬかと思った。凛は凛でもリンとは大違いだ……」
きっと目の前のリンなら第一話でジードに捕まったりしない。
「ともあれ、ハッピーエープリルシロウ!」
「イリヤまで……一体そりゃどういう意味なんだ?」
桜の花が舞い散る中、映えるぶるまぁの眩しさよ。発展途上とは言え健康的な幼女の白い美脚と、それとは対照的に黒のハイニーソに覆われたスラッと長い胸とは大違いに発達した美脚。
うむ。
女性と話す時はやはり下半身を見ながらに限る。
「……士郎、確かに見られることで女は美しくなるって言葉もあるけどアンタのそれは明らかに犯罪の域よ。それとも、一生視線をその高さに固定されたい?」
「ごめんなさい。ネギあげるから許してください」
買い物袋の中からネギを差し出し、頭を地面に擦りつけて謝る。命じられれば靴だって舐めるだろう。だって理想のためだもの。衛宮士郎の意志は固いのだ。
「……で、結局エイプリル士郎ってなんなんだ?」
「アンタ、この期に及んでまだ気付かないの?」
凛が心底哀れむような目で見下す。その手の趣味の人ならこの視線だけでご飯がドンブリ五杯は食べられるんじゃないだろうか。
「シロウ、英語苦手なんだね。エイプリルシロウを日本語に訳してみればすぐにわかるじゃない」
「……四月士郎?」
散々頭を悩ませても、そんな当たり前の答えしか出てこない士郎をまるで慎二を見るような目で(さっきより酷い)見下し、
「チッチッチ。違うわよ。四月バカに決まってるでしょ。今日は四月一日よ?」
凛はそれが万国共通当たり前の解釈であるとでも言うかのように答えた。
「遠坂……それはいくらなんでも虐めだぞ。明日、桜が部屋に起こしに来てみれば俺は天井からぶら下がってましたなんて事になってたらお前どうするんだ?」
「少なくとも垂れ流した糞尿の世話はしないわね」
「……俺、涙が止まりません」
筋金入りのリアリストの前に、士郎の弁など通じるはずもなかった。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「イリヤ?」
「ちゃんとオムツ履いてから首吊れば万事解決!」
士郎、号泣。
「ああ、痛い! 心が痛い! まるで心に剣が突き刺さってるかのようだ!」
事実は拳でぶん殴られているようなものなのだが。
「お前らは、お前らはあれか!? つい二ヶ月程前にワケもわからんうちに聖杯戦争とか言う凄惨な殺し合いに巻き込まれた挙げ句に、愛した女を失った哀れな男を虐めてそんなに楽しいのか!? 楽しいのか!!?」
「何も涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら叫ばんでも……」
「うるせー! 畜生! 未練なんてきっとねぇよ! でもそんなの嘘だよ! だって四月一日だもん! ちょっと強がって嘘だってつくさ!」
こいつ、絶対将来英雄になんてなれねぇ。
涙と鼻水、ついでに先程凛に攻撃を喰らった傷口が開いたのか、噴水のように血まで噴き出し始めた。凄い量だ。
「うわぁ……お兄ちゃん、それは流石に死んじゃうよ」
「うるせぇ! 殺せ! いっそ殺せ!」
結局、士郎はその後一時間程泣き喚き続けた。
「はい、これ。増血剤。それとミネラルウォーター」
イリヤから手渡された増血剤とミネラルウォーターを一気に飲み干し、士郎はようやく一息ついた。その周りは血と涙と鼻水で奇妙な水溜まりと化している。
鼻水がなかなか止まらないのでティッシュでもつめようと思ったが、傷口を拭いたりなんだりで三人とも使い果たしてしまったようだ。仕方がないのでネギでもつめておくことにする。
「……う、うぅ……ぐすっ。くせぇ……」
「うわ、士郎、あんたネギ臭いから近寄らないでよ」
凛さんはとても正直な方なのです。
痩けた頬に青白い貌、鼻にネギをつめたその姿はグレィトに変質者だ。職質されたら答えようがない。
「ほらほら、買い物袋しっかり持って」
イリヤのお姉さん属性が発動中。でも臭いをかがないように何処から取り出したのかしっかりマスクで口鼻を覆っている。
「畜生……畜生……俺がもし北斗琉拳を使えたなら迷わずにおまえ達の死環白を突いてやっているところだ……」
士郎の心に、修羅が生まれつつあった。
このままでは彼は魔界に飲まれてしまうかも知れない。
「それじゃ、気をつけて帰るのよ」
「うん。家に帰ったらセイバーが戻ってきてるかも知れないよ?」
「……四月一日だからってついていい嘘と悪い嘘があるぞ、イリヤ」
本気で怒り出しそうな士郎の背を無理に押し、凛とイリヤはにこやかに手を振った。その笑顔を見たら、不思議と毒気を抜かれてしまった士郎だった。
「……ちょっと虐めすぎたかしらね?」
「あのくらい、どうってことないわよ。……後は薬の調合が上手くいってることを願うばかりだわ」
「……セイバーが戻ってきてるかも、か」
いくら四月一日だからって、そんな嘘はあんまりだ。かといってあんな笑顔を見せられてしまうと怒る気も失せる。
トボトボと帰路につきながら、士郎はセイバーのことを思い出していた。
まだ、たったの二ヶ月。
忘れられるはずがないではないか。笑って冗談に出来る時間は経ってない。
それが、セイバーが戻ってきているかも、だなどと。
「セイバーが帰ってきてるわけないじゃないか」
彼女は王としての責務を果たし、安らかな眠りについたのだ。
「もう、二度と逢えないんだから」
そうこうしている内に、そこはもう衛宮邸の門の前だった。
この時間だと家には誰もいない。それが、いつものことでも何か妙に寂しい。
「……遠坂とイリヤのせいだぞ。どうしてくれるんだ」
今日の夕飯はあの二人の嫌いなものにしてやろうか。いや、しかしあれでなかなかあの二人は嫌いな食べ物が少ない。さて、どうしたものだろうか。
「ただいまー」
返事などあるはずがないのに、そう言って扉を開ける。
嫌いなものがないと言えば、セイバーもそうだった。何でもよく食べた。
『シロウの作るものは、何だって美味しい』
おかずを摘みながら、真剣な顔でそう答えた彼女を思い出すと、目頭が熱くなってくる。
ああ、きっとだからだろう。
「おかえりなさい、シロウ」
こんな、幻を見るのは。
目が潤んでいるからだ。
鼻に直接ネギなんてつめているのだから、涙だって出るというものだ。
「……シロウ、ソレはなんのまじないですか? 鼻にネギ……むぅ」
真剣に悩む彼女の顔が、ぼやけてよく見えない。
買い物袋が、足下に落ちる。
ああ、卵は大丈夫だろうか? 割れてたら……構いやしないか。晩のおかずに特大のオムレツを焼けばいいだけのことだ。殻を取り除くのが大変だが。
そんなことを考えながら、士郎の両腕は勝手にセイバーの小さな身体を抱き寄せていた。
「セイバー……だよな」
「はい、シロウ」
温かい。
幻……じゃない。
「……なんで……」
「わたしにも、よくわかりません。ただ、気がついたらこの家の土蔵にいました」
心臓の鼓動が伝わってくる。
暫しの抱擁。
その時、セイバーは士郎の買い物袋から覗いている瓶のラベルに気が付いた。
「……これは、もしや伝説に聞く“ウソ800”では……」
「……うそえいとおーおー? それはさっきイリヤから貰った増血剤だぞ?」
しかし、ラベルには増血剤などとは一言も書かれていない。『イリ凛印の魔法薬 ウソ800』と書かれているのみだ。マスコットキャラのつもりなのか、ディフォルメされた凛とイリヤの絵が可愛らしい。誰が描いたのだろう?
「この薬は、かつてある魔法使いが戯れに調合した薬で、これを飲んでついた嘘は真実に、真実は嘘になるというとてつもないシロモノです」
信じられない、と言った顔で瓶をまじまじと見つめるセイバー。
「……と言うことは……シロウ、これを飲んだ状態で私がもう帰ってこないと言ったのですね?」
それ以上は、言葉はいらない。もう一度、二人は互いの身体を強く掻き抱いた。
再び逢えた、今はそれで充分だ。
夕飯のおかずは、セイバーと、それに凛とイリヤが好きなものをたっぷり作ってやろう。食費のことなどお構いなし、今夜は御馳走だ。
「嬉しくない、これからまたずっとセイバーと一緒に暮らさない!」
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