士郎とライダーが単にラーメンを食べるだけのお話




◆    ◆    ◆






「では、生中を」
「俺も生中で」
「あいよ。生中二つね」
 士郎とライダーの注文に、店の親父は無愛想に答えた。
 カウンター端に置かれた年代物のテレビに映るのは甲子園、天井設置型扇風機からは常時生温い風が送られてくる。外は快晴、茹だるような猛暑。しかしこの天気なら洗濯物も、一念発起して干してきた居間の畳もよく乾くだろう。あとは夕立前に帰ればいいだけだ。
 テレビよりは新しいのだろうが、それでも古くさい業務用ビールサーバーから小麦色の命の水が勢いよく中ジョッキに注がれていく。
「生中二つ、お待ちどう」
 泡の大きさが不均等な、実に下手くそな注ぎ方だった。が、しかし情緒まで無いわけではない――士郎は隣に座るライダーを見ながらそう思った。彼女は、ビールを飲む際にまずジョッキに張り付いた水滴を指でツツッとなぞる癖がある。本人は自覚無いらしい、妙な癖だったが、しかしそれだけで情感溢れるというものだ。凛あたりに言ったら散々馬鹿にされるかそれとも思い切り呆れられるか、とは言え男など現金なものなのである。桜というれっきとした恋人はいるが、それでも美女の仕草に一喜一憂する程度には士郎も男だ。
 喉を思い切り鳴らしながら、士郎は半分ほど、ライダーは三分の一ほどを一気に飲み下すと、カウンターの上に貼られたメニューを眺めた。
 天井からぶら下げられた蠅取り紙が、扇風機の風に揺れている。
 まったく暑い。買い物に出かけた凛と桜もクーラーの効いた軽食所にでも入って昼食をとっている頃だろうか。休日出勤の大河はきっと冷房とは無縁の弓道場で目もあてられぬほどにダレていることだろう。
「私はラーメンと野菜餃子にします」
「じゃあ、俺はチャーシュー麺と餃子で」
「あいよ」
 汗で湿った額が気持ち悪い。やはり冷やし中華にするべきだったろうか、とボンヤリ考えながら、ライダーはハンカチで汗を拭った。ついでに魔眼が発動してしまわないよう気をつけつつ、眼鏡のレンズに落ちた汗も拭き取っておく。別にこの仮初めの肉体は汗など出ないように調節しようと思えば出来るのだが、それでは些か風情に欠ける。それが日本という国、とりわけ冬木市の衛宮邸で数年を過ごした彼女が学び感じ取ったものだった。
 蝉の声が喧しい。店の外を、麦わら帽子をかぶった子供達が虫取り網と籠を持ってはしゃぎながら走っていく姿が見えた。人は果たしていつから汗をこんなにも不快に思うようになるのだろう。――ああ、でもきっとそれは、コレを初めて飲んだ頃からだ――朧気な記憶をまさぐりながら、士郎はジョッキに残っていたビールを一気に干した。
「今度、みんなで海にでも行こうか」
「それはいいですね」
 海は近いのに、いや近いせいだろうか。地元の人間はあまり海に遊びに行こうとはしない。それでいて高い金を払って屋内プールに行ったりするのだからおかしな話だ。かくいう士郎も、先日プールで桜とデートしてきたばかりだった。あの芋洗いを女の子は文句ばかり漏らしつつもしかし結局は楽しいというのだから、不思議なものだ。
 親父の言葉同様、愛想もへったくれもなく『ご自由に』とだけ書かれた漬け物入れから楊枝で辛子高菜をつまみつつ、士郎はライダーを見た。
「ライダーは芋洗いって好きか?」
「?」
 質問の意図をはかりかねるのか、同じように辛子高菜をつまみつつ、ライダーは怪訝な顔をした。
「それは、今夜は芋料理にする、ということですか?」
「?」
 お互いに、チンプンカンプンだった。
 意志の疎通がうまくいかないのも、ひとえにこの暑さのせいだろう。
「チャーシュー麺、お待ち」
 そこにぬっと差し出された丼と、そこから立ち上る湯気は二人の思考から一気に芋という単語を刈り取った。熱そうだ。実に熱そうだ。なんで自分達は冷やし中華ではなくラーメンとチャーシュー麺などこの真夏に頼んでしまったのか。
 丼の中、並べられた七枚の薄っぺらいチャーシュー、ナルトとメンマ。
「ラーメン、お待ち」
 少し遅れてラーメンが差し出された。
 チャーシューが二枚である以外は具はチャーシュー麺とほぼ同じ。しかしこちらには海苔とワカメが乗っている。
「いただきます」
「いただきます」
 割り箸が、綺麗に真っ二つに割れる。そこで、士郎はふと凛と大河のことを思い出した。あの二人は何故か割り箸を上手に割れない。単純に不器用だからというわけでもないようなのだが、上手く真っ二つに割れるのは二人とも五回に一回くらいだ。対してライダーはまず間違いなく綺麗に割れる。士郎は彼女が割り箸を割るのを失敗している様は見たことがない。
 扇風機の風が通過した瞬間を見計らって、士郎は自分のチャーシュー麺に胡椒を振った。しかしラーメンを食べに来ると、それが醤油系である限りいつも当たり前のように胡椒を振ってしまうのだけれど、最初にラーメンに胡椒を振ったのは誰なのだろう?
「次、胡椒借ります」
 ライダーもパッパッパッと三振りほどする。英霊である彼女ですらラーメンに胡椒を振ることに何ら疑問を抱いている様子はない。不思議な話だ。召喚された際に与えられる現代の基礎知識の中にも、ラーメンに胡椒は当たり前のこととして含まれているのだろうか。
 そんなくだらないことを考えながら、士郎はまず味も素っ気もないチャーシューから片付けることにした。明らかに冷蔵庫から出したチャーシューをそのまますぐに上に乗せましたと言わんがばかりの妙な温度差が、猛暑と相まってか余計にボソボソとした食感を際立たせている。脂身なんて無いに等しい。とは言え、それでもチャーシューがラーメンの具材の花形であることに違いはない。子供の頃、初めて切嗣に連れられてこの店に来た時、士郎は養父が頼んだチャーシュー麺に驚愕し、そして憧れた。当時、焼け野原から救い出されたばかりで精神的にまいっていたせいか食の細かった士郎には、普通に一杯のラーメンを食べきることすら一苦労だった。そんな彼の目の前で、チャーシュー麺の大盛りを豪快に平らげる切嗣はなんと大きく頼もしい存在であったことか。さらに言うなら、そもそも少年にとって外食とはすべからく御馳走であり、普通のラーメンとたった170円しか違わないはずのチャーシュー麺はしかしその存在自体が偉大な食べ物だったのだ。
 やがて士郎が自炊を覚え、食事を作れるようになると外食の機会はめっきり減った。養父は息子の手料理をいつも笑顔で頬張り、それが嬉しくて士郎はどんどん料理を覚えた。養父が死んだ後も当然のように料理を続けた。そうして、少年は恋を知り、戦いを経て立派な青年へと成長を遂げ、今ではこのチャーシュー麺より美味い食事など幾らでも作れるようになった。だが、外食=御馳走という幼い幻想が崩壊した今も、なおこの店のチャーシュー麺とは士郎の中では偉大なる御馳走存在そのものとして君臨し続けている。
 一方、ライダーは湯気で固さを失った海苔をさっさと食し終えると、ズルズルと勢いよく麺を啜っていた。通常音を立てて何かを食するのは大変下品なことであると考えている彼女であったが、しかし中華や和風の麺類だけは別だ。こればっかりは音を立てて食べるのが正しいと素直に思う。濛々と煙る湯気を浴びながら、眼鏡を外さずに食べるのは不便じゃないかと思われがちだが、魔眼殺しの眼鏡はラーメンの湯気如きでは曇らない便利な一品だった。
 コシがあるというわけではなく単に硬いだけの麺からは、胡椒と醤油の味しかしない。だと言うのに彼女は不平を言うわけでも不満を漏らすわけでもなく、麺をズルズル、スープをズズズッと啜り続けた。
 別に食事にそこまで拘りがあるわけではない。が、やはりどうせ食べるのであれば美味しいものを食べたいというのは、こうして肉体を持っている以上は当たり前の感情だと思う。なのに、何故だろう。美味いか不味いかと人から訊ねられればまず間違いなく不味いと答える味であるはずなのに、ライダーはこの店のラーメンが不思議と嫌いではなかった。
「野菜餃子と餃子、お待ち」
 ラーメンを半分ほどやっつけた頃、ようやく餃子が出てきた。二人とも無言で小皿に醤油とラー油を垂らす。士郎はそれだけ、ライダーはそこにさらに酢を注いだ。比率的に酢の方が僅かに多いが、彼女に言わせればコレが適量、餃子を食す際の黄金比であるらしい。
 皮が完璧にくっついてしまっているため、どうにも上手く剥がせない。しかも割り箸は角張っているものだから、無理に力を入れると皮が破れて中身の具が漏れだしてしまう。どうしても剥がれない場合は仕方ないので二つ一緒に頬張るなどしつつ、士郎はレンゲでラーメンのスープを啜った。
「ライダー、野菜餃子一ついいか?」
「では私もそちらを一ついただきます」
 互いの皿に残っていた最後の一つずつを交換し、ニンニクが入っているか入っていないかの差しかない通常の餃子と野菜餃子を二人共に咀嚼すると、再び箸をラーメンへと伸ばす。
「そう言えば、中国では餃子にニンニク入れないんだってさ」
「そうなのですか」
 ちなみに衛宮邸では普通にニンニクを入れる、当たり前の日本の餃子だ。よってからにライダーも今の今まで餃子とはニンニクとニラが入るのが当たり前だと思っていた。もっとも、一番のお気に入りは皮が余った際にチーズを包んで油で揚げるチーズ餃子だったりするのだが、あれは大河や桜も好むのでライダーが遠慮するのが大概だった。まったく、一度でいいからチーズ餃子のみをたらふく食べてみたいものだ。たらふく食べたら食べたで飽きそうだが、それがライダーのささやかすぎる夢であった。
「お」
 その時、無口無愛想を絵に描いたような店の親父が珍しく声を上げたかと思うと、テレビの画面に食い入るように見入っていた。ブラウン管の向こうからは派手な太鼓の音と歓声が聞こえる。どうもどこそこの有名な選手がホームランを打ったようだ。注文を全部出し終えた親父は、腕組みしながら大阪の暑い夏に熱中している。
 テレビからの歓声、蝉の鳴き声、扇風機の風音、そして――二人がラーメンを啜る音が店の中に響く。
 丼の中身も残り僅かとなった時、何故かライダーがナルトを物惜しげに見つめていた。彼女的にはラーメンの具材の中でこのナルトほど不思議で且つ魅力的なものはないらしい。が、士郎から見ればナルトを凝視する英霊の方がよっぽど不思議な存在であった。
「ほぃ、ライダー」
 自分の分のナルトをスッとライダーの丼に移すと、士郎は残ったスープを一気に飲み干した。一瞬、ライダーの目がパァッと輝いたかのように見えたのは魔眼のせいではないだろう。桜はよくライダーを『綺麗』とか『美しい』ではなく『可愛い』と評するが、真実その通りだと思う。美女であることは間違いないのだが、微細な仕草などを見ているとどうしても可愛らしいと評したくなるのだ。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
 特に異物感があるでもないのに取り敢えず楊枝を使ってしまう自分をつくづく小市民だなぁと感じつつ、士郎はテレビを見やった。蚊取り線香のCMが映っていたが、親父の様子を見る限りでは試合は白熱しているらしい。
 ライダーはお冷やを一杯飲み干して、外を見た。店の向かい側で水を撒いていたお婆さんと目が合い、軽く会釈する。お婆さんの頭上では、小さな風鈴が涼感溢れるいい音色を奏でていた。
 空になった皿と丼を、親父が無言の内に下げるのを、ライダーも無言のままに手伝う。かといって礼を言われるわけでもない、つくづく愛想のない親父である。が、何故か不快感を伴わない無愛想さだった。
 眼鏡のレンズに汗がこぼれ落ちる。
 まったく、暑い。
 CMが終わったのか、テレビからは再び歓声が聞こえてきた。
 蝉の声は変わらず喧しく、扇風機から送られてくる風も変わらず生温かった。




 






〜おしまい〜






ヤマもなくオチもなくイミもない、ただラーメンを食べるだけの話を書きたいと思ったので書いたら、こうなりました。
あくまで無意味、それが誓約。その誓約内でどれだけのものが書けるか……まぁ、道は果てしないということで。
定食屋の胡椒の味しかしない不味いラーメンがしかし心の奥底には変わらず御馳走として在り続けている、そんな夏の一コマ。
たまーに無性に食べたくなる、そういう食べ物って、ありますよねー。
あー、暑ぃー。





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