episode-01
〜永久渇望〜


◆    ◆    ◆





「この世でもっとも俗な行為とは……なんだと思うね?」
「俗な……ですか?」
 シオン・エルトナム・アトラシアは、突然の質問の意図を計りかねるかのように首を傾げた。最近になって一層紅みが差し始めた瞳を閉じ、細く、幽鬼のように白い指を口元にあてて、暫しの間思案する。
 広々とした客間、彼女の目の前で豪奢なソファーに腰掛けている老紳士は、いつも唐突だ。そうして、悩むこちらの顔を見透かしたかのように笑みを浮かべる。彼によれば、懊悩する若者の姿を目にするだけで十年は若返った気になれるらしい。幾星霜の時を生き永らえた彼に十年の若返りが果たして如何ほどの意味を持つのかはわからないが、本人がそれを喜んでいるのだから構いやしないだろう。そのくらいのおふざけに付き合うのは、別に嫌いではない。かつての自分なら無駄の一言で断じていただろうが、あの一夏の経験が今のシオンにそういった余裕のようなものをもたらしていた。
「わからないかね?」
 意地の悪い笑みが、さらに歪む。それを見て、流石にムッときた。
「……私なりの解答を導き出すのは容易です。しかし、それを言って貴方の顔をさらに喜色に歪ませるのも癪だ。ですから、貴方が思わず眉を顰めたくなるような答えを考えていたのです」
「……ク、ックク……いやはや。いい反応だよ、シオン。生きた反応、というやつだ。もしも穴蔵にいた頃の君が今のような反応を出来ていたなら、あそこも随分と変わっていたろうな。アトラスめ、まったく惜しいことをしたものだ」
 どうやら満足したらしい。
 自らを吸血鬼の王であると言って憚らない、この白翼公――トラフィム・オーテンロッゼ――とのやりとりにも、随分と慣れてきたものだ。
 吸血鬼化治療の方法を模索し、あてのない旅を続けるばかりであったシオンを彼が拾ったのは半年も前のこと。それ以来、彼に協力する代わりに研究のための資料、施設、資金を惜しみなく提供してくれている。もっとも、協力と言ってもその内容は吸血鬼化治療にも関係があるため、それ程苦にはならない。
 彼が進めている『生物、幻想種、双方の視点から見た吸血種存在そのものの探究、解明』……その数百年に及ぶ累積した成果によって、シオン自身の研究も数十年分を一気に短縮できた。
「……さて。それで、この世でもっとも俗な行為についてだが……」
 実に短い半年であったなと、シオンは思う。
 最古の死徒であり、二十七の祖の中でも最大の発言力を持つとされるこの老紳士は、実に奇妙な人物であった。ある意味では、噂に聞いていた『もっとも典型的な吸血鬼』そのままだ。
 彼は何よりも娯楽を愛する。
 絵画を、彫刻を愛する。映画を、演劇を楽しみ、美食を好む。ありとあらゆる娯楽を求め、TVゲームをすらプレイする様には思わず呆れたものだ。
 なんと吸血鬼らしくなく、しかし吸血鬼らしいのだろう。
 白翼公の姿は、小説や映画に登場する『永遠を持て余し、享楽にふける吸血鬼』まさにそのままであると言えた。物語の中の吸血鬼は、古いながらも芸術品に溢れた城に住まい、その永遠を娯楽と吸血のみに捧げる。滅多に血を必要としないという点を除けば、トラフィムはまさしくそんな吸血鬼の典型だろう。イメージに今ひとつそぐわないのは、彼が古今東西を問わずあらゆるものに手を出すからに過ぎない。
 そして、シオンとのこうしたやりとりも彼の最近の楽しみの一つなのである。
「我々が行っていることだよ。永遠を求める、根源への到達を目指す……どれもくだらない。俗物の思考だ」
 だが、それでいて彼は本気で永遠を求め続けている。持て余しているようでありながら、しかしそれでも永遠を求めるが故に、教会に身を置くかの王冠よりも自らは余程の道化なのだと笑う。
「だと言うのに、それらの行為をさも高尚なことであるかのように勘違いしている吸血鬼や魔術師のなんと多いことか。突き詰めれば全ては私欲だ。私欲に忠実など高尚とも高潔とも呼べまい。実に低俗極まりない。なのに自らが低俗であることを認めようともせずに誇りや権威ばかり振りかざす……俗の無限ループだ」
「……なるほど、道理だ。なら、私達は最低俗というわけですね?」
 シオンの答えに、今度こそ彼は声をあげて笑った。
「そう、その通りだシオン! 我々は……ことに私とヴァンは最低俗の親玉みたいなものであろうなぁ。いやはや……しかし最低俗か。ク、クク」
 共に最古と呼ばれる盟友の名を挙げ、白翼公はさらに笑う。子供のように朗らかなその姿を、シオンは嫌いではなかった。
 人間の天敵でありながら、しかし俗の極みにある彼は誰より人間らしくもある。吸血鬼だと言ったところで、所詮は人間が成ったものだ。二十七祖と呼ばれるほどの存在であっても、元人間であるところの祖の思考はあくまで人間のそれである。完全に人間という存在の規格から外れることは、有り得ない。
「……さて。その最低俗な研究成果だが……ヴァン=フェムとドクターシラガミがバランの研究をほぼ終えたそうだ」
 今から二年ほど前にヴァン=フェムが捕獲した大怪獣バラン。あまりに既存の生物とは違いすぎるその構造解析、研究は困難を極めたが、ようやくまとまった成果が得られたらしい。
「それは……吉報ですね。怪獣の遺伝子構造の解明はありがたい。レポートは既に届いているのですか?」
「いや。もうすぐドクター自らが持参して来てくれるはずだ。……怪獣の持つ驚異的な生命力と、吸血種の生命力。双方の解明によって、間違いなく我らは到達へと近付くことが出来る」
 そう言ったトラフィムの顔には、魔術師や科学者が持つ類の表情が浮かんでいた。元をただせば彼も魔術師だ。それも現代の、やたらと科学との差別化に勤しみ、魔術で事を為すことに拘る魔術師達とは違い、まだ魔術にも科学にも錬金術にも垣根など存在していなかった時代の魔術師である。故に彼や魔城のヴァン=フェムはそれらの区別に拘らない。彼らに言わせれば、中世の文化革新に伴い『純然たる魔導の保護』などと称して科学と魔術との隔絶をはかった当時の魔術師達の主流は愚かしいにも程があるとのことだった。
 物理的文化と精神的文化を切り離すなどまったく馬鹿のすることだと、トラフィムは相変わらず遅々として進まない魔術協会の研究成果を入手するたびに口にしている。苦労して奪ってみても役に立たないのであればまったく無駄の極みだ。そして、八割方それが無駄な行為であるとわかっていても、定期的に教会や協会の研究成果や情報を仕入れては、取り敢えず目を通すのである。必要ではあるが往々にして無駄な行為の典型だと言って、トラフィムはいつも嘆いていた。
「これで君の研究もはかどるな、シオン」
 吸血鬼の祖が吸血鬼化治療の確立を手助けするというのもおかしな話だが、彼にしてみれば自らが吸血鬼であることも手段の一つに過ぎないのだろうからあまり関係はないのかも知れない。
「はい。しかし感謝は述べませんよ、白翼公」
「構わぬよ。我らは単なる協力者だ。それに、人間が吸血鬼に感謝するなど酒の席での笑い話にしかならん」
「では晩餐の折に酒の肴にでもしますか?」
「……それはそれでつまらんな。感謝の言葉よりも、潤んだ瞳で酌でもしてくれた方が男は喜ぶのだと覚えておくといい。ヴァンなどあれでなかなか惚れっぽいから、おそらくイチコロだぞ?」
 つくづくおかしな人物だ。思えば、あの極東の島国で出会った真祖の姫君もおかしな吸血鬼だった。立場上姫君とトラフィムは反目しているが、もしかしたら意外と気が合うかも知れない。それに、姫君の想い人である彼とも……
 もっとも、最低俗の親玉は伊達ではない。個人的な好悪でならばシオンはトラフィムを嫌いではないが、彼は自らの欲望にことさら忠実な男だ。正常な倫理観や人道的正義感の持ち主からすれば、やはりその思考、行動は悪の吸血鬼なのである。類い希なる殺人貴でありながらも善良極まりない彼とトラフィムとでは、性格は兎も角その性情においてけして相容れないだろう。
「遠慮しておきます。それに魔城殿をふった女として有名になりたくはありません」
「財界の魔王ヴァンデルシュタームと白翼公トラフィム・オーテンロッゼを袖にしたともなれば、シオン・エルトナム・アトラシアの名前はあらゆる裏社会において未来永劫語り継がれるだろうに、勿体ない」
 それはそうだ。
 人間社会でも魔の世界でも稀代の大悪女として不名誉極まりない伝説の持ち主になるなんて事だけは、絶対に避けなければ。
「勿体ないもへったくれもありません。それに私も最低俗ですから、何よりも我が身が可愛い」
「フ……ハッハハ! 違いない。それだ、今の君をあの穴蔵や時計塔の連中にまったく見せてやりたいものだ」
「仰天するでしょうね」
「まぁ、今の研究が完成すれば君の名はどちらにしろ各界に轟く。その時になって悔しがる穴蔵の小僧共の顔を想像するのもまた一興だ」
 あの老獪な長老達を小僧扱いなのだから、まったくまいったものだ。白翼公、魔城、そしてタタリと、タタリによってカタチを為した混沌……いずれも人間が到底及ぶべくところではない。だが、それでも人であった以上は本質は人と同じなのだとトラフィムも魔城も口を揃えて言う。
 人だから求めるのだし、人だから抗う。
 本意を伺ったわけではないが、彼が真祖狩りを提唱した理由もおそらくはそこに根差すのではなかろうか。もしかしたら、その結果あの混沌が極東に果てたのも彼の計画の内だったのかも知れない。トラフィムからしてみれば、真なる混沌を目指すなど愚の骨頂、邪魔以外の何ものでもないだろうから。
 と、そんなことを考えていると、不意に扉をノックする音が聞こえた。
「ドクターが来たようだな。……どうぞ。入ってくださって結構だ」
 トラフィムがそう声をかけると同時にゆっくりと客間の扉が開き、その人物は一言も発することなく黙って入室を済ませた。
 年の頃は六十前後と言ったところだろうか。トラフィムよりも幾分か老けて見えるが、正確な年齢は計りかねる。寡黙さと、沈鬱とした表情が彼という存在に靄をかけている……そんな雰囲気の持ち主だった。
「ドクターシラガミ、おめでとう。ヴァンから連絡を受けて待ちかねていたよ」
 白神源壱郎――遺伝子工学の世界的権威である。
 日本がその倫理観により遺伝子工学という分野にまだ批判的だった頃、既に世界のトップに立っていた白神は故国を離れ、様々な国を流転しつつ研究を続けていたらしいのだが、最後に流れ着いたのがこの白翼公のもとであった。十余年の間表舞台から姿を眩まし、何故よりにもよって吸血鬼の下で研究をする気になったのか……シオンには到底窺い知ることも出来なかったが、並ならぬ事情がある事だけはわかる。
 だが、白神はそんなシオンを一瞥もしなければ、トラフィムのお定まりの祝辞などもまるで意に介さないとばかりにソファーに腰掛けると、
「まだ……何も終わってはいない。バランの生体、遺伝子情報の解明は済んだが、貴方が欲しているのはそんなものではないはずだ」
 そう言って、息を吐いた。
 白神がどう答えるかなどわかっていたかのような苦笑を見せ、しかし一瞬の後にはトラフィムの顔から笑みが消える。
「それはそうだ。ではドクター、率直に聞こう。……バランを使えば、可能かね?」
 白翼公が手に入れようとしているもの……それは吸血鬼をも超えた、真の永遠。真の永遠を足がかりに、根源への、「 」への到達を目指す……それこそ彼が幾星霜もの夜を超えてきた意味。
 魔術を極めた上での永遠は、既にその身に施してある。だがそれでは足りないのだ。混沌と化そうとも、現象と化そうとも、それは仮初めの永遠に過ぎない。真に自己を保ち続ける、その永遠をこそトラフィムは欲している。
「……バランは、今までに採取してきたサンプルの中でも突出していた。あれは単一個体で数千年は生きられる。おそらく、環境次第では数万年生きられるだろう。古代の異能者達が神と呼んで敬ったのも無理はない話だ。……だが――」
 俯き気味に話していた白神が、不意に顔を上げた。
「だが――それでも永遠ではない。いつかは、死ぬ」
 それを聞いて、トラフィムはいくらか落胆したかのような気色を浮かべた。
 彼が怪獣――幻獣や精獣とは異なり、幻想に成り果てず生身のままで古代から生き続ける怪異なる獣達――に注目し、研究するようになってから半世紀。今度こそはと期待していただけに、相当残念だったのだろう。
「……やはり、“ヤツ”でなければ駄目か」
 トラフィムの言葉に、白神の眉がピクリ、と吊り上がるのがシオンには見えた。共に白翼公の下で研究を行うようになって半年、彼女が知る限り白神源一郎がそのような反応を見せたという記憶はない。
「……白翼公、以前にも言ったはずだ。“ヤツ”は我々の手に余る、不可侵とすべき存在だと。……それに、私は二度と“ヤツ”と関わるつもりはない……!」
 心なしか、語気が荒い。
 二人が言うところの“ヤツ”とは一体誰のことなのか、何を意味するのか、シオンは考え、しかしやめた。今の会話からは読みとれる情報量が少なすぎる。わかることと言えば、白神にしては珍しい怒気……いや、これは憎悪か。そんな激しい感情ばかりだった。
 そんな白神の姿に、トラフィムは静かにかぶりを振ると、
「……ドクター。永遠が欲しいのは、貴方も同じはずだ。違うかね?」
 懊悩を撫で回すかのように訊ねた。
 それでも、白神は“ヤツ”とやらに手を出すつもりはないらしい。
 吸血鬼の王と老科学者は、暫くの間ジッと睨み合っていたかと思うと、やがてどちらからともなく視線を外した。
「……報告は以上だ。失礼させていただく」
 ゆっくりとソファーから立ち上がり、それ以上は何も言わず白神の姿が扉の向こうへと消えていくのを、シオンとトラフィムは黙って見送った。





◆    ◆    ◆






「私としたことが、気を急きすぎたか。ドクターシラガミならどう答えるかぐらい、わかっていたはずなのだがな……」
 席を立ち、窓から曇り空を見上げながら、トラフィムはそう言ってシオンに先程は蚊帳の外にしてすまなかったと詫びた。
「いえ、それは構いません。私の研究にはバランの資料で充分役立ちますから」
 白神の置きみやげであるファイルに目を通しながら、しかしどうにも……気にならないと言えばやはり嘘になる。分割思考のうち三つまでをファイルに割き、残りの思考は好奇心の赴くままに使用してみることにした。
「やはり気になるかね?」
「……いえ」
「まだ嘘は下手だな、シオン。君が穴蔵の小僧共に勝てない部分があるとしたら、その素直すぎるところだ。もっとも、それが故に君は優れていると私は考えているわけだが」
 悪い意味で言っているのではないのだろうが、褒められているのかどうかは判断つきかねるので、礼は言わずにおくことにする。
 白翼公は、その髭のない、少々鋭角な顎を撫でながら「ふむ」と一人ごちると、身体を窓に向けたまま、「……十年前のことだ」と前置きし、蕩々と語り始めた。
「……ドクターシラガミには、娘が一人いた。名をエリカと言い、彼女も父親に似てとても優秀な科学者だった」
「だった? それでは、ドクターの娘さんは……」
「亡くなったよ。……その責任の一端は、私にもある。だが最大の原因は……当時ドクターが研究していたものだ」
 そこに至って、シオンの分割された思考のうち一つが、かつてトラフィムの下に厄介になったばかりの頃に目を通したレポートの一部を記憶の引き出しから引っ張り出すことに成功した。
 丁寧にまとめられた研究レポートの中で、一枚だけ雑多に書き殴られたそれは1994年と書き記され、あらゆる内容がおざなりにしか記されておらず、奇妙に思いこそしたものの、役には立たないだろうと引き出しの最奥に押し込んでおいたのだ。
 だが、“十年前”、“1994年”、“怪獣の研究”そして“ヤツ”とくれば、嫌でも答えなど導き出せる。
「では、“ヤツ”とは……」
 人類がその存在を確認した巨大生物――怪獣――達の中にあって、史上もっとも怖れられた、最大にして最強、まさしく怪獣の王。
「ああ。そうだ」
 山のような巨体を震わせ、築き上げられた栄華、叡智をただ灰燼へと帰さんと咆吼する、暴力の化身。あらゆる神話、伝説に名を残す幻獣達をも凌駕する、圧倒的な恐怖の具現。
 人類の奢りが生んだ、漆黒の破壊神。

 じっとりと肌にまとわりつく下着とシャツの感触に、シオンは、自分がまだ汗を流せるのだということを、今さらながらに実感していた。





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「……白神博士」
 客室を辞した後、なんとはなしに城内を彷徨っていたシオンは、庭にぼんやりと佇む白神の姿を見つけ、思わず声をかけていた。咄嗟だったのに日本語で呼んでしまったのは、あの国が自分の中でそれなりの重きを占めているせいもあるだろう。あの島国の言葉は、否応なく彼らを思い出させる。
「花壇を見ていたのですか?」
 白神は相変わらずシオンを見ようともしない。ただ、彼女が歩み寄ることなど自分とは関係がないとばかりに黙って花壇を見つめている。
 何故、だろう。白神に話しかけてもほとんど反応らしい反応が返ってくることはないと知っているはずなのに、こうして話しかけてしまったのは。
「……日本語の発音が、上手いな」
 だから、最初それが自分に向けられた言葉だったのだとシオンは気付かなかった。二秒ほどもして、ようやく弾かれたように白神の顔を見る。彼の視線は相変わらず花壇に注がれたままだったが、その口はゆっくりとシオンへ向けて言葉を放っていた。
「バランのレポートは、役に立ちそうかね?」
「は、はい。……吸血鬼も怪獣も、一様に老化を遅延させる遺伝子構造をしていますが、実際にはまったく似ても似つかない別物です。吸血鬼は概念によって不死性を持ち得ているようでありながら、実際には生身の肉体を有しています。その肉体はいわゆるガン細胞に見られるようなテロメラーゼに似た酵素によって、しかしそれの数百倍、数千倍のテロメア修復力を見せているのですが、怪獣にはそれがない。むしろ怪獣の細胞は原核生物のように劣化せず無限分裂を進めることが出来、しかも外部からのエネルギーにとても敏感で――」
「――そうか……」
 捲し立てるように一気に喋るシオンの言葉を、聞いていたのかいないのか。しかしあっさりと遮って、白神は再び沈黙の中花壇を見つめ続けた。シオンも所在なさ気に三つ編みを弄くりながら、それに倣う。
 花壇に咲いていたのは、薔薇の花だった。
「……永遠に枯れない植物……」
「……え?」
 不意に漏れた言葉に思わず聞き返すも、白神はその続きは何も言わなかった。
 二人は、そのまま黙って薔薇の花を眺め続けた。





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「エルトナム君」
 花壇を後にし、それぞれの研究施設へと向かう道で、白神はシオンを呼んだ。きちんと名前で呼ばれたのはこの半年の間数えるほどしかないと言うのに、今日の白神源壱郎は珍しいこと尽くしだ。
「白翼公から“ヤツ”の話を聞いたと思うが……やめておきなさい」
 それは、研究が原因となって理不尽に娘を奪われた父親としての台詞だったのだろうか。だが、単純にそうとも思えなかった。
 その言葉の向こうに、伏せ目がちな瞳に、シオンは、科学者としての白神を感じ取っていた。
「……君は、まだ若い。科学というものの怖ろしさを……知らなすぎる」
 錬金術師に若さなど関係がない。先人から知識を継承し、奪い、自らのものとして蓄え続けていくエルトナム家の末裔として、普段のシオンなら今の白神のような言葉は間違いなく侮辱ととっていただろう。
 しかし、何も言い返すことが出来なかった。
 彼が指摘する若さとは、蓄積された知識でどうにか出来る類のものではない。単純な知識の総量としてみれば、シオンのそれは白神に数倍するはずである。だが、科学者――職種として厳密には異なっていたとしても――として比較したならば自分は彼の足元にも及ぶまい。
「……君の瞳を見ていると、英理加を思い出す」
 白神は、もう振り返ることはなかった。
 その後ろ姿を見送りながら、シオンは、白神の言葉を何度も反芻していた。











〜to be Continued〜






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