episode-03
〜南海にて(後編)〜


◆    ◆    ◆





 誇れる自分になりたかった。
 幼い頃、一人の英雄に憧れた女は漠然とそう思い続けていた。
 神世にまで遡ることの出来る魔術師の家に生まれながら、ただ何もせずに後世に伝承を伝え続けるだけの役割に耐えきれず家を出て、それ以来バゼットはひたすらに己を鍛え、戦い続けた。そうすることで自分は何かが出来るのではないかと――いや、違う。そう思って何かを成し得ようとしなければ不安に押し潰されてしまうところだったのだ。自分には何も無いという言い様のない不安に抗い続け、名ばかりの伝承保菌者ではなくバゼット・フラガ・マクレミッツ個人を誇れるようになりたかった。
 魔術協会は、自分の入会を快くむかえてくれた。それはそうだ。現代まで宝具を伝える家の後継者である、喜ばないはずがない。
 しかし喜ばれたのは当然ながら伝承保菌者としての存在であってバゼット自身ではない。ルーン魔術の使い手、それも相当な技量と言ったところで、協会にはバゼット以上の化け物じみた能力者が掃いて捨てる程にいる。
 だから、ここでもバゼットは己を鍛えた。なんだっていい、誰にも負けないと言う自負が欲しかった。自信を持ちたかった。
 ルーン魔術に非凡な才能を見せながら、しかし克己のため己を鍛え続けることを欲したバゼットが真の才能を開花したのはむしろ武術の面であった。実戦を想定して魔術師が何らかの武術を学ぶことは別段珍しくはない。むしろ戦闘状況に陥った際に魔術一辺倒で戦う魔術師の方がどうかしている。脆弱な肉体を魔術という神秘のみで守り通すには、“裏の”戦闘行為は些か過酷すぎるのだ。
 そして、世界中に散らばる魔術師達を管理し、禁を犯した者達への抑止力として組織がその責を全うするために欲したのは、優れた魔術師もさることながらそれ以上に優れた戦士だった。天才、と呼ばれる魔術師が、では戦士としても長けたる者かと問われれば、答えは必ずしも“YES”ではない。魔術師としての才覚と、戦士としての強弱は全くの別物であり、探究者としての能力が秀でた者が戦士としての能力を犠牲にしているケースは少なくない。学者肌が肉体労働を嫌うという世間一般的な傾向は魔術の世界でもそう違わないのだ。
 バゼットの戦士としての能力は、強力だった。
 硬化のルーンが刻まれた手脚を振るい、もっと速く、もっと強く、それだけを念頭において錬磨された技術は、実際にあらゆる相手を凌駕した。
 なのに努力すればする程、鍛えれば鍛える程に周囲は自分を認めるどころか突き放そうとする。気丈で、真面目で、意固地で……扱いづらい、面倒な女――それが周りから見たバゼット・フラガ・マクレミッツ。自覚したのは随分と昔のことだ。
 それでも、孤立することには耐えられても自分を錬磨せずに泣き寝入る無様には耐えられず、ひたすらに底無し沼にはまりもがく最悪の悪循環を経て、バゼットはより戦士として完成していった。
 戦いしか知らず、戦うことしか出来ない自分。
 魔術協会は戦士としての自分の能力を信頼し、重要な任務も任せてくれる。それだけが唯一の光明だったのかも知れない。
 封印指定を受けた能力者、禁を破った魔術師の捕縛、制裁措置を専門とする、“ゴッズ・ホルダー”バゼット・フラガ・マクレミッツの名は、やがて多くの魔術師達に畏怖され、他の勢力からも注視されるようになっていた。
 それでも心は苛まされ続ける。誇りを持つに至れない、自分はどうしようもなく惨めな存在なのだと、背負った荷物の重みは肩に深々と食い込んでいく。抱えた弱さは心の瑕となって、つきまとう敗北感に打ちのめされながら、倒れそうな身体を頑張って頑張って、凄く頑張って独りで支え続けて――

 ――ようやく、そんな惨めな自分を支えてくれる人に出逢えたと、そう思ったのに――

「マクレミッツ、危ないっ!」
 シエルの檄にハッとなって上を見ると、飛び散った大量の土砂が自分へ向かって降り注いでくるところだった。土色のそれの合間から、死神の大鎌が全てを斬り裂きつつ迫ってくる。
「くぅっ!」
 戦闘中だというにも関わらず、くだらない物思いに耽ってしまった自分を殴り飛ばしたくなる感情を抑え、飛び散る土砂を払いのけながらバゼットは巨大な敵を睨み付けた。この化け物にとっては、ちっぽけな人間の懊悩など哀れな熱帯樹達と同様に容易く斬って捨てられる程度のものでしかないのだろう。
 怪獣。
 擦り切れてしまうのではないかというくらい奥歯を強く噛み締めて、バゼットはカマキラスの斬撃を右へ、左へとかろうじて回避した。先程からバゼットとシエルの攻撃は足止めの意味すら満足に果たしていない。きっとそのせいだ、つまらないことを考えてしまったのは。戦いしか出来ない自分がその戦いですら己に課せられた役目を満足に果たせないようでは、惨めを通り越して情けなさ過ぎる。リタにカマキラスの飛翔だけはなんとしても防ぐよう頼まれたのに、このままではいつ飛び立たれてしまうか……
「この攻撃……優雅さが足りませんわ!」
 閉じられたドギツイ色合いの日傘を縦横無尽に振り回し、リタは超至近距離でカマキラスへと絶え間なく攻撃を仕掛け続けていた。だが、最強の吸血種と謳われた二十七祖の一人であるリタの攻撃でさえ、怪獣の威容の前では獅子に挑む窮鼠よりなお小さくか弱く見えた。バゼットもシエルも常に戦場に身を置く一級の戦士だ。だからこそ、わかる。アレは自分達とは違いすぎる。人間も、吸血鬼も、アレの前ではただの小五月蠅い羽虫に過ぎない。羽虫の攻撃を鬱陶しく感じる者はいても、ではそれに倒される者がいるだろうか? 答えはわかりきっている。無論、否だ。
 ――勝てるのか?
 超耐熱合金NT-1製の無骨な左手が飛び交う木々の欠片を粉砕する。戦闘中にこんなにも絶望的な弱音を吐きたくなったのは、初めてかも知れない。どんな強者が相手であろうと、今までは常に自分を鼓舞し、渡り合い、そして勝利してきた。それなのに、今目の前にそびえ立つ壁はあまりにも大きい。敗北の苦味など、この鋼鉄の左腕だけで充分だというのに。
 そう、苦味だ。
 あまりにも苦い、鉄の味と臭いが思い出される。
 極東の地、日本の冬木という土地で行われる聖杯戦争に参加せよと命じられた時、バゼットは喜びに打ち震えた。協会からそのような重要な任務を与えられたことで、自分はようやく誇れるだけの自分になれたのではないかと。そこでもう一つ、聖杯戦争の監視役の名前を聞いた時、バゼットは女としての喜びに胸を躍らせたのだ。
 やがて訪れた運命のあの日、バゼットはこれまでの人生において最上の幸福を感じていた。
 数日前に召喚を終えていたサーヴァントは、幼い頃から憧れ続けた偉大な英雄。少しイメージと異なるところもあったが、共に戦う相手としてこれ以上の相手はいない。自分達は無敵だと、本気でそう思っていた。そんな時だ、“彼”から聖杯戦争について相談したいことがあると連絡があったのは。
 浮かれていた。馬鹿みたいに気分を高揚させて、数年ぶりに再会する“彼”とどんな話をしようかと胸躍らせていた。
 なんて滑稽だったのだろう。待っていたのは甘い逢瀬などではなく、あまりにも苦い敗北だったというのに。
 左手を叩き斬られ、自らの血で出来た赤い海に沈み、朦朧とする意識の中、倒れた自分を見向きもせずに去っていった男の背中に必死に手を伸ばそうとして――ああ、やはり自分は惨めな女だ。救いようのない馬鹿なのだ。
(そんな私が、誇りなんて……)
「やあぁあああああっ!」
 地面に突き刺さり、静止した隙を狙って鎌の付け根、関節部分に全力で殴りかかる。強化された鋼鉄の拳は戦鎚そのものだ。しかし、その寸前で鎌は引き抜かれ、戦鎚は刃の部分にぶつかって弾かれた。関節以外にあてたところでまるで通りそうにない。
「こ、の……」
「離れなさい!」
 もう一度関節目掛けて殴りつけようとしたところをシエルに怒鳴られた。カマキラスの武器は鎌だけではない、むしろ鎌よりも注意すべきは槍の一撃だ。鎌とは異なり槍の描く軌道は直線である。大鎌を振り回して牽制し、より素早く正確な槍の一突きで獲物を確実に仕留める、単純だがそれ故に必殺の連携がバゼットに襲い掛かった。
「あっ」
 シエルの声がなければバゼットは確実に串刺しにされていただろう。スレスレに左腕を掠っていった槍が、バゼットの後ろにあった巨木を串刺しにしてそのまま引っこ抜く。
 裂けた上着からは鉄の色が覗いていた。微かにヒビが入っていたが、当然そこから血が流れ出ることはない。バゼットの左腕から血が流れ出ることはもう二度と無いのだ。
 左腕を失い、無様に血の海に沈んで……そうして目覚めた時、バゼットは協会の息のかかった病院の一室にいた。左腕を立てて起きあがろうと試み、愕然とする。
 あるべきはずのものが無い。本来腕があるはずの部位は、まったくの無だ。
 瞼を閉じることも出来ず、茫然と見知らぬ天井を見つめ続ける自分に声をかけてきたのは、バゼットと同じように封印指定を受けた魔術師の保護、魔術書の奪還など生業としているとある女魔術師だった。確か風を使う魔術師で、戦士としての技量は自分と互角かそれ以上の実力者……言うなれば同僚だが、以前に何回か顔を見かけた程度で名前すら知らないその女がどうやら自分を助けたのだと霧のかかった頭でなんとか理解する。
 しかし朦朧としたままの意識でも、これだけははっきりとわかった。どうして彼女が都合良くあの場所にいたのか、答えは簡単だ。
 聖杯。そのような超一級の聖遺物を入手出来るチャンス、いくら腕が立つとは言え若輩の、しかも新参者の魔術師一人に任せるはずがなかった。
 戦士としてなら、自分は協会に認められている――違っていた。そうですらなかったのだ。
 今度こそ、本当に全てを失ってしまった。必死に起きあがろうと思うのに、残った右腕にも力が入らない。打ちのめされた魂は辛すぎる現実から逃げ出したくて、なのに逃げることもままならない。逃げ出すには、バゼットの魂は半端に強すぎた。
 ぼんやりと傷を癒す日々。
 結局、することと言えばリハビリにかこつけた特訓。特訓とは名ばかりの自分虐めだけ。どんなに鍛えても意味なんて無いのに、それでも鍛える以外の方法が思い浮かばなかった。
 今回の調査の話が来たのは、そんな時だ。
 依頼者が誰なのかも明かされず、ただ『バゼット・フラガ・マクレミッツにお願いしたい』と先方からは指名があったのだと教えられた。協会側はバゼットが病み上がりであることを理由に別の者を推したそうだが、相手はそれでもバゼットがいいと言って聞き入れなかったらしい。
 その話を聞いた時、暗く澱んでいたバゼットの眼に少しだけ光が戻った。例えまた上辺だけなのだとしても、自分を必要とされたことがやりきれぬどん底にあって僅かな活力をもたらしてくれたのだ。縋れるのならそれが嘘だろうと構わなかった。左腕の代わりに、立ち上がるための杖が欲しかった。
 そして引き受けたバゼットの元に、今回の件の依頼主から一つの贈り物が届けられた。
 厳重に封をされたその中身は、無骨な鋼鉄の左腕。協会を通して腕のいい人形師に依頼すれば限りなく生身に近い義手を用意することも出来たが、バゼットはその鉄の腕を選んだ。
 ……もしかしたら、腕だけでなく全身鋼鉄の塊になりたかったのかも知れない。
「この、このぉっ!!」
 敗けたくなかった。もう二度と、あらゆる事に。
 異形の左腕はまさしく鋼鉄の誓い。だがその鋼鉄ですらカマキラスの前には無力だった。容易く打ち砕かれてしまう、求めた強さがまたも泥の沼に沈み込んでいく感覚にバゼットは目眩を覚えた。
 他の二人はどうしているだろうかとバゼットはチラと視線を巡らせた。リタは相変わらずカマキラスの懐にいるので表情までは見えない。一方、黒鍵を投げ続けるシエルの顔には自分と同様に焦りの色が浮かんでいた。二人が共に抱いていた、甲虫ならば兎も角、カマキリの外皮程度なら貫けるのではないか――という戦闘開始直後の浅慮を今さら悔いても遅い。やたらとすばしっこい動きを止めようにも、こちらの攻撃をほとんど意にも介さないのだ。
「足と羽さえ潰せば……!」
 虚空に描かれたルーンから、魔力で出来た礫がカマキラスの脚部へと殺到する。同時にシエルも黒鍵を関節狙いで投擲するのが見えた。さらに、リタも反対側から日傘を振りかぶっている。まずはこのまま左前脚を潰し、動きを鈍らせてから次は即座に右を――

「――え?」





◆    ◆    ◆












◆    ◆    ◆






 叩き付けられた。
 全身を。
 思い切り。
「……あ……うっぐぅッ!!」
 胃液が喉をせり上がってくる感触。体内を酸に焼かれるかのような気持ち悪い感覚と同時に、口内には錆びた鉄の味がした。
 意識はハッキリとしている。だが、現状を把握出来ない。認識出来るだけの情報が足りていない。視線を巡らそうにも、身体がなかなか言うことを聞いてくれなかった。それでもかろうじて、今の自分が大木に背をもたれさせていることはわかった。それからは考えるまでもない。
 自分は攻撃の瞬間、突然襲い掛かってきた衝撃に吹き飛ばされ、この木に叩き付けられたのだ。
「……は、はは……冗談が……きつい、ですね……」
 自分の声すらノイズ混じり、音量も出鱈目に聞こえる。耳にも相当な衝撃を受けたらしい。まともに動きそうなのは……皮肉にも義手だけらしかった。
「……ぐ……はぁ……マクレミッツ……無事、ですか?」
 ようやく動かせるようになった首を声のした方向に向けると、そこには片膝をつき、右腕を押さえたシエルがいた。右腕にまるで力が入っていないところを見ると、あれは折れているのかも知れない。だが、右腕が深刻な事以外はバゼットより比較的ダメージは少ないように見えた。
「……リタは、どうなりました?」
「戦っています。あの瞬間、彼女は地面スレスレにカマキラスのほぼ真下にいましたから……私達のように吹き飛ばされはしなかったんでしょう」
 そう言って、シエルはバゼットへと左手を差し出した。僅かに逡巡した後、目で礼を言いそれを掴む。全身のダメージを確認しつつ、バゼットはシエルに引っ張られるようにヨロヨロと立ち上がった。
「……羽、ですか」
「ええ。突然羽を開いたかと思うと、後は一瞬でした」
 飛行にばかり注意して、数十メートル、数万トンと言われる怪獣の身体を浮き上がらせる羽の力そのものを失念していた。ひとたび街を飛来すれば車を舞わせ、ビルを砕くソニックブーム。鍛え抜かれた魔術師と代行者の肉体とは言え、それに抗う術は無かったというわけだ。
「……ふぅ。とんでもないですね」
 数秒間、集中して全身の損傷を確認、同時に回復を計る。背中を強打しているくらいで、骨折は無し、鼓膜も破けてはいない。聴覚もほぼ回復したし、呼吸も整った。
「いけますか?」
「勿論です」
 シエルも右腕以外は問題ないようだ。
「右腕……見せてください」
「……? マクレミッツ、貴女、確か治癒魔術は専門外では……」
「治癒は得意ではありませんが、肉体の硬化や強化は専門です。折り曲げて身体に硬質固定しておけば、動くには大分楽になるはずですから」
 言うが早いか、バゼットは右手の指先でシエルの右腕に直接ルーンを書き込み念を送る。包帯と添え木、そして時間があればそれに越したことはないのだが、贅沢を言っている場合でもあるまい。
「……勝てると思いますか?」
 我ながら馬鹿なことを訊いたものだとバゼットは顔を顰めた。シエルは表情を変えずに黙ってカマキラスを凝視している。
 時折、爆音が轟く。リタの魔術か、それとも祖としての特殊能力かはわからないが、相当な威力を秘めているだろうそれも、カマキラスに確たるダメージを与えるには至っていないようだった。
 バゼットも、シエルも、対軍規模の攻撃手段は持ち合わせていない。やれるとしたら今までのようにチマチマと遠距離からダメージの望めない攻撃で牽制するか、それとも……バゼットは、今の衝撃で吹き飛ばされて離れた場所に散らばっている荷物へと目を向けた。リュックではなく、肩にかけていた円筒状のケースの方だ。
 バゼット・フラガ・マクレミッツの奥の手中の奥の手。だが果たしてそれすらもカマキラスに通用するかどうか。もしも通用しなかったなら、今度は伝承保菌者としての価値すら自分には残らないことになる。バゼットという人間は完全な無価値となるわけだ。そのことが、怖いのか、どうでもいいのか……
「マクレミッツ」
「え?」
 視線は動かさず、シエルは左手で黒鍵を構えながら呼び掛けた。まるでバゼットの迷いを見透かしたかのような穏やかな声で。
「貴女の荷物の中身は知りませんが……貴女は、それを信じているのですか?」
 バゼットは唖然とした。どう、なのだろう。改めて考えてみると、これまでにも自分は何度となくあれを使って危機を脱してきたが、信じているとかいないとか、そんな考え方をしたことはなかった。
 あれを受け継ぎ、次代に繋いでいくことが課せられた使命なのだと小さな頃から言われ続け、協会にも貴重な伝承保菌者として歓迎され、あれは常に自分につきまとうまるで身体の一部のようでもあり、しかし一方でバゼット個人を脅かす存在でもあった。自分はあれのオマケ程度の存在でしかないのではないかと思い悩んだことは何度もある。が、改めて信じているのかをこうして考えてみると……存外に答えはすんなりと出た。
「当たり前です」
 そうだ、当たり前だ。あれに対する不信こそが本当だったなら、そもそも自分はフラガを名乗ってなどいない。家のことも、あれのことも、全て含めて自分を、バゼット・フラガ・マクレミッツを誇りたかったからこそ今まで努力してきたのではなかったか。
「……シエル」
 かつて信じていた相手に斬り落とされた左手で、バゼットはシエルの肩を軽く叩いた。
「私は、代行者が好きじゃない。と言うより、嫌いです」
 皮肉げな笑みは果たしてシエルに向けたものか、それとも、自分に向けたものなのか。
「そうですね。私達は協会の人間からは基本的に嫌われてますから。ですが、今は――」
「けれどシエル」
 シエルの言葉を遮り、バゼットは両脚に力を込めた。
「貴女に、頼みたいの。私はあれを拾ってくる。それまでに、カマキラスの注意をリタから私の方へと向けて貰えませんか?」
「注意を?」
「ヤツが私に向かってくるよう仕向けて欲しいんです」
 そう言ったバゼットの表情に、シエルは一瞬言葉を失った。何をするのかはわからないが、これから、おそらくは命を懸けようと言うのに今までにない晴れ晴れとした貌だった。自棄になったとかとか、そう言った感情でこの貌は出来まい。
「勝算は、どの程度ですか?」
「さぁ、どうでしょう?」
 バゼットに気負いはない。ダメージを負っているのが嘘のような自然体で、ケースが落ちている場所との距離、そして今の自分の状態なら何秒でそこまで辿り着けるかを計っている。
「……賭け事は教義に反するんですけどね」
 シエルが溜息混じりにやれやれとそう呟くのを見て、バゼットは満足そうに目配せをした。埋葬機関の第七位、もう少し堅物かとも思っていたが、なかなかいい性格をしているようだ。
「行きます」
 二人、同時に大地を蹴る。
 全身にまだ痛みは残っているが、バゼットの鍛え抜かれた肉体はこの程度の痛みでめげたりはしない。不器用に、ただひたすらに鍛え続けてきたのは何のためだったのか。
 ケースまではほんの数秒で辿り着くことが出来た。即座にその中から鉛色の石球を取り出す。一見何の変哲もない、本当にただの球だ。だがしかし、これこそがバゼットの家が伝え続けた宝具。
 斬り抉る戦神の剣――フラガラック――
 戦神ルーが持つとされる伝説の短剣。神世を超え、現代まで伝わる数少ない本物の宝具にバゼットは念を込めた。その途端、球体は重力の束縛などまるで意に介さぬとばかりにバゼットの背後にフワリと浮かび上がる。
 振り返ると、200mくらい先でシエルとリタがカマキラスの死角から頭部へと向けてそれぞれ散発的に攻撃を仕掛けていた。姿の見えない相手を探してカマキラスの頭がクリクリと激しく動く。
 バゼットは左腕を重々しく振るい、ゆっくりと腰だめに構えた。後はカマキラスの攻撃を見極めるだけだ。
「バゼットッ!」
 頭上からシエルが叫びが聞こえたのと同時に、カマキラスの鼻先へと黒鍵が飛んだ。忙しなく動くカマキラスの頭部が攻撃が繰り出された方向へと向けられ、ピタリと止まる。
「上出来ですよ、シエル」
 カマキラスが、跳んだ。200mなどカマキラスからすればまさに一足飛びの間合いだ。左腕の鎌を振りかぶり、凄まじい勢いで地面スレスレを横一文字に薙ぎ払う。
 だが――
「なっ!?」
 巨木の枝上からその対峙を見ていたシエルは驚愕に目を見開いた。バゼットは動かない。身動ぎ一つせず、カマキラスの巨体を黙って睨め上げている。
 鎌ではない。鎌では、フラガラックは力を発揮出来ない。
「バゼット、死ぬ気――」
「違いますわね。よくご覧なさい。あれ、何か狙ってますわ」
 いつの間に隣に現れたものか、リタは落ち着いた声でシエルにカマキラスとバゼットの動きをよく見るよう促した。
 バゼットの視線は真っ直ぐに、鎌ではなく右腕の槍にのみ焦点を絞っていた。瞬き一つせず、巻き上がる土砂、粉塵の彼方から自分を狙って槍が突き出されてくるのをただひたすらに待つ。
「……来ますわ!」
 カマキラスの槍はまさに必殺の刺突。防ぐには躱す以外に方法はないが、このタイミングではそれも不可能だった。しかし、その回避不可能、致命のタイミングこそがバゼットが狙っていたもの。
 球体が激しく放電し、形状が瞬時に変化した。ただの球から刃が生え、凄まじい光を放ち始める。その直後、バゼットの鋼鉄の左拳がカマキラス目掛けて繰り出されていた。

       ア   ン   サ   ラ   ー
「――“後より出でて先に断つもの”――ッ!!」

 疾ったのは閃光。
 一筋の光がレーザー光線のように伸び、カマキラスの脚を貫く。
 本来ならそれで突き出された槍が止まるはずがなかった。バゼットの一撃はほんの一矢報いただけで、彼女の身に降りかかる絶対死の運命など到底覆せないはずが、バゼットは生きていた。確かに突き出されたはずのカマキラスの槍は彼女の身体を貫くことなく、いまだ空中にとどまっている。
「い、今のは……」
「驚きましたわ。まさか、ルーの逆光剣とは」
 逆光剣フラガラックは、相手の切り札に反応し、時を遡って必ず先行でカウンターを叩き込むという特性を持つ宝具。その刃が討つのは相手の心臓やいかなる急所に非ず、両者相討つという運命をこそ両断する、まさしく必勝の魔剣である。
 カマキラスの身体が、揺らぐ。
 フラガラックによる攻撃はどんなに出力を振り絞ろうともカマキラスにとってはそれこそ虫に刺された程度のごく小さな点だ。そんな点ではカマキラスを一撃で絶命させるなど到底不可能。だから、バゼットは脚を狙ったのだ。昆虫の脚は力強くはあるが細い。体重の最もかかる一点を狙い澄まし、そこに一撃を叩き込むことで、それまでどのような攻撃を受けようともほとんどダメージを受けることの無かったカマキラスの右前脚に亀裂が走っていた。
「今です、リタッ!」
「承知ですわ」
 華麗に、優雅に、満足げに。
 リタ・ロズィーアンが大地に舞い降りる。
 そして、爆音。
「さぁ、怪獣退治と洒落込みましょうか」
 吸血鬼の口が、獰猛に歪んだ。





◆    ◆    ◆






 爆破、それがリタ・ロズィーアンが主に得意とする魔術であるが、これを好む者はあまりいない。と言うより見た目が派手な割に威力はそう高くなく、さらに効率も悪いため使っても意味がないと言った方が正しい。
 炎や氷、雷などの、術者から目標物に対して放たれる志向性を持った魔弾の類と違い、爆破は相手に働き掛けて爆破効果を引き起こすものだ。だが相手の肉体に直接干渉する事は出来ないため、結局はその付近、ごく近距離の空間を爆破するにとどまる。弾丸の形を取らない分相手は回避しづらいように思えるが、正確な狙いをつけるのが難しいため連発出来ず、かつ爆心地から離れれば離れる程に威力も下がってしまうため、動く標的に致命傷を与えるのは至難の業だ。
 だが、リタはそれでも爆破を好む。
 理由は至極簡単、派手だからだ。『華がありますもの』と彼女は平然と宣い、同時に十数発の爆破をやってのけ、さらに間を空けず次々と華を咲かせる。しかもそのいずれもが赤青黄色、緑に紫、ピンク色と多種多様な色を持ち、相手の位置を狙い澄まして炸裂するのだ。
 超接近戦で日傘を振り回しつつ、爆破の花火でカマキラスの飛行を牽制するその手際には、バゼットもシエルも驚嘆した。
 そして今、カマキラスの右前脚にフラガラックが穿った穴を目掛けてありったけの魔力を凝縮した爆破を炸裂させた。それも一度ではない、二度、三度と凄まじい爆音が響き渡る。
 カマキラスが歯を掻き鳴らし、苦しそうに藻掻く。右前脚は既に千切れ飛んでいた。バランスを失った巨体が前のめりに突っ伏し、鎌と槍とを縦横に振り回した。しかしそのような状態でもまだ獲物を狙う本能は薄れていないのか、決して無茶苦茶なわけではなく確実にリタの細い身体を切り刻まんと迫ってくる。
 だが、カマキラスの敵はリタ一人ではなかった。
「はぁっ!」
 鉄甲作用によって投擲された黒鍵の四連撃が、今にもリタを貫こうとしていた槍の軌道をずらし、そのまま大地に深々と突き刺さる。
「喰らいなさいっ!」
 その一方で、バゼットは左前脚の関節目掛けて戦鎚を思い切り叩き付けていた。分厚い外皮を完全に突破することは不可能だが、それでもバランスの崩れた巨体を無理に支えようとすることで関節には相当な負荷がかかっている。そこを狙い、バゼットは何度となく拳を叩き込んだ。
「その調子ですわ、お二人とも」
 二人に笑顔で手を振って、リタはカマキラスの足下を跳ね回り続けていた。あの“ぞろっぺぇ”スカートでどうしてそこまで俊敏に動けるのか不思議で仕方がなかったが、事実として彼女の速度は二人の全力に勝る。
「この機を逃す手は、ありませんものね」
「言われるまでも!」
 鋼鉄の左腕を振り上げ、そのまま叩き付けるようにバゼットはカマキラスの左前脚へと突進した。今まで以上の凄まじい一撃が、ついに関節部へズブリと食い込む。
 カマキラスは明らかに怒っていた。小さな獲物達がこんなにも自分に牙を剥き、傷つけてくる。憤怒に任せバゼット目掛けて真上から振り下ろされた大鎌は、しかし弓の異名のままに全身を矢と化したシエルの跳び蹴りによってバゼットから大きく外れて地面に突き刺さった。
「バゼット! 今です!」
「やあぁぁああああああああああッ!!」
 何かが潰れ、拉げるかのような鈍い音が響く。
 強化された超耐熱合金NT-1の左腕は無慈悲なウォーハンマーとなって、カマキラスのその全身からすれば異様にか細い左前脚を叩き折っていた。土臭い体液がバゼットの全身を濡らし、途端、形容しがたい鳴き声をあげて、巨体が前方へとつんのめった。
「淑女としては少々品に欠ける雄叫びと攻撃でしたが……上出来ですわ」
 さらに追い打ちをかけるべく、これまで無数に繰り返されたリタの爆破がついにカマキラスの胴体部を割り、そこに日傘が突き立てられた。シエルも黒鍵を片手にそこに飛びかかろうとするが、それは無茶苦茶に振り回された鎌と槍によって防がれてしまう。
「まだまだ、元気イッパイって感じですね……」
「ええ……呆れてしまう、こいつは」
 手を休めている暇など無い。二人は視線を交わすと、バゼットは左手の鎌へ、シエルは右手の槍へとそれぞれ突進した。
「リタ! 爆破を!」
「わかってますわよ。……さぁ、怪獣さん、綺麗な葬送の花火を打ち上げましょうか」
 胴体部で小爆発が連発し、その度にカマキラスの全身が震えた。だが狂ったように行き交う鎌と槍は止まらない。木々を薙ぎ倒し、地面を抉り、獲物を求めて動き続けている。
 シエルの右太股を、槍が抉った。
 バゼットの右肩を、鎌が深々と斬り裂く。
 悲鳴を堪え、黒鍵を、義手を、突き立てる。だが鎌と槍はことのほか硬かった。そのまま何事もなかったかのように二人の小さな肉体を細切れにしようと迫る。

 ――これは、やばい――!

 そんな言葉が二人の脳裏を掠めた時、一際大きな爆音が轟いた。





◆    ◆    ◆






「……やった、の?」
 動きが、止まっていた。先程まであれだけ無茶苦茶に振り回されていた鎌も槍も、ピクリとも動かない。そのまま、ゆっくりと全身が傾いでいく。
 それでも三人とも注意深く距離を取り、トドメを刺すために呼吸を整えた。まだ、生きている。死んだわけではない。両前脚を失い、身体の中央部を大きく穿たれてなお、この巨大な虫は生きていた。
「以前、ゾルゲル島に棲息していたカマキラスは50メートルはあったそうですけれど、30メートルでこれですもの。ゾッとしませんわね」
 言ってから、リタは周囲を注意深く見回した。カマキラスは群れをなして行動することが多いという報告書の内容を思い出し、こいつが一匹のみであることを改めて確認する。……どうやら、心配は杞憂で済んだようだ。
「なかなか楽しめましたわ」
 所々破け、泥と埃にまみれた自らの衣装を悲しげに見下ろしてから、酷く場違いな微笑みと会釈をし、リタはカマキラスへとその両腕を翳した。
 まさに、その瞬間だった。

「……リタ?」

 それは、バゼットとシエル、果たしてどちらの唇から漏れた呟きだったか、当人達にもわからない。二人同時に漏らしたようでもあったし、しかし双方とも確かに自分だと言えるだけの自信は無かった。
「――が……はぁ……ッ」
 リタの右脇腹は、ゴッソリと無くなっていた。そこには、冗談のような虚ろがあるだけだ。暫くして、ようやく思い出したかのように濁った血が溢れ出してくる。
 カマキラスの姿は、地上にはない。
 まるで蜂が何万匹も群れなして飛び回っているかのような耳障りな羽音を立てて、カマキラスは飛んでいた。今にも千切れそうな左前脚をぶらつかせ、槍にはリタの服の切れ端と肉片がまだこびり付かせたまま、上空から勝ち誇ったかのようにこちらを見下ろしている。
「……わたくしと、したことが……油断、しました……わ……死んだフリだなんて、巫山戯た……真似を……ゴプッ!!」
 けして鮮やかではない吸血鬼の血液が、けばけばしい衣装を赤く染め上げていく。人間なら確実に即死、吸血鬼でも祖と呼ばれる程の者であるリタだからこそ、かろうじて生きていられる程の傷だった。だが、これ以上の戦闘行動は確実にその永遠と称されたはずの命すら奪いさるだろう。
 撤退の二文字が、シエルの脳裏を掠めた。
 自分も、バゼットも、今の状態では万全には程遠い。現状では勝算は限りなく低いどころか、ほぼ皆無だ。この状態で無理を押して戦闘を継続するのはとても勇気とは言えない。自らと仲間達とを危機に晒し、蛮勇を誇るのは愚か者のすることだ。
 リタを抱えた状態で深手を負った二人がカマキラスから逃げ切れるかどうかは怪しいが、うまいこと森を突っ切れば或いは出し抜けるかも知れない。
 上空のカマキラスから視線は動かさずに、二人はリタへと駆け寄った。そのまま無言で彼女の脇下へと二人の手が滑り込む。
「……おかしな……方々、ですわね……」
 まったくその通りだ。それぞれの組織のことを考えれば、どう考えてもここはリタの事など捨て置くべきであって、助けなければならない道理など無い。しかしそれが躊躇われる程度には、二人はこのリタという吸血鬼を嫌いではなかったのかも知れない。
「この任務中は、少なくとも私達は仲間ですから。見捨てるのは寝覚めが悪い」
「まったく、吸血鬼を助けるだなんて金輪際ごめんだと思っていたんですが……仕方ありませんね」
 だが、そんな二人にリタは「クク」と血まみれの喉を鳴らした。
「んくっ……違い、ますわ。わたくしが、おかしいと言ったのは……お二人とも、まるでこれから……尻尾を巻いて、逃げる……みたいじゃ、ありませんの……」
 そう言って、両腕をフラフラと夢遊病者のように上空へ向ける。視線はカマキラスを射抜くかのように、薄く開かれた口には鋭い犬歯を覗かせて、彼女はまだ戦うつもりだった。その戦意は、欠片も失われていない。
「……な、にを……馬鹿なことを! リタ、貴女自分が今どんな状態かわかって……!?」
「――シエル……わた、くしは……リタ・ロズィーアンです。父……ロズィーアンから、正式に二十七祖の一席を継承した……吸血、鬼。その、意味が……宿敵である貴女なら……わかりますでしょう?」
 激昂するシエルに力強くそう言い、リタはカマキラスの羽周辺を爆破した。誰が彼女を止められるだろう。そして、誰がこの場から逃げ出せるだろう。
 リタは馬鹿だ。格好も、言動も、ちっとも吸血鬼らしくないくせに、その馬鹿馬鹿しい誇り高さだけは敵ながら称賛に値する程の、彼女はまさしく吸血鬼だった。
 そして、自分もまた馬鹿なのだとシエルは今さらながらに思った。
「……私は、どうやらアルクェイドと同じくらい貴女のことが嫌いなようです、リタ」
「……クス……クス……それは、光栄ですわね……」
 覚悟が決まったらしい二人を呆れたように見やりつつ、バゼットは深く深く溜息を吐いた。
「……ふぅ。馬鹿な吸血鬼に馬鹿な代行者、それに……馬鹿な魔術師だなんて、今日は馬鹿の出血大サービスですね」
 チャンスは、おそらく一度きり。上空を旋回しているカマキラスがこちらを仕留めようと突っ込んできた時こそが、唯一の勝機。あの速度をノーダメージで何度も切り抜けられる自信は無い。
「もう一度、羽の辺りを爆破して、タイミングを作ります……から、お二人とも……あの、胴の傷目掛けて……ありったけの攻撃を……」
 それしか、あるまい。
 今から奴の外皮に新しい傷を穿って一度の交差で仕留めきるのは不可能だ。
 リタの瞳が、見開かれる。
 ありったけ編み込まれた魔力は空間に干渉し、カマキラスのほとんど真上で膨れ上がり、爆発した。





◆    ◆    ◆






「……ッ!!」
 爆発と同時にカマキラスの羽は一際喧しい音を立てて、地上へ向かい、真っ直ぐに突っ込んできた。時間にして、一秒にも満たないだろうまさに刹那の攻防。
 シエルは黒鍵を放った。それも一本一本ではなく、ゴッソリと束で、腹部のジュクジュクと蠢いている気味の悪い傷口目掛け、ミサイルのように。
 続けて、バゼットは二つ目のフラガラックを解き放っていた。この球は使い捨てだが、冬木での聖杯戦争用に作成しておいた分が手つかずで残っているから数的には余裕がある。第一出し惜しみをしていられるような状況ではない。
 黒鍵の束は一本の漏れもなく、正確に全弾命中。しかし傷口に無数の剣を突き立てられながら、それでも止まらないカマキラスの鎌と槍がバゼットを捉えようとして、だがその瞬間一筋の閃光がカマキラスの頭から腹部までを一直線に貫いていた。
 これで、道は出来た。
 リタの意識が集中する。カマキラスの内部を真っ直ぐ伸びた穴と、そして腹部に突き刺さった黒鍵の束へと。荒れ狂うカマキラスに狙いを定めるのは困難を極めたが、そこで再び弓から矢が放たれる。カマキラスの頭部に空いたほんの小さな穴目掛け、放たれた黒鍵は見事に突き刺さっていた。
 何と言う精度だろう。シエルの腕前に感服しながら、バゼットは既に跳んでいた。元より自らが穿った穴に左腕を叩き込んでやるつもりだったのだ。それが、今はあんなにわかりやすい目標がある。そこへ向けて全力でウォーハンマーを打ち付けた。愚直に、真っ直ぐに、渾身の力で。
 そう――黒鍵の、柄に。
 柄へと叩き込まれた左腕は、黒鍵をカマキラスの頭、その奥の奥にまで深々と刀身をめり込ませた。
 バゼットはルーンを描いた。間に合うかどうかは本当にギリギリ、大博打だ。
 描き慣れたルーンが虚空に煌めくのと、リタの意識が黒鍵へと集中したのは、本当に同時だった。
 光が走疾る。
 轟音が響き渡る。
 夥しい量の内臓と体液を撒き散らし、地表からスレスレの位置で、カマキラスは爆発していた。大爆発だった。
 頭と胴は粉々。その勢いで鎌も槍も、全身がバラバラに千切れ飛び、ビチャビチャと地面に降り注いでくる。なんとも汚らしい花火の燃えカスだ。



 熱帯樹の葉と枝に埋もれながら、バゼットはゆっくりと息を吐き、空を見上げた。抜けるような青空とは、まさにこのような空のことを呼ぶのだろう。
 虫の体液ですっかりグショグショになったYシャツのボタンを一番上までしめ、この空の青さとは異なる蒼い槍兵の事を思い浮かべた。指でルーンのピアスを軽く弾く。これで、少しは……ほんの少しだけはマシな自分に、なれただろうか。
 答えてくれる者は誰もいない。ただ、弾かれたピアスが乾いた音を立てて、バゼットは満足げに微笑んでいた。





◆    ◆    ◆






「……で、ようやく目的の遺跡ってワケですね」
 上陸地点から歩くことほぼ丸一日。三人は、ようやく遺跡の入り口に立っていた。
 直接遺跡側から上陸出来れば何の問題もなかったはずなのに、しかしそれは言うまい。遺跡発見の引き金となった崖崩れのせいで崖はその険しさを増していた上、非常に崩れやすくなっている。そんなところをロッククライミングしていたのでは、それこそ命が幾つあっても足りなかった。
「リタ、具合の方はいいのですか?」
「ええ。本当なら新鮮なフタナリッ子の血でもいただきたいところなのですが……貴女方、やたらと男らしいだけで残念ながら女性ですものねぇ……」
「あはは。ブッ殺しますよコンチクショー」
 本気なのか冗談なのか、リタは「あー残念ですこと残念ですこと」と嘆きながら、のんびりと遺跡の中へと入っていこうとした。入り口には特に扉もなく、まるで全てを飲み込もうとしているかのように暗い口を開けている。
「大丈夫ですか? その……侵入者撃退用のトラップとかは」
「多分、大丈夫ですわよ。わざわざトラップを仕掛ける類の遺跡なら、入り口くらいもうちょっと固く閉ざしておくはずですもの」
 確かに、それもそうだった。もし仮にトラップがあるなら、入り口がこうして開いているのだしまずは島の動物などが引っかかっていてもよさそうだが、どうやらそんな様子もない。
「……何かの神殿、みたいですね」
 入り口付近の柱や、壁に刻まれた意匠を指でなぞりつつ、シエルは遺跡全体に漂う神秘的な空気を感じ取っていた。
「そうですわね。往時はさぞ見事な神殿だったのでしょう」
 自称芸術家としては一応気になるらしい。
 取り敢えず中に入る前に遺跡周辺を見て回ることにして、三人は折れた石柱や土砂に埋もれた壁面などを丹念に見て回った。
 そうして、三十分程も経っただろうか。
「……二人とも、こっちに来てください! 文字らしきものがあります!」
 土砂を払いながら壁面を調べていたシエルは、そこに奇妙な紋章のようなものと、古代語で書かれたらしい文字列を発見し、二人を呼び寄せた。
 二人とも、何事かと早足でやってくる。
「此処です。この、十字架が光を発しているような紋章の下です」
 シエルが指し示したところには、円形で、彼女の言う通り光を発する十字架のような形をした紋様の下に、確かに文字らしきものが刻まれている。
「……読めますか?」
「これは……インドネシアやマレーの古代語のような……微妙に違いますわね。おそらくは、もっと古いものだと思いますけれど……んー……」
 壁面と睨めっこしながら、リタはうんうんと唸り指で何度も文字をなぞった。
「……早く……来てぇー……んー、助けてくれ……平和を……取り戻して……欲しい……んー。多分、そのような意味だと思うのですけど、一つどうしてもわからない単語がありますわね。それが、文中に何度も呼び掛けるように出てくる」
 文字列の中の数ヶ所を指し示し、リタは再びうんうん唸りだした。バゼットとシエルもそこを見てみるが、なるほど、確かにどれも同じ文字のようである。
「一体、なんの事でしょう……“モスラ”……って……」

 ――その時、不意に、声が聞こえたような気がした。

「……バゼット。シエル。貴女方、今何か仰いました?」
 二人とは明らかに声質の違うものだったが、リタは二人の顔を交互に見回した。二人とも同じようにそれぞれの顔を見回している。どうやらこの三人のうち誰かではないらしい。
 三人は、試しに耳を澄ましてみた。
 周囲のあらゆる物音に注意を傾け、じっと、待つ。
 そして数秒後、今度はハッキリと、その声は聞こえてきた。

 ――モスラは、偉大なる守り神です――





◆    ◆    ◆












◆    ◆    ◆






「……は、ぇ?」
 我ながら間の抜けた声だったと思う。
 壁の下。見るからに南海のものといった感じの赤い花の隣に、バゼットは今の声の主……彼女達を、見つけた。
「……妖精……種? いえ、ですが、これは……」
 シエルもリタも、同様に驚きを隠せずにいる。
 20cm程度の花の隣に立つ……要するに花と同じくらいの背丈をした二人の少女は、三人の知識に照らし合わせれば妖精と呼ばれる類の幻想種であった。
 だが、違う。そうではないのだ。
 彼女達は神秘的な気配を放ちながらも、しかしそれは幻想種が持つ幻のような存在感とは明らかに異なっていた。
 彼女達は、居る。
 今、この場に、この世界に、確かに存在している。肉体を、持って。
「驚かせてしまって、申し訳ありません」
 双子……なのだろうか。まるで合わせ鏡に映ったかのような少女達は、寸分の違いなく同じ呼吸で三人に謝罪し、恭しく頭を下げた。とは言え、誰もいまだに反応出来ずにいる。言葉も、無い。
「ですが、わたし達は、どうしても皆さんにお伝えしなければならない事があったのです。そのために1万2千年もの間、わたし達一族はこの島を、神殿を、守り続けてきたのですから……」
 ようやく茫然自失とした状態から復帰を果たし始めた三人は、混乱する意識を何とかまとめ上げ、整理しようと試みた。

 南海の孤島。
 襲い来る怪獣。
 古代の遺跡。
 遺跡に刻まれた謎の文字。
 モスラ。そして……
 二人の、小美人。

 まるで一昔前のありふれた冒険小説だ。そう笑い飛ばしたくもなったが、結局は誰一人としてそうする事は出来なかった。
 全ては現実だ。ならば、彼女達の話を聞き、そして受け止めなければならない。そもそも、自分達は、“そういう世界”の住人なのだから。
 やがて、小美人達は三人がそれぞれ心の整理を果たしたと見ると、その小さな唇から、詠うように言葉を紡ぎ出していく。



「わたし達は、コスモス。この星の先住民族、“ノンマルト”の末裔であり、守護神モスラと、人々を繋ぐための存在です」











〜to be Continued〜






Back to Top