episode-04
〜動き出す者達〜


◆    ◆    ◆





 シオンが客間に入ると、そこではソファーに腰掛けたトラフィムが届いたばかりの手紙をじっくりと舐めるように熟読し、彼にしては珍しく難しい顔をしているところだった。手にした手紙は魔術によって編まれたものなのだろうが、悪趣味全開なカラフルデザインが差出人が誰であるかを雄弁と物語っている。
 その向かい側では、同じように難しい顔をした老紳士――ヴァン=フェムが愛用のステッキに両手と顎を乗せ、シオンの入室に僅かに表情を和らげていた。トラフィム派の祖達には妙に気に入られているフシのあるシオンだったが、その中でも特にこの老人はシオンを買ってくれている。研究者としても、個人としても。一度、宴の席で『どうだろう、私の養子にならないかね?』とまで言われたことがあり、その時は酒の上での冗談だろうと軽く受け流したが、どうにもあれは本気だったのではないかと今でも思うことがある。
「ごきげんよう、シオン。研究は進んでいるかね?」
「ごきげんよう、ヴァン=フェム卿。ええ、おかげさまで」
「そうか。ふむ、今度久しぶりに研究室の方にも顔を出してみよう」
「それはわざわざありがとうございます。色々と意見を伺いたい事もありますから」
 トラフィムは彼を惚れっぽいと言っていたが、自分を見る視線はいわゆる女を見る男のそれとは違うものだろう。そのくらいは、男女の機微に疎いシオンであってもわかる。だからこそあの養子発言が本気だったのではないかと思えてしまうのだ。
 ヴァン=フェムは数多の人形を作成したが、後継者となるような死徒の育成にはまったく力を注いでいる様子がないと聞く。自分の後継となりうる器を彼が待ち望んでいたのだとすれば、シオンこそは彼の眼鏡にかなうだけの器だったのだと、つまりはそういうことなのだろう。直系であるワラキアよりもまったく無縁であったはずのヴァン=フェムやトラフィムの方が自分を買ってくれているのかと思うとどうにも奇妙に感じてしまうが、たとえ吸血鬼ではあっても魔術師や研究者、探究者としての彼らの能力は認めざるをえない本物だ。一人の錬金術師としては、悪い気がしようはずもない。
 ただ、目的のために人間であることを捨てるか否か……全てはその一点の相違であり、そこで自分達はどうしようもなく決別するしかないのだ。
「トラフィム、悩むのもいいが折角シオンが来てくれたのだ。呼び出しておいてその態度はあまり感心せぬよ」
 嗜めるような盟友の言い草に、トラフィムは手紙に向けていた視線をシオンへと移し、こめかみを手で押さえながらゆっくりと身体を彼女へと向け直した。
「わざわざすまなかったな、シオン」
「いえ、構いません。それよりも、それがリタからの手紙ですか?」
 三者の視線が一斉に手紙へと注がれる。
「……ああ、どうやらうまくいったらしい。怪獣や怪植物に襲われて深手を負わされたようだが、遺跡には辿り着けたようだ。今は遺跡だそうだよ」
「怪獣と交戦したのですか? それでよくも無事で……」
 インファント島調査のために赴いた四人……協会から派遣されてきたバゼットという女魔術師に関してはシオンも詳しくは知らなかったが、リタとスミレ、そしてシエルの力量はある程度理解している。リタとスミレは二十七祖と呼ばれるだけあってその力は折り紙付きであるし、シエルも戦闘力ではそれに比肩する。だが、それでも怪獣と呼ばれる生物のスペックを鑑みれば、一人の死者も出さず深手だけで済んだというのは僥倖と言えた。
「怪獣と遭遇したとしても彼女達ならよもや死にはすまいとは思っていたが、まさか一匹倒してみせるとはな。これは嬉しい誤算だよ」
 嬉しいと言う割には、表情は明るくない。トラフィムの眉間には深く皺が寄ったまま、口元も固く引き結ばれている。感情――特に喜悦に関しては常に大仰に振る舞う彼らしからぬ様相だ。
「何か……あったのですか?」
 何も無いわけがない。わけがないが、白翼公ともあろう者が自分からは切り出しにくい事態なのだとすればそれは察するに余る。
 トラフィムとヴァン=フェム。滅多なことでは動じるなど有り得ない二人が、しかし眉間に皺寄せるしかない程の内容があのカラフルな手紙には記されていたに違いないのだ。そして南海の島では、無事生きていた一行がその事態に直面している。
 やがて、白翼公の口がいつになく重々しく開かれた。
「……予測していた最悪の事態よりも、尚まずい」
「最悪の事態?」
 謎の遺跡が見つかったのでリタを調査に向かわせた――今回の件、シオンはそもそも詳しいことは何一つ知らされていない。ただ、その遺跡が魔術的な意味合いからしても重大な価値を持つものであり、それ故に教会と協会にも協力を要請したのだとくらいにしか聞かされていなかった。敢えて独占しようとせずに両組織の介入を許したことに関しても、何かしらの政治的思惑があるのだろうと思い口を挟まなかったのだが……
「リタ達は、あの島で思いもよらない者達と出会ったそうだ」
「思いもよらない、とは――」
「――ノンマルト……聞いたことがあるかね?」
 遮ったヴァン=フェムの言葉は、聞き慣れない響きだった。
「ノン……マルト? いえ、聞いたことがありませんが……」
「では、オメガファイルという言葉は? 地球先住民族存在説や彼らが残したとされる遺失技術についてはどうかね」
「それは聞いたことがあります。専門ではないので詳しいわけではありませんが、かつて地球には優れた高度文明を持つ知性体が存在しており、時折発掘される彼らの遺産や記録を“オメガファイル”と称して国連や各国家の研究施設、協会などの組織が厳重に保管、隠蔽している……くらいには」
 ありふれた与太話。このような世界に身を置いていなければ、都市伝説の類として一笑に伏していただろう話だ。だがシオンがかつて在籍していたアトラスの穴蔵にも、それら遺失技術で作られたとしか思えないアーティファクトが多数保管されていたし、ヴァン=フェムの研究施設にもその類の資料は多数ある。
「そう。そしてその先住民族をノンマルトと言う。もっとも、この名に辿り着けた探究者は私とトラフィムを含め、果たしてどれだけいる事やらな……」
 事実、シオンですら初耳であった。例え専門外のことであろうとも、仮にもアトラシアを冠するシオン・エルトナムが辿り着けぬ智の領域など限られている。
「千を超える年月を費やし、ようやく辿り着けた名だ。それ程までに彼らの記録は乏しい。その文明が如何に高度であったかは知れても、存在自体は霧靄よりも不確かという矛盾めいた存在故な、君が知らぬのも無理はない。不確定な要素を嫌う穴蔵の者達からすれば、技術に惹かれこそすれ存在自体は認めがたいものであったろう」
 実在は明らかだというのに辿り着けない、存在しているようでしていない、まさしくゴーストのような文明。なるほど、アトラスが嫌いそうなものだ。
「ムー、アトランティス、レムリア……呼び名は数あるが、それらは単に住んでいた大陸を指す言葉に過ぎん。彼ら自身が自らを称する名は唯一ノンマルト。『戦わざる者』、非戦文明種の意だ。種族全体による単一国家だったらしいが……もっとも、主義主張の違いによって幾つかのグループは存在していたようだがね」
 長い説明を終え、老人は再びステッキに上半身を預けた。一方、説明の全てをヴァン=フェムに任せたトラフィムはもう一度手紙に目を落とし、そして一言、
「コスモス」
 とだけ呟いた。
「コスモス?」
 まさかに花の名ではあるまい。この吸血鬼の王が意外にも素朴な花を好むことは知っているが、今この場で呟く意味は多岐に開いたどの思考を辿ってみても思いつくことはなかった。
「……そう、名乗ったのだそうだ。ノンマルトの末裔を名乗る者が、な」
 その言葉に、シオンは今日この広間で見た二人の様子、全てに納得がいった。確かに、動揺を隠せと言う方が無理だ。その名に辿り着くだけでも千を超える年月を必要とした存在の末裔を名乗る者が、人跡未踏の南海の孤島に生きていたなどと誰が俄に信じられよう。トラフィムだとて、それがリタからの手紙でなければ気にもとめなかったはずだ。
「遺跡がノンマルトのものであることはわかっていた。だが、よもや……」
 身震いする。
 これから訪れる大事を前に、しかしトラフィムは自分がそれを愉しんでいることもわかっていた。娯楽、と呼べるレベルではない。二千に近い年月を生き長らえて、初めて遭遇するだけの一大イベントだ。
「コスモスは、詳しいことは私と直接話したいと言っているらしい」
 話の内容自体は、おおよその見当はついている。これまでトラフィムが知り得たノンマルトの知識と現状を照らし合わせれば、まず間違いはあるまい。最大の相違は末裔が生きていたことと、予測していたよりも大分早かったことくらいだが、このところ世界で頻発している怪鳥襲撃事件の事もある。結局は来るべきものが来た、それだけのことだ。
 沈黙が広間を支配した。
 シオンはその分割思考を駆使して現状把握へと努めていた。あまりにも唐突すぎる話に、正直ついていくことが出来ない。自分は、今混乱している。
 そもそも、何故白翼公は自分をこの場に呼んだ?
 シオンは彼からすれば結局はその庇護下にあるだけの一介の研究者に過ぎない。少なくともこのような大事に意見を求めるべき相手ではないはずだ。だと言うのに彼はこれから何を切り出そうとしているのか。
「全てはコスモスの話を聞いてからだが……シオン、その時、君には選んで貰わなければならないかも知れん」
「選ぶ?」
 それは、話を聞いてなお白翼公に与するか否か、だろうか。それとも、もっと重大な岐路であるのか、今はまだ判断材料が乏しすぎた。
「そうだ。そして、今一度行って貰わねばならんかも知れぬのだよ」
 トラフィムの手から、煙のように手紙が消えた。そうして、煙の向こうから紅い双眸がシオンを射抜く。
 それは既に、王の視線だった。
 数多の吸血鬼をまとめ上げた白き翼の王。その偉業は伝説に名を残す古今ありとあらゆる王達と比しても遜色あるまい。
 幻惑や魅惑の術を施してあるわけではない、ただの視線だ。だが、それがただの視線であるが故にこの吸血公は偉大な闇の王なのだろう。
「……何処へ、私を向かわせようと言うのです?」
 真祖の姫君が持つ純白の魅力とは明らかに異なる、シオンの全身を包み込もうとするこれは白い闇だった。まるであまりにも大きな白い翼によって覆い尽くされ生じたかのような闇。一寸の光をも通さぬそれが、何処までも深く広がっている。
 闇が口を開く。
 瞳と、口と。闇に生じた三つの紅は真夏の夜の悪夢、あのワラキアを連想させたが、白翼公の闇が抱く冷気は単純な恐怖や嫌悪感とは異なっていた。彼の言葉は強制ではない。だと言うのにこの闇に魅入られようとしているのは、自分もやはり闇であるからなのか……シオンには、わからない。
「――向かう先は、極東。混沌が死に絶え、蛇が輪を断ち切られ、ワラキアが退けられたあの島国へと、な」





◆    ◆    ◆






「白翼公は、私に何をさせたいのです?」
 広間を辞し、長い渡り廊下を並んで歩きながら、シオンはヴァン=フェムへそう訊ねた。老紳士の顔にははぐらかそうという意志すら見て取れない。だが、答えを告げる気も同様に見受けられなかった。この男の表情から何かを読みとれる人物がいるとすれば、それは他ならぬトラフィムただ一人であろう。そしてその逆もまた然りだろうからこそ、彼だけは知っているはずなのだ。白翼公の真意を。
「卿、貴方ならばご存じのはず。白翼公が何を考え、どう動くつもりなのか」
 魔城の主は何も答えない。ただ、黙って歩を進めるだけだ。
「教会と協会の介入を許し、両者が動かざるをえない状況を作り出したのはわかります。目的が黒の姫君との全面戦争なのかどうかはさておいたとして、しかし今の私はアトラスを動かす力など無い、ただの半端な吸血鬼モドキだ。そんな猪口才な錬金術師の小娘を一体どう使うつもり――」
「シオン」
 抑揚のない、温度のない声だった。だが、それだけで捲し立てるシオンを制するには充分すぎた。彼もまた魔王である。シオンとでは、役者が違いすぎる。
「君の推察で大方は当たっている。だが、一つ確実に外れているとすれば、君は自分を過小評価しすぎではないかね?」
「ですが……」
「私も、トラフィムも、君をワラキアの後継として祖に据える気はない。君にそのつもりがないことを知っているからだ。そのつもりがない者に重役を与える事は、組織だって行動する上で必ず破綻をきたす原因となる。だから、あくまで“一人の人間、シオン・エルトナム”に選ばせるつもりなのだ。そして我々は“シオン・エルトナム・アトラシア”でも“ワラキアの後継者”でもなく、その“一人の人間、シオン・エルトナム”を高く評価している。その事を、覚えておいて欲しい」
「……吸血鬼の祖の言葉とも思えませんね」
「我々も、所詮は元人間なのだよ。そして人間であった頃の目的のために永遠を求めている以上、人を超えることなど出来ぬのだし、超えることを望むわけにもいかぬのだ。そうでなければ、永遠を求める衝動が目的とすり替わってしまう。手段であったはずの永遠のために目的を見失って生き長らえるなど、哀しすぎるとは思わないかね?」
 それは、永遠を生きる者にのみ科せられた悲哀だった。千年を超えて生き続ける事がどれだけその魂を、精神を、摩耗させてしまうのか。
 何かしらの目的のために吸血の鬼と成り果てたはずが、その衝動に飲み込まれ、ただの魔となって朽ち果てていく……しかしそれこそが大半なのだ。己を見失うことなく生き続けている吸血鬼など果たしてどれだけいることか。
「人として生まれた以上、結局重要なのは一人の人間としての意志力なのだ。永劫を生きる肉体だろうと、その中身まではままならん」
 おそらくは多くの吸血鬼達が笑い飛ばすだろう言葉を、他でもない最古の祖が真摯に口にしている不思議に、だからこそシオンは深く理解した。
「我々は抗い続けるしかないのだよ。超えられない以上は、そうする他ないのだ。既に、始まってしまっているからには……」
「始まっている?」
 老紳士の目が、窓の外へと向けられた。生憎の空模様、切れ間一つ無い曇天に時折雷が蛇のようにのたうっている。もうすぐ雨になるだろう。
「そう、始まっているのだ。あの空は、既に絶望の巣窟となりかけているのやも知れぬ事を、覚えておくといい」





◆    ◆    ◆






 執務机に肘を乗せ、組んだ両手に形良い顎を預けながら、ナルバレックはようやく片づいた本日分の書類の束を鬱陶しげに見やった。いくらやり口が少々過激だからと言ってどうして自分がこのような窓一つ無いカビ臭い部屋に封印同然に押し込められていなければならないのか、それを考えると扉を吹き飛ばしたくなるのでどうにか頑張って他の事を考えるようにするのもそろそろ限界かも知れない。
「何やらとても物騒なことを考えている顔だね、お嬢さん」
「外は雨かしら、メレム」
 他の埋葬機関のメンバーや教会の上層部がメレム・ソロモンに望むことは唯一つ、この対化け物のリーサルウェポンたる女性の気を紛らわせる道化役であったが、最近ではその役をこなしきれているのかどうかどうにも怪しい。メレム自身も、ナルバレックは近々血を見ないことにはおさまりがつかないだろうと感じている。それも並大抵の相手では無意味だ。二十七祖クラスの化け物と命懸けの死闘を行い、その結果血祭りにあげて、ようやく彼女の退屈は解消される。なんとも厄介極まりないお姫様がいたものだ。
「窓もないし音も聞こえてこないこの地下で、よくわかるね」
「こんな場所でモグラのような生活をおくっていると、知覚がどんどん発達していく気がするのよ。湿度の変化と、後はそう……臭いね。それで天気くらいなら、何となくわかるようになってきたわ」
 それを聞いて、メレムはゲンナリと項垂れた。最近、より一層人間離れしてきたのではなかろうか。
「そんな顔をするものではなくてよ、道化師君? 貴方は私を愉しませなければならないと言うのに、最近ではどうにも立場が逆の気がしておもしろくないわ」
「かも知れないね。君を見ているとボクの方が愉しくなってくる」
「あらあら。それじゃ私、道化師の才能があるって事かしらね。此処を出てサーカスにでも入団しようかしら?」
「君が際どい衣装で空中ブランコやトランポリンをするのはすんごく見てみたい気がするけど、それをやると司祭達がみんな泡吹いてぶっ倒れちゃうよ」
「なら、ますますやってみたくなるわね」
 そう言って微笑むナルバレックへと、メレムは一通の手紙を差し出した。カラフルな封筒に包まれたそれを開けると、中からは可愛らしい筆跡の文書が現れる。
「リタから、島の報告書さ。シエルの魔術だと距離がちょっと遠すぎるからね」
「それはわざわざ申し訳ないわね。あとでロズィーアン嬢には何かお礼をしないと。お食事にでも誘うべきかしら?」
「礼もいいけど、君達が鉢合わせたらまず十中八九殺し合いに発展するだろうから直接会うのでなくて贈り物にでもしておいた方がいいよ、うん」
 もしくは、二人の性格からして共謀して自分を虐めにかかるかも知れないが、それは本当に勘弁だ。ごめんこうむりたい。
「リタは性格はイッちゃってるけど姑息な真似は嫌いだから、手紙の内容には間違いはないと思うよ。安心していい」
「そうね。信用させていただくとするわ」
 そう言って、目にかかる前髪を左手でたくし上げる仕草に、メレムは柄にもなく魅入ってしまった。こうして黙ってさえいればまったく極上の美女であるというのに、教会が言うところの神様という奴はつくづく底意地が悪い。
 手紙の内容に、ナルバレックはどんな顔をするだろうか。
 地球先住民説など、人間が猿から進化したことすら認められない連中にとってはこれ以上なく忌避すべき説である。故に教会はノンマルトの遺産を所持しつつも、それらは全て出所不明の神造アーティファクトであると言って憚らない。その論法ではノンマルトこそが神であると言っているようなものだとメレムは思うのだが、所詮は欺瞞に満ちた歴史の上に成り立つ信仰と組織だ。さしたる問題でもないのだろう。要は認めさえしなければいいのだから。
 こういう時、聖堂教会というやつは道化を飼うにこれ以上なく相応しい組織だと心底思う。そんなことを考えていると、一通り手紙を読み終わったのか、ナルバレックが突然顔を勢いよく上げた。
「……く、くくぷ……ぶはっ!!」
「え!? なにそれ? 笑ってるの!?」
 何やら形容しがたい表情と口から漏れ出た奇妙な音に、流石のメレムも度肝を抜かれる。
「ええ、勿論。おもしろい、最高におもしろい展開になりつつあるわ」
 パッと見いつもと変わらないようでありながら、まるで必死に喜びを堪えている童女のような貌は、凄く愉しそうだ。
「埋葬機関、久しぶりに全開で暴れさせることが出来そうね」
「なにさ。世界を焼き尽くす日でも来たって言うのかい?」
「言い得て妙ね、メレム。そうかも知れないわよ?」
「……へ?」
 ナルバレックの長身が立ち上がり、メレムの小柄な身体を力強く引き寄せる。
「さて、こうなったらいつまでもこんなところに籠もっているわけにもいかないわ。行くわよ、メレム」
「い、行くって、何処にさ?」
「決まっているでしょう? 白翼公の城よ」
 さも当然、何を言っているのだコイツはとでも言いたげに告げられた目的地に、メレムは今度こそ絶句した。
 言葉もないピーターパンの腕にスルリと自分の腕を絡ませ、ナルバレックはぐんぐん引っ張っていく。二人の身長差は頭二つ分程もあるため、それは見た目にひどく不格好なカップルだった。
「……ちょ、本気なのかいナルバレック!?」
 ようやく我に返ったメレムの絶叫も果たして何の意味も持たない。
「そうね。確かに手ぶらで行くのも失礼だし、手土産くらいは用意していくわ」
「手土産?」
 言われて初めて、メレムは自分と組まれた左腕と逆、彼女の右手が一枚の書類を携えていることに気が付いた。
「その書類って……」
「防衛軍からの協力要請よ。昨日付けで、聖堂教会はコレに記された謎の巨大怪鳥を我らが敵であると認定したわ」
「いや、それは知ってるけど、なんでそれが手土産に……」
 世界各地で被害が相次ぐ巨大な怪鳥――その鳴き声からこれを“ギャオス”と命名――が吸血、食人を行う人類の害敵として認定され、埋葬機関にもその討伐命令が下ったことは知っていたが、それがどうして今回の件に関係があるのかがわからない。
 しかしそんなメレムの困惑など意にも介さないのがナルバレックである。
「白翼公が倒したがってるからよ」
 事も無げにそう言うと、結界の張られた分厚い扉を強引に開け放ち、埋葬機関の首領は地上へと続く長い螺旋階段を早足で上り始めた。






◆    ◆    ◆






「一つ、君に聞いておきたい」
 それぞれの研究施設へと向かう別れ際、ヴァン=フェムは不意にシオンを引き止めた。
「なんです?」
「自分の思い通りに育たなかったからと言って我が子を殺そうとする親……君は、そんな親を許せるかね?」
 あまりにも突然の質問だった。まったく意図が見えてこない。
「……何かの、例え話ですか?」
 だから、シオンがそう聞き返してしまったのも無理はなかった。今日だけでなく、ここ最近二人が交わしたあらゆる会話の記憶を遡り、この質問との関連性を探ってみてもやはりどうしてもわからない。
 ヴァン=フェムは、そんな真面目すぎるシオンに口元を弛めると、
「純粋に――感じたまま答えてもらいたい」
 そう言って、顎髭を撫ぜた。
 どうやら言葉通りに受け取っていいものらしいことがわかると、シオンは今度は特に悩むでもなくスッと息を吸い、
「許せるはずがありませんね。度し難い愚行です」
 思った通り、感じた通りに答えた。
 当たり前である。一般論としても、シオンがこれまでに培ってきた観念からしてみても、許容出来る行為ではなかった。或いは徹底して根源を目指そうとする魔術師の家系であれば有り得るかも知れない話ではあったが、感情的にそれを許せる者はけして多くはないだろう。
「それに、やがて親を越えいくのが子の務めでしょう?」
 己の在り方に疑問を持ち、アトラスを捨てたシオンからすれば、魔術師の親子関係もまた奇異なのである。根源への到達を後継へと託すのであれば、縛るのではなくただ委ねればいいのだ。そうしない因習が現在の魔術師の限界となっていることに、しかし気付かない愚かさは見ていて哀れにすら思えてくる。
「そうだな。そう言える君だからこそ、私は我が子として迎え入れたかった。これは祖としてでも、財界の魔王としての弁でもない、本心からだよ」
 そう言うと、老紳士はこれまで海千山千の老獪な傑物達と戦ってきたであろう顔におそらくはそういった連中が思いもつかないだろう屈託のない笑みを浮かべ、シオンに別れを告げると、ステッキが床を叩く音を軽快に響かせながら廊下の向こうへ消えていった。
 ヴァン=フェムが見えなくなるまで見送ったシオンは、やがて再び窓から空を見上げると、雨に煙る景色に遥か遠く、東の地を見出そうとして、やがて苦笑した。どんなに正確に方角を割り出そうとも、それはあまりにも遠い。
 その遠さが、むしろ心に染み入るのだ。
 白翼公があの国で自分に何をさせるつもりなのかはわからない。それでも、もう一度行ってみたいと思った。今の自分の原点は、間違いなくあの国。あの優しい死神の少年との出逢いにあるのだから。
「……だからヴァン=フェム卿。私が素直にそう言えるようになったのも、あの日本で過ごした一夏のおかげなのですよ」
 自分へとあてがわれた研究室へ足を向けながら、シオンはそっと、そう呟いたのだった。











〜to be Continued〜






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