episode-07
〜第二種警戒体制〜


◆    ◆    ◆






 第二種警戒体制

 Gの活動が声、動きなど
 物理的に確認された場合





◆    ◆    ◆






「馬鹿なっ! そんな事が……」
「馬鹿なも何もありません。事実です。先程、政府から正式に遠野グループに協力要請がありました」
 久我峰の絶叫に対し、秋葉は心底嬉しそうに、しかし冷然とそう言い放った。秋葉の背後ではいつものように琥珀が笑みを称え、普段と同様の無表情ながら翡翠もどことなく喜色めいている。
「それに際し、受け取ったこの『巨大生物研究報告書』……素人の私にもわかりやすくまとめられていて、とても親切な出来だったわ。特に、生体例の項目。これまで人類が採取した特殊生物の生体が詳しく記されていて……驚きね」
 ペラペラと、しおりが挟んであるにも関わらずわざとらしくページを捲る。
 久我峰は生きた心地がしなかった。腹で考える男、日本有数の実業家であれど、怖いものは怖い。遠野家に流れる異能の血、その濃さは自分とは比較にならない濃さだ。異能としての力を僅かに有するだけの久我峰にも、秋葉が持つ力の強大さはわかる。わかると言うより、見えると言った方が正しいかも知れない。
 今の久我峰の目には、遠野秋葉は世間知らずの小娘ではなく、赤髪の鬼神として映っていた。
「婆羅陀巍山神は遠野にとって不可侵の存在。祭事の時以外はかの霧深い湖に近付くことも許されていないことは……わかっていたはずね、久我峰斗波」
 そして、そのページが開かれた。
 婆羅陀巍山神――バラノポーダことバラン――の生体が克明に記されたページが、久我峰の眼前に突き出される。
「貴方と……ヴァンデルシュターム財団が数年前から接触を持っていたことは確認済みです。……これ以上は、わかっているわね?」
 久我峰の丸い顔が憤怒に歪む。
 切り捨てられたのだ。他でもない、ヴァン=フェムに。
 今の久我峰には、自分がヴァン=フェムを欺きある事を企んでいたことなど頭にはない。自分が先に裏切ったからどうだとか、そんな事はどうでもいいのだ。自分が裏切られた、全てはそこに尽きるのである。
「暫く謹慎を命じます。頭を……いいえ、貴方の場合、お腹かしら? 冷やして反省なさい」
 そう言うと、秋葉は視線で退室を促した。
 翡翠が静かに扉を開ける。
 久我峰には、黙って退室する以外には何も出来なかった。



「……馬鹿な男。ヴァンデルシュタームとでは、役者が違いすぎるというのに」
 報告書と、日本政府からの依頼書を交互に見やりながら、秋葉はそう呟いた。
 久我峰は退きどころを見誤った。自分の器を、限界を正しく見極めてさえいればこのような呆気ない破滅は避けられただろうに。
 これで終わる男とも思えなかったが、当面は静かにしているはずだ。認めるのは癪だが、あれでなかなか聡明な男である。ヴァンデルシュタームと遠野、双方を敵に回すなどと言う愚行は冒さないだろう。
「それで、秋葉さま。政府には何と?」
「……協力するわ。防衛軍だけでなく、教会と協会、さらには欧州の吸血鬼までが一緒くたに人類存亡の危機なんて言ってるからには、信じないわけにはいかないでしょう?」
 遠野家だけでなく、おそらくは日本の各退魔組織、それに異能の家系もほとんどは協力するだろう。まだこの国ではギャオスの被害はそれ程でもないが、かといって放っておける規模でもない。国を守るなどと言う使命を持った覚えはないが、だからといって黙って喰い殺されるのを待つだけなど論外だった。
「あ、それと、甲神島の洞窟の件ですけどー」
「ああ、それもあったわね。丁度いいわ。大島の様子を見に行くついでに寄ってみましょう。……他に誰もいないからと言って、面倒を押しつけられたものね」
 もう一つの面倒事を思い出し、秋葉は溜息を吐いた。本来なら管轄外の問題なのだが、そうも言ってられない事情がある。まったく、当主などやるものではないとつくづく思う。
 そう言った面倒とは無縁に生きている、けれど愛しい兄の顔を思い浮かべながら、秋葉は報告書を閉じ、執務机の上に置いた。
 ――手伝ってくれるくらい、いいだろうに――
 そう思いはしても、彼女の意地っ張りな部分が兄に頼り、甘えようとする事を許さない。もっとも、彼女の兄はまったく平々凡々と生きてきた男であるためいざ手伝わせようにも役に立たないに違いないのだが。
「……それで、兄さんは今日も?」
「はい。志貴さまはアルクェイド様のお宅へ行かれました」
 いつも通りの能面に、しかし僅かに悲しげな色を宿して翡翠が答える。そのわかりきっていた答えに、秋葉の形良い唇から再び溜息が漏れ出る。
「あのあーぱー吸血鬼が“風邪”だなんて、本当に世界の最後かも知れないわね」
 果たして吸血鬼が、それも真祖の姫君であるところのアルクェイド・ブリュンスタッドが風邪などひくのか甚だ疑問ではあったが、事実として彼女は数日前から熱を出して寝込んでしまっている。
 秋葉の兄であり、アルクェイドの恋人(秋葉は頑として認めていないが)である遠野志貴は、そんなわけでここ数日つきっきりで彼女の看病へとあたっていた。
「……まぁ、風邪の時くらい、仕方ないとは思うけど……」
 一度は置いた資料を再び手に取り、ろくに目も通さずペラペラ捲りながらブツブツと呟く秋葉に、
「あははー。大丈夫ですよ。秋葉さまが風邪の時も、志貴さんはきっとつきっきりで看病してくださいますから」
 そう言って、琥珀はいつにも増してニッコリと優しく微笑んだのだった。





◆    ◆    ◆






 防衛庁の会議室には、内閣官房長官を始め、防衛庁長官、国土庁長官、海上保安庁長官、陸海空、そして特自それぞれの幕僚長という錚々たる顔ぶれが集っていた。
「ご存じの通り、先日、ゴジラのものと思われる影を三原山火口内に捉えることに成功しました。そこで警戒体制も第二種に移行したわけですが、我々は現在活発化する火口内で覚醒寸前のゴジラを目覚めさせ、これを確実に抹殺する必要があります。一日も、早く」
 そう青年が告げると、室内正面に備え付けられた大型モニターに巨大な黒い影が映し出される。まさしく、ゴジラの影だった。その映像に、場に集った全員が各々唸る。ある者は腕を組み、ある者は顎に手をあてて、画面に見入っていた。
「しかし黒木君、一日も早くと言うが……相手はゴジラだ。確実に倒せるという保証もない以上、準備はもっと入念に行う必要があるのではないかね?」
 そう問われ、青年――防衛庁特殊戦略作戦室室長、黒木翔特佐は苦虫を噛み潰したいのを何とか耐えた。一刻も早くゴジラを抹殺してしまわなければ人類そのものが滅ぼされかねないと言うのに、今さら何を言うのだろう。
 やはり、彼らにも直接彼女達の声を聞かせるべきではないのかと思い黒木は後ろに立つ権藤を見たが、彼は黙って首を横に振るだけだった。
 ゴジラとギャオス襲来の関連性、及び人類の存亡など、勿論黒木も最初は半信半疑だった。だが、権藤と共に“コスモス”と名乗る二人の小美人の話を直に聞いた今となっては、信じる以外にはないと思っている。
 彼女達の姿を見、その声を直接聞けば事態がどれだけ切迫しているかは誰もが理解出来るはずなのだ。だが、彼女達はそれをよしとしなかった。黒木や権藤は政治とは無縁の、それこそただゴジラと戦い、これを倒すだけの人間だ。だが、今日この場に集った人々は違う。彼らにコスモスの、地球先史文明の姿を明かすことが、後にどのような影響となって現れるかは想像もつかない。
 それこそ“現行の人類を守る”には、ヴァンデルシュタームという権力と根回し、自分達前戦で戦う者達からの進言で動かす以外にはないのである。
「確かに保証はありません。しかし、お手元の資料で戦力的には充分すぎる事はおわかりかいただけると思います」
 そう言って、黒木はG対策要綱を掲げて見せた。先日までのものに、さらにヴァン=フェムの魔城の説明などが追加されている。
「だが、しかしねぇ……」
 それでも渋る連中に、さてどう納得させたものかと考えつつ、黒木と権藤は既に準備を進めているであろうシオンやコスモス、世界中で猛威を奮っているギャオスの群れ、そして自分達の怨敵、ゴジラの事を思い浮かべた。
 自分達に残された時間が、果たしてあとどのくらいなのか。
 答えてくれる者は、誰もいなかった。





◆    ◆    ◆






 病み上がりの身にまったく酷な命をくだしてくれたものだと、リタはウンザリしながらピンク色の日傘――トゥインクル☆スターライト――を引き抜いた。途端、焼け焦げた表層部が崩れ落ち、レア状態の中身から鼻を突く異臭が込み上げてくる。
「……本当、なんてニオイでしょう。今日は帰ったらシャワーだけでなくゆったりと湯船に浸かりたいですわ」
 吐き捨てるように、けれど下品にはならない程度にそう言って、彼女は日傘に着いた怪鳥の体液と肉片を振るい落とした。前十五位の祖であった彼女の父が、生前コレクションしていた魔剣の一刀(名だたる立派な銘があったはずなのだが、彼女はそれをすっかり忘れてしまっていた。と言うより自分が名付けた名前を心底気に入っているので気にしていない)を改造したこのドぎついピンク色の日傘にかかれば、体長十メートル位までの相手なら労せず斬突で倒すことも出来る。今回の相手、フランスのとある片田舎に現れた小型のギャオス数体程度であれば、病み上がりと言えどリタは充分すぎる戦力であった。
「ご苦労様です。町で一番のホテルに部屋を取ってありますので、ごゆっくりお休みください」
 随行していた防衛軍の士官が、そう言って恭しく頭を下げる。町一番も何もこの町にはホテルなんて三軒しかないのだが、まぁ彼が言うところの町一番のホテルとやらは此処に来る途中見た感じでは古いながらも趣のある宿のように見受けられたので、悪い気はしなかった。
 美味い料理と清潔なベッド、そしてゆったりとくつろげる浴室さえあればいい。
 贅沢を言えばフタナリ美少女の鮮血でも啜りたい気分だったが、どうにもリタが好むその手の人材というのは年を経るにつれ減少傾向にあるので、最近はすっかりご無沙汰だった。まったく、生まれたままの姿を善しとせずに手術で取っ払ってしまうなど雅に欠ける。おもしろくない。
 トラフィムが用意してくれているであろう最高級の輸血パックで我慢というのも、もう慣れたことだが言うなればそれは必要な栄養分を錠剤で摂取しているようなものである。とてもよろしくないことだ。
「それにしてもお腹が空きましたわ」
「この辺は羊や鴨が美味しいらしいですよ」
「ああ、そう言えば二、三軒、軒下に鴨を吊してあるのが見えましたわね。水と空気も綺麗ですし、わたくし、フランスの田舎って好きですわ」
 あの暑苦しい南海、インファント島の密林とは大違いだ。あっちはあっちで偉大な大自然というものを感じ取ることが出来たが、どちらかと言えば今目にしているのどかな風景の方が好ましい。万事につけて悪趣味なようで、リタはこのように基本的な部分では素朴を愛する情感も持ち合わせている。
 料理にしてみても、期待出来そうだ。なまじ贅を凝らした食事というのは、数百年、数千年を生きる祖としては些か飽きがきてしまっていけない。
 吸血鬼の祖ともなれば、血を除き、それ以外は日々を豪奢な美酒美食で過ごしていると思われがちだが、そんなもの、百年どころかせいぜい十日も続ければいっぱいいっぱい、すぐ飽きてしまう。そして、食事という重要な欲求に飽きるというのは不老の者にとって精神の死活問題なのである。対して、こういった地方それぞれの田舎料理というのは、派手さはないが、美味い。
 問題はクリームだ。リタは料理にこれでもかと言うくらいバターとクリームをブチ込むフランス料理の技法がどうにも好きになれないのだが、見たところこの辺は牧牛はそれほど盛んではない様子なのでひとまず安心してよいだろう。
 それにしてもいい天気だ。都会の喧噪とはまるで違う、小鳥の囀りに牧羊の鳴き声。キャンバスを広げて絵筆を舞わせたい気分になってくる。
 もっとも、それで描き上がるのは素朴でも何でもない、超のつく前衛的大芸術作品なわけだが……
「こんなに静かな場所ですのに、この怪鳥共ときたら本当に見境がありませんわね」
「まったくです。しかも出現場所には何一つ共通点が無いときている」
 とは言え人類をただ滅ぼすのが目的であるならそれも当然か。今回はたまたま近くの山間部にリタとスミレが中型のギャオス駆除のために赴いて来ており、その帰りにリタがこうして直行したおかげでこの小さな町は十数人程度の被害者を出すにとどまっていたが、世界中で頻発するギャオス襲来による被害者の総数は既に数万人に達しようとしていた。
 突然どこからともなく現れては、無作為に人を食い殺す怪獣、ギャオス。
 そのほとんどは十メートル前後の小型、三十メートル前後の中型ばかりで、五十メートルを超える大型はまだ二匹程しか確認されていない。うち一匹はかの殺人狂、ナルバレックがトラフィムへの土産代わりに仕留め、もう一匹はヴァン=フェムの誇る第六魔城、『黄金龍』ナースが撃破している。





◆    ◆    ◆











◆    ◆    ◆






 小型は防衛軍の小隊規模でも充分に対処出来るが、中型以上となると大部隊をくり出さねばならず、現状、トラフィム一派と埋葬機関、そして魔術協会の戦闘専門部署は主に中型ギャオスを狩るために東奔西走していた。それもこれも、防衛軍の戦力は今後のために出来る限り温存しておきたいがためだ。本命の御登場前にギャオス退治で戦力を磨り減らされてしまうのが、目下最大の注意点である。
 しかし戦力的にはこちらも相当苦しいのだ。
 例えばシエルやバゼットはまだ傷が癒えていないし、対怪獣用としては最大級の戦力であるヴァン=フェムの魔城も第四と第五はいまだ欠番。第一と第二はシオンに預けて日本に送ってしまってあるし、第三は来るべき決戦に備え改修中。よって、現在は第六と第七しか動かせないときている。
 つい先日土手っ腹に大穴を空けられたばかりだというのに、病み上がりのリタがこうして駆り出されているのも、そのためなのである。
「大尉ーっ!」
 その時、肥沃な牧場の向こうから、防衛軍の兵士が息を切らせて走ってくるのが見えた。どうやら、何事かあったらしい。
「どうした、何かあったか?」
「は、はい! ……それが」
「まさかまたギャオスですの? いくらなんでももう面倒は見切れませんわよ……」
 流石にこれ以上はオーバーワークもいいところだ。
 だが、兵士は首を必死の形相で振ると、
「ギャオスはギャオスでも、ギャオスの死骸が! ここから南西に約二十キロ離れた湖の付近で、確認されているだけでも、五匹です!」
 そう、捲し立てた。
「……五匹も? 湖の近くという事は、スミレがやったのではありませんの?」
「いえ、ミス・スミレは現在ドイツで目撃情報のあった場所へ急行中であります」
 となると、湖とは逆方向だ。
 では埋葬機関、もしくは魔術協会の誰かだろうか?
「五匹は、全て小型と中型?」
「……どうやら、大型が二匹含まれていたようです」
「ッ! ……本当、ですの?」
 俄には信じられない。
 大型、要するに五十メートルを超えるサイズのギャオスの戦闘力は、リタとスミレが全能力を解放し、二人がかりでようやく倒せるか倒せないかというレベルのはずだ。事実、あのナルバレックでさえも少しばかりメレムの手を借りたという話だし、空戦能力では魔城随一の黄金龍ナースも相当の苦戦を強いられたと聞く。
 その大型ギャオスを含む群れを倒して除けるなど、何者の仕業か見当もつかなかった。少なくとも埋葬機関ではないだろうし、魔術協会にもそんな隠し球がいるなんて話は聞いたことがない。
「……食事とお風呂は、もう少し我慢しなければいけないようですわね」
 こうなっては、仕方あるまい。何よりも、他ならぬリタ自身が何者の所業なのかを確認したくて仕方なくなってしまったのだから。
 さしあたって魔術で身体にまとわりついた汚れを落とし、手早くごっちゃりとした衣を正すと、リタは足早に迎えの車へと歩を進めた。



 最初、リタにはそれが果たして何であるかわからなかった。
 その滅茶苦茶に刻まれ、大部分を焼き尽くされた肉片がギャオスであることがわかったのは、偏にあの鼻を突く異臭のおかげだ。あの臭いが無ければ、この醜悪極まりないミンチからあの怪獣の姿を思い浮かべるのは不可能だったろう。
「……凄絶、の一言に尽きますわね」
 まさに、完膚無きまでに、バラバラだ。それも、どうやら剣の類で切り刻んだものではない。かといって力任せに引き千切ったのとも違う。
 抉られている。
 抉り、削り、粉砕されている。
 この破壊は、おそらく……
「回転型の、何か……要するに、ドリルですわね。ドリルのようなものでメタメタにブチ撒けられた後、御丁寧に凄まじい高熱で焼き上げられてますわ」
 それがリタ・ロズィーアンの見立てだった。
 口からは切れ味抜群の超音波メスを吐き出し、鋭い爪で獲物を引き裂く、翼は音の壁を破り衝撃波を放つギャオスが、ドリルで虐殺されたのだ。しかも念の入ったことに、トドメと呼ぶのはあまりにも凄惨に焼滅させられている。
 これは、憎悪などが為せる業ではない。どちらかと言えば、恐怖から、その感覚を振り払うために行われた残虐とでも言うべきか。
「一体、何者が……」
 そう呟いた防衛軍大尉の足下に、リタは黒光りする何かの破片を見つけた。
「ちょっと、それは……」
「なんでしょうね? 鉄じゃないようですが……何かの、これはまるで昆虫の外皮みたいだ」
 拾い上げ、大尉が不思議そうにつまんでみせる。
「急いで鑑識に回してみます」
「そう、ですわね」
 不安、と言っていいものだろうか。
 何やら言いようのない感覚が胸にわきたつのを、リタは感じていた。





◆    ◆    ◆






「なるほど。派手に空いたものね」
 岸壁にポッカリと空いた穴を覗き込み、秋葉は溜息を吐いた。動きやすいようにと編まれた長い髪が、動作毎に揺れる様が可愛らしい。
「あ、秋葉さま、翡翠ちゃん、床が滑りそうですから気をつけてくださいよー、よ、よっはっ! とっとー!」
「姉さん!」
 転びそうになった琥珀を両脇から支えた秋葉と翡翠は、厚手のジャケットにカーゴパンツという普段とはかけ離れたスタイルであるというのに、何故か彼女だけはいつもと同様の割烹着姿をしていた。違う点があるとすれば、竹箒の代わりにこれまた何故か登山用の杖を持ってきていることくらいだ。
「……だからあれ程動きやすい格好にしなさいと言ったのに」
「あははー。面目ありません。着慣れた服の方が動きやすいかと思ったんですけれど」
 翡翠は知っていた。姉にとってはこの割烹着の方が色々と都合がいいのだ。ものを隠す場所などまったく無いようでありながら、一体何処に仕込んでいるものかそこかしこに怪しげな薬品類が仕込まれているのである。それも大量に。
「姉さん、ほら、こっちは歩きやすいから……」
「ありがとう、翡翠ちゃん」
 甲神島は、元々とある海魔と人間の混血が住み暮らしてきた島である。その歴史は古く、もっとも魔の血を色濃く残す主家、甲上家が中心となり、かつて海魔が奉じていたという四聖獣の玄武を祀ってひっそりと生きてきた。
 二百年程前、遠野家から一人の娘が甲上へ嫁いだ事があるらしいのだが、外部との交流が極端に少ないこの島、特に甲上の血筋が絶えてしまった今、親戚と呼べるのはその遠野くらいしかいなかったらしい。
 どう考えても位置的に管轄外だというのに、秋葉がこの甲神を一時的に管理する羽目になったのには、そんな理由があったのだった。
「古い文献によれば、甲神島の地下には玄武を祀る神殿がそのまま埋もれてしまっているらしいけれど……」
 なるほど、この異様な広さからすれば地下神殿くらいまるまる埋もれていても不思議ではないよう思える。ここに来る前に、今は住む者のいなくなった甲上家の屋敷を見てきたが、そこの書斎でも地下神殿に関する文献を見つけたことだし、まず間違いなく存在しているのだろう。
 問題は、何故神殿が丸ごと埋もれてしまったのか、だ。
 単純に地震などによるものなら兎も角、例えば何かしら強大な存在を封印するために故意に神殿ごと埋めた、とか言う場合、放っておく訳にもいかない。もう一度早々に封印し直し穴を塞いでしまう必要がある。
 だと言うのにその肝心なところだけ、遠野の文献にも、甲上の文献にも記載されていなかった。『玄武が眠る』とあったが、まさか本物の四聖獣が封印されているなどと言うこともあるまい。もしそうなら、裏世界の一大事だ。
「翡翠、灯りを」
「はい」
 大きめの懐中電灯で照らした先、洞窟は相当深く、奥も広いようだ。危険な気配は感じないが、もし何かありそうなら琥珀と翡翠を連れて行くわけにもいかない。秋葉一人ならある程度の危難を切り抜ける自信はあったが、二人が一緒となればそうもいかなくなってくる。
「……私一人で行くしかないかしらね」
「いーえ、此処まで来たからにはついていきますよー」
 あっけらかんと言うが、どうやら本気でついてくる気らしい。翡翠も姉の言葉にコクリと頷いている。
 確かに琥珀が一緒というのは力強い面もある。彼女はこう見えて動植物を問わずあらゆる生物学、地質学、さらには各種工学に精通する才媛である。これは秋葉の父、遠野槙久が遺した正負の遺産のうち、正の遺産と言えるだろう。
 幼少時、琥珀の天才を見抜いた槙久は将来の展望として彼女にあらゆる英才教育を施した。その教育自体は槙久が明確に精神に異常をきたして後も続けられ、結果として今の彼女がある。その天才、タタリの影響下だったとは言え自律型ロボット兵器『メカヒスイ』などという冗談紛いのものを開発、完成させた程であるから侮れない。
 紅赤朱としての戦闘能力を除けば、秋葉はあくまでただの一女子高生だ。謎多き地下洞窟に挑むには不安も大きい。その点、琥珀の知識があれば探索も容易に進められるのだが……
「……琥珀、貴女の感応能力で私に知識だけ共有させるという手は……」
「うーん。私から離れた瞬間から効果は無くなりますから、数百メートルも進んだ頃には多分なーんにも覚えてないと思いますよ」
「……遠距離感応能力とか使えないわけ?」
「あははー。使えるものなら普段からもっとバンバン使ってますよ。まぁ、確かに最近私も翡翠ちゃんも妙に調子がいいですから、もしかしたら使えるかも知れませんけど保証は出来ませんね」
 さて。困ったものだ。かといって割烹着で進むにはこの洞窟は険しすぎる。
 と、その時。
「秋葉さま、姉さん」
「それじゃトランシーバーで逐一連絡を……どうしたの? 翡翠」
「それだと正確な状況把握は無理ですよ……どうかした? 翡翠ちゃん」
 二人があーだこーだと言い合っている間、黙って洞窟の奥を見続けていた翡翠が静かに暗闇を指差していた。
「……人が」
「は?」
「え?」
 翡翠の白く細い指が示す先、琥珀程ではないにしろおよそこの場には似つかわしくない、黒いスーツ姿の男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「おや? もしかして、島の人かい? もう全員避難したかと思っていたんだが」
 長身痩躯、幽鬼のような顔つきに黒い長髪。何やら薄気味の悪い男だ。
「いえ、この島の住人ではなく、その、何と言いますか……この洞窟の管理を任されている者なのですけれど」
「おや、そいつはすまない事を……実はこの島の玄武伝説に興味があってね。勝手に調べさせてもらった。申し訳ない」
 何者かはわからないが、単に悪人、というわけでもないらしい。秋葉が男を見定めようとしていると、横から琥珀がジャケットの裾を引っ張り小声で話しかけてきた。
「秋葉さま」
「なに?」
「どうやらこの方は洞窟を探索中のようですし、中の様子を訊いてみては?」
 得体の知れない男を頼るというのはどうにも憚られたが、琥珀がそう言うからには何か理由があるのかも知れない。
「琥珀、貴女、この方を知ってるの?」
「……まぁ、以前少し見かけただけなので自信はないんですが」
 二人がコソコソと話し込んでいる間、男は翡翠が水筒に用意していたお茶を一杯いただくと、美味そうにそれを飲み干した。
「ありがとう、お嬢さん」
「……いえ」
 けして愛想のいい礼ではなかったが、翡翠は男性が苦手なはずの自分がこの男に対して別段嫌悪感のようなものを抱いていない事に気がついていた。
 こういう時の彼女の勘は概ね正しい。まったく根拠など無いのだが、
(この人……いい人だ)
 そう思うのである。
「それで、貴女が此処の管理人なら少し頼みがあるんだが」
 不意に男から話を振られ、秋葉は琥珀とのやりとりを中断し向き直った。
「なんでしょう?」
「いや、なに。引き続き此処を調査する許可をいただきたいのさ」
 さて、どうしたものだろう。琥珀は『そうした方がいいですよー』とばかりに視線を送ってくるが、まだ彼が何者なのかがわからない。旧き血に連なる遠野の当主として、果たして許したものかどうか。
 悩みつつ、不意に翡翠へと目をやった秋葉は、彼女が微かに頷くのが見えた。まったく奇妙なことだが、彼女も姉と同様男の洞窟調査に賛成らしい。
 暫く考え込んだ後、秋葉は仕方なくコクリと頷いた。
「ええ、構いません。実は私も管理を請け負ってはいるものの、少々事情があって此処に何があるのか調べに来たものですから。調査をしていただけるとなればむしろ助かります」
「なるほど。では、調査結果は逐次報告ということで」
「はい。お願いします。ですが、知っての通り伊豆諸島一帯は現在危険な状態にありますから、その事は……」
「承知の上ですよ。それに、いつまた此処が埋もれてしまうかもわからない」
 そこで秋葉は再び考え込んだ。政府から協力を要請された、ゴジラ撃滅作戦。準備に時間がかかっているためかまだ正確な日時は決まりかねているようだが、その実行も近い。となれば調査にも期限をもうけるべきなのだが……
「それじゃあ、まずここ数日洞窟内を探索して見つけたものを幾つかお見せしたいんだが……」
「あ、本当ですかー? 気になりますねぇ」
 秋葉が考え込んでいる内に、男は琥珀と翡翠の前に洞窟内で見つけた何かの道具らしきものと、奥にあったという壁画を写したデジカメの画像を広げだした。道具の方は、器の欠片だったり棒状のものだったり、素人である秋葉と翡翠にはチンプンカンプンだったが、琥珀は男の説明を聞きながらしきりに頷いている。その会話も専門用語ばかりで二人はほとんど理解出来なかった。





◆    ◆    ◆











◆    ◆    ◆






「あれ、でもこの壁画、妙ですね」
「ふむ。わかるかね?」
 一頻り道具類を見終わった琥珀は、デジカメの画像に首を傾げた。
「? 何かおかしいことでもあるの?」
 だが、秋葉には何がおかしいのかわからない。翡翠も同様のようだ。
「ええ。この壁画……どうやら玄武のようなんですけど、秋葉さまは有名な高松塚古墳の玄武壁画を見たことはありませんか?」
「……確か、歴史の教科書に載っていたような……」
 見たことがある気もするのだが、どうにも自信がない。そこで、琥珀は取り敢えずその説明から始めることにした。
「高松塚古墳のものもそうですが、一般的に知られている玄武というのは胴体部が亀で、そこから長い首……龍のような頭部が突き出し、蛇の姿をした長い尻尾が口許まで伸びていたり、もしくは銜えているんですよ」
 なるほど。そう言われてみれば、その絵自体は見た気がする。映像もなんとなく頭に浮かんできた。
「その事を踏まえて、この画像をよく見てください」
 そう言われ、改めてデジカメの画面を覗き込む。そこに映っていたのは、確かに亀の姿だった。だが、首は短く、尻尾も蛇の形などしていない。後ろ足で立ち上がった巨大な亀らしき生物の姿が描かれていた。
「確かに、おかしいわね。でも、この島が祀っていたのは確かに玄武のはずだし、この絵も一応亀であることに違いはないわ。単に地域的な差異ではないの?」
 秋葉の問いに、今度は男が答えた。
「仮にそうだとしても、二本足で立っているというのがどうにも解せないんだ。普通、二本足で立つ亀なんていないだろう?」
 なるほど、道理だ。玄武を簡易的に亀で表したのだとしても、二本足で立たせる必要はない。
 おかしな事もあったものだと、秋葉はもう一度道具類へと目をやった。やはり何が何やらわからないものばかりだ。となれば、ここは男に任せて一旦引き上げるしかないか、と考えた時、それが視界に飛び込んできた。
「……これは、勾玉?」
「ああ、それも奥で見つけたんだが……どうにも奇妙なシロモノでね。材質がよくわからないんだ」
「緑色ですけど……ヒスイ……あ、翡翠ちゃんじゃないのよ? ――ヒスイや青メノウとは違いますねー」
 琥珀も、はて、と頭を捻る。
 秋葉は何故かその吸い込まれるような深緑の勾玉が気になった。手に持ってみると、まるで生きているかのような、温度や脈動すら感じる気がする。
「……これ、私が預かっていても構いませんか?」
「ああ、それは別に構わないが」
 男がそう言うや、秋葉は再び勾玉へと視線を戻すと食い入るようにジッと見つめた。あまりにも美しく、深い、緑。
 翡翠もまた、勾玉に何か奇妙な力のようなものを感じていた。他の道具は兎も角、この勾玉は特殊なものだ。身体に流れる異能の血が、そう知らせている。
 急に黙り込んでしまった一行を前に、男はどうしたものかと逡巡し、そこで自分がまだ名乗っていないこと、彼女達の名前も聞いていないことにようやく思い至ると、埃を軽く手で払い落とし、
「申し遅れたが、私は稗田礼二郎。一応、考古学者のようなことをしている者さ」
 そう名乗った。
「あ、やっぱり稗田先生だったんですね。以前大学の方でお見かけした事がありましたから、そうじゃないかなーって思ってたんですよー。お会い出来て光栄です。先生の発表なさった論文、興味深く読ませて頂きました」
 やはり、琥珀は稗田のことを知っていたらしい。槙久は彼女の教育のために、その筋では一流の教授達に学ばせていた。その時の縁で琥珀は今でも時折様々な大学に出かけていっては、たまに講師の真似事までしてくるようなのだが、どうやらその時彼を見かけたことがあるらしい。
「こちらこそ、申し遅れました。私は遠野。遠野秋葉。この二人は当家の使用人で、琥珀と翡翠と申します」
 秋葉がそう言って頭を下げると、琥珀は笑顔で、翡翠は無表情のまま、それぞれ頭を下げる。
 かくして随分と遅い挨拶を終え、稗田は壁画に関する説明を再開したのだった。





◆    ◆    ◆






 防衛庁会議室で黒木が古狸共を相手に熱弁を振るい、フランスでリタが謎のギャオスの虐殺死体を目にし、甲神島で秋葉達が稗田と邂逅していた頃、聖堂教会では激震が走っていた。
「それは……確かなのか!?」
 通信を受けた若い代行者の声が、驚愕に震えている。
 信じられない報告だった。おそらく、報告を受けたのが彼ではなく経験を積んだ司祭であっても反応は同じであったろう。
「……間違い、無いんだな?」

『ま、間違いない! 壊滅だ! 南米に向かったギャオス討伐隊は壊滅! 生き残ったのは俺を含めて三人! 埋葬機関の二人も、殺された!!』

 南米にて、小型、中型のギャオスが相当数確認された事で聖堂教会が派遣した討伐隊、代行者100人に埋葬機関の第四位と六位。それが交信を断ったのが二日前。ようやく連絡が入ったかと思えば、まさかの壊滅報告、それも埋葬機関の二人まで死亡したとあっては一大事だ。詳しく、確かな事実状況を聞き出さなければ、間違いでは済まされない。
「それで、敵は!? ギャオスは何匹……大型はいたのか!?」
『違う! ギャオスじゃない! ギャオスの群れは全滅させた! や、奴は……あの赤い眼は……!!』
「ギャオスじゃない? 赤い眼? おい、どういうことだ? おい!?」



『闇に光る……赤い眼……長い、たくさんの手足……なのに綺麗なんだ。とても、とても綺麗だったんだよ! 奴の、“ORT”の水晶は!!』 











〜to be Continued〜






Back to Top