episode-08
〜Gの鼓動〜


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 モスラヤ モスラ
 ドンガン カサクヤン インドゥムゥ
 ルスト ウィラードァ
 ハンバ ハンバムヤン
 ランダ バンウンラダン
 トンジュカンラー
 カサクヤーム

 モスラヤ モスラ
 ドンガンカサクヤンインドゥムゥ
 ルスト ウィラードァ
 ハンバ ハンバムヤン
 ランダ バンウンラダン
 トンジュンカンラー
 カサクヤーム

 モスラヤ モスラ
 モスラヤ モスラ……





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 兵庫県に、冬木市と呼ばれる都市がある。
 中央に流れる川を挟み、武家屋敷や洋館が林立している深山町と、開発が進み近代都市としての様相を見せる新都からなる、田舎と呼ぶ程寂れてもいなければ、都会と呼ぶ程賑わってもいない、のどかな土地だ。
 遠方から訪れた者に、この町、主に新都方面は十年前焼け野原だったと言ったところで果たしてどれだけの人間が信じる事だろう。それどころか、つい半年程前にも凄惨な“戦争”が起こった場所だなどと、こちらはそれこそタチの悪い冗談としてしか受け取るまい。
 だが、事実としてそれらは起こった。
 十年前、現在新都と呼ばれる街は破壊し尽くされ、半年前、深山町ではけして少なくはない数の住民が行方不明となっている。
 だからわかる者にはわかるのだ。
 この土地は澱んでいる。歪み、濁っている。
 今、そんな汚れを禊ぐかのように、歌声は空洞内に朗々と響き渡っていた。
「綺麗、ですね」
「ええ。凄いわ……本当に」
 日本有数の霊地でもある冬木を管理する遠坂家現当主である遠坂凛と、その妹である間桐桜は、深い闇を照らすかのようなコスモスの歌に感嘆の声を漏らした。
 あの息苦しかった大空洞が、嘘のように澄み渡りつつある。





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 魔術師と、その使い魔として召喚される英霊、サーヴァント達によってなされる聖杯戦争。冬木では二百年にわたり、五回もそんな戦いが繰り広げられてきた。目的は、その呼び名の通り、あらゆる願いをかなえるとされる伝説の聖遺物、聖杯である。だが、その聖杯は汚れていた。
 汚染された聖杯は、あらゆる願いを災厄として世にもたらす呪われた願望器と化していたのだった。そして十年前、四度目の聖杯戦争に際しそれは最悪のカタチとなってこの地に破壊を撒き散らした。
 そんな聖杯の真実を知り、五度目の聖杯戦争においてこれを完全に破壊したのが凛達だったのである。
 凛は、同じくマスターであった衛宮士郎、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと協力、聖杯戦争を影で操っていた怪老・間桐臓硯を撃破。危うく聖杯の器にされかけていた桜を救出し、契約を結んだサーヴァント――セイバーやライダーら――の助けもあって、聖杯に巣くう“この世全ての悪”を世に送り出そうと企んでいた言峰綺礼を倒すことにも成功したのである。

 しかしそれだけでは二百年もの時間をかけてこの土地に染み込んだ怨念、悪意が晴れるわけもなく、その浄化には数十年、数百年はかかると思われていた。
 そんな冬木に立ち込める穢れが、彼女達コスモスが祈りを捧げ始めてほんの数日で見る間に祓い落とされていくのだから信じられない。信じられないが、優れた魔術師である二人にはよくわかった。まったく、この一週間は信じられないこと尽くしだ。
 魔術協会から突然の通達があったのが、丁度七日前。聖杯戦争の時以外には滅多なことでは何も言ってこない協会から協力要請があった事にまず軽く驚き、直後、『聖堂教会、及び白翼公一派への協力』というその内容に目を見開いた。
 教会に協力だけならまだわかる。だが、吸血鬼達の勢力を二分する片割れ、裏世界の大物中の大物である白翼公への協力など一体全体何が起ころうとしているのか、この時の凛の狼狽ぶりは、一緒にお茶をしていた桜とイリヤ、そしてライダーの三人全員が『あんな遠坂凛を見たのは初めてだ』と後に述懐している。
 そして、その目的を聞かされ、凛は静かに瞠目した。

 ――ゴジラの抹殺――

 よりにもよって、この町に住まう自分達があの最悪の破壊神抹殺のために動くことになろうとは……父の仇を討とうなど、兄弟子であった言峰綺礼からその裏切りを聞かされた時でさえ特に考えもしなかった事だというのに、それでも、十年前に冬木が被った災厄、直接の父の死因であるゴジラと相対するともなれば胸に湧くのは確かに復讐の念だった。
「……姉さん」
「え?」
 気がつけば、隣で桜が心配そうに自分を見つめていた。
「なに、どうかした?」
「いえ……その、なんだか怖い顔してたから」
 顔に出ていたとは不覚だった。魔術師としては情けない話だが、やはり我知らず感情が高ぶっているのかも知れない。
(これじゃ、士郎とセイバーに落ち着けだなんて言えたものじゃないわね)
 その士郎は、イリヤと一緒に今は衛宮邸で、数日前からどうにも調子の良くないセイバーとライダーの様子を見ている。
 元々聖杯破壊時に溢れ出た魔力を利用して現界し続けている身、無理がたたれば不調になるのも道理な二人だったが、今回の不調は原因不明と来ている。桜も先程までそちらにつきっきりだったのだが、一旦遠坂邸に着替えなどを取りに帰る途中にこうして姉のところに顔を出しに来たというわけだ。
 もっとも、凛としてはセイバーには悪いけれどもこれはこれで都合が良かったのではないかと思っている。士郎もセイバーも、今の情勢下、放っておくとギャオス退治にでも出かけかねない勢いの二人だ。そんなだから、結局は常に誰かしらがついていないと危なっかしくて仕方がない。士郎は聖杯戦争を生き抜いたとは言え能力的にはまだまだ未熟極まりない魔術使い、セイバーも現界するのに精一杯で戦闘に魔力を割けられる状態ではない。そんな二人をギャオスと戦わせたらどうなるかなんて、目に見えている。
「あ、終わったみたいですよ」
 桜の言う通り、コスモス達の歌は終わっていた。それまで片膝をつき、祈りを捧げていたのが立ち上がってこちらに向かってきている。20センチにも満たない小さな身体から放たれる清らな波動が、二人が知る中でもっとも高い魔力を誇るイリヤをも遥かに凌いでいるのはやはりまだ不思議な気分だった。
「遠坂さん、桜さん、ありがとうございます」
「モスラへの祈りは、無事届きました」
 そう言って、小美人達が可愛らしく頭を下げる。
 彼女達が崇める守護神獣、モスラを目覚めさせるには大量の魔力が必要だった。だが、インファント島にはそれだけの魔力が無く、二人は日本へ協力を求めると同時にモスラへ捧げる魔力を集めに来たのだ。日本での拠点を冬木にした理由の一つがそれである。
「いいえ、感謝するのはむしろこちらの方よ。おかげでこの辺も大分浄化されたわ。霊地の管理者として、本当に、どうもありがとう」
 聖杯を破壊したことによって溢れ出した魔力もそうだが、この地は元より日本でも有数の霊地である。大気を穢れたまま放っておけば、それを狙ってどんな邪悪な存在が寄りついてきたかわからない。モスラへと聖なる魔力を供給するためとは言え、土地を浄化して貰えたのは本当にありがたかった。
 さらに、今回協力する条件として協会と教会からの第五回聖杯戦争及び聖杯破壊に関する追究、責任問題は一切不問とすることにも成功した。初めこそ驚きもしたが、凛にとっては今回の件はまったく僥倖だったと言えよう。
「それで、そのモスラはどうなったんですか?」
 桜の質問に、コスモスは微笑むと、
「はい。先程、インファント島を飛び立ちました」
「明日にはこの国に到着するはずです」
 そう答え、遥か遠い南海の孤島がある方角へと視線を向けた。
 翼長が150メートルを超える、美しい大蛾……虫とは縁深い桜だったが、俄には想像もつかない。しかも、それが自分達のためにゴジラと戦ってくれるときている。入院中の義兄が聞いたなら、まず間違いなく一笑にふすだろう。
「地球の先住民達の祈りが生んだ、守護神獣か……」
 まさしく人造の守護者。ヒトの祈りによって生まれたそれは、あくまでヒトと、“ヒトの住まう地球”を守ろうとする。果たして今の人類に守られるだけの価値があるかどうかは凛には何も言えなかったが、それでも今は彼らの力を借りなければ人類に生き延びる術はない。
「一万二千年前、多くの守護神獣達が私達の祖先と共に破滅と戦ってくれました」
「ヒトの祈りによって生まれた彼らは、ヒトを見捨てない。ヒトを信じ続けている」
 例え母なる星にすら見捨てられたのだとしても、それでもヒトは滅ぶべきではない、きっとやり直すことが出来るのだと、守護神獣達はそう信じるが故に傷つきながら戦い続けてくれる……コスモスは、二人にそう言った。
「星の意志が、本気で動き出す前に……」
「何としても、ゴジラを倒さなければなりません」
 ヒトが生み出した業であれば、ヒトの手によって倒すことで星はきっとその怒りを静めてくれるはず。
 ノンマルトは、手遅れだった。だが、人類にはまだやり直すチャンスがある。
「そうね。やり直せる……そう、思いたいわ」
「はい。人間は、そこまで愚かじゃないはずです。だって……姉さんは、私を助けてくれました。先輩も、イリヤちゃんも、セイバーさんも、それにライダーも。だから、大丈夫です。絶対、やり直せます……!」
 静かだが、確信に満ちた力強い言葉だった。
 人間は愚かかも知れない。けれど、世界にはきっと彼女のような、彼女達のような人々がたくさんいるに違いないのだ。
 だからコスモスは、瞳を閉じ、モスラに祈った。モスラだけでなく、世界中に眠る偉大なる守護者達に祈った。
 それこそが、かつて滅びた者の末裔たる自分達に出来る唯一のことだと信じて。





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 その宮殿を一言で語るならば、闇の宮だった。
 切り立った岸壁、鬱蒼と茂る樹海、濁った急流に囲まれた、まさしく暗黒の聖地。中央にそびえ立つ闇の宮は、巨大にして荘厳。されど住人はほんの三人と一匹しかおらず、その三人と一匹がいれば他には何も要らないのがこの宮であった。
「どうやら、大蛾が目覚めたようでありますな」
 宝石や黄金で装飾され、鈍い輝きを放つ玉座。その左脇に立つ黒尽くめの男は、玉座に腰掛けつまらなそうに脚をブラつかせている自らの主にそう報告した。その言葉に、主たる彼女は何も答えない。ルビーのような紅い瞳は、無言で退屈そうに虚空を見つめ続けているだけだ。
「現在、インファント島から極東へ向け飛翔中……小型、中型ギャオスでは足止めにもなりませんでしょうから、明日には目的地に着くと思われます」
 そう続ける従者の黒よりもさらに黒い、童女のような彼女の肢体を覆うのは豪奢な漆黒のドレス。そこから伸びた手足はまるで冗談のように白い。肌も髪も、純白だ。紅い瞳以外には余分な色素を排され、全てが白か黒かで構成された非現実的な美がそこにあった。
「……ん」
 気怠そうに喉を鳴らし、それ以上続ける必要はないことを黒い従者に告げる。
 何故なら、それはわかりきっていたことだから。愚かしい人間が、もどきが、生き残りが、企むことなどタカが知れている。だから彼女はそのような些事に頭を悩ませたりはしない。
 滅びは必定、覆せない。だから無駄だ。全て無為だ。
 その事に対し、彼女は何の憐憫も抱かなかった。ただ、不思議な事もあった。
 闇の中、うっすらと浮かび上がる真白き指が、宙を滑る。
 ……何故、抗おうとするのだろう。
 これは罰だ。出来の悪い子供を親が叱り付ける、ただそれだけのことなのだ。
 親に逆らった子供に待つのは、さらに厳しい罰だと言うのに。
 玩具を取り上げられ、食事を抜かれ、暗い場所に閉じ込められる。
 彼女はそのような罰を経験したことはない。何故なら、罪を犯したことがないからだ。親に逆らったことなど一度もない。だから、それら罰に関しては知識として知っているだけだった。だが、知識としてだけで充分過ぎる。
 怖ろしいことだ。罰を受けると言うことは、怖ろしくて仕方がない。
 そこで彼女は、可愛い妹のことを思いだした。
 可愛くて美しい、とても綺麗な妹。忠実な二人の僕よりも、自分を守ってくれる白き獣よりも、この世の何よりも大切な妹。
 けれど妹は、罪を犯した。
 どうしてあの娘はあのような真似をしたのだろう。理解に苦しむ。しかし彼女は、その時初めて憐憫という感情を知った。
 妹には罰を与えなければならない。可愛い可愛い、可哀想な妹。たった一度の過ちのために、永い永い蛇との追いかけっこを続けなければならなくなった妹のことを思うと、涙が零れそうになった。
 だが、二年程前に妹が極東でその追いかけっこを終えたことを聞いた。
 流石は自分の妹だ。彼女は歓喜し、罪を償った妹をさてどうやって褒めてあげようかとその帰還を心待ちにした。
 だが、妹は帰ってこなかった。
 妹は再び罪を犯したのだと彼女は思った。
 だから帰ってこないのだ。可愛いあの娘は、自分がまた罰を与えるのだろうと思って帰って来れずにいるのだろう。
 妹に逢いたい。逢って抱きしめてあげたい。よく頑張ったねと褒めてあげたい。
 けれど、再び罰を与えなければならない。そう思うと、胸が痛んだ。また涙が零れ落ちそうになった。
 そんな時だった。
 それは言った。確かに言った。
『悪いのは、お前の可愛い妹ではないのだよ』と。
 とても優しい声で、囁いた。
 では本当に悪いのは誰なのかと訊ねると、それは笑った。笑って、そして彼女にこう告げた。
『本当に悪い奴らに、罰を与えなくちゃいけない。そうすればお前の妹も帰ってくる。お前達は、この闇の宮で姉妹仲良く幸せに暮らせるようになる』
 なんて素晴らしいことだろう。
 彼女は狂喜し、その悪い奴らへ罰を与えることを誓った。
 罪を犯したる者、人間へ。
 その咎に報いを。重い、重い罰を。
「他にも、各地で生き残り共が守護神獣を呼び起こし、抵抗を始めたようです。奴らはギャオスに関しては知り尽くしています。繁殖地を狙われては今後に支障をきたしそうですが……いかがなさいます、姫?」
 今度は、右脇に立つ白尽くめの男が主に伺いだてた。
 一度の罰で足りなかったのなら、仕方がない。もう一度、徹底的に罰してやるだけだ。
「ん……ORTは?」
「活動を開始したようであります。今は例の極東の島国……妹君のいらっしゃいますあの国へ向かっていると思われますな」
「……そう」
 極東に浮かぶちっぽけな島国。世界でもっとも罪深い国だ。
 その国にいるはずの妹を想いながら、色素の抜け落ちた純白の長い髪を弄くりつつ、彼女は自らに傅く、同じく白く長い体毛に覆われた獣を見た。
 獣に表情はない。ただ、吼えもせず見返してくるだけだ。その目はあくまで穏やかながら、凪いだ海のようにひっそりと、咎人への殺意を映している。……否。殺意、と呼ぶのも大仰か。わざわざそう呼んでやる程意味のあることでもない。
 獣と一頻り視線を交わし、彼女は鬱陶しげに前髪をかき上げると、
「ん、……黒い、大蛾を」
 黒と白の従者にそう告げた。途端、二人とも頷くと、そのまままるで最初から幻であったかのように消えてしまう。
 罰を与えなければならない。
 逆らうなら、もっと、もっと厳しく罰を。
「……おいで」
 主に呼ばれ、獣がノソノソとすり寄っていく。その頭を撫で、彼女は早く妹の事もこの子のように撫でてあげたいと思った。優しく撫でて、自分が怒ってなんかいないことを伝えてあげたいと思った。
 悪いのは、あなたじゃないんだよ、と。
 本当に悪い子達には、わたしがちゃんと罰を与えてあげるから――





◆    ◆    ◆






『ゴジラ撃滅作戦の決行は三日後の正午に決まりました』
 伊豆大島の北側にある灯台。下見のために上陸していたシオンは、そこで受けた黒木からの連絡に安堵の息を漏らした。
 こうして直接大島に立っているとよくわかる。今や三原山は爆発寸前だ。地の底で行き場を無くしたエネルギーは限界まで膨れ上がり、それがまるでそのままゴジラの脈動のように感じられる。まさに一刻の猶予もない、三日後というのも正直遅すぎるくらいだと思わないでもなかったが、電話越しに聞こえる黒木の憔悴しきった声からそれすら如何に困難であったかは察せられた。
 確かにこれは一国を左右する問題だ。簡単に決められることでないのはわかるが、しかし日本だけでなく世界の命運がかかっている以上、それを知ってしまった者の一人として焦燥を抱くなと言う方が無理だった。
「では、私の方も三日後に向けて準備に入ります。それと先程、冬木のコスモスからモスラが無事目覚めたという連絡がありました」
『そうですか、それはよかった』
 黒木の返事は存外に素っ気ないものだったが、それも無理からぬ事だろう。コスモスを信じたとは言え、ゴジラを倒すのに怪獣の手を借りるという事に抵抗を感じる程度には彼もまだ若い。
『それでは、私はこれから権藤一佐と共に特自と防衛軍の戦力をまとめます』
「はい。……ですが、どうかあまり無理をなさらぬよう」
 そのシオンの気遣いが意外だったのか、黒木は電話の向こうで一瞬返事に詰まると、
『……ええ。お心遣い、感謝します』
 少しだけ照れくさそうに、そう答えた。



「……まだ、揺れている」
 揺れを感じている時間と感じない時間、今日この島に上陸してから一体どちらの時間が長かっただろう。シオンはゆっくりと灯台の周りを歩き、道路に出て、やがて屋根付きのバス停を見つけると、そこの古ぼけたベンチに腰掛けた。
 三原山からは、絶えず噴煙が上り続けている。
 島民はとうの昔に全員退去していた。今、この島にいるのは自分と同行者、それにやはり準備のために上陸している特自の隊員が僅かばかりだ。
 直に体感した揺れと、噴煙の具合、それらと予め頭に仕込んできたデータを照らし合わせ、まずは地質学の面から噴火の時期を予測する。さらに、気象。気圧の著しい変化は地殻を刺激し、地震や噴火を促す。
 分割思考を駆使、出来うる限り正確にゴジラの復活時期を計算……その結果、自然に三原山が噴火し、ゴジラが復活するには最低でも十日以上はかかるという答えが導き出された。この調子でいけば、三日後の作戦決行は問題あるまい。
「……ふぅ」
 ベンチに深く腰を沈め、シオンは空を仰いだ。
 黒木に無理をするなと言ったが、無理をしているのは自分も同じだ。トラフィムから習い覚えた術で紫外線を極力歪め、緩和してはいるが、半ば吸血鬼と化した肉体に今日の陽の光はちと厳しい。やはり研究の片手間でよかったからトラフィムの勧めに従いもう少し真剣に魔術を学んでおくべきだったかと、シオンは今さらながらに後悔した。
 吸血鬼化治療自体には、ある程度解決の目処は立とうとしている。吸血鬼の持つ負の生命活動、不死性とは真逆とも言えるゴジラの生命力の謎を解明出来れば、この生ける屍たる肉体もふくめ不死身というメカニズムそのものを解明出来るのではないかと、その点ではもっとも吸血鬼をよく知る吸血鬼の一人であろうヴァン=フェムとも意見が一致している。
 完全な不死ではない、不完全なものであるならば、不完全であるからこそ必ず治療出来るはずだ。そう信じてシオンはこれまで研究を続けてきた。
 人類のために、生き延びるために、ゴジラを倒す。その意志に間違いはない。だがシオンにとってゴジラがそれだけの存在でないことも確かなのだ。
「……けれど、ゴジラを研究すると言うことは……」
 白神の忠告が思い出される。
 それがどんなに危険なことか、深く考えるまでもない。科学が持つ怖ろしさを理解しつつ、それでも、自分は――
「シオンさん、こんな所にいたんですか?」
「……え?」
 不意に陽が翳ったかと思えば、ベンチの後ろから一人の少女がシオンの顔を覗き込んでいた。どうやら物思いに耽るあまり接近に気がつかなかったらしい。もっとも、それも彼女に一切害意のようなものが感じられなかったからだが。これがもし自分に対して何かしら敵意を抱くような相手であれば、どれだけ深く思考に沈んでいようとも接近者に気付かないシオンではない。
「……未希、おどかさないでください」
 そう言いつつも、別段咎めるつもりもなかった。少女、三枝未希の声には、不思議と気分を落ち着かせる力がある。
「それで、どうでしたか? ゴジラは」
 ベンチから立ち上がって埃を払いつつ、シオンは自分とは違う方法でゴジラの目覚めを予測していた少女に声をかけた。
「……はい。ゴジラの精神波は、微かに揺れ動いてました。眠りがかなり浅くなってる状態なんだと思います」
 日本で唯一ESP能力……即ち超能力の研究、さらに開発を行っている精神科学開発センターで、もっとも高い能力を持つ少女は、そう言って不安げに三原山を見つめた。彼女程の能力者は世界的に見ても非常に珍しく、超能力を使用した犯罪捜査などにさほど意欲的でもない日本でも、例えば特自は現在ギャオスの出現予測などで彼女の力を借りていた。そればかりでなく、二ヶ月前、最初にゴジラの復活を予知したのも未希である。権藤はそれ以来いたく彼女を信頼しており、今回もシオンが直接大島に出向くというので彼女を連れて行くといいと言って同行を勧めたのだ。
「地下のエネルギーも、あと十日もすれば間違いなく臨界点だと思います。だから、ゴジラが出てくるまで……多分、二週間ぐらい」
 それはシオンの予測とほぼ一致する。
 火山の噴火の中から現れる巨大な怪物のイメージ。未希は、この二ヶ月の間毎晩のようにそんな悪夢を見てきた。いわゆる予知夢というやつである。
 岩が溶け、マグマとなって海に注ぎ込み、マグマと海水がぶつかって物凄い音を立てる。火口には黒い噴煙、海からは白い水蒸気。そして、そこに浮かび上がる、影。咆吼が大地を揺らし、灼熱の影が赤い口を開ける。
「未希」
 気がつけば、汗だくになっていた未希にシオンがハンカチを差し出していた。小さく頭を下げてそれを受け取る。白い、清潔なハンカチがシオンらしい。
 シオンは汗をかいていない。こんな日射しの下で、噴火寸前の火山の間近であっても、発汗という機能が失われつつある彼女の身体には一筋の雫すら見あたらなかった。
 彼女の肉体は、もはや半ば以上吸血鬼のものなのだ。
 それでも、未希に怖れはない。どこから見ても普通の少女であるのに、妙に肝が据わっているというか、物怖じしない少女だった。それが持って生まれた強力なESP能力のためなのか、彼女自身の資質なのかはわからなかったが、シオンは一目見た時からこの少女を好ましく思っている。
 もう一度ベンチに腰掛け、シオンは無言で隣に未希が座れるスペースを空けた。
「ありがとうございました。ハンカチ、後で洗って返しますね」
 そう言って、未希もベンチに腰掛ける。
「そのくらい、気にしなくても大丈夫ですよ」
「いえ、凄く汗かいちゃってたから……」
 大地は微かに揺れている。山は火を噴く一歩手前で、その中にはゴジラがいつ目覚めてもおかしくない状態で眠っている。
 そんな状況下だと言うのに、二人は自分でも不思議なくらい穏やかな心持ちでベンチに腰掛け、空を見ていた。
 透き通るような青い空と、白い雲。そこに噴煙が吸い込まれていく。
 静かなものだった。今も世界の何処かではギャオスが群れをなして人を襲っているというのに、そんな事が信じられないくらい穏やかな時間だった。
「ん? あれは……」
 その時、シオンの視界に一機のヘリが飛び込んできた。特自や防衛軍のものではない、民間のヘリだ。吸血鬼の視力は、その機体に書かれた文字を正確に読みとっていた。
「マスコミじゃないみたいだけど……」
「ええ。遠野グループ……どうやら、懐かしい人に会えそうですね」
 未希は相手が何者か探ろうとして、しかしシオンの言葉を聞いてやめた。優しい響きだ。なら、きっと何も心配はあるまい。
 シオンは目を細めながら、ジッとヘリに見入っていた。
 乗員が誰かはわかっている。その人物がここを訪れる理由から考えて、自分がおそらく一番会いたいだろう人は乗っていないだろうが、それでも懐かしい友人との再会にシオンは自然と顔が綻ぶのを感じていた。





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 まだ、自分は終わったわけではない。
 久我峰は頭を掻きむしりながら、必死で打開策を模索した。
 大丈夫だ、大丈夫だ。自分はあらゆる布石を打ってきた。ありとあらゆる事態を想定して行動してきた。
 自分は久我峰斗波だ。遠野グループの屋台骨を支え、汚濁にまみれた世界をのし上がり、日本経済を動かすまでに至った男だ。全ては血の力ではない、自分の力でやったのだ。久我峰斗波だから出来たのだ。
 それを、旧き血の力、それ故の異能、されどたかが小娘がどうこうしようなどと、烏滸がましいにも程がある。遠野もヴァンデルシュタームも、もはや知ったことか。
 人類の危機?
 地球の意志?
 それがどうした。
「そう、そんな事はもうどうでもいいんですよ!」
 出来れば“二体とも”が完成してから事を起こしたかったが、仕方がない。
 一体だけでも充分なはずだ。
 久我峰は自分の手の中にあるそれを見た。この起動スイッチを押せば、全てが始まる。一世一代の大博打だ。
 勝てるか?
 否、勝つ。
 これまでもそうやって生きてきた。勝利してきたのだ。だから……勝つ。そして遠野グループだけでなく、大河内財団、帝洋コンツェルン、桐原コンツェルン、敷島重工……その他、日本経済を支えるあらゆる企業を出し抜き、久我峰の名がこの国を制するのだ。
 久我峰はほくそ笑んだ。
 ほくそ笑みながら、スイッチを大切そうに手の中で弄んだ。





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 壁画に描かれた絵を前に、稗田は渋面を作っていた。
 先日も見つけた、二本足で立つ奇妙な玄武。それに加え、今彼の目の前には二本足で立つ白虎と思わしき獣と、青龍らしい龍の絵が描かれた壁画がある。
 四聖の獣が、三匹。此処は玄武を祀っていた神殿だ、ならば他の四聖獣が描かれていたところで何の不思議もない。そう、四匹全てが描かれていたなら何の不思議もなかったのだ。
 稗田がこれまでに見つけた壁画は、そのいずれもが玄武と、白虎、青龍、三匹のみが描かれ、最後の一匹である朱雀の姿だけが何処にも見あたらないのである。
「……どういう事だ? これは、やはり四聖獣ではない、別の何かを表しているのか?」
 首も尻尾も短い二足歩行の玄武と、虎よりもむしろ獅子に近いやはりこれも二足歩行の白虎。青龍だけは一目でそれとわかる絵だったが、やはり玄武と白虎がおかしすぎる。
「位置的には……玄武が北、西が白虎、東が青龍で正しいはずだが……」
 と、そこで稗田は三匹が描かれた壁画をもう一度じっくり観察し直してみた。
 一応、うっすらと背景のようなものも書き込まれているが、それも果たして何を描いたものなのかがハッキリしない。
 玄武が立つ場所は形状的にこの大島に見えなくもないが、そうすると白虎が立っているのは本土……よりももっと南方、見方によってはこちらも島のように見えるから、もしかしたら沖縄近辺かも知れない。そうだとすれば、青龍の位置はまるっきり太平洋だ。
「そして南には、何も描かれていない……四聖獣なのだとしたら、この壁画は一体何を意味しているんだ?」
 大島に玄武、沖縄に白虎、太平洋に青龍、そして南方は朱雀が不在……
「……むぅ……おっ!?」
 その時、大きな揺れが島を襲った。この地下空洞を調べ始めてから有感地震は数えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらい起こっていたが、今回のこれは間違いなくその中で最大のものだ。
 稗田は手近な岩にしがみつき、取り敢えず揺れがおさまるのを待つ事にした。確かに大きいが、このくらいなら崩落の危険はないはずだ。今までにも数々の遺跡や洞穴を探索してきた経験からそう判断する。
「……やれやれ。おさまったか」
 余震が来ないか暫くそのまま待ち、それもないと見ると稗田はもう一度壁画へと目をやった。このまま地震が続くようなら、調査の続行は難しい。これまで以上に急ぐ必要がある。
 多少の焦りを交えつつ、隅から隅までをじっくりと見回していると……
「ん? これは……」
 今の地震によるものだろうか。よく見れば壁画の下部分が崩れかけている。その下にはどうやらまだ絵が続いているようだ。絵の上にさらに岩を重ねて覆い隠していたらしい。
 手持ちの工具で丁寧に岩を削り落とし、徐々に壁画の内容が明らかになるに連れて稗田の目が驚愕に見開かれていく。
「なんだ、これは……?」
 果たして、そこに描かれていたのは鳥の姿だった。
 だが、それは一つだけではない。無数の、それこそ壁画下面を覆い尽くさんばかりの夥しい鳥の群れが飛んでいる。北を、西を、東を目指して。
「朱雀じゃないのか……? だが、何故こんなに……」
 そこまで考えた時、稗田の脳裏に一つの、現在世界各地で猛威を奮っている怪鳥の名がよぎった。
「まさか、この朱雀は……ギャオス?」
 よく見れば、鳥よりもあの怪獣のシルエットに似通っているように見える。しかしもしそうなら、この壁画が意味するところは一体なんだ? 南から押し寄せるギャオスの大群に対し、他の三匹は……
 どうやら、急ぎ管理人の少女に報告する必要がありそうだ。
 手早く壁画を写真におさめ、稗田は洞穴の入り口に向かい駆け出した。











〜to be Continued〜






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