episode-10
〜第三種警戒体制(後編)〜

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 第三種警戒体制

 Gが出現した場合





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 その瞬間、確かに世界は揺れていた。

 極東の島国、そこに属するちっぽけな一つの島の火山が噴火したところで起こる地震の規模など、地球全体から見れば微々たるもののはずだ。それで世界がどうにかなるなど、ありえない。ありえないが――しかし、事実として揺れたのだ。
 地球という星、そのものが。
 恐怖に打ち震えるかのように。
 戦いに奮い立つかのように。
 世界は揺れ、そして、炎が疾った。



 黒い宮で、アルトルージュ・ブリュンスタッドは微笑んでいた。
 目覚めた忌み子の獰猛な息吹を感じつつ、その生みの親たる罪人にくだすべき甘美な鉄槌を夢想し、あまりにも無邪気で残忍な笑みを浮かべた。



 自らの居城で、トラフィム・オーテンロッゼは拳を握りしめていた。
 計算外の自体に直面するなど彼の人生においては数え切れない程あった。だが今回のこれは、二千年を超える人生においてしかしどのような困難とも比較にならない。



 大鉄塊のブリッジから、ヴァン=フェムとナルバレック、リタは目前に迫った日本を見ていた。
 揺れているのは大地だけではない、大気も震えている。少しでも気を抜けば倒れ込み、再び立ち上がることすら出来なくなるだろう。



 太平洋の底で、スミレとアネットは天井を睨んでいた。
 激しい揺れに、水差しが倒れ中の酒が床を濡らす。せっかく酔い直したというのに一瞬で醒まされてしまった。まるで海が怯えているかのようだ。



 柳洞寺地下で、凛とコスモスは互いの顔を見合わせていた。
 先程まで満ち足りていた聖なる魔力は瞬時にその温度を失い、負の感情を想起させるものへと変わる。それはあまりにも濃密な、死の予感だった。



 甲神島の洞窟で、秋葉は首から下げた勾玉を抱いて兄の事を想った。
 不意に顔が頭を過ぎったのだ。理由なんてわからない。翡翠も、琥珀も、そして稗田も血の気を失って必死に壁にしがみついている。勾玉が激しく明滅していることに、秋葉が気付くことはなかった。



 防衛庁地下、オペレーションルームにて、黒木は激しい揺れに負けじと必死に机にしがみつきながら、瞬きも忘れてモニターに見入っていた。
 茜も、結城も、言葉を失っている。
 甦ってしまった。ついに、自分達の敵が。
 そのために組織された。そのために集められた。そのために作戦を練り上げ、演習を繰り返してきた。しかしそれがなんだと言うのだと、いまだ続く地震はそう嘲笑っているかのようだった。



 マンションの自室で、アルクェイドは不意に目を覚ました。
 右手にはよく知った温度を感じる。見れば、ベッド脇に腰掛けた志貴がまるで自分を守るかのように手を握りしめてくれていた。それが嬉しいのに、喜びを黒い意思が塗りつぶそうとしているのがわかる。
 最初に聞こえてから一ヶ月近くも経つ、声。
 その声の持ち主が誰か、真祖の本能が告げている。それでも、アルクェイドは全力で抗い続けていた。例えどんなに儚い抵抗であっても、志貴のためなら耐えられると信じて。それなのに……

 ――もう、駄目かも知れない――

 あらゆる意志の、想いの力を打ち砕くかのような暗黒の声に、アルクェイドは再び意識を失った。



 士郎は道路に片膝をつきながら、それでも周囲に目を凝らした。
 ほんの僅か目を離した隙に寝込んでいたはずのセイバーとライダーが消えてしまってから一時間、二人が行きそうな場所を虱潰しに探し回り、なのに一向に見つかる気配がない。同じように探しているイリヤと桜からも連絡がないまま、不意に感じた怖気とともに襲い来たのは、立っていることすらままならない激しい横揺れだった。
 それで揺れが止むわけでもないのに、士郎はアスファルトを思い切り殴りつけた。何故だろう。セイバーとも、ライダーとも、もう二度と会えないような、そんな不吉な考えばかりが浮かんでくる。
 両脚に力を込め、ふらつきながら立ち上がろうとする。
 諦めるなんて選択肢だけは、絶対にごめんだった。





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 まるで、黒い山だ。

 裂けた大地から覗く、毒々しくも赤い、灼熱の星の血流。それが絶え間なく噴き出し、煙は天を覆い尽くす。
 奇妙な光景だ。権藤はそう思った。
 怖れも憎しみも無く、ただ茫然とその光景に見入る。
 三原山は激しく鳴動し、大島そのものが砕け散って海の藻屑と消えるのではないかと言うくらいに大地は唸り、叫びをあげていた。それでも権藤には地面にしゃがみ込むことなど出来なかった。しっかりと立ち、山から生まれ出たもう一つの山を見つめ、その瞬間、まるで向こうもこちらを見たような錯覚に襲われる。
 生きていた。
 やはり、ヤツは生きていた。
 とうにわかっていたこととは言え、こうして噴煙とマグマを伴い出現する様を見れば、それは一体どれだけの驚異だと言うのか。
 何をもって、どのような言葉でヤツを形容すればいい?
 あまりにも圧倒的な、まるで憤る生命そのものだ。星をも畏れさせる荒れ狂う巨大な生命が、ゆっくりと頭をもたげ、大地を踏みしめる。そう、踏みしめている。この地球そのものを踏圧し、蹂躙するかのように。
 破壊とか、破滅とか、なんて些末な。あれはそんなものではない。それどころではない。ただ、生きて、歩き、吼え、そして――全てが、消える。

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 咆吼。

 何億もの大型弦楽器を出鱈目に弾き鳴らしたかのような重低音。それは、自らの復活を告げる言葉だったのか。耳を劈く轟音が、さらに大地を、大気を震わせた。それでも権藤は目を逸らさない。正面に睨め上げ、次第に麻痺していた意識が闘争心を目覚めさせていく。
 これは武者震いなのだと、権藤は自らに言い聞かせた。
「各員、揺れがおさまるまでその場で待機! おさまり次第、仕掛けるぞ!」
 上陸部隊は選りすぐり、精鋭中の精鋭だ。この押し潰されそうな重圧にも決して負けはしないと信じて権藤は檄を飛ばした。
「あのエテ公を盾にしろ! いいか、前に出過ぎるなよ。相手はただの特殊生物じゃない、怪獣は怪獣でも、ものが違うって事を忘れるな……!!」
 星すら脅かす、目覚めたるはまさに怪獣の王。
 山腹の亀裂から噴き出すガスと噴煙の向こうから、ゆっくりと、重々しい足どりで現れ出で、海を目指す。海の向こうにあるのは、無論、日本。
「……へっ。とうとう、現れやがったか……ねぼすけがよぉ」
 再び、天に向けて凄まじい咆吼があがる。

 十年の眠りから、今、ゴジラは完全に目覚めていた。





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「『武侠艦隊』アイアンロックス、緊急浮上! 全艦、準備が整い次第大島に向けて出撃します!!」
 シオンの号令が響き渡るや否や、伊豆半島下田沖に停泊していた特自の艦艇全ての乗組員が慌ただしく動き出した。
「でかすぎるのが仇になったな。今の状態から準備し終わって浮上まで、どんなに軽く見積もっても一時間はかかるぞ」
「……ゴードン大佐」
 そんな事はわかっている、とばかりにシオンはアイアンロックスの艦長であるダグラス・ゴードン防衛軍大佐を睨んだ。対怪獣戦のプロフェッショナルとしてヴァン=フェムが特別に防衛軍から呼び寄せたこの男が、シオンは苦手だ。豪放磊落、と言えば聞こえはいいが、後先を考えない無手勝流のやり口は理論派のシオンから見れば無駄が多い、乱暴すぎる。
 しかし、果たして……間に合うか?
 上陸部隊と大島付近に停泊している艦艇だけでは足止めにもならないだろうと言うのがシオンが導き出した解答だった。完全浮上まで一時間、さらに大島までの移動時間を考慮すれば、アイアンロックスはまず間に合わない。そんな中、まったく不本意ながら今シオンが期待しているのは久我峰のゴリアテUだ。
 おそらく、アレはかつてのゴリアテを元に大幅に改良されている。パワーだけなら魔城随一だった旧ゴリアテの馬力をさらに向上させてあるなら、それはゴジラにだろうとも通用しえるのではないかと……
 だがそれだけでは足りない。足りなすぎる。
「……第一魔城『黄金城』キングジョー、出られますか?」
 アイアンロックス内に設けられた格納庫では、現在作戦当日に向けて第一魔城『黄金城』は最終チェックの真っ最中だった。昨日の時点では残すは腰部のチェックのみだったはずだが、果たして出撃が可能か、否か。キングジョーならば全速力で向かえば充分に大島でのゴジラ迎撃に間に合う。
『待ってください、まだ腰部のチェックが済んでいません!』
 しかし通信機の向こうから返ってきたのは、特自からの出向で整備を担当してくれている中條義人一曹の悲痛な叫びだった。その背後から聞こえてくる喧噪から、急ピッチで作業を進めてくれているのがわかる。
「あと、どのくらいかかりますか?」
『……二時間は』
 義人を始め、整備班は皆誠実で、腕も確かだ。その彼らが二時間かかると言うからには間違いなく二時間かかるのだろう。
「一時間と二時間じゃあどうしようもねぇな」
 ゴードンの言う通りだ。一時間差は大きいが、しかし間に合わなければどちらもまったく意味がない。
 ではどうする?
 おそらく現有戦力でゴジラ迎撃に間に合うのはキングジョーと、スーパーXU改のみだ。その他に戦闘機やメーサーヘリがいくら集まろうとも大した役には立つまい。黒木や権藤もそれはわかっているはずで、スーパーXの方も今頃は大急ぎで出撃しようとしているはず。
 単体でもゴジラとある程度渡り合えるだけの戦力、今の大島にはそれが決定的に不足しているのだ。
 シオンは全思考を駆使してゴジラ撃滅のための手段を模索した。不意の復活への備えが不足していたことを今さら悔いても意味がない。そもそもこの作戦自体無理を押して実現させたもの、それだけの余裕などなかった事も確かなのだ。
 ゴリアテUがうまくゴジラを足止めしてくれればいいが、しかし味方の戦力としてはあてに出来ない。連携など望むべくもない、アレはあくまで敵だ。スーパーXU改とキングジョー、アイアンロックス、そして守護神獣モスラ。当初ゴジラにぶつけるはずだった主力の内、一つだけでは勝てる見込みなど無い、確実に負ける。
「……黒木特佐、聞こえますか?」
『……シオン・エルトナム?』
「スーパーXU改出撃まではどのくらいかかりますか?」
『十五分後には』
 十五分。
 スーパーXU改の速度なら東京からものの数分で大島に到着出来る。だが一機だけでは時間を稼ぐどころかむざむざ負けに行くようなものだ。
 どうすれば……どうすれば……
「おい、お嬢ちゃん」
 七つの分割思考を駆使して如何にして現状を打破するか、渋い顔で思い悩むシオンをゴードンはやれやれ、と半ば呆れた顔で見やった。
「ゴードン大佐、お願いですから今は静かに――」
「何をそんなに悩んでやがる。動けないのは“腰だけ”なんだろう?」





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 どうせまたいつもの考え無しの文句だろうと無視を決め込もうとしたシオンは、その一言に声も出なかった。
 そうだ。“動けないのはあくまで腰だけ”――なのだ。
 焦燥のあまり、キングジョーの特性を失念していた自分の愚を悔いるのはしかし後回しだ。ゴードンに礼を言うのも……これは後回しと言うより、別に構わないだろう。礼を言っても冷やかされるだけだ。
「中條一曹!」
『は、はい!』
「腰部以外のチェックは済んでいるのですね?」
 中條はシオンの質問の意図を即座にははかりかね、しかし一瞬後理解した。
『……頭部、胸部、脚部、どれも行けます』
「了解。十分で出られるようにしてください。私はこれからオペレーションルームに入ります。ゴードン大佐!」
「おう」
「後は頼みます」
 言うなり、シオンはアイアンロックス中央ブリッジ下、魔城遠隔操縦用に設けられた特設オペレーションルームへと急いだ。それでいいんだとばかりに見送るゴードンの唇がニヤリと歪む。
『ちょ、本気ですか!? 合体しないとキングジョーは……』
「……七割」
『え?』
「七割の力が出せれば充分です。それなら、足止め程度にはなる……!」
 戦力が足りない以上に、何より時間が足りない。態勢を整え直して全力であたるために、今必要なのは足止めだ。
 ゴリアテUとの戦闘に決着がつき次第、スーパーXU改とキングジョーをぶつけて時間を稼ぐ。無理なら出来うる限り疲弊させる、ダメージを与える。
 油断はしない。容赦もしない。相手を地球最大最強の生命体と認識し、その上で撃滅しなければならないのだ、尽くすには万策ですら足りなかった。
 通路を進む速度を弛めることなく通信機のチャンネルをいじり、シオンは各方面への連絡を取り付けた。思考だけでなく身体も七つ欲しいところだ。
「権藤一佐」
『……ッ! !! ッッ!! ……ん!? なんだ嬢ちゃんか』
「今から二十五分……いえ、二十分以内にスーパーXU改とキングジョーを駆けつけさせます。それまでもたせることは……」
『おう、任せときな』
 いつもの調子でそう答える権藤の声は頼もしかったが、しかしその向こうから聞こえてくるゴジラのものらしき咆吼はシオンを焦らせるには充分すぎた。
 タラップを大急ぎで下りきると、シオンはオペレーションルームのシステムを起動させ、キングジョーの起動キーに手を添えて中條からの報を待った。





◆    ◆    ◆






「……でかいな、十年前よりも」
 ゴリアテUと向き合い、唸り声をあげるゴジラの姿を眺め、権藤はそう呟いた。
 十年前に現れた時、ゴジラはおよそ八十メートル程だった。だが、今のヤツはどう見ても百メートルはある。地球最大のエネルギー、マグマに晒され惰眠を貪ること十年、まだ成長を続けていたとは……
 対するゴリアテUも同じくらいの身長だ。
 一匹と一体は、睨み合ったまま動かない。流石のゴジラも目覚めたばかり、それも十年も眠り続けていたのだ。人間なら筋肉が衰えて腕一本満足に動かせない状態のはずである。立ち上がり、歩き出し、咆吼して、しかし万全と言えないだろう事は確かだ。権藤の目から見ても、今のゴジラはまだ足りない。充分ではない。
 戦力さえ充分に足りていたなら――
「クソッタレが!」
 全てを台無しにしてくれた鋼鉄の大猿に、しかし今は頼るしかないと言うのが口惜しい。上陸部隊の再配置を進めつつ、権藤は少し赤い色の混じった唾を吐き捨てた。



 まずは相手の出方を窺う気でいた久我峰だったが、彼もゴジラはまだ本調子ではないという結論に達していた。ならば先手必勝だ。完調でないのなら勝算は充分すぎる程にある。
「く、くふふ。……勝てる。勝てるぞ、ゴリアテU!!」
 久我峰がそう叫ぶや、ゴリアテUの右手首から先が急激に回転を始めた。
 スパイラルメーサードリル――目標の肉体を抉りながらメーサーによる電撃を流し込み内部から焼き尽くす――が、いまだ動きの鈍いゴジラの胸板目掛けて凄まじい勢いで突き出される。鋼鉄ですら紙のように貫く威力、例えそれがどのような硬度であろうとも生物の外皮である以上限界はある。貫けないはずがない。
「今その胸に風穴を空けてさしあげますよぉ……ゴジラァアッ!」



「速い!」
 モニター越しにその光景を見ていたシオンは、予想を遥かに上回るゴリアテUの動きに目を見開いていた。パワー特化の魔城ゴリアテは、スピードでは他の魔城達に一歩劣っていたはずだ。だがこのゴリアテUは、ゴジラとの距離を一気に詰めると信じられない速度でドリルを繰りだしていた。
 オリジナルを超えるパワー、スピード、そして……破壊力。
 スパイラルメーサードリルがゴジラの岩のような皮膚を抉り、そのまま貫通せんとさらに回転を加える。
「……これは、まさか――」
 ――勝てる、のではないか?
 ゴジラに、あの怪獣王に、ゴリアテUは勝利出来るのではないか?
 それに、何より……
「ゴジラの動きが……思ったよりも鈍い」
 覚醒直後の状態予測が慎重すぎたのか、シオンが考えていたよりもゴジラの動きはずっと緩慢で、甦った瞬間のプレッシャーが嘘のように愚鈍だ。
 最強の怪獣、ゴジラ。その幻想に囚われ、見誤っていた?

 シオンが、権藤が、黒木達が見守る中、ゴリアテUの右腕はさらに激しく深くゴジラの肉体を抉り砕こうとしていた。



「ふ、ふははははははは! 笑わせてくれますねぇ……これがゴジラですか! ヴァンデルシュタームも、防衛軍も、地球生命とやらも、こんなただでかいだけのトカゲを相手に何をあんなに騒いでいたものだか! なんて滑稽な! ……さぁ、ゴリアテU、トドメですよ! その見かけ倒しをぶち殺しなさい!!」
 久我峰は狂ったように笑っていた。
 これか。この程度の、これがゴジラか。
 他の特殊生物と何が違うというのだ。こんなものなら、まだ二年前に見たバランの方がよっぽど驚異的だった。今、さしたる抵抗もせずに黙ってドリルに貫かれている黒い巨体からは、何の怖れも感じやしない。
 こんなヤツのために、自分は危うく全てを失いかけたのかと、そんな思いが久我峰の思考をさらに凶悪なものへと傾けていく。抉り、貫き、砕き、これ以上ないくらいに苦しませて殺してやる、殺し尽くしてやる!
「スパイラルメーサードリィルッ! 全速純回転で粉砕し、破砕し、爆砕し、塵芥と化しなさい! それこそが我がゴリアテU! 全力! 必中ゥ吶ッ喊ンッ!!」
 ゴリアテUの右手がさらに回転速度を上げ、全パワー、全重量でそのままゴジラを粉砕せんとのし掛かろうとし……
「ふは……ふはは! ふはははははは! ふは……は……?」
 不意に、動きが止まった。
「……ど、どうしたのですゴリアテ……一体……」
 まさか機体に異常が? そう思い、急ぎ機体状況をチェックするがしかしなんら異常は認められない。手早く確認を終え、久我峰はもう一度モニターを見た。
 モニターの向こうでは、ゴリアテUもゴジラも完全にその動きを止めていた。右腕のモーターはまだ生きて回転を速めようと躍起になっているらしく、耳障りな音が響き渡っている。それなのに、ビクともしない。
「な、何が……何が、起こって……」
 自らのゴリアテUにばかり注目していた久我峰は、気付いていなかった。いや、彼だけではない。権藤も、シオンも、黒木も、今この時に至ってようやく気付いたのだ。
 ドリルで胸板を刺し貫かれているはずのゴジラは、苦悶の表情など浮かべてはいなかった。痛みに鳴くわけでもなく、ただ黙って相手を――鋼鉄の巨猿を睨んでいる。くだらないとでも言いたげに、睥睨している。
「ば、馬鹿……な」
 久我峰がそう呟くのと、大島中に鈍く気味の悪い音が響き渡ったのは、ほぼ同時だった。



 硬い物を、力尽くでへし折ったかのような不気味な音。
 嗤っているのか、身の程知らずな機械仕掛けの大猿を。王に挑んだ無様で間抜けな愚か者を。
 ゴジラの咆吼が天を割る。
 勝てるわけがない。まだ右腕を失っただけ、戦闘不可能になったわけではないゴリアテUだったが、勝敗は誰の目にも明らかだった。
 権藤の背中を、冷たい汗がつたう。
 ゴリアテUは強かった。並の怪獣が相手だったなら、あのドリルによる攻撃だけでケリがついていただろう。
 こんな事、言うだけ無駄だ。あまりにも陳腐。今この状況にあっては間抜けすぎる事実。しかし、それでも……あらゆる能力に、差がありすぎる。
 ヤツは、ゴジラは……強すぎる。
 その手に、肘のあたりからへし折れたゴリアテUの右腕を携え、ゴジラはゆっくりと山を降り始めた。その胸には僅かばかりの傷がついているだけで、なんら痛痒を感じている様子はない。
「……化け物がっ」
 目覚めたばかり? 本調子ではない? ……馬鹿な。
 そんな程度の事で、ヤツがどうにかなるなどあるわけがないではないか。そして自分は、権藤吾郎はそれすらも十年前に承知していたはずではないか。
 右腕を失い、膝をついたゴリアテUになど目もくれず、悠然と海へ向かうゴジラはあまりにも自由だった。部隊に足止めを命じるべきか否か、判断がつきかねる。ここでヤツを止めなければ日本は壊滅し、それどころか人類は星によって滅ぼされる。しかし今の戦力で挑んだところで無駄死にするだけだ。
「安請け合いしちまったな」
 シオンには悪いが、二十分どころか五分たりとも足止めは不可能だろう。
 それでも戦うしかないのだから、まったく因果な、馬鹿馬鹿しい話だ。
「各員、出来る限り距離を取れ! 狙うのはヤツの足下でいい、ヤツを狙ったところで無意味だ! いいな!? 足下だ、足下を狙え!」
 メーサー殺獣光線車の砲塔が百八十度回転し、牽引車がゴジラとは逆方向へと車両を引っ張る。こんな事ならメーサー車だけでなく通常の戦闘車両ももっと上陸させておくべきだった。噴火直後で弛んだ地盤を撃ち、ゴジラの足を封じるならメーサー砲よりも戦車砲やミサイルの方が効果がある。
「よし……充分に距離をとれよ。いいか、焦るな?」
 急いては事を仕損じる。もう少し進めば、噴火の影響で今にも沈下しそうな、溶岩がチロチロと舌を出している裂け目がある。そこを狙い撃てば……
『行かせません、行かせませんよッ!』
「なっ!?」
 その時だった。てっきり戦意喪失したとばかりに思っていたゴリアテUが、凄まじい勢いでゴジラへとタックルを仕掛けたのだ。
『ふは、ふひひははは! 行かせるものですか……ゴジラ……ゴジラァッ!!』
 腰部に備え付けられたスピーカーから狂ったような久我峰の哄笑が響く。
 後ろから、鋼鉄の塊が不意をついてぶち当たってきたのだ。流石のゴジラもそのままもつれ合うように山腹を転げ落ちていった。
「ば、馬鹿野郎が! メーサー、照準再度合わせ! くそッ!」
 時間を稼ぐどころか、とんだ疫病神だ。アッという間に山を降りきったゴジラの目の前には、既に海が広がっている。各メーサー砲の照準も滅茶苦茶で、このままでは足止めどころの話ではない。
『ふははははははは! ゴリアテU、やれ、やりなさい!』
 左腕一本でがむしゃらに殴りかかっていくゴリアテUは各所が凹み、火花を散らしている。それでもゴジラを多少惹き付けてくれればもうけものと思いもしたが、しかしそんな巨猿に対するゴジラの対応は至極あっさりしたものだった。
『ひ、ふはひひ!?』
 鬱陶しい、虫を追い払うかの如くにその長大な尻尾を一閃。ゴリアテUの頭部を横薙ぎに弾き飛ばし、落ちた頭をつまらなそうに踏み砕く。
 勝負あった。今度こそ、完璧にゴリアテの負けだ。これ以上何をどうしようとも勝機が到来する事はありえまい。
 それでもスピーカーからは変わらず久我峰の哄笑が聞こえてくる。



 大島近海、自らの貨物船の一室で久我峰は泣いているのか笑っているのかよくわからない顔をしていた。頭も、腹も働かない。どうしていいのかわからない。ただもう彼にはゴジラを倒す事しかなかった。元より、そうしなければ自分には何も残ってやなかったのだ。
 秋葉の小生意気な顔が、ヴァンデルシュタームの憐れむような顔が、ありとあらゆる知人の顔が脳裏を埋め尽くし、愚かな自分を嘲笑って消えていく。
 嫌だ。
 こんな結末は嫌だ。
 何も手に入れられず、嗤われて、ただ朽ちていくなど我慢出来ない。そんな結末は許せない……あっていいはずがない――!
「ゴリアテェェェエエエエエィッ!!」
 思わず耳を塞ぎたくなる程の、悲痛な叫び。
 モニターの向こうでは、久我峰の意志に応えるかのようにゴリアテUがゆっくりと起きあがり、ゴジラへと向けて腹部を晒していた。



「まだ、やるつもりか」
 ゴリアテUの腹部が開き、そこに連装式のハイパーメーサー砲が出現した。おそらくはあれが奥の手なのだろう。他に飛び道具を大して仕込んでいないところを見ると、相当な量のエネルギーを割り振っているものと推測出来る。
「権藤一佐、再照準完了しました」
「……よし、待て」
 ハイパーメーサーの一撃で体勢を崩しでもしてくれれば御の字だ。
 タイミングを、見計らう。
 ゴリアテUの全エネルギーが腹部へと収束していく中、ゴジラは黙って壊れかけたブリキの大猿を見つめていた。ゴジラが何を考えているのか窺い知る事など出来やしない。憐憫か、嘲笑か。それともまったく別の感情なのか……
 だが、ついにハイパーメーサーが発射されようかというその瞬間、権藤は見た。
 アイアンロックスのオペレーションルームで、シオンも見ていた。
 果たして久我峰には見えていたのかいないのか……それは、ゴジラを知る者ならば誰もが顔を顰めずにはいられない、魔の光景だ。
 青白く発光していく、ゴジラの背びれ。
 破滅の輝きが、この光景を見る全ての者の視界を埋め尽くした。



「ハイパーメーサー、発射ぁッ!! その頭、吹き飛ばしてさしあげますよぉ!!」
 五連装ハイパーメーサー砲。ゴリアテUの全エネルギーのうち、およそ五十%を使用するまさしく最終兵器だ。通常のメーサー殺獣光線車の十数倍の破壊力を秘めたそれが、ゴジラの頭部目掛けて一気に解き放たれる。
 例えマグマにすら耐える肉体であろうとも、このエネルギー量で細胞そのものを焼き尽くせば砕けないはずがない。次の瞬間には、ゴジラの頭は粉々だ。
 久我峰の意地と野望の全てを乗せた奔流が、疾る。
 まるで巨大な雷のように空を裂き、ついにゴジラを打ち砕かんとしたまさにその時、久我峰はようやく青白い輝きに気がついた。
「ぬ、ぬぅなあああああっ!?」
 気付いた時には、遅かった。その輝きはあらゆるものを呑み込んでいた。



「全て……跳ね返しやがっただと……ッ!」
 ゴリアテUの放ったハイパーメーサー……金色の閃光は、まるで波がより大きな波に呑み込まれるかのようにゴジラの放射熱線に呑み込まれていた。
 対ゴジラ戦を想定して作られた超耐熱合金NT-1γ製のボディと言えども、剥き出しの発射口に自らが放った最終兵器と放射熱線が相乗された一撃を喰らっては耐えようがない。無骨なボディにそれが吸い込まれた瞬間、ゴリアテは完全に爆散した。遥か彼方まで伸びゆく一条の光が、噴煙を、雲を、何もかもを貫いて――その先にあったのは、一隻の貨物船だった。
「何処の船だ!? 航行禁止の時に……」
 言いかけて、何かに気付いたように権藤は口をつぐんだ。哀れな貨物船は船体の半分以上を吹き飛ばされ、海に沈んでいく。
 それを見届けることなく、権藤は部隊指揮へと意識を戻していた。あの貨物船が何であろうとももはや関係がない。乗っていたのがゴリアテUの主であろうとも、今の自分がなすべき事はゴジラの足止め、ただそれだけだ。
「約束の時間まで……十二分か」
 勝利の雄叫びをあげるゴジラの足下へ向けて、全メーサーが牙を剥く。
「上陸部隊が放射後、海上からも即座に放て! いいか、ヤツを転ばせようと、それだけ考えろ! 三回も転ばせれば俺達の勝ちだ!」
 何が勝ちなものか。心中で毒づきながら、権藤はマイクを握る手に力を込めた。
 ゴジラが片足を上げる。一歩を、踏み出す。
「ッてぇぇええーーーーーーーいっ!!」
 十年間待ち続けた権藤の、十二分。
 それをたった十二分と見るか、十二分もと見るか――そんな事は、戦いが終わってから考えればいい。
 幾筋もの閃光がゴジラの足下に命中し、盛大に破片を舞わせ、砂埃をあげる。
 権藤が、自分が笑っている事に気付いたのは、それから少し後の事だった。











〜to be Continued〜






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