episode-11
〜死闘〜


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 デジタルの灯りに照らされた薄暗い室内。思考の触覚を伸ばし、自らを機械と魔術とが融合したその巨大なシステムの中へ括り付け、やがて溶け込むイメージで徐々に接続、構築する。
 正面モニターに映るのは大島を含む関東一帯の地図。予め用意されていた要綱内容はもはや意味を成すまい。あのゴリアテのせいで狂ってしまった計画を修正するよりも、こうなっては一から練り直した方が早い。第一思考と第二思考をそちらに割り当て、第三思考以下を魔城『黄金城』キングジョーの各パーツへ急ぎ繋ぎ自らが魔城と一体になっていく。

 ――第三思考を頭部に接続。……完了。誤差、修正確認。
 ――第四、第五思考、胸部と脚部に接続完了。
 ――第六は通信、その他へ。第七思考、予備へ。

 キングジョーは頭部、胸部、腰部、脚部の四つのパーツが合体することで完成する、ヴァン=フェム最強の魔城だ。科学と魔術の融合――もっとも、こう言うとその区分に批判的なヴァン=フェム老は顔を顰める――である魔城の中ではアイアンロックスと並んで機械的部分が占める割合が大きく、起動の際にさして魔力を必要としないため、大した魔力を持たないシオンでも比較的楽に動かすことが出来る。難しいのは四つの部位を同時に操ると言う人形繰りの技術であったが、それもエーテライトをシステムに接続し分割思考を各部位に割り当て直接操縦するという方法で事なきを得た。そうすれば、あとは人間を操るのと同じだ。
 ただ、機体は合体分離機構を始め非常に複雑かつデリケートな作りをしており、今回も作戦決行ギリギリまで調整をしていたのが裏目に出た。とは言えこればかりはいかんともし難い。流石のシオンも久我峰の狂愚までは読めなかったのだ。
「……問題なし。いける……!」
 エーテライトによって直接システムと接続された今、シオンには本来の自分の目以外に三つの目がある。
 あとは起動スイッチに伸ばされた手を僅かに動かすだけだ。それで、今は薄暗い格納庫の中で閉じられている三つの目、その瞼が、開く。
 問題はない。シミュレーションは何百回と繰り返した。実際に動かしたのは僅かに二回程度ではあったが、それも自分は上手くやれたのだから。
「……キングジョー、起動――!」
 ほんの僅かな魔力と、膨大な電力が三つのパーツに流れ込んでいく。自分と一体化した魔城に力が満ちていくその感覚は、いまだ吸血行為に及んだことのないシオンにはわからなかったが吸血鬼が血を吸う時のそれと似ていた。
「……ゴードン大佐」
『おう。カタパルト、準備オーケーだ。いつでも行けるぜ、お嬢ちゃん』
 今、自分の身体は四つある。
 そのうち三つは、本来の自分には無い能力、即ち飛行することが出来る。
「……第一魔城『黄金城』キングジョー、シオン・エルトナム、行きます!」
 射出口が開き、三つの目に空が映る。三原山から漂ってくる噴煙だろう、そこに透き通るような青空はなく、シオンは思わず咳き込みそうになるのを堪えた。あまりシンクロしすぎても危険だ。必要以上に疑似感覚に引っ張られるわけにもいかない。今の自分に必要なのは、空を飛ぶ特殊な感覚。
 アイアンロックスのカタパルトから、キングジョーのパーツが三つ、ほぼ同時に空中へと射出される。強烈な加速による疑似感覚に気を失いそうになりながらも、シオンは見事な手際で各部を操ってみせた。
『お空の散歩はどうだ?』
「煙が邪魔でそれどころではありませんね。……黒木特佐に回線を繋いでください。ゴジラに、仕掛けます」
 下田沖から大島までは目と鼻の先だ。間もなく、射程内に入る。
『……シオン・エルトナム? こちら作戦司令室、黒木です』
 通信は即座に繋がった。
「黒木特佐、スーパーXU改到達と前後してメーサーヘリによる航空支援を願います。まずは私が単機……いえ、三機で奇襲をかけますので」
『わかりました』
「予定通り、出来るだけ遠距離から注意を惹き付けるだけで結構です」
 メーサーヘリの火力ではゴジラ相手にダメージは望めない。おそらくはキングジョーをもってしても無理だろう。現有戦力のうちゴジラを単純な火力で倒せるとしたら、アイアンロックスですら望みは薄い。
 スーパーXU改のファイヤーミラー、カドミウム弾で動きを封じ、防衛軍全艦隊とキングジョー、アイアンロックスの集中砲火に守護神獣モスラの力を加えて倒す算段であったものを、しかしその十分の一以下の火力で立ち向かわなければならないのだ。散発的な航空支援で注意を逸らしつつタイミングを見計らい、ヤツが倒れるまで何度でも最大火力を一点に撃ち込んでやるしかない。
『シオン・エルトナム』
「はい」
『御武運を』
 激励の言葉に頷いたシオンは、オペレーションルームではなく、今、確かに伊豆沖を飛行していた。三つの鉄の体、電子の光を灯した瞳は既にその視界に黒い巨体を捉えている。
「……ゴジラ」
 エーテライトで繋がれた操縦システムは火器管制も含め指一本動かす必要はない、全て意思のみで行うことが出来る。手持ちぶさたな両腕で震える身体を抱きしめ、シオンは息を呑んだ。
 なんという威圧感か、震えが止まらない。重圧に全身が押し潰され、抑え込んできた吸血鬼としての血が相手とのステージの差を全ての細胞に伝えてくる。それは生命体として埋めようのない絶対的大差だ。
 システムを通してでさえこれ程まで感じさせる吸血鬼の知覚を恨むか? それとも直に相対せずに済んだ幸運を喜ぶか?
 戦場が、見える。
 上陸部隊はもはやそのほとんどが壊滅しているようだった。だが、それでも僅かに残った戦力がゴジラを島に足止めし続けている。
 よくぞ……よくぞここまで持ち堪えてくれた。
「権藤一佐、シオンです。……権藤一佐?」
 応答は、無い。通信機からは無情な雑音が返ってくるだけだ。
「……くっ」
 呻くように自らを嘲笑し、シオンは島の状況を確認した。
 司令部仮設テントが設置されていたはずの大島南高等学校は熱線で薙ぎ払われたのか、崩れ落ち、校庭にも巨大な溝が穿たれている。
「復活から三十分も経っていないと言うのに……」
 大島はもはや見る影もなかった。ほんの数日前、訪れた時に見た街並みは消え去り、砕け、焦げ、溶けた建物が散乱するその姿はまさに地獄だ。この地獄を具現させたのがただ一頭の怪獣で、しかし上陸部隊はそのような化け物を相手に一歩も退かず時間を稼ぎ続けていてくれたのだと……
 それに比べ、自分のなんと卑小なことか。無言のままに、オペレーションルームの中でシオンは敬礼の姿勢をとっていた。

 ――いつまで震えているのか、シオン・エルトナム――!

 ゴジラの咆吼が耳を劈く。
 全思考が導き出した結論は、言うまでもない。だがそれでも今のシオンに怖れはなかった。狭い室内で立ち上がり、両腕を組んだまま意識内のトリガーに指をかけた。
「……一斉射!」
 三機のキングジョー・パーツ、その砲門が一斉に開き、メーサーの輝きがゴジラへと向けて殺到する。キングジョーのメーサー出力は殺獣光線車の数倍、四体合体さえ出来ればさらなる出力も絞り出せるが、現状ではむしろ分離形態の方が時間を稼ぐにはもってこいだ。
 メーサーに撃たれたゴジラが身悶えし、キングジョーを睨み据える。
 機械を通し、シオンは真っ向からその視線を受け止めた。





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「黒木特佐!」
「どうした?」
 スーパーXの出撃準備を済ませ、航空支援のためのメーサーヘリ部隊を大島へ回そうとしていたその時、オペレーターが突如黒木の名を叫んだ。
「と、東京上空に……ギャオスの、ギャオスの群れが!」
「なんだと!?」
 黒木が驚愕すると同時に、正面モニターに東京上空の観測図が映し出された。そこには数え切れない程の赤い光点が蠢いている。これが全てギャオスだと言うのなら……東京は、一時間を待たずして壊滅だ。
「何故今まで気がつかなかった!?」
「そ、それが……突然現れたとしか……」
 そのオペレーターにも何が何やらわからないのだろう。確かに誰一人気付かずこれだけの数が東京上空へ近付けるわけがない。それこそ突然現れたりする以外には。
 だがギャオスにそのような能力があるなど初耳だ。今までそういった報告はなかったし、コスモスからも聞いていない。となれば、何者かがレーダー監視網に大掛かりなジャミングを仕掛けたとでも言うのだろうか?
「……馬鹿なっ!」
 馬鹿げている。そのようなこと、一体誰が、何故このタイミングで……
「現れたギャオスのサイズは!?」
「中型と小型ばかりです! 大型は確認されていません! ……あ、いえ、これは一体……一体だけ大型の影が……し、しかしこれは……」
 拡大画面に映し出されたのは、中型ギャオスの数倍はあろうかという巨大な影。翼長は大型ギャオスのさらに二倍以上はある。
「……ギャオスじゃ、ない?」
 その影のフォルムはギャオスとは明らかに異なっていた。
 翼の形状も異なっていれば、頭部と思われる箇所も短い、と言うより首がない。それどころか脚部も認められない。ギャオスと言うよりも、これはまるで……
「巨大な、蝶?」
 ならば、この影はモスラなのだろうか。しかしモスラなら何故ギャオスと行動を共にしているのか。まさか、コスモスに謀られた?
 そこまで考えた時、新たに通信が入った。
「防衛庁長官から通信です! り、陸海空各自衛隊、さらに特自は、全戦力をもってギャオスの大群を迎撃するよう……Gルームも……同様に……」
「そんな……ではゴジラは、ヤツはどうしろと言うんだ!?」
 取り乱している場合ではないとわかってはいても、黒木には荒立つ声を抑えることは出来なかった。確かに今はギャオスを迎撃するのが急務だ。島民の残っていない大島とは違い、東京には今も一千万を超す人々が生活しているのだから。
 だが、それでも……
「……冬木に連絡をとれ」
 ここでゴジラを見逃し、ギャオスに続けてヤツの本土上陸まで許しては日本は本当に壊滅だ。いや、世界そのものが滅ぶ。
「家城三尉と結城少佐は予定通りスーパーXU改を大島に急行させてください。我々Gルームは、ゴジラを叩きます……!」
 命令違反は覚悟の上だ。
「……ただしメーサーヘリによる航空支援は無しです。伊豆の艦隊も半数は東京湾へ向かわせます」
 黒木の言葉に、茜は黙って深々と頷いた。結城も異論はないとばかりに指をコキコキと鳴らしてみせる。
「冬木と通信繋がりました」
「……負けて、たまるものか」
 誰にも聞こえないようそう呟き、黒木は通信機を手に取った。
 モニターに増え続ける光点は、なお気味悪く蠢いていた。





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 息が切れる。
 ようやく半分程も来ただろうか。まったく、この大空洞の長さときたらたまったものではない。
「遠坂さん、急いで……」
「急いでください!」
 コスモス達を両肩に乗せ、凛は大空洞を出口へ向けて全力疾走していた。足場の悪い洞窟内を走るのは危険極まりないが、とは言え速度を落とすわけにもいかない。

『もう、そこまで来ています……!』
『黒い大蛾が、日本のすぐ近くまで!』

 大空洞の最奥でモスラへと祈りを捧げていたはずの二人は、突然そう叫ぶとその小さい身体を出口へと走り出させた。一体何事かと二人を抱え上げ、取り敢えず肩に乗せて走りだした凛に二人が語ったことが本当なら、事態は一刻を争う。
「まさか、このタイミングで仕掛けてくるなんて……」
「……私達が、甘かったようです。星の怒りは、予想よりも遥かに大きいのかも知れません……」
 二人の話によれば、一万二千年の昔、彼女らの崇める守護神獣モスラと戦い封印された『黒き大蛾』が、ギャオスの大群を引き連れて東京に向かっているとのことだった。本来コスモス達の力を持ってすれば事前に察知できたであろうその接近も、何者かによって妨害されていたらしい。寸前になってようやく気がついても後の祭だ。
 その時、凛の腰に吊されたトランシーバーがけたたましく鳴り響いた。速度を緩めることなく手に取ると、その向こうから聞こえてきたのは桜の切羽詰まった声だった。
『姉さんですか!? 東京の黒木特佐から、東京上空に――』
「ギャオスの群れ!? ……遅かったってわけ……そんな……」
 落胆している暇はない。そのまま走り続けながら、凛は桜から現在の状況を聞き出すとさらに速度を上げた。
『ギャオスは中型と小型だけみたいなんですけど、中に一体だけ大きいのが……どうもギャオスとは形が違うらしくて……その、蝶みたいなシルエットだとか……』
 そこまで聞いて、コスモスが息を呑む。
「……やはり、黒き大蛾が……」
「バトラが、来たのですね……」
「ぜぇ……はぁ……バ、バト……ラ?」
 苦しそうにコスモスが呟いた名前を聞き返す凛に、二人は頷いて見せた。
「バトラ……それが黒き大蛾の名です」
「私達の祖先がモスラを生んだ際に、星も同じく自らの使者を生み出しました」
「それが、戦うためだけのバトル・モスラ。バトラなのです」
 凛からの返答はない。
 コスモスもそれ以上急かしはせず、ただ黙って出口に辿り着くのを待った。
 早く、一刻も早く。
 もうこれ以上妨害するつもりはないのか、二人にははっきりとバトラの存在が知覚できた。怖気立つ程の憎悪が向く先は、間違いない。かつて自分を封じた者、モスラだ。バトラの溢れんばかりの戦意は、全てモスラへと向けられている。
 双方共に甦ったばかりで条件は同じだが、バトラはギャオスを引き連れている。かつてギャオスの群れと戦った守護神獣……世界各地で彼らが目覚めつつあるのは感じるが、まだ足りなすぎる。このまま圧倒的物量で攻められては人類が滅ぶのは時間の問題だ。こうなる前に、ゴジラを倒してしまいたかったものを……
 出来ることならばバトラを避けて通りたいところだが、それには大幅に迂回する必要がある。そうなってはどちらにしろ手遅れだ。
 二人は心中でモスラの名を叫んだ。モスラももう間もなく東京上空へと差し掛かる。バトラとの決戦は、おそらく想像を絶する程激しいものとなるだろう。
 だから二人は祈った。自分達の守護神の勝利を。人類の、未来を。
 祈り、願うことでモスラが生まれたのなら、その想いはきっと力になるはずだからと、そう信じて。





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“死”を眼に宿す自分でさえ吐き気を催す程の濃密な死の気配に、志貴は思わず蹌踉めきながらも自らの前に立つ二人組から目を逸らせなかった。
 寒い。
 二人組が浮かべた涼しげな笑み、怜悧な視線、そして……全身から漂う死臭。
 ポケットの中をまさぐり、七つ夜の銘が入った短刀を握りしめる。

 目眩がする――否――眼が、奴らの存在に脅えている――

 大通りの方からは逃げまどう人々の悲鳴。空には無数のギャオスの群れ。そして、自分の前には……
「姫君は、ご在宅でありますかな?」
 そう訊ねてきたのは自分から向かって左側に立つ黒尽くめの男。
 ――やはり、吸血鬼か。
 恨めしいことに、それは彼らを見た瞬間、いや気配を感じた瞬間にわかっていた。遠野志貴は、彼らと同じニオイを纏った者達を知っている。吸血鬼の祖と呼ばれ、数え切れぬだけの者達を殺めその命でもって永い時を生き延びてきた化け物達を知っている。
「あいつに用なら、後にしてくれないか? 今、ようやく眠ったところなんだ」
「左様でございますか」
 残念そうに、しかしそれは上辺だけだ。本心は好都合と言ったところだろう。涼しげな笑みを崩さぬままに、黒尽くめは滑るように進み出た。
 漆黒のスーツに包まれたその身体は2メートル近く、さらに異常なのは彼が右手に携えたエモノだった。
 黒尽くめの長身よりもなお長い棒状の包み、そのあまりにも禍々しい気配に短刀を握った手が汗ばむ。
 槍? いや……剣、か。
 刀身と思われる部位から発せられるドス黒い怨念によって“視える”のだ。武器の、形状が。こんなことは初めてだった。暗殺者、七夜に伝わるこの短刀に染み込んだ血と命ですらあの剣から発せられる怨念には程遠い。
 アレは、いったい何だ?
 殺すための武器じゃない。アレは、アレ自体が一つの“死”そのものだ。
 眼鏡を外さなければ――そう思うのに、眼鏡にかけた手が震えてうまく外すことが出来ない。このあまりにも濃密な“死”に、果たして耐えられるのか……肉体が、遠野志貴と言う存在の本能が拒否しているのだ。
「賢明だな。その眼鏡は、外さない方がいい」
 そう言ったのはもう片方、こちらはまったく正反対の白いスーツ姿の優男……黒い方にばかり気を取られていたが、この男が纏う空気も尋常ではない。
 相手は666もの命でもなければ、現象などというあやふやなものでもない。ただの二人。ただの二人だというのに、どうしてか。
 眼鏡を外さずとも視えるその“死”は、間違いなく自分の“死”だ。

 殺される。
 間違いなく、自分は、あの二人に――

 ――遠野志貴は、殺される。

「何もそう脅えなくとも、大丈夫でございますよ」
 いつの間にか、黒尽くめは息がかかる程の距離にまで近付いてきていた。
「我々は、主命によって姫君をお迎えにあがっただけのこと」
 その甘い囁きに心が落ち着いていくのが情けなくて、志貴は自らを見下ろす黒尽くめを全霊でもって睨め上げた。
 穏やかな瞳だった。戦意など、殺意など欠片も感じられないような、深海のように黒く、深く、静かな瞳だった。
「さぁ、そこをお退きください。今ならまだ避難も間に合いましょう」
 その一言で理解した。
 二人はギャオスの群れとともに来たのだ。この二人が、ギャオスを引き連れてきたのだ。だから逃げ場なんて無い。
 戦意がない? 殺意がない? そんなの、当たり前だ。
 必要がないからだ。それは息を吸って吐くのと同じ程度の事だから。
「……ふむ」
 ゆっくりと、眼鏡を、外す。
「もう少し、頭の良い子かと思ったんだが」
 白尽くめがさも残念そうに肩を竦めるのが見えた。だが、そんなのはクソ喰らえだ。こんな奴らに惚れた女を委ねるような頭の良さなら、自分は馬鹿でいい。
「残念でございますよ。姫君も、さぞ悲しまれることでしょう」
 大仰にかぶりを振って、黒尽くめは手にした包みをゆっくりと翳した。その後方では白尽くめが左手を振るい、途端、三人がいる空間から血と肉の匂いが消えた。今の今まで空を飛び交っていたギャオスの姿も見えない。どうやら結界を張ったようだ。
 状況を確認しながら、志貴のポケットに突っ込まれたままだった右手が流れるような所作で短刀を引き抜く。白尽くめは結界を張った以外は手を出すつもりはないらしい。志貴にとって目下の敵は、黒尽くめ一人のみだ。
「愛する者のために命を懸ける……美談ではありますが――」
「御託はいい」
 そう、もういい。充分すぎる。
 これから殺し合う二人に、そもそも会話など不要なのだ。
 志貴の意思が伝わったのか、黒尽くめも今までの饒舌さが嘘のように押し黙った。ただ、口元に浮かべた涼しげな笑みだけは変わらない。
「……一つだけ、よろしいですかな?」
「……」
 無言で促す。隙あらばいつでも斬りつけるつもりだったが、望みは薄そうだ。
「失礼ながら、名乗るのを忘れておりました。私の名はリィゾ。リィゾ=バール・シュトラウトと申します。お見知り置きを、殺人貴殿」
 名乗り返す必要はあるまい。向こうは、こちらのことなど先刻承知だろう。
 真祖の姫君の恋人にして、混沌を殺め、タタリを退け、さらに蛇を仕留めた極東の殺人貴。
 距離を取ろうにも、その瞬間自分は斬り捨てられているだろう。ここまで近付けてしまった己の未熟さを悔やもうにも、しかし今度ばかりは実力が違いすぎる。
 ネロ・カオスも、ロアもワラキアも、技量に長けた相手ではなかったから暗殺者の特異な体術でもって不意をつくことも出来た。さらに吸血種というのは自分の不死性に自信を持っているためかあまり攻撃を避けるということをしない。となれば自分の一撃は即ち致命必滅の一撃だ、勝つことも不可能ではなかった。だが、この男は、リィゾと名乗った吸血鬼は違う。
 隙が無い。
 技量の点でも、自分はこの男の足元にも及ばない。
 冷や汗すら流れぬ緊張。
 このままでは駄目だ。全身がこう強張っていては七夜の体術も使えない。もっとも使えたところでこの男の不意をつくのは無理だろう。自分の技など所詮は幼い頃に叩き込まれただけの、言うなれば基本中の基本に過ぎない。身体が覚えているだけのそれではこちらを侮りきった相手の不意をつくくらいならば兎も角、自分よりも圧倒的に優れた相手と正面から斬り合うなど出来るはずがない。愚の骨頂だ。
 それでも、一撃あてさえすれば勝てると言うのは大きいはずだった。あらゆる戦闘を心理的に優位に進められる、殺し合う上での最高のアドバンテージであったはずなのだ。
「どうか、なさいましたか?」
 痛む眼を必死に凝らす。
 忌まわしい眼だった。この世万物の死を映す直死の魔眼。だが、忌まわしくはあってもこれまでに何度も自分の身を救ってくれた眼でもあった。
 それが……その、はずが――
「何かおかしなモノでも見えましたか? それとも……」
 おかしなモノが見えた……確かにそうだ。
 これは、おかしい。今自分が見ているモノはおかしい、おかしすぎる。
「それとも、視えるはずのモノが視えない……とでも?」
 男の身体には、死徒リィゾ=バール・シュトラウトの身体には無かったのだ。
 死の線も、点も、何も。一つたりとも。

 震える短刀の切っ先をリィゾに向けたまま、志貴はただアルクェイドのことを想った。今の彼には、そうする以外どうすることも出来なかった。





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「よし、こっちだ!」
 エネルギー残量ギリギリのメーサー銃を肩に担ぎ、権藤は数名の部下を連れて瓦礫の山の中を疾走していた。司令部仮設テントが薙ぎ払われる直前、光線車部隊を援護するために自らメーサー銃を片手にゴジラへ向かっていったことが功を奏し、彼は辛うじて無事だったのだ。
「なんとか嬢ちゃんを助けてやらにゃあな」
 生き残っている部下は島全体で果たして何名いるものか。司令部を離れる直前に確認できた残り光線車の数は僅かに七両程度だった。今も上空のキングジョーからの光線の他に地上から放たれている光線もあるので、何両かは生き残っているものと思われる。
 そろそろスーパーXが到着してもいい頃のはずなのだが、それどころか事前の航空支援の様子もない。連絡を取ろうにも、ゴジラから発せられる放射能の影響か携帯している通信機程度では何処にも繋がりようがなかった。
「……クソッ!」
 悪態をつきながらも走り続ける。
 上陸部隊の光線車乗りは全員が対特殊生物戦のベテラン、精鋭揃いだ。例え通信能力が失われても、各個の判断で出来る限りのことをしてくれるはず。そう信じるからこそ権藤もまだ諦めるわけにはいかなかった。
「嬢ちゃんもよくやってくれてはいるが……そろそろ限界か」
 驚異的な回避運動でゴジラの熱線をかいくぐりながらメーサー砲を浴びせ続けていたキングジョーの各パーツだったが、徐々にゴジラもその動きに慣れつつあるのか先程から被弾率が上がってきている。今はまだ掠った程度でも、放射熱線直撃は時間の問題だろう。
 他の特殊生物、怪獣達と比べ、ゴジラの怖ろしいところはその学習能力の高さにある。ヤツは凄まじい速度で学んでいくのだ、自分に害を為す者を。戦闘を長引かせれば長引かせただけゴジラ攻略は困難になっていく、その事を誰よりも理解している権藤だけに無念だった。
「よーし、この辺りならまだマシな方だろう」
 メーサーの射程ギリギリ、比較的建物や道路の被害が少ない位置で、権藤は部下達を集めた。
「いいか? ヤツの注意をキングジョーから逸らすことだけ考えろ。そして撃ったら即座に動け! 無茶はせんでいい、無理だと思ったら退がれ」
 例え最新式のメーサー銃であろうとも形態火器の火力ではゴジラ相手にダメージなど与えられるわけがない。だが、それでも当たり所によっては注意を逸らすことくらいは出来る。
「いいか、死ぬなよ! ……散開!」
 権藤の命令に、全員力強く頷いて駆け出していく。
「……死ぬなよ、か」
 部下が全員物陰に身を潜めるのを見届けてから、権藤はその言葉を反芻していた。十年前、自分の上官もそう命じた。その言葉通り権藤は生き延び、そして、上官は帰っては来なかった。

 ――いよいよ俺の番が回って来やがったってことか――

 そんな事を考え、権藤は苦笑した。
 らしくもない。自分はそんな殊勝なことを考えるタマではない、ただヤツを倒すことだけを考えていれば、それでいいはずだ。
 部下達が隠れた位置よりも幾分ゴジラに近い建物脇へ身を顰めると、権藤はゴジラの鼻っ面へと照準を合わせた。
「……チャンスは作ってやる。上手くやれよ、嬢ちゃん……!」





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 東京都八王子市上空。無数のギャオスの群れの中、一際大きな黒い影が因縁深い相手を待ち構えていた。
 黒き大蛾、バトラ。
 彼が待つのは、一万二千年もの昔に自らを封印した者。かつてこの星に霊長として君臨していた者達の願いで生み出された極彩色の守護神獣。聖なる大蛾、モスラ。
 ギャオスの群れに殺戮と都市の破壊を命じ、バトラはただ徐々に近付いてくるモスラの気配に心を躍らせた。あの時は不覚を取ったが、今度はそうはいかない。正しきガイアの守護者として、害虫が生んだ紛い物の守護者などに二度と敗けるわけにはいかないのだ。
 ――そう、害虫だ。
 一万二千年の時を経ても、結局この星にはあの頃と同じ種が君臨し、同じ過ちを繰り返している。あの猿から進化した連中にはまったく救いがない。それどころか今回はあのような破壊神までも生み落とし、この星に危機をもたらしたのだ。
 ゴジラと呼ばれる獣が放つあまりにも禍々しいオーラには、流石のバトラも気圧されていた。モスラも含め、かつて相対したどのような守護神獣ともレベルが違う。自分やギャオスをすら凌駕するその力は、惑星最強生命を名乗るに相応しいものだ。

 ――かつて生まれ得なかったモノを、よもやヒトが生み出すことになろうとは――

 ガイアにとってもまったくの想定外だった。星の思い通りにならない惑星最強生命などあまりに危険すぎる。アレさえ生まれでなければ、ヒトもあと一万年は生き延びることを許されただろうに。まったく、愚かなことだ。
 そこまで考えた時、バトラはようやく待ち望んだ相手が到着したことを悟った。
 黒翼が翻り、最大速度で相手を目指す。どうやらゴジラを目指しているようだが、行かせはしない。貴様が戦うのは自分だ。ヒトの願いを宿した極彩色の翼と、ガイアの意志を宿した漆黒の翼……今度こそ、決着をつける。
 黒翼の大蛾は、一万二千年分の執念を乗せ天空を駆け抜けた。もし彼に笑うという機能が備わっていたなら、間違いなく笑っていただろう。だが彼には笑うなどという機能は備わっていない。何故なら、その身は戦うためにのみ生み出されたモノ。漆黒の翼も身体も、戦場を舞うためのみに在る。
 バトラの頭部の触角が光り、雷光が雲を裂く。
 雲の裂け目の向こうに待ち侘びた相手の姿を確認し、バトラは歓喜に打ち震えた。

 ――ようやく、ようやく会えたな……モスラ――!!

 そのままの勢いで二度、三度と交差し、二体は大空高く対峙した。
 近寄ろうとするギャオスは一匹もいない。予めバトラはそう命じていたし、何よりもギャオス達が手を出せるレベルではなかった。だからこの極彩色の決戦には観客は一人もいない。誰も見ることのない、あまりにも美しい死闘。
 牙を打ち鳴らし、バトラはモスラへと挑みかかった。
 意識を大島に向けつつも、モスラにはそれを迎え撃つことしかできなかった。






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「ああっ!」
「秋葉様っ!?」
 先程の激しい地震がおさまってから激しい頭痛に襲われていた秋葉は、今までで最大級の衝撃についにその身を崩し、膝をついた。琥珀が駆け寄って額に手を伸ばすが、特に熱はない。と言うより、肉体的な異常は認められなかった。秋葉はしきりに身体が熱いと言うが、熱いのは秋葉の身体ではない、彼女が首から下げた勾玉が明滅し、激しい熱を放っているのだ。
 辛うじて洞窟の崩落を免れた秋葉、翡翠、琥珀、そして稗田の四人が逃げ延びた此処、甲神島北端の岬からも、大島三原山の火口から噴き出るマグマと噴煙は確認できた。それ以外にも時折見える閃光は、おそらくゴジラの吐く熱線と人類側のメーサーのものだろう。
 そして閃光が迸る度に、秋葉の身体を衝撃が襲うのだ。まるであの閃光に呼応しているかのように。
 秋葉は半ば意識を失いかけていた。
 頭痛のためにではない。何者かが――これは異能の血を引く自分だからそう感じるのかも知れないが――秋葉の意識へと働き掛け、呼んでいる。
 それはあまりにも巨大な力の流れだった。紅赤朱としての自分の力ですら遥か及ばない、次元の違う力だ。
 勾玉は、その力と自分を繋ぐ触媒だった。
 頭痛も勾玉の明滅も、ただ一つのことを告げている。一体何を告げようとしているのか、次第に秋葉にもわかりかけてきていた。
 巨大な力の流れは、今、まさに目覚めようとしている。深く暗い海の底から、目覚め、その姿を顕そうとしている。

 甲神に伝わる異形の玄武伝説。
 地下洞窟の謎の壁画。
 力を、意思を伝える勾玉。

 それらが一つの結論に帰結し、果たして何を為そうとしているのか……秋葉には全てを正しく理解することは出来なかった。ただ、脳裏を過ぎる顔があった。
 兄の――遠野志貴の顔が、続いて琥珀と翡翠、あきらや蒼香、羽居、シオン達友人に加え、今は亡き父母やもう一人の兄、果てはシエルやアルクェイドの顔とが次々と浮かんでは消えていくと、最後にもう一度志貴の顔が通り過ぎていった。

 ――何故?

 秋葉は問う。
 答えは、何処からも、誰からも返ってはこない。代わりに聞こえてきたのは不思議な言葉。そう、これは……名前だ。水底から浮上してくる巨大な力の、名前。

「……ガ、メ……ラ……?」

 そう呟くと同時に、秋葉は意識を失った。
 彼女が意識を失ったのと、海面がせり上がり、巨大な影が琥珀達三人の前に姿を顕したのとは、まったくの同時だった。





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「これは……甲神の、玄武……」
 今、稗田が目にしているその姿は、まさしく甲神の地下洞窟にて壁画に記されていた奇妙な玄武そのものであった。
 後ろ足で立つ大きさは、100メートル程もあろうか。それこそ大島で猛威を奮っているゴジラとほぼ同じスケールだ。緑がかった黒い硬質な皮膚、巨大な甲羅から突き出た筋肉質な手足は、見るからに力強い。
 そして、頭部。
 長い牙は亀と言うよりもまるでサーベルタイガーのようだったが、その凶悪な面相に対し不思議と恐怖は感じなかった。琥珀と翡翠もそれは同様のようだ。秋葉を抱きかかえながら巨大亀を見上げる二人の目にも、怯えの色は感じ取れない。
「……優しい……目……」
 ポツリ、と翡翠がそう呟いた。
 優しい? この怪獣の目が?
 そう言われ、稗田はもう一度巨大亀の目を見つめてみた。
 優しい、というニュアンスは兎も角、確かに穏やかな温かい目をしている。それはこれまでに多くの妖怪や死霊と相対してきた稗田にもわかった。
 この巨大な亀……玄武には、人類に対して敵意はない。そう見える。
 亀はその巨体を身動ぎ一つさせず、静かにこちらを……おそらくは秋葉を見つめていた。だからこんなにも穏やかな瞳をしているのだとすれば、果たしてこの巨獣は何者なのだろう。
 どのくらいそうしていたのか、巨大亀はゆっくりと動き出すと、その視線を大島へと向けた。先程まで感じていた穏やかさが嘘のように、その目には明らかな敵意が映っている。
「まさか……」

 ――戦うつもりなのか? ゴジラと?

 もう一度こちらを振り返り、秋葉に向けて微かに頷くような仕草を取ると、巨大亀は突然頭と手足を引っ込め激しく回転し始めた。
 なんたる異様な光景か。稗田も、琥珀も翡翠も言葉もない。呆気に取られ黙って見守ることしかできなかった。
 巨大亀は、浮かんでいた。
 高速で回転しながら、頭と手足、尻尾を引っ込めた代わりに火を噴きつつ。その姿はまるでUFOか何かのようだ。
 三人に見送られ、巨大亀は大島へ向けて飛び去っていった。
 いまだ目覚めぬ秋葉をしっかと抱きしめ、琥珀は亀が消えた空をいつまでも、いつまでも見上げていた。 











〜to be Continued〜






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