episode-12
〜邂逅〜


◆    ◆    ◆






 それは、まさに地獄のような光景だった。
 ――否。地獄などという言葉で片付けるには、あまりにも惨すぎる。
 残酷、凄惨、阿鼻叫喚……いかなる言葉で語ることが出来るというのか。
 日本の首都、人口一千二百万人の大都市東京に襲い掛かった悪魔の群れは、性別も、年齢も、人種も、あらゆる事に対し平等に殺戮を開始した。
 悲鳴と怒号が入り交じり、絶え間なく響き渡る断末魔が逃げまどう人々から正常な思考を奪い去っていく。

 赤ん坊を喰い殺され半狂乱になった母親は、次の瞬間鋭い爪で顔面を串刺しにされた。
 下半身の無くなってしまった恋人に縋り付いていた男は、牙で頭蓋を割られ、恋人の遺体の上に崩れ落ちた。
 腰が抜けてしまったのか、道路の真ん中で抱き合って念仏を唱えていた老夫婦は、凄まじい勢いで滑空してきた巨体に薙ぎ払われ、粉々に四散した。

 やがて人の声が絶えた場所からは、クチャクチャと何かを咀嚼する音だけが不気味に聞こえ始め、排水溝は血で溢れかえった。街中何処を見渡せども、まるでカラスが荒らした後のゴミ捨て場のようだ。肉体という袋はズタズタに引き裂かれ、食い散らかされた臓腑がそこかしこに散乱している。それこそ、ゴミのように。
 そんな街の一角に、不気味なくらい静かで綺麗な空間が残されていた。
 逃げまどう人々も飛び交うギャオスの姿もなく、それどころか喧噪すら聞こえてこない隔離空間。単なる人払いの結界ではなく、もはや異界に近い。
 固有結界、大船団“パレード”によって名を馳せる白騎士フィナ=ヴラド・スヴェルテンが張った結界はその応用、前段階のようなものだ。彼が望んだ瞬間、この一角は船団に呑み込まれることとなる。
 だがフィナはそれを使うつもりはなかった。使う必要がない、と言うべきか。
「……ふっ」
 いい動きだ。
 フィナは、相方である黒騎士に先程から間断なく攻撃を仕掛ける少年の動きに素直に感心していた。
 気配を消し、地面と壁を利用した動きで目眩ましを多用しつつありえない位置から攻撃が飛んでくる。しかもその攻撃が確実な一撃必殺とくれば、確かに二十七祖と呼ばれる程の化け物でも分が悪かろう。
 基本的に、吸血鬼は体技を磨かない。それは己が能力への自負と傲慢であり、二十七祖クラスともなればその圧倒的な不死性と異能こそが真価なれば、些末な技術は事実として必要ないからだ。特に魔術師や錬金術師上がりの祖にはそれが顕著で、彼らは理屈として自己の限界を、そして人間の肉体的限界を知っている。限界を知り尽くした上で、体技戦技の類を不要と切り捨てるのだ。
 ネロ・カオス。かつて一度、フィナは混沌と戦場でまみえたことがある。
 まさに恐るべき異能であった。パレードを全力解放しても圧倒しきれない程の獣の群は、一匹一匹にさしたる驚異はなくとも666もの爪牙を剥き出しに絶え間なく襲い続けてくる。あの混沌の波とまともに衝突したのでは、例えどのような戦技であろうと敗北は必至だ。自分や、それに黒騎士でも、負けはせずとも勝てもしないだろうと言うのが正直なところだった。
 だが、その混沌は目の前の少年に討ち取られたのだという。
 俄には信じがたいことであっても、しかし少年の動きとその両眼に宿した異能を知れば確かに納得がいく。
 なるほど。ネロ・カオスでは彼には勝てない。
 ネロを殺し尽くすには、一体一体が不死身とも言える獣666を全て死滅させる必要がある。これは非常に困難なことだ。自分達の主たる黒の姫君や、その妹、白の姫君の力を持ってしても可能かどうか。
 だが、そのうちの一匹を倒すことはけして難しくはない。聖堂教会の下っ端僧兵程度の力でも充分に可能なことだろう。本来ならネロはその程度では揺らがない。彼の不死の前に、一匹が一時的に倒されたことなど無意味に等しい。しかしながら、もしその一撃が彼の混沌全てを死に至らしめるだけのものであったとしたら……?
 厄介な少年だ。
 まさに吸血種に対するジョーカー。自分も不死性には自信があるが、そんなもの彼の眼を前にしては紙切れにも等しい。
「……が、それでけでは、無理だ」
 それでも、フィナは黒騎士リィゾの勝利を寸分も疑ってはいない。自分が戦ってもまず勝ちは動かないだろう。
 理由は明白。
 自分達は騎士だ。魔術師でも錬金術師でもない。千年を超えて戦技を磨き続けてきた、筋金入りの騎士だ。
 肉体の限界などとうに知り尽くし、その上で極まった肉体や精神は時に理屈すら覆すことを知る二人なのだ。ならば、負ける道理がない。一撃喰らえば死ぬと言うことは、一撃も喰らわなければ死なないと言うことなのだから。
 さらに黒騎士の不死性は通常の吸血種とは事情が異なる。混沌にとってあの少年との相性が最悪だったのと同様、リィゾは少年にとっておそらく最悪の相手だ。むしろ厄介なのは、少年を傷つけたり殺してしまうなどすれば姫君が黙っていないだろうということだった。
 傷つけることなく彼の牙を折るには、やはり自分よりも黒騎士が適任だろう。



「良い動き、でありますな」
 迫り来る斬突を愛用の魔剣ニアダークによる僅かな動きでいなしつつ、リィゾは本心から志貴の動きに感心していた。地面、塀、電柱。その全てを足場にして長大なニアダークの間合い外から飛びかかり、続けざま今度はまとわりつくかのような超接近戦を仕掛けてくる。
 混沌とタタリを撃破し、アルクェイド・ブリュンスタッドと心を交わした人間である遠野志貴の素性は予め調査済みだったが、幼少時に習い覚えただけだと言う拙い技術でここまでやれれば大したものだ。そのまま修練を積んでさえいれば、暗殺者としてだけではなく戦士としても一角のものに成れたろうに。
 もっとも、一角の戦士であればリィゾに勝てるか、と問われればそれも否である。人間と吸血鬼の身体能力差以上に、何よりも戦士として積み練り上げてきた年月が違いすぎる。その差を埋めることが出来るものは一つしかない。
「迷いのない動きもですが、しかしそれにも増して気迫が良い」
 拙い技術をカバーする気迫は、誰かを愛するが故の強さ。
 ネロもワラキアも、この気迫を読み誤った。彼らは人間の限界を知るが故に人間を侮ってしまった。枠に押し込め、限界を超える力などありはしないと断じていた。
 だが、違う。
 人は時としてその限界を上回る。理屈という枠など容易に飛び越してしまう場合がある。
 大したものだ。自らの強さの根幹を主への忠義であると自負しているリィゾは、だから侮らない。冷静に相手の攻撃を見極める。
 鋭く、速い攻撃だが、リィゾは見抜いていた。
 直死の魔眼。
 あらゆる存在の死を見通すとされる魔眼も、黒騎士リィゾが相手では少々分が悪いと見える。先程から、少年はリィゾ本体の急所を狙っているようでありながら実際にはニアダークの死を突こうとしていた。己が半身とも呼べる、古来より音に聞こえた魔剣ではあったが、流石に不滅というわけにもいかない。剣と剣がぶつかり合う寸前、ほんの僅か接触位置をずらしてやることでリィゾは魔剣への必殺を避けていた。
 とうに気付いているだろうに。
 少年は視ることが出来ないのだ、リィゾの死の点を。
 リィゾ自身もけして永遠不滅の存在というわけではない。ただ、その死の原理が遥か昔にかけられた呪いのせいで少々特殊なだけだ。その特殊さ故に少年はリィゾに死を視ることが出来ない。相性で言えばまさしく最悪な相手と言えた。
「健気なものでありますな」
「……」
 志貴は何も答えない。一言も発せず、ただ黙って攻撃を繰り返している。言葉にすればその分だけ力が抜けるとでも言いたげに。
「そう容易くは、折れて貰えませぬか」
 その気概、嫌いではないがしかし黒騎士と少年は敵だ。
「……っ!」
 これまでリィゾにまとわりつくように仕掛けてきた志貴が大きく後方に飛び退く。その瞬間、先程まで彼がいた場所を魔剣が豪風と共に薙いでいた。
 彼を傷つけて姫の怒りを買うのは厄介だが、とは言え傷つけずに折るには少年の心はあまりにも固すぎた。腕の一本や二本はかまうまい、生かしてさえおけば使いようはある。
 途端、戦慄が疾った。
 暗殺者の頬を冷たい汗が伝う。
 勝ち目がないことなど承知の上だ。それでも志貴は短剣を振るうことしかできなかった。振るって、振るって、そうする以外どうすればいいのかなど、到底わかりはしなかった。





◆    ◆    ◆






「うへぇ。酷いねこりゃ」
 ようやく完成した結界器『マクー』を携え、伊豆のシオンと合流するために筑波の生命工学研究所を出発したメレムと白神は新宿で足止めを食っていた。理由は勿論ギャオスの襲撃のためである。
「でも空路じゃなくて陸路を選んで正解だったかも知れないね。下手すればあの群れと鉢合わせてたかもかと思うとゾッとするよ」
 ギャオスの群れは突如として八王子上空に出現、東京西部はいまや地獄の様相を呈していた。此処からでも西の空を覆い尽くさんとする怪鳥の群れは嫌でも見える。あの遠目には蝙蝠のような小さな影が、しかし実際には十メートルから三十メートルもあろうという怪獣の群れなのだからたまらない。いかに道化師メレム・ソロモンであろうともゲンナリしようというものだ。
「まるで、ゴジラの復活に合わせたかのようだ」
 そう呟いた白神も、ギャオスの群れを黙って見つめていた。
「せっかく作ったコイツもこのままじゃお払い箱かな?」
 自分達を乗せてきた特自のトラック、その荷台に積み込まれたマクーは大島でゴジラとの決戦に使うはずだったものだ。今となっては使いどころがない。
「残念そうだね、博士」
「……」
「マクー、起動させたかったんでしょう?」
 白神は何も答えない。
 メレムに見抜かれているだろう事を、この老科学者はとうに気がついていた。
 伊達にトラフィム・オーテンロッゼの元に身を寄せていたわけではない。死徒二十七祖と呼び称される連中がどれほどの者達か、白神はよく知っている。
「協力したボクとしても残念だよ。興味はあったんだけどね、結果に」
「……意外だな」
「意外?」
 ようやく自分へと向き直ったかと思うと、一言そう漏らした白神にメレムはいつも通りの無邪気な、しかし底の知れない笑顔を返す。
「そこまで知っていて、誰かに報告した様子もない。確かに、結果としてどうなるかは実際に起動させてみなければわからないが――」
「博士はボクを勘違いしてないかい?」
 白神の言を遮り、メレムは両手を肩の高さでヒラヒラと振りながら思い切り口を歪ませた。
「ボクはただの道化さ。道化以外のものには、なりたくないんだよ。これは偽らざる本心。実際に今のボクがどうかってことは除いてね」
「……そうか」
 単に煙に巻かれただけのようにも思えるが、白神はその言葉に妙に納得してしまっていた。なるほど、確かに道化の所業なのかも知れない。彼も、そして自分も。
「なのに困るのは、今のボクの主人はボク以上に道化ってことなんだ。まったく大したモンだよ、おかげで最近は生きてる甲斐がなくてさ」
「道化……彼女がかね?」
「うん。そう思わない?」
 真顔でそう問われ、白神は薄く笑みを浮かべた。
「道化、なのかも知れんな」
 随分とレベルの高い道化ではあるけれども。
「勿体ないことだよ。その気になれば、あんな地下に封印されてないでもっと上を目指すことだって出来るはずなのに。あの娘は本気を出せば聖堂教会なんてカビの生えた組織を丸ごとひっくり返せるだけの力があるんだ」
 もっとも、彼女がそんな人物であったならばメレムはここまで惚れ込んではいなかっただろうが。
 彼女は奔放だ。出世欲や権力欲など欠片も無いかの如くまるで興味を示さない。おそらくはそんなものになんら意味を見出していないせいだろう。今の聖堂教会には、彼女を超えるだけの能力の持ち主など事実上皆無だ。何も能力に限った話ではなく、信仰にしてみても彼女のそれはずば抜けていると言っていい。そんな中で上を目指すことがどれだけ無意味であるか、彼女はよく知っている。
 それでもあの場所にとどまるのは、持って生まれた殺戮者としての欲求を満たさんがためか、それともナルバレックという名への僅かばかりの感傷がさせるのか。
 だがまだまだ奔放さで彼女に負けるわけにもいかない。メレムは随分と年季の入った悪戯小僧の笑みを浮かべると、ギャオスの群れの下で今頃演じられているだろう舞台に想い馳せた。
 このギャオスの群れは偶然などではない。自分もその場に赴き、恋に焦がれる道化を演じるのも一興だったが、今はやめておこう。まだまだ、本当におもしろいのはこれからなのだから。
「心配いらないよ、博士。そいつにはきっと出番があるさ」
 そう、これから。きっともっとおもしろくなる。
 まだ幕は上がったばかり。もう暫くは観客としての立場を楽しもう。
 この、恐怖と戦慄の舞台の。





◆    ◆    ◆






『シオン・エルトナム、たった今、スーパーXU改を出撃させました』
「了解……ッ」
 もはや限界であることを悟りつつも、シオンはゴジラへの攻撃の手を緩めなかった。勝機は無い、敗北確定、そんなこと未来を読むアトラスの錬金術師でなくとも誰だってわかる。それでも今ゴジラをこの場に縫いつけていられるのは自分が操るキングジョーだけなのだ。
『先程言った通り、現在東京はギャオスの襲撃を受けています。防衛軍も各自衛隊もほぼ全ての戦力はそちらに割かれました。スーパーX以外の支援は……出せません』
 血を吐くような黒木の声に、正直返す言葉はなかった。
 増援を出せないことを詰ればいいのか、最悪の状況を共に嘆けばいいのか、下手な慰めの言葉でもかけてやればいいのか……どれも無意味ではないか。
 意味があるとすれば、ただ一つ。戦うだけだ。ゴジラを本土へ近付かせるわけにはいかない。
 黒木から告げられたギャオス襲撃の報に関する思考は第六に全て任せる。現実逃避ではない、出来ることを出来る限りにやるだけだ。そうしなければ戦うことすらままならないだろう。
「ターゲット……ロック・オン」
 頭部と脚部で左右からゴジラを挟み込むように攪乱し、注意がそちらに向いた途端胸部の大出力メーサー砲をお見舞いする。
「化け物めっ」
 右胸から肩にかけて命中したメーサーは間違いなくヤツの肉体を、細胞を焼いているはずだ。だと言うのに黒い巨体は揺らぎもせず、痛みを感じている素振りすら見受けられない。
「チィッ!」
 それでも自らに刃向かう者は、例え敵しうるだけの存在でなくとも許さないと言うのか。背びれが禍々しい光を放ち、咆吼と同時に放射熱線が吐き出される。
「まさに破壊の権化か」
 徹底的に耐熱処理を施したキングジョーの装甲だろうと何度も耐えられまい。肉を切らせて骨を断とうにも、相手の骨は容易く断てるものではなく、こちらの肉はあまりにも脆い。
 胸部パーツを狙ったその閃光を急上昇で回避、ゴジラが上を向いたその隙に脚部を下方に向かわせ、頭部を海側へ旋回させた時、モニターの端に一瞬だけ島が映った。
(……甲神島?)
 余計なことを考えている暇など無い――そう思った時には既に秋葉が口にしていた島の名が頭を過ぎっていた。
 彼女は……翡翠、それに琥珀も、どうしただろうか? まだあの島にいるのか、それとも……既に帰宅、したのか。
 帰宅したのでもいい、構わない。ただ、ギャオスから上手く逃げ延びてくれさえいれば……彼女達と、彼が無事なら――

「――ッあう!?」

 衝撃。
 実際に自分がダメージを受けたわけではないと言うのに、エーテライトを通して高められた一体感が本来は遠く離れているはずのそれを擬似的に伝えてくる。
「……今の、は、尻尾?」
 攻撃を受けたのは第五思考、脚部だ。直撃とは言わないまでも、ゴジラが振るった尻尾が太股部分を強かに打ちつけたらしい。
 しくじった。
 それぞれの思考を別個に操縦に割り当てていても、互いに疎通が取れなければ連携行動がとれないため完全に思考同士を分断させているわけではない。それに結局は分割思考と言ったところで大元であるシオンは一人なのだ、動揺は一瞬で全てに伝わり、モニターの向こうで荒れ狂う漆黒の破壊神はその隙を見逃してくれるような甘い敵ではなかった。
「くっ、こ……のぉ!」
 地面に叩き付けられそうになるのをスラスター全開でかろうじて防ぐ。しかしこれでは良い的だ、ゴジラの背びれが発光しているのがわかっても、この状態からでは回避のしようがない。

 ――耐えられるか?

 一撃程度なら……スペック上は問題ないはずだ。ヴァン=フェムから渡されたカタログに記された数値を高速で脳内に展開し、さらにこの戦闘中自分が量ったゴジラの能力を照らし合わせる。
 ……無理、か。
 ゴジラの破壊力は予想以上だ。十年前と比べ一回り大きくなった黒い巨体はあらゆる能力が格段に向上している。
 この一撃に耐えて、そうすれば反撃の糸口も掴めるかも知れないと言うのに。スーパーXU改も、間もなく到着すると言うのに。
 ゴジラに勝つ。勝たなければならないのだ。
 そのためには、焦るな。冷静になれ。例え今東京がどのような事態に見舞われているのだとしてもその焦燥を戦いに持ち込むな。
 秋葉達ならきっと無事だ、そう簡単にやられてしまう人達ではない。それに彼も、彼ならそのすぐ側には彼女がいる。だから安心できる、安心するべきなのだ。

 彼女。
 姫君。
 真祖。

 考えては、いけない。

 何故、今このタイミングでギャオスが襲撃してきたのか。。
 何故、特自も防衛軍も接近を事前に察知できなかったのか。
 何故、東京……それも中央から西部にかけてなのか。

 そこに何がある?
 地球環境維持装置であると目されるギャオスが東京――三咲町――を大群で襲う事に果たしてどのような意味があるというのだ?
 考えてはいけない、結果を読んではいけない、答えを出してはいけない。
 今はゴジラを、目の前の破壊神を、怪獣王を――
 暗転。
「!? キャーーーーーッ!」
 突如視界が……脚部モニターが暗く染まったかと思うと、続いて先程よりもさらに激しい衝撃が機体を襲った。
 また尻尾か? ……違う、尻尾ではない、何かがあたって砕けた。
「……ビル?」
 粉々に四散していく大小数多のコンクリートの破片。何かを放り投げたかのような姿勢でいるゴジラ。その足下に広がる廃墟。
 続いて放射熱線が上空を旋回していた頭部パーツへ向かって吐き出されるが、そちらは掠めただけでダメージはない。しかしそこでまたシオンはしくじった。
「しまった! これでは――」
 回避のために大回りさせすぎた。頭部も胸部も今の位置からでは脚部を援護できない、このままでは脚部は撃墜必至だ。
 頭部と胸部を急旋回させるも、既にゴジラの口からは青白い光芒が覗いている。
(やられる!)
 だが、ゴジラから熱線が放たれることはなかった。
「……え?」
 忌々しげな咆吼が天を劈く。
 見ればゴジラへ向けて無数の小さな光弾が撃ち出されていた。どうやらそのうちの一発が左目を直撃したらしい。
「上陸部隊の生き残り?」
 まだ、残っていたのだ。



 僅かに残った殺獣光線車と、権藤が率いる歩兵部隊は息を潜めてただその瞬間を待ち構えていた。通信もままならない状況で、しかし逆転のための一撃を放つ時をひたすらに待っていたのだ。
「へっ! 駄目押しだ、喰らいやがれッ!」
 ゴジラの左目へと一撃叩き込んだ権藤は、そのまま今度は右目を狙ってメーサー銃を撃ち続けた。
 ――撃ったら即座に動け――
 部下達はその命令を守って移動を開始している。なら、ヤツの注意は自分が最後まで惹き付けておかなければならない。
 エネルギー残量は僅か。もうあと数発も撃てばどちらにしろ逃げるしかなくなる。
「うおおおおおおおおおおっ!!」
 権藤は吼えた。吼えながら、彼は笑っていた。
 これでいい。これでいいのだ。自分は、十年間ただこの時のために生き長らえてきたのだから。



「権藤一佐!?」
 シオンは思わずモニターへ向かって身を乗り出していた。
 権藤ならそう簡単に死にはすまいとは思っていたが、まさかこの局面で彼に救われるとは思ってもみなかったのだ。
 だが、今はそれ以上に、
「早く……早く逃げてください!」
 届くはずもないのにそう叫んでいた。
 メレムの言葉が思い出される。
 あの少年のような祖は言った。とうの昔に己が命を捨てた者、戦っているその瞬間にのみ唯一生の実感を与えられる者がいるのだと。

 ――あの権藤って人、死人だね――

「権藤一佐ーーーーッ!」
 オペレーションルームに悲痛な叫びが木霊する。
 ゴジラが怒りのままに首を巡らし、背びれが今までにない程激しく明滅する。
 間に合わない、何もかもが、手遅れだ。
 権藤へと熱線が突き進んでいく光景を前に、シオンは、あまりにも無力すぎた。





◆    ◆    ◆






 火柱が上がる。
 灼熱の、それは青白い光線とは真逆の真紅の塊。
 炎は地を焼き天を焦がし、権藤の頬を激しい熱風が撫ぜた。





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 第三、第四、第五。キングジョーを駆る全ての思考は停止していた。
 乗り出したままの顔がついにはモニターに触れるか触れないかまで近づき、吐息が小さな曇りを作る。
 熱い。
 オペレーションルームが、ではない。室温は快適に調節されている。それに暑いのではなく、熱いのだ。これはキングジョーが感じている熱さに違いなかった。
 権藤の生死を確認しようにも、画面には巨大な火柱が映るのみで他には何も見えやしない。
 アトラス院最速とも称された高速思考で、シオンは果たして何が起こったのかを推測してみた。同時にキングジョーを動かし、周囲の状況を確認する。
 答えはすぐにわかった。
 そいつは、身を隠すでもなく天空から悠然とこちらを見下ろしていた。
 大きい。
 ゴジラとほぼ同サイズの巨体が、空中に静止していた。ただ浮かんでいるのではない、本来ならば両脚が在るべき部位からまるでジェット噴射のように炎を噴き出し、おそらくはその力で浮いているのだ。
 見たことのない、人類がかつて遭遇したことのない巨大生物。しかしその外見には覚えがある。あれは亀と呼ばれる生き物のはずだ。もっとも、シオンが知る亀は空を飛びもしなければサーベルタイガーのような牙もなく、腕部ももっと前脚然としていたのだが。
「あの火柱は……彼奴が?」
 そう判断する以外にないが、それにしても凄まじい威力だ。ゴジラの放射熱線と比較しても遜色がない。
 ゴジラはそいつを睨め上げていた。咆吼をあげるでも熱線を吐くでもなく、しかし怒気が周辺を圧迫しているのがわかった。
 ゴジラは、怒っている。鬱陶しい上陸部隊やキングジョーの攻撃よりも、自分の左目を狙撃した権藤よりも、今、自分を見下ろしている相手に対し大気を震わせる程の怒りを顕わにしている。
「……万事休す……ですか」
 傍目にも二体が敵対しているのはわかるが、シオンはそれを自分にとって有利ととるような楽観主義者ではない。ゴジラにとっての敵が単純に自分の味方なわけではない、結局は倒すべき敵が増えただけだ。
 亀の怪獣が、ゆっくりと降下してくる。対するゴジラも隙無く身構えている。
 このまま共倒れを狙い、残った方を敵とするか。それともどちらかに加勢しまずは片方を仕留めてしまうか……
 シオンはもう一度二体をじっくりと見比べた。
 互いに黒い巨体。首が長い分ゴジラの方が大きく見えるが、サイズ的にはほとんど同じだ。体格で圧倒できるだけの差はどちらにも無い。となると最大の違いはやはり飛行能力の有無か。ゴジラ相手には通用したキングジョーによる攪乱戦法も、この大亀が相手では果たして通用するかどうか……
「まずはこちらから――」
 その時、大亀と視線があったような気がした。
 そんなはずはない、そもそもキングジョーのモニターは傍目にそれとわかるような位置に設けられているわけではないのだ。“目”の位置など、わかるはずがない。それなのに、互いの視線が交差するわけが――

「……秋葉?」

 何故、今その名前が浮かぶのかシオンにはどうしてもわからなかった。わからなかったが、シオンの目には確かに秋葉の姿が映っていた。
 ナンセンスだ。
 あまりにも不確か、論理的根拠など欠片もない、直感と呼ぶにもお粗末なこの奇妙な感覚にやもすれば人類の未来を委ねるなど、馬鹿げているにも程がある。
 それでも、
「……ターゲット、ロック・オン」
 シオンは、メーサーの照準をゴジラへと合わせた。
 よく『手が勝手に動いてしまった』という話を耳にするが、この場合はエーテライトを通じて意識が勝手に働き掛けてしまったと言っていい。ゴジラの注意は完全に大亀に向いてしまっている。不意をつくにはこれ以上の好機はないだろう。協力などではない、単に利用するだけだ――そう、言い聞かせる。
 次第に冷静さを取り戻していく頭で言い訳がましいことを考えつつ、シオンは秋葉の幻影に微かに笑いかけた。





◆    ◆    ◆






「……ありがとう、シオン」
「秋葉様!? よかったぁ……気がつかれたんですね」
 目の前で二つの同じ顔がそれぞれ程度の差はあれど安堵に歪むのを見て、秋葉は自分が気を失っていたことをぼんやりとだが思い出していた。
 まだ少し頭がクラクラする。とは言え月経や二日酔いの苦しさなどと比べれば随分とマシな方だ。横になっている分には特に痛みもない。
「……どのくらい、気を失ってたのかしら?」
「ほんの一分程だよ」
「そう、ですか。心配かけたわね、琥珀、翡翠。稗田さんも、すいません」
「いや、それはいいんだが……」
 稗田が難しい顔で言い淀む。
 彼が何を訊きたいのかは察しがついていた。首から下げた勾玉は、今も熱を放っている。秋葉は軽く摘むようにそれを持ち上げると、火傷しそうな熱に耐えて力一杯握り締めた。
「単刀直入に訊こう」
 渋面のまま、稗田は秋葉と勾玉を交互に見やり、訊ねた。
「あれは、甲神の玄武なのかね?」
 その質問に無言で頷くと、琥珀と翡翠に支えて貰いながら起きあがる。痛みなどはないのだがどうにも脱力感が酷い。勾玉の熱さに対して身体は思わず震えてしまうくらい冷たく、まるで全身から熱と力を吸い取られたかのようだ。言うなれば、それは秋葉の能力である“略奪”を逆流させたかのような感じだった。
「あれは……確かに甲神にまつわる神獣です。名は――」
 自分を遙かに超える圧倒的な力の波と、無理矢理に繋がっていく感覚が甦っていく。意識を失う程度で済んだのは僥倖だったかも知れない。もし自分が紅赤朱でなければ、異能の血を引く者でなかったならば……衝撃で弾け飛んでいたかも知れない。そう思わせるだけの力が、確かにあった。
 だからその名を、畏怖を抱きつつ答える。
「あれの名は、ガメラ。甲神に伝わる異形の玄武、ガメラです」





◆    ◆    ◆






 よく粘ったものだと、我ながらそう思った。
 身体に傷なんて無い。そもそも傷つくような避け方をしたならとうに死んでいただろう。あの長大な魔剣は一撃で全てをもっていく。自分のか細い身体など、紙一重で避けでもすればその剣風に揉みくちゃにされ、ミンチになっていたに違いない。
 リィゾが攻勢に移ってから、志貴は一度たりとも間合いに入らせてはもらえなかった。自分に可能なあらゆる方向からあらゆる角度であらゆる手段を用い侵入を試みたというのに、まるで無造作に振るわれているとしか思えない大剣はその全てを事前に遮断してみせたのだ。
「本当に、大したものです。今ここで潰えさせるには、あまりにも惜しい」
 やや芝居がかった動作で、黒騎士はそう言って天を仰いだ。もしかしたら、本心からそう思っているのかも知れない。動作は大仰でも、表情には嘘がないように見える。
「望めば、永遠を手に入れることも出来たでありましょうに……」
 それも本心なのだろう。今度はさっきよりもはっきりとわかった。
 だが、だからこそ……それがわかってしまったからこそ、志貴には短剣を構え、不敵に笑ってみせることしかできなかった。
「……フィナ」
 黒が、白に呼び掛ける。
「妹君の怒りは、私が全て受けましょう」
 その言葉に一瞬肩が震えたが、フィナは仕方ないとでも言いたげな表情で憮然と頷くと、再び大人しく傍観へと徹した。
 アルクェイド・ブリュンスタッドの怒りを買う事がどれだけの事か、そしてその事実が自分達の主君にどう影響するか……わからないわけではない。フィナも、リィゾも、わかっていてそれでも目の前の人間が見せた覚悟に答える術は一つしか持っていなかった。
 騎士だから。騎士だから、そうするしかない。
「……ふぅ」
 怖気立つ程の剣気に、志貴は詰まってしまう前に息を吐いた。
 ネロやタタリの時と同様、命の危機だと言うのに、それらとは明確な差がある。

 これが――二十七祖と呼ばれる化け物の正真正銘、本気か。

 油断も侮りもない、傲慢さなど欠片も感じさせない、あまりにも純度の高い濃密な死の空気。両眼が、そして全身が死で溢れかえってしまいそうだ。その純粋さ故に感動すら覚える。
 少しだけ、後悔した。
 こんな瞬間に出逢えると知っていたなら、何も持たなければ良かった。何も無い空虚な独りきりの存在であったなら、至上の歓喜でもって目の前の騎士が放つ一撃を受け止めることが出来たろうに。
 だがありえない。
 そんなことは、ありえない。
「……ごめんな、アルクェイド」
 後悔したことを詫びる。
 本当はもっと大勢の、自分を囲むあらゆる人達に謝るべきなのだろうが、口に出たのはやはり彼女の名前だった。

「……さて」
 謝罪は済ませた。
「始めようか」
 思い残すことだらけだ。
「俺達の――」
 思い残すことだらけだから。
「――殺し合いを」
 だから、地を蹴った。





◆    ◆    ◆






 それは、見覚えのある剣だった。
「……ぐ、むぅ!」
 リィゾの顔が怒りとも驚愕とも知れぬもので歪む。
 あまりに咄嗟のことだったため無様に尻餅をつく形になりながら、志貴は命が助かったというのに僅かに残念に感じている自分を苦笑した。まったく、こんな事ならまた謝罪しなければならない。それも、今度ばかりはアルクェイドではなく、いつも世話になっている別の女性に。
 黒鍵。
 自分と黒騎士の間に十本あまりもの剣が突き刺さり、壁を作っていた。
「……ありがとう、せんぱ――」

「あたら若い命を捨てるものではないわね」

「――いぇ?」
 疑問符が頭の中を埋め尽くす。
 鳩が豆鉄砲をくらった光景など見たことはないが、今の自分はまさにそんな顔をしているに違いない。
 右手に無数の黒鍵を携えた女性は、よく見知ったショートカットではなく長い髪を風になびかせていた。その顔には見慣れた眼鏡もなければ、身長も大分高い。それに……彼女――シエル――は確かに意地の悪い笑顔を見せることもあるが、目の前に佇む女性のそれは極めつけだ。
 意地が悪いどころの話ではない。アレは、そんなレベルではない。





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「二十七祖の六位と八位が仲良く可愛い少年イジメとは、おもしろい場面に出くわしたものだわ。ねぇリタ・ロズィーアン、今度私達もやってみない?」
「それはいいですわね。とても愉しそう」
 もう一人、さらに長身の女性が現れ――そのあまりにもあんまりな格好に度肝を抜かれた志貴をよそに、二人は黒騎士と白騎士の前へと並び立った。
「……何故、貴女方が、此処に?」
 平静さを装ってはいても、リィゾとフィナにとっても彼女達は予想外もいいところの客人だったらしい。
 何がどうなっているのか、わからない。わからないが――
「まずは立ちなさい。そのバカみたいに開けた口も閉じて、さっきまでそこのオセロコンビと向き合っていた時のような顔なら、貴方本当に可愛らしかったわ。シエルがお熱なのも、納得がいくわね」
 どうやら、敵ではない……のだろうか。
 言われるままに、立ち上がる。ただ、表情だけはなかなか言う通りには出来なかったが。
「……まぁ、いいでしょう。邪魔をなさるのなら、貴女方から始末するまでです」
 リィゾが再び魔剣を構え、その隣にいつの間にかフィナも立っている。
 突如現れた二人の女性はどちらも微笑を浮かべたままだというのに、周囲に溢れかえる殺気は、死は、際限なく膨張していく。
「覚悟はよろしいでしょうな、……ナルバレック」
 死を視る蒼眼の前で、今、四人の化け物の殺し合いが始まろうとしていた。











〜to be Continued〜






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