episode-13
〜大東京グラン・ギニョール〜
Part 1 迫る恐怖


◆    ◆    ◆






「覚悟はいいか……とは、また捻りのない台詞だこと」
 袖口の広いコートの裾から突き出た両の手に、取り出した黒鍵をブラブラと所在なさ気に遊ばせながら、ナルバレックは黒騎士を相手にやや大仰に溜息を吐いた。
「面白味というものが決定的に不足してるわ」
 リィゾは何も答えない。先程までの、志貴を相手にしていた際の雄弁さがまるで嘘のように押し黙り、目の前の女の一挙手一投足に注視している。
 聖堂教会がその異端殺しの歴史の果てに生み出した最悪にして最凶の対化け物兵器。『死徒殺し』の異名を欲しいままにし、既に三体の祖を打倒、捕らえた女は最古参の死徒であるリィゾを前にしても不遜を崩さない。
 黒騎士がその永い生涯の間にナルバレックの名を受け継ぐ者と相対したのは初めてではない、今回で三度目だ。過去に何度か教会が死徒の完全殲滅を唱え大攻勢に出た際、リィゾはナルバレックと戦いこれを打ち倒している。いずれも並外れた手練れであり、リィゾですら何度となく死を覚悟させられた。目の前の女は、しかしそのナルバレック達をも凌駕しているのだという。
 自然体、に見える。リィゾは当代のナルバレックの戦闘スタイルを見極めようと思索したが、彼女からは戦意も殺気も感じ取れない。黒鍵も手の中で遊ばせているだけだ。数千年に及ぶ武技に関する知識の中、ここまで自然な……それどころかやる気の感じられない姿勢で敵に臨んだ相手は、初めてだ。リラックスしているのではなく、どう見ても単純にやる気がないのである。
 そうやって油断させ、隙をつく……その程度のはずがない。その程度の女が、三体もの二十七祖を倒し捕らえられるはずがないのだ。
 二人は暫しそのまま相対していたが、
「……つまらないわね」
 やがて飽きた、とでも言いたげに、ナルバレックは黒鍵を軽く放った。まったく自然に自らのエモノを放り出したその行為に、思わずリィゾも己が目を疑う。
「一体……何を――」
 何のつもりかと、疑念が脳を埋め尽くした瞬間、ナルバレックの唇が柔らかく、滑らかに動いていた。
 ――お ば か さ ん――と。
「ッ!」
 咄嗟に、ニアダークを振り上げた。と同時に凄まじい重さが両手にかかる。
「のぉおおーーっ!」
 黒鍵。細身ながら、特殊な技法によって衝撃を数十倍に加増されたそれが……つい先程彼女が目の前に放ったはずのものが……何故自分に向かって飛来してきたのか、リィゾの生身の人間とは比較にならない視力ははっきりと捉えていた。
 脚だ。
 ナルバレックの身体は、まるでサッカーで思い切りシュートを放った体勢のように右脚が蹴り上げられている。
 爪先で、落ちる黒鍵の柄を蹴り飛ばしたのだ。
 しかもそれだけではなかった。
「おっ、おぉっ!」
 靴の底に忍ばせていただろう棒手裏剣が、二本。黒鍵に隠れ全く同じ軌道で飛来してきたものを左手で払い落とす。
 さらに、六本。蹴り上げからそのままの勢いで身体を回転させ、左右両の手から投じられた黒鍵と、同時に放たれた無数の棒手裏剣がリィゾの振るったままの左手に立て続けに突き刺さった。炎上する刀身に付与されていたのは火葬式典か。炎は一瞬で燃え上がり、視界を遮る。
 だが、その程度。所詮はその程度の攻撃が――
「猪口才ッ――でありましょうがっ!」
「――あら、ごめんなさいね。猪口才な技で」
 炎に視界を奪われたのはほんの一瞬。しかし先程まで立っていた場所に彼女の姿はない。
 声は、腹から聞こえた。
 リィゾの腹の下……長身のナルバレックの身体がまるで猫のように可愛らしく、不貞不貞しく丸まって、そこにいた。その貌を見て、リィゾはまったく久しい感覚に戸惑いを覚える。
「ッッ!?」
 不覚にも、その感覚にリィゾは回避のための反応が遅れた。ナルバレックの両手が疾り、一対の銀の閃光がリィゾの腹へと吸い込まれていく――



「なんともはや……とんでもないお嬢さんだ。素晴らしい」
 相棒の左腕を瞬時に針鼠にした挙げ句、土手っ腹に強烈な一撃をぶちかまし吹き飛ばした女傑の姿に、フィナは心からの賛辞を送った。
「黒鍵に相手の意識を集中させ、よもやの投擲ならぬ蹴撃。そこから投擲までの一連の動作全てに手裏剣と特殊作用が付加されてましたわね。並の相手ならこれだけで充分に必殺……ですが、全ては目眩まし。本命は斬撃でも刺突でもなく、懐に飛び込んでの超高速打撃」
 立ち上がったはいいもののまだふらついている志貴に手を貸しながら、リタが嬉しそうにナルバレックの動作を解説する。
「……あれは……トンファー?」
 志貴の視線の先、ナルバレックの手に握られたエモノは、銀製のトンファーだった。直死の魔眼のような規格外の異能を持つならば兎も角、祖――それも十位以内が持つ驚異的な不死性の前に斬撃や刺突は効果が薄い。それを見越した上での、相手の肉体の粉砕を主眼に置いた武器選択である。
「接近時の速度にトンファーの回転による遠心力、おそらくは鉄甲作用と同様に衝撃を増加させる技術も加わっているはず。中心部に生じた力は大型トラックとの正面衝突……少なくともそのくらいの破壊力はあったと思いますわ。……一人で立てます?」
「……え、あ……どうも」
 180cm以上あるリタを見上げるように礼を言いつつ、志貴は改めて二人が何者なのかを推し量ろうとした。ナルバレックと呼ばれた女性がシエルと同様に聖堂教会埋葬機関の関係者だろうことはわかるが、今自分を助け起こして微笑んでいる女性が何者なのかがわからない。その態度とは裏腹、彼女から感じる気配には黒、白両騎士と通ずるものがある。
「その、貴女も教会の……?」
「違いますわ。どちらかと言えばそこの白いのと同類ですわね」
 リタの冷ややかな視線に「おいおい、白いのはないだろ」と苦笑するフィナは相棒がやられたというのに全く動じた様子もない。
「わたくしはリタ・ロズィーアン。死徒二十七祖の十五位。たった今黒いのをブチのめした怖いお姉さんとは、不倶戴天の敵ですわ」
「に、二十七祖!?」
 咄嗟に後退ろうとするも、疲労の極致にある肉体は微かに震えたように動くのが精々だった。
「あら、可愛い反応」
 そう言ってクスリと笑う彼女を警戒しつつも、取り敢えず今のところ敵対の意志はないと言いたげな態度を信じる以外には無い。
「そこのド派手な格好をした女には気をつけなさい、トオノシキ君。油断したら血どころかナニを吸われるかわかったものじゃないわよ?」
「人聞きが悪いことを仰らないでくださいなナルバレック。貴女よりは危険度は低いですわよ」
 リィゾが突っ込んだため瓦礫の山と化してしまった民家から意識は外さず、トンファーをクルクルと回しながらナルバレックが戯ける。
「まぁ、安心なさい。今のところ私達の相手はそこのオセロコンビだから、君を取って食おうとは考えていないわ。本当はアルクェイド・ブリュンスタッドに用があったのだけれど……どうやら相当酷いみたいね」
「……」
 昏睡状態にある彼女の名が出たことで、志貴の眼が険しさを帯びる。
「いい眼だわ。魔眼のことを差し引いても、そんな眼が出来るなら君はもっと強くなれる。けれど……今は私達に任せてその眼鏡をかけなさい。ただの頭痛で済んでいるうちにね」
 確かにこれ以上眼を酷使し続ければ、運が良くて失明、それどころか脳神経が焼き切れてしまいかねない。それでも迷う志貴の肩を、リタが優しく叩いた。
 任せても、いいのだろうか。
 もはや満足に動かせそうにない四肢と、ますます酷くなる頭痛。結論はもう出ている。彼女達に任せる以外自分に残された選択肢は、討ち死にが精々だ。
「さぁ、私達が任されていいのかしら?」
 ナルバレックの問いに志貴は弱々しく頷くと、絞り出すように「……すいません、お願いします」と告げて眼鏡をかけた。加虐心をそそるその表情に二人の女は満足げに微笑むと、トンファーと日傘を力強く構えて見せる。
「……さて。任された以上は全力で応えようと思うのですけれど、フィナ、貴方どうしますの? やります?」
 リタの問いに、フィナは勘弁してくれとでも言いたげに肩を竦める。
「やめておく。正直、今日はもうヘトヘトだ」
 その返答は予想範囲内だったのだろう。リタは日傘を取り下げると、志貴と並んでナルバレックへと注意を向けた。フィナの能力についてはよく知っている。ギャオスの群れを誰に気付かれること無く東京上空まで引き連れてくるなど、二十七祖中随一の固有結界使い、フィナ=ヴラド・スヴェルテンが誇る“パレード”以外には考えられない。そしてそれは裏を返せば彼が能力を酷使して疲れ果てていることを指し示している。
 効果範囲の広大さ、持続時間、さらに展開したままの状態で移動可能であるという特性は驚異的だが、今回のこれは極めつけだろう。涼しい顔をしてはいても、今のフィナに余力など欠片も残っていないはずだ。
「……遅いわね」
 一方、ナルバレックはトンファーを弄びながら瓦礫の山を見つめていたが、どうにも暇そうだ。あの程度でリィゾを倒しきれたはずがない事はブチのめした自身が一番よく理解している。肉を殴る感触はあっても、砕いた感触はなかった。ならばさっさと起きあがってきてもよさそうなものだが……それとも存外にダメージが大きかったのだろうか。
「暇だわ。……シキ君、暇ついでに君に一つだけ」
「?」
「トリッキーな動きで相手を攪乱するのもいいけれど、この化け物共を相手にするには不充分よ。君の能力は比類無く強力なのだから、その一撃を確実に中てるための目眩ましをもっと覚えなさい。これからも君のお姫様のナイトで居続けたいのなら、これは必須よ。いいわね?」
「え……あ、はい」
「声が小さいわ」
「は、はいっ」
 残る力を振り絞って答えつつ、『この女性には逆らわない方がいい』――志貴は本能的にそう悟った。秋葉や琥珀とは次元の違う支配力と拘束力。言霊に込められた力だけでわかる。この女性には、絶対に頭が上がらない。上げてはならない。
 もっとも、ナルバレックとしては内心志貴にはもう少し高い評価を与えている。噂の直死の魔眼使いがどれだけやるのか量ろうとリィゾとの戦いを暫し見物していたわけだが、正規の修行を積んだわけでもないのにあれだけ動ければ大したものだ。確かに、戦士ではない魔術師上がりの死徒には荷が重いだろう。
 と、もう少し小言を続けようとしたその時、ようやく瓦礫が動いた。
「……やれやれ。お優しい事でありますな」
 スーツの埃を払いながら、ゆっくりとリィゾが立ち上がる。
 左腕には手裏剣が刺さったままだが、腹部にはこれと言ってダメージは確認出来ない。声の調子もなんら変わりないようだ。
「十九位を瞬殺したコンビネーションだったのだけれど……流石ね黒騎士殿」
「いや、お見事でしたとも。ただ、私の不死性は少々特殊であります故。そうでなければこの左腕も、腹部も、粉々だったはず」
 そう言って掲げた左腕は、火葬式典のおかげでスーツの裾が焼け落ちている以外は血の一滴たりとも流れ出ていなかった。依然として手裏剣が刺さったままにもかかわらず、だ。
「黒鍵を蹴り飛ばし、手裏剣を潜ませ、さらに代行者には珍しい火葬式典に加えて塵も残さぬとばかりのトンファーによる双撃……必殺の連携でありながらしかし戦意も無く殺気も無く、それどころか闘志の欠片さえ感じさせない奔放さ……当代のナルバレックは息を吸って吐くが如くに相手を殺傷せしめるとは聞き及んでおりましたが、ここまでとは」
 手裏剣を引き抜き、一頻りその形状などを確認してから放り投げる。
 血どころか傷痕すらないのは復元呪詛によるものか、それとも彼が言うところの特殊な不死性によるためなのか。
 チラと肩越しにリタを顧みるも、彼女も軽く首を横に振るだけだ。フィナとは浅からぬ因縁があると言う彼女だったが、その相棒たる黒騎士に関しては面識も僅か、能力についても伝聞で少しばかり聞きかじっただけに過ぎないらしい。
 曰く“時の呪い”と呼ばれるそれが如何なるものであるのか。興味深いが、時間も切迫している以上、謎の解明よりも優先すべきは撃破、または撃退だ。
「トンファーで駄目となると……次はコレでいかせて貰おうかしら」
 まずは単純に破壊力が不足していたせいなのかどうかを次の一撃で確認しようと、コートから分厚い聖書と長さ30cmあまりのバトンのようなものを新たに取り出し、一、二度軽く振るってみせる。するとバトンはさらに倍程度の長さに伸び、その先端に聖書の紙片が固まって戦鎚を形作った。
「銀のウォーハンマー……」
「殴る前に断っておくけれど、この戦鎚は私が持つ武器の中でも単純な破壊力では最大級のものよ。復元呪詛などお構いなし、一撃で粉微塵になれるわ」
 さもあらん。トンファーでさえあれだけの破壊力を叩き出した細腕だ。この戦鎚ならば宣言通りに相手を微塵粉砕するであろう。
 どれだけ鍛え上げようとも肉の身であれば耐久度には限界がある。
 どれだけ強力な呪詛であろうとも復元可能な破損には限界がある。
 その限界を、おそらくこのウォーハンマーは大幅に上回っている。
「フレイルやメイスの方が聖職者らしくて好きなのだけれど……やっぱり一撃で相手を叩くならコレね」
 ウットリしながら戦鎚を振り回す姿は確かに聖職者からはあまりにもかけ離れている。滅多に使う機会のない武器だったが、練度は他のエモノに劣るものでもない。女の身でありながらナルバレックの名を継ぎ埋葬機関を束ねる者、状況に応じてあらゆる武器を使い分ける不定無形の武芸百般こそが彼女の戦闘スタイルである。
(さて……今度はどう出るつもりなのでしょうな)
 ニアダークを上段に振りかぶりつつ、リィゾはナルバレックの出方を読もうとして、しかしすぐにそれが無駄であることに思い至った。
 完全な無形、奔放が過ぎる自我、そこから読みとれるものなど果たして何があるというのか。まともに考えればあの戦鎚は思い切り振るう以外に用法が無い。だが使用者がまともでないのだから常道に例えようとも無意味だろう。
 対峙の時間はそれ程長くは続かなかった。
「悪いのだけれど、お見合いの趣味はないわ」
 ナルバレックの貌が喜悦に歪み、猛然と駆け出す。
「むぅ!」
 ――真正面から。
 ウォーハンマーを振りかぶり、ひたすら真っ直ぐ向かってくる姿に、しかしそれだけのはずが無いという疑念のみが無数に浮かび上がる。
 さぁ、どうするか……リィゾは唸った。正面から打ち払う事は充分に可能。純粋な腕力と技量は自分の方が遙かに勝っている。それに、万が一あの直撃を喰らったとしても“今この場で”自分が倒されることは無い。では敢えて喰らってやるか? 否。騎士の矜持がそれを許すはずもなく……
「チィエエェェェェェェェェェイッ!!」
 これ以上考えても無駄だろう。ならば割り切って、全力の一撃を振るうのみだ。元より愚直なまでのそれが己のスタイル。相手に合わせて千変を万化させるような器用さは持ちあわせていないリィゾである。
 豪速の一撃がナルバレックの喜色満面の顔を断ち割るべく振り下ろされる。避けようのないタイミングのはずだ。今の彼女は間違いなく全力疾走で、今からブレーキをかけたのでは間に合うわけがない。
 そう。
 ――今からブレーキをかけたのでは、間に合うわけがなかったのだ。

「……クスッ」

 背筋を冷たいものが伝う、怜悧な微笑。





◆    ◆    ◆











◆    ◆    ◆






 ナルバレックは、停まっていた。予めそこが到達地点であったかのように、ニアダークの間合いのギリギリ、本当に鼻先寸前の位置でブーツの底のスパイクを地面に突き立てて急停止していた。
 そうなると今度はリィゾが停まれない。全力で振り下ろしたニアダークはそのまま何も無い空間を両断し、アスファルトに覆われた大地へと見舞われていく。
 だがナルバレックとて急停止した状態からあの戦鎚を思うよう振るうことは出来ないはず。体勢を立て直すための数瞬に振り下ろした刃を斬り上げ、その太刀で両断してやればよい。
 それでも彼女は勝利への確信を揺るがせていなかった。
 常勝必勝完勝こそが自らの歩む道であるとでも信じて疑わない、傲岸なまでのしかし見目麗しい貌には喜悦を浮かべたまま、ナルバレックは戦鎚を振るっていた。力の籠もらない、ただ振るっただけのか弱い一撃。あれが中ったところで頑健な黒騎士の肉体は揺らぎもすまい一撃が――

     D i s a r m
「――構成解除」

「ッ!?」
 爆ぜた。
 戦鎚を形作っていたはずの聖書が元の紙片へと戻り、宙を舞う。
 ほぼ同時に振り上げられた刃はものの見事に紙片の合間を擦り抜けただけだった。そこには何も無い。ナルバレックは紙吹雪の中に消えてしまった。だが戦鎚を解除してしまった以上、果たして本命はなんだ? どんな武器でくる?
 ニアダークを構え直し、全神経を音と気配を察知することに傾けた。戦意も殺気も闘志すらなくとも、その一撃には空を裂き、風を切る音が伴う。その動きには躍動の息吹が、気配が伴う。それすら伴わない必殺など、ありえない。
 だから――必殺ではなかった。
「……ぁ」
 トンッ、と。
 先端を解除されたバトンで、軽く胸を突く、本当に軽い一撃。その軽さが、しかし絶妙の加減でリィゾの姿勢を崩した。ほんの二歩程、思わず後退ってしまう。
 それで充分だった。

     R e a r m
「――再構成」

 紙片が再びバトンの先に集う。対して、後退り、呼吸を狂わされたリィゾの剣は致命的なまでに遅かった。
 風を切り空を裂く、凄まじい音がする。
 激しく躍動する、肉体の息吹を感じる。
 だから――必殺だった。
 ひとたび放てば大地に巨大なクレーターを穿つ戦鎚の一撃。大型ギャオスの頭蓋さえ叩き潰した圧倒的な暴力が、黒騎士の肉体の真芯を捉える。
 まさに『吹き飛んだ』という言葉以外では形容のしようがない。
 歪な激突音の後、その場に悠々と立っていたのは、ナルバレック一人であった。





◆    ◆    ◆






「職員の退避は?」
「ほぼ完了しました。……必要最低限の人数以外は」
 部下からの報告に力強く頷き、黒木は帽子をかぶり直した。特に位置がずれていたでもない、ただどうしようもなく手持ちぶさたで、自分のその若さを恨めしく思いつつも視線は真っ直ぐにモニターへと向ける。
 八王子を中心に東京を蹂躙し続けるギャオスの群れは、いよいよこの新宿上空にまで姿を見せ始めていた。だが今自分を始め全員を退避させるわけにはいかない。それではスーパーXU改の到着を信じゴジラを足止めしているシオンと権藤を裏切ることになる。
 防衛庁舎の地下に設けられた第二オペレーションルーム。ここなら持ち堪えることも出来よう。今この場に残っているのはいずれも自らの意志で退避を拒否した者ばかり。無論、結城と茜の姿もある。
「スーパーXU改、間もなく大島に到着します」
「そうか。新たに出現した怪獣の様子は?」
「依然、ゴジラに対してのみ敵対行動をとっている模様です」
 僥倖、と見るべきか。
 この最悪の状況下にあって現れた巨大な亀型の怪獣は、まるでキングジョーを助けるかのような意志を見せ、ゴジラと正面から組み合っている。正体不明の怪獣をあてにすること自体戸惑われるが、今のところは上手くゴジラとつぶし合ってくれるよう願うのみだ。
「さぁて……見えてきたぜ、嬢ちゃん。大島だ」
 スーパーXU改のメインカメラが大島、そして噴煙吐き出す三原山とを遂に捉えた。さらに青白い発光、燃え盛る火柱が確認出来る。怪獣同士の死闘はまさに佳境をむかえんとしているのだろう。
「家城三尉、攻撃はゴジラのみに集中、もう一体には手出しせぬよう。ここで無駄に敵を増やすわけにはいかない」
「――了解」
 静かに答えながら、茜は最初からゴジラ以外を意識してなどいなかった。
 三年半もの間燻り続けていた闘争心は、権藤のようにゴジラに直接の因縁があるわけではない。彼女の因縁は既に撃退されている。だが、それ故に行き場を失い彷徨い続けていた視線の先には、漆黒の破壊神の姿がある。
 徐々に近付いてくる黒い巨体に、メーサーの照準を合わせる。
 呼吸を整え、早鐘のように高鳴る鼓動を無理に抑え付ける。
 トリガーに添えた指先……先程まで緊張のためか微かに震えていたそれが、目標との接触を寸前にむかえた今、ピタリと静止していた。
 あの屈辱の日、瞬間を思い出す。帰るべきは、それ以前の自分。さらに進むべき先にあるのは、三年半の時間がもたらした成長した自分。
 ゴジラがモニターに映る。
 キングジョーも、大亀怪獣の存在すらその瞬間茜の思考から消え失せていた。
 ただひたすらに無心に、彼女は初撃をゴジラの真正面に叩き込んだ。



「メーサー、命中!」
 メーサーを鼻先にまともに浴び、猛り狂うゴジラの咆吼がオペレーションルーム内に響き渡る。接触直前まで極度の緊張状態にあった茜も、初撃が無事命中したことで冷静さを完全に取り戻したようだ。
 拳を握り締め、黒木はやれるはずだと自分に言い聞かせた。
 スーパーXU改はゴジラの脅威に晒され続けた日本があらゆる技術を注ぎ込み完成させた究極の対G兵器だ。目覚めたゴジラが果たして予想以上の力を持っていようとも、負けるつもりで出撃させたわけではない。勝算は充分にある。
「シオン・エルトナム、遅くなりましたが……」
『いえ、黒木特佐。これで……何とかなるかも知れません』
 シオンの声に安堵の色を感じ、黒木も胸を撫で下ろす。問題は山積みだが、今見えた光明の意味は大きい。
 しかし、闇は確実にこの世界を覆い尽くそうとしていた。
「黒木特佐! 上空のギャオスの数は増加する一方です!」
「空自と防衛軍は!?」
「対応しきれません、数が多すぎます!」
 ゴジラを倒せても、東京は既に風前の灯火だ。地球生命とやらとの全面戦争がもはや避けられないのだとしても、この国の敗北は既に確定してしまったかも知れない。自分達も、生きて再び地上に出られるか期待しないほうがよさそうだ。
「……それこそ、今さらか」
 誰にも聞こえないようそう独りごちると、泣き言を吐く暇など無いのだとばかりに黒木は指示を出し始めた。
 ――やってやるとも。
 出来る限りのことを。抗い続けてやる。地球生命など、クソ喰らえだ。
 その時である。改めて覚悟を決め、唇を引き結んだ黒木の背後からまったく場違いな拍手が聞こえてきたのは。
「うん、大した覚悟だよ。それこそが人間の在るべき姿だ」
 驚く黒木に対して軽く右手を上げ、室内へと入ってきたのは、少年と老科学者の二人だった。
「メレム・ソロモン……それに、白神博士?」
「伊豆に向かう途中、ちょ〜ど新宿で足止め食っちゃってね。ああ、運転手と護衛をしてくれてた隊員達は退避してもらったから安心していいよ」
 そう言って空いている席にちゃっかり座ると、予め用意してきたのだろう紙パックのカフェオレにストローを突き刺し、なんとも美味しそうに啜り始めた。白神も無言のまま、モニターがよく見える位置へと歩を進め食い入るように画面を見つめる。
「? カフェオレじゃなくてトマトジュースの方がらしかったかな?」
 不思議そうに自分を見つめる黒木にそう戯け、一息にカフェオレを飲み尽くす。
「好きなんだけどねボクは、カフェオレ」
「……いえ、そうではなく――」
「わかってるよ。なんで退避しなかったのかって、それを訊きたいんでしょ?」
 ストローを引き抜き、パックを丁寧に折り畳みながらメレムはいつも通りの人を食った態度でヘラヘラと返答した。
 もっとも、黒木とてこの少年吸血鬼が退避しなかった理由は別に訊くまでもないと思っている。彼のことだ、単純におもしろそうだったからとか、いくらでも理由はあるのだろう。気になったのは白神も一緒に居残ったことだ。
「まぁ、人にはね、それぞれ思惑があるんだよ。生き続けようと抗うのも人間なら、自分が成すことのために命を懸けるのもやっぱり人間なワケでね。そしてそれを見届けるのが、これはボクの欲求なワケさ。……あー、一つだと足りなかったかな。喉乾いちゃって……ここ、自販機とか無いの?」
 真面目な発言のように聞こえても、いかんせんすぐさまコレである。一つ二つ気にはなったが、どうせまともに答えてはくれないだろうと思い黒木は相手の質問にだけ答えることにした。
「……廊下に出て、突き当たりを右に曲がれば休憩所に自販機が」
「ありがと。じゃあちょっと買いに行ってくるよ。黒木サン、なんか飲む?」
「いえ、私は別に――」
「そう? ……ああ、それと」
 扉をくぐろうとした瞬間、メレムはふと思い出したとでも言いたげに天井を見上げてその先を指し示した。
「取り敢えず、新宿上空のギャオスに関しては安心して良いと思うよ。頼もしーい援軍が来てくれたからね」
「は? それは、どういう……」
 聞き返そうにもメレムは既に廊下へと出て行ってしまった。最後にチラリと見えた横顔は実に楽しそうに笑みを浮かべていたが、まったく時と場所を考えて欲しい。
 それにしても、現状で考え得る援軍など果たして何処の部隊か、それとも他国の軍なのか。思い当たるものがない。
「黒木特佐ッ!」
「どうした!?」
 そもそも余計なことを考えている場合ではなかったのだ。惑わすだけ惑わせて答えは何一つ示そうとしないのだから、困った道化だ。いや、それ故の道化なのだろうが、今はお巫山戯に付き合ってなどいられない。
「何かあったのか?」
「いえ、その……」
 どうにも歯切れの悪い部下が見つめている先にあるのは、防衛庁舎周辺の上空を映したモニターだった。思わず吐き気を催したくなる程の、無数の赤い光点は一つ一つがギャオスである。
 ギャオスの数に気圧されたのかと言えば、どうもそういうわけでもないらしい。部下の目に怯えの色はなく、ただワケがわからないと言いたげな顔をしている。奇妙に思いつつ黒木もモニターに注目してみると、確かに驚くべき事態が生じていた。
 そこに映る無数の赤い光点が、次々と消えていっているのだ。
「なんだ……どういう事だ?」
 メレム曰く“援軍”の仕業なのだとしても、これは異常だ。
 小型、中型のギャオスは確かに戦闘機でも対応可能ではあるが、それにしてもこの数を次々と撃ち落とせるだけの戦力が、一体何処から?
「ギャオスと交戦しているのは何処の所属だ? それとも米軍が動いたのか?」
「ち、違います。交戦しているのは、所属不明の……ぜ、全長100メートルあまりの巨大な……コレは、なんだ? と、兎も角、一機だけです! 部隊や軍ではありません! 巨大な円筒状の何かが――」
「黒木特佐、通信が入っています!」
 混乱し、しどろもどろに説明する部下の言葉を遮って、横合いから別の部下の報告が入る。
「誰からだ?」
 少々乱暴に尋ねると、年若いその部下はビクつきながら相手の名を告げた。
「そ、それが……ヴァンデルシュターム卿からです」
「魔城のヴァン=フェム!?」
 メレム・ソロモンの次はヴァン=フェム。まったく何がどうなっているのだとばかりに黒木は手荒く帽子をかぶり直した。
 ……無論、帽子はずれてなどいなかったのだが。





◆    ◆    ◆






「本当は太平洋の真ん中に用があったのだがね」
 そう前置いてから、ヴァン=フェムは言葉を続けた。
「まさかその途中でこのような事態に陥っていようとは……私もトラフィムも些か読みが甘かったな。奴らが動くとすれば、今暫く後だろうと踏んでいたのだが」
 普段通りの、平静な口調である。しかし実際には老吸血鬼の眼は、指は、目にも止まらぬ速さでギャオスを捕捉し、標的へ向けて破壊光線を放ち続けている。
『しかしそれは我々も同様です。ゴジラに注意を向ける余り、横合いからの不意打ちにあまりに無警戒すぎました。まさか、今までは散発的に襲撃するだけだったギャオスが組織だって攻めてこようとは……』
「ああ。私も奴らは精々ギャオスを利用し、共同戦線を張ることはあっても自在に操れるわけではないのだろうと高をくくってしまっていた。もう少し早く、ギャオスの遺伝子情報が解明出来ていればよかったのだが……」
『何か判ったのですか?』
「詳しくはこやつらを片付けてから話そう。詫び、と言うわけでもないが、庁舎上空の守りは任せて欲しい。まずは何としてもゴジラを倒してしまわねばなるまい。この上ゴジラまで取り逃したとあっては、人類は確実に滅亡だ」
『……しかしヴァン=フェム卿、いくら魔城をもってしても、お一人では――』
「心配は無用」
 ある程度の数を蹴散らすと、ヴァン=フェムはそのまま庁舎の真上に陣取った。
 第七魔城『大鉄塊』ガロは、運動性において第六魔城『黄金龍』ナースに劣るがその防御力は魔城中最高である。ひとたび拠点防衛に用いればこの金城鉄壁の守りを打ち崩せる者などそうはいない。
 その名の通り巨大な鉄塊のような全身には、ある強力な呪詛が隈無く刻み込まれている。旧い友人から譲り受けた技術の一端だ。流石に限界はあるが、小型中型程度のギャオスなら百が千集まろうともこの防御フィールドは貫けまい。
「黒木特佐。君達は、ゴジラ撃滅に全力を尽くして欲しい」
 また一匹ギャオスを撃ち落とし、ヴァン=フェムの視線は新たな獲物を求めて彷徨った。押し寄せる群れは際限など無いかのようだ。
『……わかりました』
 用件は済んだ。言いたいことも言い終えた。後は、ギャオスの迎撃に集中するのみである。のみであるはずが……
「それと、一つだけ、よいかね?」
『はい』
 老吸血鬼は少々照れくさそうに顎髭を撫でながら、
「シオンに、あまり無茶はせぬよう伝えてやって欲しい。あの娘の真っ直ぐなところは間違いなく美点だが、少々危なっかしすぎるのでな」
 そう言って、一方的に通信を切った。
「……ふぅ。……ク、クク」
 嘆息し、苦笑する。まったく、この歳になってヴァン=フェムは自分も子を成しておくべきであったなとつくづく思った。
 永い生涯に愛した女は何人もいたが、いずれも子には恵まれなかったため自分はそう言った星の下に生まれついているのであろうと諦めていた。だが、いざ自分の後継に据えたいだけの若い才能と出会ってみると、何とも言えない喜びと、同時に寂しさに襲われたのである。
 そして、我が子を持てなかった一抹の悔しさのようなものが、人類を滅ぼそうとする地球に対し憤懣やるかたない心持ちにさせるのだ。

 ――自分の思い通りに育たなかったからと言って我が子を殺そうとする親……君は、そんな親を許せるかね? ――

 かつて他でもないシオンに問いかけた言葉である。
 自分なら、殺せないだろう。親であるなら、悲しいまでに殺せないはずなのだ。また、そうあるべきなのだ。
「……ああ、そうだろうとも。なぁ、トラフィムよ」
 誰よりも永い付き合いにある盟友の名を酷く哀しげに呼び、ヴァン=フェムはギャオスを撃ち続けた。
 根本的な部分で盟友の辛さを、苦しみを理解出来ない自分は果たして薄情者なのか、それとも単に幸運であったのか。わからないが、ただ、シオンには無事であって欲しいと思う。この戦いが終わったなら、もう一度正式に養子の話を持ちかけてみるのもいい。
 彼女なら、よい人形師になれるだろう。
 ……いや、別に人形師で無くともいい。数千年の永きに渡って自分が積み上げてきたものを、僅かにでも受け継ぎ、役立てて欲しいのだ。そう考える程度には、自分も歳をとった。
 自らが望むまま、勝手気ままに生き永らえて、その果てに抱いたのがこんな望みかと――それがむしろヴァン=フェムは満足だった。
 ならばそのちっぽけな望みのために、今暫くは生き抜く必要がある。
「そう思えるだけの魔技の冴え、見せてくれようぞ、ガイアの尖兵共よ」
 口の端を吊り上げ、さらなる速度で目標を捕捉する。
 胸中で、迎えに行くのは大分遅れそうだとスミレに詫びつつ、ヴァン=フェムは持てる力を尽くしてギャオスの群れを蹴散らしていった。





◆    ◆    ◆






 そいつは、ゆっくりと進んでいた。
 何故進んでいるのか、何処に向かっているのか、理解しているのかどうかも怪しい。そもそも生物的な意思があるのかどうかさえ疑わしい透き通った全身を、細く長い脚と思わしき部位をガチャガチャと喧しく鳴らしながら進んでいく。
 道など無いそこに道を作りながら。自らが進む先にあるあらゆるものを侵食しながら、ひたすらに、真っ直ぐ、海を渡る。
 陸地が近いこと、自らが辿り着くべき場所が近いことに、そいつは果たして気付いていたのだろうか。
 虫のように無表情な瞳は何も語らない。ただルビーのように赤く輝き、時折激しく発光したかと思うと海水は瞬時に水晶へと変わっていた。
 南米で埋葬機関の部隊を壊滅させ、太平洋上で二十七祖が二十一位水魔スミレを破った者。二十七祖が五位、ORT。
 その奇怪な姿、ルビーの視線が無機質に見つめる先。
 そこかしこから火の手が上がり、血の匂いが充満する、恐怖と戦慄の舞台上と成り果てたそこは日本の首都、東京。
 やがて、水晶が湾内に停泊していた船舶をも浸食し始めた頃、ORTは頭部らしき部分を僅かに傾げた。何か気になることでもあったのか、しかしすぐさま何事もなかったかのように侵行を再開する。



 ORTが首を傾げた頃、大島ではゴジラがキングジョー、スーパーXU改、そしてガメラと死闘を展開していた。その全身をメーサーに焼かれ、プラズマ火球の直撃を受けてなお弱った素振りすら見せず咆吼をあげる。
 ゴジラもまた、訝しげに首を傾げていた。
 それが果たして何を意味しているのか、気付いた者は誰一人としていなかった。











〜to be Continued〜






Back to Top