episode-13
〜大東京グラン・ギニョール〜
Part 2 開幕

◆    ◆    ◆






 東京上空。雲を裂き、超高速で交差を繰り返す二体の影による死闘はその激しさを増し続けていた。
 漆黒の大蛾バトラと、極彩色の大蛾モスラ。双方の速度はほぼ同じ。その身に宿した力に明確な差は無い。違いを挙げるとすればそれは二匹の戦法だ。
 戦うために生み出されたバトラのスタイルはまさに戦闘獣さながら、破壊本能に任せた攻めの一辺倒である。長大な翼を駆使して空を縦横無尽に駆け巡るモスラの動きをセンサーの役目を果たす触覚で正確に捉え、必中の角度から赤色のプリズム光を照射する。
 背後から迫るプリズム光に対し、しかしモスラの反応は冷静かつ迅速だった。命中のギリギリまで引き付けて、急上昇。さらに旋回して照射直後のバトラをかわし、その背後へと回り即座に超音波ビームを見舞う。
 バトラと違い、モスラには一撃必殺の武器はない。触覚から照射出来る超音波ビームもその主な用途は牽制に過ぎず、バトラの硬質な外皮を灼き砕くには威力が足ら無すぎる。だが牽制で充分なのだ。
 ビームを容易く回避したバトラは旋回し、モスラを正面に見据えると再びプリズム光を放った。バトラの闘争心は例えそれが牽制であろうともやられっぱなしであることを許さない。そしてモスラは、宿敵の一万二千年前から変わらない半ば習性と化した反撃行動を当然見越していた。
 バトラが気付いた時には既に黄金の輝きがモスラの周囲に展開している。バトラとてモスラのその能力を失念していたわけではない。だが破壊と闘争を旨とする彼の本能は怨敵にやられっぱなしである事を許してはおけなかったのだ。
 輝きの正体は、鱗粉だった。
 大蛾の翼から撒き散らされる黄金色の鱗粉とプリズム光とが接触し、その途端、赤が弾ける。弾けた光線はそのまま鱗粉によって流され、翼の表面を疾ったかと思えば、雷光となってバトラへと襲い掛かった。
 照射直後のバトラは回避行動に移ろうとするも間に合わない。跳ね返された自らが放った光線に身を焼かれ、致命傷とは程遠くとも僅かながらに動きが鈍る。
 攻撃に特化したバトラとは対照的に守りに特化したモスラであっても、宿敵に生じたこの隙を見逃す程甘くはない。体勢の整いきらないバトラへと、両翼を真っ直ぐに伸ばし、力を漲らせたモスラが正面から突っ込む。
 二対四枚の翼が激しくぶつかり合い、結果、漆黒の翼が大きく揺らいだ。
 しかし墜落はしない。それどころか、一万二千年に及ぶ妄執がバトラを支え、重力に引かれ落下しようとする身体をさらに上空へと押し上げる。

 ――この程度でまたも無様に敗北を喫するわけにはいかない――!

 翼に宿るのは全てはその一念である。
 反撃のための力が湧き上がり、さらに激しい赤色が迸る。狙うは眼下を舞う極彩色の翼。このタイミングでは鱗粉を撒くことも、避けることも不可能。
 かろうじて身を捻ったモスラだったが、その翼の先端を光線に灼かれ雲海に身が沈み込んだ。追撃から逃れるためこのまま雲海を泳ぐ事を選択しようともしたが、降り注ぐプリズム光が雲を掻き消し逃げ場を奪う。
 否応なしに向き合う両雄。
 コスモスと繋がったモスラの知覚は焦っていた。この場でいつまでも戦っている暇など無いのだ。守護神獣として自らの役割を果たすためにも一刻も早く大島へと向かいたい。
 だがバトラは決してそれを許すつもりはなかった。今回の目覚めにおいて地球生命からバトラが命じられたのは、ただひたすらに『破壊』である。現行の人類とそれが生み出した文明の破壊、そしてそれを邪魔する旧時代の遺物の殲滅を命じられた以上、打倒モスラは彼にとって己が宿願も踏まえた究極の使命と言えた。
 もはや互いに退路はない。
 長きに渡る因縁に決着をつけ、勝つことでしか先には進めぬのだと自らを叱咤し翼をはためかせる。
 そうして暫しの対峙の果て、先に動いたのはやはりバトラであった。
 遠距離戦では双方決め手に欠ける、長期戦確定のジリ貧だ。そのためにバトラが選択したのは近接戦闘。モスラにはなく自分にはあるもの、即ち鋭い角と爪牙を用いて直接相手の翼を引き裂く。
 一方、相手の意図を酌み取ったモスラはビームで牽制を繰り返しつつ巧みに距離を取った。モスラの鱗粉には光線などを反射する他、あらゆる生物を死に至らしめる猛毒が含まれているが、この高度では鱗粉を周囲に展開していられるのは僅かな時間のみだ。鱗粉もその量が無限ではない以上、接近戦でタイミングを見計らいながら戦うのは厳しい。少量の鱗粉を撒き、そこに自らのビームを放って拡散、バトラを囲い閉じ込めようとする。
 今のうちに距離をと、モスラが後方へ飛び退こうとし――だが、バトラの執念はその算段を上回っていた。
 肉の焦げる匂いが大空高く漂う。
 超音波ビームを全身に浴びながら、それでも猛進する黒き翼。
 驚愕するモスラに肉迫するバトラ。その爪牙は今にも怨敵の羽を引き裂かんと突き出され、モスラが相当なダメージを覚悟したその瞬間……

 ――ッ!?

 二匹ともが静止していた。
 遥か下方、地上から放たれたあまりにも圧倒的な思念。いや、思念とすら呼べないであろう形のない、押し寄せる“なにか”だった。
 あらゆるものを呑み込み、侵食する無色無形の津波。
 覚えがある。
 遥かなる昔、ノンマルトが地球生命によって滅ぼされた時の記憶。バトラは敗れ北の海深く封印され、モスラは勝利しつつも傷つき眠りにつかざるをえなかったその時にも、この波は地上で猛威を奮っていた。
 モスラは弾かれたように地上へと滑空し、数瞬の後、バトラもそれを追うように下へ下へと突き進んでいく。

 地上を覆いつつある、水晶の地獄へと向かって。





◆    ◆    ◆






「……す、げ……」
 思わずずり落ちそうになった眼鏡を咄嗟に手で押さえつつ、志貴は眼前で繰り広げられた攻防とその結果に目を見開いていた。
 ナルバレックの突撃から武器の構成解除、そして再構成しての強烈無比な一撃は、黒騎士リィゾ=バール・シュトラウトの屈強な肉体を遥か後方へと弾き飛ばしていた。リィゾはそのまま民家を破壊し、瓦礫に埋もれ沈黙している。
「……んー、これは……」
 だが、当のナルバレックは銀のハンマーの先端をマジマジと覗き込みながら不服そうにしていた。志貴の隣に立つリタも瓦礫の山から視線を外してはいない。
 そして――
「まさかここまで一方的にリィゾがやられるとは……心底驚かしてくれる」
 相棒の派手なやられぶりを見てなお、フィナは低く笑った。危機感などおよそ持ちあわせていない、余裕綽々と言った笑みだ。それを見て、自分だけが完全に置いていかれているという現状にしかし悔しさを感じる余裕すらないと言うのが今の志貴の正直なところだった。
 ネロと戦った。ロアと戦った。タタリと戦った。アルクェイドの強さを知っている。シエルの強さを知っている。その全てを殺すことが出来る力を自らの両眼に宿している。なのに……闇の領域はまだこんなにも深い。
「そう堅くならず、もっとリラックスした方がよろしいですわ」
「え? ……あっ、ちょっ!」
 放心していた間にリタの細く長い指が志貴の頬を優しく撫でていた。ヒンヤリと気持ちよく、ただそれだけの行為がたまらなく淫靡に感じられる。
「難しく考えるだけ無駄ですもの。わたくし達の生きている世界は酷く単純で明快。言うなればあれです。――『ビビッたら負け』――そうとだけ覚えておけばよろしい」
 よくもまぁ軽々と快活に言ってくれるものだ。だが実際のところ彼女の言う通りなのだろう。単純で明快な、だからこそ深淵の見えない奈落に志貴もまだほんの僅かになのだろうが踏み込んでいる。アルクェイドと共にあろうと誓った時、既に覚悟していたはずのことだ。
「ビビッたら負け、ですか」
「ええ。そうですわ」
 屈託のない笑みには、確かな真実があった。
「相変わらず君らしい言い方だな、リタ」
 フィナも志貴とは別の意味で感慨深くリタを見やる。彼の双眸に浮かんでいたのは、深い懐古と親愛の情だった。
「ロズィーアン卿に見せてやりたいよ」
 果たしてリタが同様の色を浮かべたのは白騎士の口から今は亡き父の名がこぼれたためか、それとも別の、異なる意味が含まれていたのかは志貴にもナルバレックにもわからなかった。わからなかったが、次の瞬間にはリタは手にした日傘を湧き出す殺気を隠しもせずにフィナへと向けていた。
「前言を撤回する気ですの? フィナ。わたくしはかまいませんわよ?」
「クックッ。そういきり立つなよ、殺気が心地良いじゃないか。やはり君にはそんなスカートは似合わないな。髪も、もっと短い方がいい」
「お生憎様、貴方と戯れるつもりはありませんの。死にたくなければ黒いのを連れて尻尾を巻いてお逃げなさいな」
 さらに膨れ上がるリタの殺気に、しかしまるで意に介さぬとばかりのフィナは涼しげな顔をしている。
「尻尾を巻くか。俺には尻尾を巻く意味がわからないな。一つ説明して貰えないかな? リタ・ロズィーアン」
 言って、ナルバレックを指差す。埋葬機関最強の女はいまだ構えを解くことなく、黒騎士が埋もれた瓦礫の山を睨み据えていた。
 ようやく、志貴も気付く。
 リィゾの闘気は先程までと比べまったく薄れてはいない。瓦礫の中から漂ってくるそれはむしろより濃密に、より凶暴性を帯びて辺りに充満しつつあることに。
「黒いのが元気でも、そこの性悪女を瞬殺でもしない限り貴方の不利は動かない。そんなこと不可能だなんて貴方にもおわかりでしょう? 今の貴方なら、わたくし五秒でバラバラに引き裂く自信がありましてよ?」
 事実だろう。他の誰でもないフィナがもっともよく理解している。
 フィナも白騎士と呼ばれる身、剣技体術には相応の自信があるが、しかし彼の真価は固有結界にある。元より単純な戦闘能力ではリタの方が上だ。加えて今の消耗状態では、初撃を受け、続く二撃目三撃目をいなすのが精々だろう。リタは五秒と言ったが、実際は三秒もあれば自分はバラバラだろうなとフィナは読む。
 それでも余裕は崩れない。
 フィナ=ヴラド・スヴェルテンの貌には挑発的な笑みが浮かんだままだ。
「君に引き裂かれるのならそれも悪くはないな。悪くないが……まさかこの極東の地で君とまみえることになろうとは、正直意外だった」
「何処だろうと関係ありませんわ。今さら世間話で時間でも稼ぐおつもり?」
 見下げ果てましたわ、と続けながらも油断無く相手の一挙手一投足を見やる。
 単なる時間稼ぎか、他の意図か。リタの言葉や視線を気にした風もなく話を続けようとする白騎士の真意は見えてこない。
「君とまみえるのなら、それは我が主かもしくは白翼公の居城だろうと思っていたからな。……君も、スミレも今は出はからっているのだろう? 白翼公の護衛はあの陰険偏屈片刃の若僧だけか」
 その言葉に、リタの眉が僅かに動いたのを志貴は見た。
 吸血鬼世界のビッグネーム、白翼公トラフィム・オーテンロッゼの名前くらいは志貴もアルクェイドやシエルの話の中に聞いた覚えがある。リタがどの陣営に属しているのかは今のやりとりで察しがついた。
 だが、志貴が知る限りトラフィムは……
 彼からのそんな視線に気がついたのだろう。リタはフゥッと息を吐くと、
「……そう睨まないでくださいな。わたくしは確かに白翼公の陣営に属する身ですけれど、別に今回は姫君を害するよう言いつかってはおりませんわ」
 言って、柔らかい微笑を浮かべた。
 リタの言葉は信じたい。出会ってまだ三十分にも満たない間柄ではあるが、志貴は彼女とナルバレックに畏怖と同時に僅かな好意とも呼べる感情を抱き始めている。二人ともとても心を許せる類の相手ではないが、少なくとも嫌いではなかった。
「でも、せんぱ――シエル先輩から聞いた話じゃ、その白翼公って奴はアルクェイドを狙ってるって……もしそれが本当なら、俺は――」
 そこまで言って、短刀を握る手に力を込めた志貴をリタは静かに遮った。
「トラフィム小父様は、別にアルクェイド・ブリュンスタッドを狙っているわけではありませんわよ」
「なっ、だってネロを差し向けたのは白翼公なんだろ!?」
 ネロ・カオス。今でも時折悪夢に見る最悪の化け物が頭を過ぎり、自然口調が荒れたものとなる。が、リタは変わらず平静を保ったままだ。
「けれど、その後は特に刺客が差し向けられたことも無かったでしょう?」
「そ、れは……そうだけど」
 言われてみればその通りだ。ネロ以降、白翼公の手の者がアルクェイドにちょっかいを出してきた様子はない。彼女が容易に手を出せる存在でないことはわかるが、本気で狙っているのなら完全に無反応というのも妙な話ではある。
「アルクェイド・ブリュンスタッドは強い。さらに今の彼女の隣にはあのネロ・カオスを殺した者――サツジンキ――がいる……けれど、シキ君。わたくし達は貴方のこともよーく調べてありますの。で、その結果は……」
 視線を志貴ではなくフィナに向けたまま、少しだけ言い辛そうに口籠もり、
「……正直、狙い目だと。貴方は一流の殺し屋かも知れませんけれど、戦えば打倒も捕獲も容易い――姫君のアキレス腱。わたくし達は、そう判断したのですわ。貴方を利用すれば姫君を倒すことも難しくはない。けれど、そうはしなかった。どうしてか、おわかりですかしら?」
 リタから訊ねられ、志貴は答えに窮した。
 まったくその通りだ。リィゾとの戦いで嫌と言う程思い知らされたが、二十七祖級の相手が油断も隙もなく本気で正面からきたなら遠野志貴に勝ち目はない。アルクェイドと共に在り、彼女を守ると誓いながら、突き付けられた現実はかくも残酷なものだった。
「……わからない。どうして、そんな……」
 では何故、白翼公はそうはしなかったのか。敵対する真祖の姫君を倒すために、彼女の側をうろつく非力な人間の若僧を利用するなりどうとでも出来たはずのことを、何故そうしなかった?
 呻くように呟いた志貴に、リタはフッと口許を和らげると、
「シエルと――埋葬機関と同じですわ」
 そうとだけ告げた。
 正直、リタですら量りかねていることではあった。口に出してはっきりと聞いたことがあるわけでもないが、トラフィムはアルクェイド個人を狙っているわけでもましてや憎んでいるわけでもない。彼が滅ぼしたいのが真祖というシステムそのものであることはリタも理解しているつもりでいる。
 白翼公も埋葬機関も、日本に居着いたアルクェイド・ブリュンスタッドに対して執った処置は監視だけだった。陣営内の有力な吸血鬼達からネロが滅ぼされた責任の追及も踏まえ対応が甘すぎるとの声もあったが、トラフィムは彼らを一喝して黙らせてしまった。そうなるとリタやスミレはトラフィムの考えに口を出すつもりは無いし、エンハウンスは単なる食客の身分であるから発言権は無いに等しい。ヴァン=フェムは最初からトラフィムに同意していたため、結局そのままで今日まできてしまったのだが、理由はついぞわからないままだ。
 なのに今、リタは此処にいる。ナルバレックと共に、アルクェイドと会うために。
「先輩と……同じ? 一体、どういう……」
 そんなわけもあってか、さらに聞き返す志貴にリタはそれ以上は何も答えなかった。その代わりにフィナに向かって、二歩程ゆっくりと優雅に踏み出す。
「これ以上貴方に時間を差し上げるのも勿体ないことですし、この場を立ち去るつもりが無いのでしたらいい加減に決着をつけましょう、フィナ。そもそもわたくし達が居ないからと言って、貴方達にしてもエンハウンスを抜けてさらに“あの”小父様を倒せるだけの手駒はおりませんでしょう? それにフィナ、貴方とリィゾが出向いたところで到底無理な話。アルトルージュ・ブリュンスタッド自らがプライミッツ・マーダーを伴って赴きでもしない限り、トラフィム・オーテンロッゼを打倒など出来ようはずがありませんもの」
 白翼公に対するそれは、リタの絶対、全幅の信頼だった。
 最古の死徒、トラフィム・オーテンロッゼ。彼を倒せる者など世界広しと言えども限られている。リィゾもフィナも恐るべき使い手ではあるが、リタが知る限りその力は白翼公には及ぶべくもない。白翼公と黒の姫君、両陣営が長年に渡って睨み合ってきたのは敵方の長を倒せる者が自分達の長以外にはありえなかったからだ。その一戦で全てが決するからこそ数百年もの間動きがなかったのである。
 だから、フィナの話ははったり、単なる時間稼ぎに過ぎないだろうと……そう考える反面、しかし納得いかない部分もあった。
 リタの知るフィナという男、根拠のないはったりを用いるタイプではない。こればかりは、認めたくないが長い付き合いだ、よく知っている。
 その事を追究しようと、身を乗り出したまさにその時だった。
「危ないっ!」
 志貴の声が聞こえたのと同時に、視界の端で瓦礫の山が吹き飛びリィゾが大剣でナルバレックに斬りかかっていくのが見えた。
 そして――
「くぅあっ!?」
 咄嗟に顔の高さまで振り上げた日傘にとてつもない衝撃。
 一度ではない。二度、三度。
 疾い。
 しかも疾いだけでなく、重い。
「こ、のーーーぉっ!」
 吼えてはみたものの、四撃目をかわせたのは志貴のおかげだった。三撃目を受けて深く沈み込んだ日傘は迎撃に間に合わず、あわや首を跳ね飛ばされるところを、『危ない』と一撃目の時点でリタを押し倒すために飛んでいた志貴が四撃目にようやく間に合ったのはやはり幸運だったのだろう。全力のタックルを受けて体勢を崩したリタの鼻先を剣風が掠めていく。
「シキ君!」
「あ、え?」
 腰に志貴をまとわりつかせたまま、リタは突然現れた敵の脚目掛けて日傘を振るった。だが相手の反応は迅速かつ的確にこれを防ぐ。
「後でタップリとお礼しますわ!」
 言いながら、ウィンク。手は休めない。下段から日傘を大きく振り上げて、相手を後方へと下がらせる。
「……え?」
 そこで志貴は奇妙なものを見た。
 見た、という言い方では語弊があったかも知れない。正しくは、見えるはずのものが見えなかったのだ。
 相手の手には、何も握られていなかった。剣も、槍も、ナイフすら見えない。
 だが武器はあった。確かにあった。視認出来ずとも、リタは相手の腕の動きから軌道を察知して受け続けていた。
 敵の正体も含めその装備も何もかもが不明、一端距離を置いて仕切り直したいが、敵もリタのそんな考えお見通しとばかりに前に出てくる。しつこく、まとわりつくように放たれる細かな斬撃はパンチで例えるならジャブのようなものだ。だと言うのに、やたら重い。
「しつ……ッこいですわっ!」
「ッ!?」
 吸血鬼とは言え所詮は女の膂力と侮っていたのか、相手の顔が驚愕に歪む。受ける手が痺れるのを堪えながら、それでもリタは一瞬の隙をついて力任せに押し切った。さらにぞろっぺぇスカートの中から長い脚が突き出されたかと思うと、そのまま相手の土手っ腹に蹴りをお見舞いし、反動で飛び退く。
「うわあぁっ!?」
 たまらないのは腰にしがみついたままの志貴だ。別に手を放して邪魔にならないよう下がればいいだけの話なのだが、あまりのことに頭がついていけていない。出来ることと言えば両手にグッと力を入れることぐらいで、しかもこんな時だというのにリタの身体の意外な柔らかさにドギマギしてしまった自分に驚いたやら情けないやら……
「ひゃんっ!? ちょ、お礼は後ですわよ!」
 腰にしがみついていたはずなのに、気がつけば志貴はリタが飛び退いた拍子に彼女の形のいいヒップへと鼻を埋めていた。文句を言われるまでもなく今度こそ離れて反射的に頭を下げる。
「ご、ごめっ!」
「別に謝らなくても結構ですのに……まぁそれはそれとして」
 少しだけ残念そうに見えたのは果たして気のせいだったのかどうか。ともあれ二人はようやく襲撃者の姿をはっきりと確認することが出来た。距離が空いてしまったせいだろう、向こうも改めてこちらの出方を窺うつもりなのか、見えないエモノを正眼気味に構えて微動だにしない。
「……え?」
 思わず志貴は目を疑った。





◆    ◆    ◆











◆    ◆    ◆






「……女、の子?」
 凛々しい顔立ちではあったが、襲撃者はどう見ても少女だった。少なくとも、志貴の二つか三つばかりは年下に見える。身長に至ってはリタよりも頭一つ分以上低い、随分な小兵である。
 だのに、強い。
 リィゾとまがりなりにもやり合ったばかりの志貴から見ても、少女の攻撃は黒騎士のそれに勝るとも劣らぬよう思えた。矮躯に見合わぬ凄まじい苛烈さだ。
「極めて変態的なショタ趣味の貴方ですから、一見少女で実は少年……とも思いましたけれど、どうやら本当に女の子のようですわね」
 リタは驚いているのか呆れているのか、ともあれ暢気な口調とは裏腹に日傘を構える姿には一分の隙もない。
 少女は吸血鬼ではなかった。かといって生身の人間とも違う。実体化した使い魔や亡霊の類かとも思ったが、それらとは明らかに霊格が違いすぎる。正味のところ、よくわからない。よくわからないが、一つだけ――この少女が油断ならない相手であることだけはわかった。
「酷い言い草だなリタ。彼女にも失礼だろうに」
 白騎士が嗤う。
 嗤いながら、フィナは言った。
「仮にも伝説の英雄を相手にしているんだ。もう少し言い様があるだろう?」



 飛んでくる瓦礫の破片を払い除けながら、ナルバレックはウォーハンマーを手放し再び両手にトンファーを現出させた。そしてそのままリィゾの一撃をいなす。
「ぐっ」
 途端、右腕に稲妻が走ったかのような嫌な感覚。
 元よりトンファーとは刀剣を備えた敵と戦うために考え出された武具である。受けるにしろ流すにしろ、ナルバレックレベルの使い手が用いればその防御力は折り紙付きだ。その上で、ニアダークによる斬撃はナルバレックの右腕を痺れさせた。絶妙のタイミングで真芯を避けた、受け流す動作でさえそれである。まともに喰らった時のことなど考えたくもない。
「ようやく、本気という事かしら?」
 黒騎士は何も答えない。無言、無表情、それでいてこちらを圧迫する強烈な威圧感はまるで石で出来た魔神を思わせる。
「あの胡散臭い敬語、ひどく不自然だとは思っていたけれど……それが貴方の素というわけね」
 右腕の感覚が戻らない状態でやり合える相手ではないが、どうやら待ってくれるつもりは無いらしい。
 まるでリィゾの体躯が二倍に膨れ上がったかのような錯覚に、それでもナルバレックは前に出た。敵は強大、右腕は痺れたまま、しかしその程度で後退するようならこの名は名乗れない。
 ――右腕が回復するまで、おおよそ三十秒と言ったところか。
 左腕のトンファーを緩急をつけて回しながら、リィゾとの間合いを計り直す。雄弁に敬語で話していた時と同じように考えるべきではない。闘気か、魔力か、どちらにせよニアダークの攻撃範囲は数cm確実に広がりを見せていた。直撃の瞬間、刹那のタイミングで斬撃をいなすナルバレックの神技が先の一撃で衝撃を殺しきれなかったのはそのためだ。
「……」
 言葉を失ってしまったかのように、リィゾは黙してニアダークを構えた。
 左手一本でもやり過ごすことは可能だ。ナルバレックの持てる技術、そして小賢しい頭を駆使すればむしろ目の前の騎士のような相手は与し易い相手のはずだった。問題なのはやり過ごすことは可能であっても、倒す算段がまったく、これっぽっちも見えてこないと言うことである。
 銀の戦鎚による全力打撃にもノーダメージなどと、今自分は幻術にでもかかっているのではないかと疑いたくなる。リィゾ=バール・シュトラウトが剣豪であるとは真っ赤な嘘で、実は類い希なる幻術の使い手だと言われた方がよっぽどマシだ。
(打撃完全無効化? でもそんな術、聞いたこともないわ。むしろそこまでいってしまえば呪いか……ニアダークは悪魔だという噂、信じたくもなるわね)
 左腕をテンポよく振り回す。
 トンファー、ウォーハンマーは共にノーダメージ。黒鍵や手裏剣の投擲にも血の一滴すら流していない。火葬式典で燃えたのもスーツだけで、腕には火傷の痕もないときたものだ。高速復元呪詛が働いているのだとしても自分やリタの眼ですら捉えきれない復元速度などありえない。となると、行き着く答えは一つ。伝え聞く“時の呪い”とやらに因るのだろう。
 チラと、リタと志貴を見れば、二人は二人で突然現れた敵と睨み合っていた。正体はわからないが、リタが手を出しかねている様子からかなりの強敵であると判断する。敵の戦力に今以上の隠し球があれば流石に分が悪い。
 どうしたものかと考えつつも、
「……はぁあっ!」
 ナルバレックはリィゾへと打ちかかっていた。
「ぬんっ!」
 右腕にダメージを受け待ちに徹するだろうと思われていた相手からのいきなりの攻撃に、不意をつかれた形になったリィゾがたまらず後退する。まともにぶつかり合えばニアダークとトンファーでは勝負にすらならないが、それがわからないナルバレックのはずもない。だからこそ無茶な特攻が不気味すぎる。
「とっ! はっ!」
 左腕一本の小刻みな連撃。喰らったところでリィゾはせいぜい飛ばされるだけ、ダメージを受けはしないが、距離を取られるのはおもしろくない。この気性から察するにナルバレックは無様に逃げをうつタイプではないだろうが、逃走と撤退の意味を履き違えるような暗愚でもなかろう。
「……ぬぅぅぅぅぅりゃっ!」
 ならば、と。一気に決めさせてもらうとばかりにリィゾも前に出る。
「ッ!?」
 斬撃ではなくそれは剣を前面に立てた体当たりだった。
 力と力では分が悪すぎる。黒騎士の巨躯に押され、ナルバレックのブーツがアスファルトの地面に亀裂を走らせた。全身が爆ぜ砕け散るのではないかという衝撃に目眩を覚える。
 だが、それでも――
 ナルバレックの貌には、うっすらと笑みさえ浮かんでいた。



「伝説の、英雄? ……まさかッ」
 驚愕の声をあげるリタと、表情のない少女、そして薄ら笑いを浮かべる白騎士を交互に見比べ、最後にもう一度志貴は少女を見た。
 金髪碧眼、鋼鉄の鎧を纏った少女は一見素手、しかしその手には怖ろしく鋭い牙を隠し持っている。
 眼鏡に手をかける。いざとなれば自分も手を出さざるをえまい。リタと少女の戦闘は、目で追うのがやっとのとても志貴が手を出せるレベルにはなかったが、不意をつくことさえ出来れば自分の一撃は少女の命脈を確実に絶てる。
「お待ちなさい、シキ君」
 しかし、その手をリタが遮った。
「リタさん?」
「もしも相手が“英霊”なら、貴方の眼でも難しいかも知れませんわ。本当に失明してしまいかねません」
 告げる口調は厳しい。表情から察するに、リタ自身も果たして本当にそうなのか判断しかねているようだ。“英霊”とは何なのか、冷静に考えてみようと必死に頭を働かせるが、志貴には今一つ量りかねた。だが、ぼんやりとだが言葉自体から連想されるイメージと、それを伝説の英雄であると嘯くフィナに真実があるのならば、確かに志貴の眼に余るものかも知れない。
 それでも、万が一の時には眼鏡を外して視る。自分の後ろにあるマンション、その一室には守るべき人がいるのだから。
 そんな志貴の男の決意を嘲笑うかのようにフィナは悠然と語る。
「賢明だよ、リタ。彼の魔眼は怖ろしいが、アーサー王を直に視たとあってはどうなるかはわからないだろうしな」
 アーサー王という言葉にリタも志貴も顔を顰めた。
 その人物がどれだけの英雄か、知らないはずもない。はずもない、が――
「アーサー王って……でも、なんで女の子が……」
「事実は小説より奇なり、とは言いますけれど……これは、ナンセンスですわね」
 口振りは兎も角、リタの全身が強張っているのが隣に立つ志貴にはわかった。侮れないどころの敵ではない、と言うことだろう。
 アーサーと呼ばれた少女は一言も発することなく、能面を貼り付けたままだ。意思のない人形のような様は単なるフィナの使役されるだけの存在が故か、それとも他に理由があるのか、妙に気になる。
 リタはリタで、志貴とはまた異なることが気にかかったらしい。アーサーではなくフィナを睨み、その疑問を口にする。
「……彼女がアーサー王なら、英霊なら何故貴方に手を貸しているのか、説明していただきたいものですわね」
 英霊とは死後においてなお人々の信仰の対象となった英雄の霊。しかしてその分類は亡霊よりも精霊に近いものであり、中身は人々の理想によって編まれたそれは“人間を守る”力のはずである。
「英霊が人類の敵に回るなど――」
「ありえない、と……そう言いたいか?」
 ギャオスの群れを引き連れてきたフィナ、そしてその主たる黒の姫君が星の意思のままに人類を滅ぼそうとしていることは明白だ。ならば星からの干渉を受けたとも考えられるが、それでも英霊が人間を滅ぼす側に回るなんてことが……
「……まぁ、その通りだな。英霊は人間を守るものだ」
 あっさりと告げるその言葉が真実かどうか志貴にはわからない。が、アーサー王である少女の碧色の眼が僅かに揺らいでいるようには見えた。
「だから守るんだよ。彼女達は我が黒き姫君の手となり足となり、滅び行く人類が最後に守るべきものを守るんだ。だろう、アーサー王!」
 号令と同時にアーサーが地を駆けた。
「きゃあっ」
 言葉の意味を咀嚼する間も与えぬ急襲に、さしものリタも勢いよく吹き飛ばされ宙を舞う。空中で体勢を整え着地するまでおよそ三秒程。その僅かな時間が、アーサーが志貴の喉元に不可視の剣を突き付けるには充分すぎた。
「うっ!」
 志貴は動けない。眼鏡を外すなんて夢のまた夢だ。
 これが、戦いのあまりにも呆気ない決着だった。



「リィゾ、ナルバレック、戦いは終わりだ!」
 今にも互いの最大の一撃を見舞おうとしていた二つの影がピタリと止まる。ニアダークはナルバレックの額スレスレに、銀のトンファーはリィゾの脇腹へ触れるか触れないかのところで静止していた。
「……試しに言ってみただけだったんだが、驚いた。リタ、ナルバレック、彼が君達にとって人質としての価値があるとはね」
 どうやら本気で驚いているらしい。動けるものなら今すぐにでも出ていってぶん殴りたいものだが、見えない剣は確実に志貴の喉に触れている。
「貴方と違って、シキ君には可愛げがありますもの」
「リタに同意するわ。と言うよりアレね。この状況で人質をとるのもそれを見捨てるのも、三流もいいところじゃないの。貴方達、騎士を返上して今日から白黒木っ端侍とでも名乗りなさい。いいわね?」
 本音はどうだかわからないが、二人は志貴を見捨てるつもりはないらしい。利用価値を認められているのか、それとも情の問題なのか、リタもナルバレックも志貴が読むには難しすぎる。それよりも、木っ端侍発言が効いたのかフィナもリィゾも苦い顔をしているのが微かに溜飲を下げた。
 とは言えどうしたものか。
 両陣営、完全に動きが無くなってしまった。志貴を人質にして取り敢えず戦闘は終結したものの、それを盾にリタとナルバレックを倒そうというものでもないらしい。もっとも、そこまでいけば流石に二人黙ってやられるわけもないだろうが。
 しかし、数秒も経たぬうちに志貴は理由を知ることとなった。
「ふむ、上出来だ」
「アルクェイド!!」
 突き立てられたままの刃のことすら忘れ、志貴は恋人の名を絶叫していた。
 マンションから飛び出してきた影。髪の長い奇妙なアイマスクをつけた女がその手に抱えているのは、紛れもなくアルクェイド・ブリュンスタッドだった。
「弱ってなお石化は無理か」
 白い吸血姫は全身を鎖で雁字搦めに縛られ、手足からは色が失われている。まるで石のようだ。
「丁重にお連れしろメデューサ。妹姫様は我らが主の大切な御方だ」
 フィナの言葉にメデューサと呼ばれた女はコクリと頷くと、アルクェイドを抱えたまま大きく飛んで、リィゾの後方へと着地した。意識がないのかアルクェイドには何の反応もない。
「アルクェイドをどうするつもりだ!?」
 自らを省みず、ただただ絶叫する。
 守ると誓った相手が敵の手の中にあるのだ。叫ばずにいられるものか。
「……本当にカスね、この木っ端侍共は。見下げ果てたわ」
「何とでも言うがいいさ。我々はこの辺で引き上げさせてもらおう。目的も果たしたことだし、東京はもうすぐ地獄だ」
 そう言ってヒョイと肩を竦めてみせると、フィナはリィゾとメデューサに下がるよう手振りで伝えた。リィゾは決着がつけられなかったことが不服そうではあったが、そうまでして執着するつもりもないらしい。ナルバレックへと一瞬意味ありげに視線を向けると、即座に引き上げていった。メデューサもその後に続く。
「アルク――ぐふッ!?」
 なおも叫び、突き立てられた剣も無視して身を乗り出そうとする志貴の鳩尾にアーサーの拳がめり込んでいた。胃液が逆流し、意識が混濁する。それでも志貴は踏み止まった。今倒れるわけにはいかない、絶対に、何があろうとも。
「……アル、クェイ……ドぉ……」
 必死に手を伸ばす志貴を見つめるアーサーの表情の翳りに、果たして気付いた者はいただろうか。少なくとも、一番近くにいた志貴が気付くことはなかった。
「……がッ!」
 さらにもう一撃。首筋に手刀を打ち込まれ、ついに志貴は前のめりに倒れ込んだ。伸びきった手は愛しい人に届くはずもなく、乾いた音を立てて地に落ちる。
 それを見届けるまでもなく、フィナは三人に背を向けた。アーサーもリィゾ達が向かった方向へ走り去っていく。
「ではさよならだ、ナルバレック、それにリタ。死にたくなければ君達も早くこの場を離れた方がいい」
「余計な……お世話ですわ」
 リタの声に悔しげな響きが混じる。今さら何を言おうともアルクェイドを奪われた時点で今回のこれは自分達の負けだ。
「逃げるならさっさと逃げなさい、白木っ端。目障りだわ」
 その言葉にはもはや答えることもなく、フィナは去った。
 残されたリタとナルバレックはやれやれと顔を見合わせ、志貴のもとへと歩み寄る。意識を失ってはいるが、この程度ならばすぐに目を覚ますだろう。
 譫言に愛しい人の名を呟く青年を担いで、リタは空を見た。フィナが去ったことで結界は完全に消え失せている。天にギャオス、地には屍山血河……まさに地獄だ。だがフィナは言った。『東京は、もうすぐ地獄だ』と。
「これで、まだ地獄ではないと――あっ」
 その時、大地が揺れた。大きく、恐怖に打ち震えるように。

 そう――地獄ではなかったのだ。
 何故なら、地獄はギャオスでも死体の山でもなく、水晶の形をしていたのだから。





◆    ◆    ◆






「地震です!」
「これは、大きいぞ!?」
 新宿、防衛庁舎地下。
 オペレーションルーム内で立っていた者は手近な壁や机にしがみついた。
「こんな時に、地震まで起こるとは……」
 三原山の火山活動によるものとは明らかに違う。黒木はカフェオレを啜っていたメレムに伺いだてるよう視線を送ったが、メレムも『これはボクにもサッパリだよ』とでも言いたげにブンブンと首を振る。
 揺れはなかなかおさまらない。茜と結城はそれでも必死にスーパーX2改の操縦を続けていた。大島でのゴジラ戦は一瞬たりとも気が抜けないものとなっている。キングジョーとスーパーX、そして謎の大亀怪獣による奇妙な共闘。どれか一つでも倒されればその時点でゴジラは他の二者を倒し、海へと消えるだろう。今、ここでゴジラまで討ち漏らすわけにはいかない。
 そうして、実際にはどのくらい揺れていたのか。
 ようやく揺れがおさまったのを確認すると、黒木は庁舎周辺、さらに東京各所を映すモニターへと目をやり……驚愕した。
「なん……だ……これ、は……?」
 黒木に続いてモニターを覗き見たメレムも、白神も、言葉を失う。
 一体何をどう言えばいいのか。その光景を前には、茫然自失とする以外にない。
『黒木特佐、モニターは見ているかね?』
 ヴァン=フェムからの通信にも、黒木は暫く答えることが出来なかった。暫くして自分が声をかけられているものと気付き、絞り出すように声を出す。
「……は、はい。今、見ています。しかし、これは――」

 ――何なのですか――と。

 そう続けようとして、出来なかった。
 モニターの向こうに広がる景色はさらに変化を続けている。
 美しい光景である。
 ギャオスによって蹂躙された東京が、嘘のように美しく、キラキラと輝いている。
「街が……東京が……」
 中央区から始まり、次第に江東区、千代田区、港区へと広がっていく。
 ビルも、道も、街路樹も、その全てが――水晶と化していた。
 広大な、水晶で出来た都市。まるでお伽噺の中の世界だ。差詰め黄金郷ならぬ水晶郷と言ったところか。
『メレムも見ておるな?』
「……あ、ああ。見てるよ」
 メレム・ソロモンともあろう者が、しかし驚愕する以外にはない。
『今すぐ撤退の準備を。あの水晶は三十分後には新宿も覆い尽くすだろう。今から十五分後に大鉄塊を庁舎入り口に降ろす。……急ぐのだ』
「しかしそれではスーパーXの操縦が!」
 黒木の言葉にヴァン=フェムも思わず唸る。今スーパーX2改の操縦を放棄するのは不味い、ゴジラ戦の勝ち目が無くなる。
「私は残ります!」
 そう叫んだのは茜だった。ゴジラへと間断なくメーサーを撃ち込みながら、テコでも動くつもりはないと言う意思がヒシヒシと伝わってくる。
「馬鹿を言うな!」
 しかしそれを許すわけにはいかない。どちらにせよ、水晶に侵食されてしまえば操縦を続けられる保証など無いのだ。黒木は時計を見やり、通信機の向こうのヴァン=フェムへと訊ねた。
「ヴァン=フェム卿、なんとか撤退までの限界時間を引き延ばせませんか?」
 その質問は既に予測済みだったのだろう。
『二十分だ。それ以上は、待てん。大鉄塊も呑み込まれる』
 即答すると、ヴァン=フェムは再びギャオスの群れを撃ち落とし始めた。庁舎から黒木達を回収する前に、安全のため周辺のギャオスは出来る限り駆逐しておく必要がある。
「家城三尉、結城少佐、聞いた通りだ。二十分でゴジラを倒せ!」
 黒木はそう言い放つと、他の職員と共に撤収の準備を始めた。
「ヘッ、無茶言ってくれるぜ。けどまぁ……やらにゃあなぁ、嬢ちゃん!」
「はいっ!」
 スーパーX2改の速度が増し、メーサーによる砲撃がさらに苛烈なものとなる。残り二十分、機体の性能限界ギリギリで、むしろ超える勢いで――
 倒す。ゴジラを。



「地獄とは、もっと惨たらしい光景を想像していたが……むしろこの非現実的な美しさこそが地獄の真実なのかも知れんな」
 モニターを眺めつつ、白神は誰にともなくそう呟いていた。
 もっとも彼にとっての地獄とは、愛娘を失ってから今まで過ごしてきた時間全てがそのようなものだ。今さら、この水晶の輝きを怖れているわけではない。それでもこの美しくも不気味な水晶郷を表現する言葉は地獄という以外に何も浮かんでは来なかった。
「しかしこれは……いったい何なんだ? 博士は、何か……」
「見当もつかんよ。ゴジラにせよ、星の怒りにせよ、科学者に無力を思い知らせるには充分すぎる事件ばかりだ」
 白神の言う通りだった。黒木の問いに対する答えなど、この場の誰もが持っているわけがない。……ただ、一人を除いて。
「……あれは多分、“水晶渓谷”さ」
 メレム・ソロモン。この少年の姿をした吸血鬼だけは知っていた。この異常事態を引き起こしたのが、彼と同じく二十七祖に名を連ねる存在によるものだと。
 動き出したことは聞いていた。日本へ向けて移動しているらしいことも。だが早過ぎる。予想よりも、かなり。

「あれは固有結界“水晶渓谷”。ボクも見たことはないけど、二十七祖の第五位、ORTが創り出した最悪の地獄さ」

 そう言って、道化師の貌は険しさを増した。











〜to be Continued〜






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