episode-14
〜G×G〜
Part 3 首都晶失


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 気の抜けた吐息がオペレーションルーム中から漏れた。見辛くノイズの入りまくったモニターには、巨大な水柱が映っている。二頭の大怪獣が上空から高速で突っ込んだのだ。周辺の島に及ぶ津波の被害、影響など果たしてどれだけのものとなるか、平時であれば誰もがその事に頭を悩ましたことだろう。
「……ふぅ」
 結城の身体が疲れ切ったように椅子へと沈み込む。
「どうなった!?」
 黒木の声も聞こえているのかいないのか、結城からは何ら反応はない。茜だけが、食い入るようにモニターを見つめ続けていた。スーパーXのレーダーにも目をやるが、ファイヤーミラー溶解時に受けた各部の損傷は予想以上に酷いらしい。モニター、レーダー、さらには操縦系統、どれもかろうじて生きているだけ、ほとんど使い物にならない。
「……ゴジラ」
 茜は奥歯を噛み締めた。撤収の準備をしていた者達も皆手を止めてモニターに見入っている。水柱が崩れ、激しく波立つ海からはゴジラもガメラも浮上してくる様子はない。
「結城少佐、ゴジラを追いましょう」
 無茶を承知の茜の発言に、結城はやはり何も答えなかった。ぼんやりと天井を見つめているだけだ。
 茜にもわかっている。スーパーXはもはや動くことすら難しく、仮にゴジラを追ったとしてもメーサー一発撃てるかどうか。それに、ヴァン=フェムから与えられた時間も残り三分を切っている。
 だが諦めきれない。諦めきれるはずがない。
「結城少佐、ゴジラを――」
「家城三尉」
 なお食い下がろうとする茜の肩に手が添えられる。彼女を制したのは、結城ではなく黒木だった。
「撤収だ。準備を」
「ですが黒木特佐! ゴジラは、ゴジラは死んでいません! 死ぬはずがない、あの程度で、死ぬはずが――」
 茜は、それ以上続けられなかった。肩に添えられた手が強張っているのがわかったからだ。思わず力が籠もりそうになるのを黒木は必死に堪えていた。
 ゴジラが死んでないなんて言われるまでもない。怪獣王の肉体がどれだけ頑強かなど直接目にしたことはなくとも数ある資料に目を通しただけでウンザリするくらいよく知っている。そこへきて今の戦闘である。ゴジラは死んでなどいない。そして黒木は、そんなゴジラを倒すためにここにいるのだ。
「準備が終わった者から一階のロビーへ向かえ! 大鉄塊とタイミングを合わせて庁舎を脱出する!」
 それでも、黒木はそう命じた。
「結城少佐」
「……ああ」
 天井を仰いだまま、結城が気の抜けた返事をする。
「スーパーXU改の操縦を自動飛行モードに移行し、アイアンロックスへ帰投。回収はシオン・エルトナムがやってくれる」
「黒木特佐!」
 もはや茜が何を言おうともどうしようもない。結城は手早くスーパーXの行き先を入力すると、席を立った。黒木も、無言だ。
「ここまで……追い込んだのに!」
 悔しさで腑が煮え返りそうだ。
 想定外の事態の連続。絶対不可能と思われた戦況を覆し、不死身と思われた漆黒の破壊神、怪獣王ゴジラにいまだかつてないダメージを負わせて、なのにこれか。
 海に消えるゴジラ。茜が生まれるよりも前から、ゴジラを始め多くの怪獣は思う様この国を蹂躙すると海に消えていく。海から来て海に還り、再び海からの、繰り返し。その中でもゴジラは極めつけだ。十年前に三原山の火口に消えてなお、ゴジラを知る者はその恐怖を忘れることはなかった。
 ようやく絶てるかも知れないのに。詮無きことだと理解は出来ても、感情はそれを許せない。
「黒木特佐は、悔しくないんですか!?」
 そう言われても、黒木はスッと目を細めるだけだった。
 悔しくないのか?
 悔しいに決まっている。
 黒木翔はゴジラの被害に遭ったことはない。怪獣の襲来で命を失った者は、家族に親戚、少なくとも面識のある範囲では皆無であった。父方の祖父は数年前に亡くなったが、祖母、母方の祖父母もまだ健在で、一応どちらの祖父母も戦争経験者ではあるがその人生の大半は平和な時代を生きた人達だ。
 要するに黒木は、極々当たり前の平和な日本に生まれた男だった。そんな男が自衛官、しかも特殊戦略作戦室などとご大層な部署で怪獣の相手をしているのには、それなりに理由もある。
 確かに、黒木には権藤や結城のようなゴジラに対して直接の因縁も無ければ、茜のように過去を乗り越えるなどの目的もない。幼少の時分なら兎も角、この仕事に就いたことで世界の暗部を覗き見てなお声を大に正義のため、平和のためと言えるような純粋な人間とも違っていた。だが打倒ゴジラへの想いは他の誰に劣るものでもない。半端な使命感や責任感なら、冗談抜きで世界の危機たる今こんな時に此処にこうしているものか。
 日本における怪獣の出現は近年減少傾向にあったとは言え、世界規模で見れば異常気象に伴うそれは増加の一途を辿っていた。世界には、常に驚異が充ち満ちていた。
 平和な時代、平和な国。少なくとも、黒木にとって今の日本はそんな国だった。そう言えてしまう自分が、もしかすると申し訳なかったのかも知れない。テレビは常に不条理を伝え、新聞は陰惨な事実を綴る。いずれも遠く離れた場所のことと、普通の人間ならそう割り切る。同情はしても、自身に直接作用しない以上現実として認識出来ないのである。彼方の現実とは往々にして物語の虚構にさえ劣ってしまうものだ。
 だが、黒木は違った。平和に生きてきた自分だからこそ、平和を守る必要があるのだと、そう考えてしまうのが黒木だった。使命感や責任感、正義感とは違う、どちらかと言えば、義務感に近い感情が彼を突き動かしたと言えるかも知れない。
 平和を守るのは、平和を享受してきた者に課せられた義務だ。
 その義務感が黒木に訴える。驚異を打ち払うことが自分の仕事であると。そしてこの仕事は命を懸けるに値するものだ、とも。ヤングエリートなどと揶揄されながら、そう信じるからこそ歩んできた道だった。
 だから悔しい。憎悪や怨念からではなく、まったく真っ当に、ゴジラを倒せなかったことが悔しくてたまらない。
「家城三尉」
 悔しさを堪え、抑えきれない微かな感情を見透かされないよう黒木は背を向けて、少しだけ強い語調で茜を呼んだ。
 茜が我慢できないのも無理はない。彼女は三年半も待ったのだ。クールなようでいて、家城茜の本質は激情家のそれである。同じく激情家である権藤や結城のように咄嗟に抑え込み、誤魔化すには年季も足りていない。若さ故の熱がある。
 巨大特殊生物と戦う者に求められるのは、強大な敵を前に冷静さを失わない精神力も重要だが、それ以上に重要なのがこの決して怯むことのない激情家としての一面なのだ。根底に流れるそれがなければ、並の人間では怪獣と戦い続けることは出来ない。恐怖と諦念は戦うための意欲を容易くへし折ってしまう。
 怪獣という特大のハリケーンと対するには燃え盛る炎のような性状を持ち得なければ……マッチに灯した程度の火ではすぐさま掻き消されてしまうだろう。
「今は、撤収だ」
 それでも今は、今だけは炎を抑え込む必要がある。
「戦力を立て直し我々はまだ戦い続けなければならない」
 その台詞が落としどころだった。
 溢れ出るものを呑み込んだ黒木の言葉に、茜は拳を握り締めると黙って俯いた。奥歯を噛みすぎて口の中の感覚がない。
 戦い続けなければならないという言葉が、今は救いだった。少なくとも終わったわけではないのだと自分に言い聞かせる事が出来る。そうでなければ茜は手近なものに手当たり次第怒りをぶつけてしまいそうで……どうせこのオペレーションルームをこのまま使うことは二度と無いだろうから、いっそコンソールを思い切り殴りつけるくらいはいいかも知れない。
「物にあたるのは感心しないよアカネちゃん」
「……ちゃんづけはやめてください」
 いつの間に側に来ていたのだろう。メレムがあどけない笑みを浮かべて茜の拳を見つめていた。
「アカネちゃん、せっかく綺麗な手をしてるんだしさ、怪我なんてしたら勿体ないよ」
「ですからメレム・ソロモンさん、ちゃんづけは……」
「そっちこそさんづけなんて他人行儀じゃないか。敬語だし、もっとフレンドリーにいこうよ」
 どうしてこの少年吸血鬼は今の状況でこんな態度をとれるのか、理解に苦しむ。当然の感情とは言え吸血鬼にいいイメージを持っていない茜だが、彼に対してはその中でも群を抜いている。いいイメージどころか、鬱陶しい。むしろ嫌悪感や殺意が涌いてこないのが不思議なくらいだ。気付かないうちにその手の感情を抑制させる魔術でもかけられているのではなかろうか。
 子供は好きだ。でも、この餓鬼は嫌いだ。
「……じゃあ、メレム」
「うんうん」
「少し黙れ。ベラベラと、五月蠅い」
 そう言われても、メレムは顔を顰めるどころか余計にニコニコしている。相当酷い上司がいるとの事だったが、この少年は実は重度のマゾヒストなのではなかろうかと茜は本気で思った。
「いやいや、いいよいいよ。そのくらいの方が君には似合ってるよアカネちゃん。これからも轡を並べて一緒に戦うことになるんだ。そうでないとむしろ困る」
 どう考えてもコケにされている。癪に障って仕方がない。
「だから……ちゃんづけはやめろと」
 茜の拳を握る力が増したのを感じて、メレムは『ヒィッ』などと言って戯けながら白神達がいる方へと戻っていった。
「おら、家城、ガキとじゃれてねぇでとっとと行くぞ」
 同年代のオペレーター達と何事か話していた結城に言われ、茜は肩を怒らせながらそちらへと向かった。





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「見なよあの貌。まるで……そう、修羅のようだねぇ。アカネちゃんにはああいう貌がとてもよく似合う」
「わざわざ怒らせないでください。ただでさえ今の彼女は冷静さを欠いているのだから」
 結城と並んでオペレーションルームを出ていく茜を、メレムは心底嬉しそうに眺めていた。残っている所員は僅か、それももうすぐ撤収は終了する。最後に、黒木とメレム、そして白神がここを出ればお終いだ。黒木は残った確認作業をこなしながら、目の前に並び立つ二人をチラと見た。
 多弁で飄々としたメレムと、寡黙で気難しげな白神。黒木としてはどちらもあまり得意とは言えない相手だったが、今は無言でいるのも避けたかった。だが話の取っ掛かりに迷う。不安であることをわざわざ表に出すのも憚られたし、かといって他愛もない世間話をこの場でするのもどうだろう。
 と、黒木が軽く悩んでいると、珍しく白神から口を開いた。
「まぁ、下手に溜め込むのもよくはなかろう。外面で冷静さを装っていても、内面でおかしな燻り方をしては後々厄介なことになりかねんからね。いっそああして怒らせてしまった方がいい」
「そうでしょうか」
「怪獣と戦う君達に必要な感情だとは思うが、長く激情を己が内に溜め込み過ぎていると人間は歪んでしまう。鬱屈した感情はその度に吐き出して、それが自然なのだから」
 白神の言葉に首を傾げながら、黒木はようやく最後の作業を終えてヴァン=フェムとの通信を開いた。正論だとは思うのだが、そもそもこの老科学者が茜のことを存外によく見ていたことも意外なら、メレムの肩をもつような発言をするとも思っていなかったのでその事に対する驚きもある。とは言えその話はまた後だ。
「ヴァン=フェム卿、後は私達が出れば最後です。他の者は一階のロビーに集合させてあります」
『……わかった』
 黒木からの報告に答えたヴァン=フェムの声は重たく、ギャオスの群れをたった一人で相手し続けた疲労を感じさせた。
「どうかされましたか?」
 しかし、どうも引っかかる。
 魔城のヴァン=フェム。果たしてこうも簡単に他人に弱さを晒す人物だっただろうか。その違和感が、猛烈に嫌な予感となって黒木に襲い掛かっていた。外を映すモニターに異常はない。いや、空をギャオスが飛び交い、大地を水晶が覆い尽くそうとしているその様は異常以外のなにものでもないのだが、少なくともそれは先程までと変わりない状況のはずだ。
『五分後に庁舎入り口に大鉄塊を降下させる。……だが、気をつけた方がいいかもしれん』
「ヴァン=フェム卿?」
 音声のみの通信だ。顔は見えない。見えないが、ヴァン=フェムの顔は今きっと歪んでいる。
『急ぎたまえ』
 そう言って、ヴァン=フェムは一方的に通信を切った。
「うへぇ。やだねぇありゃ絶対に上で何かあったよ?」
 メレムの言葉に黒木は思わず眉を顰めた。ヴァン=フェムのように慎重さで口を噤みすぎるのもどうかと思うが、かといってこの少年吸血鬼のように口さがなさ過ぎるのも考え物だ。足して割ったくらいが丁度いい。
「急ぎましょう、お二人とも」
「あ、ちょっと待ってよ黒木サン」
 歩き出した黒木をメレムが呼び止めた。もう付き合っている暇もないので無視したかったが、妙な迫力を感じて黒木はその場で立ち止まると無意識に振り返っていた。
「念のため、いつでも撃てるようにしておいた方がいいよ」
 右手の人差し指を立てて「BANG!」などと巫山戯ながら、その目にはどことなく凄味がある。一体上で何が待ち受けているのかは知らないが、黒木はホルスターから9mm拳銃を抜くと安全装置を解除した。ギャオスやその他怪獣的な驚異に対しては心許ないが、黒木が装備している武器はこれ一丁のみである。
「ま、ある程度ならボク一人でどうとでもなるけどね。もしギャオスとかがわさわさと迫ってきたら、手足全部使っても間に合わないかも知れないからさ」
 ピストルに見立てたメレムの手が一瞬揺らめき、獅子とも虎ともつかない獣の幻が見え、消えた。四肢に魔獣を飼う吸血鬼、フォーデーモン・ザ・グレイトビースト。見た目は少年でも、彼の戦闘能力は9mm拳銃で武装した程度の自衛官一人とはとても比較にならないだろう。
「じゃ、行こうか。博士も気をつけてね」
「ああ、わかっておるよ」
 今度こそ、三人はエレベーターへと向けて歩き始めた。最後に黒木がもう一度オペレーションルームをざっと見回す。その時、視界の端に一つのボストンバッグが目に止まった。備品ではない、どう見ても誰かの私物だが、所員が持ち込んだとも思えない。
「メレム・ソロモン、博士、あのバッグは……」
 尋ねてみたものの、二人は既に廊下の先で、黒木の声が聞こえていないのか何の反応もなくエレベーターを待っている。変に気にかかりはしたが、バッグを取りに戻ろうにもエレベーターがもう着いたらしい。
「黒木サン、早くしなよ! もう時間がないよ!」
 腕時計にチラと目をやると確かにもう時間がない。遅れるわけにもいかないので、おそらく伊豆行きのために持ってきた着替えか何かなのだろうと判断して黒木は駆け出した。





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 アルクェイド・ブリュンスタッドを守りたい。
 特に“何から”守るということもない。立ち塞がるなら、それが何であろうと万物から守る覚悟がある。遠野志貴は、当たり前のようにそう考えて生きている。
 両眼に死を宿す自分が出会った、永遠を生きる白い吸血姫。
 あまりにも違いすぎる二人だった。まったく全てが相克していたと言ってもいい。なのに、惹かれた。二人は互いに惹かれ合い、その恋は結実した。
 彼女の力は世界を揺るがす程に強大で、比するに志貴はものを殺すという一点にのみ特化しただけのただのちっぽけな人間に過ぎない。戦士でも、魔術師でもない自分が最強の吸血姫を守るだなんて、自惚れもいいところだ。しかも、志貴は一番肝心なところで彼女を守れないことが既に決定している。
 二人に訪れる永訣は、そう遠くない。
 死に近すぎる志貴はやがてその短い生涯を呆気なく終え、残されたアルクェイドは永遠に孤独を、愛する者を失った喪失感を抱いて生き続けなければならないのだ。志貴が人間である以上これは覆すことが出来ず、しかしアルクェイドが愛したのは人間遠野志貴だというどうしようもない矛盾。その決して避けられない別れがあるからこそ、志貴は身の程知らずと笑われようともアルクェイドを守りたかった。守ると誓った。

 ――なのに――この無様は何だ?

 それが生きている相手なら、神だろうと悪魔だろうと殺してみせると……そう思っていた。その自信もあった。それが、かくも無力。無力に過ぎる。魔眼も、肉体も、何の役にも立たなかった。
 しかし一方で納得している自分もいる。
 ああ、そうだろうとも。果たしてどれだけの時間を費やしたのか。克己のために鍛え抜き、錬磨され続けた戦士の技と肉体に、生まれ持った異能だけを頼りに挑むなど愚の骨頂だったのだ。
 今までの勝利など偶然がもたらしてくれたものに過ぎない。相手は自分をたかが人間の小僧と侮り、避けることも防ぐことも満足に行うことなくただ嘲るようにいたぶろうとした。付け入る隙は幾らでもあった。一撃あてさえすれば、志貴は最強である。だが、あてるどころか掠りもしなければ、自分はまったく脆弱な存在なのだ。
 だから、アルクェイドが連れ去られていく。
 彼女の顔が見えない。彼女の声が聞こえない。
 声を限りに叫んでも、愛しい女は遥か闇の向こうだ。
 闇が立ち塞がる。無限の闇はわらわらと壁になり、アルクェイドの姿をたちまち遮ってしまう。
「どけぇっ!」
 眼鏡をかなぐり捨て、志貴はめったやたらに短刀を振り回した。闇に線は視えない。この闇はまったく完全な闇だ。生きるも死ぬも無い闇の群れだ。生まれてきてやがて死ぬ、その流れに沿わないものを、どうして殺せるだろうか。
 それでも志貴は短刀を振るい、闇に斬りつけた。
 闇が嗤う。
「お前は!?」
 闇は、黒騎士リィゾ=バール・シュトラウトの顔をしていた。
 そして――



「アルクェイ――わぷっ!」
 起きあがった志貴は、そのまま何か柔らかいものに顔を突っ込ませていた。何も見えない。視界はまったくの闇である。では、これも自分とアルクェイドを遮る闇だろうか。
「ふぉ、ふぉのっ!」
 思い切り掴みかかってみる。
「はぁんっ」
 すると、闇は艶っぽい声をあげた。
 どうにもおかしい。この闇は弾力があってとても柔らかい。とは言え弾力が有ろうと無かろうと関係ない、志貴は柔らかな闇をかき分けるように顔を押しつけ、さらに押したり引いたり取り敢えず手をがむしゃらに動かしてみた。
「いっ! や、ぁう、んぁあっ」
 闇が漏らす甘い嬌声に、志貴は思わずゾクリと全身が沸き立つ感覚を覚えると、ようやく意識がハッキリとしてきた。
「もう。お尻と言い胸と言い、見上げた性欲獣ですわね」
「……へ?」
 顔を離す、と言うよりも、起きあがりかけていた上半身を再び横たえていく。次第に視界が開け、ようやく見えた柔らかな闇の正体は、双子の山だった。さらに頭をおろすと、今度は後頭部に柔らかな感触があたり、山の間からは凛々しい顔の美女が自分を見下ろしている。
「もう少し寝ていてもよろしいですわよ?」
 美女は、リタだった。
「あの、リタさん?」
「なんでしょう?」
「俺は今、どんな状態でいるんでしょう?」
 何とかして絞り出したのは、とても情けない声だった。
「膝枕ですわね。わたくしの太股を使って」
 血の匂いが鼻をつく。空は絶望を宿した灰色だ。なのに、志貴は自分の周囲にだけ桃色の花弁が舞っている気がした。
「それにしても、ずっと疑問に思っていたことがあるんです」
「あら、どんな?」
「どうして膝枕って言うのかな、って。これ、太股枕じゃないですか」
 馬鹿げた質問に対して、リタは花のように笑った。
 後頭部にあたる感触と同じく柔らかい、いい笑顔だ。先程までの事が全て夢で、これがアルクェイドの膝枕だったら……リタに悪いと思いつつも、志貴はどうしてもそう考えずにはいられなかった。



「俺、どのくらい気を失ってたんですか?」
「ほんの2〜3分ですわよ」
 立ち上がって軽く埃を払いながら、ギャオスが食い散らかした死体の群れの中でそんなやりとりをする。
「それにしても、意外ですわね」
「何がです?」
「いえ。何しろ、周りがこうですから」
 まったく凄惨な光景だ。ネロによって蹂躙されたホテルのことを思い出し、志貴は眉を顰めた。
 リタはどうなのか知らないが、少なくとも志貴は平気なわけではない。今までも様々な死を見てきたが、慣れるなんて事はなく、この惨状にも内心は動揺しまくりである。それでも平静さを保っていられるのは、状況がただ泣き叫ぶことを許してくれないと知っているからだ。結局、その程度には慣れてしまっているということだろう。
 しかし心配なものは心配だった。
 知人、友人、そして家族は無事だろうか。ここ暫くの間、アルクェイドに付きっきりであったためほとんど連絡すら取り合っていなかった人達のことが急に気になりだし、不安になる。秋葉達ならこういった状況でも切り抜けているだろうが、有間の家や、乾有彦を始め友人達はどうなっただろう。
 それに何より、連れ去られたアルクェイドの事だ。彼女のことを考えただけで気が気でない。連中の目的も所在もわからないが、衝動的に駆け出したくなるのを志貴は必死に堪えていた。その上で、表面上は平静であるよう見せているのである。
 周囲の評価がどうかは兎も角、志貴は自分が感情のままに無茶な動きをしてしまう人間だということをここ数年の出来事から充分に知っている。だから今はブレーキをかける必要があった。無茶をするならするで、しどころを見極めるくらいいい加減に学ばなければただの馬鹿だ。
 ただの馬鹿では、アルクェイドを守れない。
「……ふむ、なるほど」
 激しく葛藤する志貴の面持ちを覗き込むと、リタはそう言って何度かうんうんと頷いた。
「どうかしたんですか?」
「いえ。存外に冷静かな、とも思ったのですけれど、ちゃんとそういう顔も出来ますのね」
 真顔でそんな事を言う。
「そっちの方が、可愛いですわ」
 どう聞いても馬鹿にされているとしか思えない言葉だったが、不思議と怒りは涌いてこなかった。単純な嫌味と言うよりも、どこかアルクェイドの無邪気さに通じるところがあったからかも知れない。
 どちらにせよ、女性から可愛いと言われてはたまったものではない。志貴はわざわざ出来る限りの難しい顔を取り繕うと、まず一体何がどうなっているのかをリタに尋ねることにした。そもそも彼女が敵か味方かもまだ判然とはしていないのであるが、そこは自分の直感を信じて割り切ることにした。アルクェイドにせよシエルにせよシオンにせよ、敵なのか味方なのか今までも概ね直感で判断してきたようなものである志貴的には、リタは味方とも言い切れないが少なくとも敵ではないよう思えるのだが……
「リタさん」
「なんですの?」
 呼び掛けに返ってきたのはどうにも底が知れない笑顔だった。ついさっきはアルクェイドの無邪気さに通じるところがあると思ったが、この辺は琥珀に似ている気もする。
「……いや、なんでもないです」
「あら。ただ呼んでみただけなんて、お茶目ですわね」
 そんな笑顔を視ていると、どちらに似ているにせよ、真を問いただしてみたところで自分が勝てる相手だとは到底思えなかった。結局、これまで生き死にを懸けた戦いを経て磨かれてきた己が直感を今回も信じる以外にない。
 それに彼女に色々と訊いてみないことには、志貴としてみれば何もかもが意味不明なのだ。
 風邪をこじらせたのかいっこうに熱の下がらない恋人を付きっきりで看病していたはずが、突然感じた嫌な気配に外に飛び出してみたところ空を覆っていたのは最近世界中で騒がれていたギャオスの群れ。さらに待ち構えていたのは白と黒の騎士二人。白騎士によって張られた結界の中、アルクェイドを連れ去るのが目的ならばと黒騎士に立ち向かってはみたものの、見事に完敗。そんな自分を助けてくれたのがリタと、そして……
「……あれ?」
 そこまで考えて、おや? と志貴は首を捻った。
「そう言えばナルバレックさんは……」
「ナルバレックは、今乗り物を取りに行ってますわ」
「乗り物?」
「ええ。さっき迎えをお願いしようとと連絡してみたのですけれど、どうやらわたくし達を回収するのは難しいらしくて」
 いまいち話が見えない。
「いや、だから、乗り物って……」
「わたくし達が降りる時に一緒に降ろしてもらったのですけれど、降りた場所がここから少し離れた公園だったものですから」
 要するに、二人には他にも仲間がいて、その人物がヘリか飛行機か、兎も角二人とそして乗り物をこの町に降ろしたと言うことだろうと志貴はひとまず自分を納得させた。
「そうですか。あ、じゃあ俺、ちょっと……」
 さて。この場にいないナルバレックのことはそれで解決として、訊きたいことの本題は山のようにあるが、それよりも先にまずはみんなの安否を確認しようと志貴は携帯電話を取り出した。購入を申し出た際、秋葉は大層嫌な顔をしたものだが、持っていた方がむしろ志貴を捕まえやすいという琥珀の発言によりなんとか手に入れたものだ。
 慣れた手つきでアドレスを開き、登録されている琥珀の番号を選ぶ。屋敷に電話しようかとも思ったが、無事ならば何処かに避難しているはずである。なら、琥珀の携帯にかけるのが一番確実だろう。
「……」
 コール音が無情に繰り返されるたび、不安がいや増していく。秋葉達なら絶対に無事なはずだと必死に自分に言い聞かせるが、相手は巨大で獰猛なギャオスだ。
 だが、琥珀が電話に出るよりも先に、志貴の携帯はリタに取り上げられていた。
「ちょ、リタさん!」
 志貴の抗議には応えず携帯の電源を切ると、リタは急に険しい顔をして空と街路を交互に見やり、
「わたくし、シキ君の眼鏡をかけた顔、好きですわ」
 突然そんなことを言い出した。
「ど、な、突然何を……!」
「けれど」
 いきなりの発言に赤面し、あたふたする志貴の頬をリタの細長い指がスッとなぞったかと思うと、眼鏡に触れる。
「今は、少しだけ外してくださるかしら?」
 そのまま眼鏡を取り上げると、丁寧に折り畳み、志貴の胸ポケットに差し込んでから、囁く。
「……数が、多すぎるようなので」
 弾かれたように志貴が周囲を見回すと、既にそこかしこに異形の影がギチギチと喧しい音をたてて蠢いていた。





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「なんだ……あれは?」
 ロビーに集合した黒木達は外の様子を見て、思わずそう呻いていた。何かが、蠢いている。ビルの影から、道路の向こうから蠢く者達が溢れ出し、無人と化した新宿を闊歩しているのだ。
 形状は……様々だった。昆虫のようなもの、四足獣のようなもの、さらには人間のようなものもいる。あまりにも不規則で、不定型な、しかし黒木にはわかった。他の者も、皆理解していた。
 アレは、同じモノだ。
 形が違うとか大きさが違うとか、そう言うことではない。キラキラと輝く宝石のような身体をギチギチと軋ませながら蠢く美しい異形は、まったく同種の存在に違いないのだ。
 赤い眼、なのである。
 どの個体も、等しく禍々しい赤い眼をしている。左右非対称の歪なボディをアンバランスに支えるそれは果たして手なのか脚なのか、各所から突き出し、長さが足りないためか接地していないものさえある。とても脆そうで、なのに大地を踏む様は不気味に力強い、綺麗なクラスタ。水晶で出来たその身体の中央には、どれも必ず赤い単眼が輝いている。





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「だから嫌だったんだよね。ヴァン=フェムがあんな言い方すると大抵こうだよ。いっそもっとはっきり言ってくれればいいのにさ」
 ふくれっ面で言いながら、メレムは怖れのない足取りで窓へと近付いていくと、上空の様子を仰ぎ見た。暫く何かを目で追っていたかと思うと、首を竦めて、
「……やれやれ。上も大変みたいだ」
 などと呟く。
 事実、庁舎上空でヴァン=フェムは大鉄塊を駆り、不気味な一群と死闘を演じていた。地上の奴らとは違い、こちらは形状に一定の統一性が見られるのは、単に空を飛ぶという空力学上の問題のためだろう。流石に人間や四足獣、しかも左右非対称な形では空は飛べまい。いや、それよりも元になった生物の形状が故と言った方がいいだろうか。
 全体的には蝙蝠のようでありながら、古代の翼竜のようでもあり、しかしそのいずれとも決定的に異なるフォルム。戦闘機の垂直尾翼にも似た短い尾、鋭角な鼻先と後頭部は間違いなくギャオスのそれである。だがギャオスならば二つあるはずの眼が、やはり一つ、赤い単眼でしかなかった。そして、もう一つ。
「さながらクリスタル・ギャオスと言ったところだね」
 やはり全身は透き通る水晶で形成されていた。生きた芸術品とでも呼ぶべき水晶怪獣が大鉄塊の砲火をかいくぐり、その鋭い鼻先や脚を叩き付けているのだ。
「あれらは……何なんです?」
 いつの間にか、メレムの隣には黒木と、そして茜が並んで外の様子に顔を顰めていた。一方、結城は慣れた様子でホルスターから銃を抜き出し、他の所員達にも戦闘準備をさせている。この場にいる者の大半はデスクワーク担当の文官であり、直接戦闘を経験した者は結城と茜を始め極少数だ。自然、皆をまとめるのは実戦経験豊富な結城ということになっていた。
「んー、ボクも確証はないんだけどね……ORTについては、さっき話したでしょ?」
 二十七祖の中でもその存在はもっとも謎が多く、しかし戦闘能力に関してだけ言えば過去の接触からずば抜けていることが判明している赤い眼をした化け物。東京を襲った未曾有の災害はこの吸血種が関係していることは、メレムから簡単にだが説明されていた。
「ORTについてわかっていることは、まず一つ。吸血能力がある。これはORTの住処の近くに血を吸われて干涸らびた死体が転がってるのが何度も確認されてるから、多分間違いない。ただ、死体は水晶まみれ……と言うより全身から水晶を生やしてたらしいんだけど、どうやって吸ってるのかがいまいちわからないんだよ。死体を持って帰って調べようにも、ほんの数時間後には死体そのものが消えちゃうそうだから」
「死体が消える? 喰われたとかではなく?」
「そう、消えたんだって。それも、何度も。死体が消えた後には小さくてとても綺麗な水晶が落ちてたってさ」
 不思議な話だが、どうやら嘘ではないようだ。そもそも、現状でそんな嘘をつくこと自体意味はないだろうから本当だろう。
「まったくね、ORTに関しては謎だらけなんだよ。わかってるもう一つが奴の固有結界……“水晶渓谷”なんだけどさ。固有結界って呼んでるのも同じような術が他に存在しないからで、自らの心象をもって異世界を構築するボクらの固有結界と、現実世界そのものを侵食していくアレは根本的に異なるんだよね」
 そう言って、メレムはわざとらしく腕を組むと「う〜ん」と唸った。
「で、結局アレは何なの?」
「あの化け物達、どう見ても水晶だしさ。ORTが関係してるには違いないんだけど結局何なのかはわかんないなぁ」
 茜の質問にもメレムは首を傾げ、そう答えるだけだった。
「偉そうなだけで肝心な時に役に立たないわね」
「アカネちゃん、ヒドイよそれは。ボクにだってわかんないものはわかんないんだからさぁ」
 わざとらしい大袈裟な言動が茜の神経をなお逆撫でする。
「わからないのならもういいわ、黙ってて。それと、ちゃんづけはやめろと言ったはずよ」
「ちぇっ。つれないなぁホントに」
 ふて腐れたような物言いながら、メレムは笑顔だ。どうやらこの道化師は茜のことがいたく気に入ったらしい。もっとも、茜にしてみればまったく迷惑極まりない話だが。
 これ以上付き合ってられないとばかりに茜は再び空を見上げた。大鉄塊は奮戦しているが、いかんせんクリスタル・ギャオスはどれだけいるものやら次から次へと湧いて出てくるため、ここにいるみんなを回収しに降下しようにも出来そうにない。
「……何よりも、まずはヴァン=フェム卿に連絡を取りましょう」
 こうして悩んでばかりいても仕方がない。黒木は無線機を取り出すとヴァン=フェムへ回線を繋ぎ――
「く、黒木特佐ッ!?」
 茜が外を指して叫んだのは、まさにその時だった。





◆    ◆    ◆






「シキ君、右ですわ」
「こいつっ!」
 リタの指示通りに右から飛びかかってきた化け物へと短刀を振り抜く。リィゾの時とは違い、今度は線も点もはっきりと視えていた。しかも数だけは多いがリィゾとは比べ物にならないくらい鈍重な動きだ。となれば、振り抜いた後に残るのは両断された化け物の残骸のみである。万物の死を見通す志貴の“直死の魔眼”の前に、有象無象が死から逃れる術はない。
「ひゅっ!」
 鋭い呼気とともに、今度は両断した化け物の“点”へと短刀を突き出す。この化け物共、身体を両断してもしっかりと点を突いてやらないことには動きを止めようともしない。全ての脚を斬ってやっても身体の何処かから新しい脚が生えて、また動き出すのだ。しかも、水晶で形成されているらしい身体はとてつもなく硬く、リタの日傘ですら難儀する硬度はとてもただの水晶とは思えなかった。
「お見事。……これが、直死の魔眼ですのね」
 目の前に群がる化け物を爆破の魔術で牽制しつつ、手近な一匹の前脚を日傘で叩き斬りながら、リタは志貴の異能に驚嘆していた。話には聞いていたが、切れ味抜群の自分の日傘でさえ苦戦している相手をまるで熱したナイフでバターでも切るかのように容易く解体しているのだ。これなら不死身と謳われた祖を彼が既に数体滅ぼしていることにも素直に納得がいく。
 ナルバレックと言い志貴と言い、まったく人間とはこれだから侮れない。人間が化け物に勝てないなど化け物側に都合のいい、ただの甘すぎる幻想だ。
「リタさん、こいつら何なんですか!?」
「さぁ? わたくしにも、さっぱり」
 もう本当にわからないことだらけでたまらないとでも言いたげな志貴の問いに、リタはとぼけた声でしれっと返した。
 少しだけ、嘘だ。
 化け物の身体を形作っているのは水晶。それは、リタの親友の仇かも知れない相手の能力と無関係とは思えない。
 ORTが来たのだ。
「どうやらあのギャオスモドキが運んできているようですわね」
 いつの間にか空にはギャオスのシルエットをした何かが無数に飛び交っていた。時折自衛隊や防衛軍のものと思われる戦闘機も見えたが、ギャオスモドキ相手にはあまりにも無力なようだった。通常のギャオスとは異なり、モドキはミサイルをものともせずに突っ込んでいくのである。あれではたまったものではない。
 そんなギャオスモドキが、水晶の化け物を何処からか運んできてはそこら中に降下させているのだ。
「それにしても流石は怪獣大国日本、市民の避難の迅速さときたらこれはもう世界最高水準ですわ」
「ゴジラがいなくなってから減ったとは言え、この国、特に首都圏は怪獣の襲撃に悩まされ続けてきましたから、当然ですよ」
 何の予兆もなく行われたギャオスの第一次襲来によって出た被害は馬鹿にならないだろうが、今は概ね避難は完了したようだ。地下鉄や地下のショッピングモールなどは有事にはシェルターになるよう設計されており、特にここ最近頻発していたギャオス襲撃のために今月に入ってから三咲町でも二度程避難訓練が行われている。怪獣に対する危機意識は、良くも悪くもこの町の多くの人々に深く根差している。
(有彦……クラスのみんなも、大丈夫だよな)
 決して多いとは言えない友人達の顔を、一人一人思い出しながら短刀を振るう。別に知った顔でなければ死んで構わないと言い切れてしまうくらい薄情なつもりもないのだが、やはりこのような事態に直面すると博愛はなりを潜める。胸中に渦巻く不安を拭い去るかのように、化け物の脚を削ぎ、角のような部分を刎ね、作業的にただひたすら点を穿っていく。こうしていると、自分の能力は呆れるくらい殺すためだけにあるのだと思えてくる。
「はっ!」
 背後からの一撃を跳んで回避、そのまま水晶の平らな面へと蹴りを叩き込んで志貴はさらに別の方向へと跳躍した。そんな様子を品定めでもするかのように眺め、リタがウットリと呟く。
「飛距離も、滞空時間も長くはない……でも、鋭く、疾い」
 リィゾの時と同様、志貴は塀や電柱、さらに加えて化け物の身体を次々と蹴り踏み台にしながら移動していた。まだまだ未熟で荒削りとは言え、彼の異能と相まってその動きは恐るべき凶器と化している。リタとても、およそ西洋に伝わるものならば人間が編み出した武の技術体系を大概は理解している女だ。そんなリタの目から見ても、志貴のこれが真っ当な武術でないのはすぐにわかった。
 まず、素早さで誤魔化しているが動き自体には無駄が多い。むしろ敢えて無駄な、動きと動きの間に隙間を作ってやることで相手を攪乱し、アッと驚いた時には懐に入り込んでいる。水晶の化け物共も、感情があるのかどうかはリタには与り知らぬところだが、少なくともあの単眼でなのか相手の動きを察知して動いているのは確からしく、となれば志貴のこの動きは効果抜群だった。遠野志貴に関する調査で彼の生まれがこの国の退魔を生業とする暗殺集団だとは聞いていたが、なるほど、この動きを極めれば例え正面からでも“暗殺”は可能だろう。だがそのためにはナルバレックが言ったようにもっと確実な目眩ましを覚える必要があるだろう。攪乱のための無駄もまだまだムラッ気があり、有用な無駄と不用な無駄を使い分けきれていない。要するに、もう何年も磨く必要がある。そして、磨かれた後には――
「……フッ、フフ」
 極東で立て続けに起きた祖の消滅。そして流れ出した真祖の姫君の傍らに立つ死神の噂、万物を殺す殺人貴。
 とても、愉快だ。
 彼が人間であることが。アルクェイド・ブリュンスタッドが人間のままの彼を傍らに置いていることが。トラフィムが二人への手出しを禁じた理由が、朧気ながら見えてきた。
「リタさん?」
 含み笑いが気になったのか、八艘飛びの要領で忙しなく移動しながら敵を撃破し続けている志貴がリタへと顔を向けた。その表情がまた可愛らしくてもっと愉しくなる。
「いえ、何でもありませんわ。……ああ、そう言えばシキ君のそれはあれですの? ジャパニーズニンジュツ?」
 丁度電柱へと蹴りを放っていた志貴が、その一言で目測を誤ったのか盛大にズッコケる。
「ち、違う!」
「あら。てっきりニンジャかと思って感激しましたのに」
 クルクルと舞うように化け物を斬り刻みながら、リタは可笑しくてたまらないといった風に言って、横薙ぎ一閃、返す日傘で三連撃、一瞬で三体もの化け物を行動不能にせしめた。足の運びなどは軽いのに、剣筋はむしろ力任せというそれがむしろこの女性、リタ・ロズィーアンにピッタリな闘法だなと志貴はなんとなくそう思った。ただ風に舞うだけの花弁ではない、大地にしっかと根をはって咲き誇る大輪の花である。
 しかし、
「……多すぎる」
 化け物は数に限りがない。
 志貴の体力から考えて、こうやって戦っていられるのは精々あと数分だ。集中力の持続も同様に難問である。少しでも狙いが逸れれば、水晶の装甲を前に短刀がへし折れるのは目に見えている。このままでは二人の負けは確定だ。
 だから、聞こえてきたエンジン音と、
「無事だったようね、二人とも」
 その声は真実救世主のものであった。



「遅くなってしまってごめんなさいね。あいつらを叩き潰しながら運転してきたものだから」
 トンファーでもハンマーでもなく、銀の六角棍を右手に携えたナルバレックが跨る乗り物に、志貴は開いた口が塞がらなかった。
「あら、どうしたの? これ、見たこと無い?」
 無くはないが、こんなに間近で見るのは初めてかも知れない。珍しいと言えば珍しい乗り物だろう。
 ナルバレックが乗ってきたのは、バイクであった。それもただの自動二輪車ではない。左脇に側車をつけた、いわゆるサイドカーというやつだ。青と白を基調にした車体は綺麗な流線型で、バイクと言うよりもむしろロケットのように見えた。それこそ漫画やアニメにでも出てきそうなデザインである。
「私の愛車、サイドファントムよ。ほら、乗って乗って」
 と言われても、志貴は化け物と斬り結んでいるリタを顧みた。
 サイドカーだ。乗員数は、基本的には二人の乗り物だと思う。だが、ここにいるのは三人。一体、どう乗ればいいのか。
 彼のそんな当たり前の考えを察したのか、リタは、
「シキ君は側車の方へお願いしますわ」
 そう言って、盛大に爆破の魔術を放った。
「さ、早く!」
「いや、でもリタさんは……」
 早くと言われても、女性を差し置いて乗ってしまうのはどうにも気が引ける。だが、この女傑二人に対して生半可なフェミニズムはまったく意味を持たなかった。
「悩んでる暇なんてありませんのよ」
 その細腕からは信じられない怪力で、リタは志貴を猫の子でも摘むかのように持ち上げると側車座席に放り込んだ。
「わっぷ!」
「ナルバレック、いいですわ」
「ええ。それじゃ、行きましょうか」
 無理矢理放り込まれた体勢を何とか正そうと志貴が悪戦苦闘する中、車体後方にリタが飛び乗る。座るでもなく、仁王立ちだ。
「リタ、正面の連中を爆破で追っ払ってちょうだい」
「了解、ですわ!」
 途端、耳を劈く爆音。
 ド派手なピンク色の爆炎の中をサイドファントムが猛スピードで突っ切っていく。
「ちょ、ナルバレックさん、俺、姿勢がっ!」
「喋ってると舌を噛むわよ」
 無茶苦茶だ。アルクェイドやシエルが可愛らしく思えてくるくらい、まったく無茶苦茶だ。モゾモゾと必死に座り直しながら、志貴は諦めたように空を仰いだ。不気味な水晶が、そこかしこを飛んでいる。統一感のない姿や大きさと同様、一見てんでバラバラに行動しているようだが、しかしよくよく見直してみると立ち塞がる化け物共の動きはよく統率がとれた群れのもののように思えた。
「こいつら……何なんだ」
 リタは無言で正面を爆破し続け、ナルバレックも何を考えているのか一切読めない表情でハンドルを握っている。だが、爆音と風に掻き消されてしまいそうな彼女の呟きを、志貴は確かに聞いた。
「……“主がお前の名は何かとお尋ねるとそれは答えた”」
 感情のこもらない声で、詩でも読み上げるかのように、訥々と言葉が紡がれていく。赤、青、黄色。様々な爆炎に囲まれながら、それはあたかも託宣のようであった。
「ナルバレック……さん?」

「――“我が名はレギオン。我々は大勢であるが故に――”」








〜to be Continued〜






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