episode-15
〜恐怖の水晶魔境〜
Part 1 クリスタル・レギオン


◆    ◆    ◆






 血の匂いと色に彩られた街を、一台のサイドカーが疾走していた。サイドカーなのに、乗っているのは三人である。正しくは、まともに乗車しているのが運転席とサイドシートに一人ずつ。もう一人は、車体後部に仁王立ちというまったくありえない乗り方をしていた。さらにありえないことに、その状態で手にしたエモノを自在に振り回しては、零した砂糖に群がる蟻のようにサイドカーへと殺到する化け物――取り敢えず、ナルバレックの提案で三人はこれらを水晶群獣レギオンと呼ぶことにした――を叩きのめしている。
「高く高く高く飛べよ鉄ーの騎ー士よー♪」
 流石に姿勢的に厳しいからだろう、リタも相手を斬ることは念頭に置いていない。殴り、突き飛ばし、取り付いてくるレギオンを片っ端から退かしていく。正面に立ち塞がる連中は、爆破によって取り敢えず散らす。道さえ空けばそれでいい。
「蒼い蒼い蒼い空を突きー破ってー風になーれ♪」
 ほとんどの敵はそうしてリタの日傘“ティンクル・スターライト”と爆破の魔術によって蹴散らされていったが、それでも数が数だ。中には彼女の怒濤の攻撃をかいくぐって車体に取り付く者もいる。しかし、サイドシート側に取り付いた者の末路はすべからく決まっていた。側車に手をかけた瞬間、斬刑である。
「暗い暗い暗い闇を振りー払ーい♪」
 そうやって側車で敵を漏らすことなく斬り捨ててくれる志貴のおかげで、リタもほぼ正面と右側にのみ集中することが出来た。時折上から飛びかかってくるヤツもいたが、そもそもが高速走行中のバイクだ。そう上手く飛びつけるものではない。
「赤い赤い赤い太陽を掴むーんだー♪」
 もうすぐ街を抜ける。空を飛ぶギャオスやクリスタルギャオスももうあまり見かけなくなってきた。地上を徘徊するレギオンも明らかに減ってきている。
「ダッシュ! サイドファントムー鋼の騎馬よー♪」
 街さえ抜けてしまえばひとまずは安心だろう。流石のリタもこう敵が多いとそろそろ体力的にも魔力的にも限界だ。志貴もいい加減に眼を休めないと失明してしまいかねない。
「ジャンプ! サイドファントムー熱き鼓動よー♪」
 高らかに歌いながら、ナルバレックはリタが振り落とされてしまわない程度に愛車の速度を上げた。道を塞ぐ障害物もギャオスの第一襲撃地点を過ぎたからだろう、ここまで来ればほとんど無い。
「戦いーのー荒野を越ーえてー煌めく明日をー目指すんだー♪」
 運転中にこうして歌いたくなるのは、普段薄暗い執務室に閉じ込められている反動であろうとナルバレック自身は考えている。ドライブは好きだ。なのに好きに運転はさせて貰えない。彼女の力を怖れる教会は、彼女の力を行使せざるをえない場合を除いて極力ナルバレックを外に出そうとしないのだから、当たり前のことだ。
 ギャオス襲来をネタに無理矢理外に出てから二週間あまり、ナルバレックは久方ぶりに外の世界を楽しんでいた。世界の命運がかかったこの事態においても楽しんでならないという法や無い。少なくとも、彼女の中において彼女の神はそれを禁じるような野暮はしなかった。快楽を求めすぎて堕落するのはよろしくないが、禁欲を守るあまりに精神を腐らせるのも結果としては神の意に反する。人間である以上、適度に楽しむのは必要なことで、そして今のこれは彼女にとって適度なものだった。
 どうせ世界を救うのなら辛気くさい真似はせずに楽しみながら救えばいい。そう考えるのがナルバレックという女なのである。
「サイドシートにー希望を乗ーせてー♪」
 だから彼女は歌う。
 自作の歌を、高らかに歌う。
 リタと志貴が苦い顔をしようとも知ったことではない。この際、歌の内容や上手い下手はあまり関係がないのだ。
「ひたすら走るー熱い砂煙ー♪」



「三十路女が歌う歌ではありませんわね」
 苦い顔で言い放つリタに対し、志貴は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。運転席ではそんな嫌味など聞こえているのかいないのかナルバレックが朗々と歌い続けている。
 正直、下手だった。
 当初ナルバレックが何やら歌らしきものを口ずさみ始めた時、志貴は賛美歌か何かだろうと思った。さらに彼女の外見や超常的な能力、底知れ無さから歌もさぞかし上手いのだろうと……しかし世の中そうそう上手くはいかないものだと、一瞬の後に志貴は悟った。
 別に「ぼえ〜」と聞こえてきそうな程に下手なわけではない。おかしな言い方だが、普通に下手なのだ。まず、そもそもこの歌は彼女の自作らしいのだがそれにしたところで明らかに音程がおかしい。きっと間違っているのだろうと確信させるだけの、妙なところで上がったり下がったり、何処がどうとかではなく変だった。
 一方、リタが気に入らないのは歌の内容だ。
「まったく、優雅さの欠片も無い。そう思いませんこと?」
「いや、まぁそうですけど」
 ナルバレックは絶世のと言ってよい美女である。芸術が爆発しているリタの美的感覚であっても、男女の美醜に関しては至極まともだ。美しいものは美しい。
 そんな女が、アニソンじみた自作の歌を心底嬉しそうに歌っているのがリタには理解できなかった。
「別に他人の好みに文句をつけたいワケじゃありませんのよ。けれど、これはいくらなんでもありえませんでしょう?」
「……はぁ」
 志貴もそう思うが、かといってどう答えていいものやらわからない。結果として気のない返事をするのみだ。
 例えば――
 銭湯に行った時、客はまばらで、湯船の中には自分と見知らぬおっさんの二人しかいなかったとする。頭に手拭いを乗せ赤い顔したおっさんは見るからにオイラ江戸っ子でぃとでも言いたげな風貌で、いつしか気持ちよさそうに歌い始めた。酷く音痴だ。せっかく気持ちよく湯に浸かっていたのに一気に最悪な気分になってしまった。
 大概の人間はそこで文句など言わず我慢する。もしくはそそくさと湯から出て頭でも洗い始める。
 無論、志貴も敢えて文句を言うようなタイプではない。黙って湯船に浸かり続けるタイプだ。そんなある意味で日本人の典型のような志貴がナルバレックに文句など言えようはずがなかった。
 だが……
「……うぅ」
 なんとも不服そうなリタの視線に晒されていつまでも平気でいられる程剛胆なわけでもない。二人の美女を前に、片方だけを立たせるなんて英断が出来るようなら、普段の気苦労も半分以下に減っているはずである。
「じゃあリタさんはナルバレックさんにはどんな歌が似合うと?」
 結果、口をついて出たのはそんな言葉だった。我ながら当たり障りのない、波風を望まない言だったと思う。
「シキ君……日頃の苦労が滲み出た言葉ですわね」
 しかもそんな考えまるわかりだったらしい。
「別に、苦労ってワケじゃないんだけど……」
 言っていてこれ以上はドツボにはまるだけだと志貴は言葉を濁した。苦労ではない、ないのだが……やはりどう言い繕おうとも苦労か。しかしこの苦労を女難の類だと言うとクラスの男連中、殊に親友の有彦が猛り狂う。
 ロアの事件後、アルクェイドとつきあうようになってからそれこそ志貴は数々の女難に遭遇したが、その事で少しでも愚痴ろうものなら即座に有彦が笑顔で攻撃してくるのだ。最後に彼からドロップキックを喰らったのはいつのことだったか。確かアルクェイドが調子を崩す直前、朝目を覚ましたら隣で裸Yシャツの彼女が寝ていて、それを見た秋葉が暴走したのを漏らした時だ。そんな何気ない日常が、ひどく遠く感じられる。
「……有彦」
 サイドシートにかかったレギオンの手らしき部分を断ち切りながら、志貴は遠のいていく三咲町に目をやった。
「お友達、ですの?」
 リタの声からは別段志貴を案じているようには感じられなかったが、かといって無味乾燥とも異なる感情の揺らぎを感じる。
「友達は、心配ですものね」
 物憂げに吐き出された呟きの後、日傘が豪快に振るわれると近付いてきていた二体のレギオンが無惨に砕け散っていた。腰から上の動きだけでよくもまぁこれだけの破壊をこなせるものだと今さらながらに志貴は息を呑んだ。アルクェイドやシエル、秋葉達の能力を目にして充分に慣れていたはずだが、自分が足を踏み込んでいる世界はつくづくこういった世界なのだと痛感する。
 そして、そんな世界の住人でも友達という言葉をあんな物憂げに口にするのだとも。
「ふーん、やっぱり心配なの?」
 いつの間にか歌い終えていたナルバレックに訊かれ、志貴は自分のことだろうかと首を傾げたが、
「違いますわよ」
 間を置かず答えたのはリタだった。
「心配なんて、あの酔いどれには無用ですわ」
「あらあら、信頼してるのね。女の友情! 美しい」
 両手を胸の前で組み、わざわざしなまで作ってリタをからかうナルバレックは心底嬉しそうだ。
「ナルバレックさん! ハンドル! あと前見て、前!」
「あ、いけないいけない」
 車体がぶれ、民家に突っ込みそうになるのを間一髪で回避。楽しそうなのは結構だがまったく危なっかしすぎる。
「ナルバレック、わたくしや貴女はいいとして、シキ君はごく普通の少年ですわよ? 事故ったら色んなものブチ撒けて即死確定なのですからもっと気をつけなさいな」
 志貴は思わず泣き出したい気分で顔を歪めた。
「ちょっと、私だって普通の人間――」
「一応緊急時ですからギャグは控え目に願いますわ。……とは言えもう大丈夫そうですけど」
 もはや民家もまばらだ。レギオンもしつこく追ってくるの以外に前方で待ち構えている奴はいない。これ以上彼女達と話していると本気で泣かされそうな気もしたが、先程中断されてしまった現状一体どのようになっているのかという質問を含め、余裕があるうちにまだ色々と訊いておきたいことがある。
「ところで……」
「なんですの?」
 サイドシートから上を見上げると、リタの長いスカートが風にバタバタと激しくはためいていた。これでどうやってバランスを取っているのか不思議でならない。おそらくはそう言った特殊な技法なのだろうが、頼めば教えてくれるだろうか? 壁や天井、全てを足場として三次元的な動きを基本とする志貴の体術に今以上の磨きをかけるならこの技法はもってこいだ。が、それはまた後で改めて聞けばいい。
 ではまず何を訊くか。
 一番知りたいことは決まっている。アルクェイドのことだ。
 なのに、
「友達」
「え?」
「友達、どうかしたんですか?」
 思わず口をついて出ていたのはそんな質問だった。有彦のことを考えていたためだろう、リタ曰く『酔いどれ』さんの事が妙に気になる。普段他人とはそれなりに距離をとって過ごすようにしている志貴だが、一旦こうして関わってしまうとつい相手に踏み込んでしまいたくなるのだから困ったものだ。
 本来はアルクェイドと敵対関係にあるらしい白翼公の派閥に属する吸血鬼リタ・ロズィーアン。そんな彼女が自分と同じように友人のことを心配している――それがどういうことか知りたかった。
 結局、根っこにあるのはアルクェイドなのだと言ってしまえばそうなのだが、リタは今こうして互いの命を預け合っている関係でもある。彼女のことを、一つでいいから見極めておきたい。そうすれば安心してどんなことも訊けるのではないかと、そう思った。
 要は信用したいのだ。リタのことも、ナルバレックのことも。
「……その、ですわね」
 志貴の目が、万物の死を見通す魔眼がしかし死とはひどく縁遠い事を訊ねていることを察し、リタはホゥッと溜息を吐いた。
 彼は善人だ。
 志貴本人がどう考えているかは別として、自己の生命が懸かったこの場においてなお他人を気遣える彼の性情は贔屓目なしに善人のそれである。対して、リタは自分がとても善人とは呼べない、むしろ分類するなら悪人であることを自覚している。悪人とは、総じて善人を苦手とするものだ。
 そして、悪人は善人に勝てないものなのだ。
「友達が……今回の件で、行方不明、なのですわ」
 運転席ではナルバレックが思い切り肩を震わせていたが、気持ちはわかるので怒る気にはなれない。リタ自身、どうしてこんな素直に答えてしまっているのか不思議でならなかったからだ。
 スミレのことを心配しているのかどうか? 当たり前である。心配に決まっている。
 かつては本気で殺し合った。今でも、お互いに相手を殺すのは自分だと宣言して憚らない。そうして、それでも笑い合っていられる。つまりは、そういうことだ。だが、その本心を素直に表に出せるかと言われれば答えはノーだ。
「だから……」
 そこまで言って、リタは照れ臭そうにそっぽを向いた。数百歳も年下の相手に本音を見透かされてしまうというのは流石に恥ずかしい。もっとも、志貴が特別鋭いからと言うよりはスミレに関してだけリタが非常にわかりやすかったと言った方が正しいのだが。ナルバレックが笑っているのも、実はそこだ。
「無事だといいですね」
 その一言がトドメだった。
「ぶっ! あっはっはっはっは! ひ、ひぃひひ……さ、最高! シキ君、キミ最高だわ」
「ナルバレック! 貴女前を見なさいな、前を!」
 車体が大きく蛇行する。にも関わらず、ナルバレックは大爆笑していた。なにがそんなにおもしろいのか志貴にはチンプンカンプンだ。さっぱりわからない。自分が笑われている気はするのだが、ナルバレックがあまりに楽しそうに笑うものだから怒るなんて選択肢は最初から除外されていた。ただワケがわからないだけである。
「はいはい、ちゃんと見るわ。見るわよ。クッ、クク」
 視線は前に固定し直したようだが、まだ肩が震えている。
「……俺、そんなに笑われるようなこと言いましたか?」
「いいえ、そうじゃないのよ。君は本っ当に凄い子だって、ね。そう思ったの。直死の魔眼なんて君を語る上ではほんのオマケだって事がよくわかったわ」
 ようやく落ち着いたのか、一変してどこか冷めた口調でナルバレックは語った。
 極東に生まれた殺人貴の噂。あらゆるものの死を見通す魔眼の持ち主――皆、その殺人貴がどういった人物なのかを見誤っている。彼が真祖の姫君を守り祖を撃破出来たのは直死の魔眼に因る功績などではない。
 極限状態において他者を、特に大切な誰かを守るために必要なもの、誰もが持っているようでその実とても貴重なそれを彼は正しくその心根に持ち得ていた、重要なのはそこである。直死の魔眼は彼を語る上で無くてはならないものだが、この場合は大切なものを守るための道具、一つの要素に過ぎないと考えるべきだ。魔眼があったから守れたのには違いないが、魔眼など無くとも彼は同じことをしただろう。
 敵かも知れない化け物の友人の無事を、上辺ではなく心から気遣うことの出来る青年。彼のような人材こそ今の教会には必要だというのに、まぁスカウトしたところで無駄だろう。彼の心に住まう大切なものが神でない以上は引き抜いてもあまり意味がない。信仰とは強制であってはならない。ナルバレックは遊びは好きだがおもしろくもない無駄なことは嫌いなのだ。
「リタのことなら、多分信用して大丈夫よ」
「え? あ、いや、俺は別に……」
 本当に素直な青年だ。化かし合いをさせるのは気が引ける。
「付き合いは短いしそもそも私達は敵同士だけれども、そのくらいで曇る眼は持っていないわ。シキ君のように死は視えなくても節穴ではないもの」
「……貴女にそんな風に言われるとむず痒いですわね」
「安心なさい。貴女のためではなくてシキ君のためだから」
 まったく、このままでは打算抜きで協力したくなってしまう。シエルが変わった理由は志貴達との交流もあるだろうが、ロアとの決着がついた事によるものが大きいと考えていた。しかしそれは間違いだったようだ。
 彼が、彼女を変えた。いや、ロアへの憎悪に凝り固まっていたシエルに、エレイシアという名で呼ばれていた頃の人間的な感情を取り戻させたと言うべきか。本人は気付いていないかも知れないが、日々シエルをからかって遊んでいるナルバレックにはよくわかる。以前と比べて今の彼女の方が遥かに虐め甲斐があるから。
「シキ君のおかげで、シエルをいぢめる楽しみが増えたのだもの。ほんのお礼みたいなもの……とか言っている間に、どうやら最後の難関みたいよ?」
 ナルバレックの言葉に、志貴はハッとなって前方へと目を向けた。リタは既に油断無く傘を構え、いつでも爆破可能なように魔力を練り上げている。
 サイドファントムの進路上、道路に巨大な影が映っていた。
 空を舞っているのはギャオスともクリスタルギャオスとも異なる異形。翼の形状は確かにギャオスなのだが、それが生えている先、胴体、さらに頭部が奇異極まりなかった。
 レギオンだ。
 獣とも昆虫ともつかない不気味な水晶獣、レギオンのように胴体の各所から様々な形状の手足を生やし、赤い単眼が輝く頭部にも口と思われる部位が複数、透き通った顎を大きく開けてこちらを威嚇している。不揃いな牙の他に鋭いツノのようなものや触角らしきものまで幾つも飛び出していた。
 大きさは30メートル程……と思うのだが、あまりにも出鱈目な造形のため今一つ計測しづらい。
 志貴の眼には死の線も点も視えていた。だが、身体のほぼ中央にある点はあまりにも遠い。リタの魔術などで地上に引きずり落とすことが出来ても、何本あるのか数えるのも馬鹿馬鹿しい手足や触角をかいくぐって点を突くのは至難の業だ。
「中ボスとでも言ったところでしょうか? それにしても醜悪ですわ」
「同意ね。趣味が悪すぎる。チェンジ」
 無論、入れ替わるわけがない。高速で突っ走るサイドファントムに、正面から襲い掛かってくる気のようだ。
「そ、そんなこと言ってる場合ですか! 来ますよ!?」
 短刀を構えながらも志貴は圧倒されていた。不気味さで言えばかつてネロ・カオスが繰り出してきた化け物の方が上だが、目の前のコイツは何よりサイズが違う。さっきまで相手をしてきたレギオンも大きいヤツでせいぜいが5メートルくらい、怪獣と言うよりはモンスター、もしくはクリーチャーと呼んだ方が志貴が持つイメージ的にしっくりくるサイズだった。対して、これは完全に怪獣の域である。
 生身で怪獣と戦うなんて、ありえない。馬鹿げている。いくら化け物にはもうほとんど慣れたような志貴でも、怪獣という絶対的存在への刷り込みはいかんともし難かった。
 異能を狩るための七夜の技にも、怪獣と戦うための技術なんて当然ながら無い。仮にあったとしても、基本しか習っていない志貴がそんなもの知っているはずがなかった。
「わああぁああっ!!」
 擦れ違った瞬間、志貴は情けなくも悲鳴を上げていた。飛行によって生じたソニックブームで周囲の電柱やら民家やらが根刮ぎ吹き飛ばされていく。
「……あー、一度擦れ違っただけでこれでは障壁もそう何度ももちそうにありませんわね」
 カマキラスとの戦闘経験から、ギャオスが襲ってきた際のソニックブーム対策にとリタは事前にサイドファントムに障壁を張り巡らせておいたのだが、どうやら読みが甘かったらしい。この強化型レギオンの強さはまず間違いなくカマキラス以上だ。
「ふーん、困ったわね」
「全然困って無さそうじゃないですか!」
 のほほんとハンドルを握るナルバレックにツッコミをいれてから、志貴は空中を旋回する強化型レギオンを見た。
「嫌ねえ、本当に困ってるわよ。停車して三人で戦うって手もあるけど、サイドファントムを守りながらでは分が悪いし、かと言ってサイドファントムを気にせず戦って壊されでもしたら泣くに泣けないもの。これ高いのよ?」
「高いってそんな……」
「ちなみにおいくらですの?」
「百億万円」
「嘘だぁーーーーーっ!」
 響き渡る志貴の絶叫を掻き消して、再び強烈な衝撃波を巻き起こしながら強化型レギオンが迫る。先程よりも低空を飛び、今度は鋭く尖った手足で直接抉るつもりらしい。そうなっては障壁もへったくれもない。
「シキ君、擦れ違いざまに点を突きなさい」
「無茶言わないでください!」
 いくら低空を飛んでくると言っても点はそれで届く位置には無い。かといって擦れ違う瞬間を狙ってジャンプでもしようものなら衝撃波をまともに喰らって一発であの世行きだ。
 正面からは強化型レギオンがどんどん迫ってくる。
 接触まであと何秒、いやほんの数瞬か。握り締めた短刀を構えながら、志貴は一心に祈りを捧げた。だが隣の聖職者を見る限り、神に祈ってもさして御利益は無さそうだ。
 では一体、何に祈ればいいのだろう。
 絶望にまみれた空は、何も答えてはくれなかった。





◆    ◆    ◆






 防衛庁ビルに使用されているガラスは当然と言えば当然だが全て特殊な強化ガラスである。黒木もカタログを読んだことがあるが、その中で開発者はバズーカの直撃にだって耐えてみせると豪語していた記憶があった。が、しかしバズーカ程度では少しばかり足りなかったようだ。
「全員散るな! 固まれ!」
 多種多様な水晶の化け物の群れは、強化ガラスをものともせずに叩き割ると庁舎内へと殺到してきた。
 黒木や結城が9mm拳銃を躊躇無く発砲したが、まったくダメージなど与えられた様子はない。
「こいつら、重火器でも無いことにゃどうしようもねぇ……」
 眼や関節の接合部と思わしき部分を狙いつつ、結城が舌打ちする。比較的脆そうな部位を撃っても弾かれるだけとあってはもう打つ手がない。
 ギチギチと薄気味の悪い音を立てながら、水晶獣共はゆっくりと近付いてくる。
「い、いやぁぁぁーーーーーーーーっ!」
 耐えきれなくなった女性職員の叫びがロビー内に木霊した。彼女のように泣き叫ぶ者は少ないが、それでも全体に既に諦念が立ち込めている。このままでは間を置かず全滅だ。
「へっ。黒木特佐、どうします? 自決でもしますかい?」
「そんなつもり毛頭無いでしょうに」
 固まった全員を庇うように、黒木と結城は前へ出た。天才黒木翔と言えどもこの状況下で勝つ算段は見あたらない。それでも、諦める気は無かった。手にした銃を撃ち尽くし、それで駄目ならグリップで殴りかかって、最期の瞬間まで戦い続ける覚悟がある。
 結城は黒木以上に諦めていなかった。理由は至極単純にして明快だ。彼は、まだゴジラを倒していない。十年前のゴジラとの戦い以降、彼は半ば生ける屍……メレム曰くの“シビト”だ。なら目的を果たすまで死ぬはずがない。絶対に、死なない。
 水晶獣が一歩、また一歩と近付いてくる。
「ったく、ホントに硬ぇな」
 跳弾の角度に気をつけつつ、一発一発冷静に撃ち込み、しかし全て無駄弾だった。もはや距離にして5メートルあまり、水晶獣の手足が届くまであと僅かだ。
「クソッ、弾切れか!」
 撃ち尽くした銃を構え、黒木は殴りかかる体勢をとった。結城も残弾はほんの三発。もっとも弾が有ろうが無かろうが関係はあるまい。結城も殴りかかる準備をする。
 嫌に静かだった。自分の鼓動すら聞こえない。そんな中で、黒木は銃を固く握りしめ――

「オッケーオッケー、黒木サン結城サン、ちょーっと下がってね」

 突如、水晶獣は呑み込まれていた。
 いたのだ。ほんのついさっきまで、3メートルから5メートルくらいの水晶獣が、何体も、目の前に。それが……
「こ、れは……巨大な、口?」
 床から、バカでかい口が現れていた。無数の牙を不規則に生やし、水を滴らせたクチバシのような口。ギッチョギッチョと形容しがたい音を立てて口は獲物を咀嚼していた。
「うはっ、こいつは不味いや。ジグラもご機嫌ナナメだ」
 片足立ちでヒョコヒョコと器用に動きながら黒木の隣に並び、メレムは渋面を作っていた。
「メレム・ソロモン……この口は、貴方が?……いや、それよりもその右足は!?」
 メレムの右足は消失していた。中身のないズボンが頼りなく揺れているだけで、そこにあるべきはずのものが無い。
「いやぁ、悪いね。取り敢えず寄ってきた奴らを一網打尽に出来る魔獣って言うとこのジグラが一番適当だったんだけどさ、コイツはデカイ代わりに使役可能な範囲が狭いんだよ。だから二人には囮になってもらったってワケ。ごめんごめん」
「いや、だから右足は……」
「ん、これ? あー……あれ? 言ってなかったっけ? ボクの能力はコレこの通り、両手両足に魔獣を飼ってるんだよ。フォーデーモンってやつ。ただね、コイツらはボクの四肢そのものだから使役中はこんな風にその部分が無くなっちゃうんだ」
 ニッコリと得意げに捲し立てるメレムの視線の先では、魔獣が水晶獣を咀嚼し終えて喉を鳴らしていた。
 ――『深海獣』ジグラ――
 メレムの右足たる魚類型の魔獣で、巨鯨のような圧倒的な重量感と、相反する鮫のように細く獰猛な体躯。長大なツノ型の鼻先とクチバシを持つ奇怪な魔獣である。
 かつて人間だった頃、メレムは生まれ持った異能のために神子として奉られていた。その時に、外界と断絶し神聖さを損なうこと無きようとの勝手な名目の下、両手両足を切り落とされたせいで彼は四肢を持たない。その欠損を補うために、メレムは四体の使い魔を生み出した。四肢の魔獣使い、フォーデーモン・ザ・グレートビーストと呼ばれる由縁である。
「しかし動きにくくてかなわないなぁ。アカネちゃ〜ん、あのさ、お願いだからボクのこと抱っこしてくれないかな?」
「はぁっ!?」
 鼻にかかった猫ナデ声に、茜は信じられないとでも言いたげにメレムを見た。この小僧は何をトチ狂ってそんな笑えない冗談を口にしているのだろう。さも嬉しそうに。
「何バカなことを……」
「だってさ、ボクは魔獣を解き放つ程に自分では身動きがとれなくなっちゃうんだよ? じゃあ抱っこしてもらうのが一番じゃない」
 言いながら、今度は左腕を一閃させる。振り始めた時は確かに在ったはずの腕は、振り終えた時には消えていた。見れば庁舎の出入り口付近に集まりつつあった水晶獣の一群の中心で、身長3メートルくらいの人型が暴れ回っている。
「ほら、アイツらどんどん集まってくるよ? ジグラとブニョだけでいつまで持ち堪えられるかなぁ、際どいよ?」
 悪魔のような小僧だ。
 茜は苦虫を噛み潰したような顔で黒木を見た。返答は簡単、諦めたように首を横に振られた。結城は……頼るだけ無駄だろう。彼がいる方からはクックッとくぐもった笑い声が聞こえてきている。
「へへー。ほーらほら、優し〜く抱きしめてね」
「ぐっ! こ、この……調子に……」
 怒りに紅潮し、それでも茜は必死に続く言葉を呑み込んだ。悔しいが今この場で戦力になるのはメレムだけだ。
 いつまでもこうしていても仕方がない。茜は溜息混じりにメレムへと手を伸ばそうとし、その瞬間、メレムは静かに囁いた。
「……アカネちゃん、早くした方がいいよ。アイツら蹴散らさないと、大鉄塊が降りれない」
 今までのふざけた調子ではなく、真に迫った声で。見た目はどうみても十を過ぎたばかりの少年にしか見えないのに、茜は圧倒されていた。垣間見えた、道化の本質に。
 急いでメレムの小さな身体を抱き上げると、茜は外を見た。水晶獣は続々涌いてきている。二体の魔獣は獅子奮迅の活躍を見せてはいるが、いかんせん数に差がありすぎる。あと二体、解放したところで果たして間に合うのか?
「メレム」
「なんだい?」
 右腕も左足も消えていた。飄々としたいつもの調子を崩そうとはせずに、それでもメレムに浮かぶ焦燥が茜には手に取るようにわかった。本来なら、まだほんの二十数年しか生きていない小娘に読まれるようなメレム・ソロモンではあるまいに、その事が事態の深刻さを雄弁と物語る。
「不本意だけど、お願い、みんなを守って」
「……アカネちゃんに頼まれちゃ、張り切ってやるっきゃないよね」
 魔獣達の咆吼が響く。主戦場は外に移ったのだろう、ここからではジグラしか確認できないが、随分と派手に暴れ回っているようだ。水晶が砕け飛んでいく様が見える。しかし、メレムの魔獣は単体では水晶獣に数倍する戦闘力を有しているが、やはり多勢に無勢、このままではいつか抜かれる。
「やっぱりちょっと数が多すぎるね……せめてあと一体、魔獣級の味方でもいてくれれば――」
 その時、メレムが突然弾かれたように視線を上へ向けた。
「どうしたの?」
「……ヴァン=フェム、つくづくあの爺様はッ!」
 少年の顔には、いつも通り憎らしいくらい余裕綽々の勝利を確信した笑みが浮かんでいた。



『黒木特佐、聞こえるかね』
「ヴァン=フェム卿?」
 天空から降り注いできた声に、魔獣の影から水晶獣を牽制していた黒木と結城はお互いの顔を見合わせた。どうやら大鉄塊の外部スピーカーを使っているらしい。
『説明は省くが、通信機の類は使わぬようしてくれ』
「通信機を? 一体、どういう――」
『今からコンテナを二つ降ろす』
 当然ながらスピーカーを使って一方的に話しているだけなので、こちらの言葉に対し反応があるわけではない。が、通信機を使うなと言う以上、これ以外に方法がないのも確かだ。ヴァン=フェムはどうか知らないが、少なくとも黒木や結城には念話などと言う能力は備わっていない。仕方なく、そのまま静聴する。
『中には援軍が“入っている”。ついでに武器も幾つか仕込んでおいたのでな、そ奴らと協力し、三分以内に周辺の敵を出来る限り撃破してくれ。いいかね、三分後に、降下する』
「援軍?」
 武器は兎も角、援軍が“入っている”とはいかなる事なのか、しかしそんな黒木の疑問はお構いなし、ヴァン=フェムが言い終わると同時に大鉄塊の下部、おそらくは格納庫であろう箇所は開いていた。
「来るぞ!」
 二人が見守る中、老吸血鬼の言ったとおりコンテナが二つ、猛烈な勢いで落下して来た。大きさはそれ程大きいわけではない、二つとも鈍い銀の立方体だ。銀は地面に吸い込まれるかのように降下し、そしてそのまま庁舎前に轟音とともに落地した。
 材質は知らないが、衝撃に歪みすらしていないのは流石ヴァン=フェム謹製と言ったところか。しかし中身が無事な保証はない。
「大丈夫、なのか?」
 兎に角まずは開けてみなければと二人が駆け寄ろうとした瞬間、二つあるコンテナのうち片方の口が爆ぜていた。地上数百メートルの高さから落下しても歪みもしなかったコンテナが、内側から、力尽くで扉を突き破られたのだ。
 破った主は、そのままもっとも近くにいた水晶獣へと突進し、黒木がそちらへ向き直った時には既に相手は四散していた。かと思えばまた手近な水晶獣へと狙いを定め、無骨な拳を振るっている。
「……ロボット?」
 破壊者は、黒と黄のストライプという派手な胴体に、暗い銀色の頭部、手足を備えた骨太な機兵だった。しかし、ついロボットと口にしてはみたものの黒木にもこれが完全に機械的なロボットでないことはわかる。機械的技術のみで2メートルの人型兵器を作る技術は世界中何処の国も確立してはいない。唯一、科学と魔法を用いて生み出されるヴァン=フェムの人形のみが、それを可能としていた。
「近接戦闘タイプの人型人形とは……卿の切り札か」
「それだけじゃないみてぇだぜ?」
 結城に言われ、思い出したかのように黒木はもう一つのコンテナを見た。そちらは一気に爆ぜるでもなく、ゆっくりと扉が拉げ、中から異形が顔を出した。その頭部はまるで戦艦の艦橋だ。先に飛び出した奴とは違い今度の機兵は人型とは言い難い異形だった。頭部が艦橋なら、全身からは無数の砲身が生えている。
「こっちは、砲戦型か!」
 黒木は、雷が幾十と同時に落ちたのかと思った。
 砲弾が水晶獣の群れへ向けて次々と放たれる。その度に雷鳴が轟き、新宿の街が爆炎に呑み込まれていく。
「チッ、ヒデェな……街が無茶苦茶だ」
 だがこれで大分敵の数を減らすことが出来た。目に見える範囲の水晶獣はメレムの魔獣と一体目の機兵によってあらかた駆逐されている。遠距離の相手に対しては、いまだ砲撃が続いていた。
 後は、大鉄塊を待つばかり。





◆    ◆    ◆






「ふむ……」
 髭を撫ぜながら、ヴァン=フェムは眼下で繰り広げられている戦闘を見守っていた。鬱陶しいクリスタル・ギャオスもようやく種切れか、新たに出てくる様子はない。
「バルスキーもドランガーも、特に問題はないな。あの水晶が相手でも充分に破壊可能だ」
 戦闘機兵『バルスキー』と、重機甲兵『ドランガー』。最高位の人形師ヴァン=フェムを守る近衛が二将である。
 ヴァン=フェムはトラフィムと異なり、吸血鬼による兵力を有していない。最古と呼ばれる祖でありながら、己が死徒を持たない変わり種だ。その代わりに、彼は自作の人形に自らを守らせている。かつては意志無き人形を魔力で直接操っていたのだが、今では高性能AIによって自律可能な近衛機兵軍団を持つに至っている。そのほとんどはトラフィムの護衛に回し、何かあった時のためにと四体いる軍団長のうち二体を念のため連れてきておいたのだ。
 バルスキーもドランガーも、総合力では二十七祖に劣るが、それぞれ格闘性能と火力という一芸においては決して引けをとりはしないという自負がある。ヴァン=フェム本人は特に戦う力を持たないが、それは必要がないからだ。個人戦力で二十七祖最下位でも、従僕を率いた軍団戦ともなれば機兵と魔城を擁するヴァン=フェムのそれは突出している。
「……しかし、さて、どうしたものか」
 大鉄塊で下にいる者達を回収、撤退する目処は立った。だがそれからどうする?
 電源を切った通信機を睨み、ヴァン=フェムは唸った。黒木達に通信機の使用を禁じたのには理由がある。
 クリスタル・ギャオスの襲撃は通信機の類を使用するたびに激しさを増していた。まるでそれに呼び寄せられているかのように、敵意を剥き出しに襲ってくる。確証はないが、おそらくクリスタル・ギャオスや地上の水晶獣は電磁波に反応しているのではないか。
「落ち着いたら調べてみねばな」
 戦闘中、連中の砕けた破片は幾つか回収してある。下には白神もいるそうだし、構造を調べるのに時間はかからないだろう。それにギャオスの遺伝子構造を調べた時から大体のアタリはついている。あれらが、いったい何なのか。
「三分、経ったな」
 周辺空域に敵影は無し。地上もあらかたケリはついたようだ。
 大鉄塊を降下させながら、ヴァン=フェムはこれからのことを思案した。長々と生きた挙げ句に得た小賢しい知恵を幾ら巡らせようとも果たしてたった一つの良案すら浮かばないのだから、なんともはや、情けない話だ。
「どうする? トラフィム」
 答えてくれるはずの盟友は、遥か遠い空の下だった。








〜to be Continued〜






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