episode-15
〜恐怖の水晶魔境〜
Part 2 東京脱出


◆    ◆    ◆






 コスモスにはモスラの全てが知覚出来る。
 ノンマルトの文明が滅びて以来、彼女達の一族は身体を妖精のように縮小し、南海の孤島インファント島でひっそりと生き延び続けた。インファント島はかつてノンマルトが信仰していた神を祀る聖地の一つであるが、その神の名はとうの昔に失われてしまっている。沈みゆく国から彼女達の祖先が持ち出せたものはほんの一握りの知識と、滅びの記憶のみ。それらを一万と二千年の長きに渡り、コスモスは継承してきたのだ。全ては、モスラのために。
 モスラは神ではない。神に捧げる祈りが、ヒトの願いが生んだ人造の守護神、モスラ。神の名は失われてしまっても、朽ちた神殿はモスラの名だけは目覚めの歌とともに残し続けた。
 モスラはヒトの希望だ。ヒトの希望がカタチを成したもの。生き延びようとする意志が、大切な誰かを守りたいという想いが結実し、その極彩色の翼を彩るのだとコスモスは信じている。
 モスラは戦いを望まない。ただ守りたいだけなのだ。どんなに傷ついても、祈りによって編まれた美しい翼は何度でも舞い上がる。全身を焼かれようと、その身は灰と化すことなく黄金に輝く粒子となって天を染める。
 だから今も、モスラは戦っていた。
 自らをつけ狙う復讐の黒き大蛾、バトラと熾烈な空中戦を演じながら、拡がり続けるORTの水晶地獄を僅かにでも抑え込もうと、持てる魔力を振り絞っていた。今、東京では黒木達が大鉄塊に乗り込み脱出しようとしている。モスラはせめて彼らが東京を出るまでは踏み止まるつもりなのだ。
「ああ、モスラ……」
 逃げて、と、コスモスはそう叫びたかった。
 けれど叫ぶことなど出来やしない。モスラの痛みを、苦しみを、そしてヒトを守ろうとする切なる意志の全てを知覚しているコスモスに、彼を止めることなど出来ようはずがなかった。



 手近な石の上へと桜が敷いてくれたハンカチに座り、凛は激しい動悸に目眩を覚えながらコスモスの様子を眺めていた。
 酸素が足りない。水分が足りない。何もかもエネルギーが足りない。全速力で大空洞を駆け抜けた肉体は、疲れがどうこうといったレベルを遙かに超えて震えている。
「姉さん、お茶を」
 桜が差し出してくれたペットボトルをひったくるように受け取って、凛はカラッカラの喉へと一気にその中身を流し込んだ。自分が今飲んでいるのは緑茶なのか烏龍茶なのか、それとも紅茶か麦茶なのか、味なんてこれっぽっちもわかりはしない。まるで灼熱の砂漠に水を撒いているかのようだ。飲み終わっても足りたという感覚が無かった。
「……ふぅー、ふぅー……んっ。ありがと、桜」
 それでもようやく落ち着いてきた。まだ微妙に唇が震えているが、すぐに治るだろう。
「薪寺先輩も真っ青なタイムですね。ちゃんと計っておけばおもしろかったかも」
「ちょっ……やめてよ……アイツだったら『今からでも遅くはないから陸上部入れ』とか言い出しかねないわよ」
 冗談交じりに言い合うも、二人とも顔が笑っていない。
 桜は雑音しか聞こえなくなって久しい無線機をまだ耳に当て続けていた。数分おきに携帯電話で予め教えてもらってある幾つかの電話番号に片っ端からかけてみても、やはり反応はないままだ。ギャオス襲撃の報を最後に東京の黒木とはまったく連絡がつかない。それはコスモスの護衛に派遣されている特自の隊員達も同じらしく、この大空洞入り口付近ではさっきから何人もの自衛隊員が忙しなく行き交っていた。
「……東京、どうなったのかしら」
 日本の首都、東京。
 凛も桜も、東京に行ったことはない。二人とも年頃の少女であったし興味がなかったわけでもないのだが、残念ながら機会がなかった。ただショッピングを楽しみたいがためだけに出向くには、冬木から東京は遠すぎる。だから東京というものをテレビの映像でしか知らない。新都のアーケード街とは何もかもが比較にならない大都市を、今ギャオスの大群が襲撃して何千、何万もの犠牲者が出ていると言われても、現実感に乏しすぎた。
 二人は聖杯戦争という実戦を経験している。親しい人間が傷つく姿を、見知った顔が死んでいく姿をこの目で見ている。それでも規模が違いすぎて想像がつかないのが当然だ。桜には、その事実が怖ろしくてたまらなかった。今こうしている間にも犠牲者は増え続けているだろうに、それを現実として認識出来ない、人の死があくまで彼方であることの恐怖がジワジワと胃を締め上げる。
 一方、凛は認識出来ないことは出来ないと割り切っている。恐怖に怯えるのも感傷に心を痛めるのも、今すべき事ではない。だが、だからといってするべき事が見えているかと思えばそれも違っていた。だから彼女が抱いているのは焦燥である。自分が今何をすればいいのかがわからない、見えてこない。
「……あっ」
 その時、桜の携帯が鳴った。一瞬東京と繋がったのかとも思ったが、違う。相手は士郎だった。
「先輩……あ、はい。そうですか、まだ……はい、じゃあ私も。はい大丈夫です。用事は済みましたから、これから柳洞寺の方を探してみます。それじゃ、見つけたら……はい。じゃあ」
「……何かあったの?」
 電話を切った途端、桜は凛に問われて視線を泳がせた。士郎からの電話の内容は姿の見えなくなったセイバーとライダーに関してだ。黒木からの報せを姉に伝えるため、桜は一時的に二人の捜索を士郎とイリヤの二人に任せていたのだが、依然として足取り一つ掴めないとのことだった。
 今この大事に凛に伝えるべきか否か、桜は悩んで、結局伝え損なっていた。一度にたくさんのことが起こりすぎていて正直混乱している。
「ねえ、桜。今の電話、士郎からだったんでしょう?」
「……そう、ですけど」
 伝えた方がいいだろう事はわかっている。どうせ自分達に今この場で出来ることなんて無いのだ。なら、凛にも協力して貰い行方不明の家族を捜す方が先決なのではないかと……だが、そこで再び彼方の死が浮上してくる。現状において私事を優先することに、罪悪感が芽生えてしまう。
「何かあったのね?」
 無い、と言い返せない、身を切るような質疑だった。凛の鋭さは当然ながらよく知っている。平素ならば兎も角、混乱している桜が姉にいつまでも隠し事など出来るはずがない。
 姉は姉で、妹の逡巡が見て取れたのだろう。凛はフッと短く息を吐くと、それ以上の追及はしなかった。むしろ桜が意識を逸らしてくれたおかげで募り続ける焦燥を封じ込め、他のことを考える余裕が出来たのがありがたかった。
 姉妹の視線が交差する。
 やがて、訥々と口を開いたのはやはり桜だった。



「そう……セイバーと、ライダーが」
 突然失踪した二人のことを聞いても、凛は桜が想像していたよりも冷静だった。むしろ、どこかそうなるのではないかと知っていた節さえ見受けられる。
 妹からの疑惑の眼差しに気付いたのか、凛は短く息を吐くと、
「別に知ってたってわけじゃないわよ。ただ、二人は英霊だから。星が人がと大騒ぎしてる今、何かあったとしてもおかしくはないじゃない?」
「それは、そうですけど……」
 姉の口から地球の危機だ何だと聞かされ、まるでそれに合わせるように二人が不調を訴えた時に桜も考えたことだ。
 セイバーも、ライダーも、影響を受けているのではないか。そして今回の失踪はその結果、何者かに引っ張られたのではないかと。
 英霊とは人類を守る力だ。なら、素直に考えれば二人は人類を危機から救うべく抑止の力として喚び戻されたのだと思える。それが一番自然な答えのはずだ。
 なのに、桜の見つめる先、凛は眉間に皺を寄せ、口許に手をあてて何やらとても難しい顔をしている。
 嫌な予感がするのだ。とても、とても嫌な予感が。
「……ライダー、セイバーさん」
 もう二度と、二人には会えないのではないかと。
 握り締めた拳に爪が食い込む痛みも忘れて、桜は自分の予感が杞憂で終わってくれることを願った。
 きっと、二人ともすぐにひょっこり戻ってくる。
 桜は、どうしてもそう信じたかった。





◆    ◆    ◆






「ふぅ」
 倒れた電柱に背を預け、権藤は廃墟の中で紫煙を燻らせていた。大島は壊滅だ。三原山の噴火自体は予想よりも小規模なものにとどまったようだが、ゴジラとの戦闘によって建物の倒壊以上に地形そのものが大きく変わってしまっている。
 酷いものだった。
 住民の避難は完了しているが、戻ってきたとしても元通りに復興させることは不可能だろう。早々に溶岩を吐き出すのをやめた三原山も、いつまた激しく鳴動するかわかったものではない。
 割れた道路、砕けたビル、溶けた鉄、そして……仲間達の死体。何一つ守ることが出来なかった。それ以上に、
「……また、生き延びちまったな」
 己の身体を見下ろし、権藤は心底呆れたかのように呟いた。この何とも筆舌にし難い息苦しさは、これで二度目だ。守れなかったことに対する辛さよりも、またもや生き延びてしまったことが権藤の心に重くのしかかる。道端で無惨に転がっている部下だった者の死体に申し訳ないと思うより先に、自分のしぶとさに唾を吐きかけてやりたくなる。
 罪悪感が麻痺しているわけではない。ただ、死ねない自分が恨めしいのである。ゴジラを倒すか、自分が死ぬか。その二択に全てを懸けた結果がこれでは不甲斐ない自分を嘲りたくもなるのも致し方あるまい。
「クソッ」
 半分以下の長さになってしまった煙草を放り、これでもかと踏み付ける。もう一本吸おうかとも思ったが、やめた。喫煙程度で紛らわすことの出来る苛立ちなら誰も苦労などするものか。
 わかっているのだ。自分が一体何に対してこれ程までに苛立っているのかわかっているから、権藤は醒めた目で崩壊した町を再び見回した。
「負け犬が……ウジウジと情けねぇにも程がある」
 辛さよりも申し訳なさよりも、生き延びた自分が情けない。ゴジラを倒せなかった自分が情けない。
 しかし一番情けないのは、青白い熱線が迫ってきた時、恐怖どころかある種の安堵さえ感じていたという思わず吐き気を催したくなるような事実だった。闇色の十年間がようやく終わりを告げることの開放感に、権藤はゴジラへの憎悪を一瞬でも忘れたのだ。
 何故、自分はそのような……
「格好悪すぎるぜ、なぁ、おい」
 その上、自分を助けたのはキングジョーでもスーパーXでもなく、敵か味方かもわからない化け物亀ときたものだ。あの時、大亀怪獣――ガメラ――が吐き出した火球は、明らかに熱線へと向けられていた。ゴジラを倒すためではなく、熱線の先にいた権藤を救うために放たれたとしか思えない。爆風で吹き飛ばされ、地面に叩き付けられて朦朧とする意識を無理に繋ぎ止め、権藤はその後の戦いを全て見ていた。黙って見ているしか、出来なかった。
「あーあー……ったくよぉ」
 背を預けていた電柱を力一杯殴りつけ、権藤は歩き始めた。目指すは墜落したキングジョーだ。通信機の類は自前のものは無論のこと、拾ったものから公衆電話まで全て不通のまま、連絡のしようがない。シオンがキングジョーを回収に来るのを待つ以外、身動きすらままならないのが現状だった。
 何も出来やしない。あまりにも無力に過ぎる。こんな自分がむざむざ生き延びて、何の意味があるのだ?
「俺は……どうして生きてる?」
 何のために生き、何のために戦っているのか、全てがわからなくなってきた。極度の疲労と、怪我による痛み……集中力が途切れたことでそれら全てが襲い掛かってくる。張りつめた最後の糸が切れてしまえばそこまでだ。この場に倒れ伏し、二度と立ち上がる気力すら失われてしまうかも知れない。
(まるで歩く死体? 違うな。土塊もいいところだ)
 土塊と化した肉体を引きずり、泥のような意識で考えを巡らす。
 思えば自分の人生は戦いの連続だった。高校を卒業してすぐに、当時設立から十年余が経過してようやく組織として安定してきた特自に入隊し、ひたすらに特殊生物と、怪獣と戦い続けてきた。怪獣を倒し、人々を守る、いわば正義の充足感。満ち足りた日々が終わりをむかえたのは果たしていつのことだったか。戦いに虚しさを覚えたのは何を倒した時だろう。
 パゴス? ネロンガ? マグラ? それともガボラの頭を首の周囲から生えたヒレごと吹き飛ばしてやった時か?
 しかし圧倒的な敗北感に打ちのめされ、全てに絶望した時のことはよく覚えている。
 ゴジラ。
 十年前の新宿で慟哭した時、人類の平和のために戦い続けてきた権藤吾郎は死んだのだ。抜け殻だけが生き延びて、ただゴジラと再びまみえ倒すためだけに動いていたに過ぎない。それが、そのはずが……
 戦い始めた頃は楽だった。
 自分の正義に迷うことなく、怪獣を一匹倒せば倒しただけ救われる誰かがいるのだと、例え我が身が傷ついてもそれで人々の笑顔が守れるのだと信じていた。
 今から三十年近く前、人類は今程強くなかった。怪獣や秘密結社に脅かされ、救い手はいつも後手回り。“正義の味方”なんて符丁が一般化したのも果たして権藤が子供の頃ではなかったか。人々の平和の影で戦い続ける者がいる……仮面ライダーなんて都市伝説紛いの話を、本気で信じていた。
 あの頃、確かに正義はあったのだ。
「みんなにゃ、呆れられたがよ」
 特自に入隊すると権藤が言った時、両親や当時の友人、高校の教師達はこぞって彼を止めた。県内トップクラスの進学校、その中で一、二位を争う秀才が何を間違ったのか進学もせずに現場の一隊員を目指すなど馬鹿げている、と。どうしても人々の平和を守りたいのなら、進学し、キャリアを目指した方がいいのではないかとも何度も説得された。
 それでも権藤は特殊生物と戦う最前線を望んだ。最後には両親も諦めたのか、勝手にしろと半ば勘当同然に家を追い出され、今でも時折連絡をとるのは歳の離れた妹だけだ。今にして思えば、あの頃両親の愛情はまだ幼かった妹へとその大部分が注がれていた。秀才として将来を嘱望されていた息子の反抗に対し、最終的には存外あっさりと見切りをつけた理由もその辺にあったのかも知れない。
 帰る家を失っても、権藤はそれを特に悲しいとは思わなかった。そこまでの覚悟があってようやく人類を守ることが出来るのだと、あまりにも馬鹿げた夢想さえしていた。
「……挙げ句が、このザマか」
 若かったのだ。
 年を経るごとに当然ながら若さは失われていった。純粋だった青年は皮肉屋な中年に変わり、これはとても成長とは呼べまい。ただ摩耗しただけだ。
 倒しても倒しても怪獣は現れる。環境破壊の結果だとか、繰り返される核実験のせいだとか、行き着く結論はいつも同じだ。同じであることを認めてしまった時、正義は既に色褪せていた。だが、今となってはその全てがどうでもいいように思える。通り過ぎてきたあまりにも遠い過去。そのようなもの、土塊には必要あるまい。目まぐるしく巡る記憶の走馬燈を特に懐かしいと感じられない理由もそんなところからだ。
 ただし一つだけ、懐かしいと思える顔があった。感慨を呼ぶ瞳が、もう長いこと忘れていた少年のことが思い出されていた。中学、高校と六年間をともに過ごした友人。それ程親しかった覚えもないのだが、なんとなく一緒に行動することが多かった。
 自分が正義について語った時、他の友達が皆呆れるか要らぬ心配をする中、彼だけが柔らかな笑みを浮かべて共感してくれたのを覚えている。

 ――僕も、正義の味方を目指しているんだ――

「……あいつ、今頃どうしてやがるかなぁ」
 自分と同じように大学に進学しなかったことは知っている。ただ、家を出た際のゴタゴタが原因で卒業後の彼の進路について聞いたり調べたりする余裕はなく、特自入隊後も激しい訓練などに忙殺されて、余裕が出来た頃には彼のことなどほとんど忘れていた。
 彼は、正義の味方に成れたのだろうか。それとも人並みの幸福を手に入れて、何処かで安穏と暮らしているのか。
「ク、ククク」
 そこまで考えた時、権藤の顔に浮かんだのは自嘲の混じらない自然な笑みだった。
 おそらく後者だろう。いや、後者であるべきなのだ。
「正義の味方なんて、目指すもんじゃねぇやな」
 つくづく、本当に。
 廃墟の中を土塊が歩いていく。
 自分は、これから先も戦い続けるだろう。死ぬまで、それしか方法を知らないから。
 他に何がある?
「あるなら知りたいもんだ」
 あったとして、誰が教えてくれるのか。だが、答えが得られるかどうかは兎も角として、訊いてみたい相手はいた。
「なぁ……切嗣」
 かつて共に正義を目指した旧友に問いかけて、権藤は歩き続けた。キングジョーまでの距離は、まだまだ遠い。





◆    ◆    ◆












◆    ◆    ◆






「うわぁああっ!」
 リタのはった障壁越しにも凄まじい衝撃が襲い来る。サイドファントムと強化型レギオンは、再び何事もないまますれ違った。
「シキ君、駄目じゃないきちんと斬らなくちゃ」
「だから無理ですってば!」
 ナルバレックの本気とも冗談ともつかない台詞に全力で抗議しつつ、それでもなんとかレギオンの点を突けないものかと志貴は脳をフル回転させていた。
 まず、あの無数の手足や触覚のようなものが邪魔だ。あれらを切り払い、そこでようやく無防備な点が晒される。晒されたら晒されたで、今度は空を飛んでいるという問題が残る。いくらなんでも無理だ、届くはずがない。仮に点を目掛けて全力で短刀を投擲したとしても、高速走行中のバイクから高速飛行中の怪獣に向かって投げ、さらに狙いから寸分も狂うことなく命中させるなんてスキル、志貴は当然ながら身につけてはいなかった。
「困りましたわね……わたくしの爆破やトゥインクル☆スターライトでも一撃であんな化け物を落とすのは不可能ですし……かと言って攻撃に集中しては障壁を張り続けられない」
「私は運転で手一杯ね。障壁越しでもアイツのソニック・ブームでハンドル取られないように運転してるのだから、これって神業よ?」
 その通りだ。ごくたまにしか運転出来ないというのにナルバレックのドライビングテクニックは見事の一言に尽きる。
「となると、攻撃は残る一人……」
「シキ君しかいないのよ」
「そんな重々しく信じ切った目で見ないでくださいよ! 俺だって手の届かない場所にいるヤツまでは殺せないんだから」
 こんな時にまで他人をからかう余裕のある二人を賞賛すればいいのか単に呆れるべきなのか。おそらく呆れるべきなのだろうと考えながら、志貴は上空を旋回している強化型レギオンを見上げた。すれ違うたびにサイドファントムとレギオンの距離は狭まっている。次は確実に接触してくるはずだ。そうなっては、リタの張っている障壁の正確な強度は知らないが、おそらく何の意味もない。
「仕方ないわね……シキ君、ちょっと足下にアタッシュケースあるのわかるかしら?」
「アタッシュケース?」
 言われて足下に手を伸ばすと、確かに小さめのアタッシュケースがあった。丁度そこに備え付けるためのものらしく、足下のスペースにすっぽりと収まっている。
「鍵はかかってないわ」
 開けろ、と言うことだろう。ズルズルと引きずり出し……しかしやけに重たい。引きずるのも一苦労だ。
「……うわ」
 開けてみれば、中身は物騒オンパレードだった。黒鍵の柄や棒手裏剣、短剣や寸鉄などはまだいい。それよりもこの日本でまさか拳銃を四丁五丁……六丁も目にする日が来ようとは思ってもみなかった。シエルの第七聖典はパイルバンカーだし、シオンのブラックバレル・レプリカを見たこともあるが、あれらからは霊的な存在感を感じられた。なのにこの拳銃にはそれがない。志貴の魔眼にも、ただの鉄、そして火薬としか映らなかった。
「安全装置は外してね」
「外してねって……これ撃つんですか?」
「それ撃つのよ」
「出来ませんよ!」
 無理だ。
 銃なんて撃ったことがないし、そもそもこんな豆鉄砲があの巨大なレギオンの装甲じみた水晶を貫けるわけがない。盾と矛の間に差がありすぎる。
「余裕で飛んでますわね……グルグルグルグルとわたくし達なんて敵じゃないとでも言いたげに。非常にムカつきますわ」
 リタの言う通り、強化型レギオンは余裕綽々だ。あの紅い単眼に人間らしい感情が宿っているとはあまり考えたくないが、こちらを見下し侮っているのがまるわかりだった。
「シキ君、さっきから無茶だの出来ないだの……男の子が情けないわよ。そんな子はお姉さん嫌いだわ」
「お姉さん……三十路が、お姉さん……ナルバレック、悪いことは言いませんわ。言葉は正しくお使いになった方が……」
「二十倍以上生きてる分際で驚くべき厚かましさね。私のハンドル捌きが急に不安定になっても知らないわよ」
 言っている側からサイドファントムが速度は落とさず急速に蛇行し始めた。
「ちょ、二人ともやめてくださいよ! 今はそんなくだらないことで言い争ってる状況じゃ――のわぁっ!?」
 蛇行、激化。
 流石に立ち続けることが困難になったのかリタも腰を下ろした。しかし彼女が無様にしがみつくなんてあるはずもなく、何故かピシッと背筋を伸ばし、車体後部に正座し瞑目した。ナルバレックも脇見運転で志貴にニッコリ微笑みかける。
「あっははははは。シキ君、物事を全て自分の物差しのみで計ろうとするのはよくないわよ」
「そうですわね。貴方にとってどんなにくだらないことでも他の者には非常に重大な問題である可能性をもっと考慮すべきですわ」
 一転して仲良く同時攻撃。この二人、本当に敵同士なのか疑わしいことこの上ない。
 志貴達がそんな馬鹿をやっている間にレギオンは充分に気が済んだのか、再び降下姿勢をとった。より低空へ、直接サイドファントムを叩き潰そうと鋭角な口先を突き出している。
「……さて、どうしようかしらね」
 まるで晩のおかずに悩むくらいの軽さで呟くナルバレックを見ていると、不思議と志貴も落ち着いてきた。どうしようもなく生命の危機だというのに、突っ込んでくるレギオンの姿が、そして線と点がいやにハッキリと視える。
 志貴の視線が定まっていることを確認し、リタは前方を睨み据えた。レギオンとの距離を確認し、どの位置、タイミングで仕掛けるかを綿密に練り上げる。
「この一回は、全力で防いで見せます」
 志貴の肩を軽く叩いて立ち上がると、リタは日傘に残る魔力を収縮させ思い切り振りかぶった。
「シキ君」
「はい」
「ヤツの死点は、おおよそどの辺にありますの?」
「ほぼ、中心部です。あのやたらと手足が生えてるところ……胴体って言っていいものか迷うけど」
 それを聞いて頷くと、リタは狙いを定めた。中心部ではない、爆破すべきは、その周辺だ。
「今回は何もせず、よく死点を見極めていてくださいな」
 リタが残る魔力を振り絞って爆破しても強化型レギオンを倒しきることはおそらく不可能だ。ナルバレックも運転から一瞬たりとも手は離せない。サイドファントムが惜しいというのは冗談だったが、かといって今の走行状態から停車して迎撃体勢をとるのは不可能なのだ。相手は上空からいつでもこちらを狙えるのである、隙をつかれてはひとたまりもない。馬鹿を言い合ってはいるが、傍目程には二人とも余裕など無かった。そう見えるのは単に危機的状況への慣れでしかない。
「今、アレを倒せるのは、貴方だけなのですから」
 嘘である。どうしてもと言うのであればレギオンを撃破する手段がないわけではない。だが、どんなに気が合う相手でもナルバレックとリタは結局は敵同士だ。志貴ともいつ対立することになるかわからない関係である以上、こんなところで自らの奥の手を晒すような真似は双方共にしたくないのが当然だった。そしてそれ以上に、今までにも絶対不利だった戦いを幾度もくぐり抜けてきた志貴の底力をこそ見てみたい。あらゆるものの死を視る魔眼、彼の異能は今後の戦いでも切り札となりうる。問題は、それを扱う本人が土壇場でどれだけの事をやってのけられるかだ。
「……行きますわよ」
「……はいっ」
 レギオンが迫る。
 言われた通り、志貴は両眼を凝らしてレギオンの中心、死点にのみ焦点を合わせた。相変わらず手足や触覚が邪魔だがおおよその位置は把握出来る。
 まだ数百メートルの距離がある。しかし接触まではほんの刹那、リタは既にトゥインクル☆スターライトを振り始めていた。
 心臓の鼓動が、やけにゆっくりと聞こえる。スローモーションと化した世界の中で、志貴は視た。
 日傘が振るわれると同時に、レギオンの手足は爆散していた。綺麗に円形に、中心部の周囲だけを爆光が走る。がら空きの胴体に死点はあった。大きい。30メートルの巨体の真ん中に、大人三人分くらいの大きさでそれはあった。
 なんて死にやすい存在なのだろう。禍々しくも大きな点は微かに蠢いていたが、線も含めてほとんど動きがなかった。まるで崩壊の寸前だ。死者よりも遥かにおぞましい。
 狙うか?
 だが届く距離ではない。爆破されたことでレギオンの身体は予定されていたコースよりも僅かに浮いている。接触を免れたのはいいが、それでは結局レギオンを倒す術がない。
 どうすればいい? 手段を模索する。殺すための方法を、あの化け物を射止めるための方法を考えに考えて考え抜き、両者はまたもすれ違っていた。
「これでわたくしは空ですわ。後は、お任せします」
 そう言ってリタは志貴にウィンクすると、自分の役目は終わったとばかりに再び車体後部に正座した。
 ナルバレックもリタもそれ以上は何も言わない。もう自分がやるしかないのだと、志貴が覚悟を決めるには充分だった。
 志貴の手が、戸惑いがちにアタッシュケースの中へと伸ばされる。刃物には結構詳しい自信があるが、拳銃に関しては全くの門外漢だ。映画か何かで見た気がする形状だが、銃の名前なんて皆目見当もつかない。
 そもそも銃で点を狙撃したとして、殺せるのだろうか?
 試したことがないのだからわかるはずもない。線も点も、視えている者以外が切ったり突いたりしたところで意味はないが、己の手を離れたもので殺すことが果たして可能なのか。
 迷っている暇など無い。レギオンは爆破で負わされたダメージに怒ったのか焦ったのか、今までにない速度で旋回していた。
 震える手で、安全装置へと手をやる。位置くらいは漫画で読んで知っていた。解除して、そのまま構え――
「シキ君」
「え?」
 唐突にナルバレックに呼ばれ、志貴は弾かれたように隣を見た。彼女はこっちを見ていない。見もせずに勝手に話し続ける。
「慣れたエモノの方がやりやすいでしょう? 柄に四番って彫られたナイフ、わかるかしら」
 大慌てで志貴がケースの中を探ると、ナイフはすぐに見つかった。銀製で、その割には飾り気のない質素な作り。見るからに教会御用達と言ったエモノだ。
「投擲用の武装よ。伝説のグングニルやゲイボルクとは比べものにならないけど、命中精度はそれなりに高いわ」
 どこをどう見ても何の変哲もないナイフにしか見えないが、言われてみれば少しばかりの力を感じる。
「効果は擬似的な風の弾丸のようなものね。衝撃波の影響はかなり緩和出来るはずだから、それにありったけの意思を込めてぶん投げなさい」
「意思……ですか?」
「そう、意思」
 どんな――と志貴が訊くよりも先に、ナルバレックはレギオンを見つめ高らかに宣言していた。
「ブッ殺す! ……って意思よ」
 志貴は言われるままに殺意を込めた。殺すための異能に殺すための意思が加算され、両眼がより一層蒼く澄んだ色へと変わっていく。殺意の蒼に写るのは、ひたすらにおぞましい死。生命の鼓動を感じさせない黒い点へと意識を集中する。
 だが、どうする? 志貴は投擲術に秀でてなどいない。有彦と遊びでダーツをしたことくらいはあるが、この状況でそれがどれほどの役に立つものだろう。
 自信が無い。外したら三人全滅という怖れを、拭いきれない。
 と、背後から、
「無粋ですわねぇナルバレック。こんな時は殺す殺したよりももっと相応しい感情がありますわよ」
 少々呆れたような口振りでリタが告げた。
「一番大切な女性のことを、思い浮かべるのですわ。姫君を助けたいのでしょう? 守りたいのでしょう? なら、アルクェイド・ブリュンスタッドの事だけ思い浮かべて、お投げなさい」
 非常に落ち着いた声だった。
 志貴はリタの言う通りにしてみた。殺意を抑え、愛しい女のことだけを真っ直ぐに念じてみる。
「恥ずかしい台詞ねぇ。貴女、さては恋愛映画とか好きでしょう」
「ええ、それはもう。今度一緒に観に行きます?」
「女二人で? 遠慮しておくわ」
 クックッと笑って、二人は志貴を見守った。
「……アルクェイド」
 彼女は、今、どうしているだろうか。
 投げたナイフではなく、ナイフを持って身体ごとぶつかっていく自分の姿を志貴は思い浮かべた。アルクェイドの身体を雁字搦めに縛り上げた冷たい鎖を断ち切るかのように……大きく息を吸い、吐いて、両眼に全神経を集中させる。
「ぐ、あっ」
 痛い。
 眼が痛いのか神経が痛いのか脳が痛いのか魂が痛いのか、だがその程度の痛み、アルクェイドを守れなかった痛みに比べれば掠り傷にも等しい。

 ――助ける。連れ戻す。今度こそ守ってみせる――

 蒼が深まっていく。
 レギオンが迫る。射程距離に入り、互いが激突するまでは本当に一瞬しかない、機会は正真正銘一度きりだ。だが、それを怖れる気持ちはもう志貴の中には無かった。
 射程内に、入る。
 自分自身がナイフになったかのようなイメージで、志貴はその一撃を解き放っていた。
 銀色の閃光は一直線に伸びていく。
 後に待っていたのは、ただひたすらに呆気ない結末だった。
 強化型レギオンの中心部、大きな黒点へとナイフは吸い込まれ、30メートルの巨体は粉々に砕け散っていた。水晶が、まるで粉雪のように宙に舞う。散々こちらを苦しめた化け物の死にしてはあまりにもあっさりと、そして美しい最期だった。
「お見事」
「上出来ですわ」
 キラキラと輝く水晶吹雪も、走行中であれば瞬時に過ぎ去ってしまう。敵影は無し、陸路を追ってくるヤツももういないようだ。
「くぅ、……あ、うぅ」
 激しい頭痛に志貴は苦しみ喘いでいた。成功はしたものの、やはり遠距離の相手を確実に殺すのは無茶が過ぎたらしい。
 視界が歪んでいた。まるで蜃気楼のように揺らめく世界を、線と点が埋め尽くしていた。吐き気がする。
「もう少し走ったら一旦停めるわ。シキ君を休ませないと」
 直死の魔眼の驚異を改めて実感しつつ、ナルバレックはそれを宿した青年の強さと儚さに頬を緩めた。あまりにも怖ろしい異能ではあるが、しかし同時にこんなにも弱々しい。
「……いっ、痛ぅ……す、すいません……」
「アタッシュケースの中に治療用の霊薬も少し入っているわ。魔眼による痛みや損傷に効果があるかは自信が無いけれど、一応気休めでもいいから使っておきなさい。ハンカチにでも浸して、目にあてておけばいいはずよ」
 そう言われてもまともに目を開くことすら困難な状態では薬を探すことも出来ない。どうしたものかと志貴が困っていると、
「ちょっと窮屈でしょうけど、失礼しますわよ」
 サイドシートにリタが無理矢理入り込んできた。ちょっとどころか互いの身体が組んず解れつで息苦しいことこの上ない。
「薬、薬……あ、これですわね」
 物騒極まりない武器の山の奥にひっそりとしまってあった霊薬を見つけ出し、リタはそれをハンカチに浸した。志貴は目を押さえたままグッタリしている。リタの胸やらが身体にあたっているのも気にしている余裕はないらしい。
「お疲れさまでしたわ」
 ソッとハンカチを目にあててやる。このまま少しでも力を込めてやれば容易く壊れてしまう人間の青年が、あんなにも巨大で硬質な化け物を屠ったのかと思うと、実に奇妙なものだった。
 少しは楽になったのか、すぐに志貴から寝息が聞こえ始めた。
「おもしろい子ね」
「ええ、本当に」
 三人を乗せたサイドファントムは水晶地獄と化した東京を離れ、ひたすらに西へと向かって疾走した。行き先は決まっているのだから、後は妨害さえなければ楽な行程だ。
 しかし、これから世界が、そして人類がどうなるのかを指し示してくれる海図も、羅針盤も存在しない。あてのない航海は、まだ始まったばかりだった。





◆    ◆    ◆






 大鉄塊に全員が乗り込んだことを確認し、黒木はヴァン=フェムへと大きく頷いて見せた。元々『大鉄塊』ガロと『黄金龍』ナースは人型ゴーレム部隊の長距離移動手段としても用いられる魔城だ。そのため庁舎地下にとどまっていた全員を収容してもまだ余裕がある。最後に駄目押しとばかりに陸空の有象無象へとレーザーを放つと、大鉄塊は西に向かって飛び始めた。
「取り敢えずは伊豆へ行こう。通信機は東京を出るまでは使わぬ方がよかろうな」
 現在の情勢が知りたいところだが、まだ空には大量のクリスタル・ギャオスが飛び交っている。小型程度ならいざ知らず、中型の群れにでも今集中攻撃されたらまずい。大鉄塊の耐魔、物理障壁、そして装甲は魔城随一だが、限界を超えた負荷には当然耐えられやしないのである。
「防衛軍と在日米軍はどうしたでしょう」
「米軍が動いた様子は無いな。向こうもどうやら相当混乱しているらしい。皆目見当がつかぬよ」
 ギャオス襲撃初期は防衛軍の戦闘機も出撃していたようだが、回線が混乱し情勢を計り知れなくなった頃には特自と空自以外の姿は消え、それらも圧倒的な物量の前に瞬く間に撃墜されていった。今頃はどこがどうなっているものやら、ヴァン=フェムと言えども今度ばかりはお手上げだった。
「ヴァン=フェム卿」
「何かね?」
「人類は……人類には、未来はあるのでしょうか?」
 改まった声で、黒木はこの数千年を経てなお人間的に生きようとする老吸血鬼へと問いかけた。
「疲れておるようだな」
 気が滅入っているのは確かだろう。人類を絶望の奈落へ追い落とそうとする事態の連続に、黒木だけではなく誰もが疲れている。
「私が守りたかったのは、人類の平和です。この地球という星に生きる人類の未来です。なのに、今度の敵はただの怪獣でも怪生物でもない、この星そのものだ。星に生きる者が星から滅びを宣告されて、私は……私は、何と戦えばいいのか」
 黒木のそれはただの愚痴ではなく、今まで人類を脅かす驚異と戦い続け、地球の平和を守ってきたのだと自負してきた者全ての血を吐くような意思の代弁だった。
 ヴァン=フェムは顎髭を撫でると、東京を見た。東京タワーが奇妙な輝きを放っているのは、あれも水晶に侵食されたからだろう。その周囲を黒い影や透き通った影が幾つも飛んでいるのはギャオスとクリスタル・ギャオスだ。
 この青い星の意思の体現にしては酷く醜く、おぞましく、美しい。
「黒木特佐」
「……はい」
「以前、シオンに尋ねたことがある。『自分の思い通りに育たなかったからと言って我が子を殺そうとする親……君は、そんな親を許せるかね?』と。君は……どう思う?」
 黒木は一瞬答えに詰まったが、しかしすぐに答えを返した。
「許せ、ませんね。それは、親の勝手なエゴだ」
「シオンも同じように答えた。『度し難い愚行』だとな。……私も、そう思う。親がいなければ子は生まれぬが、だからといって子がいつまでも親の庇護下、さらには支配下にあるべきとは思わん」
 そう言ったヴァン=フェムの視線の先には、彼のゴーレムであるバルスキーとドランガーが怪我をした者の治療を手伝っていた。もっとも彼らの無骨な腕では薬を塗ったり包帯を巻いたりは難しいのだろう。負傷者に肩を貸したりがせいぜいのようだったが、どう見ても戦闘用の二体が怪我人を労る姿は一見奇妙なようで、しかし不思議と荒れた心が落ち着く光景だった。
「あの二体は見た通り戦闘用だ。成長型のAIを備えてはいるが、少なくとも私は最初に戦闘以外のことは教えていない」
「では、あれは彼らが勝手にやっていることだと?」
「その通りだ。まったくいつどこで覚えたのかわからんがね。気がつけば、怪我をした者、ダメージを受けた者は出来る範囲で助け、治療や修理をするようになっていた」
 もっとも、実際には破損したゴーレムの応急処置くらいが関の山だがと笑って、ヴァン=フェムは再び黒木へと向き直った。
「私は決して第三魔法の魔法使いなどではない。ただ長く生きただけの、小賢しい人形使いにすぎぬ。だが、子に恵まれなかった私には今一つわからんのだがね、それでも我がゴーレムに宿っているのが本当に第二要素……魂であって、あれらこそ正しく私の子ではないかと……そう考えてしまうことがたまにある。もしそうなら、私のこの感情は、喜んでいるのだろうな。意図せぬ方向へ成長を遂げる我が子を見て」
 とは言えそれは自らの作品に対する愛着の延長線上にある感情だ。例えば、シオンに対して抱いているような感情とは異なる。だがそれでも、自らの手で生まれた存在が予期せぬ成長を遂げることは奇妙に喜ばしいことだとヴァン=フェムは感じていた。
 もし彼らが自分に対し反旗を翻したらどうするか。複雑に感じながらもそれを認めるのではないかと思う。命持つ人形の創造など、人形師であれば一度は夢見る偉業だ。数千年の長きに渡って人形を作り続けてきた自分が、今さら反旗を翻されたところで怒って我が子を破壊する姿などどうにも想像しづらかった。自分を食い潰してさらなる成長を遂げるというのなら、それもいい。その時点で、人形師ヴァン=フェムの作品は作り手を超えたことになる。
「この星は、人間にどうあって欲しかったのだろうな」
 今回の戦いにおける最大の疑問だった。
 いつまで経っても争いから抜けられないからか? しかし、それならば非戦文明であるノンマルトがかつて滅ぼされた理由がわからなくなる。結局、ゴジラのような脅威が生まれる以外では、単純に文明のレベルが一定に達すると危険だと判断するのだろうか?
「争わず、叡知を求めず、ひたすら穏やかに優しく生きて死んでいく生命を望んだのだとしたら、地球も随分とロマンチストですね」
「まったくだ。闘争本能も好奇心も持たないようでは、少なくとも霊長とは呼べまい。もっと原始的な無垢さを求めていたのだとすれば、知恵の実とはまさに想定外の事態であったのかもな……」
「いつまでも子供でいろ、と言うことでしょうか?」
「何ともお優しいことだ。思わず反吐が出る」
「……誰も傷つけない者のみが生きることを約束された、青く美しい星……この世の、楽園……」
 うんざりと呟いて、黒木は言葉を切った。自分で言っていて馬鹿馬鹿しくなる。知恵を備えた者の感性がそのような無垢を許してくれるものか。人類は知恵を手に入れた替わりに、度し難い生物の本性、業を背負って生きる事となったのだ。
 しかし、今はいつまでも答えのでない問題に頭を悩ませていられる状況ではなかった。
「……と、ロマンチスト殿め、早速追っ手を差し向けてきおったか」
 ヴァン=フェムが後方の様子をメインモニターに映すと、そこには巨大な翼をはためかせ、大鉄塊を追うように飛ぶ者がいた。
 ギャオス、ではない。東京を襲撃した小型、中型ギャオスに数倍するサイズでこちらに突っ込んでくるそれは、大蛾だった。闇の極彩色を翻し、圧倒的な速度で進んでくる。
「もしやあれが、報告にあった」
 破壊本能だけのバトルモスラ――バトラ――
「……いや、どうやら、あやつだけではないようだ」
 ヴァン=フェムがそう言った途端、突如雲海から迸った粒子がバトラの翼を掠めたかと思えば、雲が割れ、バトラと対をなす光の極彩色が姿を現した。黒木にも、一目でそれが何なのかわかった。その神々しさは、確かに守護神の名に恥じないだけの威容だ。
 コスモスの奉じる守護神獣――モスラ――
 二体は激しくドッグファイトを繰り広げている。どうやらバトラは大鉄塊への単純な追っ手と言うよりも、モスラとの決着をこそ望んでいるようだ。よく見れば、こちらには目もくれず執拗にモスラのみを狙って攻撃を仕掛けている。
「さて。どうする、黒木特佐?」
 問いかけつつ、ヴァン=フェムの手はミサイルの発射トリガーに添えられていた。
 黒木はもう一度モスラを見た。美しい、美しいが……翼は所々焼け焦げ、無惨な姿を晒している。自分達が庁舎地下に籠もって戦っていた間、モスラもギャオスに覆われた空で戦い続けていてくれたのがそれだけでわかった。
 だから、答えは決まっている。
「ヴァン=フェム卿」
「うむ」
「これより、我々はモスラを援護します!」
「フ、フフ。心得た」
 旋回し、大鉄塊がモスラとバトラの間に滑り込む。結果としてモスラ目掛けて放った必殺の破壊光線を防がれ、バトラは怒りに牙をガチガチと鳴らした。自分とモスラの戦いを邪魔する者は、それが何者であろうと許せるはずがない。
 激しい光が、大鉄塊の障壁に幾度となく降り注ぐ。今までにない脅威に大鉄塊は激震した。
 生き延びるための戦いを、もはや迷うまい。
 母なる星は、敵なのだ。





◆    ◆    ◆












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 伊豆半島下田。
 特自、そして防衛軍が所有する対ゴジラ艦隊は大混乱に陥っていた。既に出撃した艦も沖で停泊し、状況を確認している。東京はギャオス等の襲撃によって壊滅、さらについ今し方入った情報によると、世界各地でほぼ同時にギャオスが出現したらしい。突然の事に各国はてんやわんやだそうだ。日本と比べれば出現数はまだ大分マシで、今のところは充分に対応可能だそうだが、いかんせんギャオスは次から次へと湧いて出てくる。その物量差を前に各国軍と防衛軍はどれくらい持ち堪えることが出来るか、考えても悲惨な答えしか出なかった。
 そんなギャオスよりも、未希は大島の噴煙を見上げながら、ゴジラの意識を追っていた。
 キングジョー、スーパーXU改、ガメラとの戦いの果てに海中に没したゴジラが死んだなどとはとても思えない。
 ゴジラは生きている。
 より強く、より深く、憎悪と憤怒を滾らせて、あらゆるものを滅ぼそうとする強大な意志によって、未希には目の前の海が沸騰しているかのようにさえ思えた。
 ギャオスは怖ろしい。人を襲い、喰らい、数え切れない群れで人類を攻め滅ぼそうとしている。だが、未希の中でゴジラが発する威圧感は、たった一匹で全てのギャオスを凌駕していた。
 星の怒りとやらに従って飛んでいるだけのギャオスとゴジラでは、感じる恐怖に差がありすぎる。ゴジラが抱く闇はそれこそこの星を脅かす程に強大なものだ。

 ――なのに、ゴジラを憎みきれないのは、どうしてなのか。

 未希にはわからない。ゴジラの意識を感じてしまうが故なのか、憎悪と憤怒の中に別の感情を垣間見てしまったせいなのか。
 わかるのは、ただゴジラの脈動のみ。
「……すぐにまた、甦る。ゴジラは……全てを、許さない」
 自らが望まぬままに、その存在自体を罪であると断ぜられた史上最大、最悪の忌み子。
 波が高い。
 未希は、暗い深海から響くゴジラの鳴き声を聞いた気がした。
 引きずり込まれそうな怨嗟の声は、耳を塞いでも、いつまでも水底から響き続けていた。





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〜to be Continued〜






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