episode-16
〜怪獣無法列島〜
Part 3 Rising Riot Rider


◆    ◆    ◆






「あっ」
「大丈夫ですか、琥珀殿」
 甲神島、地下洞窟。
 転びそうになった琥珀をドランガーがその大きな手で支えるのもこれで六度目だ。以前にも主人の秋葉から注意され、その後も何度となくこの洞窟を訪れる度に転びそうになっているのに、それでも琥珀は相も変わらず割烹着スタイルを貫き通している。必要な道具の全てが割烹着の各所へ潜ませてあるとは言え、これでは危なっかしくて仕方がない。
「たびたびすいません、ドランガーさん」
「いや、気になさらんでください。琥珀殿をお守りするのが今の俺の役目ですからな」
 ドランガーはそう言って豪快に笑った。ただ職務への忠実さだけからくる言葉なら嫌味にも感じようが、磊落な彼の気性がある種の親しみやすさを醸している。このような駆け引きを必要としない相手は琥珀個人としては非常に好ましかった。誰に対しても愛想はいいが、琥珀は根っこの部分で他人に対する好悪が激しい。どんな相手とも上手くやっていける自信はあれども、こうして行動を共にするなら好感の持てる相手の方がいいのは当然だ。
「やれやれ。そんな格好でこんなところを歩くからですよ」
 特に、嫌悪しか抱けないような相手を頼らなければならない現状では余計にだった。
「黙れ! 貴様、まだ自分の立場がわかっとらんようだな」
「ヒ、ヒィッ!? お、おおやめなさい! ……まったく、今ワタシを殺したところで困るのは貴方達ではないですか」
 ドランガーが大剣の柄に手をやり凄むと、久我峰は途端に顔色を変えてブツブツと何事か呟き始めた。ボサボサの頭にボロボロのスーツ、血色の良かった丸顔は見る影もなく窶れている。自業自得とは言え彼からしてみればこの凋落は全てヴァン=フェムの裏切りと秋葉に見捨てられたことが原因だ。そのヴァン=フェムの腹心たるドランガーと、秋葉の右腕たる琥珀に命を握られ言うことを聞かされているのだから、たまったものではない。
「そんなところで揉めていても仕方がない。先を急ごうじゃないか」
 何度同じやり取りを繰り返しているのか数えるのも馬鹿馬鹿しい三人に声をかけ、稗田はヒョイヒョイと身軽に洞窟を進んでいく。傍目にはとても頑健そうには見えない稗田だが、学者と言っても机に向かっているより実際にはこうして現地探索などフィールドワークに出向いている方が圧倒的に多い男だ。そのためスーツの下の肉体は相当鍛え込まれている。
「ほ、ほっほほ。稗田先生もああ仰っていますしね、先を急ごうではありませんか。人類には、時間がないのですから」
 久我峰の物言いに、流石の稗田も渋面を作った。どの口がそれを言うのだか、まったく神経を疑ってしまう。この男、見た目に反して聡明なのはわかるが今やその計算高さも狂いが生じ、捨て鉢になりすぎている感がある。
「くぅ……!」
 大剣から手を放し、忌々しそうに久我峰を睨み付けると、ドランガーは琥珀に気を遣いながら稗田の後に続いた。
 ドランガーにしてみれば、久我峰はヴァン=フェムを利用してのし上がろうとした身の程知らずの度し難い小者だ。しかもそれを逆に利用され捨てられた恨みと焦燥から、あろうことかゴジラを復活させた大罪人でもある。ドランガーの性格は武人のそれであり、久我峰のような策士タイプとは基本的に相容れない。
 手にした大盾の裏に仕込まれた大剣は、切れ味は鋭くないがドランガーの膂力で振るえば久我峰の豊満な肉体であっても容易く両断出来る。『何かあれば即座に斬って捨てよう』――出もしない鼻息も荒く、ドランガーは威圧的に歩を進めた。
「ドランガーさん、あまり気になさらず、急ぎましょう」
 それを見かねたのか、琥珀は努めて明るく言うとひょいひょい先へ急いだ。こうなると、ドランガーもそちらへ集中するしかなくなる。
 琥珀も策士タイプだが、相手への対応の仕方が久我峰とは決定的に異なっている。琥珀の場合、一歩退いて相手を立てようとする……これは秋葉やドランガーのように武侠的な面を持つ者とは相性がいい。対して久我峰のようにひたすら下手に出て取り入ろうとするやり方は、卑屈すぎて武侠者には鼻持ちならないのだ。この辺り、バルスキーやガッシュなら適当に受け流すことも出来るのだが、兵器としての側面が強いドランガーの感情回路は頑固で融通が利かず、軽く流すことが出来ないでいる。
「……ふぅ」
 ドランガーと久我峰とを交互に見やり、琥珀は小さく溜息を漏らした。久我峰を両断してやりたい欲求は無論琥珀にもある。人類への背信も許せないが、それ以上に秋葉のことだ。
 ガメラとシンクロしゴジラと戦った秋葉は、命に別状はないとは言え心身共に極度に消耗し倒れてしまった。その戦いの原因を作ったのは間違いなく久我峰であり、あの場に居合わせた琥珀には一歩間違えばそれこそ秋葉は命の全てを吸われてしまっていたのではないかという恐怖が焼きついてしまっている。稗田の調査に同行した理由も、そのためだ。
 琥珀も異能の血をひく女、『選ばれてしまった』というのがどういう事か、わからないはずもない。例えあの勾玉を物理的に秋葉から引き離しても何も解決はしないだろう。なればこそ、ガメラについて調べるのは急務だった。
「それで、まだなのか?」
 琥珀の溜息を疲労のためと勘違いしたドランガーは、憮然として久我峰へと問うた。
「ほ、ほ。やれやれ、せっかちなロボットですね。もうすぐですよ」
 少々痩けた頬を歪ませ、久我峰が先を指差す。そこには左右に続く分かれ道があり、久我峰が示したのは左だった。
「そっちは行き止まりだったはずだが」
「いえいえ、よいのですよ稗田先生。そちらなのです。そちらの奥にこそこの甲神に伝わる伝説の真の姿がある。ほっほ。ワタシは、そう教わっております」
 殊更勿体つけた言い回しに、
「……フンッ」
 ドランガーがわざとらしく巨体を揺らして音を立てた。しかし優位な状況に調子を取り戻したのか、久我峰はその程度の脅し何するものぞとばかりに稗田を追い抜いて先頭に立った。
「甲上も、ほとほと閉鎖的な家ではありましたが時折他所から“血筋”を迎え入れることもあれば、また出すこともありました。異能の血を引く者が常に抱える問題ですな。血を濃く残したくはあっても、濃すぎては結局は自壊する。……紅赤朱のように」
 表情も変えず聞きながら、琥珀はよく回る舌だと呆れかえる反面、注意深く久我峰を推し量った。
 秋葉に対する憎しみを隠そうともしない様は、滑稽なようだがそれだけでは終われない一念、不気味さを滲ませている。
「昨日も述べましたが、実はワタシの曾祖母にあたる女性が甲上の方でして。その縁からワタシは甲神の玄武についても独自に調べておりました。残念ながら、婆羅陀巍山神と比べ記録が少なすぎて存在を立証するのが非常に困難でしたので……まぁ、それが幸いしたワケですが。まさか玄武の正体が斯様に強大な力を持つ怪獣であったとは。ほ、ほほ。甲上の血を引く者として喜ばしい限り」
 わざわざバランの部分を強調するのに悪びれた様子もない。
 昨日、飯泥棒としてドランガーにふんじばられた久我峰をさてどうしたものかと琥珀が判断しかねていると、彼は聞いてもいないのにベラベラとゴジラ復活から今まで自分の身に何があったのかを語り始めた。ゴリアテUもろともに乗船を放射熱線によって破壊され、沈みゆく船から放り出され救命ボートで脱出漂流すること数時間、一番近かったのは大島だが今大島に上陸してはどうなるかわからない。そこで久我峰は今の今までその存在など忘れていた曾祖母の出身地、かつて独自に調べたこともある甲神島に上陸、二日程を山中で過ごし様子を見ていたらしいのだが、なにしろ非常食すら満足に持ち出せなかった始末だ。
 空腹に耐えかね町に下りたはいいものの、当然ながらそこはもぬけのから。フラフラと彷徨い歩いて辿り着いたのは勝手知ったる甲上家の屋敷。玄武の実在を立証出来なかったことにより、血の繋がりはあってもとうに興味を失った対象だったがこのような危機的状況下にあってはそんなことは関係ない。そんなこんなで他の家と同様に食料を求めて飛び込んでみれば、テーブルの上には何故か御馳走が湯気を立てている。
 普段の久我峰であったならば、血が絶えた甲上が島の管理を遠野家に明け渡した事を思い出し御馳走の正体を看破出来たかも知れない。が、野望は挫かれ死線を彷徨い、心身共に疲弊しきった状態では聡明な彼の腹部も弱々しい音を鳴らすのみ。
「まったく、運命とは不可思議なものです。或いは……ワタシの中に流れる血が、ワタシをここに導いたのかも知れません。ならばその運命に従ってみるもまた一興。ですから――」
「はっ! 御託はいい、御託は。さっさと案内せんか!」
「……本当にうすらデカイだけでせっかちな方ですねぇ。そう焦らずとももうじきですよ。稗田先生はこの先の行き止まりに何があったか、ご存じでしょう?」
 無論、稗田は知っている。
「結構大きな広間に、巨大な壁画があったはずだ。玄武――ガメラが描かれたものがね。まだ何かありそうではあったんだが、結局何も見つからなかった」
 そう言う稗田の顔を、琥珀はドランガーをなだめながら横目でチラと見たが、彼もなかなかに真意を悟らせない男だ。一瞥しただけで窺い知れることなど何も無く、よくもまぁ自分も含めて腹芸の達者な者が集まったものだと琥珀は苦笑した。だから余計にドランガーに好感が持てるのかも知れない。
「そう、その壁画です。ワタシの調べによるとですな、壁画には仕掛けがあり、然るべき尊い血筋の者が触れることによって地下神殿への道が開くとのことで――」
「なんだ、必要なのが血だけならば、我が剣に貴様の血糊をベットリつけてやれば済む話ではないか」
 ドランガーが再び剣の柄に手をやった。その鉄面には表情の変化など勿論無いのだが、それでもほくそ笑んでいるように見えるのだから不思議なものだ。
「それもそうですねぇ」
 琥珀も名案だとばかりにわざとらしく手をポンと叩く。
 しまった、と渋面を作ったのは久我峰だ。血の封印、と言っても調べた限りこの島にあるそれは魔術的なものではなく、遺伝子情報を読みとる形式のどちらかと言えば科学的な仕掛けなので、ドランガーの言う通り剣に付着した血でも開く可能性は高い。どうしてそんなセキュリティ的に中途半端な仕掛けにしたのかと文句の一つも言ってやりたいが、甲上の祖達にとってはそれが残された精一杯の技術だったのだろう。何しろトラフィム達の数千年にわたる調査でもほとんどそんな文明が存在した痕跡すら見つけ出すことが出来なかった程にノンマルトの文明は破壊し尽くされてしまっている。
「い、いいいけません! 血だけではダメなのです、生体反応を探知する仕掛けのようですから、ワタシが死んでしまっては壁画の先へ進むことは出来ませんよ!?」
「むぅ。癪だが生かしておいてやるしかなさそうだな」
 冗談とも本気ともつかないドランガーの口調だったが、久我峰もここで退いてなるものかと必死に虚勢を張った。が、その虚勢を見られただけでも琥珀とドランガーは幾分か溜飲が下がる思いだ。
「さぁ、血生臭い話はお終いにしよう。壁画が見えてきたぞ」
 一人我関せずと前方を見つめていた稗田が、それでも僅かに笑いを噛み殺した声を発し懐中電灯で先を照らすと、そこは通路よりもかなり広い空間になっているらしかった。
「あれが壁画……でしょうか」
 眉間に皺を寄せ、琥珀は広間の壁を見やった。なるほど、そこにはぼんやりとあのガメラのシルエットが浮かび上がっている。
「もっと照らしましょう」
 ドランガーの頭部に備え付けられたサーチライトが広間全体を照らした。壁画がハッキリとその姿を晒す。
「ほ〜。雄大にして、雄壮。まさしく人類の、いや甲上の守り手に相応しい威容ですな」
 言うが早いか、小躍りするように久我峰は壁画へと近付いていった。続いて稗田、琥珀、ドランガーの順に、まるで壁画に圧倒されたかのようにゆっくりと歩を進めていく。
「……本当に、大きいですね」
 誰にともなく琥珀は呟いていた。
「この島は、こんなにも小さいのに」
 滅び、沈みゆく大陸から逃れ、新たに地上を支配するようになった現行の人類からは畏れ疎まれながら、この巨大な壁画を前に甲神の人々は何を想ったのだろう。
 琥珀は正直自分の身体に流れる巫淨の血に対する思い入れは薄い。元々分家筋、それも今や没落した家だ。禁を破り、没落の原因を作った母の人生に思い馳せることはあっても、琥珀にとって重要な血の繋がりは幼い頃からずっと妹の翡翠へと向けられていたし、紆余曲折を経てそこに秋葉と志貴を加えたのが今の琥珀にとって家族と呼べる存在となっている。
 だから余計に考えてしまうのだ。この壁画の意味を。
「それでも彼らは隠れ潜み、鬼と呼ばれようとも現代まであの勾玉を始め様々なものを遺してくれたんだ。なら、我々はそこから出来る限りの真実を拾い集めなければならない」
 古代人が遺した大いなる遺産の数々をこれまでに見続けてきた稗田は感傷的な言葉を口にしつつも、その足取りに迷いのようなものは少なくとも琥珀には見て取れなかった。
「さぁ、開けますよ!」
 久我峰が大喜びで壁画に触れようとしている。
 醜悪、と思う。
 単純な外見への好悪ではない。琥珀は別に自分をそれほど面食いだとは思わないし、外面だけで人を判断することの愚かさなどよく知っている。醜悪なのは久我峰の肥えた肉体でもなければ歪んだ笑顔でもなく、彼が感じさせる人間性のようなものだった。
 大きな壁画だが、実物のガメラとは比べるべくもない。だからこその久我峰の矮小さが、そのまま現行の人類そのものであるかのようで琥珀は陰鬱な気分にさせられるのだ。
 久我峰の手が、壁画へと伸ばされる。
 触れる、と思った瞬間、
「あっ」
 琥珀は思わず声をあげていた。
「……なんです? どうかしましたか?」
 あからさまに不満そうな顔で久我峰に睨まれたが、何より驚いていたのは琥珀自身だった。
「いえ、なんでもありま……せん」
「ふん。ならそんな声出さないでもらいたいですな。せっかくの歴史的瞬間を邪魔されてはたまったものでは――」
「貴様、なんだその物言いはッ!」
「ヒィッ!?」
 百戦錬磨のドランガーの一喝に、不意をつかれた形となった久我峰は虚勢を張るのも忘れて後退ってしまった。見れば、その手が壁画へと触れてしまっている。
「……おあっ!?」
 情けない声とともに、己の手と壁画を交互に目をやり、久我峰はその場にストンと気が抜けたように座り込んでしまった。
「なんとも、お粗末な歴史的瞬間だな」
 クックッと稗田と琥珀が笑いを噛み殺す。
 ドランガーもさもおかしいとばかりに巨体を揺らし、その度に照明が上下するものだから久我峰は一層自分がコケにされているかのように感じ顔を紅潮させた。
「く、こ、こ、こ、この……ッ」
 わなわなと全身を震わせ、久我峰が立ち上がろうとしたその時、
「きゃっ!」
「おおぅ!」
 広間が大きく揺れ始めた。
 地震の揺れ方ではない。震源は明らかに壁画だ。壁画を中心として広間全体が不気味に鳴動している。ドランガーが本体だけで450kgもあるその重量でもってしっかと仁王立ちし、琥珀と稗田の身体を支えた。元より頭部に備え付けられた大砲の反動にも耐えられるよう作られている身体は、この程度の揺れならどうということもない。
「ぬぅ、稗田殿、壁画が……!」
 三人が見守る中、背中を丸めて縮こまる久我峰の背後で壁画がゆっくりと真ん中から割れていく。
 稗田はその光景に、かつて見た異界の姿を幻視していた。比留子の里で見たヒルコ達がざわめく地の底や、大鳥町の鳥居越しに見た荒涼とした世界、さらには生命の木事件の時に“はなれ”で見たあの“いんへるの”のような、独特の臭いを感じたのだ。
 ――ここから先は自分の領分だ――
 そう否応なしに感じさせる淀んだ空気が、黒い探究者の身体を包み込んでいた。
「稗田先生」
「ん?」
「なんだか、嬉しそうですね」
 琥珀の指摘はあながち間違いではない。
「そう……だな。そうかもしれない」
 探究者としての稗田は、人類存亡の危機であるにもかかわらずこの一連の事件に対し喩えようのない喜びのようなものを感じていた。自分が今までに追い続けてきた闇の世界の正体についに触れることが出来るのではないかと、その想いがこうやって稗田を突き動かしている。
「先生は……不思議な方、ですね」
「不思議か。まぁ、変わり者とはよく言われるが」
「そうですね〜。この状況で怖れるどころか嬉しそうにするだなんて、変わり者以外の何者でもないですよ」
「ワッハッハ、まったくですな。余程気骨のある武芸者でもなかなかそうはいきませんぞ」
「……ふむ」
 怖れはない。ただ、知りたかった。
 あのガメラが、ギャオスが、どこから来てどこへいくのか。地球の意思とは果たして如何なるものなのか、本当に人類を滅ぼすつもりなのか、滅ぼして後、この星をどうするのか……
 それに自分には戦う術など無い。こうして調べることでしか、迫り来る滅びに抗う術がないのだ。
 万事につけて達観しているよう見える稗田でも、そう易々と滅びを享受するつもりはない。探求心とは別に、現状をなんとしても打開せねばという気持ちは勿論、ある。
「さぁ皆さん、行きますよぉっ!」
 ようやく揺れがおさまった途端、久我峰は立ち上がって壁画の向こうへ行かんと手振りした。まるでその向こうにあるのは自らの栄光そのものだとでも言わんばかりに。
「いっそ奴だけ先へ進ませてみますか? カナリヤ程度には役立つかも知れませんぞ」
 ドランガー、どうやら本気で久我峰が鬱陶しくて仕方がないのだろう。かつて炭坑を掘り進む際、有毒ガスや酸素濃度など異変を知らせるために炭坑夫達はカナリヤを鳥籠に入れ連れて行ったらしいが、久我峰を先行させてカナリヤの代わりをさせてはどうかと言っているのだ。
 しかし――話を聞きながら、稗田は無言のまま久我峰の恰幅のいい身体を見て眉を顰めた。あれでカナリヤ扱いというのはいくらなんでも無理がありすぎる。よくてガチョウだ。
「ナイスアイデア! ……と言いたいところですけど、もう少しだけ待ってもらえませんか?」
 出来ることなら琥珀もここらで久我峰と永別してしまいたいのは山々だったが、まだ彼には聞かなければならないことがいくらでもある。琥珀ですら調べきれなかった久我峰による使途不明金の行方など、ハッキリさせておかないと後々秋葉にとっての禍根となりかねない事が多すぎるのだ。
 久我峰という男、やはり相当に有能ではあるから困る。下手をすれば小さな国くらい買えてしまうだけの金を注ぎ込み、しかし何に注ぎ込んだのかがわからないのだが、そこにはあのゴリアテUの予算なども含まれているに違いない。
 いっそ聞き出せることを全て聞きだした上で、何もかもに決着がついたらその後で公正な裁判にかけるというのもいいだろう。
 そんなことを考えながら、琥珀は稗田、ドランガーと並んで壁画の向こうへと歩を進めた。奇妙な冷気を感じつつ……いや、これは障気と呼んだ方が正しいのかも知れない。稗田に言わせれば、まさしく異界の空気だろう。
 ゾクリ、と。
 首筋が総毛立った。自然、笑みも消える。
 喉を鳴らしたのは自分だったのか、稗田だったのか。まさかにドランガーではあるまいなどと必死に自身の心を和らげようと試みるが、琥珀と言えどもそれには無理があった。
 全身の震えが止まらない。
 そしてその震え――直感は何一つ間違っていなかったことを琥珀はほんの数分後に知ることとなる。
 自分達の足音だけが響く闇の中を進みながら、琥珀は自らの身体が瞬きすらし忘れていることに気付いてはいなかった。





◆    ◆    ◆






 時間の流れがひどく緩慢だった。
 正直、何をどう話せばいいのかがわからない。秋葉は志貴の顔を正面に見据えながら、話したいことも話さなければならないことも山のようにあるはずなのに、どうにも切り出せずにいた。それは志貴の隣に立つ翡翠も同じだ。
 確かに、話しづらいことではある。ガメラという怪獣とシンクロし、あのゴジラと戦ったという荒唐無稽な、しかし事実であるが故に説明を躊躇してしまう。が、切り出せずにいたのには別に理由があった。
「……ん? どうかしたか、秋葉」
 兄の声はひどく優しくて、どこか空虚だ。
「い、いえ。なんでもありません」
 空虚の原因は、無力感か、それとも挫折感なのか。
 シオンが部屋を去った後、秋葉は改めて翡翠に志貴のことを尋ねていた。目が覚めてから真っ先にその安否を確かめてはいたものの、無事だと聞かされた安心感と、直後に訪れたシオンとのガメラに関する話のせいで詳しくは聞けずにいたのだ。
 翡翠は饒舌ではないが、決して無感情ではない。ただ簡潔に告げられた『志貴の恋人であるアルクェイド・ブリュンスタッドが連れ去られた』という事実には、その事で彼が果たしてどのような状況、状態にあるのかが切々と込められていた。
 志貴という人物は、表向きは余人に時々の感情をそれと悟らせるタイプではない。だが秋葉も、そして翡翠も彼の家族だ。顔を、目を見て、声を聞けば内面の揺らぎがわからぬ道理がない。
 恋人を連れ去られ、親しい人々が暮らす町から這々の体で逃げ出し、かつてない敗北をも味わってもなお平静を保っていられる心力には驚嘆すべきだろうが、だからこそ痛ましく、そして志貴にそんな感情を抱かせる女のことが妬ましい。
 秋葉はアルクェイドのことが好きではなかった。それどころか嫌っていたと言っていい。ずっと待ち続けていた兄を横からかっさらっていった泥棒猫――それが秋葉の言い分であり、常々その言い分のままに振る舞い接してきた。
 が、好きでなくとも、嫌いであっても、その存在を認めていなかったわけではないのだ。自分では埋めることの出来ない穴を、兄の中の虚ろを埋められる相手として、妬ましくとも憎らしくとも、渋々ながら認めずにはいられない相手――それが秋葉にとってのアルクェイド・ブリュンスタッドという女だった。
「あ、あの……っ!」
「ん?」
 何度目だろう。
 切り出そうとして結局何も言葉が出てこない。翡翠も同様だろう。
「……まったく」
 いい加減、そんな二人の様子に逆に居たたまれなくなったのか志貴は薄く笑うと、右手を上げてヒラヒラと軽く振って見せた。
「兄さん?」
「志貴さま……」
「大丈夫だよ、俺は。だから二人とも、そんな顔しないでくれ」
 強がりかと、秋葉は最初そう思った。自分達にこれ以上の心配をかけまいとする実に兄らしい配慮だと……しかしそれが間違いだと気付くまでに要した時間は短かった。
「俺は、まだ何も諦めていないから」
 強がりでも、空元気でもない。
 空虚だ。相も変わらず空虚だが、よくよく見ればそこには深みが、覚悟を決めた上での達観がある。
 だから、静かだけれど力強い言葉だった。
「この国が、地球が、今どんなことになってるのか……聞いたよ。お前が大変だったことも。でも、おかげでわかった事もある」
「わかったこと、ですか?」
 ナルバレック、そしてリタから聞かされた話。彼女達にもまだ確証はない。それでも、志貴には自分が何をするべきなのか朧気ながら見えている。
「ああ。アルクェイドを連れ去ったのがアイツの姉にあたる人物で、その人が今回の戦いの中心……少なくとも限りなくそこに近い位置にいるらしいってことが。なら、アルクェイドも――」
「この戦いの中心にいる、と?」
 コクリ、と頷き、志貴は瞼を閉じた。
 自分は無力だ。瞼の下に万物を殺す眼を持ちながら、守りたい、守るべき女一人守れなかった。が、一度守れなかったからと言って、相手がいかに強大だからとてそのまま諦めることなど出来ようはずがない。
 それ程の相手だ。
 遠野志貴にとって、アルクェイド・ブリュンスタッドとは全てを懸けるに値する存在なのだから。
「だから……ごめんな、秋葉」
 不意に、志貴はそう言って頭を深々と下げた。
「な、何ですか、突然?」
 意図が読めない。兄の性格と鈍感さから、この謝罪が秋葉の想いに対する今さらな解答であるとは考えにくいが、下げられたままの頭を見下ろしてみてもどうにもわからない。
 と、下げた時と同様に不意に頭を上げると、志貴は申し訳なさそうな微笑を浮かべたまま、
「いや、そのな。多分、これから凄く心配をかけると思うから」
 言って、ゆっくりと目を開けた。
(……あ)
 吸い込まれそうな蒼だった。
 志貴の眼、直死の魔眼と呼ばれるそれが異能を全開とした時に発言する蒼眼が秋葉を射抜いていた。しかしそこには殺意の欠片も感じられない。
 そして、それは一瞬。
「え? ……あ、え?」
 瞬きをした後には、眼の色は元に戻っていた。
「どうかしたか?」
「いえ、その……」
 気のせい……だったのだろうか。
 死神の蒼眼は、完全に黒い眼に隠れてしまっている。
「まぁ、だから一応前もって謝っておくよ」
 要するに止めるなと言うことか。
 やるせない気持ちに、秋葉は渋面を作った。確かに止めたいのは山々だったが、こんな顔をされては止められるものか。そもそも、止まってくれる志貴でないことはとうに承知している。
「……兄さん」
 今回だけは、絶対に止められない。
 だから――
「一つだけ、聞いてもらえますか?」
 これだけは、言っておきたい、言っておくべき事がある。どうしても。聞き入れられないなら、無理矢理にでも志貴を止めるだけだ。元より単純な戦闘能力で比較すれば秋葉のそれは志貴よりも数段上にある。互いに相手のスペックを知り得た上での戦いとなれば、消耗した今の状態であっても志貴をほぼ無傷のまま無力化することとて秋葉には不可能ではない。
「無茶はするな、ってか?」
「それもあります。けど、別のことです」
 無茶をして欲しくないだなんて当たり前だ。
 あまり力が籠もらないまでも拳を握り、秋葉は懇願するように兄を見つめ、言った。
「……私も、戦います。兄さんが戦いの中心へ向かうのなら、私も一緒に行かせてください」
「秋葉――」
「止めても無駄ですよ? 私も、兄さんを止めないんですから」
 心は完全に兄の意向を認めたわけではない。だが、秋葉は考える。ガメラは何故自分とシンクロしてくれたのか。それは秋葉の『守りたい』という気持ちに共鳴してくれたからだ。では秋葉が一番守りたかった相手は誰か。
 改めて確認する。
 今さらな、本当に今さらな事。
「それに――」
 さらに言いたいことは山のようにあるのだ。秋葉は不敵な――実に遠野秋葉的な面相を見せると、ベッドからズイッと身を乗り出した。
「それに、兄さん、私とこうしてまともに話すのが一体何日ぶりなのか、わかってますか?」
「……へ?」
 突然の質問に志貴が目を白黒させる。その様に平時通りの空気を感じ、秋葉は自然口の端を緩めた。翡翠も最初こそ呆気に取られたようだが、瞬時に目元が柔らかくなっている。問いつめる秋葉に狼狽する志貴、見守る翡翠と――あとは琥珀さえいれば完璧に遠野邸のいつものやり取りだ。
「アルクェイドさんが倒れられてからというもの、兄さんは寝ても覚めてもそちらにかかりっきりで……まぁ病気だから仕方なかったとは言え、琥珀と翡翠がどれだけ気に病んでいたか」
 一番志貴のことを気にしていたのが誰かなど、言うまでもない。
「いや、でもそれは――」
「ですからっ!」
 志貴の言葉を遮り、秋葉は憤然と……その反面、少しばかり照れが入った口調で宣言した。
「ですから、私はあのあーぱー吸血鬼になんとしても文句を言いたい……言わなければならないんです」
 アルクェイドに対して思うところはまだまだ幾らでもある。彼女の全てを認め、笑顔で兄を譲り渡し祝福の言葉をかけるなど真っ平ごめんだ。が、それでも秋葉が秋葉である限り、どうするかなんて決まり切っていた。
「秋葉……」
 逡巡し、志貴は困ったように妹を見た。まったくなんて妹だろう。
 ガメラとの件は聞いている。詳細は不明ながら秋葉は大怪獣ガメラに選ばれ、志貴にその事を説明してくれた琥珀は今ガメラについて甲神島で調査の真っ最中だった。もし秋葉とガメラが完全にシンクロし、その力を自在に行使出来るようになればこの戦いでの切り札ともなりえるのだ。それでも戦って欲しくないと思うのは兄としては当然のエゴだろう。なのにこの妹は、兄のエゴなど欠片も聞く耳持ってはくれないらしい。
 頑固で、強気で、完璧主義で。本当は脆い部分だって年相応にあるくせに、この妹はそれでも一度こうと決めたら決して退き下がらない。結局、自分と似ているのだなと志貴は思わず苦笑した。
「何を笑ってるんです」
「いや……まぁ、その、なんだ」
 しどろもどろになりながら志貴は視線を巡らせ、その途中で翡翠と目が合った。彼女には志貴がどうして笑ったのか、何となく察しがついたのだろう。『そんなの、当たり前です』とでも言いたげに能面を保っている。どうやら助けてはくれないようだ。
「……お前は、本当に良く出来た妹だなって」
「何を今さら。見え透いたおべっかでは誤魔化されませんよ」
「そうだな。じゃあ次までにもっと良いのを考えておくよ」
「もうっ」
 穏やかな空気に、志貴の覚悟も新たとなる。
 人類を守るのも大切だが、それのみを目的に戦うなんて自分には出来ない。らしくない。
 正義のためになんて、ガラじゃない。
 秋葉も、きっと同じだろう。
「秋葉」
「なんです?」
 なら、これは仕方があるまい。
 深呼吸し、一拍置いてから志貴は真剣な眼差しで妹を射た。
「……すまん。一緒に戦ってくれるか?」
 それが迷いの果てに導き出された志貴の答えだった。
 が、秋葉には不満だったらしい。乗り出していた上半身を戻し、腕を組んでむくれてみせる。
「まったく……謝らないでください。謝ってもらう理由がありません。私は、私自身の意思で戦うと決めたんですから」
 何とも頼もしい言葉だった。

 ――と。

 会話が一段落し、沈黙がおりてから数呼吸、
「誰か、来たかな?」
 まるでその途切れるタイミングを見計らったかのように、扉をノックする音が室内に響いた。
 コンッ、コンッ、コンッと三回。適度な間を置いた、几帳面さが窺い知れるノックだ。
「誰だろう?」
 そう言って首を傾げる志貴に対し、秋葉はシオンが戻ってきたのだろうかとも思ったが、先程の別れ際の会話を思い出してそれはないだろうと考え直した。シオン以外には……そもそもずっと眠っていた秋葉にはここに誰がいて、その中で自分達を訪ねてくる人物は誰かなんて想像のしようがない。
「はい、どうぞ」
 秋葉が声をかけると、ゆっくりとドアが開いていった。
「すまないが、失礼させていただくよ」
 会釈しながら入ってきた人物に、秋葉は見覚えがあった。丁寧な物腰の老紳士だ。しかし、どこかで会ったような気はするのだがそれがどこだったのか思い出せない。
 志貴と翡翠は、おそらくは秋葉が眠っている間にでも面識があったのか軽く会釈を返していた。
「トオノ・アキハ君。身体の調子はどうかね? 目を覚ましたと聞いて、挨拶をしておこうと思いこうして来てみたんだが……」
 やはり、会ったことがある。いったい何処で会った何者なのか、秋葉は必死に考えを巡らせ――
「わざわざすいません、ヴァン=フェムさん」
「いや、なに。むしろ今の今まで会議だなんだで遅くなってしまったが、シキ君にも用事があったのでね。ちょうど――」
「ああーーーーっ!」
 失礼にも紳士の顔を指差しながら、秋葉はらしくもなく大声を上げていた。見覚えがあるどころの話ではない。直接話した事こそほとんど無かったが、遠野家当主として参加した政財界の大物が集うパーティー等で何度か顔を合わせている。
 それに何より、新聞やテレビで日頃から見ている顔だ。
「ヴァ、ヴァンデルシュターム卿……っ」
「フ、フ。思い出してもらえたかな」
 ニヤリ、とヴァン=フェムはわざわざ含みのある老獪な笑みを作って見せた。先程までの好々爺然とした老紳士の様相ではなく、財界の魔王が見せる貌だ。最初からこちらを見せられていれば秋葉も即座に気付いていただろう。
「なんだ、秋葉。気付いてなかったのか? 知り合いだって聞いてたんだけど……」
「す、すみません……」
「はっは。いや、無理もない。ああいった社交の場でアキハ君に挨拶を求めてくる者は山程いる。私とて、有象無象の一人だろう。だが私は初めて会った時のこともハッキリ覚えているよ。父君に連れられて挨拶をしに来てくれた、可愛らしいお嬢さんのことを」
 公の場とは随分と雰囲気が違うものだ。
 財界の魔王ヴァンデルシュタームと言えば、その全てを圧する雰囲気に呑まれずまともに話すことすら困難と言われているのに。
 そう言えば、シオンもヴァン=フェムには公私ともに随分と世話になっていると言っていた。それどころか養子にならないかと持ちかけられたりもしたらしい。どちらがこの老吸血鬼の本当の顔なのか、考えてもさして意味など無いことなのだろうが、こうして面と向かい合ってみればなるほど、印象は悪くない。
「調子の方はどうかね?」
「お陰様で。お心遣い、感謝いたしますヴァンデルシュターム卿」
「そう畏まらずとも構わぬよ。今の私はヴァンデルシュタームと言うよりは魔城のヴァン=フェムとして来ている。つまりは、ただの老いぼれた吸血鬼ということだ」
 そう言われても、容易く心を許せる相手でないのも確かだ。老吸血鬼も承知の上なのか、それ以上は何も言わない。
 暫し無言の時間が流れる。どうやら、秋葉が考えを整理する時間をわざわざ取ってくれているようだ。
 長いようで短い時間が過ぎて後、ヴァン=フェムは秋葉の顔から次第に緊張がなりを潜めてきたのを感じ取ると、本来の用件を切り出した。
「それで、シキ君。それとアキハ君もだが、君達と縁深い人達の無事がほぼ確認できた。まだ全てとは言わないが、避難はあらかた完了しているようだ」
 その言葉に、秋葉は目を丸くした。志貴が頼んだのかと思い顔を覗き見てみたが、彼も同じように目を丸くしている。どうやら兄がヴァン=フェムに頼んだというわけではないらしい。では翡翠が、と言うわけでもないだろう。別に彼女が気の利かない女性だというのではなく、気の回し方が翡翠らしくない。では琥珀が頼んでおいてくれたのだろうか。
 だが、どうやらそれも違ったようだ。
「驚いているようだが……実はシオンに頼まれてな」
「シオンが……」
「だから気にすることはない。研究以外では滅多に私を頼ってはくれないのが、ああも真剣に頼まれては聞かずにはおれまいよ」
 まったく、気の回しすぎだ。
 兄に会わずに慌ただしく出ていった友人の愛想のない顔を思い浮かべて秋葉は苦笑した。
「あ……ありがとうございますッ」
 驚きからようやく我に返ったのか、志貴が深々と頭を下げる。秋葉も翡翠もそれに倣った。今回の件で果たしてどれだけの犠牲者が出たものか、なのに知り合いが無事だとわかっただけでこうして気が楽になるのだから、不謹慎極まりない。とは言えそこは割り切るしかない問題だろう。
「それに、協力者もいてくれたのでね。思いの外楽に調べはついたようだ」
「協力者?」
「三咲町や、あの周辺の地理に詳しい人物をシオンが紹介してくれたのだよ。君達とも知り合いだと聞いたが……」
 そこまで聞いて、志貴は『まさか』と呟いていた。
 自分達とシオンの共通の知己で、三咲町とその周辺に詳しく、壊滅状態にある東京で行動できるだけの力がある人物と言えば、その数は限られてくる。
 シエル……ではない。志貴がナルバレックから聞いた話では彼女は今この国にはいないはずだし、仮に帰国していても埋葬機関の一員を人捜しに使う余裕があるとは思えない。
 となると、残るは……
「誰のことなのかわかっているようで、話が早い」
 まず彼女のことで間違いあるまい。
 ズレかけていた眼鏡の位置を正し、志貴は短く深呼吸をすると神妙な面持ちでヴァン=フェムへと確認した。
「弓塚……弓塚さつき、ですか?」
 老吸血鬼が小さく頷く。
「うむ。それと、つい先程連絡があった。今は同じく君の友人であるイヌイ君と行動を共にしているそうだ」





◆    ◆    ◆






「有彦さん、何をそんなにムスッとしてるんですか?」
「……うるせぇ」
 腕組みし、眉間に皺を寄せ、不貞不貞しく不機嫌極まりない態度を隠そうともせずに有彦は隣に座るななこへ向かって一言そう吐き捨てた。
 ワゴン車の後部座席。左から有彦、ななこ、そして有彦の姉である一子の順に座っているのだが……もう一時間程、ななこは針のムシロに座らされているかのような気分を味わっていた。
 有彦はもうずっとこんな感じだし、一子もこちらから話をふらない限りまったく口をきこうとしない。無言の圧力がななこの全身をまるで押し潰そうとでもするかのようにのし掛かってくる。
 別に、有彦的には不機嫌なつもりはないのだ。ただ納得のいかないことだらけで、自分がまるで蚊帳の外な気がしてどうにも癪なだけで。
「もう、ずっとそんな感じじゃないですか。ねぇ? 一子さん」
 改めて一子にそうふってみるも、こっちはこっちで火のついてないトレードマークの銜え煙草をモゴモゴしつつ外の景色をボンヤリ眺めている。
 どうして煙草なんてモゴモゴしてるのかと思いよく見てみると……煙草ではなくシガレットチョコらしかった。
「……食べる?」
「いや、そーではなくですねぇ……」
 差し出されたチョコを遠慮し、ななこは蹄を忙しなく動かしながら有彦と一子の顔を交互に見比べた。正直実体化を解いてこの場から逃げ出したい。
「放っときな、ななちゃん。どうせすぐおさまるよ」
 一子はそう言うと、再び外の景色に目を向けた。
 仮にも一子は有彦の姉で、保護者という立場にある。弟が一体何に腹を立てているのかなんてまるわかりだ。その上で、こんな時の有彦は放っておくに限る。
「……ケッ」
 姉に見透かされてるようなのが気に食わないのか、有彦はわざとらしく再び吐き捨てると視線を前方、助手席へと向けた。そこではほんの二年前までよく目にしていたはずの両サイドに結われた髪が、走行の振動に合わせて小刻みに揺れている。
 助手席で地図を広げ、カーナビの画面と見比べながら運転手に道を指示している少女の名前は弓塚さつき。有彦にとってそれなりに親しい友人だったはずの少女だ。
 そう――そのはず、だった。



 再会は劇的と言わざるをえなかったろう。
 壊滅した東京で、化け物の残骸に囲まれながら、二年ぶりに友人同士が出会ったのだ。それも少女の方は行方から安否から何一つ知れなかったのだから、有彦は本気で幻、蜃気楼でも見たかのような気分だった。
 だから彼女――さつきが本物だとわかり、本当に嬉しかったのだ。なにせ彼女が蒸発したのはおよそ二年前、三咲町が謎の連続猟奇殺人事件やホテルでの大量殺戮事件で脅かされていた頃のこと。行方不明とは即ち死、それも異常犯による理不尽な死だと思わずにはいられなかった時期だったが故に……有彦は、さつきが生きていてくれたことが嬉しかった。
 が、生きていてくれたのだから、理由や事情はどうでもいいと切り捨てるには二年という時間は長すぎた。
 しかもさつきが伴っていたのは、公安直轄、首都治安維持のための特殊部隊……通称『首都警』と呼ばれる面々。さらには巨大な水晶の化け物を斬り裂いた、有彦の命の恩人たる銀狼の騎士までもが彼女の知己ときたものだ。
 ――果たして何も訊かずにいられる人間がいるだろうか。
 人間誰しも聞かれたくないことの一つや二つはあるだろう。乾有彦という男は敢えてそこに首を突っ込むような野暮は基本的にはしない男だ。とは言え、こればかりはいくらなんでも無理だった。

 一体今まで何処で何をしていたのか……無事なら何でそう教えてくれなかったのか……銀狼の騎士や首都警とはどんな関係なのか……どうして今頃学校の制服なんて着て歩いてるのか……もしかしてコスプレか?

 畳み掛けるような質問に、さつきは困ったように微笑むと、
『えーと……その、ゴメンね。詳しくは、言えないの。……あ、でもコスプレじゃないよ?』
 そうとだけ答えたのだった。



「……うん。後はこの通りを真っ直ぐ進めば大丈夫ですね」
 地図と睨めっこしていた顔を上げ、さつきはそう言うとフゥッと大きく息を吐いた。
 さつきが有彦に話してくれた数少ない事柄の一つ、『自分は今、都内やその近郊に取り残された人々の救出作戦に協力している』……運転手である首都警隊員を含めた五人――正確には四人と一個――を乗せたワゴンは、後続の大型バスや輸送車が交通可能なルートを確認するためにこうして先行している最中だった。
 本当なら有彦達もバスに乗るはずだったのだが、無理を言ってこうしてワゴンに乗り込んだ。理由は当然聞きたいことが山のようにあったからで、出発から十分程は息継ぎの間すら惜しんで質問を浴びせかけていた有彦だが、いっこうに答えてくれないさつきに対して徐々に表情が険悪になり、口数も減り、そうして今のこの状態に至ったというわけだ。
「それじゃ影山さん、後続に連絡を――」
「なぁ」
 運転手と打ち合わせをするさつきに、有彦は暫くぶりに声をかけた。これ以上ないくらい不機嫌そうな声で。おかげで、ななこがまたもビクリと肩を強張らせている。
「え? あ、乾くん……」
 さつきも隠し事ばかりで後ろめたいのか、振り返った顔には冴えない表情が浮かんでいる。
 沈黙、しか無かった。
 有彦はさつきを見据え、ななこはどうしたものかと慌てふためき、一子は我関せずとばかりにシガレットチョコを銜え……さつきは静かに目を伏せる。話せない以上、そうするしかないのだとでも言いたげに。そんな態度が有彦の不機嫌にさらに拍車をかける。
 この際、話してくれないことはもうどうでもよくなっているのだ。彼女なりの事情に首を突っ込むべきではないと、そのくらいわきまえている。だから気に入らないのはこの態度だった。話せないなら話せないで、それにしてもこの申し訳なさ一点張りの言うなれば他人行儀な様は二年ぶりだからというのを差し引いてもあまりにも友達甲斐が無いではないか。いつもの有彦ならそれすらさつきの性格だと割り切っていたかも知れないが、今回ばかりは一度に色々なことが重なりすぎていて有彦も冷静さを欠いている。
「あの……」
 そんな有彦の内心になどついぞ気付かず、心細げに声をかけるさつきはさつきで必死だったのだ。何しろ、今の彼女は人間ではないのだから。
 二年前、三咲町を震撼させた吸血鬼事件に巻き込まれ、吸血鬼と成り果ててしまったさつきにとって、有彦は人間だった頃の自分を、明るい世界を大手を振って歩いていた頃を思い出させる存在で、だからこそ彼に全て話す事なんて出来ないし、気付かれるのもごめんだった。
 そもそもシオンに頼まれた時点で、縁故の者と出くわす可能性くらい考慮に入れていたはずだったのだ。が、それがよりにもよって有彦だとは、自分はつくづく運がないのかも知れない。
 そんなことを考えながら、さつきが有彦へ続く言葉を投げかけようとした瞬間――
「ゆ、弓塚さん! 前を!」
 運転席から悲鳴に近い声があがる。
 そして、急ブレーキ。
「うぉっ!」
 元々、障害物だらけの道を、それも大型車が通れるルートを確認するために走っていただけあって速度は出していなかったので衝撃は少なくて済んだ。しかしシートベルトを締めていなかった有彦はそのまま助手席のシートに顔面から突っ込む形となる。
「あちゃー。だからちゃんとシートベルト絞めましょうよって言ったんですよぉ……」
 溜息混じりにななこが呟くが、後の祭だ。
「ぶ、ぶぶへぇ……」
 ちなみに、一子はちゃっかりシートベルトを締めていた。乗った当初は絞めていなかった気がするのだが、いつの間に絞めたものやらずっと隣に座っていたななこにもサッパリだ。
「……やばいわね」
「ふぇ?」
 鼻を押さえて踞る有彦を助け起こしながら、ななこは一子の呟きにふと顔を上げ、前方を見やった。
「……どうします、弓塚さん?」
「まさか……こんなところにまで……」
 さつきと運転手も、“それ”を凝視している。
 昆虫とも四足獣ともつかぬ不気味な異形。透き通った全身を軋ませながらワゴンに迫るのは、数体のクリスタル・レギオン。しかもよく見れば前方だけではない、数こそ多くはないが後方からも這い出てくる。
「囲まれてる……」
 連中に意思があるのかどうかなど考えたくもないが、逃げ道は塞がれていた。住民が避難しきった今、このワゴンは待ちかねていた絶好の獲物と言ったところか。
「やるしか、ない」
 そう言うと、運転手はフェイスヘルムをかぶり、右腕にアタッチメントを装着して車外に出た。だが多勢に無勢もいいところだ。首都警隊員の力がどれだけのものかは知らないが、レギオンを前に彼一人ではいかにも心細い。
「クソッ!」
「ちょっ、有彦さん!? そ、わたしの事なんて持ち出してまた何する気なんですか!?」
 第七聖典の入ったケースを後部トランクから引っ張り出して今にも飛び出しかねない有彦の身体にななこがしがみつく。まさかまたもや殴りかかる気なのではないかと――訂正。殴りかかる気満々だ。溜まりに溜まった鬱憤のせいでもはや殴らずにはいられなくなっているのだと見受けられる。ななこに言わせればいい迷惑だ。
「喧しい! 今度こそあいつらぶん殴って――」
「だから無茶ですよぉーーーーッ!」
 ななこの叫びも虚しく、後部扉が開け放たれる。
 相変わらず第七聖典は冗談のように重たい。全力で振り回そうものならこちらの身体がおかしくなりそうなくらいに。それでも有彦は振り回す気でいた。レギオンを全ての不条理に見立て、ぶん殴って粉砕する気でいた。
 いた……のに。
「待ちな」
「ウゴッ!?」
 後ろから、一子に思いっきり耳を引っ張られた。
「ガッ! な、何すんだテメ、一子!?」
「待てって言ってんだよ」
「いでぃでぃでぃでぃ!?」
 引きちぎらんばかりに、グイグイとさらに力が込められる。
 そうして弟の耳を引っ張る一方、一子は有彦とななこに「アレを見ろ」とでも言いたげに顎をしゃくって見せた。
「……あ?」
 レギオンに仕掛けようとしていた隊員の肩をさつきが掴んで、小さく頭を横に振っていた。ツインテールが左右に揺れる。
「弓塚?」
 なんのつもりだと、有彦がそう声をかける前に――
「……大丈夫、だよ」
 さつきの口から、呟きが漏れる。
 有彦から見えるのはツインテールのみ、さつきがどんな顔をしているのかは見えない。わからない。思わず第七聖典を取り落とし、腰にしがみついていたななこが「痛ッ!」と悲鳴をあげる。
 一子の手はいつの間にか有彦の耳を放していた。まだ痛みの残るその耳に、もう一度さつきの呟きが入った。
「大丈夫だよ、乾くん」
 ……と。





◆    ◆    ◆






「ユミヅカ君には、三咲町の案内の他にもう一つ、まぁこちらはついでなのだが頼み事をしていてね」
 パイプ椅子に腰掛け、翡翠が用意した茶で一服つきながら、ヴァン=フェムはそう言って話を続けた。
 シオンからの提案を受け、三咲町から少し離れた街で相も変わらぬ路上生活を送っていたさつきと連絡をとった事。彼女に公安と協力して逃げ遅れた人々の避難を助けてくれるよう依頼した事などを志貴達に説明していた。
「頼み事?」
「うむ。とある新型装備のデータ収集を……君達も知ってるとは思うが、彼女の吸血鬼としてのポテンシャルは相当なレベルだ。私もシオンから教えられた時は驚いたよ。もしかすると、もう何年か後には欠番となった二十七祖の一席に彼女の名が加わっている可能性もある。……ク、クク。ま、それは余談だが……で、ね」
 と言うことは吸血鬼用の装備なのだろうか。だが、志貴がそんな疑問を口にするより先にヴァン=フェムは「さて、余談ついでに少し話は逸れるが」と前置き、朗々と語り始めた。
「私がゴーレム……君達の言うところの魔術と、科学技術とを融合させ、いわゆるロボットのようなものを作り操る能力者であることは、知っているだろう?」
 無論、知っている。シオンから簡単な説明は受けているし、そもそも今こうして志貴達がいるのもヴァン=フェムが誇る第二魔城アイアンロックスの内部だ。
「だが私の専門はあくまで人形作り。ロボットのノウハウは……我がヴァンデルシュターム財団も世界最高水準の技術力を有しているという自負はあるが、それでもまだまだ上はいる。特にこの国の企業がロボットや人造人間開発にかける情熱は素晴らしい。遡れば二次大戦末期、鉄人計画のような巨大ロボット開発を始め、ジンラ號計画などの人造人間開発、超人機計画……だが、この辺は眉唾だ。中には成功したものもあるなどと言われているが、今では事実確認が取れるものなどほとんどありはしない。確実に知られているのはドイツとの共同で行われたフランケンシュタイン・クローン計画くらいか……あれにはアインツベルンなど魔術師も関係していたとされておるが、まぁ多くは都市伝説の類として一笑にふされているものばかりだ」
 聞いたことのあるものや、初めて聞くもの。志貴と秋葉、翡翠は時に顔を見合わせたりしながら、黙ってヴァン=フェムの話に耳を傾け続けていた。
「それで、そうだな。これは知っておるだろう。君達の国の、首都治安維持部隊……通称首都警と呼ばれる組織を」
「ああ、はい。そのくらいは」
 秋葉は当然として、歴史の授業で習うような内容でもないが、そのくらいの知識は志貴や翡翠も持ち得ている。
 二次大戦後、1954年の第一回ゴジラ襲撃は日本中に大混乱を巻き起こした。特に首都東京はゴジラによる直接被害もさることながら、復興のための強引な政策は経済の混乱を招き、治安は著しく低下。都内各所は半ばスラムと化し、その結果増加の一途を辿るテロや凶悪犯罪に対して政府は首都圏にその活動範囲を限定しつつ、独自の権限と強力な戦力を保有する公安直轄の実働部隊、首都警を創設することで対処した。中でもプロテクト・ギアと呼ばれる特殊強化服と重火器で武装した特機隊は圧倒的な暴力で犯罪者達を震え上がらせ、彼らを象徴するエンブレムとともにその名を人々の記憶に刻み込んだ。
 それこそが俗に言う地獄の番犬――ケルベロス――である。
「地獄の番犬ケルベロスとしてテロリスト達に怖れられた首都警のかつての主装備プロテクト・ギア。特殊強化装甲として防御面では恐るべき性能を発揮したが、その分機動力や汎用性に欠けてしまっていたその欠点を補うために、後年は装甲をオミットした軽量装備の開発が続けられていた。そして現在実装されているのが機動力を重視したゼクト・ギアと呼ばれるものだ。しかし火力は兎も角として、防御力の低下による総合戦闘力の頭打ち問題は依然として解決せぬまま、開発部は頭を悩ませ続け……その結果、スマートブレインと桐原コンツェルン――日本が誇る二大企業に我がヴァンデルシュターム財団も技術と資金を提供してようやく最新型のパワードスーツ、その試作品が完成した」
 ここまでくると話が大きくなりすぎて、志貴には理解できないと言うよりもそもそも実感の湧かない次元へと行き着いていた。スマートブレインも桐原コンツェルンも、この国で知らぬ者などいない大企業だ。しかし志貴が知っている限りではこの二社が有名なのは慈善事業への取り組みや環境問題への真摯な姿勢が主に取りざたされているからで、戦闘用のロボットや強化服の開発とはまったくイメージが結びつかない。
 だが、秋葉の方はその辺の、いわば大企業の裏の顔に関しても熟知しているのか、「なるほど」と時に呟きなども漏らしつつヴァン=フェムの話に聞き入っている。
「それで先程も少し話したが――この国が大戦末期に保持していた技術はどれも素晴らしい。特にプロテクト・ギア開発時にも装甲の参考とされた百二十四式特殊装甲兵ジンラ號……装着者を一から造る、もしくは改造すると言った発想は今のこの国の倫理上許されまいが、人工筋肉や人工血液による装着者の強化という点においてのみ言えば、埋もれていたその技術は大いに役立ってくれた」





◆    ◆    ◆












◆    ◆    ◆






 そうは言ったものの、実際には改造人間や人造人間の事も視野に入れて研究開発を推し進めていただろう事は、秋葉のような人間からしてみれば容易に想像がつく事だった。
 闇を排し、綺麗事だけで成し得ることなど高が知れている。ましてや数千年を生きる叡知がそのような……ありえない。
「つまり……誰が装備しても同じように高い性能を発揮できる強化服、ですか」
 だが敢えてその部分に触れるつもりもなかった。秋葉自身はそれに対し嫌悪感のようなものはないが、志貴や翡翠は別だろう。
 心遣いという程のものでもなかったが、ヴァン=フェムは感謝のつもりか一瞬秋葉へと目配せしてから話を続けた。
「そう。装着者に依らず、外部装備のみで誰が着けても圧倒的な性能を発揮する強化服は、間もなく真の完成を見るだろう」
「真の?」
 思わず志貴は疑問を口にしていた。
「じゃあ、まだ実際には完成してないんですか?」
「うむ。一つ大きな問題が残っておってね。例えば我々、吸血鬼などの肉体であれば強化に耐えられるのだが、生身の人間では急激な身体能力の向上に耐えきれないのだ。その問題さえクリアー出来れば完璧なのだが……」
 ヴァン=フェムの顔が悔しそうに歪む。
 あまり魔術師らしからぬ老人だが、こういった辺りは開発者的な、創造者としての面が垣間見える。雰囲気的には思考をフル回転させて計算中のシオンに似ていると言えなくもない。
 そんなものだから、
(養父養女の話もあながち的外れじゃないんじゃないかしら?)
 秋葉としても、何となくこう考えてしまう。
 もっとも、シオンのことだ。養父だ養女だという関係に若干の照れもあるのだろうが。
「だが、それは首都警用の新装備として考えた場合のことだ。現状、ギャオスやらレギオンやらを相手にするのなら、吸血鬼専用の強化装備として使用するには何ら問題はない」
 確かに、それはそうだ。
 テロ及び犯罪対策として首都警が使用する装備であるなら大問題でも、怪獣相手に吸血鬼が使用するのであればそんなことは関係がない。白翼公旗下の吸血鬼が果たしてどれだけいるのかは知らないが、最新のギアを装備した彼らは小型〜中型怪獣との戦闘では大いに活躍してくれるだろう。
「本音を言えばもう少し完成度を高めたくもあったのだがね。だがシキ君、君も見たのだろう? 英霊が……あろう事か伝説の英雄達が連中の先鋒として出張ってきたのを」
 頷くと同時に、ゴクリ、と志貴は喉を鳴らした。
 志貴が見た英霊は二人、アーサー王と、メドゥーサ。アーサーはあのリタとも互角以上に剣で渡り合い、メドゥーサは弱っていたとは言えあのアルクェイドを連れ去った猛者だ。
「アルトルージュがどれだけの英霊を使役しているのかはわからんが、現状、連中の動向がはっきり掴めない以上我らは常に後手回りだ。となると彼我の戦力差がありすぎる」
 白翼公の居城急襲のように、拠点を突然攻められた際の防備が英霊クラスが相手ではバカにならない。ヴァン=フェムの機兵軍団を全軍投入してもカバーしきるのは無理だ。その点、白翼公の精鋭にギアがうまく機能してくれさえすれば、一対一では勝負にならずともかろうじて総戦力的に上回ることが出来るかも知れない。
 現在、スマートブレイン、桐原コンツェルン、ヴァンデルシュタームの三大企業共同で急ピッチに新型ギアを生産しているが、必要数揃うには当然ながらまだ暫く時間がかかる。元々試験的に白翼公旗下の数部隊へ配備予定ではあったためそれなりの数は手元にあるが、その程度では足りなすぎるのだ。
 ……と。
「時にシキ君、アキハ君、ヒスイ君。また話は変わるが……」
 それまで難しい顔をしていたヴァン=フェムが一転、好々爺の面相を覗かせた。人当たりのいい紳士然とした佇まいに、場の緊張が途端に弛む。
「なんです?」
「いや。新型ギアの開発コードなんだが、なんだかわかるかね?」





◆    ◆    ◆






「……大丈夫だよ、乾くん」
「弓塚?」
 迫り来る数体のクリスタル・レギオンを前に、さつきは有彦達を庇うようにそのまま足を踏み出していた。その足取りはとても頼り甲斐のあるものとは言えない、か細い少女のものだ。有彦が知っている――二年前の弓塚さつきとなんら変わらないはずなのに……
「弓塚!」
 なのに、どうして歩いて行けるのか。
 歩いて、行くのか。
「あ、有彦さんダメですぅ!」
 思わず身を乗り出しかけた有彦の腕にななこがしがみつく。さらに、残った片腕は一子によってしっかと掴まれていた。
「ッ!? ななこ! 一子まで……」
「……有彦、落ち着きな」
「落ち着けって、何言ってんだ!? このままじゃ弓塚が――」
 言いかけて、有彦は口を噤んだ。
 姉の目が、驚愕に見開かれている。半開きになった口からはトレードマークの銜え煙草――今はシガレットチョコだが――も落ち、有彦の腕を掴みながら視線はさつきへ向けたまま外そうとしていない。
 どうしてだかはわからない。だが、直感とでも言おうか。
 一子は、さつきの身に何一つ危険を感じていなかった。
 小さな少女の身体が、あろうことか化け物へ向かって歩いていくのにまったく何も感じられない。感覚が麻痺してしまったとかではなく、一子の中の危機察知能力が警鐘を鳴らそうとしないのだ。
 それは第七聖典として数々の戦いを経験してきたななこも同様だった。ななこはさつきが人間ではない、吸血鬼であることをこの中で唯一知っているが、並の吸血鬼が撃破してのけられる程このクリスタル・レギオンの群れは容易な相手ではないはずだ。
 なのに、レギオンの前に立ったさつきの全身からはとても穏やかで静かな、凪いだ空気が漂っている。
「……なん、だ?」
 ここに至って有彦もそれに気がついていた。
 自信、のようなものとは違う。だが、さつきの纏っている空気は、二年前と変わらないようでいてどこか異なっているそれは、今、ゆっくりと激しくざわめき始めている。
 凪いだ空気に波がたった。
 静けさを破り、嵐が到来するかのような緊張感。
「大丈夫だよ、乾くん」
 もう一度、さつきは言い聞かせるように呟くと、ベストをお腹の上の辺りまで捲り上げた。
 そこにあったのは、まさに嵐の塊だった。





◆    ◆    ◆






 ヴァン=フェムの質問に、志貴達は三人それぞれ頭を捻り、顔をつきあわせた。
 新型ギアの開発コード……志貴も秋葉も翡翠も、そんなこと知っているわけがない。あるいは琥珀であれば三つの企業とも繋がりがあるし、詳細不明の超個人的な情報網もあるので知っていたかもしれないが志貴達には当然そんな繋がりも情報網もない。
「まぁ、わからなくて当然だ。一応、機密ではあるのでな」
 勿体ぶった言い回しに、三人は再び顔をつきあわせた。その様子に満足したのか、ヴァン=フェムが答えを述べていく。
「ちなみに開発コードは『RS』……Sはシステムの頭文字だ。開発中は『ライオット・ギア・システム』、もしくは『ライオトルーパー・システム』と呼ばれていたがね」
「ライオット……なんだか物騒な名前ですね」
 秋葉が微かに眉を顰めながら感想を述べた。その隣で、志貴が恥ずかしながらライオットの意味がわからずポカンとしていたのは余談だ。翡翠の方は意味を知っているのかいないのか表情からは読みとれない。
「元の目的である争乱鎮圧にちなんでそうつけたんだが、まぁ響きは確かに物騒かもしれんな。ふむ。だが安心したまえ、アキハ君。それらはあくまで開発中の呼称だ。実際には違う名で呼ぶことになるだろう」
「違う名?」
 ヴァン=フェムの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「そう――怪獣と、そして英霊と戦う者として相応しい名で、な」





◆    ◆    ◆






 さつきの腰に巻かれた嵐の塊が、大気を震わす。
 有彦も一子も、そしてななこもただ茫然とその様子を見守るしか出来なかった。別に風など吹いてはいない。視界の中で、草も花も揺れているものなんて何一つ無い。

 ――では、揺れているのはなんだ?

 揺らめきながら掲げられたのは、さつきの細腕だった。
 左上方へと真っ直ぐ、迷い無く突き出された右手は鋭い手刀の形に。腰だめに構えられた左手は固く拳を作って。
 瞬きも忘れて、有彦はその光景に見入っていた。見入らずにはいられなかった。
 よく知っているはずの少女が――いや、知っていたはずの少女から垣間見える力の流れが、今、右腕でゆっくりと虚空に半円を描いていく。
 さつきの唇が小さく震え、紡ぎ出される言葉は短く。

「変――」

 ベルトから漏れ出す光が、クリスタル・レギオンの群れと有彦達を照らす。
 右腕が瞬時に腰へと引かれ、左手が新たに突き出され――

「――身ッ」

 光の嵐とともに、少女の姿が、変わる。





◆    ◆    ◆












◆    ◆    ◆






 そして、老吸血鬼の口からの静かな問いが紡ぎ出される。



「君達は、“仮面ライダー”と言う名を、聞いたことがあるだろう?」








〜to be Continued〜






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