episode-18
〜聖杯大戦争〜
Part 4 Rise


◆    ◆    ◆






「ぜやぁっ!」
 魔戒剣が黒い獣の群れをまるで紙のように切り裂いていく。
 鎧を纏っていられる制限時間は過ぎたが、そもそも生身の状態であっても零の戦闘力は常軌を逸している。ネロ・カオスの使役する彼自身たる獣の群れなど、一山幾らの雑魚犬に過ぎない。
 しかし如何せん、
「クソッ、どんだけいるんだよ!?」
 数が多すぎた。
 斬っても斬っても溢れ出してくる獣達。物量戦にはホラー相手に慣れている零であっても、骨が折れるどころの話ではなかった。
「さつき、有彦!」
 手当たり次第に斬り伏せつつ、零はこの冬木に共に突入してきた二人の男女の名を呼んだ。彼ら――特にさつきの力は強力無比であり、この程度の連中に苦戦するはずはない。けれど問題はこいつらよりも、大地を割って現れた巨大なアリジゴクの方だった。
「あんな大怪獣の相手だけは……いくら俺でも無理だからな」
『向かっていこうだなんてバカしようものなら本気で怒るわよ』
 シルヴァに怒られるまでもなく、百戦錬磨の魔戒騎士である零は勇気と無謀を履き違えるような愚者ではない。
「二人と、他に応戦してるのは空路での突入組に現地の魔術師かな? ああ、クソッ、混戦しすぎだぜ」
『喚かないの。ほら、右よ!』
「見えてるよ!」
 右の魔戒剣で一突き、ヒヒのような影が額を貫かれ消え去る。
「ん、そっちか!」
 脚を狙ってきた蛇やムカデを文字通り蹴散らし、零はようやくさつきや有彦のものらしい戦闘音を聞いた。
『まだまだ元気なようね』
「この程度でやられてちゃ、仮面ライダーとは言えな――うぉ!?」
 咄嗟に跳んだ零の足下を鋭く穿つ戦斧の一撃。放ったのは暗黒の鎧を纏った狼頭の重騎士。
「貴様、バラゴ!」
「……」
 無言のまま、長大なポールアックスを軽々と振るう。
「しつっこいんだよ!」
『零、鎧を纏わないで勝てる相手じゃないわ!』
「わかってる!」
 獣達に足止めされているうちにまんまと追いつかれてしまったことを悔いながら、零はさつきと有彦が戦っている方向へと全速力で駆けだした。単純なスピードなら自分に分がある。呀も鈍重ではないが、分類するなら間違いなくパワーファイターだ。スピードとテクニックで敵を翻弄し打ち倒す零と比較すれば、流石に劣る。
「誰が相手なんてしてやるか!」
『このままみんなと合流して一時撤退を――え? な、なに?』
 突如、シルヴァは何事かに気付き珍しくも声を震わせた。
「シルヴァ、どうした!?」
『さつきと有彦が戦ってる相手……ああっ、どうして気付かなかったのかしら!? すごい、凄い力を感じるわ! これじゃ、少なく見積もっても呀と同格よ!』
 パートナーの悲痛な叫びに、零はそれが真実であると即座に悟った。確かに、仮面ライダーサツキの能力を持ってすれば獣程度では戦闘が長引いたりはすまい。彼女が苦戦するだけの力を持った敵が、霧の向こうにいるのだ。
 ならば、どうするべきか。
「てぇやああああああっ!!」
「ッ!」
 魔戒剣が左右時間差で呀の首と胴を狙う。長大な戦斧の柄がそれを遮ろうとするも、間に合わない。
「剣でやってれば、防げたろうにな!」
 既に一度、銀牙銀狼剣によって斬り裂かれていた呀の胴体を再び魔戒剣が裂く。生身の零の斬撃では致命傷たりえないそれも、同じ箇所を斬りつけたとあっては話は別だ。
 呀の巨体が、蹌踉めく。
「お前の相手をしている時間は、無いんだよ」
 トドメとばかりに渾身の蹴りを放ち、零は呀を吹き飛ばした。
「よし、これで少しは」
『時間が稼げるといいのだけれど……』
 倒せたとは思えない。呀の地力は明らかに自分より上だと、悔しいがそれを認めないでいられるほど未熟な零ではない。
 踵を返し、零は駆け出した。
「さつき、有彦、返事してくれ!」
 魔戒騎士とは即ち、護りし者。ここで二人を護れなかったとあっては、今は遠き地でおそらく自分と同じように戦っているであろう友に顔向けが出来ない。
 と、そこで、
「涼邑さん!」
「さつきか!?」
 声が聞こえたと同時に、零の視界に仮面ライダーが飛び込んできた。ダメージを受けてはいるようだが、軽微だ。
「無事、だったか」
「無事……と言いたいんですけど、あっ!」
 言葉を交わしながら、さつきの手刀が迫り来る巨大な蟷螂を断裂していた。次の瞬間、まるで黒い波のように獣や昆虫が二人目掛けて押し寄せてくる。
「そうか、この化物の発生源か!」
『気をつけて、零、さつき』
 さつきの拳と蹴りが、零の二本の魔戒剣が、黒い波を引き裂いていく。波を裂く波となって、二人は一直線に突き進んだ。
「こぉんのぉおおおっ!!」
 跳躍からの回し蹴り。それが、霧を掻き消して――
「ぬぅっ、猪口才な」
 大柄なコート姿の男へと吸い込まれていく。
「こいつかっ!」
『なんて、強大な邪気を……』
 魔戒騎士とその相棒が怖気を感じるのも当然。相手は死徒二七祖の十位、『混沌』ネロ・カオス。
「むぅんっ」
 男の腕が振るわれ、コートの裾から溢れ出す混沌の群れがさつきの全身にまとわりついて迎撃する。
「きゃああっ!」
「弓塚ッ!」
 墜落させられたさつきを、零の見知らぬ青年が空中で受け止めていた。一見冴えない風貌のわりに大した体術だ。
「彼が……遠野志貴君か」
『退魔の殺し屋一族……出身の坊やね。七夜一族……一昔前は、こっち側じゃそれなりに知られてたわ』
 零は七夜の話を伝聞でしか知らない。七夜がまだ存在していた頃、零は年端もいかぬ子供だったのだから当然だ。
「弓塚、大丈夫?」
「だ、だいじょぶ」
 志貴に抱きかかえられた仮面ライダーは、どうにも珍妙な絵ヅラではあったけれどか弱き少女そのままにしゅんと縮こまっていた。
「あ、ありがと……遠野く――」
「おい二人とも! ラブコメってねぇで助けてくれぇっ!?」
「有彦!」
 ラブコメを邪魔したのは誰あろう有彦の叫び声。視線を向ければそこには大量の獣に囲まれ、メーサーブレードを振り回している彼の姿があった。一体一体ならまだ装備の性能もあってか抗しようあっても、こう数が多いとずぶの素人である有彦には荷が重すぎる。
「よし、今行く!」
 言うなり、零は魔戒剣で虚空にサークルを描き、鎧を召喚した。銀光が煌めき、そこに銀の獣が現出する。
『大丈夫? 今日はこれで三回目よ?』
 銀狼へと変容したパートナーを心配するシルヴァに、零――ゼロは牙を剥き出しにして野太い笑みで返した。
「ちょっとくらい、無茶もするさ」
 銀狼剣が一振りで数体の獣を屠り、道を切り拓く。
「有彦、今行く! ……あー、遠野君!」
「えっ?」
 突然見知らぬ狼頭の騎士に名を呼ばれ、志貴は戸惑った顔で振り向いた。その隙を狙った獣はさつきの拳で砕け散る。
「急いで撤退だ! 退路はこっちで拓く! これで、全員か!?」
「まだ衛宮君が……っ」
 志貴の視線の先では、士郎が懸命に数体の黒犬の相手をしていた。衣服はそこかしこを切り裂かれ、手や頬からも決して少なくはない出血をしている。まさに満身創痍、さらには極度の興奮状態であることが見て取れた。あれでは撤退という言葉を素直に聞き入れられる状態とは到底思えない。
「熱くなりすぎてる! 彼を引っ張ってこないと……」
「ああ、でも……」
 正直なところ、士郎を救出に向かう時間のロスは避けたかった。現状は僅かな時間が明暗を分ける。出来れば零は有彦を助けつつ退路を拓く方に回りたかった。
「仕方ない。ここはさつきに――」
「力尽くならこちらに任せて貰おう!」
 零が言い終わるより先に、無骨な巨体が颯爽と三人の目の前に現れていた。
「バルスキー!?」
「遠野志貴、君はそこの魔戒騎士と共に退路を確保してくれ! 三枝嬢の力を借りれば道はわかるはずだ!」
「ど、どうもっ」
 小脇に抱えていた未希を降ろし、バルスキーが再び猛然と駆け出していく。夥しく蔓延る獣を踏みつけ、蹴り飛ばし、殴り倒しながら、バルスキーは士郎へ向かって一直線に疾走していった。鈍重そうな外見とは裏腹、驚嘆すべき速度だ。
「権藤一佐とシオン・エルトナムも連れ戻してくる。行けッ!」
「でも向こうには!」
「ああ、ロボットさんよ。あっちは無理だ。あんたが力不足だとかそんなんじゃなくて、悔しいけど……あのお姫さんには尋常の力じゃ太刀打ち出来ないぜ」
 志貴と零の言う通りだった。権藤やシオンがいる方角には、闇が――アルトルージュ・ブリュンスタッドがいる。
 凄腕の魔戒騎士である零でさえ彼女の首をとることはかなわなかった。さらに進路上にはネロ、呀がおり、奧からは怪獣の甲高い咆吼が響いてきている。バルスキーの力を持ってしても、そこから権藤とシオン、さらには士郎の友人達やイリヤを救出するのは不可能だ。
 けれど、不可能だからと見捨てるわけにはいかない。
「いったい、どうすれば……」
 手が、足りなすぎるのだ。
 ギリと音が出るほどに強く歯噛みし、志貴は霧の向こうを睨んだ。アルクェイドを目の前で連れ去られたときと同じだ。自分の無力さに目眩を覚えそうだった。
「ギキィッ!」
「ハサンはハサンでぇっ!」
 ほんの僅かにでも隙を見せれば獣の合間からハサン達が飛び出してくる。ライダーの説明通りならほとんどは大したことのない相手とは言え、志貴や有彦、それに士郎には充分すぎる脅威だ。
「でもこいつ……らぁっ!」
「きゃっ!?」
 未希を庇いながら零の斬撃がハサンを大上段から斬り伏せる。
「数が、減ってきてないか?」
 倒したから、と言うわけではなく。
 獣に紛れて数を確認しづらいが、ハサンの数は明らかに減っていた。特に八十体のハサンではなく、個々のハサンがこのほんの僅かな間ではあったけれどまるで姿を現していない。
「戦力の温存?」
「……いや。敵の攻勢は、そんなこと考えちゃいない」
 志貴の意見をやんわり否定し、零は向かってきた犀型の獣を横薙ぎに叩っ斬った。志貴も話しながら短刀を振るうことをやめようとせず、豚のような化物の死点を突く。
「こいつら……遊んでやがる」
『そうね。戦術と呼べるものが感じられないわ。戯れよ』
 吐き捨てつつ、銀狼は有彦に向かって駆けた。
「これ以上は悩んでる時間はない! ロボットさん、あんたはあっちの彼だけを頼む! ……他は」
「ぬ、ぐむぅ」
 士郎へと向かうバルスキーの足取りが重たくなる。それでも彼は駆けた。課せられた使命を果たすために。一方、志貴は短刀を振るいながら苦渋に顔を顰めていた。
 シオンと権藤を見捨ててここから逃げ出すなんて事が、果たして自分に出来るのか? 切り捨て、られるのか?
 アルクェイドを助けるために戦うのだと決めた。
 人類のためにだとかそんな壮大な望みではなく、ただただ愛する女のために――そのためには、今ここで倒れるわけにはいかない。いかないと、わかっているのに……
「クッソォッ!!」
「遠野さん!?」
 バルスキーが向かった方へ走り出そうとする志貴を見て、未希が素っ頓狂な声をあげ、さつきが仮面の中の血相を変えた。
「無理だよ!?」
 ライダーギアの力は容易く志貴を捉えて拘束した。
 けれど……
「弓塚……俺は、俺は――っ!」
 かつてさつきの事も最後まで諦めなかった志貴だから。アルクェイドの事もシエルの事も、秋葉や琥珀の事も諦めず、レンやシオンも救ってくれた、志貴だから。
 だから、止められない。
「……わかったよ」
「あっ」
 仮面ライダーは、そんな男を止めることは出来ない。どうしたものかとオロオロしている未希に、さつきは頭を下げた。
「あの……ごめんなさいっ!」
「わあぁあっ!?」
 突然さっきまでバルスキーにされていたのと同じように抱え上げられ、未希は目を白黒させた。
「置いておくわけにはいかないし、安全な所って言うのも……」
 ……無い。
 怪獣、獣、ハサン……周りは化物だらけだ。
「はぁああああっ!!」
 ライダーパンチが一際大きな鯨のような影を粉砕し、咆吼のままに駆け抜ける。バルスキーが切り拓いた道をさらに広く拡張し、さつきは志貴を招いた。
「行こう、遠野君!」
「弓、塚?」
「早くっ!」
 身体が、勝手に動き出していた。
 さつきに先導されるまま、志貴は霧の中を疾走した。



「おい、駄目だそっちはっ! おいっ!?」
『ああ〜〜〜っ、もう! これだから若い子達は!』
「どうする!? ……有彦、お前の友達とさつき、どうする?」
「ど、どうするったって」
 零が周辺の獣を蹴散らしてくれたおかげで九死に一生を得た有彦は溜息混じりに首を横に振った。
「無理ッスよ。一度決めちゃったら、止まる奴らじゃないし」
 漏らしながら、メーサーブレードを構え直す。
 そして――
「なぁっ!?」
『……はぁ』
 志貴達の後を平然と追おうとする有彦をうっかりそのまま行かせそうになってしまった零は、数瞬後我に返ると彼を押し止めた。
「無茶だって! 大体が無茶だらけなのに、これ以上無茶が増えると本気で回収しきれなくなるだろ!?」
『ゼロの言う通りよ。そんなのは勇気じゃない、ただの愚行よ。あなただけでもこの場から逃げた方がいいわ』
 シルヴァの説得にも、有彦は縦には首を振らなかった。ただ、溜息混じりに銀狼の手に触れると、放してくれるよう目で訴えた。
「まぁ、仕方ないッスよ。こればっかりはね」
 何がどう仕方ないものか。
 シルヴァはもう一度声を荒げようとして、
『ゼロ!?』
 零が、あっさりと手を放したことに驚くこととなった。
『あなたまで何を考えてるの!? 彼の力じゃ、この先に行っても無駄死によ!?』
「違う、そうじゃないさシルヴァ」
 零の声には力が籠もっていた。
「行けよ、有彦っ!」
「おわっ!?」
 ドン、と背中を押し、次の瞬間零の銀狼剣が霧を引き裂く。
『こいつっ!?』
 そこにいたのは呀だった。ポールアックスで銀狼剣を受け止め、凄まじい膂力でもって零を押し返そうとしている。
「本当にしつこい奴だな……こ、のぉっ!」
「!」
 銀狼剣を巧みに操り、戦斧を受け流す。体勢を崩した呀の膝を横から蹴り砕き、零は頭部目掛けて二刀を振り下ろした。が、崩れた状態からでも呀はなんと片腕のみの力でアックスを振り上げ、零の二撃を切り払う。
「つくづく化物だな、ホラー喰い!」
『あー、もぉっ!』
 繰り出される戦斧と銀狼剣の剣舞。既に呀は相当なダメージを負っているはずなのに、そのパワーにもスピードにも衰えは感じられない。正真正銘の怪物だった。
「零っ!」
 メーサーブレードを構え、有彦が割って入ろうとするも、
「邪魔だ! さっさと行けッ!」
 零は怒鳴り散らしていた。
 呀の力はハサンや黒い獣の群れとは次元が違う。有彦など、一度でも呀が戦斧を振るえば両断されてしまうのは確実だ。仕方なしに零は有彦に体当たりを喰らわせた。
「れ、零っ!?」
 軽い当たりではあってもそこは魔戒騎士のもの。有彦は思い切り数歩踏み出し、それでも後ろ髪引かれるかのように歩き出せずにいた。その背中に叱咤が飛ぶ。
「早く行け! 友を助けたい、そのために来たんだろうが!」
 友の大切さを見に染みてよく知るがために。
 まだ短い付き合いではあるけれど、零は有彦のこともさつきの事も気に入っていた。友のために無茶をする二人を守りたいと思った。守りし者として、今の自分が銀狼剣を振るう理由はそれだ。
「おぉーーーらぁっ!」
 銀狼が、猛る。
 その咆吼に後押しされるかのように、有彦は志貴達が切り拓いた血路へと走った。邪魔する獣の群れをメーサーで焼き払いながら、走る。走る。
『……はぁ。本当に、若いわね。若すぎるわ』
「おいおい、おばんくさいことばかり言うな……よっ!」
 右で戦斧を弾き、左を胴に叩き込む。
「ったぁく、少しは話くらいさせろってんだよ!」
 しかし胴に食らった一撃のことなど意に介さず、なおも戦斧を縦横無尽に振るい続ける呀を相手に、零は息を呑んだ。
「……さぁて。どうしたもんかな」
『こっちが聞きたいわよ』
 呆れたように呟くシルヴァに心中で詫びてから、零は銀狼剣を接合、銀牙銀狼剣を隙無く構え、呀へと斬りかかっていった。





◆    ◆    ◆






「衛宮士郎、無事か!?」
 バルスキーの剛腕が振り回され、士郎に群がっていた黒犬が次々と頭を、腹を潰され黒い絵の具をブチまけでもしたかのように汚らしく消え去っていく。
「あ、あんた……バルスキー」
 全身傷だらけ、肩で息する士郎は険しい顔でバルスキーと、そして周囲を見回した。
「くっ、イリヤや蒔寺達を早く助けないと……っ」
「待て。お前の力では無理だ」
 呆れたようなバルスキーの言葉に、士郎は激昂した。
「無理でも行く! 行って、助ける!」
 興奮しすぎているな、と。バルスキーはさてどうしたものか顎に手をあてた。時間がない。地割れは酷いし、怪獣はもうすぐそこだ。さらにバルスキーが一番怖れているのは、ネロの存在だった。あの獣の群れを見た瞬間気付いた。ネロのことに。
 滅びたはずの十位がどうして今ここにいるのかはわからなかったが、ヴァン=フェム配下戦闘機兵軍団長として多少の面識はあるし、また彼の怖ろしさはよくと知っている。
 正直、勝てる自信はなかった。
 近接戦闘においては祖にも引けをとらない、それはバルスキーの事実であり、また当人もその自負があった。しかしネロとは噛み合わせが悪すぎる。一体一体を蹴散らすことなどバルスキーにとっては児戯にも等しい行為とは言え、666全てを一度に滅ぼせる火力は無い。ドランガーならばもしや、とも思うが、十位から上の祖は正真正銘の化物揃いだ。倒せるという確証はない。
 だから、戦わずに済むならそうしておきたかった、のに。
「ほぉ。貴様、見覚えがある。ヴァン=フェムの機械人形か」
 ネロ・カオス。
 混沌が、ゆっくりとその姿を現していた。
「久しぶりだな、混沌殿」
 拳を構え、バルスキーは士郎を背に隠すように前へ出た。
「意思持つ機械人形が、個を捨て意思無き混沌を目指した我に挑むというのか? その拳で」
「ああ、挑ませて貰おう。貴公は既に滅びた身、かつて二十七の一席を埋める者であっても、今やタチの悪い悪霊だ」
 士郎がいる以上、容易に逃げ切るのは不可能とバルスキーは判断した。拳で倒すのは無理でも、ミサイルランチャーで牽制しつつ徐々に撤退するしかない。
「衛宮士郎、君も刃を振るう者ならわかるはずだ。今、我々の前に立っているあの男が、どれだけの脅威か」
 言われるまでもないことだった。
 ネロの接近は、士郎の興奮しきった頭をすっかり冷やしていた。
 死徒二十七祖の十位……かつて聖杯戦争の折に相対した英霊達と比べても遜色のない、むしろ人外の様相、気配はあくまで人間の延長であった英霊とは異なりすぎている。
 恐怖を感じる、対象だ。
「いいか? 戦いはするが、隙を見て逃げる。家族や友人を助けたいという君の気持ちはわかるが……わかってくれ。不可能だ」
 キッパリと、現実を突きつけられて士郎は呻いた。
 言い返せない。目の前にネロがいなければ言い返すことくらい出来たかも知れないけれど、子供じみた意地を張り通すには、混沌の獣王は強大過ぎた。
 ……でも。
「くっ」
 だけれど……
「衛宮士郎、わかってくれ……ッ」
 それでも立ち上がり、立ち向かってしまうのが――
「ほぉ。気骨があるな、人間」
 どうしようもなく、衛宮士郎だった。
 双剣を投影、構え、今にも突撃しようとする士郎の姿に、ネロは口を歪め牙を覗かせた。
「その気骨……気に入った。人間、貴様も我が内に取り込み、共に混沌に至る栄誉を与えよう」
 影が、蠢く。
「こうなっては、仕方がないか!」
 バルスキーが吼え、指先を広がり続ける影へと向けた。しかしどうするべきか。全力で666の獣を解放されたなら少なくとも士郎を守りきれる自信はない。広域攻撃能力を持たない自分がこの時ばかりは恨めしかった。
 だが――
「むっ」
「うぅりゃあああああああああっ!!」
「……シッ!」
 ネロに躍りかかる、新たな二つの影。
 さつきと、志貴。
「逃げるのはやめたのか、人間ッ」
 巨大な顎が二人を噛み砕かんと地面を剔りながら迫る。その咬撃を正面から遮ったのは、メーサーの光だった。
「おらぁあっ! 遠野、弓塚!」
 有彦のサポートで、ネロが怯んだ。その隙に短刀が閃き、ライダーキックが影を砕く。しかしネロは嗤っていた。嗤いながら、さらに大きく膨れ上がった影が二人を迎撃する。
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
 膨れ上がった影が蝙蝠の群れとなって辺りを覆い尽くそうとするのを、志貴は悔しげに見やった。
「なるほど。用があるのは私ではなく、姫君にか」
 蝙蝠と霧が混ざり合い、白と黒のマーブルがまさしく混沌と視界を塞いでいく。バルスキーがミサイルを、有彦が必死でメーサーを撃ち続けているが全て蹴散らすには足り無すぎた。
「容易く先へ進めると思うなよ、人間!」
 もっと、もっと広範囲を一気に制圧可能な武器か技が必要だ。
 流石にネロも三度目とあっては志貴への警戒が半端ではない。元より地力では遙かに勝る相手なのだ。隙がなければ正面からの突破など出来ようはずもなかった。
「このっ、このぉっ!」
 さつきのパンチとキックが僅かな蝙蝠を落とすも、それだけだった。決定的な火力不足に誰もが歯噛みする。
「どうすれば……いったい、どうすれば――っ!」
 その、瞬間だった。
「ぬぉおおおおおおおおおおおっ!?」
 ネロの頭上が唐突に、爆ぜた。
 大爆発だ。
 爆風が蝙蝠をズタズタに引き裂き、紅蓮の炎が焼き尽くしていく。
「……ぐ、ぬぅ……貴様か」
 誰であるかなど明白だった。こんな事、あんなにも大きくて華麗な花火を上げる人物を、志貴は一人しか知らない。
「リタさん!?」
「は〜い。そうですわよ」
 お気に入りのドレスを血に染めた傷だらけのリタが、凛に肩を借りている状態で二人そこに立っていた。





◆    ◆    ◆






 リタとネロの睨み合いは、意外にもあっさりと終わった。
「ロズィーアンの小娘か。小癪な」
「クスクス。死んだはずの不死者と会うなんて、不思議な事もありますわね、フォアブロ・ロワイン」
 満身創痍なのに、その優雅さは欠片も揺らがない。
 日傘をクルクルと回しながらリタは嘲るようにネロを見た。
「貴方とは敵対関係にはなかったはずなのですけれど……いったいいつからアルトルージュ派に寝返ったんですの?」
「寝返った、とは笑止な。そも、我は白翼公の傘下であったつもりもないのだがな」
 空気が張りつめているのがわかった。
 二十七祖同士の戦い――志貴の頬を冷や汗が伝った。想像を絶する激しさ……予感に、身体が震えた。
「クク。まぁ、いい。この身は所詮悪夢の残滓に過ぎぬ。人間よ、たたる悪夢の儚さを、しかし凄絶なる恐怖を覚えているはず」
 夏の夢。
 嘘で塗り固められた影絵の街の悪夢。
 けれど、今度の悪夢はそれだけでは終わりそうになかった。
「真なる恐怖は我に非ず」
 濃霧の中に響く、小さな足音。
 近付いてくるそれこそが、真なる恐怖――
「……シキ君。先に謝っておきますわ」
「……え?」
 リタの笑みが、あのいつも自信に充ち満ちていた彼女の華のような笑顔が、凍り付いていた。
「駆けつけてきておいてなんですけれど……守りきれる保証が、無いものですから」
 そして、闇が現れていた。
 目にするのは二度目。つい先程のはずなのに、もう随分と前のようにも感じられる闇との邂逅。
 今度は、逃げられない。
「……クスクス、クス」
 志貴は、短刀を持つ手の震えを止めることが出来なかった。








〜to be Continued〜






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