episode-18
〜聖杯大戦争〜
Part 8 誘い



◆    ◆    ◆






 その瞬間、シェルターに数日間籠もりっぱなしだった冬木の人々は、不安に覆われ荒んでいく心のまま、大地の揺れを感じていた。
 地震かと、初めは誰もが思った。
 しかし地震とは違うと、気付いたのは誰からだったか。
 十年以上冬木で暮らしている人々は本能としか呼びようのない感覚で気付いたのだ。それは天変地異を前に動物達が群れなして逃げ出すようなものに近かった。
 誰かが呟いていた。
「……これ、十年前と、同じじゃないか?」
 知る者は皆一様に息を呑んだ。
 青ざめた顔を引き攣らせ、恐怖に歪ませたまま記憶の糸を辿る。
 破壊の記憶がまざまざと甦っていく。
 燃える街、崩れるビル、ひび割れた大地、逃げまどう人々。
 哀れな犠牲者達が泣き叫ぶ声が、今をもって耳から離れない者も多かった。
 誰かが悲鳴をあげた。
 そうなってしまえば、パニックになるのは簡単だった。原因も不明なまま、謎の霧と“怪獣らしき大型生物が出現したらしい”という理由でシェルターに閉じ込められ、救援もなく説明もなく過ごしていた人々の精神はとうに限界を超えていたのだ。
「ちょ、皆さん、落ち着いて、落ち着いてくださーい!」
 そんな中、僅かに残った理性ある者こそが大変だった。藤村大河もその一人だった。多少なりと鉄火場に免疫のある藤村組を使ってこれまでこのシェルター内の人々をまとめてきたものの、一度暴走が始まってしまえば彼女の言葉を聞いてくれる者などほとんどいない。
「落ち着いてなんてられるかよ!」
「外はどうなってるんだ!?」
 恐慌状態に陥り泣き叫ぶ者とは別に、シェルターの扉を開け外の状況を確認しようとする者達の方が厄介だ。大河も、気付いていた。この悪寒、止めようと思っても止まらない震えと鳥肌は間違いなく十年前と同様のものだ。
 扉を開けたが最後、暴走は今度こそ止まらなくなる。
 ヤツの姿を実際に見てしまえば、その後どうなるかは……火を見るよりも明らかだった。
 子供達の泣き声が耳をつく。老人は床に額を擦りつけるようにして何度も何度も両手を合わせていた。
 心細いのは、大河とて同様だった。
(士郎、こんな時どこ行っちゃったのよ……)
 学校から生徒達を避難させ、次いで藤原組を率いて町内の人達をシェルターに先導していたため大河は衛宮邸がどうなってしまったのかを知らなかった。
 心細かった。
 士郎や凛、桜、セイバーやライダー、イリヤ達は無事に逃げられただろうか。皆に限って、とは思うが……
 挫けそうになるのを振り払うかのように勢いよく頭を振るうと、大河は混乱する人々のただ中に飛び込んで声を張り上げた。
「皆さん、こんな時こそ落ち着かなくちゃ! 冷静に、冷静にー!!」
 こんな事がどれだけ効果があるかなんてわからない。それでも、衛宮切嗣に憧れ、衛宮士郎の姉であるところの自分は、せめて――
「大丈夫、きっと大丈夫ですから! だから……」
「……ほんとうに、だいじょうぶ?」
 ――泣き腫らした目で尋ねてくる子供を、安心させてあげられるくらいには、頑張りたい。
「うん、大丈夫だからね? きっと、その……うん! “正義の味方”が、この街を守ってくれるから!」
「せいぎの、みかた?」
「うん、そう」
 ぎこちなく、大河は子供をあやした。正義の味方だなんて我ながら何を言っているのだろうとは思ったけれど、真っ先に思い浮かんだのが切嗣であり、そして士郎だった。夢は正義の味方だと本気で語るまだ小さかった士郎の姿がはっきりと目に浮かぶ。
「じえいたいじゃ、ないの?」
「自衛隊は……え、と、自衛隊も来てくれるから! ……でも、ね。それとは別に、正義の味方が、きっと助けてくれるよ」
 わけもわからなそうに子供は首を傾げ、やがて何事か自分の中で納得がいったのか大きく頷いていた。
 そう、絶対に、助けに来てくれるから――
「皆さん、落ち着いてくださーい! 立ち上がらず、その場に座ってーっ!」
 力強い笑みを浮かべながら、大河は再び喉も枯れよとばかりに声を張り上げていた。……正義の味方を、信じて。
 だが、そんな大河の願いも決意も、あらゆる想いを全て否定するかのように、地響きは冬木全てを揺るがし、絶望の記憶を呼び覚まそうとしていた。





◆    ◆    ◆






「ぷはっ!」
 木々の枝葉を大きく揺らし、さつきはようやく踏み慣れたアスファルトの道路に辿り着くと油断無く周囲を見回した。
「どうだ嬢ちゃん、いないか?」
「……オッケー、です。多分。……気配とか消されてると、よくわかんないですけど」
 頼りなさ気に権藤に返しつつ、さつきは手招きした。それに応じ、権藤と有彦、そしてななこが次々と森の中から飛び出してくる。
「う〜、怖かったですよぉ。どうしてわざわざ実体化なんてさせるんですかぁ」
「まぁ、あいつらへのレーダーとしてはお前が一番役に立つし」
「それなら実体化しなくても声くらい出せますよ」
 ブツブツと文句を言い続けるななこの背を押し、有彦はさつき、権藤の後に続いて駐車場へと向かった。アインツベルンの広大な森、道無き道を抜けた先をさらに少し歩くと、セラが普段使用している車などが停めてある駐車場がある。一応こちらも盗難防止のために人除けの結界が貼られてあるのだが、どうやらそれも破られてしまっているらしかった。
「やべぇな……足がないと街まで行くのに時間がかかりすぎるぞ。それに……」
 もし、サイドファントムに何かあればどうなるか。想像しただけで身の毛もよだつ思いがした。したの、だが……
「……あれ?」
 車もサイドファントムも、全て無事だ。破壊された様子はない。権藤も有彦もさてどうしたものかと互いを見やり、ひとまず罠かどうか確認することにした。
「魔術的なトラップとかでも仕掛けてあるんじゃないッスかね?」
「近付くとドッカン、とかか?」
 ありえる話だ。言葉にしてしまえば単純でわかりやすすぎるトラップではあるが、いかんせんこの場には魔術のエキスパートが一人としていないのだ。アインツベルン城が襲撃を受けた際、権藤は手近にいた二人と合流すると即座に脱出を試みた。他の者を助けるには戦力的に不可能だと判断したためだ。
 そも、襲撃時に状況が不鮮明すぎた。
 奇襲を仕掛けるはずだったところに奇襲を仕掛けられた、のはわかる。まるでこちらの手の内を見抜いていたかのようなタイミングに、権藤はまず内通者を疑った。しかし内通して何かしら得をする者がまずあの場には居らず、一般人衆にしても、コスモスや魔術師組、さらには首状態とは言え伝説の女怪であるメドゥーサを謀って情報をリークするような術は持ち得ていないはずだ。『実は魔術師だった』『実は別人と入れ替わっていた』『実は密かに洗脳されていた』など可能性を列挙していけば限りないけれど、それにしたところで全員を騙すのは至難の業だろう。
 メドゥーサが実はまだ敵方のまま、という可能性が最も高く、そして厄介だった。けれどそれも根拠に薄い。こちらを騙すだけなら首だけにまでなる必要はなかったはずだ。
 では、タイミングはあくまで偶然の産物だったのか。
 その可能性だって否定は出来ない。しかし権藤は偶然と思いはしなかった。そも、偶然なんて言葉で片付けていられるほど楽観主義者ではない。あのタイミングには意味と理由があるのだ。
「どうだ、ななこ。なんか感じるか?」
「うー、わたしじゃ簡単な霊視くらいしか出来ませんよぉ?」
「オバケのくせに相変わらず使えねぇ奴だなぁ」
 散々なことを言われながらも懸命に駐車場全体を霊視しているななこには悪いと思いつつ、権藤は苦笑していた。敵の接近を見張っているさつきもだ。この二人の漫才には良い意味で癒される。緊張感ばかり続きすぎては、人間だろうと吸血鬼だろうと神経がもつはずがないのだ。張りつめすぎた糸などいつプッツリと切れるかわかったものではない。リタなどはそれがわかっているから常に飄々としているのだろう。彼女が立つ場所、在り様は、ある意味で権藤が目指す境地であった。
「お前さんは、良い軍人になれるかもな。……いや、あの吸血鬼の姉ちゃんの言葉を借りるなら、“良い戦士”か」
「へ? オレッスか?」
 チンプンカンプンとでも言いたげな有彦に目を細めながら、権藤はメーサーガンを構えて車に近付いていった。なれるからと、なりたくはないのだろうが……そう思うと自然笑みがこぼれる。
「ちょっ、危ないッスよ権藤さん!?」
 考えに考え抜いた結果だ。
 そして、勘。様々な化物と命懸けで戦い続けてきた男の勘が告げていた。残る、一つの可能性を。
 ――あの襲撃、自分達を全滅させることが目的ではないのだとしたら? ――
 足止めですらなく、むしろ……
「ふんっ」
 大人数で移動するためのライトバン。ここに来る際、レンタカー店から少しばかり拝借してきたものだ。3列シートで車幅も広い。詰めればかなりの人数が乗り込めるその車体に、メーサーガンの銃口が触れた。
「おわっ!」
「きゃっ!?」
 思わず有彦もさつきも顔を逸らし身体を丸めようとする。ななこに至っては瞬時に実体化を解いていた。
 ……だが、何も起こらない。
「……あ、ありゃ?」
「何も、無い?」
「チッ、思った通りだぜ」
 吐き捨てるなり権藤は運転席のドアを開けると中に乗り込んだ。
「他の連中もどうせすぐに来る、とっととサイドファントムに乗れ!」
 尋常ではない権藤の様子に、有彦もさつきも頷くことしか出来ずサイドファントムに跨っていく。
「で、でも権藤さん、これ、いったい……? 何の細工もないなんて、どうしてわざわざ逃げ道を――」
「それが連中の目的だったんだ。……だが、どうしてだ? 何があるってんだ……わざわざ俺達を燻りだして、街へ向かわせようなんざ」
 バスン、と。鈍い音を立てて権藤は自らの掌を拳で思いっきり殴りつけていた。
「え? 燻りだし……って、わたし達?」
 サイドシートでななこの本体である第七聖典を抱っこしながら困惑しているさつきに、さて説明したものかどうか悩みながら権藤は頭を掻いた。と、その第七聖典から上半身だけ実体化させたななこが弾かれたように森へと視線を向ける。
「ど、どうしたななこ? 何か来やがったのか!?」
 メーサーブレードを構えた有彦を手……ではなく前足、蹄で制し、ななこはホッとしたように胸を撫で下ろした。
「この気配は、遠坂さん達みたいです」
 直後、重く硬質な足音が聞こえたかと思うとまず最初にセラと由紀香を抱き上げたバルスキーが霧を掻き分けて現れ、その後に何故かポーズまで決めた楓がわざわざ跳躍して着地。鐘、綾子が多少の疲れは見せつつも続き、凛と桜が飛び出してからは、しんがりを務めていたリズと零がそれぞれエモノを油断無く構えた状態で姿を現した。
「権藤一佐、やはり無事だったか」
「おう。バルスキーの旦那もどうやらきっかり直ってきたみてぇじゃねぇか。そっちの抱っこしたお嬢さんのおかげかね」
「だ、抱っこ!? お嬢さッ!?」
 不慣れな言葉の連続にテンパるセラを優しく下ろし、バルスキーは改めて頭を下げた。畑違いの自分の修理をよくもまぁここまでやってくれたものだ。
 機兵からの感謝の意に戸惑うセラを、凛と桜は何とも珍しいものを見たとばかりにニヤニヤと見やった後、権藤の乗るライトバン前まで歩み出た。
「あの、権藤一佐。わたし達の前に、アサシン……ハサン・サッバーハの一団と、それを率いるように神父姿の男が出てきませんでしたか?」
「いや、見ちゃいないが……」
 やはり凛の思った通り、綺礼は早々にこの近辺から引き上げたようだ。まったく、やってくれる。彼は冬木の地理にも明るいし、追おうとして追いつくのは困難だ。やはり出会うべくして出会う、決戦の場に備えるしかないだろう。
「……人のトラウマを剔るのがほとほと好きみたいね、アルトルージュお姫様は」
 既に綺礼相手に気力負けしていた凛の姿はそこにはない。むしろ沸々と湧き上がる怒りを冷静に受け止め、凄味の効いた笑みを浮かべる何とも“遠坂凛らしい”凛が、いた。
「じゃあこれで残るはリタの姐さんやシオン、遠野君達か」
「衛宮もいないってことはそっちか? ……いや、アイツまさか――」
「こら蒔、縁起でもないことを縁起でもない顔で述べるな」
 ともあれ楓の一言で不安そうな顔をしたのは桜と由紀香くらいだった。特に権藤や凛、零は敵の襲撃が自分達の奇襲潰しのためではなく、むしろ燻りだして街へ向かわせるためだったことに気付いている。ならば士郎達も無事と考えるべきだろう。
「ねぇ、ライダー」
「なんでしょうか」
 桜の抱えた篭に顔を近付け、凛はライダー、そしてコスモスに尋ねてみることにした。
「アルトルージュは何を考えてわたし達を燻りだしたんだと思う?」
 現在、頭の中を埋め尽くしているのはただただその疑問だ。
 あの襲撃を誰もが『奇襲がバレ、それを先手を打って潰しに来た』のだと最初は考えた。しかし違うのだ。それにしては投入された戦力が少なすぎる。特に綺礼はハサンと比べてもなお戦力としては劣るのにも関わらず、凛の前に平然と姿を現した。もしあの場で戦闘になっていれば、零かバルスキーの手によって綺礼はあっさりと倒されていただろう。
 彼は、餌だったのだ。
 いや、彼だけではない。戦力としては及ばない、しかし土地勘含めこの街出身である者と縁が深い男を遣わす事の意味……言い換えれば本気でこちらを倒すつもりの駒を放ったわけではなかったことになる。その事からもやはり本来の目的はこちらを街まで誘い出すことだったのだ。
 ――しかし、何故?
「アルトルージュの思考は私にも計りかねます」
 ライダーの答えもまたそういったものだった。だが彼女は以前にもその旨発言してある。リタも言っていた。アルトルージュ・ブリュンスタッドは、思考の根幹を“ヒト”とする者には到底理解できない存在なのだ、と。
「ですが、私が知る限りでは彼女はシロウや、それにリン、貴女のこともまるで見てはいませんでした。半年前の聖杯戦争を終結させた者達だとの情報を得ても、認識さえしていなかったようです」
「路傍の石の如く、って事かしらね?」
「石が邪魔なら避けて通るか、足蹴にしたりもするでしょう。ですが彼女は邪魔とすら考えていなかったようです。なのにこれは……わかりませんね」
 では、ライダーが首を落とされてからもし何か“心変わり”があったのだとすれば、それはいったい何なのか。謎を紐解くにはそれを推し量る以外にない。そして凛が知る限り、その何かとはゴジラの存在を感知した途端のアルトルージュの狂乱しかないのだ。
 しかし……
「……ゴジラが怖くて、凄く怖くて……怖いから、どうしたのかしらね」
「わかりません。そもそも、私は彼女が恐怖を感じる類の生き物だとさえ知りませんでしたから」
 まさしく別種、人類とは異なる系統樹を歩んできた少女を理解するなど、特に自分のような理屈型の人間には無理なのだろうなと理解している反面、凛はそれでも知らなければならない使命感に突き動かされていた。
「遠坂さん」
「あまり思い詰めないでください」
 コスモスが心配そうに見上げている。今の自分はきっととても怖い顔をしていたことだろう。焦燥を抑え込もうにも限度があった。
 それに、アルトルージュの恐怖を推し量るよりも先に、何より凛自身が……怖いのだ。ゴジラがすぐ近くまで迫ってきているのだと、理屈でなく肌で感じれば感じる程に、怖い。
「恐怖は伝染します。そうしてやがて混乱を生む」
「貴女の恐怖は、貴女だけのものではないのです」
 こっそりと伝えたのは、凛本人だけでなく桜や綾子達を慮ってのことだろう。彼女達にとって凛は精神的支柱だ。拠り所が恐怖におののいていてはこの先どうなるかわからない。
 かといってどこか安全な場所へ退避させておくというのももはや無理だろう。今の冬木に絶対に安全と呼べる場所など無いのだから。
「んっ!」
 軽く頭を振るい、凛は懊悩を吹き飛ばすかのようにまばたきを繰り返すと、ライトバンに乗り込もうとした。士郎達ももうじき来るだろう。敵の思惑に乗ってやるのは癪だが、彼らを回収してすぐにでも街へ向かわなければどうなるかわからない。
 ドアを開け、足をかけた瞬間だった。
「――えっ?」
 爆音。
 森から?
 霧のせいで炎は見えない。まだ遠い。しかしこの音には凛は聞き覚えがあった。先日、散々目にし耳にした爆破魔術によるものだ。
「リタ・ロズィーアン? 戦って――」
 相手は誰か、と。考えた瞬間、凛の頭を過ぎったのは最悪の展開だった。自分に差し向けられたのは綺礼。ならば、リタと縁があって冬木の地理を知るものと言えば? ……一人しかいない。何より、自分にも、桜にも、士郎にも威力を発揮する相手だ。遣わない手はないだろう。
「……傷は、治ったんでしょうね」
 それにしても、どうしてあちらだけ戦闘を? リタが邪魔なのか、それとも他に誰か始末しておきたい相手がいるのだろうか。
「来るぞ……ッ!」
 思考が中断される。シオンのような分割思考を羨みながら、凛は足をかけたままだったライトバンに勢いよく乗り込んだ。
 霧の向こうに幾つもの爆光が見える。
「相変わらず派手な色ねぇ」
 まったく、花火だ。
 呆れつつ、凛は桜から篭を受け取り彼女の手を掴むとさっさと車内に引っ張り込んだ。
「うわ、うわ、うへぇえっ」
 楓がワケのわからない興奮の仕方で最後部座席に乗り込んでいく。鐘や綾子は呆れ顔だ。
「カエデ、落ち着いて」
「いやぁ、だってなんか、こう、爆発じゃん?」
「本当にワケわからんな」
 リズのハルバードの刃に触れぬようビクビクしながら戯れ言をのたまう楓を本当に大物だなどと少しだけ感心し、凛は権藤にゴーサインを出した。零には轟天がある。バルスキーはセラの車に乗車したようだし、全員準備は整っていた。
 残るは、士郎や志貴達を拾うのみ。
「よっしゃ、行くぞ! 嬢ちゃん達、舌ぁ噛むなよ!?」
「権藤一佐、俺は一足先に街に行くよ。様子を見てくる」
『位置は……未希がいればわかるわね?』
 一方的に宣言し、零は鎧を纏うと轟天を呼び出した。その背に跨り凄まじい速度で霧の中に消えていく。時間制限のある彼は先行もやむを得まいと権藤はその後ろ姿を見送った。
「こっからは時間との勝負だ。さて……もし事故ったら笑い話だなぁ」
「こ、怖い事言わないでください!?」
 抱き合って震える桜と由紀香にニヤリと笑いかけ、権藤はアクセルを踏んだ。と同時に霧を裂いて走ってくる人影が――
「って、士郎!?」
「うぉおおおおおおおおおっ!!」
 ダイナミックなランニングフォームで真っ先に突っ込んできたのは、なんと士郎だった。少し遅れて、異様に速い女の子走りの未希が悲壮な顔で疾走してくる。
「み、未希お姉ちゃん!? ……い、今にも死んじゃいそう」
「ぜぇ、ぜぇ……うっ、くぅ、はぁ」
 エーテライトで無理にリミッターを外して全力疾走してきたのだから、無理もない。が、汗だくの顔をブルブルと振って、未希は何事か伝えようと口を開閉させていた。どうやら声がまともに出てくれないらしい。
「あー、確か後部座席の下に水や非常食を入れた箱があったろ。水を飲ませてやってくれ」
「は、はい。え、と……あ、これかな?」
 中身は来る途中に無人のコンビニから失敬してきたものだった。他にもアインツベルン城にあった携帯食などをセラが持ってきている。このような非常時であればこそ、水分と食料の確保がいかに重要かを知る権藤がいてくれた事は全員にとって僥倖だったろう。
 座席の下から箱を引っ張り出すと、由紀香はミネラルウォーターのペットボトルを慌ただしく手に取りキャップを外した。そのまま車を降り、未希に差し出す。
「ん、ぐ……はぁ……」
「あとは坊主にも水やった方が良いだろ」
「あ、はい」
 今度は桜がペットボトルを持って車を降りた。そうして二人が水を飲んでいる間にも爆音は続いていた。
「やっぱりリタ・ロズィーアンが戦ってるのね。……相手は――」
「アーサー王です」
 こちらも相応の疲労を見せながら、シオンと志貴が駆け寄ってきた。この二人に関しては特に不安もなかったとは言え、やはり無事に再会できたのは喜ばしい限りだ。相貌を僅かに崩しながら、その一方で凛は予想通りの展開に頭を痛めていた。
「そう、やっぱり……セイバーだったのね」
「はい。……ですが、果たして今の彼女が貴女方の言うところのセイバーであるかどうか……」
「……え?」
 それはどういう、と。凛が尋ねようとした瞬間、爆音がすぐ間近で響いていた。
「やべぇ、お前ら早く乗れ! 乾、お前はもう出ろ! 涼邑の後を追え!!」
「りょ、了解! 遠野は――」
 志貴と、サイドシートのさつきを交互にチラと見比べ、有彦は僅かに口籠もりこそしたもののすぐさま権藤の指示に従った。
「……大丈夫だよ、乾君。行こう?」
「お、おぉ」
「……うぅ、行きたくないですぅ、怖いですよぉ」
「うっせぇ駄バケ」
「駄目なオバケを変な風に略さないでくださいよ!?」
 いつも通りの騒々しさで、サイドファントムが走り出す。
「やれやれ。本当に緊張感のねぇやつらだ」
「空元気じゃないんですか? ……わたしだって出来ることならそうしたいですよ」
 険しい貌のまま、呟いた凛は士郎を自分の隣へと引っ張り込んでいた。相手がセイバーである以上、一番不安なのは彼の挙動だ。
「ちょっ、おい遠坂……――」
「少し黙ってなさいよ。……ん、思ったよりは落ち着いてるみたいね?」
 もっと取り乱しているものかと思ったが……志貴やシオンのおかげだろうか。ともあれ、助かった。聖杯戦争の頃よりかは幾分かマシになったとは言え、士郎の直上さは彼の美点であると同時に最悪の欠点だ。今の状態で無茶を言われては凛自身まで取り乱しかねない。
「……落ち着きも、するさ」
 ふて腐れたように呟いた士郎の視線の先には、由紀香にもたれ掛かる未希がいた。ようやく呼吸が整ってきたらしく、未希は深呼吸してから身を乗り出し、権藤に向かって、
「急いでください、権藤一佐!」
 声を張り上げていた。
「んっ!? そ、そりゃ急ぐつもりだが……」
 リタはどうするのか、と。爆音響く咆吼に注意を向けた権藤に、助手席に乗り込んだシオンが答えていた。
「リタはアーサー王を引き付けながら向かいます。……本当は合流した時点でゼロやバルスキーの力を借り、一気に彼女を無力化してしまいたかったのですが……そうも言っていられなくなりました」
 もはや皆まで言わせる必要もない。
 ゾッとするくらい怜悧な瞳で、権藤はアクセルを踏み込んでいた。
「あっ!?」
「ちょっ、いきなり危ねーよ!」
 少女達の苦情など意にも介さず、濃霧の中だというのに権藤はどんどん速度を上げていく。後ろからはセラの車も面食らいながらついてきているようだ。そして、爆発音も。
「……それで、ヤツぁ今どこだい?」
 正面を見据えたまま、唸るように権藤は問うていた。
 獣のような声だと、シオンは思った。いつもの権藤よりもよっぽど生命を実感させられる声なのが怖ろしかった。
「今、……はぁ」
 大きく息を吸って吐いた未希が、はっきりと答えた。
「ゴジラは、ついさっき冬木に上陸。今は沿岸部からゆっくりと都市部を進行中です」





◆    ◆    ◆






「圧巻、だな」
 岩のような皮膚だった。
 およそ自然の力も科学の力も及ぶまい、数千年、数万年の時を経てきた頑強な巌。鋼鉄よりも硬く、火山の熱にさえ耐えうるそれは、しかし生物の皮膚だった。
 生きている。
 雄々しく、荒々しく、生きている。
 大地を震わせる脈動は、自分以外の他の生き物が地に立つことさえ許さないと宣告しているかのようだった。
 絶対にして唯一の、超生命。
「まったく、馬鹿馬鹿しく思えてくるよ」
「……ほぉ?」
 意外だ、とでも言いたげに、男は白尽くめの優男――フィナを見下ろした。フィナも決して小柄ではないのだが、何分男が大きすぎるためどうしても見下ろす形となってしまう。
 だが人間。所詮はヒトの形を保っている。
 だが、ヤツは――ゴジラは、違う。
「永遠の生命を求めて、人間やめて吸血鬼になって、……けれど結局は純然たる生命の輪環から外れて生者と死者の狭間を行ったり来たりしてるような半端な化物とは、比較にならない。ゴジラは生命だ。どうしようもなく、生命そのものなんだろう」
 生命の輪環から外れた、と言うならフィナだけでなく男とて同じだ。とうの昔に肉体は死滅している。死滅しながら、その名声だけは伝説となって人々の心に生き続けた。故に男は“英霊”なのだ。
「生命そのもの、か。確かに、ヤツを見ているとそうとしか言いようがないな。神話の時代にもあれ程の怪物は存在しえなかった。星が、自然がそこまでの存在を許さなかったのだ」
「本当に、な。ヒトの業、ここに極まれりだ」
 軽く肩を竦め、フィナは腰の剣に手をやった。
「じゃあ、うちのお姫様と、イリヤスフィール嬢の護衛は任せたよ? 姫、すっかり怯えてしまっていてね。忠義者の俺としては、見るに耐えない」
 頷きながら、男はフィナの言葉が本意からのものでないことくらい理解していた。見た目同様に軽薄な男ではあるが、忠心は本物だ。本来なら黒の姫に遣える二大騎士の片翼として彼が護衛の役を担わなければならないところを敢えて前戦に出張ってきたのは、なにがしかの因縁だろう。
 戦わなければならない相手がいるのだ。英霊と成り果てた程の戦士の嗅覚は、その手の事情にはひどく敏感だった。
「では、行くとしよう。姫もイリヤスフィールも、しかと守り通してみせる」
「信じてるよ。……まぁ、貴方は適任のはずだから」
 野太い笑みを残し、巨漢の英霊は消えた。
「さて、と。それじゃあ……」
 気怠そうに振り返り、フィナは濃霧に浮かぶ巨大な影を、破壊の権化を見上げた。その息吹を肌に感じるだけで発狂しそうになる。
「まさか、アルトルージュ様が“恐怖”なんて感情に目覚めてしまわれるとはね。……地球が怖れるわけだ」
 震えを抑えることが出来たのは偏に騎士としての矜持が故だった。一人の男としてだけなら、無様に尻をつき、震えながら命乞いまでしていたかも知れない。
 だが、主が怖れている存在であるからこそ、忠実なる白騎士としては恐怖など微塵も感じさせるわけにはいかなかった。まるで指揮棒を振るうかのように愛剣を振るい、ゴジラに劣らぬ巨体を霧の中から呼び出す。
「……さて。まずは試させてもらおうか」
 やや黄色い白はクリーム色とでも言えばよいか。それだけならただ明るいだけの体色だが、牛のように黒い模様が全身にある巨体は、権藤達が冬木に突入する際に遭遇、ガルーダで交戦した怪獣に他ならなかった。
「エレキング……月が誇る雷の竜。サドラの霧に覆われた冬木はまさにこいつのフィールドだ」
 果たしてこの月光雷竜を相手にゴジラがどこまでやれるか。またはその逆、自分達の陣営の怪獣はゴジラ相手に通用するのか否か。
 金属と金属を擦り合わせたかのような耳障りな咆吼が冬木中に響き渡った。が、ゴジラはまるで意に介そうともしていなかった。方角的に真っ直ぐ、大聖杯へと向かっている。
 それに腹を立てたのだろうか。エレキングが再び咆吼をあげた。
 霧を流れる電流が各所で稲光を放ち、挨拶代わりとばかりにゴジラを焼く。それを受け、ようやく面倒そうにゴジラの影がエレキングへと向き直っていた。



 巨獣が向き合う。
 たとえ数キロ離れ、霧によって相手を影以外に目視できない状態であっても、怪獣達は互いの息遣い、鼓動まで感じ取っていた。
 ゴジラは霧に映る影を面倒そうに睨め付け、低く唸った。
 揺れる。
 震える。
 うねる激情はひどく鬱陶し気だった。大島で目覚めた直後に喧嘩を吹っ掛けてきた鉄の巨猿、ゴリアテUを思い出しているかのようだ。
 ゴジラの全身をさらなる“怒り”が駆け巡っていく。
 見逃してやってもよかったのだ。いや、むしろゴジラにとってエレキング如きどうでもいい存在だった。感知はしていても、無視して構わない程度の。怒りの矛先はただひたすらに大聖杯へと向けられていた。
 なのに、邪魔をするという。道を塞ぐという。
 苛立ちは尻尾を激しく揺らし、その場から一歩も動こうともせずに道を、家屋を、次々と破壊していく。
 だが、邪魔者は退こうとはしなかった。
 退くどころか、ゴジラ目掛けてエレキングはまるで哄笑するかのように肩を揺らしながら仰け反って後、口と思われる部位から三日月型の光弾を無数に放射していた。霧をスパークさせながら迫る光弾が、ゴジラに着弾して大爆発を起こす。
 不意を突いての、圧倒的な火力だった。
 メーサー砲やミサイルの一斉射とは比較にならない、巨大特殊生物のみが為し得る大火力。
 さらに、霧が閃光を放つ。いつの間にかゴジラの身体にエレキングの異常に長い尻尾が巻き付いていた。
 サドラがその体表から分泌させた揮発性の液体によって生じる霧、電磁セクリションフォッグは電波障害を誘発する反面電気の伝導率自体は非常に高い。そこに電流を流すことによってエレキングは冬木を外界と完全に遮断してみせたわけだが、その電撃を、今度は長大な尻尾をゴジラに巻き付けることによって直接流し込んだのだ。電流は、冬木を囲む結界とは桁外れの出力、数百万ボルトでもってゴジラに襲いかかった。
 尻尾でゴジラを締め上げながら、エレキングは電流を流し続けた。その都度、ゴジラの全身が激しく痙攣する。たとえ怪獣と言えども耐えられる限度はとうに超えていた。
 雷光が煌めき、霧に流れた余波が周囲を破壊し尽くしていく。
 どのくらいそうしていただろう。
 尻尾による拘束が解かれた。
 勝ち誇るかのようにエレキングはアンテナをクルクルと勢いよく回転させた。まるで王を嘲笑う道化の様だ。自らの勝利を一抹も疑っていないようにも見えた。



 エレキングの攻撃によって全身から黒煙をあげるゴジラをつまらなそうに眺め、フィナは、
「存外に呆気なかったな」
 肩を竦めながらそう漏らしていた。
 あの、ゴジラなのだ。
 地球生命を脅かし、アルトルージュに恐怖を教えた最強にして最大、最悪の怪獣王にしては呆気なさ過ぎる最期だった。
「もっとも、この霧の中でエレキングと戦えば仕方がないか」
 ゴジラとて結局は視覚に頼る部分が大きい。対してエレキングには目が無い。目に該当する部分から生えたアンテナ型のツノから発する超音波レーダーによって敵の位置や状態を察知するエレキングを相手に、敵の場所や距離もまともにわからないのでは端から勝負になるはずもなかったのだ。
「少し計画が狂ってしまったな。……そろそろ来る頃かとも思ったんだが、郊外の森からこの濃霧の中をこちらまで来るにはさすがに時間がかかるか」
 懐から取り出した古ぼけた懐中時計を見やり、フィナは溜息混じりにアインツベルンの森がある方角を見た。
 ……まぁ、構うまい。結果としてアルトルージュの望みがかなうのなら、彼女は経過をさほど重視はしないはずだ。
「つまらないのは、拘ってるのはむしろ俺の方だよ、リタ」
 もっとも、これで良かったのかも知れない。フィナの拘りはまるで人間のようにつまらない感傷だ。そのようなもの、いつまでも抱え込んでいるのはアルトルージュの片腕として相応しいとは思えない。故に決別の心算もあってこそ、黒化したセイバーを差し向けたのだ。
 誘き寄せろ、とは命じた。が、殺すなとは命じていない。
 なんて微妙な。
 理性のない戦闘機械と化した騎士王を用いて、フィナは賭に出たのだ。
「君がここに辿り着けたならそれもありかと思っていたけれど、もう、終わりだ。終わらさなければならないんだろうなぁ……」
 自嘲と、そして滅びゆく怪獣王への嘲笑。エレキングと呼応するかのようにフィナはクックッと喉を鳴らした。
 ……だが、嘲笑はすぐさま止むこととなる。



 まるで勝利の余韻に浸ることなど許さないかのように、エレキングのアンテナは異常を察知していた。もし霧がなかったなら、目もなく口も無感情なエレキングから、明らかな動揺が、狼狽が見て取れたことだろう。
 爆炎と霧の向こう、ゴジラの影はまったく揺らいでもいなかった。
 視界最悪な濃霧内においても視力に頼ることなく敵の居場所、現在の状態を探る事が可能なエレキングの能力は、ゴジラがまるでダメージを受けた様子がないことを鮮明に告げていた。
 馬鹿な、と。
 雷竜が人語を操れたなら、そう叫んでいたに違いない。
 エレキングが、吼える。
 狂ったように吼えながら、光弾が連射されていく。一撃一撃が戦車を一瞬で蒸発させるだけの熱量、高層ビルを粉々に粉砕する爆発力を秘めたものだというのに、ゴジラは怯み後退するどころか、悠然と歩き始めていた。
 さらなる連射、連射。
 後退して距離を取り、近付けまいとエレキングが光弾を放ち続ける。
 流れ弾がビルを崩し、大地を剔り、冬木を徐々に炎に包んでいく。霧による湿気から火災はさほど広まりはしないかと思われたが、連続で放たれた光弾はそれでも煉獄を具現させるには充分だった。
 霧が紅蓮に染まる。その紅蓮の中を、ゴジラはまるで意に介さず突き進む。突き進みながら、青白く輝く放射熱線がエレキングに向けて放たれていた。
 青が赤を侵略していく。
 まともに戦うつもりなど無いかのようにゴジラは熱線を吐きながら前進し続けた。熱線で焼かれ、エレキングが悲痛な金切り声をあげる。
 そして、零距離。
 熱線が止むと同時に、エレキングの倍はあろうかという太いゴジラの脚が、無造作に前蹴りを放って――否、それは蹴りですらなかった。ただ踏み出していただけだ。障害を排除しようとする気概すら感じさせず、ゴジラの脚はエレキングの巨躯を蹴倒し、踏み潰していた。



「は、は……馬鹿な……なんて、なんという……っ」
 流石にフィナもこの一方的な蹂躙には瞠目せざるをえなかった。月光雷竜エレキング――かつて“ある目的のために”月にて製造された存在の一体である。結局、その目的には適わなかったものの、それでも並の怪獣とは比較にならない戦闘力を有するはずのエレキングがまるで子供扱い……どころか、ただの邪魔者扱いとは。
「まさに怪獣王か。王になれなかった者には荷が重すぎるな、これは」
 エレキングは鳴いた。鳴きながら全身をスパークさせ、ゴジラに組み付いた。とは言え、体長はさしてかわらずとも、全身を覆う筋肉の量に差がありすぎる。エレキングはどちらかといえばスマートなフォルムだ。重量級のゴジラを相手に接近戦は無謀が過ぎた。
 ゴジラが蹴たぐるたびにエレキングの絶叫が冬木中に響き渡る。
 思わず耳を塞ぎたくなる程の、凄惨な悲鳴だった。既に戦闘どころか蹂躙の体すら成していない。エレキングに残された道はもはや虐殺されて果てるのみかと、フィナは早くも諦念を抱いていた。
 ――だが。
「……ん?」
 倒れたエレキングへと、とどめとばかりにゴジラが再び放射熱線を放とうとした――フィナには、そう見えた。ゴジラの背ビレが、口が、間違いなく青白く発光したはずなのに、
「撃たないのか?」
 熱線が、吐き出されない。
 短く唸り、ゴジラはエレキングを踏みつけ、尻尾で叩きのめした。エレキングのダメージは既に致命的なものになりつつある。
 ……なりつつはある、が。
「は、はは……そうか、ゴジラめ、そうか!」
 フィナは突如笑い出すと、再び愛剣を指揮棒のように振るった。
「ゴジラめ、足りて……いないな? 不完全なままか!」
 そう、なのだ。
 気付かなかった。あのアルトルージュ・ブリュンスタッドを恐怖で狂乱させる程の怪獣王の存在感に、目を塞がれていたと言う他無い。だが、ゴジラは目覚めたばかりで、しかも直後に激戦を繰り広げてからまだ一週間と経っていないのだ。その間、果たして奴は回復したのか?
 ゴジラのエネルギーは、放射能である。これは十年前にロシアの原潜破壊、及び静岡の井浜原発襲撃にて確認されたことであり、フィナも当然知っていた。
 ゴジラがそもそもいかなる生物であったのかはわからない。恐竜の生き残りなのか、未知の爬虫類であったのか、ともあれ放射能によって巨大化し、異常なまでの生命力を得た大怪獣であることは周知である。
 その、生命の源とも言える放射能を、ゴジラは補給したのか?
「そう、今のお前はガス欠寸前……ク、クク。なんだ、血を吸っていない吸血鬼と大して変わらないじゃないか」
 フィナはおかしくてたまらないとばかりにゴジラを見据え、剣を振り下ろした。
 本能が告げていた。計画も、拘りも、この怪獣王相手には危険すぎる。倒せるのなら倒してしまわなければ、危険だ。
「なら、一気にケリをつけてやるさ」



 エレキングを踏みつけ散々に打撃を加えたゴジラは、いよいよとどめをさそうとエレキングの首を踏む右脚に力を込めた。
 ゴジラの重量、概算にして6万トン。凄まじい重量が一気にエレキングの首にかかる、まさにその瞬間だった。
 突如、地面から巨大な昆虫の顎が飛び出し、ゴジラの尻尾を挟み込んでいた。ノコギリの刃のようなそれは漆黒の皮膚に喰い込み、ギチギチと断ち切らんばかりに締め上げてくる。
 たまらず咆吼したゴジラの、今度は首へと巨大な鋏が喰らい付き、血しぶきが舞った。さらには足下から不気味な音をたてながら大量の泡が身体をのぼっていく。
 新たな、障害。
 ゴジラの体勢が崩れ、つんのめる。その隙にエレキングは這々の体で逃げ出し、かろうじて起き上がることに成功していた。
 地面が、割れる。
 霧の中から一対の鋏が伸び、迫る。
 泡がゴジラの皮膚を溶かし、全身にまとわりついていく。
 低く唸る怪獣王の前、新たに現れた三体の怪獣はそれぞれの武器を見せびらかすように披露しながら、霧の中に巨体を浮かび上がらせていた。



「サドラ、アントラー、ダンカン……! エレキングと協力してゴジラを血祭りにあげろ。そいつは、どうせもうガス欠だ」
 怖れるまでもなかったのだ。
 これでアルトルージュも安心してくれるだろう。フィナは大聖杯の傍らで怯えている主を憂うとともに、その不安を晴らせる事に……何より、自身が強い安堵を覚えていた。
 アルトルージュ・ブリュンスタッドは至高の存在でなければならないのだ。たかが怪獣の一匹に怯え、涙するような少女であってはならない。
 究極にして無二の存在。あの白翼公をも凌駕し、闇の世界の頂点に君臨すべき吸血姫にして己が敬愛しやまない主人を思い、フィナは剣を握る手に知らず力を込めていた。
 そうして、魔力を乗せた口上を解き放つ。
「徹底的に、殺し尽くしてやる……ッ! さぁ、航海の時間だ、碇をあげろ、我が船団! ――パレード!!」
 フィナの周辺空間が、歪む。
 セントエルモの火を彷彿とさせる鬼火が霧の中に無数に浮かび上がり、世界を変容させていく。が、それにしたところでこれは……異様だった。
 術者の心象をもって世界を塗り替える固有結界、中でも最大規模、凄絶な威力でもって知られたフィナ=ヴラド・スヴェルテンの幽霊船団パレードは、冬木全土を覆い尽くさんばかりの勢いで世界浸食を果たしていった。
 霧は消えていた。
 全てにおいて桁外れている。
 荒れた海を思わせる世界。夜天にかかる月は仄白く怪異な光を放ち、その一方で雲によって覆われた一帯では稲妻が絶え間なく鳴り響き、豪雨が降り注いでいた。
 もっとも異常なのは、大地だ。
 そこは大洋だった。全てを呑み込む真夜中の海が水平線を形作り……フィナはその中心に浮いていた。ゴジラも、サドラもアントラーもダンカンもエレキングも、皆浮いている。何事かとシェルターを飛び出してきたらしい人の姿もチラホラと見えた。
 地面が無いのだ。
 皆、波に晒されている。海水を実際に感じ取れるのに、そこは海でも空中でもない。まるで海が描かれたキャンパスに後付で描き込まれでもしたかのように不自然で、けれどその不自然な世界こそがフィナの超大型固有結界“パレード”であった。
「船団よ!」
 不可解な海に、無数の艦影が浮かび上がる。
 船の形状はまさに千差にして万別。中世のガレー船と思わしき船もあれば、最新鋭のイージス艦らしきものも見える。
 共通していることは全ての船が純白に塗られていること。その徹底した白さは非現実的な、幻想そのものだった。
 幻想の艦隊は、真っ直ぐに突き進んでいく。先頭は艦隊旗艦ザイダベック号。続く艦艇は二〇を超えていた。
「全艦、全砲門開けッ!」
 数百を数える砲が、全てゴジラに向けられる。ゴジラの巨体はサドラの腕とエレキングの尻尾、そしてダンカンの放った泡によって自由を奪われていた。
「熱線を放てない以上、奴に反撃の手段はない! 撃ちまくれ! 砲爆のパレードでもって白騎士フィナがゴジラを倒す!!」
 フィナの指揮のもと、凄まじい轟音が響き渡り、結界を揺らした。
 エレキングの光弾をも凌駕する火力はかつてヴァン=フェムの第五魔城マトリを陥落せしめた程のもの。それが、放たれる。放たれる。放たれる……!
「はは、ははは、ははははははははは! 我が君、アルトルージュ・ブリュンスタッドのために砕け散れよ、ゴジラぁ!!」
 爆炎と閃光の彼方、揺らぐゴジラの影を見つめ、フィナは狂喜しながら愛剣を振るい続けていた。








〜to be Continued〜






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