episode-18
〜聖杯大戦争〜
Part 9 黄金の輝き(前編)


◆    ◆    ◆






『霧幻地竜』サドラ。
『磁力甲獣』アントラー。
『溶泡怪獣』ダンカン。
 そして……『月光雷竜』エレキング。
 いずれ劣らぬ“星”が有する怪獣達は、既に立ち上がる力をも失い倒れ伏したゴジラへの攻撃の手を決して緩めようとはしなかった。
 世界から断絶された固有結界『パレード』の中、当然のように砲火も止まない。フィナは愛剣を振るい、彼の指揮する船団はゴジラを撃ち続けていた。
「まだ死なないか。その頑健さ、やはり常軌を逸しているな」
 主命に背くのは何も初めてではない。
 リィゾが十全をアルトルージュに従うのに対し、フィナは比較的自由に彼女への忠義を果たしてきた。堅物の黒騎士は命じられない限りはまず動かない。その代わり、姫君のいかなる気紛れにも全力で従い、命を果たそうとする。
 フィナは、違う。
 忠誠心は本物だ。リィゾにも劣らぬだけのものがあると自負している。無ければ、あのアルトルージュ・ブリュンスタッドの両翼を千年の永きに渡り担い続けるなど不可能だった。だが、フィナは何もあらゆる主命に従うばかりではない。この白騎士は主にとって最善と判断したなら平気で主命を反故にする。最善とは、アルトルージュを守ることと、さらに彼女を愉しませることである。しかし今回ばかりは後者は無視した。
 アルトルージュの望みはゴジラの死ではない。
 彼女は自分に“恐怖”という感情を植え付けた怪獣王を、それでもただ滅ぼしてしまうつもりなど無かった。むしろ恐怖に苛まれながら、身を捩り、理解不可能な感情の渦に戸惑いながらも涙で濡れた瞳でフィナに命じたのだ。
 殺すのではなく、ぶつけろ、と。
 日本に。
 冬木の街に。
 そして……自分達を阻止せんと動く者達に。
 共倒れを狙っての発言ではなかった。彼女はそのような奸智を巡らせはしない。黒の姫君は、無垢で、残酷で、可憐で、幼稚で、……生まれもっての支配者なのだ。
 彼女こそは王であった。
 月の王として君臨するに相応しい存在である、超常を統べるに相応しい存在であると信じるが故にフィナは騎士で在り続けたのだから。
 そして騎士だからこそフィナは主命に背くのだ。
「……無理、ですよ。姫」
 ギリッ、と。歯軋りの音に焦りが混じる。
 左右に広く展開した艦隊の一斉射はゴジラの全身を撃ちのめし続けていた。ヴァン=フェムの魔城すら陥とした砲撃の威力は、大怪獣を相手にしても決して引けをとるものではない。総火力においては防衛軍や特自の最新兵器の爆撃にさえ匹敵するだろう。
 なのに、死なない。
「まさに不死身か……コイツは……ッ!」
 不死の化物たる吸血鬼が、ただの生命に脅えた。主のそれと比べるまでもないとは言え、フィナもこのように純粋な恐怖を感じたのは果たしていつ以来であったか。騎士でなければ逃げ出していたところだ。
 生かしてはおけなかった。
 アルトルージュはまだ恐怖を持て余している。ゴジラという存在が果たしてどれだけのものか、その危険性をへの見知が甘いと言わざるをえない。
 だから殺すのだ。白騎士フィナが、ゴジラを殺す。
 アルトルージュ・ブリュンスタッドのために、地球最強の生命を殺す。
「だから……邪魔は、させないと――ッ!!」
 ゴジラを殺すために私情を殺そうとしたのだ。けれど、それでも消しきれなかった情もある。華麗に舞っていたフィナの剣がピタリと制止し、同時に艦隊の砲撃が、止む。
 無論、ゴジラはまだ死んではない。サドラ達は変わらずゴジラに攻撃を続けている。
 そこで、爆音。
「……ああ、だが、それでも君は辿り着く。俺は信じていた」
 艦隊の砲撃とは異なる轟音。固有結界『パレード』そのものを揺るがす大音響に、フィナは寂しげな笑みを浮かべた。
 待ち人が、来たのだ。
「相変わらず容赦がないな、リタ……!」
 それは、異様な音と揺れだった。『閉じた世界』を外側から爆撃される――異様と呼ばずしてなんとするのか。世界そのものと構築者たるフィナの心身に直接響き渡る爆音と振動は激しい頭痛と嘔吐感を伴った。
 しかし些事。主のためにゴジラを倒すという目的の前にその程度の障害は悲しいほどに些末だ。
「世界に世界をぶつけての一点突破か。そうだろうな。それしか方法は無い。俺のパレードは、完璧な世界だ。崩したければ、まったく別の世界をぶつけて打ち消すしかない。……が、方法として間違って無くても、出来るか? 君に」
 固有結界による固有結界の相殺。とは言えそれには非常な困難が伴う。まず第一に、固有結界の使い手としてフィナはリタよりも数段上にいる。パレードはその規模もさることながら、広範囲に展開状態で移動可能という特異な性能と、さらに圧倒的な世界強度を誇っている。リタの固有結界は決闘における切り札としては有用でも、攻撃力以外に見るべき所はない。
 水滴がやがて岩に穴を穿つかのようにリタの全身全霊を一点に集中し挑み続ければ或いは砕くことも可能だろうが、そのために彼女は致命的な消耗を強いられるのは確実だった。それにセイバー……アーサーにはリタだけは殺してもかまわないと命じてあるのだ。今の騎士王を相手にしては、いくら二七祖の中でもリィゾと比肩する剣の使い手リタ・ロズィーアンであっても無傷でいられるはずがなかった。
「……さぁ、どうする?」
 なのに、フィナの顔からはやや強張った笑みが消えない。
 どうしようもなく、信じているのだ。
 リタなら、辿り着く。自分達の因縁にはそれだけの強さがある。
 そして――
「うおぉおっ!?」
 ――最大級の衝撃が、パレードを揺るがしていた。





◆    ◆    ◆






 ――その、およそ十五分前――



「なぁ」
「どうした、蒔?」
 妙にソワソワしながら車中で首を動かす楓に、見かねて鐘は声をかけた。全員が緊張している中、この娘の落ち着きの無さは少々目に余る。
「いや、そのさぁ。……ゴジラ、上陸してるんだよね?」
「ええ。……上陸はしてる。そう感じた……のだけど」
 眉を顰め、未希は天井を仰いだ。
 車は既に市街地へと入っていたが、ゴジラが上陸したにしては妙に静かすぎた。爆発音どころか足音も鳴き声も聞こえては来ない。ひっそりと、霧に覆われた冬木市新都はあたかもゴーストタウンの様相を呈していた。
「これ以上は速度も出せやしねぇ」
 悪態をつきながら、権藤はすぐ目の前を走るセラの車に目をやった。視界最悪、さらにゴジラがいるかも知れない市街ではぐれたら最後だ。
「ゴジラもだが、リタの姉ちゃんはまだ大丈夫なんだろうな?」
「……大丈夫、です。少し距離はありますけど、かろうじてアーサ――……セイバーさんの猛攻を凌ぎ続けてくれているみたいですから」
 未希の超能力以外に頼る術がないとは言え、彼女には負担をかけ通しだ。充分に休みは取ったと言っているが、ゴジラの発する存在感に終始あてられているのだから僅かな休息などそれこそ気休めにもならないのではないかと思う。
「でも、やっぱりゴジラの気配が消えてしまったままで」
 未希の話では、新都に向かう途中唐突にゴジラと、他の怪獣の気配まで一度に消えてしまったとのことだった。ただし魔術師組が寸前に膨大な魔力を感じたとも言っているので、原因が完全に不明というわけでもない。
「可能性があるとすれば結界の類ね」
 凛の言葉に桜が重々しく頷く。
「はい。しかもあの魔力の発動形質はただの結界じゃないと思います」
「そうね。それに前々から仕込みがなければゴジラを完全に遮断するだけの大型結界は難しいけど、敵の……二七祖、フィナ=ヴラド・スヴェルテンは卓越した固有結界の使い手だそうだし、多分そいつの仕業じゃないかしら」
 凛の説明を聞いてもピンと来ないのか、一般人組はハテナ顔のままだ。
「質問しつもーん。なにその“こゆーけっかい”って? 結界とか言うのはアレだろ? よく漫画とかゲームに出てくる、自分を守ったり相手を閉じ込めたりするヤツ」
「蒔ちゃん、今はちょっとそういうのは控えた方が……」
「蒔寺の空気読め無さはもはや神懸かり的だねぇ」
 由紀香と綾子に呆れられブー垂れつつも、楓はまだ興味津々のようだった。さりとてわざわざ説明するのも面倒なので、凛は溜息混じりに士郎を指差した。
「一から説明する時間もないしね。ここに固有結界の使い手“候補”ならいるわよ」
「え、マジ?」
 おおっ、と全員の視線が集中し、士郎は凛を睨んだが素知らぬ顔でスルーされた。
「うへー。衛宮ってそんなすっげぇスキル持ってたんだ」
「と言うかコイツが魔術師? ってのがまだ納得出来ないんだけどね。どう見ても城の兵士Aとかだろ」
 楓と綾子の好き勝手な言い草に腹を立てながらも、士郎は雑念を振り払うかのように一人拳を握り締め、遠くで鳴り響いているはずの剣劇の音に耳を澄ませていた。
 セイバーとリタ・ロズィーアン。
 リタを軽視するわけではないが、士郎はそれでもセイバーの勝利を疑ってはいなかった。贔屓目ではなく、剣という属性を持つ者として二人の剣士を比較し、その上で思うのだ。凛達もそう考えているからこそ焦りが見えるのだろう。
 セイバーは負けまい。アルトルージュによって操られ、黒く染まった聖剣を不本意に振るってなお彼女は最強の剣士だ。
「……クソ……ッ!」
 誰にも聞こえないよう小さく吼え、士郎は歯茎から血が出るくらい強く歯を噛み締めた。こんな事、起こって良いわけがなかった。この時代で新しい人生を歩み始めたセイバーとライダーはもっと穏やかに幸福に生きていかなければならなかったのに。自分が、そんな二人の生活を守らなければいけなかったはずなのに。
 さらにはイリヤまでさらわれて……
「……」
 硬く握られた士郎の拳に気付かないふりをしてやることが優しさなのか、凛にも桜にもわからなかった。そうすることで彼を危険から遠ざけることは出来る。けれどそれは衛宮士郎からもっとも“彼らしい”部分を奪うにも等しいことのように感じられた。
 だから責められなかったのだ。
 冬木が霧に覆われ、アルトルージュ一派との戦闘が始まってこの方士郎の無謀さはひたすらに厄介で、危険極まりないものだった。なのに凛でさえ、彼を強く咎めることは出来なかった。
 士郎の、士郎たる由縁。
 どうして自分達は士郎に惹かれたのか。セイバーは、どうして騎士王としての望みと決別し、この時代に生きる決意を持ち得たのか。
 時に悪徳とさえ映る彼の一途さ。無鉄砲で、無理矢理で、無茶苦茶で、ひたすらに真っ直ぐな……愚直なまでの馬鹿さ加減に皆惹かれたのではなかったか。
「あっ」
 爆音が、聞こえた。
 車のエンジン音以外に音など消え失せてしまったかのような新都に響き渡るそれは間違いなくリタのもの。
「……近いわね」
 横目で士郎を見ながら、凛はどうしたものか思案した。
 セイバーを開放するにはアルトルージュの強制的な契約手段、黒い血を抜き取るしかない。ライダーで実証済みの方法以外には何も浮かばなかった。しかしあれは首を切ってなお生き延びられるライダーの特性が皮肉にも星側の影響力によって増加していたから死なずに済んだわけであって、伝説のアーサー王と言えども首を落とされ生きていられるはずがない。
「何か、方法があれば……」
「……姉さん」
 姉妹は無力だった。凛の“奥の手”もこの件に関しては意味を為さない。万策は尽きたかと、凛も桜も力無く俯いた時、
「――……一つ、もしかしたらですが」
 口を挟んだのは桜の膝上のライダーだった。
「ライダー、何かあるの?」
「可能性の話です。確証はありません」
 平生のままの、いや、普段より大分無機質な声でライダーは話し出した。いつの間にか士郎も拳を緩め聞き入っている。
「リン、セイバーは先日の戦闘で一度正気を取り戻しかけたと言いましたね?」
「え、ええ。リタとの戦いで、多分血を流しすぎたせいじゃないかとは思うけど」
「その後は、フィナに撃たれ、傷だらけのまま連れ戻された」
「そうよ。でも、それが何か――」
 話を遮るように、再び爆音が。今度はかなり近くから聞こえた。
「つかず離れず頑張ってみるってリタ・ロズィーアンは言ってたけど……」
「いよいよ無理のようですね。これだけ近いと霧による魔力ジャミングも薄い。……今の、その黒い鎧を纏ったというセイバーを私は直接目にしたわけではありませんが、澱んだ気配だけは感じます。あの澄み切った清涼な魔力が嘘のように濁っている」
 ライダーの言う通りだ。駐車場で肌に感じた禍々しいあの魔力は、セイバーのものでありながらしかし彼女とはかけ離れていた。
 暗く濁った汚泥のような魔力。黄金に輝く清涼な風を想起させるかつてのセイバーとは違いすぎる。
「私もアルトルージュの黒い血に蝕まれたので、わかります。あれは浸透すれば精神を違和感なく彼女寄りにする。内面を塗り替える感じなのですが……だから、違和感があるのです」
「え?」
「この濁った魔力はセイバーに浸透しているのではなく、覆い尽くしているように感じられる。異質なのです。彼女であって彼女ではない」
「つまり……アルトルージュの血は本来は内的要因のはずなのに、今のセイバーは外的要因によって操られているように感じられる?」
 凛からの問いに、ライダーは頷こうとして転がった。咄嗟に桜の手で支えられつつ、コホンと喉など半分くらいしか残っていないのに咳払いをすると、ライダーは士郎へと向き直ろうとした。
「前回血が抜けた後、セイバーの中の黒い血が彼女の精神を塗りつぶせるほど増殖が間に合わなかったのだとしたら、今の彼女は」
 桜は、ゆっくりとライダーの首を士郎へと向けてやった。
「ですから……もしかしたら、セイバーを助けることは出来るかも知れません。……シロウ、貴方なら――」
 衝撃で、言葉が途切れた。
「うぉおおおおおっ!?」
 権藤が凄い勢いでハンドルを切るのが見えた。ワゴンが横滑りしてアーケードに突っ込もうとしている。
「ご、権藤一佐!?」
「お、おいシオン嬢ちゃん、いきなり何を……」
 どうやらシオンが助手席からいきなり権藤の腕を掴んだらしかった。その顔には焦りの色がありありと浮かび、目の前の、市街を睨み据えている。ワゴンはあわや商店に激突する寸前で止まっていた。
 何があったのか、とすぐ前を走っていたセラの車も止まったようだ。
「市街地に入ってからエーテライトを使って車外を探査していたのですが、ここ……違和感がある。未希、貴女は何か感じませんか?」
「何か……ん……」
 深く息を吸い、目を閉じた未希は空間に漂う異常を察知すべく神経を集中させた。……確かに、微妙な違和感、差異いがある。
「結界、か?」
「わかりませんね。魔術的な異常はむしろ感知出来ない。固有結界の特性もさることながら、術者の力量がおそらくは桁外れなのでしょう。エーテライトで察知出来たのはここの霧に違和感があったおかげです」
 結界を展開した時に霧が微細な影響を受けたのだろう。しかし構造を解析しようにもシオンは魔術師としては三流もいいところだ。ここは凛に任せようとして――
「士郎」
 凛は、士郎に外に出るよう顎でしゃくっていた。
「あんたに任せるわ。固有結界なら、自分で使用出来るかどうかは別としてもあんたの方が解析には向いてる」
「そ、そうなのか?」
「アーチャーと“無限の剣製”の中で戦った時のこととかを思い出しなさい! 元々構造解析に向いてるんだから、無理じゃないはずよ」
「でも、そもそもどうして、その……フィナ? とかいう奴は固有結界でゴジラを閉じ込めたりしたんだ?」
「倒すため……以外には、正直よくわからないわね。でももしそうなら、結界を破壊してゴジラが暴れ出してくれればアルトルージュ側は混乱してくれるはずよ」
 もっとも自分達をわざわざ燻りだした件から考えれば、今ゴジラを結界内に閉じ込めている理由は本当にわからなかった。もし本当に、純粋にゴジラを倒すためで、倒せないまでもあの破壊神にダメージを与えられるのならそれでも構わないのではと思わぬでもなかったが……不確定要素が多すぎる。敵の敵は敵、とは言えこちらがゴジラを利用するつもりでいたことを見抜かれているなら、やはり結界は破っておくに越したことはない。
「暴れ出してくれればって……街はどうするんだ!?」
「何とか誘導してみるしかないでしょうね。どっちにしろ相手方にも怪獣はいるんだし、結局はわたし達の対応次第よ。違う?」
 反論も出来ず、士郎は渋々と引き下がった。
「……わかった。やってみる」
 車のドアが開き、士郎が飛び出す。続いて凛が飛び出し、桜とリズが続いた。
「志貴、あなたはどうしますか?」
「どうするも何も、俺の目なら固有結界とやらの境界も視えるかな?」
 シオンはやや考え込むように顎に手をあて、ふむとごちるとすぐに首を横に振った。
「やめておくのが無難ですね。二七祖の心象世界そのものを視る行為ですから、負担は計り知れない」
「でも、もしもの時は……――」
 志貴が眼鏡に手をかけた瞬間だった。
 本当に、すぐ近くで爆音。
「リタさん、圧されてるのか!?」
「どうやら戦況は芳しくはないようですね」
 言うが早いか二人も車を飛び出していた。取り残された一般人組は未希と権藤の指示を仰ぐように二人の表情を覗き見たが、どうやら何をどうすれば良いなどと言った単純な状況でないらしいことだけはわかった。
「……車内だから安全だって事はないようね」
 やれやれと、綾子が腰を浮かせる。
「嬢ちゃん達は……この辺なら近くにシェルターくらいあるだろう。そっちに逃げた方が――」
「はっ! 冗談」
 僅かに唇を震わせながら強がったのは、楓だった。
「アルちゃんとイリヤッチに会うまでは、呑気に隠れてなんてられないってば」
「そ、それに……未希お姉ちゃんだって、その、超能力がなければわたし達と変わらないわけですし、……えと、だから」
 由紀香も、譲るつもりはないらしい。鐘に至ってはこの二人のことは任せろとでも言いたげに不適な笑みすら浮かべていた。
 仕方ねぇなと頭を掻きながら、権藤はメーサー銃を手に外に出た。
「で、遠坂の嬢ちゃん、どうする?」
「二手に分かれた方が良さそうですね。もっとも戦力的には既にバラバラも同然ですけど」
 零と、さつき、有彦は大聖杯に直接向かったのだろうか? だが地理に明るくない三人が濃霧の中迷わず先に進めるとも思えなかった。となると、それぞれ足止めを喰っていたりする可能性もある。確固撃破などされようものなら目もあてられない。
 僅かな判断の遅れ、過ちが生死を分ける感覚に、凛は半年前の感覚がどんどん甦っていくのを感じていた。冬木が外界と遮断されてこの方感じ続けていたそれは、ほんの少し、懐かしさと同時に寂寥を伴う。隣に居るはずの皮肉屋な弓兵が居てくれない心細さ、自分に弱さを、しかし凛は笑って呑み込んだ。
 彼からは、託されたものがある。そのためにも負けてなどいられない。奮起する理由などそれで充分なように思えた。
「……じゃあ二手に分かれるとして、分かれ方は――」
「ぐ、くあっ!!」
 凛を遮ったのは爆音ではなく、吹き飛ばされてきた女性がアスファルトに叩きつけられた鈍い音だった。
「リタ!?」
 傷だらけのリタが砕けた道路に横たわっている。
「ま、まったく、難儀でしたわよ……倒さず、引き付けるだけ、と言うのも……」
 強がりも弱々しい。いまだ完調ではないリタと、暴走状態と言っても差し支えない黒いセイバーでは士郎の見立てた通り後者が勝っていた。戦闘経験と技術だけで堪え続けたリタに感嘆しつつ、凛はセイバーがいるであろう方を睨む。
 そこに、彼女は立っていた。
「……セイバー?」
 確かにライダーの言う通りだ。姿形はセイバーのままだというのに、違う。どうしようもないくらいに、それはセイバーではなかった。
 満身創痍のリタと比べ、セイバーは驚くくらいダメージが少ない。所々鎧が欠け、服が斬り裂かれているのはリタの意地の賜物だろう。
「……」
 無言のまま、セイバーは漆黒の聖剣を振り上げていた。
 助けを求めるならリズか、バルスキーか。……リズも強いがセイバー渾身の一撃を受け止めるのは不可能だろう。バルスキーは……距離がある。今から間に割って入るなど出来っこない。
 結論として、
「……はぁ」
 腰の後ろに差した“奥の手”を握り締めながら、凛はリタとセイバーの間に立ち、友人に殺気混じりの視線を向けた。
 あまりの威圧感に腰が抜けそうになる。いつものセイバーが発している斬り裂かれそうな気と違い、今の彼女から放たれているのはドス黒い重圧だった。あまりの重みに骨が軋みそうだ。
「お逃げなさいな。わたくしなら、まだ暫くは持ち堪えられます」
 リタの言葉にも嘘はあるまい。最後の余力は残しているはず。けれどそれはここで切っていい手札では無いはずだ。
「いいから、リタ・ロズィーアン、貴女は結界を崩して中へ。……こっちは、身内だもの。身内でケリをつけるわ。桜、あんたは権藤一佐達を大聖杯まで案内して」
「姉さん、でも――ッ!」
 桜が反論しようとした瞬間だった。
「あ」
 いつ、地を蹴ったのか。凛の反応などまったく寄せ付けぬ黒い旋風は、眼前にいた。剣は、頭上にあった。
「このッ!」
 咄嗟にリタの放った魔力がセイバーの眼前で爆ぜるも、ものともせずに聖剣は振り下ろされる。凛もろともに、リタを両断せんとしているのは明らかだった。
(うそ……これで、終わり?)
 ぼんやりと、凛は迫る死を見つめていた。
 俗に言う走馬燈は特に浮かびはしなかった。スローモーションのように映るセイバーの動きは、それでも速いなと感じた。人間の知覚限界を遥かに超えているがためだろうか。風切り音さえ聞こえない。
 余計なこと以外、何も考えられない。
 ただ、傍らの寂しさが胸を突いた。ここで終わりなのかと思うと、あの皮肉屋からはきっと馬鹿にされるのだろうな、なんて本当にくだらないことが浮かび――
「ッ!」
 引き寄せられた。おそらくは、リタだろう。
 再び空間が爆ぜる。爆破による抵抗はしかし凛を巻き込まないようセーブされているためかセイバーには全く効果無しだった。
 遠くから桜の声が聞こえたような気がした。
 桜だけではない。綾子の、楓の、由紀香の、鐘の。皆の声が聞こえ、けれど聞こえない声があった。それがちょっとだけ不満で、目を閉じようとした凛はけたたましい金属音に瞠目していた。
「大丈夫か、遠坂!?」
 聞こえなかった声がこんなにも間近から聞こえたことに不思議なくらい安堵しつつ、凛は聖剣の一撃を聖剣で受け止めた士郎に対し勢いよく頷いていた。








〜to be Continued〜






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