episode-19
〜破壊の月姫〜
Part 0 決戦―序曲―


◆    ◆    ◆






 意識を失っていたのは果たしてどのくらいであったか。
「……うっ」
「目を覚ましたようでありますな」
 メディアが目覚めると、すぐ脇にの石塊にリィゾが腰掛けていた。表情の抜け落ちた相貌はひどく疲れているような、吸血鬼である彼にはありえないはずなのに、気を失う前に見たよりも随分と老け込んでしまっているようにも見えた。
「黒騎士、リィゾ……いったい、何が……痛ッ」
 ズキリ、と。
 こめかみの辺りを締めつけられたような感覚に、メディアは呻いた。それにしても頭痛が酷い。何か考えようにも、目の前に霞がかかったようで脳が働きを取り戻してくれるまではもう暫くかかりそうだった。
「わ、たし……は……」
 何気なく己の身体に目を向けると、所々傷だらけだった。頭痛の原因も頭を打ったか何かしたせいかも知れない。傷が出来ていないかどうか手を当てて確認し、メディアは裂傷や流血、打撲による瘤なども無いことがわかると眉間を押さえながらフラフラと立ち上がった。
 柳洞寺地下空洞、大聖杯の間は酷い有り様だった。
 修復されかけていた大聖杯は大きく亀裂が走り、表面に刻まれていた多重層刻印は剔り取られたかのように消失していた。天井も所々が崩落したのか岩塊が落下してしまっている。これではメディアの力をもってしても再度の修復は困難だ。
「もう暫くは横になっていた方が良いと思われますが」
「……いったい、何が起こったというの?」
 記憶が曖昧だった。
 自分は……大聖杯の修復作業を進めていたはずだ。あともう一歩で作業も完了し、そうすれば世界の滅ぶその寸前にきっと自分の願いもかなう、と――なのに、そんなタイミングで異変が起こった。
 起こってはならない異変だった。魔術士としてなら数多の英霊達の中でも特に高い能力を持つと自負するメディアですら予測も対処も出来なかった事態。
「……あ、ああ……アルトルージュ・ブリュンスタッドが――」
 思い出そうとするだけで激しい頭痛に苛まれ、メディアは苦悶の表情を浮かべた。凍てついた身体が砕け散りそうだ。全身の傷も、漆黒の氷雪に切り刻まれたものではないかと疑いたくなる。途方もない勢いで吹き荒れた禍々しい感情、闇の姫君が感じた恐怖をまま具象し、世に形を成したとしか思えない暗黒の洪水は、並の者ならば存在や概念ごと全て呑み込まれ自らもただの闇と化していたことだろう。自身が助かったこともメディアは一つの奇蹟に過ぎないと今の時点でもそう結論していた。
「……貴方が、助けてくれたの?」
 反英霊としての特性を持つメディアは、属性として闇に呑まれやすい。助かったのには何か外的要因があるからだろうと、その答えをリィゾに求めたのだが、彼は首を横に振った。
「いいえ、違います。貴女を助けたのは私ではない」
「じゃあ、どうして――」
「覚えておられませんか?」
 リィゾの言葉を反芻し、メディアはあの一瞬の出来事を何とか思い出そうと頭を捻った。
 あの時、見たもの。
 イリヤを連れ、闇を纏って狂乱したアルトルージュから湧き上がる無数の魔人達。おぞましくのたうちながら顕現し、流転していくネロ、呀、綺礼……そして――
「宗、一郎……様……」
 ――メディアの、愛した男。
「……あっ」
 手に、微かだが彼の感触が残っていた。
 闇から顕れた宗一郎の伸ばした手が、闇に引きずり込まれそうになっていたメディアを捕らえ、かと思いきや……突き飛ばされた――ような、気がする。
 曖昧な記憶が恨めしかった。
 自分は、彼に助けられたのだろうか。いや、それよりも『何故?』という疑問が頭の中を埋め尽くしていた。
「どうして……宗一郎様が、アルトルージュ・ブリュンスタッドの中に? いえ、そもそもあれは本当に、本物の……?」
 本物、と言えど生者としての意味ではない。亡者であったとしても、葛木宗一郎本人の魂を持った存在だったのかどうかだ。それともただの幻、虚像であったのか。
 アルトルージュの能力の全容は、メディアもセイバーやライダーと同様知らされてはいなかった。如何に神代の大魔術師と言えども恐怖に錯乱した一瞬では能力を見極めることなど出来るはずもなく、葛木宗一郎に関しても結論を出せなかった。
「リィゾ=バール・シュトラウト」
「……なんでありましょうか」
 黒騎士は何でもないかのように佇んでいた。
 しかし、妙だ。
 アルトルージュはこの場にいない。あの臓腑を凍てついた手で鷲掴みにされるような圧迫感が無いのだから、それだけは確かだった。いればわかるのだ。少なくとも、闇寄りな者であるならば、同属として決して踏み越えられないラインの向こう側に立つ彼女の存在が感じ取れないわけがなかった。
「貴方、何故?」
 不明瞭な問い。
 なのに、リィゾは此処にいる。おそらくは同僚たる白騎士よりもさらに激しく、狂信的にアルトルージュに忠誠を誓っているであろう彼がこの場に留まり続けている理由がわからなかった。
 もっとも、その疑問はリィゾも予想していたらしい。
「私も理由無く留まっていたわけではございません」
「ええ、そうでしょうね。けれど、余程の理由でなければ、貴方がアルトルージュ・ブリュンスタッドの側を離れることはありえない」
 沈黙は肯定だった。リィゾの厳つい顔に深く刻まれた眉間の皺は、まま彼の苦悩を物語っていた。
 もっとも、その苦悩に無駄な時間を費やしている余裕はないのか、リィゾはスッと目を細めると懸命に冷静さを保とうとしているのがまるわかりな様子で語り始めた。
「理由は、簡単なのですよ」
「簡単?」
「無策で挑むには、相手が些か強大すぎます故」
 挑む、という言葉にメディアは息を呑んだ。混迷の記憶はようやく全ての欠片が隙間無くはまろうとしていた。現状、様々な勢力から挑まれる立場にあるアルトルージュ側から挑まなければならない相手がいるとすれば、答えは一つだ。
 ゴジラ。
 その名に行き着き、メディアはようやく己の愚鈍さに舌打ちした。頭を打っていたとは言え、不覚にも程がある。アルトルージュの狂乱の原因など考えるまでもない。
「そう、ゴジラが……」
「思い出していただけたようでありますな」
「……ええ」
 ゴジラの出現と、上陸。そして侵攻。
「やはり、フィナと我が方の怪獣軍団でもゴジラは止められなかったものと見えます。アルトルージュ様は、ゴジラの放つ破壊衝動にあてられなさったのでありましょう。……ああ、お可愛そうに……あんなに怯えられて……」
 アルトルージュの身を案じるリィゾの姿に、揺るぎない忠誠と同時に背筋の凍りそうなおぞましいものを感じ、メディアは深めに被ったローブの下で眉を顰めた。
「でも、どうするの? 聖杯がこれでは……これがゴジラに対する策のつもりだったのでしょう?」
「そう、それなのです。……メディア、貴女はあの瞬間、アルトルージュ様とイリヤスフィールをどう感じました?」
 どう感じたか、と問われ、メディアは首を傾げた。アルトルージュはあの時、怖気走る闇を撒き散らしながらイリヤを連れていた。混ざり合う魔力は折角起動間際だった大聖杯を掻き乱し、遂には再び崩壊を招いてしまったのだ。あの時の二人が、どうであったか。冷静でいられる状態ではなかったとは言え、魔術士としての研ぎ澄まされた感覚は確かに何かを感じ取っていたはずだ。
「アルトルージュはただの精神安定剤としてイリヤスフィールを求めたわけではないでしょうね。……必要だったから、求めた――としか言いようが……」
 ではその必要性とは何だったのかを、宗一郎の事も含め、メディアはまだ引き攣るように痛む頭を何とか答えを導き出そうと酷使した。目の前には崩壊した大聖杯、連れ去られたのは聖杯の器であるイリヤ。蠢く闇そのものと化したかのようなアルトルージュは彼女を使い何を望む?
「……聖杯の器、願望機を自在に使いこなそうとイリヤスフィールを求めたのならわかる。けれど、大聖杯がこれでは本来の使い方は到底出来るはずが――ッ!?」
 そこで、メディアはもう一度あのアルトルージュ狂乱の場面を思い返し、愕然とした。
 あの時、溢れ出した闇は魔人達に流転しつつメディアのことも呑み込もうと広がり続けていた。そう、広がっていたのだ。それこそこの大聖杯の広間全てを覆い尽くす勢いで。
「違う!」
「メディア?」
 突然叫んだメディアに怪訝そうな顔をしたリィゾは、彼女の視線を追いかけて崩壊した大聖杯を見据えた。
 巨大な擂り鉢状の岩盤に刻まれていたはずの刻印は落石によるものか綺麗に消えてしまっていた。あまりにも、綺麗に。刻印の刻まれていた表層部分だけ持ち去られたかのように。
 不自然すぎた。
「こんな、この壊れ方は崩落によるものじゃないわ! 大聖杯は壊れてなんていない!」
 呑み込んだのだ。
 闇が、剔り取るように。呑み込んで、持ち去った。
 大聖杯に刻まれていた多重層刻印、テンノサカヅキの全てと、その炉心であり新たな核となるようメディア自らが調整したアインツベルンの器、イリヤをも伴って。
「では、まさかアルトルージュ様は……ッ」
 気付いた瞬間、リィゾは駆け出していた。今の大空洞を外まで抜けるには多大な労苦を伴うに違いなかったが、そうも言っていられない。この先、何が起こるかいよいよ予測不可能になってきたのだ。
「何を考えているの……どうやってゴジラに挑むつもりなの……アルトルージュ・ブリュンスタッド。聖杯を全て奪い去り、彼女はあの闇以上の何を望むつもり……?」





◆    ◆    ◆






「重機甲兵軍団、ガンヘッド大隊、一斉射ーーッ! 弾尽き果てるまで、砲身が焼けつくまで撃って撃って撃ちまくれぇい!!」
 メガドロンの号令一下、凄まじい量の砲火が前面へと降り注ぎ、霧の消えかかった冬木との境界上を文字通り焼滅させんばかりの勢いで重爆した。ガンヘッドはどのような悪路であっても容赦なく突き進み蹂躙可能な可変装甲戦闘車両だ。道を残すつもりなど、無い。むしろ更地にでもなってくれた方が余程楽とでも言いたげな火勢に、結城はいっそ清々しい気分になって笑い出した。おかげですぐ隣の茜から怪訝な顔を向けられても、一度ツボにはまってしまうとどうにも、止まらない。
「結城少佐?」
「い、いや……すまねぇ。……クックク。そりゃ、冬木奪還のためなら多少の被害は大目に見る、復興費用は人類が無事生き残れたらヴァンデルシュターム財団が全額負担する……とは言ってもこれはなぁ。多少どころの話かよ。見ててスカッとするじゃねぇか」
「……不謹慎ですよ」
 呆れ果てた茜の言動に結城はもう一度苦笑し、自らの胸の内に湧き上がる狂的な衝動に身震いした。
 今、冬木にはゴジラがいる。ようやく今度こそ決着をつけられる、否、つけなければならないという高揚感は、自分が破滅主義の気狂いだったと感じさせられるには充分だった。
 しかし不謹慎という茜の言葉ももっともではある。冬木と外界の境界上、つまりは雷霧による遮断結界の張られていた範囲は現在は完全に無人とされているが、それはその場に居たはずの人々が全て結界の発動と同時に死亡したことを意味しているのだ。突然発生した激雷に、逃げおおせられた者などいるわけもない。一瞬で、黒焦……どころか塵も残さず消失してしまった、死体無き人々が今砲撃されている場所には何百人、何千人と居たはずなのだ。
 ほんの僅か黙祷を捧げ、結城は唇を横一文字に引き結んだ。死者への礼と言うよりは、これ以上過度の興奮状態を続けてもろくな事にならないためだ。
 茜も、触れれば切れそうな気配を発しつつ、冷静に己を保とうと努めているのが傍目にも明らかだった。が、結城の目に映る彼女はそればかりの女ではない。
(不謹慎だと言いつつお前さんも目がギラついてるぜ、家城よぉ)
 彼女もまた、内に狂気を宿す者なのだ。結城や権藤よりはまだ踏み止まれているのだとしても、心中に燃え盛る炎は本物のはずだった。真っ赤に、紅蓮の、狂気。瞳の奧で煌々と輝くそれは、まさに今の、そしてこれからの冬木そのもののようだった。
 そんな中、爆撃の音を裂いて凄まじい咆吼が天を劈いた。
「ぐぅ、重機甲兵軍団とガンヘッド大隊の一斉射でもまだ倒しきれぬというのか……ッ!」
 メガドロンの巨大な手が、作戦要項などを置いてあった長机を真ん中から叩き割っていた。
「お、おおっ、も、申し訳ない!」
 巨躯を揺らして詫びる声にも機械らしくない焦燥が混じっている。無理もない。
 冬木との境界上には、結界の代わりに一体の怪獣が陣取り、砲火に晒されながらも退くことなく冬木への進軍を遮っていた。本当ならとっくに冬木への進軍を済ませられているはずが、たった一体の怪獣相手に足止めを喰らっているのだ。メガドロンでなくとも机くらいは叩きたくなるだろう。
「クソッ……なんという、化物め!」
 怪獣は、三日前の突入作戦時にメレムと死闘を演じた奴――結城やメガドロンはその名を知る由も無いが、アルトルージュの陣営、ガイア側の守護神獣で『溶泡怪獣』ダンカンという――で、周辺一帯を焦土と化す程の火力にも怯まず吼え続けていた。
 メレムのウインダムが戦った時と殆ど同じだ。ダンカンは全身を泡に変え、一部が焼き尽くされても地面から滲み出すかのように増殖を続けて倒される気配がない。
「ハイパーナパーム弾を用意しろ! 完全に、細胞の一片も残さずに焼却するのだ!」
 メガドロンが怒鳴るのと同時に、突入に備えていた戦闘機兵軍団がナパーム手榴弾を手に前に出た。防衛軍や各国軍も対怪獣用に使用しているものを、ヴァンデルシュタームがさらに改良しより高温での焼却を可能としたものだ。並の怪獣ならば充分に撃退可能なそれを、戦闘機兵達は豪腕でもって次々投擲した。
「砲撃も休めるな! 相手はただの怪獣ではない、敵の奥の手の一体であることを忘れてはならん! 全力で、殺し尽くせぇい!!」
 メガドロンに油断や慢心などといったものは無い。どれだけ人間らしくとも、機械としての部分がそれを許さないのだ。他の重機甲兵軍団員、戦闘機兵軍団員も同様。ダンカンが完全に焼失し、この世から消え去るまで攻撃の手を弛めるつもりは無かった。
「あ〜あ〜。それにしても本当に厄介なヤツだねぇ。ハイパーナパームをあれだけ喰らってもまだ元気ときた。ボクのウインダムで焼き尽くせないのもこりゃ道理だ」
 呑気なもので、メレムはあっけらかんと言い放つと、パイプ椅子に深々腰掛けてチビリチビリと紙コップの中の茶を啜った。
「……ふぅ。しかしなんでわざわざ温かいお茶なんて用意するのかなぁ。まだ暑いのに。ねぇアカネちゃん、冷た〜い麦茶とか無いの? これじゃ逆に喉乾くよ。血を飲みたくなっちゃうよ? 吸血鬼的に考えてさ」
「無いわよ。そんなことより、貴方も戦ったらどうなの?」
 茜から睨まれてもなんのその。メレムは手をヒラヒラと泳がせて口を三日月のように歪めるとせせら笑った。
「そうは言ってもアイツとはどうも相性が悪いし、本格的な突入の前にわざわざボクの怪獣達を消耗させたって意味無いでしょ? それにメガドロンは流石だよ。ドランガーの副官だけのことはあるね。徹底的にやるつもりみたいだし、時間はかかってもボクがやるよりかは確実にあのブクブク野郎を始末出来るんじゃない?」
 実際のところ、前回の交戦の経験から、メレムは自分が本気を出せば極短時間でダンカンを始末することも不可能ではないと判断していた。もしそれが難しくとも、手元には聖堂教会秘蔵、奥の手中の奥の手である『胃界経典』もある。が、それらを使用すると今度は冬木内に突入してから何も出来なくなってしまう怖れがある。何より、こんな所で前座相手に全力を出したり奥の手を使ってしまうなど道化の名折れだ。まったくつまらない。
 茜に良いところを見せたいと思わないでもなかったが、それならそれで魅せ方は他にもまだ色々とある。
「おもしろくなるのは冬木に入ってからだよ。……あー、メガドロン、あいつ地面に浸透してるみたいだから、地中から熱線攻撃で追い立てた方が良いと思うよ。ベルシダーとマグマライザーは用意してきてるんでしょ? もしくは液体窒素で凍らせるとか」
 ベルシダーにマグマライザー。どちらもヴァンデルシュタームが開発した地底を潜行可能な特殊戦闘車両で、地上や上空に結界が張られていても地下ならば抜けられるのではないか、とわざわざ用意してきたものだった。が、結界はなくともアントラーやデットンなど地底でも行動可能な敵怪獣に阻まれ、結局は侵入出来ずにいたのだ。
「液体窒素弾は現在ガンヘッド三機が換装中です。しかし、ベルシダーとマグマライザーは……もし地下に敵怪獣が配されていた場合、接敵時に対処しきれませんが……」
「多分大丈夫だよ。ゴジラが上陸して、霧も雷も晴れたってことは冬木の中も大変なことになってるはずさ。黒姫様もきっとてんやわんやに違いないよ。まったく、あの贋物がゴジラ怖さにガタガタ震えてるかと思うとたまんないね! 愉快痛快とはこのことだよ」
 確かにメレムの言う通り、アルトルージュ側の勢力がいかに潤沢でも地下に怪獣を潜らせたままにしておく余裕はもはや無いはず。メガドロンはむぅと唸るとすぐさま通信機に指令を飛ばした。
「アグミス、グルーゾー! ベルシダーとマグマライザーの準備をしろ! 地下から地底魚雷で泡野郎を追い立てるのだ!」
『……ハッ! 了解しました!』
「ストローブ、バーベリィ部隊は上空からミサイルとレーザー攻撃を続行、ダーバーボ、ブルチェック部隊はガンヘッド大隊、及び戦闘機兵軍団と共に地下から炙り出されてくる泡を見逃すな!」
『了解!』
『了解!』
 一糸乱れぬ統率は機械式ゴーレムの面目躍如といったところか。両軍団とも、軍団長不在を感じさせることなく迅速且つ的確にダンカンを追い詰めていく雄姿は、歴戦の結城をして感嘆せしめる程のものだった。
「流石だねぇ。どうだい、重機甲兵軍団は量産されてんだし、少しばかり防衛軍に勤めてみねぇか?」
「は? ……ク、クク、ハァッハッハッハ! まったく、このような状況でも冗談を言える結城少佐の胆力には畏れ入りますな」
「あながち冗談でも無ぇんだがなぁ」
 これだけの戦力、常に人手不足の防衛軍からしてみれば喉から手が出るくらい欲しいというのは偽らざる本心だった。もっとも、相手が吸血鬼の私兵であるということを除けば、ではあったが。
「にしてもやっこさん、泡になったりを繰り返すだけで攻めてくる気配がないが……家城、お前どう見る?」
 唐突に話を振られ、茜は眉間に皺を寄せた。
「……単純に結界の代わりのつもりか、それとも何か企んでいるのかも知れません」
「怪獣にそこまでの知能があるか?」
「仮にも守護神獣と呼ばれる存在です。ある程度の知能のようなものは持っていると考えた方が良いのでは?」
「フンッ。ご大層なこった。ガルーダで単騎突入しても良いんだが、相手がゴジラじゃ戦闘機一機が増援に行ったところで大して意味がねぇ。ガンヘッド大隊全機でようやくってぇところだ」
 毒突きながら、結城は爆炎の中でもまるで堪えた様子を見せず所々実体化しながらあたかも軟体生物のようにうねる泡の塊を憎々しげに睨めあげた。
 一方でメレムもその動きに幾らか難しい顔になりつつあった。
「うーん。思ったより再生……いや、増殖かな? 速いねぇ。これじゃ地下と地上から同時に焼いてもまだダメかも……。う〜ん、一度に全部焼き尽くせれば良いんだろうけど。……でなきゃこの手の化物は大概どっかに核があってその核を潰せば倒せるものと相場は決まってるんだけどねぇ……」
 熱いと文句を言いつつも茶をおかわりし、メレムはいつも通りの軽い口調とは打って変わって真剣な面持ちでダンカンの変幻を凝視していた。
「疑わしいのはあそこかなぁ」
「あそこ?」
 メレムの指が再生と増殖を繰り返す泡の中心を示していた。丁度ナパームに焼かれた直後だったためか、泡が薄い。茜と結城、メガドロンの視線がそこに集中するが、何事か感じ取ったのか全員が瞬時に顔を逸らした。
「な、なに……今の、あれ」
「気持ち悪ぃ、なんだこりゃ。……メガドロン、あんたもか?」
「ぐ、むぅ、人間も機械もどうやらお構いなしのようだ。全身の精密機器が直接磁気をあてられたかのような、……これが、おそらくヒトの言うところの悪寒、だと――」
「眼だよ、眼」
 生物非生物の区別無く、精神に直接作用する怖気の正体を、メレムは事も無げに呟いた。
「あの見てるだけでムカムカするくらい真っ赤な、紅玉みたいな気味悪い眼球だよ。ボクは赤って結構好きなんだけど、ああいう、何て言うかな。毒々しい赤は大嫌いなんだよね」
「……ん。貴方の好みなんて今はどうでもいいわよ。でも、確かにあの眼は怪しい気はするわね」
「しかし流石に重点的に泡で覆っている。見えたのはほんの一瞬だけで今はもう視認は出来ない」
「あんたの目でも無理なのか?」
 結城にそう振られ、カメラアイを光らせながらメガドロンは色々と試してみたが、やはり泡を散らさないことには先程のように偶然露出するのを待たない限り視認は不可能なようだった。
「地下から追い立てて、ナパームの集中投下でいったん泡を焼き払って眼を露出させてからトドメ……が定石かなぁ。いっそどんな怪獣でも一撃で倒せるような超兵器でもあればいいんだけど……ヴァン=フェムのことだから、なんか作ってんじゃないの?」
「流石にそこまで都合のいいものは……幾らか試作品ならばあるようですが」
 メガドロンからの面白味のない返事に、ブツブツと『こうなると、ボクも少しは動かないとダメかもねぇ』など呟いてから、メレムは左右の手で交互に四肢を撫でた。
「ベルシダーとマグマライザーが配置についたようだ。……これより全力攻撃! 総員、構えぇい!!」
 メガドロンの号令に合わせ、メレムもまたいつでも四肢に宿る怪獣達を解き放てるよう意識を集中させていた。





◆    ◆    ◆






 ゴジラの気配を感じ取るだけでなく、その存在に同調するという作業が果たしてどれほどの精神力を要するのか、想像するに余るものなのだろうなとシオンは脂汗を浮かべて瞑目している未希を気遣うように見つめていた。
 未希達との合流自体は難しくはなかった。怪獣はデットンを除きゴジラに倒され、そのゴジラも市街地を抜けた。デットンが暴れているままでは万事に問題無しとは言えなかったが、そちらは権藤達に任せてある。ゴジラとアルトルージュを放置出来ない以上、怪獣退治の専門家である彼を信じるしかない。
 それにしても、凄まじいものだとシオンは息を呑んだ。
 か細い肩を震わせながら、未希は自分の何十倍もある怪物の心理を、状態を読み取ろうとしているのだ。そも、生物の意思や精神力など容易く数値化出来るはずもないものではあるが、ゴジラのそれが桁外れであることくらいは、わかる。
 万全を欠きながらも、アントラーを、それにエレキングを瞬く間に倒して退けた強さ以上に、キングジョー越しにではなく初めて生のゴジラの戦闘を目の当たりにしたシオンは、恐怖という言葉では言い表しきれない、もっと自身の存在全てを塗り潰されてしまうかのような絶対的な負の感覚に囚われていた。
 ゴジラの中に渦巻く荒ぶる憎悪。
 あんなものを、未希は直接覗き見ているのだ。
「大丈夫かしら」
「……わかりません」
 同じく心配そうに未希を見つめていた凛の言葉にも、シオンはそうとしか答えられなかった。気休めを言っていられるような、シオンにも余裕はない。
「ただ、事前にゴジラの状態を探らずして挑むのはあまりにも無謀すぎます。手段が無いならまだしも、未希ならば或いは……知ることが出来る可能性がある。……今の私達には、彼女に懸ける以外にありません」
 以前の自分ならば――そうやって、多少縁があったとしても他者を利用することに別段躊躇はなかったはずだ。冷静に、怜悧に、冷徹に、事を推し進めていただろう。
 けれど今は違う。
 今のシオンは、未希を利用しているのではなく、彼女を頼りとしていた。仲間として、それに友人としての感情もある。
 その、かつての自分であれば甘さと切って捨てていた部分こそが、あの夏を乗り越えた自分には、戦いの明暗を分けるものに繋がるのではないかと思えるのだ。
(ナンセンス……とは、言えませんね)
 言えない。言えるわけがない。何故なら、実例をシオンは知っている。志貴や、それに士郎とセイバーの奇蹟を目にすれば、シオンはそれに確信を持てる。
 強力な異能を持つとは言え、ただの人間が――英霊や、大怪獣と戦い、さらには死闘の果てに愛する者を取り戻しさえした。これから闇を統べる姫君と戦い、本気で取り戻そうとしているのだ。ならばこそ、シオンの未希を見つめる瞳は憂慮、危惧を含みつつ、あくまで優しかった。
 しかし、この場でもっとも未希のことを案じているのはシオンではなく、由紀香だろう。
「……未希お姉ちゃん」
 集中を乱してはならないと、一般人である彼女もそう理解はしていた。伸ばした手は未希に届くことはなく、儚げに宙を彷徨い、結局は行き場を失って自らの胸元に還る――先程からその繰り返しだった。不憫だが、どうにもしようがない。
「三枝……心配だとは思うけど」
 同じく一般人であり、悔しくとも蚊帳の外に身を置かざるをえない者同士である綾子に肩を叩かれ、由紀香は小さく頭を垂れた。
 二人ともシオンと凛はシェルターに避難するよう強く勧めたのだが、『今の状態ならシェルターに隠れていようといまいと大して変わらない』と頑なに反発され、途中まではという条件付きで結局は同行を許してしまっていた。
 別に市街地から危険が無くなったわけではない。シェルターに退避出来るならするべきに違いはないのだ。なのに凛はまだしもシオンが折れたのは、彼女の精神もまた限界に近いことを意味していた。
(私も……まだまだだ)
 ゴジラが市街地から一応去った現状、冬木の街に残る怪獣はデットンのみ。そのデットンには怪獣退治のエキスパートである権藤が仮面ライダーさつきと共にあたっているのだから、むしろ自分達の疲弊しきった戦力でゴジラに挑むより余程安心出来るのではないかとシオンは幾ばくかの楽観をしていた。
 無論、それでも怪獣一体の脅威を侮っているわけではないが、如何にシオンと言えどもこれ以上精神を張り詰めさせ続けるのには無理があった。他に気の抜きどころがなかったのだ。だからこそまずはデットンを倒し後顧の憂いを絶つべく、シオンはバルスキーまでもあちらに回って貰った。
 肌が、感じ取っている。決戦が近いことを。
 決戦を前にしての、今が最後の備えの時なのだ。
「……ッ」
 一瞬震えてしまった自分を、誰にも気付かれなかったろうかとシオンは隣に立つ凛を一瞥し、彼女の注意が未希に向けられたままであることに安堵した。
 恐怖は伝染する。殊にこの中では司令塔的な立場にあるシオンが怯えを見せたとあっては決戦どころの話ではない。
 なのに――
「シオン、……大丈夫か?」
 一番見られたくない相手に見られてしまった動揺を隠すように、シオンはフッと顔を逸らした。
「……貴方の眼よりは余程マシですよ」
 そんな状態でも、気遣ってくれる男に強がってしまう自分に呆れもしつつ、けれど志貴の眼の方が不安ではないかというのはシオンの偽らざる本心だった。
 対セイバー戦、彼が直視の魔眼の行使により負ったダメージは当然まだ癒えてはいないはずで、それでも必要に迫られれば彼はまた視るに違いない。相手がアルトルージュであろうと、ゴジラであろうとも。ならばこそ、せめてゴジラの消耗が激しくあって欲しいと、それは最早純粋な願いだった。
「それで、どうなのですか」
「どう、って……そりゃ、ちょっとは疲れちゃいるけどね」
「それで誤魔化せる程には、浅い付き合いではないと私は思っていたのですが」
 わざとらしくむくれて見せ、シオンは凛から離れた。何も言わないでいてくれる凛の心配りが有り難い。
 足早に歩くシオンの背を追いながら、志貴はボソリと呟いた。
「……正直に言えば、芳しくはない。いや……酷いよ」
 面食らったようにシオンは振り返っていた。
「驚きました」
「ん?」
「いえ、そのように素直な貴方は珍しいので」
 軽口は叩いても、本当に不味い時はそうと言わずに取り繕うのが志貴の性情とばかりに捉えていたシオンにしてみれば、驚くのも無理はない彼の返答だった。
 そんなシオンの反応に嘆息しつつ、志貴は目頭を指で強く押さえてから離した手をジッと見つめた。
「強がってどうにかなる状況じゃないくらい、充分に理解してるつもりなんだけどなぁ」
「だから冷静になってみたと?」
 頷き、志貴は拳を握った。しかし弱々しい。そこにネロやワラキアを倒した最凶の死神としての姿は、無い。
「自分の力量も、状態も、正しく把握して……その上で、自分に出来る最善を選択しないとって、遅まきながらそう思ったんだよ。もっと、なんて言えばいいんだろうな。……まぁ、兎に角自分の甘さみたいなものをさ、ちょっと考えてみた。戦って……勝つためには何が必要なのか」
 それは彼が忌避する殺人貴として必要とされるもののはずで、シオンは眉を顰めた。なるほど、志貴がそうあってくれれば力強くはある。が、そうありすぎることは、危険な兆候だ。志貴には志貴のままでいてもらいたいし、そうでなければアルクェイドにも、秋葉や翡翠、琥珀達にも申し訳が立たない。
 感情任せ、力任せにのみ動かれて、いつも奇蹟のような結果ばかり頼りにされても困る。かといって、戦いの理屈でのみ動くような志貴ではやはり勝利を呼び込むことは出来ないと、現在働いている全ての分割思考が実に錬金術師らしからぬ、感傷に満ちた結論を導き出していた。
「志貴」
「え?」
 スッと。
 自然且つ滑らかな動作で、シオンは志貴の眉間へと銃口をあてた。あまりのことに呆然としている志貴がようやく反応出来たのは数秒後のことだった。
「な、なんだよいきなり――」
「撃ちます」
「はぁっ?」
 引鉄に手をかけ、シオンは出来る限り声にも表情にも凄味を含ませてみせた。
「撃ちます」
 もう一度低い声でそう宣告すると、志貴は困ったように頬をヒクつかせ、両手を挙げた。
「何のつもりですか?」
「いや、その……降参?」
 深々と溜息を吐いてから、シオンは銃口を下げた。
「……まったく。甘さを考えてみたと言った側から……もし私が本当に引鉄を引いたらどうするつもりです?」
「え? だって撃たないだろ。第一、殺気だって無かったし……」
「殺気など、それを隠せるだけの技量を持つ者達がこの世には数多いることくらい既に承知しているでしょうに。私がそのような卓越技量持ちとは言いませんが、それに通常弾ならば兎も角私が撃とうとしているのが麻酔弾の類だったならどうするつもりですか? 疲労の極みにある貴方をこの後の戦闘の足手纏いと判断してここで眠らせ放置しようとしているのかも知れないではないですか」
 そう捲し立ててから、シオンはジト目で志貴を睨んだ。特に返事も言い訳も考えつかないのか、志貴はわざとらしく眼鏡の位置を直したり、手をポケットに突っ込んだり引き抜いたりを繰り返しながらシオンの視線から逃れていた。
「いや、まぁ……その」
「放置……はせずとも綾子や由紀香達には途中までで別れてもらうつもりですから、貴方一人をシェルターへ連れ退避してもらうくらいは出来ますよ」
 さらに追い詰められ、志貴はもう一度、今度は心から降参したとばかりに手を挙げていた。
「わかった、わかったよ。悪かった。俺もまだまだ甘――」
「けれど、それでいいんですよ」
 本当に何もわかっていませんね、と苦笑して、シオンは片手で銃を弄びながら、残ったもう片手人差し指を構え『バンッ』と彼女にしては珍しいふざけた動作で志貴の眉間を狙い撃った。
「貴方の甘さは……ええ。貴方は甘さを捨てる必要はないのだと、衛宮士郎やセイバーを見ていて改めて思い知らされた気が……するんです。……違いますね。捨てて欲しくないし、捨てて貰っては困る、と言った方が正しいか」
「へ?」
 何を言われているのかわからないとばかりに顔面体操に忙しい志貴に背を向け、シオンは未希の居る方に戻ろうとした。
「甘いままの貴方でいて下さい。冷静なだけの人間は他に幾らでもいます。少なくとも私は常に冷静であろうと心懸けます。ですから志貴、貴方までそうなる必要はない」
「あ、ああ。……ん? むぅ」
「わかりませんか?」
「……ごめんなさい」
 頭を下げた志貴を、シオンは身体をズイッと反らして胸を張り、満足げに見下ろした。
「そこまで謝るなら、許してあげなくもありません」
「ああ、ありがと……って、謝ったり礼を言わなくちゃいけないトコなのか、ここ?」
 そうやってくだらないことに悩んでいるくらいが、彼にはきっと丁度良いのだ。だから、妙に安心出来る。
「あまり眉間に皺を寄せていると元に戻らなくなりますよ? ……ああ、ですが自身の状態を正しく把握して貰えるのは有り難いですね。無茶ばかりされると、困りますから」
 朗々と早口に語るシオンの声は、今日志貴が聞いた中で一番明るかった。



「……ッ」
 全身汗だくの身体が勢いよく跳ねそうになるのを堪えた次の瞬間、今度は力無くその場にへたり込みそうになり、未希はフラフラと覚束ない足取りで近くの電柱に寄り掛かった。
「未希お姉ちゃん!」
「大丈夫ッ!?」
 すぐさま駆け寄った由紀香、それに凛と綾子に支えられ、未希は力無い笑みで答えると視界にシオンを探した。
「未希……ッ」
 シオンを自分のもとへ促すよう力を振り絞って頷き、由紀香に肩を借りながら未希は深く息を吸った。呼吸を整え、震える身体を片腕で抱き締めるようにして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……視えた、わ」
 その一言に込められた重みは、聞こえた全員にのし掛かった。
 まるでゴジラに踏み潰されるかのような、言語に絶する感覚だ。特に由紀香などは傍目に可哀想なくらい動揺していた。
「三枝さん、大丈夫?」
「は、はい。……だい、じょうぶ、です」
 凛の問いに青ざめた顔で答えた由紀香も、彼女なりに思うところがあって此処にいるのだ。おそらくは、未希のために。その想いと決意を汲めばこそ、凛もこの気弱な友人を無碍に扱いたくはなかった。甘いと言われようと、感情的には凛もシオンと近いものがある。士郎に毒された部分が大きい、と言ってしまえばそこまででも、魔術士としての本分以上に遠坂凛という人間を構築する上でそれはどうしても捨てきれないものだと今では充分に自覚していた。
「せめて少し休んだ方が……ん?」
 と、そこで綾子は何かに気付いたように辺りを見回した。
「そう言えば、蒔寺と氷室は何処に行ったんだ?」
 凛も同じように視線を巡らせ、しかし二人の姿を見つけることは出来なかった。士郎とセイバー、桜とライダーがいる方や、リズとセラ、コスモスらがいる辺りにも見えない。
「おかしいわね。さっきまでいたはずだけど」
「う、んー、そう遠くには行ってないと思いたいけど……あ、いや! ……ちょっと待て」
 綾子が何やら思いだしたかのように顔を顰めた。
「すっごく嫌な予感がするんだけど、さ」
「……ええ」
 唯ならぬ雰囲気に、凛も猛烈に嫌な予感に襲われていた。
「さっき、バルスキーの近くにいるのを見たぞ」
 まさか、と二人は同時に顔を覆った。
「一応聞くけど」
「……ん」
「二人一緒に? あの馬鹿豹だけじゃなくて?」
 そこだけはしかと確認しておかないとまずい。恐る恐る尋ねた凛に、綾子はかろうじて頷くと、フッと短い吐息を漏らして天を仰いだ。
「氷室は良いとして蒔寺が果てしなく不安だ」
「……同意するわ。けど氷室さんが一緒ならまだマシ……よね」
 言いつつ、綾子も凛も楓がまた無茶な真似でもしようとしていないかどうか不安がよぎった。今から連れ戻しに行くべきかどうか、しかしおそらくは間に合わない。
「それに、今は」
 暫し逡巡し、やがて凛は苦渋の表情で未希と由紀香の隣に移動した。楓は確かに暴走しがちな面もあるが、それでもただ無謀なだけの少女というわけでもない。蛮勇を奮って最悪の結果に陥るような事だけは無いと信じるしかなかった。
 未希の消耗は、見るに耐えない程激しいものだった。僅かな時間呼吸を整えた程度でどうにかなるものではなく、むしろ時間を置けば置いただけ悪化しているようにも見えた。
 が、それでも、聞かなければならない。
「未希、……聞かせて、いただけますか? ゴジラの、今の状態を」
 シオンの問いに、未希は懸命に口を開いた。全身汗だくなのに、唇にはまったく湿り気がない。
「ゴジラの受けたダメージは、深刻……よ。ああ見えて、電流を吸い取っての回復なんてその場凌ぎ……今にも倒れる。倒れそう、……なのに」
 ブルリ、と。両肩を抱き、未希は震えながらその場に踞った。釣られて由紀香も膝を折る。
 死人の顔色とてここまで酷くはあるまい。
 まるで彼女の語るところのゴジラのダメージをまま負わされたかのような悲痛さに、シオンは息を呑んだ。同調とは、まさしくそれに近いのではないかと遅まきながら気付いたのだ。あの巨獣から深刻なダメージをフィードバックされるなど、並大抵の痛苦で済むわけがない。
「未希――」
「――なのに、そんなダメージを、痛みも消耗も全て……意に介さない程に今のゴジラは怒り狂ってる。……あんな、あんな憤激……ありえないわ……、……ぐ、うっ」
「未希! いけないっ」
「止め、て……ゴジラを……今なら……まだ……っ」
 そこまでだった。
 今度こそ限界を迎えたらしく意識を失った未希を抱きとめ、シオンは綾子と視線を交わした。付き合いは所詮冬木に突入して以来のものとは言え、綾子の察しの良さに関しては理解しているつもりだった。案の定、真摯な首肯が返されてくる。
「……わかったよ、シオンさん。三枝、あんたもあたしもここまでだ」
「えっ?」
 未希の隣に尻を突いた形となっていた由紀香は最初綾子の言葉の意味が呑み込めず、気絶した従姉と彼女を抱くシオン、綾子それに凛の顔を交互に見つめ、瞑目した凛が首を横に振るのを見て泣き笑いのような表情を形作った。
「三枝さん。……お願い」
 流石に、全て言われずともわかった。意識のない未希をこのままにしておくことは出来ず、そして彼女が意識を失う原因となった怪物と彼女達はこれから戦わなければならないのだ。
「綾子」
「わかってるって。……衛宮とセイバーさんを呼んでくるよ」
「わたしは桜と、それにリズとセラを」
 駆け出していく二人の背中を言葉も無く見送り、由紀香は悔しげに、しかし僅かに安堵してしまっている自分を恥じながら、一滴の涙を流していた。





◆    ◆    ◆






 有彦は絶叫していた。
 怒りとも憎しみとも悲しみともつかぬそれは怪獣以上に獣らしく、生物としての根幹が腹を、胸を、喉を――乾有彦という楽器を滅茶苦茶に掻き鳴らして演奏しているかのような音の奔流だった。
「乾く……きゃあっ!?」
 振るわれたデットンの尾が家屋を容赦なく倒壊させていく。霧が晴れたおかげで視界は良好だが、やはり如何せん怪獣は攻撃の範囲が一々広すぎてライダーと化したさつきでも避けるのだけで一苦労なのだ。そんな中を、有彦はメーサーブレードを手にがむしゃらに突っ切っていくのだから見ている側はたまったものではなかった。
「あいつ、このままじゃ死ぬぞ」
 権藤もデットンの尾に壊され、弾き飛ばされてくる破片から身を守るのに精一杯で、有彦を援護するだとか救出するだとか以前の問題だった。
 現状、デットンは特に誰かを狙うでもなくただ一方的に暴れ回るのみで、そうすることで懸命に己の使命を果たそうとしているようにも見えたが、どうにも愚鈍そうな見た目の通り頭の方はよろしくない怪獣のようだった。片や、エレキングとアントラーを虐殺したゴジラも自らの進行を妨げるか、もしくは挑みかかって来る者以外には興味がないのかさっさと柳洞寺方面へ進路を向けてしまった。幸いと言えば幸いなのかも知れなかったが、ゴジラに執心する権藤にとってはおもしろくない展開だ。それでもデットンを放って私怨のためだけに動くワケにもいかない。
「小僧が、早まりやがって……ッ!」
 牽制程度にメーサー銃を撃っても、有彦の側からもデットンに向けてがむしゃらに乱射し続けているのでなかなかこちらに注意を向けきることが出来ない。一撃で完全に怒らせることが出来る部位、例えば目など狙えればいいのだが、角度的にそれも難しかった。
「おい、嬢ちゃん! 仮面ライダー!」
「は、はい!?」
 吹き飛んできた殿中を蹴りで叩き割り、さつきは権藤へと振り向きながらデットン目掛けてアクセレイガンを撃った。的が大きいので射撃慣れしていないさつきであっても狙いをつけたりなどせず中てることだけは可能な距離だ。しかし特に皮膚が分厚いであろう背中に何発中ててもどうしようもなく効果は薄い。
「なんですか、権藤さんっ」
「このままじゃ埒が明かねぇ! 俺は何とかあのテレスドンモドキの注意をこっちに向けられるようやってみるから、あのバイク……サイドファントムだったか? アレに乗って攪乱出来るか? ついでに対怪獣用の装備も少し積んであったろ」
「わ、私バイクの運転できないんですっ」
「ゲッ!? ……しまった、そういやそうだったか」
 仮面ライダーだから当然バイクが運転出来るよう頭の中で決めつけてしまいがちでも、中身は免許など持っていない少女なのだと思い出し、権藤は舌打ちした。メーサーによる注意の引きつけがあまり効果的でない以上、目立つ乗り物を使いスピードで攪乱してやればと思ったのだが、さてどうしたものか。
「引き付けも攪乱も関係なく一撃でズドンとやれちまえばいいんだが、どっちにしろアイツを倒すにゃ急所にでも中てない限りメーサー銃じゃちょいと威力が不足してる上にマシな武装は結局サイドファントムにあるときた。……俺が取りに戻るしかねぇか?」
 実際、デットンを攻撃する有彦と、彼にくっついているななこを追いかけて走っては来たが距離的には元いた場所からそこまで離れてもいない。全力で戻れば何とかなりそうではある。
「霧も雷も無くなったし、外部との通信もすぐに可能になるはずだ。外の結城や家城ももう動き出してるに違いねぇんだが……まだ、手が足りねぇ」
 迷っている暇など無い。今のところ市民の殆どはまだシェルターに引っ込んでくれているようだが、このままデットンが暴れ回れば被害は広まるばかりだし、何より自分達はこの場に釘付けだ。シオン達はゴジラの方を追ってくれているのだろうか。そちらとの連絡もつけなければならない。
 やらなければならないことだらけだ。
「……やっぱり、俺が――」
 権藤が踵を返そうとした、その時だった。
「おーい! おっさーーーん! 権藤さーーーん!」
「んぁあ!?」
 思わず間抜けな声を発し振り返ると、デットンのせいで瓦礫にまみれた道路をサイドファントムがかろうじてごく普通のバイクくらいの速度で走ってくるのが見えた。運転席に座っているのは、どうやらバルスキーだ。サイドシートには何故か楓と鐘の姿が見える。今権藤を呼んだのは楓だったようだ。
「いたいた。助けに来たぜ!」
「無理矢理ついてきただけだろう。……すまない、権藤一佐。こいつがどうしてもついていくと言って聞かなくて……」
「んだよー氷室は相変わらず優等生で困るよなぁー。どうせ何処に逃げたってそんな変わんないだろー」
 そう言いながら、楓の顔色は決して良いとは言えなかった。蒼白とまではいかないまでも、むしろ鐘の方がよっぽど肝の据わった佇まいをしていることに権藤は頭を掻いた。
 無鉄砲も若さだ。自分にも何か出来るのではないか、何かやらなければならないのではないかと奮い立つ勇気を、ただの蛮勇だと切って捨てるのは余りにも忍びない。権藤にもそういった頃は確かにあったのだし、その結果として今の自分がいるのだとも理解しているからだ。が、だからといって今の楓の行為を認められるか、褒められるかと問われれば……答えは否だった。
「おいおい、バルスキー……あんたがついていながら」
 どうしてこんな事になっているのか、と。問うた権藤にバルスキーの鋼鉄製の表情がしかし変わるわけもなく、ただカメラアイがゆっくりと明滅した。こうなっては権藤もつまらなそうに舌打ちし、宙を仰ぐ以外になかった。
「バルスキー氏も無論反対した。それでも無理を通してしまったのだ。権藤一佐、重ね重ねすまない」
 すまないすまないと口で謝罪しつつ自分もくっついてきているのだから鐘も大概だ。第一、こちらはバルスキーとは異なり表情として無表情を決め込んでいるものの、当然ながらそこからは申し訳なさなど感じ取ることは出来なかった。
「……いいか、嬢ちゃん達。余計な真似するんじゃないぞ」
 諦めたような権藤の言葉に、鐘は素直に頷き、楓は意味もなく拳を振り回していた。
「なんでだよ! あたしも戦うって! 戦わせてよ!」
「駄目だ」
 にべもない権藤に、楓は挑みかかるように身を乗り出していた。肩は震えているし、唇もやはり色艶が悪い。無理をしているのが誰の目にも明白なのに、それでも退こうとしない姿勢は立派なものだ。が、立派だからと褒めて済ませられる状況ではないのだ。
「この街は……ここはあたし達の街なんだ! せめて、せめて少しくらい何かしなくちゃ……報われないじゃんか!」
「バカタレ」
「なっ!?」
 精一杯の訴えをあっさりと却下され、楓は青ざめた顔とは一転して赤くなった目を見開いていた。
「震えてる小娘を戦場に立たせる阿呆がいるもんかよ」
「ふ、震えてなんか!」
「いいから……ここで待ってろ」
 感心もすれば感銘も受ける、立派な若者だと褒めてやりたい心情も権藤なりに確かにあった。けれどそれは若者を、少女の命を無駄に散らせるだけだ。出来るわけがない。
 彼女の叫びは至極真っ当なもので、しかし覚悟を伴った戦士の訴えではないのだ。あくまで少女の正義感からくる言葉は、綺麗だが、綺麗すぎて危険だった。
 楓と視線を合わせようとはせずに、権藤はサイドファントムに近付くとサイドシート内にあるアタッシュケースを引きずり出した。
「おい、仮面ライダー! いったん戻れ、お前さんの装備でも怪獣の相手は無理だ」
「は、はい!」
 アクセレイガンを連射しつつ、さつきもバックステップでひとっ飛びサイドファントムの間近に位置するとそこからデットンに狙いをすました。気を逸らすことくらいは出来ていると思いたかったが、依然として有彦からの攻撃は滅茶苦茶なまま、どうしてもこちら側に完全に移すことが出来ない。
 ケースを開けると、そこには自衛隊や防衛軍では見慣れない幾つかの武器が収納されていた。事前にどう言った性能、効果のあるものか知らされてはいたものの、権藤は渋い顔をするとその中から一丁の銃を取り出しデットンへ向けて照準を合わせた。特自や防衛軍の使用するメーサー銃のマイクロ波をさらに集束、一点の破壊力を上げたシロモノらしい『マルス133』と呼ばれるものだ。
「ヴァンデルシュターム謹製の携帯用対怪獣兵器……って話だが、どうにも使い慣れない武器ってのはいけねぇや」
 せめてアインツベルン城に身を潜めている間に試射くらいしておくべきだったと後悔しても、今さらだ。そもそも対怪獣用兵器と言っても、個人が携帯可能な火力などタカが知れている。防衛軍の一部ではいまだに戦術核の使用を訴えている連中もいるが、核でさえ怪獣を一撃で倒せるかどうかは疑わしいのだ。ゴジラのように明確に放射能を餌としている怪獣も存在している以上、他に核をエネルギー源にしている怪獣がいないとも限らない。
 あらゆる怪獣、特殊生物に有効な兵器の開発は現場の人間にとっては夢のような話だが、しかし例えばかつて初代ゴジラを倒したとされる超兵器は、開発者が死亡したことで製造方法そのものが闇に没したとは言えそれ以上に防衛軍でも自衛隊でもあまりの危険性から再研究そのものがタブー視されているのが現実だ。強力すぎる兵器を開発したところで結局はそうなってしまう運命なら、せめて権藤達に出来ることと言えば、命を懸けて巨大な敵に挑むだけなのだ。
「権藤さん! あの」
「おう。ほらよっ!」
 駆け寄ってきたさつきにもう一丁のマルス133を放り、権藤はバルスキーに目配せした。楓と鐘は……大人しくさえしていてくれれば今のところは問題無い。
 自分の住む町のために命を懸けようとする――誰にだって出来るようなことでもない。だからこそ、その想いだけでも背負えるものなら背負ってやりたいというのは本音だった。
「……よし、一斉に狙い撃つぞ。……今は後ろを向いてやがるが、小僧が無茶苦茶にメーサーを撃ってるおかげで動きが横にぶれてやがる。奴が僅かに横を向いた瞬間、首元だ。そこを、狙う」
 銃口がデットンに向けられる。
 後ろから少女の歯噛みする音が聞こえ、権藤は舌打ちしながら引鉄に指をかけた。



 それが復讐だろうと、仇討ちだろうと。自己満足のために動いて良い状況でないことくらい、わかっていた。わかっていながら、身体を突き動かす衝動は黒く、濁り、溢れかえり、有彦は己の在り様に絶望するかのように引鉄を引き続けることしか出来なかったのだ。
「有彦さん!」
 ななこの悲鳴がどれだけ頭に響いても、自分自身の悲痛な叫びが、慟哭が霧の晴れた空に木霊しようとも。
 有彦は、止まることが出来なかった。
 今止まったら、きっと自分は死んでしまう。そんな妄想が全身を縛り、苦痛に喘ぐ精神は怨敵を討ち果たすことにのみ救いを求めた。
「テレスドン!」
 個人携帯のメーサーでは、倒しきれない。これだけ撃ち続けていれば嫌でもわかる。
 もっと強力な武器が必要だ。サイドファントムの中に収納してある対怪獣用の装備を取りに戻れば、或いは勝算もあるかも知れない。それなのに、足は一歩たりとも後退してくれなかった。
「きゃっ」
 テレスドンの破壊したビルの破片がななこを掠めていた。もっともななこはあくまで霊体であるし、仮契約者である有彦の側にいるので一応姿を現すことも出来ているが本体とこれ以上離れてはそれすらも危ういような状態だ。ビルの破片が命中しようと痛くも痒くもない。悲鳴は反射的にあげてしまった……ただ、それだけなのに。
「ななこッ!」
 振り向いた有彦は、ななこへ向けて駆け出していた。
「き、来ちゃダメですッ!」
 悲痛な訴えが、崩落の音を裂いて木霊した。
 有彦も聞こえていた。聞こえてはいたが、それだけだった。
 何かを考えての行動ではない。ただ咄嗟に動いてしまった。
 だから、止まれない。
 そこに、
「――ッ!?」
 破片が、降る。
 視界は真っ黒に塗り潰されていた。
 何が起こったのか、理解する暇など無く……
「有彦さんっ!?」
 今までになく悲痛なななこの叫びを聞きながら、有彦の身体は瓦礫の下へと埋もれていった。





◆    ◆    ◆






 遮るものなど何も無い、悠々たる進攻。
 それは勝者の余裕に満ち溢れていていいはずのものだった。なのに、この漆黒の怪獣王には余裕などと呼べる感情は一抹も無く、全身に漲るのはひたすらに煮えたぎる憎悪と憤怒。体皮以上に黒く塗り潰された激情は、目前の山々、その地下に眠るであろう大聖杯へと向けられていた。
 ようやく、だ。
 十年。
 十年前は、目標の気配は地表に顕現していた。それを目指し突き進んでいたゴジラは、辿り着く寸前で急に見失った。セイバーの聖剣により、聖杯が消し飛ばされたが故に。そしてそれと同時に大聖杯も停止し、ゴジラは激情の矛先を十年もの間探し求め続けてきたのだ。
 純然たる怒りだった。
 そも、この怪獣王にとって自ら以外の存在など全てが等しく塵芥も同然だった。人間の感覚で言うならば、路傍の石だ。ただ視界の脇に入るだけの、それ以上でもそれ以下でもない。邪魔ならば踏むなり蹴り飛ばすなりすれば済むだけのものだ。
 ゴジラは孤独でありながら、同時に絶対者だった。天上に、天下に、唯我独尊の存在とし君臨する者として、獣王の自我は地球生命の全てを凌駕する程の自負のもとに成り立ち、無敵盤石たる彼を支えていたのだ。
 その矜持は揺るぎないものだった。鋼鉄どころか、マントルの熱にすら耐えうる体皮に覆われたゴジラの芯たる生物的エゴは何者にも支配されず、永劫に孤高であるはずだったのだ。
 そんなゴジラを、聖杯の魔力は歪めた。
 歩みを、曲げさせた。
 眠りを妨げ、自我に泥を塗り、意識を束縛して支配せんとした。
 結論から言えば、聖杯はゴジラを完全に縛ることなど出来なかった。しかし怪獣王の怒りを買うことにより、目的は果たされたのだ。
 自らを支配しようとした聖杯を許せなかったゴジラは、冬木に最大級の破壊と悲劇をもたらした。阿鼻叫喚の地獄絵図、揺れる炎の中にそそり立つ黒き巨山に人々は怯え、名だたる英霊達ですら心胆を寒からしめた。
 それすらも、ゴジラの憤怒の対象となった。
 人の言葉を借りるなら、聖杯はゴジラに対しあまりにも不遜だった。もはや路傍の石ではなく、明確に叩き潰さなければならない存在となっていた。
 容赦などしない。
 出来るわけがない。
 重低音の唸り声が山の木々を揺らした。ゴジラの尾は森を剔り、大地を叩いた。しかし地響きはそれだけではない。
 山が、増えていた。
 牙を剥き出しにしたゴジラは新たな山を睥睨し、それでも歩みを止めずに突き進んだ。
 盛り上がった山が割れていく。土が、岩塊が宙を舞い、今まさに大地から産み落とされた嬰児のようにその巨躯は現れた。長大な尾を丸め、瞼も閉じたまま、生物の証たる脈動のみが響く。
 まだこれ以上自分の逆鱗を逆撫でするつもりかと、ゴジラはむしろ呆れと憐れみにも似た感情で、全体重をかけ……踏み出した。
 ゴジラの蹴り、踏みつけをまともに喰らえば、同程度のサイズ、質量の相手であれば一撃で致命傷ともなりうる。
 しかし、怪獣王の一撃が大地の嬰児に届くことはなかった。
 不可視の壁が嬰児の全面を囲っているのだ。壁は凄まじい量のエネルギーとなって迸り、ゴジラの脚を焼いていた。
 バリアーだ。
 強大な障壁にゴジラは苛立ちを隠せなかった。さらに、苛立つ王を嘲るかのようにそいつは丸めていた尾を伸ばし、ギラつく瞳を開け、睥睨するゴジラを睨め上げ返していた。
 咆吼が轟き、障壁が膨れた。ゴジラを押し返そうと膨張する力場は木々を焼き、地を焦がし、大気を震動させ、なおも暴風のように荒れ狂った。
 四足歩行の怪獣だった。
 伸ばされた尾はゴジラのものよりも長く、大きく裂けた口に生えた牙を打ち鳴らし、高々と喉が鳴らされた。
 忌々しい気配と匂いに、ゴジラは背ビレを明滅させた。体内に蓄積されたエネルギーは残り少ないが、それがどうしたというのだ。
 エレキングやアントラーと同質の存在であると、ゴジラの本能は相手の正体を看破していた。無論、それがガイア側の神獣であるという出自や、アルトルージュと大聖杯を守る最後にして最大の守護者などという理屈は知ったことではない。
 目前の敵、『障壁暴竜』キングザウルスV世が敵である、邪魔者であると、それだけで充分だった。
 ゴジラの全身が激しく発光し、残り少ないエネルギーがバリアーを破るために注ぎ込まれていく。圧倒的な暴威と鉄壁のぶつかり合いに、世界は悲鳴をあげた。



「おっぱじめやがった!」
 ゴジラとキングザウルスV世が交戦開始した程近く、山林の中で銀狼の鎧を身に纏った零は、怨敵たる暗黒の魔戒騎士、呀の苛烈な攻撃を捌きながら巨獣同士の戦いに舌打ちした。
『気を取られている場合ではないわよ、ゼロ!』
「うぉおっ!?」
 呀の振るうハルバードが、頭上を掠めていく。相も変わらぬ速度と、槍斧らしい重い一撃が巨木を斬り倒し、零は倒れ来る巨木の幹を蹴った反動で高々と跳躍した。
 冬木市街に入った途端、零を待ち構えてでもいたかのように襲いかかってきた呀と交戦を開始してから暫く経つ。そこからはハサン達の邪魔が入るでもなく、正真正銘一対一の決闘だった。
 嫌な感じだ。
 呀の強さに対してではない。目の前の暗黒騎士が、例えかつて戦い倒した本人とは別個の、影やクローンじみた存在であったのだとしても、その強さはよく知っている。一対一で勝ち目が薄いことも、百戦錬磨の零は承知の上なのだ。
 鎧の装着と解除を繰り返し、延々と呀の重々しい撃を避け、受け、或いは捌き続けた結果、体力も限界に近付いていた。
(偽物だろうと……やっぱり俺じゃこいつには勝てないってのかよ、畜生! 鋼牙じゃなきゃダメだってのか……?)
『ゼロ!』
「ッ!?」
 ネガティブな思考が判断を、反応を鈍らせる。低下した体力をさらに著しく下げ、気力を萎えさせていく。わかっていても、相手との力量差を実感させられる程に零の焦燥は強く、深くなっていった。
「くっ、のぉおおっ!」
『ゼロ! 一度退いて、解除を――』
「そんな暇が……あるかよッ!」
 残り時間は十秒を切っている。その上で、零は敢えて自身を追い込むかのように吼え、地を蹴った。
「!」
 二刀の銀狼剣が木々の枝を刈り取り、呀へと降り注いだ。あまりにも安易で猪口才な目眩ましだ。この程度で眩ませられる相手ならば苦労はしない。それでも、僅か一瞬でも隙が欲しかった。
 呀の剛腕がハルバードを一閃する。その風圧だけで、枝葉は全て吹き飛ばされ零の姿は丸見えとなっていた。
 絶望的な膂力で、ハルバードが打ち下ろされる。
『避けてっ、避けなさいゼロォ!』
 シルヴァの悲鳴にも、零は呀の一撃を避けようとはしなかった。その手には――
「ッ!」
 銀狼剣が、無い。
 呀が消えた銀狼剣の行方を探るよりも先に、その右膝裏をブーメランと化した銀牙銀狼剣が穿っていた。
「はっ! 舐めすぎだぜ、暗黒騎士さんよ!」
 力無く下りたハルバードを避け、零は呀の腹へと全力で蹴りを叩き込むと瞬時に鎧を解除した。
「こんなお約束な手に引っかかるなんざ……――ッ!?」
『ゼロォオオッ!』
 油断、したわけではなかった。単純と言えども、これまで呀の攻撃に耐えに耐え、もっとも投擲攻撃に適した地形へと誘い込んだ上での一撃だったのだ。その上での渾身の蹴り、いかに暗黒騎士と言えども避けきれない、ダメージ必須との読みが、外れた。
「ぐっ、こ、のぉ!」
 零の蹴り脚は、呀に掴まれていた。
 脚を斬り裂かれ、腹にまともに一撃を喰らった状態で、その指はなおも万力のように足首を締めつけてくる。鎧を装着していない、生身の状態で耐えられる握力ではなかった。このままでは握り潰されてしまいかねない。
『もう一度鎧を装着して――』
「無理だ、動けねぇ……ッ」
 片脚を掴まれた状態では鎧の召喚もまともに行えやしない。
 万事休すか、と。
 流石の零も諦めかけた時、大地が傾いた。
「おぉおっ!?」
『ゼロ、今よっ!』
「……ちぃイェアッ!」
 言われるまでもない。掴まれた脚を軸にして身体を回転させた零は、残る片脚の爪先を呀の側頭部へと叩き込んだ。地面が傾いたことと蹴りの衝撃によって、流石に拘束が弛む。
 畳み掛けるべきか、零は蹈鞴を踏んだ呀を見て躊躇した。向こうが体勢を整えるのにあと一秒半はかかるだろう。充分に隙は突けるが、如何せん足場が悪いのは自分も同様だ。
 仕方なしに零は若干の未練を残しつつも飛びすさった。
 傾いた地面が、今度は急激に跳ねたような錯覚を覚える。原因は実に簡単だ。
「……無茶苦茶だな」
『ええ、そうね』
 巨大ホラーと比較してさえ出鱈目な、巨獣同士のぶつかり合い。キングザウルスV世のバリアーを無理矢理押し切ろうとゴジラが脚を踏み込むたびに周辺は大震災の様相を呈していた。
「この隙に……!」
 二刀の魔戒剣が宙空にサークルを描き、銀狼の鎧が再度召喚される。体力も精神力もとっくに疲労のピークを迎えながら、尻尾を巻いて逃げ出すという選択肢は零の中には無かった。
 ゴジラの尾が、山を、丘を叩き、剔る。
「く、うおっ!」
 必死にバランスを保ちながら、零は跳躍した。呀も膝裏にダメージなど無いかの如くに跳躍、ハルバードを振るってくる。
「クッ! この!」
 凄絶な剣戟。
 片や小振りの二刀、片や超重のハルバードであるというのに、呀はまるで意に介さず零の連撃を悉く捌き、必殺の一撃を叩き込まんとしてくる。その手際、圧倒的技量には素直に敬服せざるをえなかった。
 零には、強弱を本意に考えすぎてしまう、戦士としての拭いきれない若さがあった。それ故にこの暗黒の魔戒騎士を憎悪しつつも認めざるを得ない、相反する感情が鬩ぎ合っていた。圧倒されているとすれば、まさにそのせいなのだ。
(呑まれるな! 奴の強さなんて、所詮はまやかしだ!)
 本心からそう思わなければ、どんなに己の心に言い聞かせても意味は無い。
 呀の強さが、存在感が、今にも自分を押し潰そうとするかのような息苦しさに零は喘いでいた。溺れる魚のように、藻掻く銀狼の鎧が軋みをあげる。
『もっとあいつの動きをよく見て!』
「見てるっての!」
 空中で打ち合っていた二人の身体が、ほぼ同時に落地する。しかし大地は依然として波打ち、さらには傾斜したままだった。
「クソ!」
 左の銀狼剣を地面に突き立て、零はそこを軸に身体を反転させつつ呀に右の銀狼剣で斬りつけた。が、バランスが取れない。そのような斬撃、例え遠心力を纏おうとも呀に通じるはずもなく、
「うぉおわぁああっ!?」
 ハルバードで受け止められた挙げ句に単純な膂力だけで零は弾き飛ばされていた。
『やっぱり、この場から少し離れるべきよ。怪獣がやり合っている足下で戦うなんて無茶だわ、ゼロ』
 シルヴァの言う通りではあったが、こうしてゴジラが荒れ狂っているのを目の当たりにすれば、この場から撤退しもう一度戦力の立て直しを計る時間の余裕など無いのではないか、と……零は左剣を引き抜き、傾斜に踏み止まって二刀を暗黒騎士へと向けた。
「……シルヴァ」
『……』
「大聖杯が近いなら、他のみんなももうすぐここに来るはずだ。なら俺がしなくちゃいけないのは、今ここでコイツを倒すことだろ?」
 言うなり、呀の斜め前方にある巨木まで走ると零はそのまま木を駆け上り、そこでいったん鎧を解除した。全身が重く、気怠い。
『もう、鎧を纏うのも限界よ?』
「あと何回いけるかな?」
 シルヴァは無言だった。零も答えが欲しかったわけではない。
 溜息混じりに呀の様子を確認しようと零は視線を下へ向け、
「……ッ!?」
 そこに呀の姿は無かった。邪気だけが不気味に漂っている。
「しまった、動いた気配が無かったから油断した!」
『何処に!? ……ゴジラの気配と重圧が邪魔で、一度見失ってしまったら呀を探すのも……』
 ならば音で見つけるしかない。この森の中、よもや物音一つ立てずに移動というのも無理がある。しかしそれもすぐ近くで巨獣同士が争っている騒音の中から聞き分けねばならず、零とシルヴァは息を潜め、ただ、待った。
 と――
「そこかっ!?」
 咄嗟に避けたところへ何本かの剣が突き刺さり、しかも直撃の瞬間剣は炎へ変じたかと思うと巨木の葉を焼いた。
『こんな攻撃、初めて見たわ!』
「意外と多芸な奴……って」
 視界の端を、黒い影が横切っていく。それは呀のものではなかった。呀よりも一回り小さく、鎧なども身につけていない明らかに生身の人間の影だ。
「別の敵? いや、でも今のは――」
 見覚えがあった。
 アインツベルンの森を襲撃してきたハサンに混じり、凛を挑発していた神父。投げられた武器も聖堂教会の者達が用いる黒鍵ではなかったか。
『ゼロッ!?』
 言峰綺礼。その研鑽された技量は確かなものだった。
「くッ!」
 さらに飛来する複数の黒鍵を二刀でもって叩き落とし、零はここにきて二対一かと歯噛みした。分が悪くなる一方だ。
「あの神父さん、代行者としちゃ結構な腕前だな」
『呀と比べればそこまでの脅威でもない……とは思うけど』
 一対一でなら、聖堂教会の代行者と言えども余程の上位者でなければ零は後れをとるつもりはない。が、呀と接近戦をこなしつつ黒鍵の投擲や他の遠距離型秘蹟を用いられては厄介だ。あの呀が他者とコンビネーションで攻めてくるとも思えなかったが、ただの援護射撃であっても地力で呀に劣っている零には致命的だった。
「……さて、どうしたもんか――ッ!?」
 敵方の次の攻撃に備えていた零の全身を、ゾワリとおぞましい悪寒が撫で上げていた。もはや物理的な冷気だ。
「い、今の……っ」
 咄嗟に振るった剣が、黒い獣を薙いでいた。が、落ちた犬の首は汚泥のように溶け変じ、闇の海へと還っていく。
『混沌!』
「こいつまでかよ!?」
 叫ぶ零へと影が伸びる。伸びながら影は鮫となり虎となり鰐となり犀となりゴリラとなり大蛇となり鍬形虫の顎となりそして最後にはそれら全ての生物の特徴を備えた混沌の獣となって――零に襲いかかった。
 ネロ・カオス。
 呀と同等、またはそれ以上の実力者の登場に零は諦めにも似た感情を抱き、抱きながら、駆けた。
 相手が明確に死徒の属性を備えているならば、魔戒騎士の自分にはむしろ与し易い相手だ。が、ネロも綺礼と同様、中遠距離から呀の援護にでも回られたらもはや勝ち目がない。
「絶体絶命……ってやつだな」
 汗が冷たかった。
 混沌がうねる。奇妙で耳障りな音が零の耳元を通り過ぎていった。その形状はいかなる生物学的見地からしてみても類別不可能な、巨大な何か。故に風切り音も類例が無い。
『どこから攻撃がくるかわからないわ!』
 シルヴァの言う通りだった。何よりもまずネロ・カオスの本体が見あたらない。ただ全方位から間断無く影が伸び、零を徐々に円の中心へと追い詰めていくようにあらゆる障害を薙ぎ払っていくのだ。それは、まるで零に屈辱と恐怖を植え付けようとでもしているかのようだった。
(この期に及んで……嬲り殺しにする気かよ?)
 零のようなプライドの持ち主に、ネロのこの攻撃はあまりにも効果的だった。がむしゃらな逆襲に出て、一矢報いる事さえ出来るならそこで死んでもいいと、特攻精神が首をもたげる。
「……でも、そう簡単には死ねないよな」
 死ねない、死ぬわけにはいかないと自制出来たのは友のためか、仲間のためか。おそらくはその両方だろう。
 魔戒剣を掲げ、召喚のためにサークルを描く。
『ゼロ、おそらくはこの装着が最後、限界よ?』
 シルヴァの言葉が身に染みてわかった。鎧と剣をこんなにも重たく感じたのはいつ以来だろう。……いや、鎧を纏うことを許された頃でも、ここまで重たくは感じなかったはずだ。
 要するに、駆け出し以下。
 それが今の零の偽らざる現実だった。
「……わかってるさ」
 鮫のヒレが、まるで地面を海面かのように割って突っ込んでくるのが見えた。しかし無論水飛沫はあがっていない。
「くっ!」
 まるで曲芸に挑むイルカのように、鮫が空中に大きく弧を描いた。しかしその時点で既に鮫ではない。両前脚の鋭い爪を振るったのは、獅子だ。獅子の一撃を銀狼剣で受けると、相手は急激に膨らみ、今度は巨大なトカゲとなっていた。
「は、はは……恐竜かよ」
 肉食獣の爪牙を有したそれは、もはや恐竜と呼ぶ他無い。唸り声が響き、零を斬り裂くと言うよりも押し潰そうとするかのようにトカゲは前脚を振り下ろした。
 重量比は……考えるまでもない。
「うぉおおっ!」
 受けるも不可、流すも捌くも不可。回避一択、横っ飛びに銀狼が跳躍する。そうなれば、幾ら大きいと言えどもゴジラなどの大怪獣程ではない。せいぜいが七〜八メートル。隙だらけの側面から斬りかかれば一撃で倒せずともダメージを与えることは可能だ。
(脚の、腱を狙えば!)
 残る力を振り絞り、零は銀色の閃光と化しトカゲに飛びかかった。余力を残して対処出来る相手ではない。ネロも、綺礼も、呀も、全てに全力で挑み、撃破する覚悟を零は決めていた。
 強力な退魔、浄化作用を持つ魔戒剣の一撃は、吸血鬼を始めとするアンデッドには致命傷たりうる。いかにネロ・カオスと言えども銀狼の一刀をまともに喰らえばただではすまない。
 腱を断ち切り、倒れ伏したところで頭部を剔る。変幻自在の相手と言えども明確に変身中はその生き物の急所、弱点が狙い目となるはずだ。さらにそこで烈火炎装、魔導火を叩き込めれば不死身を謳われる二七祖の一角と言えども……
「喰らえぇえ!」
 零の双振りの剣が、トカゲの腱で交差しようとした。……その、直前の出来事だった。
『また、違う気配よ! ……でも、これ――』
 シルヴァの叫びに反応しながらも、零は既に軌道も速度も修正は出来ずそのまま突っ込んでいた。が、剣が届いていない。直前で、零の身体はあらぬ方向へと向いていた。
「!?」
 零の身体は、突如吹き荒れた闇色の暴風によって巻き上げられていた。圧倒的な風量に身動きが取れない。しかもカマイタチ、風術の類らしく鎧を纏っていなければ確実にミンチにされていたろう。
 その、黒い竜巻の中で零は視た。そして聞いた。
「――カット」
 凶眼と、狂声。
「カット……カット、……カット、カット、カット、カットカットカットカットカットカットカットカットカットカァアアットッ!!」
「ぐっ、おぉ、おおおおおっ!?」
 いつの間にか巨大なトカゲは消え、トカゲがいたはずの場所で紅い眼が、紅い口が、嗤っていた。
「キ、キキキ、キーーーキキキキキキキキキキキキキッ!」
 紅い眼と紅い口から、紅い雫が落ちる。涙や唾液とは異なる、紅い濁流だった。血の匂いが周囲に充満していく。
「嘲笑嬌笑哄笑戯笑嬉笑嗤笑失笑媚笑放笑失笑にして笑止千万、一笑転じ万笑に付してなお憫笑に顰笑! しからば止めよ笑いを止めよ此の愚かにして哀れな喜劇を棄劇して惨劇せしめん! 幕だ、幕だ幕だ幕だ幕を上げそして下ろせ! ……魔を戒める銀狼を、以て我が舞台の仇敵とし――」
 突如零の目の前に現れ、紅々と笑ったそいつは右手を大仰に振るい、深々と腰を曲げ頭を下げ、慇懃無礼に一礼した。
「――彼の者を、誅殺せん」
 零とシルヴァには、一目でソレがネロや呀に匹敵する魔であることがわかった。
 黒くて紅い影が、跋扈する。
 ネロの変幻とは異なる流転だった。風にたなびく巨大なマントの内側に、無数の影が視えた。
「既に舞台を降りた我が身はまさにミスキャスト。それでもこの姿が一番しっくりとくるのは何故か、深く深く不覚思考するよ。しかし魔戒騎士とは珍しい。我ら闇の眷属の天敵にして怨敵にして接敵したならば互いに即殺を旨とするまさに讐敵と戦えとは姫君も存外に人使いが荒いものと見える」
「ゴチャゴチャと……ッ!」
 残された時間も少ないのにお喋りにつき合ってやる義理も暇も無い。そのまま首を落とさんと、零は銀狼剣を横薙ぎに振るった。
 が、
「カット!」
「くっ!」
 翻ったマントが剣撃を弾き、ソレはつまらなそうに首を傾げた。
「なんだ、既にボロボロじゃないか。ネロ・カオスにやられたのかね暗黒魔戒騎士呀にやられたのかねそれとも代行者言峰綺礼に不覚をとったのかな? だがどちらにせよ落第だ。私の相手をするには足りない彼らの相手をするのにも足りないましてや姫君を討とうとするには何もかもが足りていない! リテイク!」
 再び、黒い風。さらには槍のように変じたマント、鋭く伸びた爪が零の二刀流を圧倒する。それでも零は切り払い、捌いた。相手が純然たる戦士型で無い以上、どんなに疲労が蓄積していようとも一対一の近接戦闘で後れをとりはしない。
「……まぁ、もっとも――」
『ゼロッ!?』
「――私は彼らであり彼らは私であり――」
 そう、一対一の近接戦闘である限りは、零は例え祖が相手でも後れをとる男ではなかったのだ。
「馬鹿なっ、こいつは……ッ」
 今零を呑み込もうとしている闇は、混沌だった。
 目の前で嗤うソレの下半身は混沌と化し、さらに腕は暗黒騎士の剛腕となって零の身体を引きずり込もうとしていた。
 沈む。
 身体が、沈んでいく。呑み込まれてしまう。
 その混沌の奧に、零は背筋が凍る程の白さを、見た。
「――こわい、もの……」
 ほんの数日前にも遭った、純然たる闇そのもの。
 幼い顔は、恐怖に歪んでいた。怖れを訴えながら、泣き腫らした眼の紅さは哄笑するソレとは比較にならない。
「……みんなが、ね? こわい、もの。……わたしも、ね? ……こわい、の。……こわい」
『ゼロ、逃げるのよ!』
 シルヴァの声が近いようで遠い。零の意識は、少女と、少女が抱きかかえるもう一人の少女へ釘付けとなっていた。
「イリヤ……スフィール……ッ」
 連れ去られた少女が、手を伸ばせば届く距離にいる。意識はないのかグッタリとしたままだ。
 助けなければ、と。伸ばしてしまった手を掴んだのは、イリヤではなくアルトルージュだった。
「こわい、よぉ……う、うぅ……だから、もっと、もっとこわいものを、あつめる……の。こわいもの……そう、とてもとてもこわい、もので、やっつける……やっつけて、やる……ッ」
 恐怖と綯い交ぜになった憎悪。
 それは放つ者の単純な大きさで言えばゴジラから発せられるものとは比べものにならない程に小さく、怪獣王のものを業火とするなら、蝋燭の灯火としか形容出来ない程度のものだった。
 しかし、小さいながらも、それは消えない。真っ直ぐに、キングザウルスV世と激突しているゴジラへと向けられていた。
 と、その時、ゴジラが何かに気付いたかのように首を回し、視線をこちらへと向けてきた。
「……ひっ!?」
 アルトルージュの怯えが、増す。
「あっ……う、あぁ……」
 零を拘束する力も弱まっていた。さらには、ネロや呀、黒い影が次々と姿を変えていく。
「伝播する恐怖が臓腑を震わせ負の感情を配賦しいざ征けさあ逝かん! 嗚呼! なんたる哀れにして憐れ! 哀惜の慟哭に嘆き童心の凪を薙ぐ! 漆黒の桎梏がしつこく叱克せしむは姫君の秘めたる恋慕恋情恋感を叙情し我がタタリで祟ろう! 嗚呼祟ろう祟ろうともいざ祟る我が名はタタリにしてワラキア! 一三番目の祖にして姫君の契約者にして盟約者! 今こそ誓約を果たさん!」
 零を吐き出し、影は異形をさらに変え、ますます巨大で強大なものへ膨れ上がっていく。後退り、鎧を解除しながら逃走したのはもはや零の直感と本能だった。
「……そう、今の私は所詮レプリカ」
 ワラキアの笑みが、寂しげなものへと変わる。
「……借り受けた力を返し、せめて成果を捧ごう。受け取りたまえ姫君、受け取って、世をタタリたまえ」
 紅い玉が、弾けた。
 血の雨が降り、黒い巨体が真紅に脈動する。
「なんだよ……あいつは」
『……わからないわよっ』
 吐き捨てるように答えたシルヴァの声を聞き、零は神に祈るという馬鹿馬鹿しい行為にさえ縋りたくなった。





◆    ◆    ◆






「今だ! ハイパーナパーム、一斉投下ッ!!」
 メガドロンの発した号令が早いか、ガンヘッド大隊から一斉に凄まじい量のハイパーナパーム弾が発射され、泡と実体とが半々に入り交じっていたダンカンを圧倒的火力で包み込んだ。
「ベルシダー、マグマライザーは地下から熱線で攻撃継続! 奴を地下に逃すな、ここで完全に焼き尽くすのだ!」
 ブクブクと、泡がのたうち回るという奇妙な光景が目前では展開されていた。流石にあの火勢では再生も増殖も追いつかないのか、見る間にダンカンが小さくなっていく。
「よぉし。これでようやく突入出来るな」
 嬉しさを隠そうともせず、握り締めた拳をポキポキと鳴らしながら立ち上がった結城は、おかしなものに気がついた。
「……ん?」
「では我々もガルーダで……結城少佐?」
 怪訝そうに空を見上げる結城の視線が気になり、茜も釣られるようにしてそこを見た。メレムもメガドロンも全員の視線がそこ――冬木上空に集中する。
「おいおい、冗談キツいぜ?」
 呟いた結城の口元は引き攣っていた。
 茜も、メガドロンも、あのメレムですらが言葉を失っていた。
 わからないのだ。
 完全に理解の範疇外の事態に直面した時、人も機械も吸血鬼も等しく口を閉ざすしかなかった。
 一言で言うなら、それは山だった。
 黒い富士山とでも形容すればいいだろうか。もしくは杯をひっくり返したような――ともあれ、怪獣を指してまるで山のようなとかそういった類の意味でなく、まま巨大な黒い山の如き“ナニか”が空中に浮かんでいたのだ。
 おぞましい光景だと、誰もがそう感じた。あれは、正体はわからないが兎に角“善くないもの”だ。理由も根拠も無く、毛穴の開ききった肌がそう実感させていた。
「……急いだ方が良さそうだね」
 メレムの言葉に頷きもせず、各々が動き出す。まずはダンカンに完全にトドメを刺し、休む間もなく冬木へ進撃、あのおぞましいものの根を絶つ。
 その時、地鳴りがした。
 黒い山は宙に浮いているはずなのに、それはあの山が鳴動しているに違いないのだと誰もが確信していた。





◆    ◆    ◆






 ソレは――混沌であり、悪夢であり、神の御使いのようでもあり、暗黒の牙であり、ポッカリと空いた空虚だった。伽藍としたその虚に光る眼は血の色に染まり、世界の全てを睥睨するようでありながら、睨め上げているようでもあり、咆吼は悲鳴のように天と地を引き裂き揺らした。
 赤黒く脈動する肉体は定形をとらず、鬼を連想させる凶悪な面相も果たしてそれは顔なのか、否か。
 うねる。
 のたうちながら、今まさにソレは産み落とされようとしていた。
 破壊衝動の具現。肉持ち意思持つ暴威そのもの。そう、ソレはまさしくゴジラと同義の存在だ。
 ゴジラは既にキングザウルスV世を見ていなかった。鬱陶しいバリアーを気にも止めず、眼前の山林、その中腹から黒雲のように湧き上がったソレに絶対の敵意を向けていた。
 同義でありながらも、ソレは決定的にゴジラとは異なっていた。
 互いが互いを破壊することにのみ意識を集中させている、文字通り不倶戴天の敵同士。
 なのに……違う。
 ソレのあげる、天を劈く悲鳴のような咆吼はゴジラのものとは明らかに異なっていた。痛みと苦しみ、悲しみと怖れ、悪夢に魘される幼子を連想させるその赤黒い破壊者は、何かを探すように視線を彷徨わせ、激しく、狂おしく……慟哭した。
 しかしその慟哭を哀れむゴジラではない。
 赤黒い忌子の全身から沸き立つ障気が天空を暗黒に染め抜いていた。サドラの霧とはまるで異なる、漆黒の山が泥を吐きながら鳴動する。眼前のものも、天空のものも、それらは一つの存在であるとゴジラは見抜いていた。何よりも、探し、求め続けた存在であると。
 青白く背ビレを発光させ、猛る。
 紅の閃光を放ち、大気を震わす。
 この世全てを破壊し尽くさんとする怪獣王と、その怪獣王を破壊するために産まれた凶獣の決戦が、今、幕を開けようとしていた。








〜to be Continued〜






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