episode-19
〜破壊の月姫〜
Part 1 死闘―激化―


◆    ◆    ◆






「話にならない、ってのはこの事よねぇ」
 その気になれば魔術によって臭気くらい容易く分解出来るものを、あえてそうせずに酒臭い吐息を撒き散らしながらスミレはおそらくは永遠に続くであろう平行線に飽き飽きしたとばかりに前髪を指先で弄んだ。
 くだらない。実にくだらない。目の前で眉を顰めているアブトゥーの言い様もわからぬではないが、それをこの自分、水魔スミレに語り説くというのがくだらない。
「どうしても、聞き入れられぬと?」
「くーどーいー。そういう面倒なのは専門外なのよぅアタシは。何度言ったって無理無駄無為だって」
 傍らではそんな二人のやりとりをアネットがハラハラしながら聞いていた。それに関してはスミレも悪いと感じていたし、そもそも個人としてはアブトゥーに対して何ら含むところもない。ただ、その個人であるところがスミレにとってはまったく絶対的な部分であり、曲げられない自己なのだ。そこを曲げてしまった途端に水魔スミレは生きる意味さえ失いかねない。もっとも、吸血鬼が“生きる”というのもおかしな話ではあるのだが。
 と、そんな事をぼんやり考えていたスミレに、業を煮やしたアブトゥーが再度冷徹に、告げるのではなく命じた。
「何も全てをお前の裁量で決めろと言っているのではない。地上と改めて交渉する上での橋渡しをしろと言っている」
 傲岸な物言いだ。個人的にはそういった物言いは嫌いではないが、交渉役としては失格もいいところだろう。
「橋渡し、って言われてもさー。そんな無茶な条件持ち出したらアタシ悪者かキチガイ扱いされるの確実じゃない。無理無理無理無理カタツムリマイマイよそんなのぉ」
 膨れっ面でまた酒杯を傾けるスミレに、このままではどうあっても平行線かと盛大に舌打ちしたアブトゥーはやおら席を立ち上がり、窓の外に広がる蒼暗い海底を見た。
「……私個人としては、このような交渉さえ不要と考えているのだ。貴様ら地上人どもが地球生命にどれだけ蹂躙されようとも知った事ではない」
 これまでで一番の本音だろう。同輩を叱責せんと腰を浮かしかけたアネットを手で制し、スミレはアブトゥーの続く言葉に耳を傾けた。
「ムー、アトランティス、レムリア、シートピア……ノンマルトに連なる我ら海底諸国連合は祖先の理念を遵守し、出来うる限りの平和的解決……地上人との共存を望んでいる。だがそれも貴様達が交渉に値するだけの存在であればこそだ」
「……ほーんと、地上のニンゲンが嫌いなのね」
 胡乱げながら、眼光だけは鋭くスミレは呟いた。自身人間であった頃よりも遙かに長い時間を吸血鬼として過ごしてきた者である以上、人間批判についてさほどに思うところは無い。スミレもまた人類の枠外にあるもの、今の人間の有り様について人外としての思惟もある。
 が、アブトゥーのそれは現行の人類にのみ向けられた言葉ではない。地上に住まう者、かつてノンマルトと呼ばれた旧地球人類が地底や海底に追いやられて後、地上を我が物顔で席巻し繁栄した知的生命全てに向けられた言葉であるのは明白だった。
「好悪の問題ではない。……与えられた叡智を破壊と闘争にのみ特化させ、我らに遠く及ばぬ文明度でありながら今こうして地球生命に滅ぼされようとしている貴様らを対等に扱えようはずがあるまい」
「それにとばっちりでまた滅ぼされたくはないもんねぇ」
「……貴様……ッ」
 からかうように言って、スミレは一口酒を口に含むと熱い吐息を漏らした。アブトゥーが、ノンマルトが怖れているのは地球生命が再び現在存在する全文明を滅ぼさんと無差別に攻撃を開始してくることだ。そうでなければ奇しくも彼女が先程言った通り、地上人類が滅ぼされるのをただ傍観していればいい。協力して事にあたろうという意思があるのは、既に海底都市側にも何らかの被害が出ている証拠だろう。
 地球生命の意思が文明の殲滅を望んでいるならば、そこに地上も海底も、地上人類もノンマルトの末裔も関係などあろうはずもなく、おそらくは一緒くただ。
「言い分はわかるわよ。気持ちもわからなくはない。地上のニンゲンが海底開発なんかでおたくらに迷惑かけてるってのも、まぁそれは地上側が悪いわね。……でも、だからって地上の三分の一をアンタ達の、海底諸国連合? に割譲しろとかいうのは流石に無理ってもんでしょ」
 そもそも地上人類が一枚岩で無い以上、どれだけ土壇場でもこのような交渉を実現させるのは不可能だ。アネットに助けられて以来、このムーの技術力を多少なりと目にしてきたスミレにはなるほど地上の三分の一を割譲してでも協力を仰ぐべきと思わぬでもなかったが、真っ当に考えれば応じる者はいないだろう。
「まぁ、そうだろうな。急に地上の三分の一を寄越せと言われても、今の地上にそのような余分な土地はありはすまい。……だが」
 アブトゥーの顔に浮かんでいたのは、今まで以上に酷薄な笑みだった。彼女の中にある地上人への怨執、敵意がまま具現化したかのような邪念を感じ、スミレは眉を顰めた。
「ギャオスの群れによって大量の地上人が駆逐されれば、幾らでも土地は空くのではないか?」
「……うあー、最低な発想ねぇ」
 もっともスミレ自身考えていなかったわけでもない。隣で申し訳なさそうにしているアネットの常からの態度にも彼女達のそういった判断は読めていた。争いを好まぬからこそ自分達は手を汚さない……大したエゴイズムだ。
「もしかすると、そんなだから一万二千年前だっけ? 地球に滅ぼされたのかもねぇ」
「……なんだと」
「スミレさん!」
 むしろ怒りに席を立とうとするアブトゥーを諫める意味でアネットはスミレを制した。
「ごめんねぇ。思ったこと口にしちゃうタチで」
「……ふん。まぁいい。どちらにせよ、貴様が言った通りとばっちりで我らまで再び滅ぼされるつもりもない。地上に出て地球生命と戦うための準備は進めてある。橋頭堡とすべき土地には事前に我らが尖兵を送り込んでもあるからな」
 そう言ってアブトゥーが空中に指を走らせると、小さな光が灯り、ヨーロッパ大陸の地図が浮かび上がった。そのうち幾つかには赤い光点が点滅している。
「かつてシートピアの祖先が崇め、彼らを守護していた神獣メガロとその眷属たるサタンビートルの群れがヨーロッパ各地でギャオスと交戦中だ。さらにユーラシア東部、日本近海でも準備は進めている」
 地図が今度はユーラシア、さらに太平洋へと切り替わる。日本とハワイのほぼ中間で輝いている緑の光点がおそらくはここなのだろう、スミレは意外と日本に近かった事にふむとひとりごちた。あの国にはシオンがいるし、何より怪獣王ゴジラが眠る地だ。果たして今は、どうなっているのか。
「地上の状況が気になるか?」
「そりゃ、ねぇ」
 気にならないといえば、嘘だ。シオンだけでなく、スミレにもこのような戦いで容易く死んで欲しくない知己は少なからずいる。
「ならば一つだけ、教えてやろう」
「アブトゥー!」
 ついにアネットが声に出して同輩を叱責した。が、意に介さずアブトゥーは悪意に顔を歪めたまま、この事実を突きつけられたなら生意気で気に食わない目の前の女(スミレ)がどのように動揺するか期待するかのように言い放った。
「日本では、今現在ゴジラが復活しおそらくは地球生命側のものと思われる勢力と戦っている」
「……へぇ」
「あの狭い島国で両者がぶつかれば……。どうだ、少しは考える気になったか? 現在最大の窮地を迎えている日本ならば、貴様の所属する勢力を通して交渉もしやすかろう」
 取り敢えずは日本の危機を救い、海底側の戦力を地上各国に見せつけてそこから本格的な交渉を開始する腹積もりなのだろう。アブトゥーの言う通り、スミレからヴァン=フェム、それにトラフィムへと働きかければ日本政府と口をきくことは難しくはない。
「やれやれ、ねぇ」
 幾分か優位に立ったためか、スミレを見るアブトゥーには先程までと異なり余裕の冷笑が浮かんでいた。
(こういうのホントに苦手なんだけどなぁ。……はぁ。こんなのアタシじゃなくリタとかもっと腹黒い奴の担当なのに)
 空いた杯に酒を注ぎながら、あまり難しく考えたところで仕方もないしひとまず要求を呑んで地上に帰参することにするか、とスミレが腹を決めた、その時だった。
「――ッ!?」
 不意に、アネットとアブトゥーの顔色が変わった。
 余裕も冷笑も消え去り、頬を引き攣らせたまま急激に天井を仰ぎ、信じられないとでも言いたげに頭を振っている。
「か……く、ぅ……あっ」
「こ、これは……ぁ……うぅ、あぁあ!」
「なに、どしたの?」
 頭痛が酷いのかそのまま頭を抱え踞ってしまったアネットに駆け寄ったスミレは、彼女の眼が深い水底の蒼に明滅しているのを確認し、次いでアブトゥーの顔を見た。すると彼女の眼も同じように明滅している。
「ただ事じゃ、無さそうねぇ」
 他人事のようなスミレに向かい、アブトゥーは頭を抱えながらそれ見た事か、と哄笑した。
「……く、は、はは……貴様が、そうしてノラリクラリと、していたせいだ……ぞ。……もはや、手遅れかもしれん。今さら、我らが介入したところで……」
「なによぉ。こんな時まで勿体つけるわけ? どうせならスパッと言っちゃって欲しいわ」
 単に嫌がらせのつもりで勿体つけているわけでない、とはスミレも理解していた。アブトゥーだけでなくアネットも痛苦に身を捩っているのを見れば、尋常ならざる事態が起きてしまったのであろう事は明白だ。
「地上……日本で、何かあったのね?」
 スミレの直感は果たして正鵠を射ていた。
「日本で、何かとてつもないモノが……目覚めた。邪悪なるモノ……ゴジラに比肩しうる、……なんなのだ、こやつは、……まともな生命では、無い」
「はぁ? ゴジラに比肩しうる、邪悪……?」
 聞いた途端、アネットとアブトゥーの悪寒が伝染したかのようにスミレも身震いした。彼女達のESPによる感応現象なのか、直接“ソレ”が伝わってくる。そしてアブトゥーに曰く“邪悪な存在”の気配らしきものに、スミレは些か覚えがあった。
「この、邪悪は……破壊衝動の塊、です。……世界の全てを憎み、破壊し尽くそうとしている……アブトゥー! もう、交渉してる余裕なんて……!」
 アネットの言葉にアブトゥーの顔が大きく歪む。
 天井に映る海底を見上げながら、スミレもまた顔を顰め、自身の知己達の無事をらしくもなく祈った。この気配が本当に覚えのある通りの相手のものなら、トラフィム達はどうしようもなく相対しなければならないはずだからだ。
「……交渉はさておき、アタシだけでも早いとこ地上に帰してもらえると、ありがたいんだけど……ね」
 スミレの呟きに、アブトゥーが返したのはただ忌々しげな視線のみだった。





◆    ◆    ◆






 呼びかけに応じてくれているとわかっているから、確信しているからこそ辛いのだろう。
 コスモスの表情の翳りを見て、セラはほんの僅か眉間に皺を寄せてイリヤとリズ、自分、そして今はもういない狂戦士の事を思い浮かべた。
 モスラと交信する彼女達を護衛するため志貴達と別れ、不本意ながらもイリヤ救出を託した自分も、リズならば身命を賭して少女の救出を果たしてくれるだろうという信頼がある。
 そう、命を落としても、なのだ。
 課せられた役割だから……それだけのはずがない。セラもリズも、ホムンクルスとして造られ与えられた使命感以上に己の意思でイリヤを守るのだという誇りがある。
 それは人類を守護するために産み出された神獣モスラもおそらくは同じなのだ。かつてはノンマルトを、今また滅ぼされようとしている現行の地球人類を、使命感だけで命を懸け守り通せるはずがないのだと、セラは思う。
 そんな、まだ先の東京での空中戦で負った傷が癒えていないモスラを今また死地へ赴かせるのだ。祈りを捧げているコスモスの心中には、察するに余るものがあった。
「……アルトルージュ・ブリュンスタッドか」
「……それとも、ゴジラか」
「おそらく、モスラは自身が戦うべき相手を」
「より脅威となるであろう相手を、自身で選ぶでしょう」
 雷霧結界が破れたとは言え冬木の戦闘はいまだ混迷を極めるばかりだ。三つ巴の現状、下手に命じるよりは確かにモスラの判断を仰いだ方が良いかも知れない。
「モスラは、あとどのくらいで到着するのですか?」
「既に飛び立ちました」
「半時もかからないはずです」
 最初にモスラへと呼びかけた時、コスモス達が見せた驚きと悲哀に満ちた表情が気にかかったが、セラは敢えて尋ねようとはしなかった。
 しかし、それにしても。
 円蔵山とその周囲の山々に響き渡る複数の大怪獣の咆吼。人類の守護者たるモスラは、果たしてそのどちらをより強大な脅威として選ぶのだろう。
 ゴジラか、アルトルージュ陣営か。
 過去のデータからどれだけ分析しても、セラには到底測りかねた。どちらも地球人類を脅かし、滅ぼすに充分な力は備えているよう思える。思えるだけの力が、咆吼と地響きに込められていた。
 歯痒いものだ。
 ホムンクルスであるが故にセラは己の能力や適性を嫌になるくらい理解出来てしまっている。魔術技能そのものは高くとも脆弱な肉体は実戦闘には不向きだ。乱戦ともなれば味方の足を引っ張るのが関の山だろう。
 それでも自らの手でイリヤを救出したいという欲求をねじまげ、周囲に注意を巡らす。何せどこにハサンが潜んでいるかもわからないのだ。この上はコスモスだけでもなんとしても守り通さなければ面目が立たない。
「お嬢様……皆様も、どうか――」
 ホムンクルスの祈りなど、神が聞き届けてくれるかどうかはわからない。
 それでも願い、祈り、案じる事に少しは意味があるのだとそう思いたかった。
 恐怖と絶望、諦めは人からも、ホムンクルスからさえも力を奪うのだから。
 諦めさえしなければ、希望はあるはずなのだ。





◆    ◆    ◆






 タタリと呼ばれた吸血鬼が存在していた。
 正確には、存在するとされていたアンノウン。死徒二七祖の一席、一三位に数えられながら誰もその実態を確認出来た者はいなかったとされる不確かで幻のような吸血鬼だ。
 そのタタリ――かつてズェピア・エルトナム・オベローンと呼ばれていた男は、確定不可避である滅びの未来に抗おうとした一人の稀代有能な錬金術師だった。しかしその有能さと同じだけの純粋さがやがては彼を狂気に走らせ、黒の姫君、アルトルージュ・ブリュンスタッドと契約を結び、さらなる力を求めさせたのは皮肉としか言いようがない。
 死徒タタリとは、そんなズェピアが霧散した己の肉体及び霊子を情報体として再構成、一夜限りの悪夢と相成るべく組んだ術式そのものであり、ワラキアの夜と呼ばれる現象は人々の恐怖を殺戮者として具現、血を求めるおぞましい噂そのものが屍山血河を築くという忌まわしき吸血鬼の業だった。
 悪性情報体タタリは数十年周期で発生、世界各地で猛威を振るい、後にエルトナムの名を受け継ぐシオンと宿命的な因縁を結ぶこととなる。その宿縁によって志貴とシオンが巡り会ったのは、彼女が怨敵タタリを追い三咲町を訪れたある夏の日の事だった。
 二人は共にまるで影絵のような夜の街を奔走し、ついにタタリの中心へと辿り着く。直死の魔眼をもってしても結局は一夜限りの悪夢の具現体を殺せるだけ、タタリそのものを殺す事は出来ないという極めつけの強敵だったが、最終的には真祖の姫たるアルクェイドの協力によって二人はタタリの夜を永遠に終わらせることに成功した……はずだった。
「なのに、そのタタリの能力とアルトルージュのそれが酷似している……と?」
「ええ、そうです」
 改めてタタリ、ワラキアの夜についての説明を終えたシオンは、いったん足を止めると古傷が開いたかのような貌を見せ、やや乱暴に前髪を掻き上げた。
「滅びたはずのネロ・カオスが再び顕れたことや、凛、それに零の話を聞く限り、ワラキアの夜……もしくはそれに酷似した現象がこの冬木に……いえ、アルトルージュの周辺で発生していると見て間違いありません」
「じゃあ、そのタタリって死徒がまだ生きてるってことなのか? ああ、いや死んでるんだっけ?」
「いえ、術式を解かれた上で直死に断たれた以上、滅びたはず……です。生き延びられる、道理が無い」
 タタリが滅んでいなかった理由をここ数日ずっと考えてきたシオンだったが、ついぞどの思考もその答えに行き着くことは出来なかった。もし、理由は不明ながらもまだ滅んでいなかったのだと仮定しても、ではどうしてアルトルージュがその力を行使出来るのかがわからない。彼女がタタリと波長が合っていたため取り憑かれた、と結論するには、正直存在の次元が異なりすぎている。どちらかと言えば……
「取り込まれた……と見るべきなのか」
「しかし、厄介な相手であることに変わりはありませんね。数多の英霊と、複数の死徒二七祖」
 剣の鞘を撫で、セイバーはそう言うと神妙に眉を顰めた。 敵の戦力は潤沢。対してこちらはまともに正面からやり合える戦力はセイバーとリズのみ。大分レベルは下がるがかろうじて戦闘可能なのが志貴。シオン、士郎、凛では正面から戦闘した場合はまず勝ち目が無い。
「でも英霊は、セイバーやライダーみたいに無理矢理契約させられて、操られているんだろ? だったらアルトルージュさえ倒してしまえば……」
 士郎の提案に、セイバーは静かに首を横に振った。
「頭を潰す、というのは賛成ですが……全ての英霊が彼女の黒い血で操られているわけではありません。自らの意思で地球意思に従っている者も少なからずいます。アルトルージュとは確かに契約を結んでいますが、彼女を倒しても地球意思、それにヒトの意識総体にも滅びを望む部分が存在している以上、その後押し全てを断ちきらない限り彼らは退いてはくれないでしょう」
 その言葉が士郎には信じられないようだった。
「ヒトが……自分から滅びたがってるだなんて、そんなことは……」
「地球に対する罪悪感は誰もが多かれ少なかれ抱いているものなのです。人間は地球環境を破壊しながら、それでも欲することを律しきれなかった。誰もがどこかで悔やみ、後悔しても……どうする事も出来ない。その感情は霊長の無意識領域たる阿頼耶識の中でもはっきり息づいている。故に、ヒトを……ヒトが許せないという英霊もまた、いるのです」
 セイバーとてその事に心当たりがなかったわけではない。
 士郎のサーヴァントとして現世で生きることを選んでこの方、現在の世界の情勢、環境問題などを知るにつれ暗澹たる気持ちに襲われていたのは事実だ。ライダーも同様だろう。
 何を踏み台にしても生きたいという生存本能と背反しながら、人間には清廉と潔白な理性もやはり厳然として在る。種そのものに対する絶望と自殺願望は、理知あるものへ進化した者である以上切り離せないのだ。
 英霊はヒトを守りし者。ただ、守るべきはヒトの生命、歴史、文化、だけではない。ヒトのヒトたる誇りを守る存在でもあるのだ。
「ヒトがその最後の誇りまで汚濁にまみれさせぬよう……介錯の刃を振るおうと、そのように考えている英霊は、手強い。間違いなく最強の敵となるでしょう」
 悲壮なセイバーの言葉に、皆沈黙しただ先へと進む以外に無かった。薙ぎ倒された木々や剔れた大地、破壊された建物の数々はゴジラの行き先を明確に告げている。
 大聖杯。
 対して自分達の目的はイリヤの奪取、そして可能ならばアルトルージュの撃破だ。敵がゴジラに気をとられている隙に……というのが理想だが、なにぶん地形が地形なのでおちおち機会を伺ってもいられない。柳洞寺地下大空洞はそう簡単に崩落するほど脆くはないが、すぐ近くでゴジラが暴れても大丈夫かと問われれば流石に無理がある。イリヤがそこに囚われているなら崩れ去る前に連れ出す必要があった。
 どれだけ困難なことか、誰もが理解していた。しかし、困難だからと投げ出せるわけもない。
「もう少しだ」
 全員の顔を見回し、士郎が呟いた。
 深山町からやや外れ、円蔵山を中心にした山間部。目指す場所はそこだ。
 志貴、シオン。凛と桜、ライダー。無表情に長大なハルバードを構えているリズ、それに、士郎とセイバー。
 何とかゴジラを避けつつ大空洞を潜る。妨害する相手にはまずセイバーとリズで対処……決めてあるのは、それだけだ。
 それだけのことが、今の精一杯だった。
 ここまで来ればもうすぐまたゴジラの巨躯にお目にかかれるだろう。気圧されないよう身構えつつ、先へ進もうとした瞬間、
「――ッ!?」
 声にならない声をあげ、全身を震わせるどころか波打たせたのは、まずセイバーと桜だった。身体の無いライダーも端整な顔を歪ませ歯を鳴らしている。
 異常な事態であるのは誰の目にも明らかで、何事かを確認しようとするよりも先に他の者にもすぐさまそれは伝播した。
 心臓どころか内臓の全てを鷲掴みにされ、握り潰されでもしたかのような絶対の悪寒。
 本能が告げる危機感はあまりにも無慈悲に重たかった。
「なんだよ……これ……ッ!?」
 志貴の呟きは、全員の代弁だった。
 邪悪。
 生命を蝕み、破壊しようとするおぞましい邪念。
 万物の死を見据える魔眼が、まるで死そのものの顕在化のような気配を察知して哭いていた。
「居ます……いえ、これは……今……――顕れた」
 騎士王セイバーでさえも踏み出すことを躊躇する“何か”が、たった今、顕れた。この世界に。
 降臨したのだ。すぐ、ほんの数キロ先に。
 アルトルージュが防衛用に予め用意していた神獣……とは、おそらく異なる。サドラやエレキング、アントラーとは桁違いの存在感が皆の肌を粟立たせた。
 頭上に黒い雲が広がり、辺りを暗闇が包み込んでいく。真下にいる志貴達は、それがまるで盃――大聖杯をひっくり返したかのような、黒い山の形状を成していることには気付けない。
 咆吼が、爆発する。途端大地が揺れ、転びそうになったシオンを支えた志貴が、呆然と呟いた。
「……戦っている。ゴジラと……」
 暗殺者としての不本意な本能が、肉体が正しく動けるかを冷静に把握、判断している間、志貴はまったく珍しく、久しぶりに、純粋な死の恐怖というものを痛感していた。
 死に近い位置に立っているとは言え、戦いの場に身を置いていれば恐怖心は無論ある。ただしそれには愛する者達に対する申し訳なさだとか、喪失感だとか、後悔だとか、遠野志貴という人間、一個人の様々な感情が綯い交ぜになっているものなのだ。
 なのに今回のこれは、完全に己の生命の損失それだけに向けられた恐怖だった。それは久しい。自分の命をこんなにも惜しいと感じたのはいつ以来だったろう。
 この場においてそんな志貴の戸惑いを一番理解出来ていたのは、普段自身のことを省みていないことを散々周囲から糾弾されてきた士郎だった。
 自分の命を惜しまない、計算に入れていない――以前、凛に突きつけられた言葉だったが、そんな士郎をして死の恐怖に震えざるをえないのだ。
「……どう、しますか? シロウ」
「……ぁ、……え」
 不意に、セイバーにそう問われ、士郎はらしくもなく答えを躊躇していた。いつもの彼なら一にも二もなく進むことを選択していたはずだ。なのに、すぐには答えられない。
 そんな士郎をセイバーは責める気には到底なれなかった。
 当たり前だ。むしろ自分の命を士郎が気にかけてくれたことに安堵を覚えさえした。
 そうでなければ逆に、この先へは進ませられない。
 死の障気が蔓延していく中、各々が気力を振り絞ろうとしていた。死にたくないという本能が足を止めようとするのを、生きるための意思で動かそうと、足掻く。
 一歩、一歩。
 大切なものを守り、救うために。だがそれは自殺や殉死であってはならないのだ。
 脱落者は、一人もいなかった。
 決意新たに全員が再び歩を進めたのを、まるで待っていたかのように。
「――だが、進ませるわけにはいかぬ」
 重く低い声が響いた。
 そこには、いつの間にか一人の英雄が立ち塞がっていた。





◆    ◆    ◆






 凄まじい一撃だった。
 ただ振るっただけ。無造作に、理念など欠片も無く、それどころか獣性でさえ無関係の。赤子が振るったも同然の、右腕。右腕、らしき部位。
 なのに山を砕いた。
 巨木を薙ぎ倒し、土を剔り、轟音をたてて、ソレの手前にあった山は粉砕微塵とされていた。
 忌み子が啼く。
 全ての生命体を破壊せんばかりの狂気を振り撒きながら、ソイツは前進し、さらに腕を振り回した。
 一挙が空間を軋ませ、一投が絶望を巻き起こす。
 志貴や士郎に死を恐怖させた存在の壊撃が、ゴジラを粉々に打ち砕くべく二度、三度と振るわれた。
 まともに喰らっていたなら確かにゴジラとてただでは済まなかっただろう。しかし怪獣王は目の前の相手がかつてない脅威であると瞬時に悟ったのか、または単純に本能による回避だったのか。必殺の連撃を避け、背ビレを青白く発光させていた。
 威嚇するような仕草は、しかしそのような慈意を一片たりと含んではいなかった。この暴君は相手が生まれたての赤子であろうとも気にも止めない。呵責など最初から有りはしないのだ。
 生命持つ者であれば誰もが震えるであろう死の恐怖でさえ、いかほどのものだろう。
 大気が震え、プラズマが弾ける。
 エレキングから奪い取った電気エネルギーの貯蓄はまだある。体内で練り直されたそれらは、必殺の放射熱線となって赤黒い怪獣へと放たれていた。
 こちらも並大抵の怪獣ならば一撃で爆破、四散炎上もするゴジラの熱線だ。しかし、赤黒い怪獣は避けない。避けようという様子が無い。
 ゴジラが仮に人間の言葉でこの対象を形容した場合、無邪気、という表現が一番的を射ていただろう。
 拍子抜けするほど簡単に、熱線は赤黒い怪獣へと直撃していた。雷のような悲鳴が轟き、見た目にも硬質で頑健な皮膚が砕け、宙に飛び散っていく。
 ゴジラの破壊力を甘く見ていたのか、それとも他に何某かの意図があったのか。ともあれ、放射熱線は赤黒い怪獣の腹部を派手に爆ぜさせ、その半分近く穿ち、一目で致命傷とわかる深刻なダメージを与えていた。
 それでもゴジラは自らの勝利に酔おうとはせず、赤黒い怪獣に躙り寄った。ゴジラの攻撃は常に徹底だ。相手が僅かにでも弱った様子を見せようものなら全力でそこを叩く。喰らい尽くし、捻り潰す。しかし、それを考慮した上でもこの時のゴジラの猛攻には常ならざる執拗さが加味されていた。
 致命傷を与えてなお、ゴジラは本能で悟っていたのだ。決して油断出来る相手ではない事に。致命傷が、むしろ始まりに過ぎないのであろう事に。
 が、そこでゴジラの追撃を受け止める者がいた。
 迫る怪獣王が、一定以上には近付けない。
 募る憤激を吐き出すように吼えてから、そこでようやくゴジラは円柱状のバリアを張って自分と赤黒い怪獣との間に立ち塞がるキングザウルスV世の存在を思い出したようだった。
 キングザウルスはバリアを張ったままゴジラへ吼えかかると、鋭い二本の角を真っ直ぐ正面へと突きだし、勢いよく駆け出した。『障壁暴竜』の名に恥じないだけの特攻は、猛然と土埃をあげながらゴジラ目掛けて一直線に突き進んだ。
 ゴジラも放射熱線での迎撃を試みたが、バリアを破るには至らない。熱線と障壁の激突で空気が白熱し、ほんの一瞬だがそれはゴジラの視界を焼いた。一方で頭を低くしていたキングザウルスはまるで意に介さず、そのままゴジラに全霊でぶち当たる。
 激震。
 七万トン程もあるキングザウルスの障壁ごとの体当たりには、流石のゴジラも揺るがずにはいられなかった。障壁が皮膚を焼き、肉の焦げる臭気が辺りに充満する。
 しかし障壁から突き出た肝心要の双角は、ゴジラの腹をブチ抜いてはいなかった。視界を焼かれながらも偶然か、はたまた本能によるものだったのか、ゴジラの両手はしっかとキングザウルスの角を掴み、致命の一撃は防いでいたのだ。
 それでもなおゴジラに角を突き立てようとするキングザウルスの脚が大地を踏み締めた。この巨大な四足獣の突進力はゴジラのパワーを持ってしてもそうそう押し返せるものではなく、ジリジリと角が腹部へと迫っていく。
 この時ゴジラが、そしてキングザウルスが何を考えたのかは獣ならざる者には理解出来なかった。二頭の死闘をもっとも近くで見ていた零も、呀やネロも、獣の属性を持つ戦士であってもあくまで思考は人間を基盤としたものだ。野生の、殊に怪獣達の考えなど読めようはずもない。
 キングザウルスV世は己の勝利を、少なくともゴジラに一太刀与えたのだと確信していたのだろうか。もしそうなら、それは間違いなくこの怪獣の哀れだった。
 ゴジラが、自らの邪魔をする者を許すはずが無い。故にその行動は避けるのでも押し退けるのでもなく、全てがただただ攻撃にのみ向けられていた。
 怪獣王の豪腕が膨れ上がり、一際大きな咆吼が轟く。
 直後、何かがへし折れる盛大な音がした。
 狂おしい悲鳴とともに血飛沫が空を汚す。
 果たして二頭の押し相撲は、やはりキングザウルスの勝利に終わることはなく……結局は、アントラーの二の舞を演じたに過ぎなかった。



『二対一、なんて問題にすらなってないわね』
「……ああ」
 ゴジラの脅威を知っていたつもりでも、いざ現実に目の当たりにすれば百戦錬磨の魔戒騎士ともあろう者が流れる汗の冷たさにゾッとせざるを得ない。赤黒い怪獣から放たれる死の障気も、ゴジラがもたらす現実の光景には及ばなかった。
 自慢の双角をへし折られ、頭部から夥しい血を流し断末魔の悲鳴をあげているキングザウルスの命趨は、誰の目にも明らかだった。燃え尽きる寸前の生命が奏でる痛哭は、聞いているだけで魂を破壊されてしまいそうだ。
 絶狼の兜の下で笑みを引き攣らせながら、それでも零は銀牙銀狼剣の切っ先は仇敵から外してはいなかった。もっとも、その相手は今や仇敵の形を成しているとは言い難い。グズグズに溶けた黒い粘土細工のような物体が、真っ赤な口を三日月型に歪めて耳障りな哄笑をあげ続けている。
「フフフ、フハハ、フフフハハハハハハハハハハ! なんたる強靱、なんたる豪壮、なんたる無敵!! まさに怪獣王、王を冠するだけのことはある。人類を寄せ付けず、神獣を寄せ付けず、姫君を寄せ付けず……ならば誰がこの獣に比べられよう! 誰がこの獣と戦うことができよう!」
 粘土が泥のようになり、嗤いながら零の周囲を駆け回る。
「だからアレでなければならぬ! ゴジラを倒せる唯一つのモノ! それは魔術に非ず獣に非ず生命に非ず錬金に非ず! 唯一無二にして人々の記憶に沈殿せし過去の遺産負の遺産超科学の遺産破壊学の遺産! それこそがあの暴乱の怪獣王を滅ぼすことが可能なのだ!」
「ゴジラを倒せるモノ……? そんなモノが……」
『ゼロ、注意を逸らしては駄目よ!』
「クッ、わかってる!」
 気になる発言だったが、惑わされてばかりもいられない。
 ざわつく影の動きは、目で追いきれるものではなかった。変幻自在のようなそれに刃を突き立てても手応えはなく、耳障りな多重哄笑が木々に反響するのみだ。
 銀の閃光を嘲笑うかのように避けながら、黒いマントを翻して呀でもネロでも綺礼でも無い金髪の男が恭しく頭を下げた。紅い眼と口とが毒々しい。
『その姿が……本体、なのかしら?』
 シルヴァの問いに男――タタリは目を輝かせた。
「フフ。本体……本体か。或いはそのようなものであるならばいっそ君達にはまだ良かったろうに……残念ながら私はとうに、とうにとうにとうに外れている。本来この場にこの姿を晒していることがミスキャストではあるのだが……所詮は仮初めの存在。この意識もただそうあれと望まれぬままに望まれたもの。故に今は君と決着をつけるつもりもないのだよ」
「何勝手なこと言ってんだ……」
「む?」
 タタリの動きを捉えるのは困難と判断したのか、追うのをやめた零は唐突に、自分の周囲の空間を銀狼剣で滅多斬りにし始めた。
 青白い烈火が空中にいくつもの斬撃の軌跡を描き……それが、浮かんだままいつまでも消えない事をタタリが訝しんだ時にはもう遅い。
「おぉおおッ、らぁあ!!」
「なんとッ!?」
 零の周囲に浮かんでいた十数個の軌跡はそのまま烈火刃となり、全方位へと飛散した。烈火炎装によって魔導火を纏わせた魔戒騎士の斬撃は、一太刀でも魔的存在には致命傷となり得る。影走りとなり、無数の烈火刃を巧みに回避したタタリの前に、
「ようやく、捉まえたぜ」
『今よ、ゼロ!!』
 銀狼が獰猛な笑みを浮かべていた。その拳がタタリの胸を強打し、籠手についていた鋭利なかぎ爪が太股を抉る。
「流石は! 流石は魔戒騎士! 覇邪斬妖の狼の技、仮初めに染まりし我が身にこうも容易く傷をつけるか」
「まだ」
『終わりじゃないわよ!』
 そして再び、かぎ爪の一撃が腕をタタリの裂いた。そう、銀狼剣ではなく、かぎ爪だ。かぎ爪と、拳、そして蹴りに体勢を崩されたタタリの目が銀狼剣を探してもどこにも無い。
 変容は刹那の出来事だった。
 タタリの姿が再び呀のものへと転じ、振り回された戦斧が背後から飛来する銀牙銀狼剣をかろうじて弾き飛ばす。
「そうそう何度も、ブーメラン如きに……!」
「こっちももう時間が無いんだよ!」
 絶狼の貫手が、暗黒魔戒騎士の漆黒の鎧を貫く。
 腹に風穴を空けられ、鮮血を噴水のように撒き散らしながら蹈鞴を踏んだ呀の首へ、零はキャッチした銀狼剣をそのままの勢いで振り下ろした。
 目の前のこいつが、養父と恋人を殺したバラゴ本人でないのだと頭では理解しつつも復讐の念を纏った殺意を消しきれるほど零は老練ではない。
 憎き仇を自分で討ち倒せなかった後悔が銀狼剣に宿り、呀の首を、落とす。
 斬り落とした感触は、確実に零の手にあった。
 今まで何体ものホラーの首をそうやって落としてきたのだ。
 間違うはずもなかった……のに。
「人の身でここまでの高次に到達出来るはまさに見事と言う他はない。魔を討ち果たさんとする人の業、執念……堪能させてもらった」
 落ちた呀の首を抱え、ネロ・カオスが感嘆を漏らした。
『……時間切れね』
 銀の鎧が解除され、零の素顔が怨執に歪む。
「そう憤るな、人間。魔戒の剣士よ、貴様の腕はたかだか十余年の修練で我ら死徒二七祖の域にまで到達している。私が或いは私のままであったならば、滅ぼされていたやもしれぬ程にな」
 讃辞を述べながら、ネロの姿は再びタタリへと戻っていた。
「そう、とても見事だ。だからこそ誰も観客のいない、このような場所でこれ以上私だけが絶技を堪能するのは勿体ないというもの」
 タタリのマントが丸まり、そのまま全身を包み込んだかと思うと黒い球体となってフワリと宙を舞う。急ぎ追おうとした零だったが、たった今鎧を解いたばかりで即座の召喚は無理だ。そうこうしている間に黒い球体はあっという間に背後にあった巨木の天辺付近まで浮遊してしまっていた。
「もう少し待ちたまえ。最高の舞台が整うのを。君の恐怖が、彼女らの恐怖が、全ての人々の恐怖が、いまだかつてない最高のタタリとなる。至高の歪、捻れに捻れ狂いまくったアンバランスな恐怖劇場を今少しだけ待とうではないか」
 影が巨木へ溶け消えていく。
『ゼロ、まだ無理よ』
「……わかってるさ」
 歯噛みしつつ双剣を鞘に収めた零を見下ろし、殆ど消えかけていたタタリが満足気にまたあの紅い三日月のような笑みを浮かべた。
「――もっとも、我が愛しい娘をはじめ、他のキャスト達が全員無事に舞台まで辿り着けるかどうかはわからぬがね」
 不吉を残し、今度こそ影が虚空に溶けて、消えた。
『どうするの?』
「……いったん、みんなと合流しよう。アイツのあの口振りじゃみんなが危ない……って、この状況じゃ当たり前か」
 盛大に溜息を吐きながら、零はもう一度、ゴジラを見上げた。倒れ伏したキングザウルスV世と、泣き喚く赤黒い怪獣とを睥睨し、ゴジラが一際大きな咆吼をあげる。
 戦闘は終結したかのように見えた。なのに引っかかる。ゴジラの圧倒的な勝利のはずなのに、むしろ致命傷を負っているはずの赤黒い怪獣の方からヒシヒシと、嫌な感じがするのだ。零の経験上、それはおそらく間違ってはいない……、とそう思うのだが……
「アレで終わりだと思うか?」
『わからないわね。まさかアルトルージュもそこまで呆気ないとは思えないけど』
 シルヴァに同意しつつ、零は戦闘の最中、タタリが口にしていた『ゴジラを倒せる唯一のモノ』という言葉を脳内で反芻していた。
(初代ゴジラは当時の自衛隊がかろうじて撃退した……って事になってるけど、実はある一人の天才科学者が完成させた超兵器で倒された……なんて、ガキの頃に聞いた覚えのある噂……まさか、な)
『ゼロ?』
「ああ、何でもないよ。早く、行こうぜ……」
 来た道を引き返そうと踵を返し、……零は、思わず立ち止まっていた。
 視界に広がる光景に、頬が引き攣る。
『……これは……』
「お前も気付いた? ……まずいね。目眩がした」
 障気の濃度が急速に上昇していくのが、もはや物理現象として認識出来た。過去に零が戦ったいかなる強大なホラーをも凌駕する邪気がオーラとなって赤黒い怪獣の周囲に立ち籠めている。
「ついさっきまでは、あっさりゴジラにやられそうだったのにさ……何だと思う? アレ」
『わからないわ。けど、メシアやレギュレイスよりもさらに、闇が……深いわ。まるで魔界そのものを地上に引っ張り上げたみたいな……』
 放射熱線で腹を剔られ、千切れそうな胴体を引きずりながら、赤黒い怪獣は大地を這いずった。その悲哀さえ感じる姿とは裏腹、周囲の木々は立ち枯れ、地面も黒い泥のように変わっていく。
 あまりの異様さを奇異に見下ろしていたゴジラだったが、結局さっさとトドメを刺すことにしたらしい。再びの熱線が赤黒い怪獣を襲い、外殻を吹き飛ばしていく。
 どうみても瀕死で逃げようとしている。今さら逆襲の芽は無さそうなのに、零もシルヴァもまばたきすら忘れてその光景に見入っていた。
 立場的にはアルトルージュ側がゴジラに善戦してくれればくれるだけ有り難いのだ。むしろ相打ちにでもなってくれれば御の字でもある。
 が、これは違う。何かが、違う。
「あいつ……何をする気なんだ?」
 熱線で全身を崩され、啼きながら地を這っていた赤黒い怪獣は、横たわるキングザウルスのもとへと辿り着いていた。
 特徴的な二本のツノを根本からへし折られ、頭部から止め処なく血を流し続けているキングザウルスは間もなく命が尽きようとしているのだろう。今にも止みそうな痙攣がたとえ敵であっても痛ましい。
 その、キングザウルスに、赤黒い怪獣は覆い被さった。
「まさか……喰う気なのか? 味方を……」
『共食いをして回復をはかるつもり? 馬鹿げてるわ』
 シルヴァの言う通りだ。喰ったところで肉体が回復するなど、通常の生物の常識が通用しない怪獣とは言えありえない。
 だが果たして本当に喰うつもりなのか。零が知る限りにおいて、これまで人類が相対してきた怪獣は最低限生物としての特性を備えていた。だがもし仮に目の前の存在が、ホラーや魔獣がそうするような、或いは別の何かであるならば――
『……いえ、違うわゼロ! よく見て、あれは食べてるわけじゃないわ!』
 咀嚼する音は聞こえてこない。
 それどころか、赤黒い怪獣はまるで泡のように溶けて消えつつあった。むしろこちらの方が死に絶えそうな雰囲気だ。
 なのに依然として障気はおさまらない。
 ゴジラの吐き出した熱線が空気を白熱させ、二体を焼いた。焼かれながら、キングザウルスの全身が赤黒い泥で覆われ形を失っていく。その様は先程まで相対していた影を彷彿とさせ――否。そのものだ。
「やっぱりか! クソッ、同化して吸収してるんだ……怪獣と言うよりホラーや魔獣に近いんじゃないのか」
 影に覆われた四足獣の肉体が、変容し始めていた。
 キングザウルスV世だったはずのものの、末期の悲鳴が物悲しく暗雲の空に木霊する。
 ゴジラの熱線を受けながら流動する影が元の赤黒い怪獣の姿へと戻っていく。二頭分の質量が混ざり合ったためなのか、大きさは一回り巨大になっていた。
『既存の生物の知識で考えているうちはまともにやり合うなんて到底無理という事ね』
「……なぁ、シルヴァ」
『なぁに?』
「あいつは、アルトルージュ・ブリュンスタッドそのものなんだと思うか?」
 あまりに馬鹿げた事なので考えないようにしていたが、赤黒い怪獣が出現した時の状況と、今の非生物的な融合を鑑みれば、あれはアルトルージュが果たしてどのような魔術妖術の類を行使したものか、変身したもののように思える。
 そしてあの瞬間、闇が渦巻く混沌とした空間の中で、黒い少女に抱えられた白い少女を零とシルヴァは見ていた。その姿は間違いなく連れ去られたイリヤスフィールだ。
「出来れば相打ち……そう願いたかったけど」
『……ゼロ』
 零が何を考えているのかくらいお見通しだとばかりに、シルヴァは急かすよう声をかけた。
「急ごう。もしアレがアルトルージュなら、イリヤちゃんはあの中だ。……“守りし者”としてはさ、何とかするっきゃないもんな」





◆    ◆    ◆






 ダンカンの最後の抵抗は苛烈を極めた。
 アルトルージュ陣営が擁するガイアの神獣『溶泡怪獣』として、果たして矜持を、理知を備えていたものか。
 一刻も早く冬木へ侵入を果たそうとするガンヘッド大隊を中心としたヴァンデルシュタームと特自の混成部隊、さらにはメレムの使い魔たる魔獣の攻撃に耐え続け、泡によって少なからぬ損害をもたらしたダンカンの奮戦は本日の戦闘におけるアルトルージュ側で最大の功労者ならぬ獣であったろう。
 そんなダンカンの抵抗も、悲しいかな所詮は単体。天地を埋め尽くす砲撃の前に遂に力尽きようとしていた。
「狙え狙え! コアが露出した瞬間を狙い撃つのだ!!」
 ヴァンデルシュタームが誇る地底戦車、ベルシダーとマグマライザーによって下からの砲火を喰らわされ、全体を地表に露出させたダンカンへと火線が集中する。
 ガンヘッドとウインダム、各種メーサー車両、そして空中からはメーサーヘリの集中攻撃だ。いくら肉体を泡状の保護膜で覆い、さらには泡そのものへと変質可能なダンカンと言えどももはや退路が無い。
「見えた、ウインダム!」
 吹き飛ばされた泡の隙間、露出した真紅のコアへとウインダムの火炎弾が直撃し、ダンカンがたまらず悲鳴をあげた。
 そこに種々多様な弾丸が殺到していく。
「今だ、トドメを!」
「刺せぇええっ!!」
 最後の一斉砲火が、長々と冬木との境界に陣取ってきたダンカンのコアをついに粉々に破壊する。
 そこからは、呆気ないものだった。
 巨大怪獣の最期と言えば地響きを立てて倒れ伏し、最期までその威容を人々に見せつけるものだが、コアを失ったダンカンは姿を維持することも出来ないらしく、泡となって地面に広がり、やがて完全に消えてしまった。
 拍子抜けする空虚感が全隊に蔓延する中、メガドロンの重厚な声が低く響く。
「随分と時間がかかってしまったが、中はまだ持ち堪えているのだろうな?」
「持ち堪えてて貰わないと困るけどね。アカネちゃん」
『……ちゃんはよしなさい』
 既にガルーダのコクピットへ乗り込み発進準備を整えていた茜の期待通りの返事にほくそ笑みつつ、メレムはいったんウインダム達を手足に戻した。
「どうせまたすぐ召喚することになるだろうけど、少しは休ませておかなきゃねぇ。……ま、いいや。アカネちゃんとユウキ少佐は発進後すぐにあのお空の黒い山が発生した付近に向かう……って事で大丈夫だよね?」
『おう。そこんとこは打ち合わせた通りだ。……何やら嫌な予感がするし、ゴジラもあの辺にいるんじゃねぇかって、そんな気がするからな』
「そこは歴戦の少佐の勘を信じるよ。……防衛軍トップガンの腕前で、ボクの大切なアカネちゃんを守ってあげてね」
『……メレム』
 ジットリと怒気を含んだ視線と低い声が愉快でたまらない。やはり茜のような相手こそ、道化がもっともその手腕を振るえる最高の相手なのだ。
 とは言えこれ以上からかって本気で嫌われるのも御免被るので、メレムはモニターの向こうで冷ややかな目をしている茜にウインクし、椅子に深く座り直した。
「じゃ、頼んだよ少佐、アカネちゃん」
 道化の言葉に本気が込められていた。
 通信がいったん切られる。間もなくガルーダは飛び立ち、メレム達も陸路から冬木へ突入、まず市街地を征圧、解放する手筈になっていた。内部にどれだけ敵勢戦力が残っているかはわからないが、なるべくならアルトルージュが滅ぶ場面には立ち合いたいな、とメレムは素直な欲求を抱いていた。
 悪寒が示すに、まず確実に彼女はまだ討ち果たされてはいない。あの災禍の渦の中心にいるはずだ。
「ねぇ、メガドロン」
「……は?」
 部下達に指示を出し終えテントから出ようとしていたメガドロンを呼び止め、メレムは特に疲労している右腕の痺れに唇を尖らせながら椅子ごとズリズリと移動した。
「さっきも言ったけど、ボクは今回ばかりは締めは最前線に立ちたいんだ。ガンヘッドを一両回して貰えないかい?」
「どうせ自分も最前線へ赴きます。陸戦旗艦としてツィタデルを待たせてありますから、同乗願います」
「ふへっ!? ツィタデルまで持ってきてたの?」
 うひゃあ、と思わず声をあげてから、実際の部隊構成にまるで目を通していなかったのを思い出してメレムはこういうサプライズなら事前確認せずにいたのはやはり正解だったなとウインクした。
『超重戦車』の異名を持つ“KV22ツィタデル”は、重機甲兵軍団の陸戦旗艦であり、その姿は戦車ではなくまさに陸上戦艦と呼ぶに相応しい威容を誇る、本来なら凱聖ドランガー専用の座乗艦だった。
 開発コンセプトはただひたすら圧倒的な火力と防御力を求め詰め込んだ多砲塔戦車で、攻撃力はメレムが驚いただけのことはあるほどの強烈無比。言うなれば、第二魔城アイアンロックスの陸上版のようなものだ。
「しめしめ……ツィタデルの火力があれば、あのお姫様が物理攻撃が効く範囲で活動してくれてるなら存分に嬲り殺せそうだ。こいつは楽しくなってきたぞ」
 椅子から飛び降り、まだ重そうな左足を引きずってメレムはテントを出た。
「ほら、早く行こうよメガドロン! 他の誰かに真っ黒お姫様の首を取られた日にはボクは道化を卒業して出家でもしなくちゃならなくなっちゃうよ」
「出家と言われましても……一応、肩書きは教会の司祭殿ではありませんか」
「じゃあ改宗だ。仏門に帰依するよ。頭剃ってチクチクチクチクポーンってやつだ。君も一緒に読経するかい?」
「まぁそうですな。退役したら坊主になって、殺した相手や殺された部下を供養するのも良いかも知れません」
「うわ、真面目だねぇ」
 クソ真面目な答えとその絵ヅラのシュールさに大層満足したらしく、メレムは高笑いしながらツィタデルに向かおうとして、待機場所を知らないことを思い出した。
「で、どっちさ?」
「まぁお待ちください。もう準備は整ったそうだ。どうせすぐに見えますよ。何しろ、デカさは小型怪獣以上だ」
 休日に父親と出かけるのを待ちかねる子供のように、目を輝かせながらメレムはツィタデルを待った。





◆    ◆    ◆






 まるで壁だ。
 死の恐怖に抗い、イリヤの救出と人類の未来を懸けた一大決戦に臨もうとする志貴達を遮るように立つ巨漢は、比喩抜きで頑健な城壁のように感じられた。
 そしてその壁に、士郎は確かに見覚えがあった。
 聖杯戦争の折に最狂最悪の敵として立ち塞がったサーヴァント。数多の英霊の中でも群を抜いた存在感と戦闘能力。出来ることなら……あの英雄王以上にもう二度と対面したくはなかった相手だ。おそらくはセイバーや凛も同様だろう。
「そう、だよな。英霊を召喚するなら、コイツが……召喚されてないわけがない」
 佇立する体躯は自分の倍近くあるのではないかと錯覚するくらいに大きい。右手には、それは本来の彼が持つ武器ではなかったはずなのに、聖杯戦争の時と同様の斧剣を握り締めている。腰に携えている剣も、士郎が持てば立派に長剣だろうに目の前の英霊と比しては小剣どころか果物ナイフのようにさえ見えた。腕などは士郎の胴よりも太いのではないだろうか。ともあれ、二メートル半の巨体にやはり二メートル以上はあろう巨大な石器は視覚的な迫力も充分過ぎた。
 大きく、太く、力強い。
「バーサーカー……!」
 かつてイリヤのパートナーとして戦った狂戦士。真名は、ギリシャの大英雄ヘラクレス。
 しかし以前のものとは随分と雰囲気が異なる――と、そこまで考えて士郎は気付いた。
 狂化していないのだ。
 召喚と同時に理性を奪われるバーサーカーというサーヴァント特性が今の彼には働いていない。それ故の理知的な瞳の光に士郎が懐かしい何かを感じたのも束の間、隣に立つセイバーが剣を構えた微かな金属音で我に返った。
「シロウ……油断は……――いえ、言うまでもなかった。したくても、出来ませんね。私が知る限りにおいて、彼はアルトルージュに召喚された英霊の中でも間違いなく最強の相手です。狂化していないヘラクレスは……あのギルガメッシュさえも、凌駕するかも知れない」
 確かに、目の前に立つ英雄から感じる覇気は黄金の英雄王のものよりも身を竦ませる重圧があった。
 仮にも剣を握る者として士郎にもわかる事がある。ヘラクレスのそれは王の持つ威圧感ではなく、まさしく戦士、卓越した戦闘者が纏う裂帛の闘気だ。ギルガメッシュは確かに最強の魔弾の射手ではあったかも知れないが、戦士単体としての技量はヘラクレスに敵うべくもあるまい。
 しかし、それはセイバーも同様だった。戦士単体としての騎士王の実力はギルガメッシュをやはり凌駕している。その上で、果たしてヘラクレスに勝てるか? などと聞くのは愚かだろう。
 士郎も凛も桜も、セイバーが最強の剣士であると信じている。付き合いの短い志貴やシオンとて、セイバーがどれほどの剣士かは理解しているのだ。
 それでも、聞けない。
「……ッ」
 誰もが身構えたままで動けずにいた中、当のヘラクレスは武器を構えようともせずに悠然と歩を進めてきた。間合いを詰めるだとかそんな意思は感じられない。単純に歩いただけのようにしか見えなかった。
 結局間合いに入られるまで誰一人反応出来なかった。ただ一人の例外を除いて。
「……バーサーカー」
「リズ!?」
 ハルバードを手にしたリズが、こちらもまったく無防備にヘラクレスの前に立っていた。まさかまだ彼を味方だと認識しているのか、と血相を変えた士郎や凛の心配をよそに、
「久しいな、リーゼリット。こうして言葉を交わすのは、初めてとなるか」
 ヘラクレスもまた、平然と答えていた。
「うん。そうだね」
 もっとも仮にヘラクレスが狂戦士だった頃に口がきけたとして、寡言な二人の間にそう多様な会話があったかどうかは疑わしい。それでもリズは素直に再会を喜んでいた。イリヤを守るという一点において、彼ほど信頼のおける相手はかつていなかったから。
「今も、イリヤスフィールを守り続けているのか?」
「うん。イリヤ、友達だから」
「そうか……」
 微塵も迷いの無い返答に、ヘラクレスもリズと同様彼女の変わらぬ息災ぶりを喜んでいるよう、士郎達にも見えた。だが、重圧は消えない。ヘラクレスの全身から放たれる闘気は依然強大なまま、斧剣がスッと音もなく持ち上げられていく。
「……バーサーカー?」
 今度の返答は、沈黙だった。
 不思議そうに首を傾げるリズに、無言のまま、ヘラクレスは斧剣を振り下ろしていた。
「リズ!!」
 彼女を守ろうと、セイバーと士郎がまず動いた。
 志貴も眼鏡に片手をかけたまま短刀を抜き放ち、シオンはそんな彼の動きに留意しつつバレルレプリカを構える。
 凛は桜を庇うように立ち、桜に抱えられたライダーはせめて魔眼で圧力なりをかけるべくヘラクレスを睨み据えた。
 それでも、結局間に合ったのは、
「……バーサーカー」
 悲しげに呟いて、ハルバードで斧剣を受け止めたリズ本人だった。しかし単純な戦闘力はサーヴァントに比肩すると言われてもリズとヘラクレスでは流石に膂力が違いすぎる。
「フンッ!」
「ッ!」
 受け止められた斧剣にヘラクレスが体重をかけた途端、リズの足が地面にめり込んでいた。丸太のような腕が筋肉でさらに膨れ上がっていく。ここはむしろ潰されていないリズに驚嘆するべきか。
「させるものか!」
 セイバーの斬撃を空いていた片腕で抜いたロングソードで防ぎ、今度は彼女まで圧し潰そうとヘラクレスはより一層の力を込めた。その筋力はまさに怪物だ。
「あ、ぐぅ……くっ」
「聖剣と斬り合うには些か心許ないが、これでも生前長らく愛用していた剣だ。容易くは折らせぬぞ」
「ぬかせ……っ!」
 渾身の力を込めてセイバーとリズが押し返そうとしても、ヘラクレスはビクともしない。そこに、干将莫耶を投影した士郎と、短刀を振りかぶった志貴が躍り掛かった。
 両腕が塞がっていれば避けようがないはず。分厚い筋肉の鎧を貫くのは困難でも、関節を狙いでもすればセイバー達に逆転のチャンスを作ってやれるはずだ。
 しかしその考えはこの大英雄を前にしては甘過ぎた。
「……ムンッ!」
 セイバーとリズを押し込んだまま、腰を捻ったヘラクレスが瞬時に竜巻と化す。
「うわぁあああっ!?」
 回転する斧剣に弾き飛ばされ、士郎と志貴はあえなく宙を舞った。リズも膝を突き、セイバーも体勢を崩したがこちらは即座に反撃に転じたのは流石だった。けれどヘラクレスの鉄壁と戦闘巧者ぶりはそれすら上回る。
 体勢を崩しかけたまま斬りかかってくるセイバーを斧剣で防ぐでもロングソードで防ぐでもなく、ヘラクレスは勢いよく地面を踏み締めた。同時に僅かだが震動が伝い、ほぼ片脚のみを接地させていたセイバーが転倒する。
「……甘いぞ」
 さらに今度は踏み締めた足を支点にして回し蹴りを放ち、立ち上がろうとしていたリズを吹き飛ばしてシオンの放った銃弾を斧剣の腹で受け止める。
 完璧な立ち回りに、凛は息を呑んでいた。
 大きく強く速いだけでなく、巧い。むしろアサシン、佐々木小次郎にも通じる超抜的な技量を感じ、凛はどうするべきか知恵を振り絞った。
 セイバーとリズの二人がかりがもしこのままあしらわれるようなら、ヘラクレスの突破は不可能だ。
(力尽くでどうにもならないなら、アルトルージュによる束縛を解く……いえ、でもセイバーが言う通り、ヘラクレスが人類を滅ぼすことに自分から賛同している立場ならそれも無理……どうすれば――)
 ライダーも魔眼からせめて力を削ごうと魔力を発しているようだが、効果は無さそうだった。或いは、セイバー戦における彼女の消耗が予想以上だったのかもしれない。
(考えろ……ここで何も浮かばないようじゃ、わたしなんてただの役立たずじゃない……! 足手まといになんてなってる暇はないんだから!)
 ヘラクレスの一挙手一投足を観察する。分析し、一刻も早く対策を練ることが出来なければ、こちらの負けだ。
 頬を焦燥の汗が伝う。
 無敵の大英雄の隙の無い動きに、磨り減るくらい凛は奥歯を噛み締めた。
 ここが正念場、人間の意地の見せ所だった。








〜to be Continued〜






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