episode-19
〜破壊の月姫〜
Part 2 疾走―希望―


◆    ◆    ◆






「乾くん!?」
 切叫はしかしビルの倒壊する轟音に半ば掻き消されていた。
 もっとも名前を叫んだからと言って、それが彼に聞こえて助かるようなタイミングでなかった事は百も承知だ。さつきの、ライダーシステムによって強化された吸血鬼の視覚が捉えたのは、今にも瓦礫に埋もれようとする友人の姿だった。おそらくはななこを助けようとしたのだろう。
 霊体になれる彼女ならば、瓦礫程度で命を失うような事は無かったろうものを知ってか知らずか……いや、どちらにせよ有彦は無意識に助けようとし、同じ結果に陥っていたろうとは思う。彼はそういう青年だ。
「おいっ、嬢ちゃん!」
 マルス133でデットンを精確に狙撃しながら、権藤は顎をしゃくった。助けに行け、と言うつもりなのだろうが既に有彦は瓦礫の下だ。信じたくはないけれど、ただの人間である彼が生き延びられる状況とはとても思えない。その絶望を無理に封じ込めようとするさつきを、
「嬢ちゃん!」
 もう一度、権藤は叱咤した。
「でも……でもっ!」
 さつきが振り返った先には、楓と鐘がいた。今自分がここを離れて有彦を助けに行き、あの大量の瓦礫を撤去する作業など始めようものなら権藤とバルスキーの二人だけでデットンを抑え、二人を守ることが出来るのか? 答えは否だ。
 むしろ有彦という標的がいなくなったことでデットンの注意はどうしてもこちらへ向く。二人を守るには有彦の救出どころか誰か一人が彼女達を連れて一時離脱する必要さえある。
 権藤もそれがわかっているから小さく舌打ちした。
「頭でっかちに考えられるような、そんな歳でもねぇだろうがよ……」
 さつき、仮面ライダーはバルスキーと並んでこの場の戦力の要だ。その彼女が有彦のことに気を取られていてはどちらにせよ事態の好転は望めない。逆に彼女まで足手まといにでもなられたら目も当てられないからこそ、いっそ助けに向かわせようと思ったのだが……このままでは手詰まりだ。
「何か……何かねぇのか。一発で奴を仕留められるようなそんな武器は……」
「――……あるには、ある」
 青天の霹靂とも言えるバルスキーの言葉に、権藤もさつきも驚き、目を見開いていた。
「なっ、あるんだったらとっとと出しやがれ!」
「そ、そうですよ! 今すぐ、早く!」
「だが問題がないわけでもないのだ」
 表情の変わることのないロボットでも、バルスキーの声音から彼が人間で言う渋面を作っているのは明らかだった。
「アタッシュケースの一番底の方に、一発限りの特殊弾がしまわれていたはずだ」
「え? ……え、と」
 急いでサイドファントムまでさつきが戻ろうと身を翻すと、既に楓と鐘がアタッシュケースを開けて底の方を漁っていた。
「これでいいのかー!?」
 目的のものはすぐに見つかったらしい。シガレットケース程の大きさの箱を掲げて叫ぶ楓に、バルスキーは首肯した。
「あんなもん、説明書には載ってなかったぞ?」
「本当にギリギリ、一発だけ完成したものだったので。そのため試射もしていません。撃ったが最後、どうなるかわからない」
 そんな兵器が使えるわけがない。呆れ果てた顔の権藤に、バルスキーは予想通りの反応だったとでも言いたげに静かに告げた。
「ですが理論上は……殆どの怪獣は一撃で仕留められるはずです。命中さえすればこの弾丸は相手の防御力など殆ど無視することが出来る」
 どうやら余程の兵器らしい。バルスキーから詳しい説明を聞こうと権藤が耳を傾けたのと同時に、デットンの咆吼が市街に響き渡った。
「あいつ……こっちに向かってきます!」
「小僧からの攻撃が途絶えたんだ、当然っちゃ当然だわな。しかしさて、どうしたもんか……」
 後退しつつ視線を向けてきた権藤に、バルスキーは呻くようにしながら思案した。
「……何が起こるかわからない以上、使用するなら市街地ではまずい。……どこか、もっと開けた場所……大きめの広場のようなものがあれば――」
「あるよ」
 特殊弾の入った箱を突き出しながら、楓は目だけはデットンの方へと向けていた。見知った街を、冬木を我が物顔で蹂躙している怪獣への憤怒と、年相応の少女らしい恐怖とが綯い交ぜになった顔だ。隣に立つ鐘も平静なように見えて内実は似たようなものだろう。肩が微かに震えていた。
 軽く深呼吸をし、息を整えてから楓は新都のほぼ中央付近を指差した。
「冬木……中央公園。あそこならだだっ広いし、その、新兵器なんかですごい爆発みたいなのとかあっても多分……大丈夫、だと思う」
 十年前のゴジラ襲撃、そしてその影で進行していた第四次聖杯戦争が決着した場所。当時もっとも被害が大きく、いまだ再開発の目処が立っていないそこは、言わば慰霊地だった。
 多くの人々が眠る場所に今また怪獣を誘導し、さらには何が起こるかもわからない強力な新兵器を使おうというのは楓も鐘も心が痛まないではなかったが、市街地で使用し万が一の事が起こるよりはよっぽどマシだ。
「なるほど。……うむ、データにある通りの広さなら、市街地に被害が及ぶことは……おそらく無いだろう。この特殊弾は効果範囲自体はそこまで広くはないのだ」
「とんでもない爆弾、とかそういう単純なモンじゃないのか」
「詳しい説明は後にして。今はあのデットンめをそこまでうまく誘導する必要がある。それにこの一発きりを外せば後がない以上、出来れば先行して罠の一つでも設置しておきたいのだが……」
 自分か、権藤か。
 どちらかがサイドファントムで公園へ先行して罠を仕掛け、もう片方がデットンを誘導する、というのが最良の手だ。しかし脳内に冬木市のデータがあるバルスキーに対し、権藤は一応ある程度の地理を頭に叩き込んでいても半壊した街を迷わず目的地まで辿り着けるかは怪しい。さつきにしても同じ事だ。権藤もその事にはすぐ気付いたのだろう。
「絶対に大丈夫だ、任せろ……とは言えんわな、この街の状態じゃ。地図見ながらでも正直怪しいとこだ」
「さて、ではどうします権藤一佐。私としては万全を期したいが、しかし現状では……」
「囮が足りねぇ、か。そうだな。駄目で元々だ、ぶっつけ本番に賭けてみるしかねぇやなぁ」
 デットンはすぐそこまで迫ってきている。落ち着いて作戦を煮詰めている余裕など無い。結局、このまま全員で後退しつつ公園まで誘導するしかないか、と権藤が口を開きかけたのをまるで見計らっていたかのように、
「その、すまない。権藤一佐、提案があるのだが」
 鐘が鋭く横槍を入れた。
 今の今まで楓の横で難しい顔をして何か考え込んでいた様子だったが、権藤としてもバルスキーとしても出来ることなら彼女達は途中で別れるか、どこか近くのシェルターにでも放り込んでいきたい。そんな大人の考えを見透かすかのように鐘は眉一つ動かさず、決意を込めて言った。
「囮役なら私達が務めよう」
 不覚にも、それを聞いた瞬間権藤とバルスキーは固まってしまっていた。鐘の隣では楓も同意だとばかりに激しく首を振っているが残念ながら誰も見ていない。
 さつきにしても、年齢はさして変わらないながら自分は吸血鬼で、ライダーシステムという戦う力がを持っているのだという自覚がある。なのに、特別な力など何も持たない、ただの女子高校生である鐘と楓が怪獣相手に囮役を務めるだなんて自殺行為だ。破滅願望があるのではないかと疑われても仕方のない提案だったろう。
 だのに鐘はどこまでも明け透けだった。
「幸い、この街の地理には私も蒔も詳しい。少しくらい道が壊れていても公園までの行程を迷いはしないという自信ならある。なるべく回り道をしてから行くつもりなのでその間に罠なり仕掛けて貰えればいい」
「い、いやちょっと待て!」
「なにか?」
 あまりに平然と返され、むしろ権藤の方が言葉に詰まってしまった。
 確かに、地の利の明るさを考慮すれば自分やさつきがやるよりも彼女達の方が囮には適しているのかも知れない。かも知れないが……それでも、あくまで彼女達は、自分の意思でバルスキーについてきてしまったのだとしても立場的には偶然巻き込まれてしまった不幸な民間人なのだ。
 そんな彼女達を良識ある大人として囮に使うだなんて出来るはずがない。そう突っぱねるのが当然だった。
 なのに、すぐにそれを出来なかったのは鐘と楓の眼を見てしまったからだろう。
(小娘が……なんてぇ眼をしやがる)
 楓の方は言うまでもなく、鐘まで、その眼には恐怖と、それを上回るだけの覚悟が見て取れた。こんな、まだ高校生をやっている少女達がそうそう出来る決意ではない。戦いなんて大人に任せ、大人しくシェルターへ逃げる――故郷の街が窮地に陥ろうとも、それがごく普通の、十代の少年少女が選ぶ道だろう。
 なのに、この街に来てから権藤が出会った子供達はどうしてかみんなこういった眼を見せるのだ。士郎や凛はまだ魔術師という依って立つ力があるからと思えなくもなかったが、鐘と楓は正真正銘一般人であるはずなのに、冬木を守るために命を懸けると言っている。
 大したものだ。圧倒されそうになる。
 それでも首を縦に振れない自分を、誰よりも苦々しく感じてしまうのも権藤自身だった。バルスキーもさつきも何も言わないのは、二人はおそらく提案を呑むつもりでいるからなのだろう。
「それに、さ。権藤一佐も自衛隊の人だから結構足速いだろうとは思うけど、多分その点でもあたし達負けてないよ」
 不安を覆い隠すかのようにニンマリと笑い、楓はパンッと自らの、カモシカのようなと形容するに相応しい綺麗な脚を叩いて見せた。
「あたし達二人とも、陸上部員だし。……そんな重そうな装備背負ってるおっさんよりは、絶対速いって」
 何を言われようとももう止まるつもりは無いとばかりに。
「この“穂群の黒豹”……とそのうち呼ばれる予定のあたしに任せな、って」
 ドッと疲れたように重く息を吐くと、権藤はこれ以上はどう抗弁しようとも無駄だろうと悟った男の顔で乱暴に頭を掻いた。





◆    ◆    ◆






 霧が晴れてからというもの、冬木各所のシェルターからは地上の様子を確認するために顔を出す者が少しずつだが増え始めていた。不用心ではあったが、流石にどのシェルターにも地上が確認出来るようモニターが設置されている、などといった贅沢な設備はなかったし、他のシェルターと連絡を取りあおうにも通信関係はあらかたサドラとエレキングによる雷電結界によって駄目にされてしまっている。数日間地下に閉じ込められっぱなしだった人々にとって、最大の敵は見えない現状に対する不安だったのだ。
 最初期に顔を出した人間は、しかし不幸だった。
 ようやく霧が晴れ、雷が止み、安心したのも束の間、目の当たりにしたのは十年前の恐怖の再来、怪獣王ゴジラの威容だったからだ。
 呆然と立ち尽くした者、その場に膝を折った者、恐慌し泣き崩れた者、それら全てに共通しているのはただただ、絶望の二文字。その絶望は当然シェルターの中にいる人々にも伝播し、冬木中でゴジラへの恐怖と絶望、憎悪と怨嗟がはち切れんばかりに膨れ上がりつつあった。
 そんな中、誰かが呟いた。
 ――世界は、終わりさ――
 何の気はない一言は、しかし全員の意思の代弁だった。
 地球生命そのものが人間を滅ぼそうとしている、そんな事情も理屈も知らなくても、人々は悟りつつあったのだ。人類にはもう逃げ場はないのだと。今こそ、終末が訪れようとしているのだと。
 新都中心の商店街に程近いこのシェルターにも、そんな空気が蔓延していた。地上に出た十人ほどの者達は皆その場に座り込み、一度は立ち去ったゴジラや他の怪獣がいつまた来るか、その瞬間に怯えていた。
 そして、足音と鳴き声が近付いてきた。
 なんという明確な死そのものなのだろう。太古の昔、野生の肉食獣と戦わなければならない宿命にあった原人達もこのような恐怖にさらされていたのかも知れない。
 建物が倒壊する音がする。外に出ていた人々は巨大怪獣の接近を察知しながら、今さらシェルターに潜ったところで結局は何も変わらないのではないか――そんな諦観によって、逃げる気力を奪われてしまっていた。
 いっそ潔く滅びを待とう。騒ぎ立てるような真似さえせずに、彼らはしめやかに最期を待とうしていた。
 けれど、その絶望に彩られた静謐を破って、聞こえたのだ。
「……ぉぉぉおおおお」
「? なんだ、……この声」
 怪獣の咆吼に混じって微かに、退廃とした空気の中に響く、いまだ活力に溢れた、声。
 続いて彼らの目の前を疾風が文字通り駆け抜けていった。
「はいはい退いた退いたぁあ!!」
「おぉっ!?」
 褐色の旋風。
「こんなとこにいたら危ないよっ!」
 その姿はかつてこの街で見た事があったような、無かったような。記憶は曖昧ながらも、ほんの数日前まで確かに存在していた日常を想起するには充分だった。
 あれは、あの風は、この街に在ったものだ。朧気な心持ちのままに風を見送った人々は、互いの顔を見やった。
「なぁ」
「……ああ」
 彼らは不意に我に返ったかのように立ち上がると、シェルターへと戻り始めた。
 理由はわからない。全てに捨て鉢になっていたはずなのに、少女の声と疾走する姿を見た途端にその場にいた誰もが自然と立ち上がっていたのだ。
 まだ死ぬには惜しい……楓の走る姿には、そう感じさせる力があった――のかも知れない。



「うぉおおおおおおお!!」
 自分の行いが人々の萎えかけていた生きようとする気力に僅かな活を入れていたなど知る由もなく、雄叫びをあげながら楓は全力で疾走していた。
 すぐ後ろには追いかけてくるデットンの圧倒的な気配がある。注意を引き付けるために、と最初に一発マルス133を撃ったのだが、それが偶然にも鼻っ面に直撃したのがどうやら予想外に怒りを買ったらしい。こんなところでまで相手を怒らせる才能なぞ発揮しなくてもいいのに、とゲンナリもしたが、囮としては最適だったろう。
 もはや自分の専門は短距離で、長距離走は不得手だとかそういった思考は無い。ひたすらに全力全開で身体を動かした。恐怖も勇気もとうに綯い交ぜだ。あらゆる感情がミックスされて肉体を突き動かす原動力となり、もういっそ腹の底から爆笑したいような衝動に駆られながら楓は歩き慣れた通りを駆け抜けていた。
 いや、違うのだ。笑っているのは全身の筋肉という筋肉だ。
 怪獣の強大さなんて冬木で暮らしていれば嫌でもわかる。ゴジラ以外の、ゴジラと比べれば雑魚も同然とさえ言われるような怪獣すら人間や文明にとってどれほどの脅威か、傍目には単純でも根は現実的且つ聡明な楓はきっちり理解している。その上でやると決めたのだ。
 素人が。
 ただ陸上部で、人よりちょっとだけ走ることに優れているだけの自分が。立派に囮を務めあげてみせると宣言したからにはもう筋肉の線維一筋、細胞の一片に至るまで呵々大笑と笑うしかなかった。
「ぁああああああッはぁああっ!!」
 視界の右に映る店も左に映る店も知っている。新都の商店街にある店の何割果たして入店したことがあったろう。鐘や由紀香、凛達とよくもまぁ遊び呆けたものだ。よく行く定食屋の看板が見えたのには罪悪感が湧いた。
(おっちゃん、おばちゃん、巻き込んじゃってゴメン!)
 人の良さそうな店主夫妻の笑顔を思い出して詫びつつ楓が駆け抜けた数秒後、店はデットンに蹴り壊されてしまった。
 悔しい。それに腹立たしい。
 怪獣の脅威を知るのと同時に、冬木の住民ならその不条理さに憤懣を覚えるはずだ。
 ゴジラにも、それに地球にも、言い分はあるだろう。悪いのは全て人間なのだという理屈も楓だってわからなくはない。どこかでそう考えていたのは事実だし、そういった後ろめたさは誰もが口にしないまま抱えているのではないかとも思う。
 それでも、人間が滅ぶべきだとまでは思えなかった。ただ怪獣の脅威に曝され、その暴威を甘んじて受け死んでいくなどどうして許せるものか。
 その感情は言うなれば義憤だ。不条理な死、破壊に対する激憤だ。それら全てを抑えつけ、友人達を始めとした人々に全て丸投げして自分は黙って見ているなどどうしても楓には出来なかったし、したくはなかったのだ。
(我が儘だって……わかっちゃいるけど)
 走り出してしまった以上はもう止まれない。
 時間がやたら長く感じられる。
 たった十分の、けれど全力疾走。
 あの短時間にパパッと決めた作戦では、自分が走るのは十分だけのはずなのに、その十分が永遠のように、長い。
 権藤とバルスキーはもう公園に着いただろうか。鐘も所定の配置に無事着けたか。さつきはどうだろう。凛達はゴジラを相手にして戦っているのだろうか。
(あー、余計なこと考えないで……集中集中!)
 ゴールは近い。
 この大通りを抜けて、その先で右折し、先回りして待っているはずの鐘にバトンタッチ、自分は即座に近場のシェルターに駆け込む。走りながら何度も何度も繰り返しその場面をシミュレートした。今のところ自分は何一つ間違えていない。
 怖くなんてない。恐怖はもう通り越している。やっぱり感情なんて出鱈目で、だからこんなにも笑っていられる。そうとしか考えられない。
 このままもう少しで全てが終わる、なのに――
「ワッケわかんねー!!」
 そう絶叫した楓の頬を、デットンが撒き散らしたらしい破片が掠めていった。
(血、出た?)
 わからない。わからないが、すぐ背後に死が迫っているのだと改めて自覚する事で今のグチャグチャになった感情回路が正常に働き出しそうだった。それは不味い。今正常になど戻ったら間違いなくその場にへたり込んで漏らして泣き伏したところをデットンに踏み潰されて花の命を散らす羽目になる。確実に、そうなる自信があった。
「あー、もぉこのバーカバーカバーカ!!」
 振り返っている余裕は無いので真っ直ぐ正面を見据えながら楓はデットンを罵倒した。再び破片が身体を掠めていく。頬が痛いし左の二の腕辺りも痛い。脚だって痛い。これはどのくらいの痛みだろうか。死ぬほどの痛みなのか? このまま死んでしまうのか?
(死んでたまるかっての!)
 無我夢中で駆けた。
 すぐ脇に鉄骨が落下し、電柱が倒れ、どれか一つが命中すれば間違いなく自分は死んでしまうのだろうなという状況が楓の集中力を研ぎ澄ませていた。
 荒々しい呼吸は自分とは別人のもののようだ。鼓動も何もかも他人。自分が見つからない。自分がここではない何処かに行ってしまったような錯覚がしかし極度の集中によって打ち消されていく。
 何か飛んでくる。後頭部がヒリヒリする。振り返って確認している余裕なんて無い。見たら動きが止まってしまうかも知れない。
 怖い。怖くて怖くて、楓は目を閉じた。
 時間にしてほんの一秒足らず。その一秒が、楓の集中力を完璧なものにした。
(黒豹! コレ終わったら絶対黒豹! 絶対みんなにそう呼ばす! 今度こそ、あたし明日から正真正銘伝説の穂群の黒豹だってぇの!)
 冬木を救った英雄として永遠に穂群原の陸上部に名を残してやるのだとほくそ笑み、
「うぉおおりゃぁああああああ!!」
 駆けた楓は、盛大にヘッドスライディングをぶちかました。
 その頭上スレスレを凄まじい勢いでコンクリートの塊が吹き飛んでいく。そうして倒れたまま、道路に熱烈なキスをしていた楓を、
「蒔!!」
 鐘が引っ張り上げて、立たせた。
 この瞬間、楓は見事鐘にバトンを渡した。襷を繋いだ。
「お……おっ、しゃぁああ……っ」
 ガッツポーズ。たった今頭上を吹っ飛んでいったものであろうコンクリ塊が目前の道路にめり込んでいるのを見て肝を冷やしながら、楓はそのまますぐ脇にあるシェルター入り口へ転がるように突っ込んでいく。
 ここからは鐘の出番だった。
「……行くか……!」
 ここから目的地、冬木中央公園まで、予め決めた経路を全力で走っておそらく十分。楓が十分間大きく迂回路を全力疾走してくれた分と合計して二〇分。そんな短時間で果たして上手く罠の設置など出来たかどうか不安が無くもないが、今となっては権藤とバルスキーを信じる他無い。
 どちらにせよ、自分から提案したのだ。その役割を果たしきるのが今すべき事だった。
「蒔に出来て、私が出来ぬとは言えまいよ……!」
 標的が入れ替わったことに果たしてデットンは気付いているのかいないのか。もし楓に続いて鐘を追わなかった場合は一発撃つようにと、楓と同じく権藤からマルス133を手渡されてはいるものの、鐘としては出来ればそれは撃ちたくはなかった。銃の引鉄を引くような真似はせず、なるべくなら自分の領分だけで事を済ませたい。それだけなら、まだ確実性がある。自信も持てる。
(的を外して妙なところを撃った日には……蒔や遠坂嬢に何を言われるか)
 楓と違って鐘はあくまでクールだった。
 怪獣に追われているにも関わらず、平静なままの方が力を出し切れるのだと確信していた。感情の爆発は最後に取っておけばいい。それまでは深く静かに疾く駆ける。それだけだ。



 駆け込んだシェルター内で、一生分の呼吸をここでし尽くしてやるとばかりに激しく胸を上下させている楓を避難していた市民達は遠巻きに見つめていた。中には知った顔もある。いったい楓や鐘が、ゴジラや怪獣が暴れ回っている地上で何をしていたのか、何をするつもりなのか、懸命に推し量りながらも尋ねられずにいるのだろう。
 そんな人々に、楓はまだ微妙に引き攣っている頬をなんとか歪めて見せた。右の頬はやはり怪我したのか焼けるような痛みがあるが、それでも意地で満面の笑みを浮かべた。
「……もーちょっとしたら、上」
「う、上?」
「そう、上。すっげぇ花火……見られるから」





◆    ◆    ◆






 暗い場所に、閉じ込められている。
 息を吸って吐くのもままならない圧迫感はあの時と同じだな、とそこまで考えて、有彦は負の記憶へと思考が沈み込んでいきそうになるのをグッと堪えた。
 家族の仇を前にして暴走し、かつてと同じ状況にはまり込んで今度は自分も死んでしまうなんて秘肉もいいところだ。となると、結局自分はあの時死に損なっていただけで、本当は家族と一緒に死ぬべき運命だったのではないかとそんなつまらない考えも頭に浮かんでくる。
「……何やってんだろうなぁ、ったく……ダッせぇ」
 悪態を吐きながら、有彦はまず思いっきり手を握り、続けて足の爪先を伸ばしてみた。やや痺れてはいるものの、ちゃんと動かせている感触があるということは、千切れたりはしていないようだ。
「不幸中の幸い、とは言えねぇか」
 こんな状況でようやく頭が冷えてきた。もっとも冷えたからと言ってテレスドンに対する憎しみが消えたわけではない。
 あれが有彦の家族の仇とはただの同種で、アルトルージュ陣営からはデットンと呼ばれているテレスドンとは別個の怪獣なのだと仮に誰かから説明を受けたとしても、そんなことはまったくの無意味だったろう。
 いざ目の前にしてしまえば、おそらく何度だって自分は暴走し、同じ事を繰り返してしまうはずだ。そう自覚しているからこそ有彦は苦々しく唇を噛み、やはりこのまま死んでしまうべきかと目を閉じた。
 が、どうやら易々とそうさせては貰えないらしい。
「ありびござぁん!」
「……そういやお前がいたんだった」
 思考の外にスッポリ抜け落ちていた、なんて言ったらまた拗ねるだろうし何も言わないでおこう。
「ななこ……お前、怪我は?」
「その……大変言いにくいですけどわたしは精霊なので、瓦礫なんて全然平気だったと言いますか、ほら」
 言われてみればななこの身体が幾らか透けていた。瓦礫の中、どう考えてもまともな姿勢でいるなんて不可能なのに自分の脇に平然と座っているのを見て、有彦はげんなりとし、今度こそ嫌気がさした。
「……無駄骨もいいとこじゃねぇかよぉ……ったく、しまらねぇなぁ」
「あっ、あっ、でも助けようとしてくださったのは本当に嬉しかったです! ホントですよ!?」
「ここで嘘なんて吐かれたらマジ死ぬしかねぇよ……うっ」
 うまい具合に瓦礫の隙間に身体が挟まってくれているようだが、まったくどこも圧迫されていないわけではないらしく右脚が痛い。
 脱出しようにもななこはこれこの通りだし、さつきや権藤も助けに来るような余裕は無いだろう。今のところ特に物音もしないがテレスドンがまだすぐ近くにいて暴れでもしたら今度こそこの隙間も埋まって自分は死んでしまう。
 死に対して妙に達観している自分に改めて呆れつつも、有彦は少しずつ身を捩ってなんとかここから抜け出せないものか藻掻いてみた。
「……っても、無理だよなこれは」
 少し力を入れたら崩れてしまいそうだ。
 復讐に取り憑かれた者の末路……だなんて漫画か小説にでも出てきそうなフレーズだったが、自分もそうなるとは夢にも思っていなかった。
 だいたいにして小説よりも奇なりな現実にここ最近は翻弄されっぱなしだったワケだが、このまま意識を失えば全て夢だった……なんて事にはならないだろうか。
「いや、ならないと思いますよ」
「……てめぇ、読むなよ人の思考を」
「口に出してましたよぅ」
 自分で思っていた以上に混乱しているのかも知れない。
 ただもし脱出が出来たとしてもテレスドンの姿を見たらどうせ自分はまた暴走するに決まっているのだから、ここでこのまま動かずにいるのは正解なのかも知れない。そうすれば、少なくともさつきや権藤の足は引っ張らずに済む。
 正論だった。
 有彦自身がこれ以上の答えは無いなと納得してしまう他無い正論だった。
 しかし感情の方はまだ沸々と、怨念が茹だったままだ。
 もう大分吹っ切れたつもりでいても、怪獣の襲撃で住居や家族、大切な人を失うのはそれこそ天災だ。仕方がない……そう納得して割り切るのが無理な程度には、有彦は父と母と祖母のことを愛していた。
「あー……どうしたもんだかなぁ」
 この手でテレスドンを倒したいという欲求はおそらく一生消えやしないのだろう。現在の乾有彦という人格を形成する上でどうしようもなく根っこの部分にそれはある。
 そんな風にグダグダ考えていると、微かに瓦礫が揺れたような気がした。
「畜生……ヤツか?」
 やはりまだ近くにいたのか。今の状態ではテレスドンが暴れるのではなくただ近くを通り過ぎただけでこんな瓦礫完全に崩落して今度こそ自分はあの世逝きだろう。死ぬにしても、よりにもよってアイツに殺されるのだけは真っ平だった。
「こんなザマじゃ……自殺しようにも舌噛むくらいしかねぇもんなぁ」
「な、なに言ってるんですかぁ!?」
「……冗談だ」
 少しだけ本気だったが、それもまた癪であることには変わりがない。何とか、倒せずとも一矢報いる手段だけでもないものか。
「……ななこ。命と引き替えになら一度だけお前を使用出来るとかそんな設定とかねーの?」
「あっても使わせませんよ!?」
 パラパラと小さな破片や埃が顔に落ちてくる。馬鹿な話をしつつもいよいよ最期かも知れないと有彦は覚悟を決めた。
 震動が大きくなり、瓦礫が崩れる物騒な音が聞こえ……
「乾くんっ!」
「……んぁ?」
 唐突に、有彦の上に覆い被さっていた巨大なコンクリ壁が持ち上げられていた。間の抜けた顔で見上げた先に居た声の主が誰かなんて、考えるまでもない。
「よ……良かったぁ……無事だったぁ」
 茹だっていた怨念が、一気に冷めた気がした。
「……本当に、サマにならねぇなぁ……さっちんは」
「あ、ひどいよそれ……折角助けに来たのに」
 瓦礫を持ち上げたまま、へなへなと頭を垂れた仮面ライダーは、やはりどんな姿になろうとも弓塚さつきなのだなぁとつくづく実感させられ、自分ももう少しだけ、乾有彦らしく足掻いてみようと思った。
「グダグダ考えるのも、性に合わねぇしな」
「え? なに?」
「いや、なんでもねぇさ」
 そうして、有彦はゆっくり立ち上がった。





◆    ◆    ◆






「……しくじったかな」
 似つかわしくない焦りを呟きに乗せて、鐘は手の甲で額の汗を拭った。水分が足りていないのか思ったよりは汗の量が少ない。
 自分では冷静に事を運んだつもりであってもやはり動揺は大きかったのだろう。そこを計算に入れていなかった。あくまでいつも通りにやればよい、とだけ考えすぎて自分の弱さを考慮しきれなかった時点でやはり平常ではなかったのだ。
 倒壊した建物に塞がれた道を見て、急ぎ横道に方向転換しながら鐘はこのロスをどこで取り返したものか思案した。
 時間は別に問題ではない。むしろ権藤達が準備を終えるには多少の余裕を持った方が良いだろう。問題なのは鐘のスタミナだ。
 体力には自信がある。仮にも陸上部でエースの一角に数えられている自分だ。最大速度では流石に楓に一歩譲りはするけれど、的確な自己の能力把握とそれに基づいた緻密な計算によるペース配分を駆使した総合的な速力は決して彼女に劣るものでもない。
 故に、今回も鐘は自分の中で完璧にペース配分を整えたつもりでいた。十分間、怪獣から逃げる。そのためのペース配分をしたつもりだった。
 しかし焦りや動揺、恐怖による精神のブレは鐘の予想よりも著しく体力を消耗させていた。さらに、まったく想定外に倒壊していた建物。
 十年前のゴジラ襲撃により壊滅した新都の建築物は、半ば偏執的と言っていいくらい頑丈に再建されている。そのためいくら怪獣と言えども進行速度が落ち、楓や鐘が充分囮を務めていられるわけだが、この辺一帯はどうやらまだ古い建物が残っていたらしい。そいつが先のゴジラと敵方怪獣達との戦闘による震動であっさり逝ったのだ。
(戦闘による震動だけで局地的な大地震だからな。出鱈目過ぎる生き物だ。呆れてしまうぞ、化物め)
 心中で毒突きつつも、既に鐘の脳内では新たな行程プランは練り直し済みだった。少しだけ速度を落とし、この横道を抜ければ建物は低め且つ道幅は広めの商店通りに出る。そこを直進すれば公園までは通りの幅的に例え建物や電柱が倒れていても全て塞がれているという事は無いはずだ。
(それにしても、よくもまぁこのような無謀な真似をしているものだ。私も)
 楓の無茶な暴走を止める、という名分のもと、無理矢理バルスキーについてきたのはやはり鐘自身思うところがあったからというのが大きい。
 鐘の父は冬木市長だが、おそらく娘ほどはこの街を愛してはいないだろうなと思う。政治家としてそこそこ有能だが、それは情実をある程度は切り離せる能力を持っているからでもある。鐘もそんな父の娘だから大抵の物事には動じない、氷のような人物として周囲からも認識されているし自分でもなるべくそう努めてはきたが、実際のところこれでなかなかに激情家なのは自覚するところでもあった。
 郷土愛に正義感、些末な理由も多々ある。けれど別につまらないヒロイズムに酔いしれて命を懸けているわけではない。
 ただ、関わってしまった。
 概要のみとは言え、この戦いの裏にあるもの、真実の一端を聞いてしまった。士郎や凛、友人が、知己にある者が、人類の危機に立ち向かっているのだと知ってしまった。
 それこそが重要なのではないかと鐘は考える。その上で、自分もこの街を、人間を、守りたいと思ってしまった。
 なら動くしかない。氷室鐘という人間は、どうやらそう出来てしまっているようなのだ。
(結局、蒔と私は詰まるところの類友だったのかも知れん)
 渋面を作りながらも別に悪い気はしない。
 アインツベルン城で過ごしていた時、士郎や凛が魔術の訓練をしているのを見た。陸上の練習とは異なる次元の厳しさに閉口しつつ、彼らがあそこまで出来るのなら自分ももっと何か出来るのではないかと、そう思った。
 少しばかり会話を交わした魔戒騎士の零は、その力は守りし者の力だと言っていた。この世に生きる全ての人々を、邪悪なものから守るための力なのだと。人間を善性の存在だと定義するつもりはないが、命ある者に一方的に害を為す者はたとえそれがこの地球そのものの意思なのだとしても、やはり斬るべき相手なのだ、と。
 その通りだ。
 人間は善なる存在などではない。地球から見れば地上を、海を、空を汚し、壊し、食い潰そうとする害悪なのだろう。
 それでも人は生きている。こうして生き延びようと、走ることが出来る。己を生かすために人は走るのだ。他人任せになど出来ようものか。
「……ふっ、ははは」
 大声で笑い出したくなったのを、残りの体力を考慮して鐘は懸命に堪えた。所々、シェルターから顔を出した人々が奇異の表情で走る鐘を見つめている。
 奇妙だろう。しかし自分の命が、人類の未来が懸かっているのにシェルターに潜んで震えている方が、本当はずっと奇妙なのだ。とは言えそれを人々に強制するつもりもない。だから鐘は、ただ、彼らを見た。眼鏡の奧の瞳にありったけの意思を込めて。
「少し……元気が出た気がする」
 苦笑し、加速する。
 もうほんの数メートル先は目的の通りだ。そこからは公園まで一気に、最大速度で――
「……厄日か、今日は」
 目の前に横たわる最後の関門に、鐘は浮かべていた苦笑を引き攣らせた。
 家屋の倒壊などと言った厄介なものではない。地面に亀裂が走り、それによって倒れた電柱が正面の建物にめり込んで……まるで高跳びをやっている自分を試しているかのような関門だ。高さは一メートル半も無い、競技としてなら充分に跳べる高さではあったが……
(だがこの局面で競技通りにやれ、と言うのもなかなか難しいぞ……)
 千切れた電線などが垂れ下がっている下をくぐるのは、感電の可能性などを考慮すれば問題外だった。跳び越えるのではなくいったん立ち止まって乗り越えれば一番いいのだろうが、そう悠長にもしていられない。
「……近いな」
 すぐ後ろから、怪獣の鳴き声が聞こえた。
 飛び道具はないが感覚器官は鈍重そうな外見に反して鋭いらしい。楓のことも鐘のことも見失わずにしっかりと追ってきている。
 本当に、競技と同じなら良かったのに。
 早鐘のような鼓動を抑えつけ、鐘はグッと下唇を噛み、目の前のバーを見据えた。高さ自体はどうという事は無いが、跳んだ先にはクッションとなってくれるマットなどは無い。どころかそのままさらに走り続けなければならない。
(高跳びと言うよりは高めのハードル走か……)
 迷い無く、というのは難しかった。失敗すれば大怪我、と言うより怪獣に踏まれるか倒壊する家屋に巻き込まれるなどして即死だ。流石に平静ではいられない。正直に言えば、怖くてその場にペタンと尻を突いてしまいたいくらいだった。
(そんな無様が出来る女だったなら、……そもそもこの状況で走ってなどいなかったろうがな)
 どうせもう距離も無い。今さら急ブレーキをかけるなんてそれもまたデッドエンドな選択肢だ。
(ええい、覚悟を決めろ!)
 跳ぶしかないのだ。
 いつも通りに。子供の頃、通学路をショートカットすべく生け垣を跳び越えていたのと同じように。
 失敗しても死ぬだけだ。そんな無様な醜態を晒して、楓に指差して笑われて……
「……そいつは、死んでも御免だ……ッ!!」
 爆笑する楓を想像した瞬間、完全に覚悟は決まった。
 そう、何て事は無い。
 一歩一歩バーへと近づき、跳躍のタイミングを見極め、呼吸を整える。
 もう三歩。あと二歩、……最後の、一歩。
「はっ!!」
 ジャンプ。
「ぐっ!?」
 爪先が僅かに引っかかる。しかし問題無い。バランスを崩すほどではない。しっかりと、着地し――
「……ッ!!」
 接地した足の裏から、衝撃が昇ってくる。骨が砕けたのではないかと錯覚しそうになったが、この際砕けていてももう残りを走りきるだけだ。
(倒れるのは、目的地まで辿り着いてからいくらでも)
 涙が滲みそうになるのさえ楓には見せられないとばかりに耐えながら、鐘は公園へ向け、最後のダッシュを開始した。





◆    ◆    ◆






「細工は隆々……とまではいかないが、こんなもんか」
「僅か数分で罠を仕掛けねばならんのですから、充分でしょう。そもそも大した機材も無い」
 バルスキーの言う通りだ。
 公園までショートカットして辿り着くのは簡単だった。不慣れな土地でもし迷いでもしたらという懸念もあったが、神様もそこまで意地が悪くはなかったらしい。
 対怪獣用に仕掛けられる携帯型のトラップなどそもそも限られてくる。結局、罠は爆弾が幾つかと、ケースに入れられていた捕縛用の電磁ネットのみだ。実際の接地時間など三分もあればいい方――そんな滅茶苦茶な作戦だったのだからうまく仕掛けられただけで僥倖だろう。
 これまでの動きを見たところ、デットンは特殊な攻撃方法は特に持っていない。その辺は同種であるテレスドンと変わりないものと判断する。
 開発されたばかりの怪獣捕縛用電磁ネットとは言え、長時間捕らえておけるほど万能ではない。もしそうならもっと大量のネットをケースに入れておくだけで戦闘は幾らでも有利になるからだ。
 所詮は試作品。ほんの少し、照準を定めて特殊弾を撃ち込むだけの間、動きを止められるならそれでいい。権藤もバルスキーも、多くは望んでいない。
「もうすぐ、ですな」
「ああ。足音が近い。……嬢ちゃん達、上手くやってくれたようだ」
 彼女達の健気な覚悟と姿勢を信じて任せはしたものの、やはり失敗した場合の事に頭の中では比重を置いていたのを申し訳なく感じると同時に、権藤はこちらがしくじったら怒られたり笑われるどころでは済まないなと苦笑した。
 間もなく公園の西側入口から、鐘がデットンを引き連れて入ってくるはずだ。それを見計らい、公園入口付近を爆破、追い立てられたデットンを捕縛ネットで捕らえ、特殊弾で葬り去る。
 市街地に残るアルトルージュ側の戦力は、少なくとも目に見える範囲ではデットンしか残っていないはずだった。これを自分達で妥当できれば、援軍は無用な損失を被ることなくゴジラ及びアルトルージュと戦うことが出来る。後顧の憂いは、全て断ち切っておきたい……そう考える権藤は、空を仰ぎ眉間に皺を寄せた。
「……嫌な予感がしやがる」
「あの黒雲ですか」
 円蔵山上空を中心に湧き上がった巨大な黒雲は権藤とバルスキーも確認していた。バルスキーはそこから発せられる魔力を探知し、権藤は歴戦の勘からやはり危難を察知していた。
 見た目の不気味さ、怪しさ以上にあの黒雲からは言い様の無い邪悪を感じるのだ。
「……もっとも、予感がするのも確かだが、テレスドンかて雑魚と言うには……人間にとっちゃ充分脅威だ。この街を破壊し尽くすくらい、あいつ一匹いれば事足りちまう。なら、俺の仕事はどっちにしろヤツを倒すことさ」
 マルスを構え、権藤は入口側へ身体を向けた。
「来たな」
 デットンの巨体が猛然とこちらへ向かってきているのが見えた。その目は囮となって逃げている鐘を追っているのだろう。大した知能が無さそうなのは、罠をはった側としてはありがたい。
「時に、バルスキーさんよ」
「なんです?」
「特殊弾……と言ったが、いったいどんな兵器なんだ? その説明を聞いてなかった。当てるのは腹か、頭か、はたまた手や足の方がいいのか?」
「どこに当てても同じ事です。そのペンシル爆弾……無重力弾は、命中と同時に対象の肉体に重力異常を引き起こし相手を内部から木っ端微塵に吹き飛ばす必殺の兵器。もし仮に実用化されれば、特自や防衛軍の仕事はぐんと減るでしょう」
 自信満面のバルスキーの説明を聞いても権藤としてはその手の超兵器には幾分懐疑的ではあったが、今は性能を信じる他無い。メーサー銃やマルスの火力ではデットンを倒しきるのは不可能なのだから。
「……ッ、権藤一佐!!」
 らしくもない絶叫とともに疾走してきた鐘の姿が視界に入り、権藤は爆薬の起爆スイッチに指を添えた。あの冷静沈着鉄面皮に見えた少女がこんなにも汗だくで、困憊に顔を歪ませ走ってきたのだ。つまらないミスは出来ない。
「バルスキー、嬢ちゃんを頼む」
「承知」
 言われるまでもなく駆け出していたバルスキーが、ブレーキをかけようともせずに突っ込んできた鐘の身体を抱きとめ、そのまま爆風を避けるために雑木林へと跳び込んだ。
 それと同時に、デットンが爆破範囲に侵入する。
「残念だが、今はテメェに構っちゃいられねぇんだよ、テレスドンのソックリさんよ」
 起爆装置が押され、範囲こそ狭いながら指向を調節された爆発がデットンの脚と尾を焦がし、前方へと蹌踉けさせた。
 そここそは、捕縛ネットを仕掛けておいた場所だ。携帯用故の出力の低さを考慮し、完全に囲い込める位置で閉じ込める必要があった。その呼吸、一〇〇メートル近くもある怪獣を、ほんの数メートル単位、これ以上なくベストな位置で、封じ込める。
「よっしゃ、今――」
 続けて捕縛ネットのスイッチを押そうとした瞬間、権藤はデットンと目が合ったかのような錯覚に囚われた。
 否、錯覚ではない。デットンは明らかに権藤を見ていたのだ。見て、まるで嘲笑うかのようにクチバシ状の尖った口を歪ませ、
「野郎ッ!?」
 横に、ズレた。その位置ではギリギリ罠にはかからない、スイッチを押したとしても身体の三分の一以上がはみ出てしまい、あっさり破壊されてしまう。
 鈍重な外見、単純な仕草に騙されていたのか、と権藤は歯噛みした。まさか自分と視線を交わして全てを見破ったというなら、その理知、狡猾さは到底獣のそれではない。
「権藤一佐、逃げろッ!!」
「おぉおおっ!?」
 デットンの視界には既に追い続けてきた鐘はいない。そもそも敢えてこちらの囮作戦に乗ってきたという可能性すら出てきた。理由は、無論アルトルージュの邪魔をする小煩い蠅を一掃するためだ。
 咄嗟に横っ飛びに避けた権藤の頭上を、デットンの尻尾が凄まじい勢いで通り過ぎていった。直撃したら即死、ミンチになる事請け合いだ。
「クソッ、あの野郎間抜けなツラした分際で……」
「権藤一佐!!」
 鐘の悲痛な叫びに、ハッとなり視線を巡らせた時にはもう遅かった。デットンの尾で薙ぎ払われた木々が、幾千の木片となって権藤に襲いかかった。
「ぐぁあっ!」
 不幸中の幸いか、木片が突き刺さるようなことは無かったものの、身体の数ヶ所を痛打され権藤はその場に倒れた。
 それを見逃すデットンではない。
「いかんッ!」
 頭を振り下ろし、その大口で今にも権藤を噛み殺そうとしていたデットンへ、バルスキーが特攻した。渾身のショルダータックルが頬にぶち当たり、かろうじて権藤から逸らすことに成功する。
 が、これ以上は最早打つ手がない。
「ぐ、むぅ」
 権藤を抱えて逃げようと試みたバルスキーを、デットンが嘲るように見下ろしていた。どこへ逃げても一撃で叩き壊してやる――そう宣告しているかのようだ。
「万事休す――」
「にはっ、まだ早いよッ!!」
 救世主の声が、公園中に響く。
 諦めかけていたバルスキーと権藤を鼓舞した声の主は、今まさに光の矢となっていた。
「なっ!?」
「ライダァアアアアアアアアアアアッ!!」
 驚き、首を回したデットンの視界をくぐり、仮面ライダーサツキが必殺の蹴りを怪獣の脇腹へ喰らわせる。
「キィイイイイイイイイイック!!」
 ライダーシステムの全エネルギーを集束させたその蹴りは、それでも怪獣を一撃で倒すには力が足りな過ぎた。しかし倒せずとも、急激な方向転換で崩れていた体勢をすっ転ばせるには充分。
 そしてデットンが転倒した位置は、
「ドンピシャ!!」
 電磁ネットの完全な範囲内。木片にしこたま身体を痛打されながらも離さなかったスイッチを、遂に権藤が押した。
 途端、戸惑うデットンの全身を電磁ネットが覆い、倒れたままその場に縫い付ける。
「よ、よし……今が、絶好の、勝機……」
 ここを逃せば機会は無い。なのに、この土壇場で権藤も、バルスキーも、蓄積したダメージが深過ぎた。
 銃口に特殊弾を発射機構ごと取り付け、捕縛され動けずにいるデットンのどこにでもいいから命中させるだけ。ただそれだけで決着がつくのに、手が動かない。視界がブレる。
「権藤一佐! バルスキー氏!」
 今、二人の一番近くにいるのはこれもやはり全力疾走で疲労の極みにあった鐘だった。他には誰もいない。全力でライダーキックをぶちかましたさつきは距離が遠い。
「飛び道具は得意でもないのだが……致し方あるまい」
 せめて綾子や桜なら自分よりマシだったろうにと愚痴っても詮無い。権藤から銃を受け取って自分が撃とうと、乳酸でパンパンに膨れた脚に鞭打って駆け寄ろうとした鐘よりも先に、権藤の傍らにしゃがみ込んだ者がいた。
「……こいつを撃てばいいンスね?」
「おめぇ……無事、だったか」
 有彦だった。
 崩落した瓦礫の中からさつきに救出され、こちらも満身創痍だ。怪我の度合的には権藤とどっこい、むしろ彼の方が酷いかも知れない。
 それでも、有彦は静謐と澄んだ眼で、『コイツだけは自分に討たせて欲しい』と告げていた。
 ケジメ、なのだ。
 家族を奪った怪獣と同種の存在に対する復讐心、憎恨は消せはしない。一人で突っ走って皆に迷惑をかけたという申し訳なさも、身体を突き動かした。
 陳腐な正義感もある。自分のような人を増やしたくないという想いも、志貴やさつきへの友情も、他の皆への義理も、ごっちゃになった感情が、傷つき疲れた身体にそれでも最後の力を与えてくれていた。
 あの日、テレスドンに家族を殺され姉と二人だけで生き延びてしまった日以来、自分の人生はただの余録のように有彦は感じていた。死に損なってしまった自分は、ただ薄ボンヤリとしながらやがてゆっくりと死んでいくんだ、なんて考えていた時期もあった。
 だが、
「有彦さん……」
 不安げなななこの頭を軽く叩き、権藤から銃を受け取る。
 これは生きているからこそ、出来ることだ。
「……いい、か。どこでも、いい。アイツの身体に、お前の手で……ブチ込んでやれ」
「どこでも?」
「おう。化物に効く、特効薬ってやつだ。……どうせなら、あのツラに……馬鹿みてぇに開けた口にでも、な」
 それだけだった。恨みを晴らせ、とも、人々を救え、とも権藤は言わなかった。彼も怪獣に色々なものを奪われ続けながら、生きて戦い続けてき男だ。
 だから、余分なことは言わない。ただ託す。
 そして有彦も頷き、応じた。託された。
「テメェには散々振り回されたけど、こいつでお別れだ」
 電磁ネットを破ろうと、デットンが暴れ回る。そのせいで地面は揺れ、立っていることすら難しい。これだけ大きな的でも外してしまいかねない。
 去来するものは、そんなデットン以上に大きかった。
 目の前でのたうつ怪獣は、全ての始まりだった。余録の人生は、けれど悪くない事も中にはあった。テレスドンによる怪獣災害がなければ、志貴やさつきと出会うこともなかったはずだ。
(憎たらしいのは変わらないけどな)
 振り返ったのは、時間にしてみればほんの刹那だった。
「小僧っ!!」
 権藤が叫ぶ。デットンの口が灼熱し、赤々とマグマのような熱線が放たれていた。同種であるテレスドンは記録の上では熱線を吐いてはいなかったはずなのに、権藤はその点を楽観しすぎていたことを悔やんだ。まさかの、奥の手だ。
「ぐっ!」
 頬を焼けつく風が撫でていく。電磁ネットが幸いしたのか、デットンの吐いた熱線は命中こそしなかったものの、熱風は有彦の視界を焼いていて――
「有彦さんっ!」
 ――いなかった。
「な、ななこ!?」
 咄嗟に飛び出したななこが、有彦の頭を抱え込むようにして熱風を遮断していたのだ。半霊体と言えども熱風をある程度遮るくらいならば、出来る。
「い、今ですよぉ!」
 ななこの叱咤が、響いた。
 まだ熱い。眼が渇き、視界がぼやけそうになる。
 そんな状態で、有彦の手はピタリとデットンへ照準を合わせていた。極限の集中力、前後数秒しただけでも崩れていたであろうタイミングが、完璧に重なる。。
 後はもう、簡単だった。
「色々考えてみたけど、さっさと終わらせて、遠野とさっちん誘って飯でも食いに行きたいんだよ……オレは」
 あんなにも憎かった相手にいざトドメを、決して外してはならない一撃を与えようというのに。呆気ないほど平然と、有彦は引鉄を引いていた。
「クスリは注射より飲むのに限るぜ……テレスドン!」
 畜生、と。
 デットンがそう叫んだかのように見えた。叫んだ大きな口の中へ、無重力弾が吸い込まれていく。
 命中。
 前後して、電磁ネットがついに破けた。
 権藤もバルスキーも、それに鐘も戦いの顛末を見届けるべくデットンを見上げていた。それだけでなく、楓と鐘が駆け抜けたのを見ていた人々も今またシェルターから顔を出し、宙を見上げていた。
 デットンの身体が風船のように浮かんでいく。怪獣の巨体が、何かの冗談のようだ。
 そのまま上空までフワフワと浮かび、浮かび……宇宙にまで飛んでいってしまうのではないか、と誰もがそんな事を考え始めた瞬間、
「あっ」
 見上げる人々が思わず声をあげていた。
 空高く浮かび上がったデットンは、最期は本当に風船のように膨れ上がり、ポンッ、と弾けていた。
 粉々になった肉片が周囲に降り注ぐのを、誰しもが呆然と見つめている。
「……飯……肉類は、やめとくかぁ」
 ボソッと呟き、有彦はその場に大の字で寝っ転がった。
 一方、公園からやや離れたシェルターの出入り口付近で結末を見届けていた楓はゲンナリと顔を顰めていた。
「きっちゃない花火だったなぁ」
 だがこれで、一つは脅威が去った。
 自分達の手で勝ち取ったのだ。
 明るい空気が広がっていくのを感じながら、楓は満面の笑みを浮かべていた。








〜to be Continued〜






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