episode-19
〜破壊の月姫〜
Part 3 咆吼―悲泣―


◆    ◆    ◆






 コスモスの呼びかけに応えるべく、高速で冬木上空まで到達しようとしていたモスラは不意に凶険な気配を察知して大きく旋回した。そのつい先程まで飛んでいた軌道を、禍々しい色の光が通り過ぎていく。
 襲来したのは、因敵だ。
 続けて光線を乱射しながら、今度こそ決着をつけてやるとばかりにモスラへ躍り掛かった巨大な影は言うまでもなく、バトラのものだった。
 二度、三度と互いの翼が交差し、それでもあくまで冬木へと急行せんとするモスラをバトラは執拗に攻め立てた。何しろ彼は一万二千年もの長きに渡り渇望し続けてきたのだ。
 地球生命の代行者として、環境守護のために害虫を駆逐するべく産み出された大蛾破壊獣の誇りをかつて粉々に打ち砕いた――あろう事か、滅ぼすべき対象であるノンマルトに産み出され、今また愚かな人類を守るために戦う――存在を、バトラが許すはずもない。
 引き連れてきたギャオスとレギオンの一団にはそのままモスラに先行して冬木を蹂躙するよう命じ、バトラはモスラを挑発するようにその鋭い牙をカチ鳴らした。
 ――貴様が守ろうとしている卑小な存在など、ズタズタに引き裂いてくれる!! ――
 黒い意思がバトラを突き動かしていた。
 なのに、モスラはそんなバトラを気にも止めていないかのようにギャオス達へと向かった。大量の鱗粉をばら撒き、見事にギャオス達を包み込んだかと思うとそこにビームを叩き込んで乱反射させ、凶鳥の群れを焼き払う。
 金城鉄壁なモスラの守りはバトラの逆鱗に触れた。
 自分が、地球側の空の帝王たる大蛾破壊獣バトラが目の前にいるというのに、そのような雑魚共の相手をばかりしている暇があるのか、何故自分と戦わないのだ……バトラは、そう吼えた。
 憎き好敵手、命懸けで戦うに足る相手、かつて自分を倒し封印した者……だと言うのに。
 戦え! とバトラは叫んだ。
 自分と戦え。人類も地球意思も関係ない、ただ自分と死力を尽くして戦え、と。
 しかしモスラは応えない。
 迫り来るギャオスとレギオンを冬木に近付けまいぞと不退転の覚悟で宙空を舞い踊る。
 極彩色の羽がギャオスの首を打ち、レギオンの水晶殻を砕いた。鱗粉に乱反射されるビームはその場に結界を形作り、突破を決して許さない。
 猛り狂うバトラが、射線上にいるギャオスを構わず焼き払いながらモスラ目掛けて光線を撃ちまくる。
 地獄の様相を呈しながら、天空で繰り広げられる極彩色の決戦を、地上の人々が知ることはなかった。





◆    ◆    ◆






「あぅっ!」
「リズ!?」
 ヘラクレスの苛烈な攻撃を、これまでかろうじて防ぎ続けてきたリズだったが、ついに耐えきれず吹き飛ばされた。
 専用のハルバードは既に刃こぼれが激しく、柄の部分も所々が凹み、拉げている。それでも大英雄の攻撃を受け止め続けてくれたのだから、アインツベルンの技術は真実驚嘆すべきものだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……大丈夫」
 駆け寄り、手当しようとする桜を手で制し、壊れかけのハルバードを手にリズは再びヘラクレスへと挑んでいく。
 士郎は圧倒的な技量差の前に近付くことすらままならず、志貴は直死の魔眼でヘラクレスのような高位存在を視るのは今や命に関わるためか動き回って攪乱に専念していた。シオンは時折牽制と足止めにバレルレプリカを撃ち、エーテライトでせめて手足を絡め取ろうと画策するも上手くはいかず、結局はセイバーとリズが頼みの綱だった。
 リズがヘラクレスの攻撃を受け、捌き、セイバーが攻める。それ以外に、手が無い。
「クソッ! どけよ!」
 悪態を吐きながら干将莫耶で斬りかかった士郎だったが、またも斧剣の一閃で容易く薙ぎ払われてしまった。そんな攻防をもう何度繰り返しただろうか。いくらギリシャ神話最大最強の英雄だからと言っても強すぎる。一向につけ入る隙が見あたらない。
「正面からやり合うだけじゃ、無理よ……」
 時間ばかりが過ぎていく焦燥の中で、凛はひたすら考え続けていた。ヘラクレスを倒す方法。英霊を倒しうる方法があるとすれば、それは神話の中にこそある。今なお伝わり続ける英雄達の弱点、非業の最期こそが唯一勝因となり得るのだ。
「搦め手でいい……何か、一つくらい……神話の中で大英雄ヘラクレスはどうやって最期を迎えた?」
 無敵を誇ったヘラクレスの死の要因となったもの。それはケンタウロス、ネッソスの血に含まれていた猛毒だ。ヘラクレスの妻デイアネイラは夫の心変わりを怖れるあまり、自分の血は媚薬になると言い遺したネッソスに騙され、結果その血に含まれていた猛毒によって夫を死なせる羽目になってしまった。
 毒に冒されたヘラクレスは自身の最期を悟り自決に近い形で火葬され死んだとされているが、ケンタウロスの血液など凛が持っているはずもない。
 では、必要なのは毒だ。もしくは毒の替わりとなるもの。
 英霊はルールから逃れられない。人々の信仰を存在の糧としている以上、神話の中の約束、決まり事は絶対だ。
「毒……毒になるもの。大英雄にすら致命傷を与えるだけの……そんなもの、こんな所にあるわけが――!」
「ぐぁああっ!」
「シロウ!?」
 跳ね飛ばされた士郎が凛の目の前に転がる。全身傷だらけだ。見れば、セイバーもリズも身体中至る所から血を流している。けれどそれはただの血で、毒では無い。
 ただの血ではなく、毒素を持つ血が――
「……あった」
「遠坂?」
 ポツリと呟いた凛は、立ち上がってまたもヘラクレスに無謀な特攻を仕掛けようとしていた士郎の手を掴んでいた。
「これなら……ヘラクレスを倒せるかも知れない……!」



「フンッ!」
 気合一閃、斧剣が聖剣を跳ね上げ、ガラ空きになったセイバーの小さな胴へとヘラクレスの足がめり込む。
「ぐ、うぅッ!?」
 内臓をグチャグチャにされたかの如き痛みに顔を顰めながら、セイバーはかろうじてその場に踏み止まった。
 リズのダメージももはや限界に近い。となれば前戦で剣を振るえるのは、もはや自分だけなのだ。自分が倒れたら、ここで全滅してしまう。イリヤを救うことは出来ず、聖杯の力さえ手に入れたアルトルージュはそのまま人類を滅ぼしてしまうかも知れない。
「生前よりも……随分と背にしたものが大きな戦いになってしまいましたね……く、……こふッ」
 自国の繁栄どころかよもや人類全ての命運を懸けて戦う日が来ようとは、思ってもみなかった。
 セイバー自身、今の人間の有り様が正しいとは思えない。
 正されるべき部分は多々あるし、破壊され尽くされた地球環境からの糾弾ももっともだ。それでも滅ぶべきとは思えないのは、今ここでこうして戦っている仲間達のような人間がいるからこそ。彼らのような者がまだいる限り、そこに希望は残されているはずなのだと、セイバーは信じていた。
 全てを諦め、絶望し、消し去ってしまう権利などそれがたとえ地球にでも、無い。生みの親だから子供を好きにしていいというのは、間違っている。
 子殺しをやってのけた自分が言えた義理ではないのかも知れないな、と苦々しく感じつつも、セイバーは脳天目掛けて振り下ろされた斧剣を避け、ヘラクレスの脚の腱へと聖剣を走らせた。
 ロングソードが聖剣と腱の間に突き下ろされ、すんでのところで防がれてしまったがその隙に今度はリズが袈裟懸けの一撃を見舞い、シオンの放った銃弾が巨漢の肩を撃つ。
「……そうまでして、ヒトを守りたいか、アーサー王。リーゼリット」
「是非も無し!」
「ヒトを、じゃなくて……リズは、イリヤを守る……!」
 不意に投げかけられた問いに、セイバーもリズも迷うことなく即答していた。
「そうか……」
 ヘラクレスの反応に、セイバーはこうして剣を交えながらずっと違和感があった。自分もリズもよく戦ってはいるが、彼の力量は桁外れだ。正直、士郎や志貴、シオンを前衛二人の間隙を突いて斬り伏せる余裕など幾らでもあったはず。
 なのに彼はそれをしようとはしなかった。質問も含め、まるで試されているかのようだ。
 とは言え殺気はある。一撃一撃に込められた裂帛の闘気は僅かにでも気を抜けばセイバーとリズの身体を瞬時に打ち砕くだろう。
(ならば何故……ヘラクレスよ、貴方は何をしたいのだ)
 わからない。わからないが、考えている暇はやはり無い。
「ふぅンッ!」
「ッ! ちぃやぁああああ!!」
 斬り下ろされた斧剣を跳ね上げ、跳躍。返す刀で首筋を狙う。体格差がありすぎて上半身の急所は狙いづらいが、だからこそ狙える時には積極的に狙うべきだ。人体急所への攻撃は否応なく相手も集中させられ、消耗する。
(何か決め手が……もう一枚、札が欲しい)
 死ぬ気で挑みかかれば自身騎士王と呼ばれた英傑、ヘラクレスを討つことを決して不可能とは言えまい。しかしこれが守るための、救うための戦いである以上相打ちは敗北と同義だ。ここでセイバーが引き分けたところで、自陣営の戦力上今後の激闘をくぐり抜けられるとは思えない。生き延び、全員を囚われのイリヤの元へと辿り着かせ、彼女を救い出してこその勝利なのだ。
(だが、温存して勝てる相手ではない……か)
 不本意ながら、賭けに出るしかない。
「はぁあああっ!!」
「むっ」
 小手先の技に頼らぬ全力斬撃。セイバー本来の、戦場で錬磨された剛なる剣がヘラクレスに襲いかかった。
 この類の攻撃は容易く回避出来るものではない。下がれば踏み込まれ、避ければ喰らいつかれる。全力は全力でもって弾くしかないと瞬時に判断したヘラクレスは、まとわりついていたリズを押し返し、膂力を爆発させて斧剣を跳ね上げた。
「たぁああっ!!」
「!」
 騎士王の斬撃と大英雄の防撃とがぶつかり合い、文字通り火花が散った。
「ぐ、うぅ」
 手の痺れに改めてヘラクレスの力を思い知らされ、セイバーは下唇を噛んだ。
(その気になれば相打ちも可能……とは些か自信が過剰すぎたかも知れない……ですが……ッ!)
 ヘラクレスも同様、野太い指が痙攣している。あれでは続く攻撃は受けられまい。
「おぉおおお!!」
 志貴と士郎が、地を蹴っていた。今以上の好機は無く、それを逃す彼らでもなかった。
 しかし残念ながら、決死の一撃であってもヘラクレスとの間には埋めがたい差が歴然として存在した。セイバーの一撃は回避不可でも、二人の青年の攻撃は受け止めるまでもない。
 ヘラクレスの巨躯がその場からさして動くでもなく、信じられない軽やかさでもって干将莫耶、さらに七夜の一閃を避けた。
 ここまでは、セイバーも織り込み済みだ。その上で彼女が賭けたのは、いまだ体勢が整っていないリズでもなく、シオンの銃撃だった。ヘラクレス程の超抜技巧者なら志貴と士郎の攻撃を大きな挙動で回避するとは思っていなかったし、必要最低限の動作で避けた直後、まさかの中距離からの精密射撃ならばまだ彼の隙を突く可能性が高いのではないかと、セイバーはそこに賭けたのだ。
 結果として、シオンはその期待に最大限応えたと言える。
 ヘラクレスも決して射手の存在を忘れていたわけでも、軽視していたわけでもなかった。斧剣を持つ手にはまだ痺れが残っていたが、ロングソードを握る左手は無事だ。その気になれば銃弾を叩き斬る自信もあった。
「……ぬぅ!」
 シオンの構えたバレルレプリカが火を噴いたのと同時に、ヘラクレスはその軌道を見切り左手を動かした。正しくは、動かそうとした。
 なのに、ほんの僅か、抵抗があった。志貴と士郎の攻撃を回避した際の一瞬の隙を縫って、シオンがエーテライトをロングソードの柄本に巻き付かせていたのだ。
「おぉおお!」
 ヘラクレスの怪力に対し、エーテライトも、またそれを操るシオンも非力が過ぎた。たった一秒も彼の動きを止めることはかなわず、けれど刹那、精確無比な動きを阻害するのには成功していた。
 本来なら弾丸を真っ二つにしていたろうロングソードの斬撃は、その四分の一ほどを削り取って軌道を逸らしたにとどまった。そして、軌道を逸らされた弾丸がヘラクレスの眉間ではなくこめかみを掠り、そのほんの微かな痛みに意識が集中したほんの刹那――
「……お前、は……」
 そこに、意識外から一撃した者がいた。
 一撃の正体は、ただの護身用のナイフ。魔術の儀式に用いる儀礼用のもので、攻撃力などヘラクレスの分厚い筋肉の鎧の前には皆無に等しい。巨象に針を刺すが如し、だ。
 そう、ナイフの一撃程度では、大英雄ヘラクレスが地に臥せる道理は無かった。
「ぐぁ……あっ」
 が、凛が彼の皮膚を浅く切ったナイフの刃には、かつて彼が死ぬ最大の要因となり得たケンタウロスの毒をも凌ぐ猛毒が微量ながら塗られていた。
「……どう、かしら。ヘラクレス」
 大英雄の巨体が膝を突いた。
 ほんの掠り傷が、しかしこの英霊には致命傷となる。
 称賛の意を込めて、ヘラクレスは凛へ向けて野太い笑みを浮かべた。
「……見事、と言う他無いな。完全に、虚を突かれた」
 対し、凛は自分の手柄ではない、と首を横に振った。
「セイバーと、それに他のみんなのおかげよ。あの一瞬、シオン・エルトナムの弾丸が掠めてなかったらわたしの気配くらい、気付かれていたでしょうし」
「それでも、あの機会を逃さなかったのはお前の手柄だ。これは……毒、か。……ただの、毒ではないな?」
 この期に及んでヘラクレスの口調も表情も穏やかなもので、やや拍子抜けしながら凛は回答した。
「ええ。……かつて、斬り落とされた首から流れ落ちた血の雫が砂漠に染み込み、数多のサソリや毒蛇を誕生させたと伝えられる、メドゥーサの血よ」
 さして驚いた様子も無く、そうか、と納得するとヘラクレスは全身から力を抜いた。そこにはもう殺気も闘気も感じ取れない。
「もっとも、今のライダーの血には特に毒素なんて含まれてはいなかったから、彼女と桜の魔術で細工はしたけどね。けど重要なのは、魔獣の属性を持った毒という事実。……そうでしょう?」
「この状態で血を絞られるのは良い気はしませんでしたが、まぁやむを得ませんね」
 生首状態のライダーを一瞥してから、ヘラクレスは低く喉を鳴らして破顔した。
「ク、クク……メドゥーサと言えば石化の魔眼やペガサスにばかり気をとられすぎていたか。……そう、だな。小賢しいネッソス如きの毒よりも、何倍も堪える」
 そのまま小さく肩を震わせ、柳洞寺方面を指し示す。
「……行くがいい。この先にいるのは、黒騎士リィゾと魔術師メディア、アルトルージュ・ブリュンスタッドの三人。それと……イリヤスフィールだ」
 イリヤの名を呟いた時だけ声が揺れたのを、皆聞き逃しはしなかった。誰も不思議ではあったのだ。ヘラクレスの攻撃は苛烈を極める一方で、決定打となるものは一つも無かった。
 セイバーはまだしも志貴や士郎などは戦闘の余波、余録で大怪我を負わされていてもなんら不思議はなかったというのに。最後までそのような真似には及ばなかったのだ。
「ヘラクレス……貴方は、イリヤを」
「言葉も、理性も奪われてなお、記憶はある。……半年前、私はあの少女を守ると誓い、果たせなかった。だがその約定を果たしたかった反面、迷っていたのも事実だ。アルトルージュ・ブリュンスタッドには狂気を感じるが、彼女を通した地球の言い分は間違ってはいない……違うか?」
 セイバーもライダーも、沈黙を持って返すしかなかった。
 是、と感じ入る部分は大きい。けれど肯定だけでなく、否定もしかねる。英霊としてはヘラクレスの選択は決して間違いではなく、反して二人は個人として正しいと信じる選択をした、その差は大きい。
 しかし結局は、彼は捨てられなかったのだろう。
 あの小さな少女の、白い手を。
「彼女に与すれば、少なくとも人類が今以上にその誇りを地にまみれさせることはない。我々も、英雄として……人類史ではなく、この地球の歴史に魂を刻まれ続ける。……英雄は、ヒトの誇りと尊厳、理想の体現で在らねばならぬのだ」
「ですが、それは」
 セイバーの言葉を遮り、わかっている、と言いたげに瞑目してヘラクレスは重々しく息を吐いた。
「……まだ、迷ってはいる。だがイリヤスフィールは、守らなければならない」
 その複雑な胸中を察し、セイバーは小さく頭を下げた。
「アルトルージュの本意はわからぬが、状況は聖杯としてのイリヤスフィールを欲している。この黒雲と、聞こえてくる怪獣の咆吼は間違いなく何かがあったのだろう。……気をつけて、急ぐがいい」
「はい。……では、我々は必ずイリヤを――」
 言いかけて、セイバーは背後に聖剣を一閃させた。
「ギィ!」
 耳障りな奇声を発し、白い髑髏を模した面を着けた暗殺者が攻撃を弾かれて飛び退る。
「ハサン・サッバーハ……!」
 気配を遮断して近付いたのだろう。見れば、周囲は無数のハサン達に囲まれていた。おそらくは百の貌を持つハサンの残存戦力と、それ以外のハサン数名による混成部隊だ。明らかに実力の異なる気配を発している者が紛れている。
 ここは遮蔽物が多く、無数無類の暗殺者の集団を相手にするには危険極まりない場所だった。特に百の貌のハサンはあくまで群体であり表面上判別出来る個については生死を省みようとしない。つまり最大の遮蔽として、ハサンがハサンの中に潜んでいるようなものだ。
「……退路は元よりありませんが、どうしますか、シオン・エルトナム」
 セイバーの言葉には、自分を足止めとしてここに置いて行けという響きが含まれていた。確かに、その役を任せられるのはこの場にはセイバー以外にはいない。
 苦渋の選択だ。情を捨て、自己の能力を最大限駆使して計算しても最良の答えをシオンは出せずにいた。先のセイバーと同様、もう一枚札が欲しいのだ。それも、事態を覆しうる決定的な鬼札が。
 しかしどれほど才覚に恵まれようとも、シオンは錬金術師だ。専門が異なるからとかそういった問題ではなく、無から有を生み出すことは出来ない。
 結局、最良とも言えぬまでも今とることが出来る唯一と言える策を選ぶしかなかった。
「……セイバー、この場は、貴女に――」
 その決断を遮るように、立ち上がった者がいた。
「……征け」
「ヘラクレス……!?」
 猛毒に冒されているはずの大英雄はつい先程までの死闘となんら変わる様子も無く立ち上がり、斧剣を振るってハサン達を牽制した。
 何故そのような真似を、いったい何のつもりなのか、と尋ねることは出来なかった。また問うたところで答えが返ってくることは無かったろう。
 理由などヘラクレスの背中が雄弁と語っている。それで充分過ぎる。
 無言のやり取りの中に全てが込められていた。頼む、だとか、どうか無事に、と言葉をかける事も出来ない。胸中でイリヤの救出を誓うしか、出来るわけがないのだ。
「……バーサーカー」
 最後までその場から離れがたそうにしていたリズもついには背を向け、走り去っていった。その後を追おうと微動したハサンの胸に、ヘラクレスの投擲した短剣が突き刺さる。
 大英雄と暗殺者、あまりに立場を異としながらも英霊としてアルトルージュに召喚された者同士の戦いは、かくも静かに幕を開けた。





◆    ◆    ◆






 進撃の順調さがむしろ不気味に過ぎて、ツィタデルの操縦室でメレムは彼にしては珍しく身体を揺すりながら苦虫を噛み潰していた。
「……あーあー嫌だ嫌だ。本当に嫌な気分だ」
「あの黒雲ですか? ……確かに、異常な魔力値を検出してはいますが、まだアレが何なのか、アルトルージュの仕業によるものかどうかも決まったわけでは……」
 チッチッと舌打ちし、メレムは人差し指を揺らした。
「だから嫌なんだよ。ボクの与り知らない所で次々と事態が推移し続けるってのはね、なかなか気分が悪いものだよメガドロンくん」
「そういうものですか」
「そうなの。ボクはほら、黒幕的立場が似合うだろ?」
 そう言われても、正直メガドロンにはそうは思えなかった。
 特にメレムに対して含むところは無いし彼を器で無いと軽んじるつもりもないのだが、黒幕や大御所的な立場に収まるような人物でもない。
 もっともそれは言葉の綾というもので、メレムとしても自分を黒幕やラスボス的な役に位置づけるつもりはない。ただやはり道化というものは、盤上あらゆる駒や情勢を知りつつそれらを嘲り、引っかき回して遊ぶものだ。メレム・ソロモンの、それが美学だった。
 要するに、黒雲からもたらされる不吉なイメージ、アルトルージュへの忌避感と嫌悪感、不鮮明に過ぎる混迷した事態、さらにそれに対して自分がどう言い訳しようともやはり焦燥を禁じ得ていないのだという事実が、この吸血少年を不機嫌にさせていた。
「これじゃボクまでただの駒だ。違うんだなぁ、そうじゃないんだよ。もっと外から盤上を監察してほくそ笑んでいたいんだ。どんな時でも俯瞰的立ち位置から動きたくないんだよ。わかるかなぁ」
「まぁ自分はそもそも駒として作られていますからな」
「それもそうか。となると真逆の存在がこうして呉越同舟してるって考えればやっぱりおもしろいのかもねぇ」
 と、そんなやりとりを交わしていたところにダーバーボがミサイル頭を揺らしながら操縦室へと駆け込んできた。それにしても、重機甲兵軍団の軍団員は頭やら肩に物騒な装備をつけたまま行動しているのでもし今の勢いで思いっきり入口に頭でもぶつけようものならツィタデルごと自分達は粉々に吹き飛んでしまうのではないか、と心配になってメレムは身震いした。……或いは、道化者の最期としてはそれもおもしろいのかも知れない。
「どうかしたのか」
「ハッ! 権藤一佐よりたった今連絡が入りました。冬木市内に出現していたアルトルージュ陣営の怪獣は殆どがゴジラによって倒され、市内に残っていた最後と思われる一頭も一佐達が撃破したとのことです」
「ウハッ。流石にやるねぇ権藤一佐!」
 ここにきて愉快な報告にメレムは大喜びで全身を揺すりながら柏手を打ち鳴らした。
「あの真っ黒お姫様が普通の思考の持ち主なら顔真っ赤にして怒ってるとこだろうなぁ。ただの人間に怪獣をブッ倒されたなんてさ!」
「その言い様ですと、普通でないから怒ってはいない、と?」
 メガドロンとしては至極真っ当に敵首魁が怒り狂って平静さを失ってくれるのを期待したかったのだろう。ともあれ、残念ながらそれはアルトルージュのような異物には当てはまらないのだ。
「前にも言ったかも知れないけど、アレがもし普通の存在ならボクはもっと気楽に道化をやってられるのさ。普通じゃないから逆にボクが普通に行動する羽目になる。こいつは悲惨だなこと極まりないよ?」
 本心から現状が苦痛なのだろう。
 一応『はぁ、お察しします』と気のない返事をしておいて、メガドロンは冬木の新都市街方面ではなく深山町、柳洞寺方面へ全部隊の進路を変更させようとした。
 が、そこで今度は別口から通信が入った。
『メガドロン、メレム・ソロモン』
「おっとユウキ少佐。どうしたんだい? ゴジラはやっぱりそっちだったんだろ?」
『おう。確かにゴジラはいた。いたが……』
 何を言い淀んでいるのか、結城の反応が渋い。気を持たされるのはメレムとしては嫌いではないが、今は違っていた。
「不測の事態……なんか、起こった? 出来ればボクとしては少佐よりもアカネちゃんの口から聞きたいんだけどね」
『くだらない冗談につき合ってる暇はないわ』
 それでもちゃんと口をきいてくれるのだから茜も優しいものだ。そのささやかな優しさで喉を潤してから、メレムは不測の事態とやらについて耳を傾けた。
『ゴジラと交戦してる赤黒い怪獣……怪獣のように見えるが、……クソッ、どう言えばいいんだろうな』
「ハッキリと怪獣、ってワケじゃないのかい?」
 もっとも、ハッキリとした怪獣という定義付けがそもそも難しい。それが常識外の生物であるならばどのような相手でも怪獣と呼ばれて当然な気もするし、けれどそれは極論でもある。対怪獣戦では権藤に並んで歴戦のエースである結城がそんな事を理解していないとも思えなかったので、彼をして判断に苦しむ相手なのだろう。
『どっちかってーとアンタ達の領分に引っかかりそうなヤツだ。そんなのが、ゴジラと交戦中だ。それもゴジラを圧しながら、町の方に出ようとしてやがる』
「町の方に?」
 進軍すべきか迎え撃つべきか、メレムとメガドロンは改めて顔を突き合わせることとなった。



 不明瞭な通信内容に一番不満があったのは、他ならぬ結城自身だった。が、それにしても……
「なんてぇおぞましさだ」
 その一言に尽きるのだ。
 ゴジラと相対している赤黒い怪獣の外見は、まさに悪鬼か悪魔そのものと言えた。死徒二七祖という化物の筆頭を名乗るメレムの、少なくとも外見的な可愛さとは段違いだ。見た目にここまで不快感を与え、おそらくは一般の市民なら視界に収めただけで恐怖に苛まれるだろう、そんな悪感情しか湧いてこないのだ。
(俺も……おそらくは怖ぇんだな、アレが)
 恐怖を認めない軍人など戦場では真っ先に死ぬ。
 結城はゴジラが怖い。アレがどれほど怖ろしい存在か、権藤と並んで世界でもっともよく知る軍人ではないか――正確には権藤は軍属ではないのだが――と自認している。
 しかしあの赤黒い怪獣には、それとはまったく別ベクトルの恐怖を感じるのだ。
「家城、お前さんは大丈夫か?」
「は、はい。……問題、ありません」
 茜も結城とさして変わらぬのだろう。ハッキリと顔色が悪い。ゴジラ相手にも一歩も退かない特自一の女傑がこうまで怯えるのだから、やはりアレには何かあるのだ。
(問題は、その“何か”の正体なんだが……)
 時折影のように流動する赤黒い怪獣は、非生物的なものを感じさせる。怪獣に感じる野生の息遣い、脈動のようなものをアレからは驚くくらい感じられない。全身の血管を血が流れ動いているのではなく、全身がそのまま血の詰まった巨大な肉袋のような……結城が受けた印象をまとめると、そのような感じだった。
「魔術的な存在なんだとしたら……ガルーダで攻撃しても効果があるかどうか怪しいモンだな」
「……ゴジラを援護するんですか?」
 ごく自然に赤黒い怪獣の方を攻撃するつもりでいるような結城の口振りに、茜が不満そうに述べた。
「別にゴジラを援護する気なんざサラサラ無いが……家城よ、あっちの方からどうにも嫌な感じがしてこないか? 全身をナメクジかヒルにでもに這い回られてるような……そう、まさにヒルだな。皮膚を這い回って、貼りついて、たらふく血を吸って太り肥えた、ヒルの化物だ。俺の目にはヤツがそう見えて仕方がねぇ」
 ゴジラ憎しの感情を論ずるなら、結城のそれは茜と比するべくも無い。しかしそんな結城をして、今はあの赤黒い方が危険なのだと本能が告げていた。
 ゴジラへの恨みは深いが、それでも結城の本性はやはり軍人なのだ。その辺の割り切りは茜よりも出来ている。むしろ茜が傍にいるから余計にそう自重せざるを得なかった。
「……私も、アレからはとても嫌なモノを感じます。多分、結城少佐と同じです。……東京で見たレギオンに近いような、そんな不気味さがある……放置していては危ない……です、けど……」
 それでも、結果的にゴジラを援護するというのにはやはり抵抗があるのだろう。その若さを苦く思う反面、乗ってやりたい、乗りたい、と考えてしまう自分を結城は懸命に自制しようとした。
 赤黒い怪獣を援護してゴジラを倒しては、取り返しのつかない事が起こりそうな気がしてならないのだ。
「……まぁ、いい。ひとまず撃つぞ。どうやらアイツはゴジラを押して町まで出たがってるようだからな。足止めはしなくちゃならんだろうよ」
「……了解です!」
 何とか理由を設け、二人はガルーダで旋回しつつ攻撃を開始した。





◆    ◆    ◆






 結城と茜の乗ったガルーダが天空を舞い、眼下でのゴジラと赤黒い怪獣との激闘をメレム達に報告していた頃、地上では志貴達が今まさにその戦いを間近に目撃していた。
「巻き込まれでもしたら、冗談じゃないぞ……!」
「撤退しようにも、今さらです」
 志貴の言葉にサラリと返してから、シオンは眉を顰めて巨獣同士の戦闘を見上げた。たった今、ヘラクレスによる予想外の援護でこうしてここまで出てこられたのに、引き返すなど論外だ。とは言え大空洞に向かうのにゴジラ達を避けていては大きく迂回せねばならず、下手をすれば数時間の遅れが出てしまう。
 突き進むか、せめて嵐が過ぎ去るのを隠れてやり過ごすか。
「ガルーダが飛行しているということは、結界に足止めされていた部隊が無事に冬木へと入ったはずです。もう間もなくこちらへも進行してくるでしょうから、そちらが攻撃を開始してくれさえすれば……」
 ただ、重機甲兵軍団の火力で一斉砲撃されてはタイミングを誤れば自分達も吹き飛ばされてしまいかねない。そのため本来なら何とかしてこちらの位置を報告するべきなのだろうが、危険を承知でも今は一刻も早く砲撃してもらい、二頭の怪獣の注意を引き付けて貰う必要があった。
「……うっ、うぅ……」
「大丈夫ですか、桜?」
 気分が悪いのか、口元に手をあてた桜をライダーが不安げに見上げた。
「大、丈夫。何でもないから……でも、あの……ゴジラじゃない方の怪獣を見てたら、凄く気分が悪くなって」
 桜ほどではないにせよ、凛や士郎も顔色が悪い。リズも変化がわかりりづらいがやや調子が悪そうだ。シオンや志貴が平気そうに見えるのは、慣れているのか、元々耐性が強いのかも知れない。ライダー自身は、耐性と慣れの両方だった。
 セイバーもライダーと同様だ。
「確かに……強烈な障気を発していますからね。精神力の弱い、または感受性の強すぎる人間は見ただけで異常をきたすかも知れません。……もし、他にも気分が悪い方がいるようでしたらこの先は危険かも知れない……」
 もっとも、桜が気分が悪いという理由はそれだけではないだろう事に二人は気付いていた。
 上空の黒雲もそうだが、あの赤黒い怪獣を目にした途端、聖杯、それにアルトルージュと性質のよく似た魔力を感知したのだ。
 やはりアルトルージュが聖杯を使用したのだろうと、予てよりの懸念が実現してしまったのを悔やむ反面、では聖杯の器として連れ去られてしまったイリヤは今どうなっているのかを考えると口には出せずにいた。
 もし……最悪の事態として、イリヤが既に亡き者とされてしまっていたとしたら、わざわざこの場のいる全員を命の危険に晒す必要は無くなる。シオンや、それに凛あたりはおそらく考慮に入れているだろう。志貴もそのくらい想定してはいるはずだ。
 しかし士郎と、桜……何よりリズはどうか。
(アルトルージュのイリヤへの執着を考えれば、悪戯に命を奪うようなことは無い……そう思いたいものですが)
 まともな相手なら心理を読めもするが、アルトルージュに関してだけは話が別だ。
 首だけの状態になっても、ライダーはまだ最後の、奥の手を一つだけ残している。桜を守るためならそれを使用することも辞さない覚悟はあるが……
(なるべくなら、使わないに越したことはない……あのような力は、やもすれば桜にも害が及ぶ)
 桜だけでなく、他の皆にも軽々しく命を落として欲しくはない。おそらくは、今が最後の岐路だろう。
 イリヤの生存を信じて突き進むか……それとも、諦めて自分達の身を守ることを優先させるか。
「……もっとも、危険の方が私達を放っておいてはくれませんか」
「ライダー?」
 どうしたの、と桜は抱きかかえたライダーに問おうとして、彼女の視線が険を帯びているのに気付きその先を追った。
「……最後の関門が、出向いてきたようですね」
 ライダーの呟きと前後して、跳び込んできた影をセイバーが迎撃し、志貴が追撃を仕掛けた。
 ハサンとは明らかに異なる、ヘラクレスのものに匹敵する重圧は、まさしくアルトルージュへ至るための最後の関門と呼ぶに相応しい。
「本当に、次から次へと涌いて出てくるわね」
「……主君を害する者でありますれば、みすみすと、見逃すわけにもいきませぬゆえ」
 相も変わらず外見にそぐわぬ言動に、あからさまな不快感を見せたのは因縁深い志貴だった。
「またお前か……リィゾ」
「奇縁でありますな、殺人貴殿」
 激発するのを抑え込みつつ、志貴は目の前に立つ宿敵と、その後衛に位置しているローブ姿の女をどう排するか、意識を境界を超えるギリギリのラインまで殺人者側に近付けつつ短刀を握り直した。
 リィゾに直死が通用しない以上、どんなに悔しくとも自分はあの男にはかなわない。この場においてはセイバーに頼む他無いだろう。
 では彼女を援護するか、それともローブの女を狙うか。
「迷っている暇など、あるのですかな?」
「ッ!」
 いつの間にか踏み込まれていたのか。
 既に幾度となく交戦しておきながら失策だった。そもそも、眼前で大剣を振り翳しているリィゾが先の先をとって仕掛けてきたことに驚きを禁じ得ない。今まではもっと志貴を軽んじ、払いのけるような対処をしてきたというのに。
(……焦っているのか? コイツにとっても、何か不測の事態でも起こっているとでも……)
「志貴ッ!?」
 シオンの絶叫に反応したかのように、志貴はなんとか紙一重でリィゾの初撃を回避していた。
「ほぉ。相変わらず避ける手際はお見事」
「ぬかせよ!」
 リィゾの分厚い肩の筋肉を蹴り、それを踏み台にして一気に跳躍する。そこから、ハッキリとゴジラと赤黒い怪獣との攻防が見えた。
(……アイツ、何なんだ?)
 改めて、赤黒い怪獣の存在が奇異になものに感じられ、志貴は眉間に皺を寄せた。直死の魔眼持ちで在るが故なのか、生命について志貴の感覚は誰よりも鋭敏だ。その鋭敏さが、ハッキリと歪さを伝えてきていた。
 おかしいのだ。
 理屈で説明出来るようなことではない。しかしこうして、黒騎士リィゾという圧倒的な相手が巻き起こす死風に晒されながらだと、魔眼殺し越しとは言え通常の視界とは異なるモノが視えてくる……と言うより、脳に直接訴えかけてくる。
「余所見をしていて、よろしいのですかな?」
「ぐっ!」
 いつの間にか同じ高さまで跳躍してきたリィゾの大剣が横薙ぎに振るわれる。かろうじて短刀と体術により受け流したものの、志貴の身体はそのまま地面へと叩きつけられた。
「おのれ黒騎士!」
「騎士王殿は、そちらにつかれましたか」
「元よりアルトルージュ・ブリュンスタッドに与したつもりも忠誠を誓ったつもりも毛頭無い! 味わわせられた恥辱の礼、させてもらうぞ!!」
 アルトルージュ本人、そしてそこに仕える双璧、リィゾとフィナに対するセイバーの怒りは相当なものだった。
 無理矢理従わせられ、士郎達に刃を向けさせられたのだ。その屈辱は何としても雪がねば騎士としてこの先剣を振るうことなど出来やしない。
「おぉおおおおおっ!!」
「お美しい顔が台無しですぞ、騎士王殿」
 聖剣の一撃を大剣で受け、リィゾは拍子抜けするくらいにあっさりと後ろへ跳んだ。その空いた軌道へと、
「喰らいなさい、アーサー王」
「キャスターか!」
 メディアの放った光弾が雨霰と降り注ぐ。小さくとも一撃一撃が高位の魔獣、幻獣ですら討ち滅ぼせる威力を秘めたそれらは、しかしセイバーの鎧に衝突した途端、熱した鉄板に淡雪を落としたかのように溶け消えた。
「私に魔術は通用しないのだと、忘れたか!?」
 セイバーの対魔力の前には稀代の大魔術師メディアと言えども生半なことでは焦げ目一つつけるのは難しい。それを熟知して敢えて放っているのは、
「フンッ!」
「むっ!」
 軌道上に士郎達がいたため、決して避けないであろうセイバーの足止めが目的だった。
 同じく剛剣の使い手同士なら、やはり単純な筋力、体重の差がものを言う。矮躯の敏捷さを生かせなければセイバーとてリィゾに打ち勝つのは無理だ。
 士郎達もそれを察して方々に散ろうとするが、各個撃破されては意味が無い。まずはどうにかしてメディアを沈黙させる必要があった。
「この弾幕じゃ、近付けないぞ!」
 セイバーが盾になってくれているから助かっているが、メディアの魔弾は凛や桜程度の対魔力ではおそらく一撃たりと耐えられない。
「ならば、こちらも狙撃して……!」
 セイバーに当たらぬよう、シオンの精密射撃がメディアを狙い撃つが、弾丸は障壁によって防がれてしまった。バレルレプリカの魔術礼装としての性能は決して低くはないものの、それでもメディアクラスの魔術師相手では分が悪い。
「接近戦を挑むには、最低でも何発か貰う覚悟が無いと難しいわね」
「……俺があの魔力弾を殺しながら近付く、ってのは――」
「却下です。流石に,いくら何でもあの速度で無数に飛来するものを殺しながらなど無茶が過ぎます」
 シオンにそう窘められながらも、志貴の急く心は他に方法がない以上は強行してみるべきだと覚悟しようとしていた。
 が、その横からやおらリズが腕を引き、
「……えい……!」
 まったく無造作に、けれどとてつもない速度とそれに伴う威力でもってハルバードをぶん投げていた。
 思わず身を硬くしたのはメディアだ。
「ひっ!?」
 弾丸とは質量が異なりすぎている。咄嗟に幾重もの防御障壁を張り巡らせたが、リズのハルバードはアインツベルンの最新魔導技術が込められた傑作だ。ヘラクレスとの激闘により刃はこぼれ、柄は歪みつつも、その一投はメディアの幾重もの障壁を貫き、ついには最後の一枚に半分以上めり込むと、魔女の頬に微かな傷をつけた状態で止まっていた。
「は……はぁ、……はぁ」
 リズによる投擲から一秒にも満たない時間で多重障壁を張り巡らせたメディアの手腕は見事だったが、その代償も大きく、高速で接近してくる志貴に対処が間に合わない。
「まずは貴様から、素っ首貰い受ける!」
「な、あッ!」
 志貴の手、否、全身が一閃し、つい今の今までメディアの細首があった空間を刈り取っていた。
 しかしそこにメディアの首はあらず、長い美しい髪が数本、ヒラヒラと宙を舞う。
 どこに消えた、と周囲を見回す志貴の、足下から唐突に黒い槍が生えていた。
「このッ!?」
「志貴、上ですっ!」
 槍を躱しながら、シオンの声に従って頭上を見上げる。そこには見覚えのある顔があった。
 虚ろな空洞のようにポッカリと空いた目と口の奥に見えるのは流血の紅。血笑を浮かべて佇む漆黒の紳士の姿は、紛れもなくあの夏の夜の悪夢だ。
「そう易々と、殺させるわけにもいかないのでね。彼女の斬刑はまたの機会にご覧ずるとしよう」
「タタリ!?」
 メディアの身体を影のようなマントに包み込み、志貴の刃から瞬時に救ってみせたのはタタリだった。
「やはり、貴様が……まだ滅びてはいなかったのか!?」
 シオン・エルトナムの激昂に、かつてズェピア・エルトナム・オベローンだった男は鮮血を溢れさせながら嗤った。己が不肖の娘が可愛くて仕方がない、とでも言いたげだ。
「違う、違うよ可愛いシオン可愛い可愛い我が娘。私はとうにとうとう滅んだ身だ。それは滅ぼした君達がよくわかっているはずだろう? 姿に騙されるなどアトラスの錬金術師としては不合格だぞ。落第だ」
「今はもうアトラスは捨てました!」
「ならば人間であることもそろそろ諦めて捨てたまえ。アトラスを落第しても君には私の跡を継げるだけの資格と資質があるのだぞ。そう、それはもって第六法に挑めるだけの資格でもある。……もっとも――」
 宙に浮かんでいたタタリがフッと消えたかと思うと、次の瞬間にはリィゾのすぐ後ろに控えていた。セイバーと激しく斬り結んでいたリィゾもいったん距離を置き、並んだ三者の中央でタタリの姿が暗黒魔戒騎士、呀へと変わる。
「人の世が先に滅びては、第六法とて意味が無い」
「そうやって……姿を変えては人の心を弄ぶ……相も変わらず醜悪な」
 嫌悪に眉を顰めながら、こちらも退いてきたセイバーと合流して、シオンは小さく呟いた。
「……奴は恐怖心を餌にそれらを実体化させます。ネロ・カオス、暗黒魔戒騎士呀、言峰綺礼……これ以上増えられては益々手に負えなくなってしまう。注意してください」
 特にセイバーやライダーの記憶から、神話の時代の怪物などを実体化させられでもしたらどうなるかわからない。
 本来のタタリの能力からすればそこまで出来るかどうかの確証は無かったが、如何せん数日にわたってここまではっきりと具現し続けていられることがまず過去の事例には無い。
 前哨のようなものはあっても、基本的にタタリは“一晩限りの悪夢”という式だったはずだ。
 となれば、アルトルージュから相当のバックアップを受けているのか……それとも、何か新たな能力を得たのか。
「ふむ。色々と思い悩んでいるようだな、娘」
 いつの間にか呀から綺礼に変じていたタタリが、顎に手をやりフム、とひとりごちた。
「本当に……見た目そのまま、綺礼そっくりだわ。悪趣味極まりない能力ね」
「お褒めに与り恐悦だよ。しかし非常に残念なことだがね、私はタタリのようで、タタリではないのだ」
 口調だけ、かと思いきや輪郭は綺礼のまま、顔だけがタタリの紅く濡れた目と口になっている。一つの姿にとどまらず延々と変幻を繰り返しながら、やがてタタリは今までに無く小さな黒い影となった。
 闇色の髪と服の中に浮き出た白い手足と、顔。そしてこちらは変わらず紅い瞳だが、タタリのものよりも禍々しい光彩が強い。
「アルトルージュ……ブリュンスタッド!」
「そう、今の私は彼女。彼女の一部に過ぎない」
「どういう意味です?」
 シオンの問いに、答えるつもりではいるようだ。タタリは今までのような嘲笑ではなく、ニコリと穏やかな笑みを浮かべるとスッとあらぬ方向を指差した。
「……ねぇ、あなたも、ききたいよね? ……わたしが、キバなのか、バラゴなのか……それとも、ぜんぜんちがうのか」
「そりゃ聞きたいね。仲間ハズレにしてもらっちゃ困るな」
 アルトルージュの姿と言葉を操るタタリが指し示した先、樹の影から戯けた仕草で零が現れた。
「零さん……無事だったんですね」
「心配かけちゃったかな。悪い、俺としたことが、先走っちまって」
『許してあげて頂戴。……呀は、あいつはゼロにとって、そういう相手なのよ』
 シルヴァに言われるまでもない。それに、零のその感情はこの場にいる全員理解出来るものだ。
「まぁ話してもらわなくても……ここで仕留めちゃえば同じだけどさ」
『ゼロ』
 相棒にやんわりと注意され、零はふて腐れたように双剣を弄び始めた。物騒な物腰と息遣いは、シルヴァもわかってはいるが本心を抑えるためのものだ。
 タタリはアルトルージュの姿をとったまま、全員を見回してから満足気にクスクスと嗤った。
「じゃあ、いろいろと、おはなしてあげる。でも、そっちのおねえちゃんやおにいちゃんは、イリヤがどうなったのかをさきにききたい?」
 見透かされていることに今さら驚きはしないが、嫌悪感を隠そうともせずに士郎は首肯した。リズもまずはイリヤの無事を確認するのが先だとばかりに頷いている。
「イリヤ……イリヤは、ね」
 紅い口が頬まで裂けた。
 小さな身体が両手を広げ、足下の影がうねり、不気味な笑い声が無数に木霊する。中には、悲鳴も混じっていた。そしてその悲鳴には、士郎達は聞き覚えがあった。
「……イリ、ヤ?」
 イリヤの叫び、嘆き、悲泣。痛苦を訴える声が影の中から響き、アルトルージュの姿をしたタタリがゴジラと戦う赤黒い怪獣へと視線を向ける。
「イリヤ、ね……たべられちゃった」
 今度の悲鳴は、怪獣の口から聞こえた。
 怪獣はゴジラを攻め立てながら、『タスケテ』とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの声で、泣いていた。





◆    ◆    ◆






「なんだ、この悪趣味な悲鳴はッ!?」
 上空からメーサーで攻撃を加えていた結城と茜は、突如聞こえてきた少女の悲鳴のような咆吼に顰め面を晒していた。
 怪獣の鳴き声とは明らかに異なる。
 今のところゴジラ相手にも優位を保ちながら、怪獣がタスケテ、タスケテと啼いているのだ。その鼓膜に突き刺さるような悲痛さもさることながら、赤黒い怪獣は両眼から止め処なく涙を……いや、ただの涙ではなく、血涙か。流し続けているのが気懸かりに過ぎた。
「クソッタレ……気が散るったらねぇぞ。これじゃ俺らが弱いモン虐めしてるみたいじゃねぇか」
「ですけど、あっちがゴジラよりマシな怪獣には……見えませんよ」
 ゴジラは憎いし、怖い。けれど赤黒い方は、怖くて、気味が悪い。生理的な嫌悪感が湧いてくる。
「声がなまじっか……小さい女の子のモンだろう、コイツは。……何かあるんじゃねぇのか?」
 むしろ何も無い方がおかしいだろう。吸血鬼だの何だのと、今回の事件で茜も様々な魔の世界に触れてきた。今戦っている相手、アルトルージュ・ブリュンスタッドがそういった世界の大物である以上、この怪獣もやはり見た目の通りに魔物に属する存在なのかも知れない。となると、この悲鳴は差し詰め生贄に捧げられた少女のものか……
「おお、危ねぇっ!!」
 急旋回、かろうじて回避したガルーダをゴジラの熱線が掠めていった。ゴジラもあの悲鳴にはまいっているのか、あからさまに不機嫌な様子で熱線を乱射していた。
「おいおい……残ってるエネルギーは少ないんじゃなかったのかよ。元気一杯じゃねぇかゴジラちゃん」
 そのゴジラを力尽くで抑え込み、町まで押し戻そうとしているかに見えた赤黒い方の怪獣だったが、流石に熱線を胸やら肩やらに喰らわされてはたまらないらしく、身を捩ってさらに激しく啼き始めた。
 無論、啼いて喚いたところでゴジラが加減してくれるはずもなく、さらに激しい熱線が胸を外殻を爆ぜさせ、肉を焼いていく。
 異常なのは、そこからだった。
「……おい、家城」
「どうしました?」
「あいつ、何か様子がおかしかねぇか? ……胸の辺りの肉が隆起して……」
 そこまで言って、結城は言葉を失った。茜も目を見開き、不気味な光景に息を呑む。
 ゴジラの熱線で焼かれた部位が脈動し、盛り上がり、そこからもう一頭、別の怪獣の頭が生えていた。巨大な蜥蜴に二本の角を生やしたシルエットは、二人は知らないが先程この赤黒い怪獣に取り込まれてしまったキングザウルスV世のものだ。それが胸の辺りに人面瘡のように浮き出、けたたましい咆吼をあげたのだ。
「……家城」
「は、はい」
「あそこを狙うぞ」
 理由なんて無い。ただの直感だ。
 言うが早いか、結城はトリガーを引き絞り、たった今生えてきたキングザウルスの頭へメーサーを発射した。それとほぼ同時に、ゴジラもそこ目掛けて熱線を吐き出している。
 しかしそのどちらの攻撃も、直撃寸前で光り輝く壁に防がれてしまった。
「バリアだと!?」
「そんな、さっきまでは……あの頭のせい、なの?」
 信じられないが、そうとしか思えなかった。キングザウルスの頭が生えてくるまでは、赤黒い怪獣にはバリアを張るような能力は無かったのだ。或いは隠していただけなのかも知れないが、それにしてはタイミングが合いすぎている。
「いよいよ怪獣と言うよりは魔物じみてきたな……最悪、アイツがゴジラを倒しちまうかもしれん」
 口調こそ冗談交じりだったものの、結城の目は笑ってはいなかった。茜も笑うなど出来ない。
 国防上ゴジラが倒されてくれるのは望ましいとは言え、それでもあの怪獣王が他の何者か、それも正体もよくわからない不可思議な力で倒されることを結城も茜も本心では認めたくはなかったし、それはこの場にいない権藤もそうだろうと思う。
 ゴジラは憎い。何としても倒したい、倒さなければ一歩も先へ進めなくなってしまったのが自分達だ。そのせいで、このような矛盾も抱えてしまっている。
「……クソッタレめ」
 バリアを展開した赤黒い怪獣は、ゴジラの熱線を弾き返しながら再び町へ向けてゴジラを押し出し始めた。それを防ぐべく、ガルーダもメーサーを撃ちまくるが効果が無い。
 泣き声はまだ続いていた。
 タスケテ、タスケテ、と。
 少女の声が、結城は頭にこびり付いて離れなかった。





◆    ◆    ◆






「クス、クス。みた、よね……あの、――そう、あの力を見ただろう、シオン。それに他の演者諸君」
 アルトルージュの裂けた口から湧き出た血と黒い影が、ゴボゴボと沸き立ちながらタタリを形作った。その奇怪な挙動に桜は顔を背け、凛も顔を顰めたが無論タタリは気にしない。
「ふふ、ふははははは! そちらの君、そう、魔界騎士絶狼君と言ったか。君は今、アレの胸から生えた怪獣の頭に見覚えがあるね? そうだろうなぁ、つい先刻まで君は私と剣を交えながら一部始終を見ていたのだから。あの哀れなキングザウルスV世がゴジラに倒され、アレの贄とされたのを」
「ああ、しっかり見たさ」
『見たくもなかったけれどね』
 シルヴァの皮肉にタタリがさも愉快と哄笑する。哄笑しながら、蠢く闇が種々様々と姿を変容させていくのはかつてのネロ・カオスを彷彿とさせるものだったが、時折混じる甲高い笑い声と夥しい流血はまごうことなくタタリのそれだった。
 そのため変容自体は二七祖の十位と、十三位、双方が喰い合っているようにも、融合しようとしているようにも見える。
「アレは、今のこの私と同じモノなのだよ。私の力であり、成果であり、総決算であり、……今は、アルトルージュ・ブリュンスタッドのものでもある」
 感慨深げに呟いたタタリが溶けて地面に広がっていく。そんな中に、佇立したのは漆黒の鎧を纏った魔狼だ。
「意味がわからないかね? いや、シオン、君はもう察しがついているのではないか? 遠坂凜、君もだ。君達の予想はおそらく正しい。当たっている。その見識にはワラキアの夜が敬意を表したい」
「……一つだけ」
 一歩前に出て、シオンが冷めた目をして口を開いた。
「一つだけ、確認しておきたい」
「何かね?」
「貴方は……タタリではないのですね」
 もはや肯定に意味など無かった。シオンの中では半ば確定していた事項だ。
 嗤う魔狼の隣に、黒騎士が立つ。
「そう――」
 魔女メディアを従え、流転する暗黒をいっそ穏やかとも言える眼差しで見つめながら、リィゾは大剣の切っ先を志貴らへと向けた。
「これこそが……姫様の御力。我らが黒き姫君、アルトルージュ・ブリュンスタッド様の血と盟約によるもの、……その、代償によるものなのでありますよ」
「代償?」
「私は……いや、違うな。ズェピアでありタタリでありワラキアの夜であった男は、かつて力を求めた」
 シオンに答えんとする暗黒騎士呀の右肩から、タタリの首が生えていた。血のように紅い瞳、朱い口、それらを狂笑に歪ませ、語らうのが愉快でたまらないとでも言いたげに牙をカチ鳴らす。
「未来を深頼し姫君の深淵の深層に至る深謀を巡らせ契約した。確約した。盟約を結んだのだ。その後は知っていよう、我が愛しき娘シオン。私……いや、敢えて彼と呼ばせて貰おうか。……彼の千年の約定は果たして真祖の姫君によって破られはしたが、彼はタタリという業績を、異能を、現象を成す事は出来た。……それがね、かねて借り受けたモノに対し支払う利子だったのだよ」
「利子?」
「そう、利子。力の貸借による利息。黒の姫君へと彼が支払わなければならなかった対価だ。……本来ならばタタリからさらに上へと昇華した能力を捧げるはずだったのだが、そこまでは至れなかった。残念無念妄念にして余念が執念として残留した彼の残滓こそが今の私さ。所詮はタタリの欠片だ。混沌も暗黒魔戒騎士も代行者も全てそう。いや、違うな。残留した思念だけならば具現化は出来ない。故に、我らはタタリだ、怨念だ、恐怖だ、伝播する物語なのだから。君達の恐怖が無ければ真っ当なカタチを為すなど因って不可能!」
 今度は呀の上半身が仰け反り、腰付近からネロ・カオスの上半身が生えた。そこからさらに無数の動物の因子が波打ち、異形がより異形へと変じていく。その中で一際異彩を放っていたのは、あくまで人間の姿をしていた綺礼の左半身だ。
 異形の中にポツンと残された人型。その姿が、しかし凛にはゾッとした。化物の中に、人間が混在している。
 自分の恐怖は、悪夢は、あくまで言峰綺礼という人間の形をとっていることに身の毛がよだち、肌が粟立った。
「ふむ。良い貌だぞ、凛。外因に恐れをなし震えるのではなく、内因に怖れを抱いているのがよくわかる。恐怖をただ否定するだけの者は弱い。あくまで平静さを保ちながら、闇雲に否定するのでもなく受け入れるべきは受け入れ、己が内なる恐怖に翻弄されつつも気丈に立ち回ろうとする……、その健気さ、師としては及第点をやろう」
「……うるさいわね。本人でもないくせに」
 左しかない綺礼の顔が苦笑した。
「そうとも。私は言峰綺礼本人ではない。彼もネロ・カオスではないし、暗黒魔戒騎士呀でもない。ズェピア・エルトナム・オベローンとも異なる。だが、君達の認識の範疇において我々は本物以上に本物のはずだぞ」
 癇に障る物言いだがそれがむしろ綺礼本人――少なくとも、凛の中での彼の印象にピタリと符合する事が言葉の正しさを証明してしまっていた。彼ならばきっとこう言うのではないか、そんな凛のあくまで手前勝手なイメージだ。だからこそ逆に、本物の反応はこれと異なるのではないかとも思う。
 それが恐怖や嫌悪という負の感情であっても、対象へのイメージには本人の願望や先入観、固定観念が当然のように繁栄される。望んでいない事のはずなのに、今の綺礼は凛が望む通りの綺礼なのだ。
「さて、話が逸れたが――」
 流動する綺礼の、ネロの、呀の、タタリの顔が、ゴジラと戦う赤黒い怪獣を見つめながら、次々と呟き始めた。
 タタリは言う。
「先程も言ったが、アレは私だ。私と同じモノだ。ワラキアの夜という現象は願望機である聖杯と非常に相性が良くてね。ここ冬木市に住まう人々と、圧倒的な戦力差を前に挑むお前達と、そして何より――ゴジラに怯える黒の姫君の恐怖と絶望が……アレほどの存在を創り果せた」
 ネロは言う。
「アレは我が混沌の因子をも内包した巨獣。さらにはヒトが抱く怪獣への畏怖畏敬が混ざり合い凝縮されたもの。純然たる破壊のためだけの存在」
 呀は言う。
「暗黒の魔界よりもさらに昏く深い淵から溢れ出た黒い汚泥。アルトルージュ・ブリュンスタッドは掻き集めたのだ。自らを怯えさせる、ゴジラを倒しうるだけの可能性を、数多の人間の意識から」
 綺礼は言う。
「それはかつて怪獣王を滅ぼした兵器……全てを破壊し滅灰となし塵芥すら残さぬ、人の造りたもうた究極の業。記録に残らず歴史に語られず風化して消え去るはずであったものを中核に編んだ、絶対破壊獣」
 四人の言うことが事実なら、今のは全て自己紹介だ。アルトルージュという少女の、或いは彼女の能力が自らを語り、陶酔しているのだ。そのおぞましさに、シオンは目の前で嗤う顔の主がやはりタタリ本人ではないのだと僅かに落胆を覚えていた。
「……さっきも言ってたけど、でもそんな兵器、ただの噂だろ? そんなものが何になるってのさ」
 零の言葉がしかし答えなのだ。悔しげに拳を握り、掌に爪を喰い込ませながらシオンは見た。赤黒い怪獣の全身に金色のプラズマが走り、口と思わしき部分が発光していくのを。
「熱線? いや、あれは、いったい――」
 シオンが言い終わるのを待たずに、怪獣の口からは光線が吐き出されていた。凄まじい勢いで伸びていく光線は森林を吹き散らし、点在する家屋を粉々に破壊する光景を見て、シオンは、それに他の皆も瞠目していた。
 破壊だ。
 怪獣の吐いた光線による、破壊。
 だがそれは違っていた。ゴジラや、他の怪獣達が放つ光線と比べ、その破壊はあまりにも、破壊であり過ぎた。
「射線上にあったものが、全て……消えた?」
 炎によって焼かれるのでもなければ熱によって溶かされるのでもなく、光線の着弾した部分が一瞬泡のように弾け、次いで粉々に分解されたものが大気中に消えていく……凛達の眼には、そう映った。
「あれが、まさか……ゴジラをかつて倒した、超兵器の効果だとでも、言うのですか……ッ」
 シオンも、その存在したのかどうかさえあやふやな兵器に関しては、極々僅かな知識しか持ってはいなかった。彼女の能力を持ってしても、情報の完全な収集は困難だったのだ。そのため今こうして目にするまでは記憶の隅へと追いやっていた。有りもしない兵器に希望を繋ぐようになってしまうなど、ゴジラと戦う上では雑念にしかならない。だから、敢えて忘れようとしていたのだ。
「当時は完璧な箝口令を敷かれ、今となってはその実在を疑問視する者も多い……そうでありながらも、『そういった兵器が存在し、初代ゴジラを倒した』という噂は民間に伝わり続けていたはずだ。そう、ゼロ君の言った通りだよ。所詮は噂、されど噂なのだ」
「なるほど。……タタリの能力には、あまりにも都合の良い餌だったというわけですか」
 綺礼の言葉を受けて、吐き捨てながらシオンはその兵器に関する情報を――例え虚実入り乱れた風聞からであっても思考内で引き出して、舌打ちした。
 最悪だ。
 風聞が事実だったとして、ゴジラを倒した件の超兵器の力をそのまま怪獣化した存在など、それこそゴジラ以上の脅威ともなり得る。
「シオン。君ならその名も聞いた事くらいはあったはずだろう? ゴジラについて身命を賭して研究していた君なら知らないはずがない。しかし情報を知り得ただけでは対抗は出来ない。抵抗しようにも不可抗だ。それがアトラスの……人間の限界だ」
 タタリの耳障りな嗤い声が、空気を震わせた。
 真っ赤な唇が、流血と共に言葉を紡ぐ。
「オキシジェン・デストロイヤー」
 耳にしただけで怖気がした。
 他愛もない噂だったはずなのだ。
 開発者たる天才科学者はその兵器のあまりの怖ろしさ故にゴジラと共に自らの命を絶ったとさえ伝えられている、水中酸素破壊剤。あのゴジラを、骨も残さず消滅させたとまで言われる禁忌の発明が、今、真っ赤に脈動しているだなどと。
「さぁ、刮目するがいい」
 他の怪獣が放つ『破壊光線』と名付けられた光線とは明確に異なる、文字通り、正真正銘物質を破壊し尽くし、消し去る光線がゴジラを打ち据えていく。あんな力、在ってはならないものだ。存在を許してはいけないものなのだ。
「かつて一人の天才が完成させた、人間の業でありながら人間の領分を超えたもの。究極破壊兵器オキシジェン・デストロイヤーを雛形として誕生した、アルトルージュ・ブリュンスタッドそのものとも呼べる恐怖と絶望と悪夢の集大成――」
 木霊する哄笑を、凶獣の咆吼が容易く掻き消す。
「――超破壊月姫、デストルージュ」
 名は力だ。
 名が与えられるまではそれはあやふやなものだった。まさしく現象に過ぎなかった。圧倒的な存在感を放ちながらもどこか揺らいでいた。
 けれど今は違う。デストルージュという名を聞いた途端、シオンも、凛も、百戦錬磨の零でさえも、腹の内側、臓腑に重苦しい圧迫を加えられ、捻れた腸を引き千切られ、踏み潰されたかのような、魂魄さえ震える感覚に襲われた。
「さぁ、こちらも宴を再開しようか」
「クッ!」
 再選の合図だとばかりにタタリの放った死風がシオンの頬を切り裂いていた。
「死に抗おうと必死に藻掻く君達がデストルージュにさらなる力を与える。君達は強い、とても強い。けれど強いが故に、恐怖を知っている。戦いと恐怖が切り離せないことを知ってしまっている。だから、私はこの舞台に君達を招いた!」
「タタリ、……いや、貴様は……っ」
「無限に、そう、無限にアレは成長する。君達の怖れを吸い上げ、救いを求める姫君の悲泣を吸い上げ、そして――内に取り込んだ、真白き少女の聖杯に願いを捧げて」
「イリヤは、アイツの中で生きてるのか!?」
 激昂する士郎へと綺礼が迫り、掌打が剣を持つ手を跳ね上げた。防御の空いた胴を呀のハルバードが薙ぎ払おうとするのをセイバーが防ぎ、同じくハルバードをエモノとするリズが回収したばかりのそれでネロの頭を叩き割った。
「救えるか? 救えるか救えるか救えるか救えるか君達は助けを求める少女を救えるのか!? ほら泣いている、タスケテタスケテオネガイタスケテとイリヤスフィールが泣いている、デストルージュが啼いている!」
 タタリはあくまで饒舌だった。もっとも、それは綺礼でありネロであり呀であり、おそらくはそれ以外にもこの場にいる者のあらゆる悪夢を吸って蠢く影なのだから、彼こそが名と無縁の存在なのかも知れない。
 そんな名も無き影が、讃えているのだ。自分と同位体である、デストルージュという形ある破滅の誕生を。
 或いは、それはズェピアがかつて辿り着いてしまった破滅の未来そのものとも言える顕現かも知れず、だからこそシオンは退くわけにはいかなかった。震える身体をそれでも前へ動かさなければならなかった。
 方法はあるはずだ。ズェピアは諦めたかも知れない。アトラスは諦めたかも知れない。けれど、シオンは諦めない。諦めてやるつもりなど毛頭無い。
「良い娘だ、シオン。最期まで諦めようとしない君を私は誇らしく思う」
「……黙れ。ワラキアの夜など、もう終わった……!」
 嘲笑うタタリにシオンが銃弾を叩き込んだのを合図に、各々が散開した。その全員に同時に狙いをつけながら、影が膨れ上がる。最初に接敵したのは最前にいた零だった。
「怖れを抱きながら抗え。精々……そう、精々――」
 長く伸びた猛獣の前脚に、爪の代わりに生えた戦斧による一撃を、双剣を交差させて零は受け止めていた。不敵な笑みを浮かべて。
「なるほどね。本当に、悪い夢だ」
『イヤらしいにも程があるわね』
「けど、そんなもの叩っ斬っちゃえば同じでしょ? ……俺は、確かに怖いのかも知れないけど、そこの黒い狼さんを許すつもりなんてこれっぽっちも無いし。むしろケジメつける機会が出来たんだから、感謝したいくらいだ」
 無言のままの呀に対し、そう吐き捨てて零は双剣の切っ先を弾かせ鳴らした。恋人と養父の憎き仇。以前は鋼牙に決着を譲ったものの、いざこのようにもう一度立ち合うことの出来る機会を得たからには情けも容赦も有ろうはずが無い。たとえそれが自らの恐怖が生み出した幻影であったとしても、喉笛を喰い千切るまで銀狼は魔狼を追い続ける所存だ。
『今はアイツにばかり拘ってもいられないわ』
「わかってるさ。けど、アイツがこっちを邪魔する気なら、どっちにしろ倒さないと進めないだろ?」
 シルヴァの言う通りでも、今自分が戦う理由があるのが有り難かった。有形無形を繰り返す影へと斬りかかりながら零は叫び、斬り返した剣を頭上に掲げて銀狼の鎧を召喚する。
「誰が諦めるか! 諦めるつもりなら、最初から誰一人この場にはいないんだよ!!」
 零の言葉は、全員の意思の代弁だった。








〜to be Continued〜






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