episode-19
〜破壊の月姫〜
Part 4 打倒―急転―


◆    ◆    ◆






 モスラの戦いはまさに獅子奮迅のものと言えた。
 執拗に追いすがってくるバトラを躱し、冬木へ侵入を果たそうとするギャオス達を叩き潰す。
 既にギャオスは残り数匹にまでその数を減らされており、アルトルージュへの援軍として実質機能するのはバトラのみとなりつつあった。
 その醜態に、耐えきれずバトラは荒ぶった。
 戦闘力は自分がモスラを上回っているはずなのだ。それは一万二千年前の戦いの時から変わらず、なのに勝てない。翻弄され、無様を晒してしまっている。
 どうして自分はモスラに勝てないのか、悔しさからバトラは射線上にギャオスがいるのもお構いなしに光線を乱射しながら突撃した。しかしやはりモスラには当たらない。避けられ、逆に毒鱗粉の洗礼を浴びバトラは憤悶した。
 一方、バトラとギャオスを華麗に相手取っているように見えたモスラだったが、実際には満身創痍でいつ墜ちてもおかしくない状態だった。
 先の戦いの負傷も癒えきっていないような状態で、今またバトラとギャオスの群れをたった一羽で迎撃したのだ。既に燃え尽きかけている生命は、気力だけでもっているようなものだった。残っているギャオスは二匹。これらを墜とし、バトラをなんとか戦闘継続が不可能な程度にまで追い詰めることが出来れば……
 防衛網を抜け、何としても冬木に入らんとする凶鳥へ、モスラは最後の鱗粉を浴びせかけた。これでもう残された武器は光線と体当たりくらいだが、命の全てを燃やしても構わないだけの気力は漲っている。
 今、あの冬木市では人類の未来を守るために多くの人間達が懸命に戦っているのだ。コスモスを通じてそれを知ったモスラは、とても安らいだ満足感を得ていた。
 だから負けない、絶対に負けやしない。
 そんなモスラの覚悟へと、バトラの怨執が迫る。それはまさしく正と負の激情の鬩ぎ合いだった。
 これ以上長引かせても無意味と見たのか、バトラは全身全霊を込めた体当たりを敢行した。この際モスラと共に墜ちるならばそれでもいい。プライドは既に砕かれている。この上は、地球生命に生み出された戦闘神獣としての意地を見せてやるだけだ。
 そしてその意地との激突よりも、モスラはギャオスの迎撃を優先させた。残っていた二匹のうち、一匹が鱗粉による光線の乱反射で全身を焼かれ、悲鳴をあげて墜ちていく。
 最後の一匹へとモスラはトドメの光線を放とうとして、そこに、想定外の速度でバトラが突っ込んできた。
 まだ墜とされるわけにはいかない、とモスラが無茶な旋回で回避する。ここで墜としきれなければ死にきれない、とバトラが食い下がる。
 結果、右翼のつけ根をツノで切り裂かれながらもモスラは致命傷だけは避けた。が、その隙に残ったギャオスがついに防衛線を抜け、冬木へと侵入を果たす。
 余力を、命を振り絞り、モスラはギャオスを追った。怒り狂うバトラもその後に続いていく。





◆    ◆    ◆






 憤怒の咆吼が天を劈き、割れた大地が民家を呑み込んでいく。深山町の山間地帯と住宅地の境目部分は、今や怪獣同士の激闘によって壊滅状態にあった。
 しかしその均衡も、徐々にだが揺らいできている。あろうことか怪獣王ゴジラの劣勢という信じがたい事態によって。
「このままじゃまた町が……深山町のシェルターは、新都のほど作りが頑丈じゃないって話なのに!」
 それは決して建造時に手を抜かれたからと言うわけではなく、単純に地質、地形的な問題もあった。新都に比べて深山町方面は地盤が固く、地下シェルターの設置そのものが困難だったのだ。しかしいくら地盤そのもの頑丈と言っても今目前で展開されている通り、ゴジラとデストルージュの戦いに耐えられるはずもなく、もし町中にまで戦場が広がれば大変な事になってしまう。
「せめて海の方へでも向かってくれればいいんだけど」
 凛の言う通りではあるのだが、そのためにはどちらか一方でも海の側を目指してもらわなければならない。しかしゴジラは戦う場などさして気にしないかも知れないが、デストルージュの方は町中で戦いたがっているはずだ。そうすれば、人々の恐怖や絶望がそのまま力となる。
 デストルージュの放つ光線――オキシジェンデストロイヤーレイによって劣勢に追い込まれたゴジラは、後退を余儀なくされてしまっている。もう一度ゴジラが攻勢に出れば、現在後退させられているのとは逆の方向、山か海の方面へと向かってくれるとは思うのだが、バリアと光線を巧みに使いこなすデストルージュには隙らしい隙が見あたらなかった。
「サドラを葬った時と同程度の威力が放てれば、多少なりと横槍を入れる自信はありますが……」
 苦渋の表情を浮かべ、舌打ちするセイバーは連戦に次ぐ連戦で魔力も体力も限界に近かった。仮に魔力を回復させることが出来たとしても、体力的な問題でエクスカリバーを放てるかどうかわからない。撃てても、一撃だろう。だが、
「そちらにばかり注意を向けていられても困りますな!」
「あまり余所見ばかりしていると、後ろのお嬢さん達が黒焦げになるわよ?」
「く、このぉ!!」
 それもリィゾとメディア、そしてタタリモドキをまず何とかするのが前提での話だ。敵は前衛にリィゾ、後衛はメディア、遠近両方こなせる上に変幻自在、神出鬼没なタタリが遊撃の役割を担っており、デストルージュと同様隙の無い戦いの運びをこなしてくる。
 一方こちらはセイバー、零、リズと近接戦においては敵方を上回っているのだが、メディアに抗しきれる後衛がおらず結局セイバーに魔弾の直撃から庇って貰っている状況だ。
「キャスター……いえ、メディア! 貴女は何故そうまでしてアルトルージュに与するので!? ヘラクレス同様、貴女も人類を処断することでその誇りを守ろうと……そのような心算なのですか!?」
 セイバーの訴えを、メディアは鼻で笑った。
「人類の誇り? そのようなもの私は最初からどうでもいいのよ……私は、私はただもう一度あの方とお逢いしたいだけ……そのために聖杯の力が、タタリの力が役立つというのなら地球もヒトも関係がない……!」
「貴女は……それでも英霊か!?」
「知った事ではないわ!」
 手前勝手な言い草に憤るセイバーだったが、寸でのところで怒りに囚われきらずにいたのは自分達やヘラクレスも結局は個人の事情を優先させて動いてしまっているのを自覚していたからだ。
(ですが……死者との虚構の逢瀬にそこまで縋りたいのですか、貴女は……?)
 嘆息しつつも、軽蔑など出来ようはずもない。
 そんなメディアの、愚直なまでの女としての部分にはセイバーも心のどこかで惹かれるものがあった。ただ、自分も士郎を愛してはいるが、そこまで徹底して女にはなりきれないと思う。彼を不幸にも失う状況など考えたくもないけれど、そうなったとしても、メディアのようには出来ないだろう。
 自分とは真逆の生き様故に、哀しくもメディアは美しいと感じるのだ。王だった頃には考えもしなかったろう。
 それでも、
「……メディア!」
 斬らなければならない。
 どんなに惹かれようと、哀しかろうと、敵同士だ。望むもの、目指すところが違いすぎる。自身の選んだ道を突き進むため、今のこの戦況を覆すため、メディアを、斬る。
「こっちの黒いのは俺達に任せて、アンタはあっちの姉さんを……頼む!」
 双剣でリィゾを抑え込んだ零に言われ、セイバーは小さく頷くと聖剣を構え直した。今まではリィゾが邪魔でメディアの懐まで飛び込めずにいたのだが、零の参戦のおかげで今はそれが可能となっている。ようやくの勝機だ。
「おぉおおおおおおおおおおおおお!!」
 獅子吼をあげ、連射されてくる魔弾を籠手で弾き、セイバーはメディア目掛けて疾走した。遮ろうとしたリィゾは零とリズが抑えてくれているし、もはや壁は無い。
「ぐ……アーサー王……お前はぁ!!」
 眦を吊り上げ、羅刹の表情でメディアは杖を振るった。
 障壁と同時にセイバーの足下から魔力で編まれた火柱が無数に上がるが、騎士王の特攻を一瞬たりと止めることは出来なかった。
「邪魔を、邪魔をしないで! 宗一郎様ともう一度逢うために……う、あぁああああ!!」
 大空洞内で一目見た葛木宗一郎の姿をメディアは懸命に追い続けていた。あれがアルトルージュとタタリ、そして聖杯とが混ざり合ったモノが見せた幻影なのだとしても構いやしない。その幻影をこそ求め、アルトルージュに自ら従ったのだ。宗一郎を殺害した仇でもあるギルガメッシュと同じ陣営に下るという屈辱に耐えながら。
 ようやくここまできた、のだ。
「喰らいなさいッ!」
 もはやセイバーの間合い。一刀のもとに斬り伏せられるであろうそこで、メディアは後ろに退くのではなくセイバーの懐へと自ら跳び込んでいた。
「なっ、なんの――」
 つもりかと問いかけたところで、セイバーは目を見開いていた。メディアの手にあったのが、見覚えのある歪な形をした短剣、《破戒すべき全ての符》だったからだ。今、士郎との契約を断たれては残りの魔力を一気に失い、この場で膝を屈してしまいかねない。
「さぁ、アーサー王! 契約を失効させて、この場で私の操り人形にしてあげるわ!」
 それは、それだけは――
「誰がなるものか!!」
 不意を突き、近接戦素人とは言え死力を振り絞った全身全霊の一撃だ。避けるのは至難だが、それでも、セイバーも決死に身体を捻った。胸に突き立てられようとしていた短剣の切っ先が、ほんの僅か鎧を掠めたか掠めないかで空を切る。
「私は……っ」
「終わりだ、メディア!」
 セイバーの斬撃が、短剣を握り締めていたメディアの右腕の肘から先を斬り飛ばした。
「キャアァアアアアアッ!!」
 悲鳴をあげながら、メディアの目尻から飛沫が舞った。
「宗一郎様……宗一郎様ぁ……っ」
 残された左手をデストルージュへ向かって伸ばす。
 もう少しで、願いが叶うはずだったのだ。愛する人の手で頬を撫でられ、その胸に抱かれたい……愛おしい人の体温を、鼓動を感じたい……願ったのはただ、それだけだったのに。
「ぐ、うぅううう! ……私の、夢……私の願い……たった一つの、希望を……、ぐ、あぁああああ!!」
 左手に全魔力を集束させ、メディアはこうなったらセイバーの後ろにいる士郎達を全員道連れにしてやろうと最大級の魔力砲を放とうとした。
 が、その左手すらも、セイバーの返す刀が斬り飛ばす。
「……あっ」
 これでは、宗一郎が抱きしめてくれても抱き返すことが、出来ない。それが悲しくて、メディアは止め処なく涙を溢れさせながら下唇を噛み締めた。次の瞬間、今度は肩から腹部にかけて腕と同じ熱さが生じていた。
「くッ!」
 メディアの細身を袈裟懸けに斬り捨て、セイバーは心中で一言短く『すまない』と詫びた。最期にメディアが流した涙を見てしまっては、そうせずにはいられなかった。



 零とリズがリィゾを抑え、セイバーがメディアと決着をつけていた頃、タタリモドキとは過去にタタリとネロ・カオス、二体の祖と交戦経験のある志貴が中心となって皆よく戦っていた。志貴以外の面々も、シオンが指示を飛ばし、士郎も凛も、それに桜も良く動いてくれてはいるが、やはり決定打に欠けるのは否めない。
「ほう、哀れな魔女は斃されてしまったか。いやはや悲しいものだ……ただ一途に、ひたすら一途に、生前一度として注がれたことの無かった愛をその一身へ求めただけのものを。それに……惜しい。彼女にはまだまだ使いどころが幾らでもあったのだが、さてこの穴をどう埋めようか」
「タタリッ!」
 嘲るような口調のタタリを短刀で切り裂きながら、志貴はほんの僅かだが魔眼殺しをずらしてみた。
 アルトルージュ本体があのデストルージュであるならば、今ここにいるタタリは所詮はその末端だ。もしそうならひとまずこの末端だけでも存在を殺してしまえるかも知れない。
(アルトルージュの死は……視たら過負荷で頭が壊れるかも知れないけど、このくらいは……!)
「あぐっ!」
 視た瞬間、凄まじい頭痛に志貴は顔を顰めた。
 死は、視える。通常の生物と比べて歪なラインが全体を脈動しながら走り、小さめの点がポツポツと浮かんでいた。しかし末端とは言えアルトルージュのそれは明確に危険域だ。
「く、この……くらい……」
 この末端の先に、アルトルージュがいる。
 アルクェイドの姉で、全ての元凶。アルクェイドを何処ともなく連れ去った相手がいるのだ。
 本音を言えば、ゴジラと戦っているデストルージュの死点を今すぐにでも突きに行きたかった。出来るか出来ないかではなく、自らの手で貫きたい、殺したいという衝動をどうにか抑えるだけで志貴は膨大な精神力を消費していた。
 魔に対する殺傷本能。それ以上に、遠野志貴個人の殺意がざわついて、止まらない。
(アルトルージュも、リィゾも……全て、殺したい……俺の手で、この俺の手で……!!)
「ぜやぁあああああっ!!」
 タタリの線へと滑るように短刀を斬り入れ、志貴は波打つ影の四分の一ほども分割するとまずはその死を突いた。
 こんな事でいったいいつになったらアルクェイドに辿り着けるのか、焦燥が頭痛に拍車をかける。
「直死! タタリすら、噂すら現象すら滅死させる超常の力で今再び私を殺そうとするのか。人間の君が、人間風情でありながら貴い人間の君が!」
「お前のその芝居がかった喋り方にはうんざりなんだよ!」
「私も、志貴に同意します」
 いつの間にか志貴の背後に回っていたシオンが、エーテライトを操りタタリからネロへと変わろうとしていた影を拘束していた。間髪入れず銃弾が叩き込まれ、吹き飛ばされたタタリの鼻から上だけがネロになる。
「ふむ。劣勢にて趨勢は決まったか。メディアは斃され、私も直死が相手では分が悪い。黒騎士リィゾだけでは君達全員を相手取るのは……不可能ではないが、厳しかろう。……だが――」
「シオン、危ない!」
 咄嗟にシオンを突き飛ばし、自らも頭から地面へと滑り込んだ志貴の肩を、黒鍵が浅く裂いていた。
「綺礼! ……モドキ」
 現れた綺礼に忌々しげに吐き捨て、凛が魔弾を放つ。
「私は決して一つでいなければならないわけではない」
「貴様達の恐怖の数だけ我らは具現化できる」
「その全てを果たして殺しきれるか?」
 綺礼とネロと呀が、それぞれ実体化して猛威を振るう。
 凛と桜姉妹は呀のハルバードで追い詰められ、士郎はネロの放つ獣の物量を前にすぐさま傷だらけになっていく。
「リン、サクラ!」
 メディアを斃したセイバーが駆け付けて呀と斬り合うも、その横合いからまた別の黒衣の騎士が現れ、セイバーを驚愕させていた。
「馬鹿な……ランスロット、貴方まで……ッ!?」
「言ったろう? 君達の恐怖がある限り私に限界は無いのだよ。たった一夜のワラキアの夜とはワケが違う。今やワラキアは永遠となったのだ! ズェピアでも、タタリですら無くなった今こそ、永遠を手に入れたのだ!」
 狂喜するタタリの影から無数の怪物が産み出されていく。
 リィゾと斬り結んでいた零はそれを見て慄然とした。かつて戦った覚えのあるホラーの群れ、その中にはあのガルムやコダマ、レギュレイスの姿さえある。いずれも二七祖や英霊にすら劣らぬ強敵だ。
「こいつは……いよいよ詰んだかな」
『諦めるなんてらしくないわ、……と言いたいけれど』
 次から次へと見覚えのある顔が実体化を果たしていく一方、ゴジラとデストルージュの戦いもついにゴジラが押しきられ、二大怪獣の巨体が深山町の住宅地部分へ地響きを立てて雪崩れ込んでいった。空中からはガルーダが間断なく攻撃を仕掛けているがまるで効果が無い。
「フヒヒ、フハハハハハハハ! 焦れ、焦れ焦れ焦れ焦れ褪せて倒れ泥を啜れ! 焦燥と諦観と絶望と恐怖を抱きタタリの糧となる、それが君達の役所だ! 君達が私を育てる、ほらこんなにも、こんなにも膨れ上がっていく!」
「黙れぇ!」
 自分の叫びがどれだけ無力なのか、思い知らされながらも志貴はがむしゃらに短刀を振るった。何体かのホラーを斬り裂いたものの、押し寄せる数の前に殴られ、蹴られ、吹き飛ばされてしまう。
「志貴!」
 倒れて咳き込む志貴を抱き起こしながら、シオンは為す術無く追い込まれていく仲間達を見回し、叫んだ。
「いったん集まってください! 急いで!」
「ほぉ。この期に及んで何か策でもあるのかね、シオン」
 殺すことではなく、嬲り、恐怖と絶望を与えるのが目的なら集合するくらいは見逃してくれるだろうというシオンの読みは当たっていた。嫌がらせのような攻撃を仕掛けながら、影から産み出された魔性の群れがジワジワと周囲を取り囲んでいく。
「……集まったはいいけど、どうするんです? 本当に、何か策があったりとか……」
「ここまでくると逆転の策なんて思いつきませんね」
 凛の淡い期待を溜息混じりに打ち砕き、シオンはバレルレプリカの残弾を確認しながらやれやれと言葉を続けた。
「正直、お手上げです。これが物語なら自分達の中に巣くう恐怖を克服した私達が彼らを死闘の末に打ち破ってハッピーエンド、といきたいところですが……記憶の奥底に沈殿している潜在的恐怖まで取り去る自信がある方は、いますか?」
 沈黙が即ち答えだ。そんな事、出来るわけがない。自己暗示か催眠療法でもかければ別かも知れないが、凛にせよ桜にせよその手の魔術を得意としているわけでもない。
「なので、これから行うのは策でも何でもありません。ただの賭けです」
 そう断り置いてから、シオンはバレルレプリカの銃口をタタリへと向けた。
「おいおいシオン。まさか、その銃で今さら私を撃ってどうにかしようというのかね?」
「そのまさかですよタタリモドキ。今から私は全力でこいつをぶっ放します」
 エーテライトを周囲の地面に突き刺して身体を固定、両手で銃を持ち、狙いを定めたシオンに唖然となったのは、タタリだけではなかった。志貴達も全員がシオンの正気を疑うかのように彼女を見てあんぐりと口を開けてしまっている。
「ハ、ハハ……なんだ、なんだなんだなんだなんだなんなんだね? まさか恐怖のあまり気が狂ったのか? シオン、君はついにトチ狂ってしまったというのかな!? もしそうなら残念だ、至極残念だ残念極まる! ……他の諸君もそろそろ限界なのか。もうこの舞台は閉幕するしかないのか……」
 大仰に身振り手振りを交えてシオンを嘲笑し、タタリは隣に立つリィゾへと目配せした。そろそろトドメを刺そうという算段なのか、ともあれシオンは引鉄に指をかけたままそんな相手のやりとりを見つめていた。
「そうですね。……まぁ、吉と出るか凶と出るか……どちらにせよ、幕を引かせてもらいますよ!」
 叫び、シオンは指に力を込めた。ただし――
「バレルレプリカ――」
 銃口はタタリではなく、その、上。
「オベリスクッ!!」
 斜め上空へ向けて、バレルレプリカを最大出力でもって解き放つ。いったい何を考えての行動、いや奇行なのか。タタリも志貴達もその意図が読めず困惑している中、唐突にシオンは振り返り、
「伏せて!!」
「!?」
 志貴が即座に反応出来たのは、偏にシオンに対する信頼の為せる業か。一番近くにいた士郎と桜の手を引いて志貴が伏せたのを見て、やや離れた位置にいた零は魔戒騎士の卓越した反射神経によってリズの肩を抱きその場に伏せた。シオンも、戸惑っていた凛を引っ張り頭を抱えて踞る。
 シオンの賭けとは果たして何だったのか――タタリとリィゾがソレの接近に気付いた時には、彼女は自らの勝利にほくそ笑んでいた。
「あっ――」
 耳障りな哄笑を上げる間すら無く、ジェット音と共に響き渡った盛大な電子音、続く爆音がタタリから言葉を奪う。
 そして、熱波。
「うわぁあああっ!」
 爆風に吹き飛ばされそうになりながら、ほんの一瞬、顔を上げた志貴は見た。
「……ガルー……ダ……」
 飛翔する、大型戦闘機の姿を。



「ふ〜。……ったくあいつら、まさか巻き込まれちゃいないだろうな?」
 冷や汗をかきそうになりながら、結城は再びゴジラ、デストルージュを僅かにでも牽制すべく機体をそちらに向かわせた。難しい顔をして拡大モニターで地上の様子を確認していた茜にもやがて微かな安堵の色が浮かぶ。
「範囲を集束させたとは言え、少佐の腕には嫉妬します。地上のシオン・エルトナム達、無事なようです」
「しかし打ち合わせもなく撃っちまったが、あれで良かったんだろうな、錬金術師の嬢ちゃん」
 あの時、突如として地上から左翼スレスレを狙撃されたガルーダは何事かと地上をモニターで確認し、シオン達が何者かと交戦しているのを確認した。
 問題なのは、その交戦していた相手だ。
 見た瞬間、結城も茜、両者共にESPや魔術といった異能の素養は無いはずなのに直感していた。アレは、目の前で暴威を振るっている赤黒い怪獣、デストルージュと同じモノだ。
 二人は即座に照準を地上に合わせ、メーサーを限界まで集束させて目標を狙い撃ったのだが、果たしてそれはシオンの思惑通りだった。
 あの瞬間、シオンはリィゾとタタリではなく、ゴジラとデストルージュを牽制するために上空を飛び回っていたガルーダ目掛けてバレルレプリカを撃った。
 無論、高速で上空を飛翔するガルーダに気付かせるには飛行軌道と弾動の予測、それに幾つかの偶然が重なり合うことを期待する必要があったが、計算と予測こそはアトラス院の十八番、シオンにとってなんら苦にならなかったとは言え、最終的にはガルーダのコクピットにいるであろう結城や茜が気付き、意図を汲んでくれなければその時点で失敗だったのだから間違いなく博打だった。



「ありがとうございます、結城少佐、家城三尉」
 立ち上がって埃を払いつつ、シオンはガルーダに向かって頭を下げた。
 ゴジラやデストルージュ本体を相手には大して効果の望めなかったガルーダのメーサーだったが、仮にも大型戦闘機に搭載されている大口径のものだ。ひとたび人間サイズの相手に撃てば塵も残らなくて当然だ。
「幾らあいつらでも……それこそ影も残っちゃいない、かな……こいつは」
『まさかメーサー砲で直接狙うなんて。流石ね、お嬢さん。見直したわ』
 濛々と煙の上がっている着弾点は大きく剔れ、溶解或いは焼け焦げていた。並の生物や、物理攻撃で殺しきれる魔物ならこれで間違いなく決着のはずだ。
「お褒めに与り恐縮……と言いたいところですが、リィゾはいまだ不死身のメカニズムが不明な上、あのタタリモドキもあくまでデストルージュの末端なわけですから倒しきれたのかどうかの保証はありません」
「けど、少なくとも暫くは身動きが取れないはずだわ」
 凛の言う通りだ。生死確認を行っている暇など無いが、まだ死んでいなかったとしてもこの瓦礫の下に埋もれているからにはすぐさま戦線復帰とはいかないだろう。
「で、どうするんだい我らが軍師殿? まだこの先の大空洞とやらに向かうの?」
「……彼らの言を信じるなら、イリヤスフィールはあのデストルージュに囚われていると見るべきです。とんだ無駄足、とは言わないまでも、この先へ行ってもおそらく意味はありませんね」
 口調こそ戯けているものの、零の疲労も相当なものなのだろう事は顔を見れば一目瞭然だった。いったい今日だけで何度魔戒騎士の鎧を召喚したのか。
 同じく前戦組のセイバー、リズも傷だらけ、士郎、凛、桜にしても決して無傷とは呼べない状態だ。志貴の事もシオンとしては今すぐ身体と何よりも眼を休ませてやりたい。それに、怨敵フィナと決着をつけるべく新都で別れたリタは無事だろうか。
 軍師だなどと零は茶化したが、自分の一言で全員の帰趨が決まってしまいかねないことを考えればシオンも慎重にならざるをえなかった。
「俺は……行くよ」
 そう言って町の方を向いたのは、士郎だった。
「行って何か出来るとはいくら俺が馬鹿だからって思わないけど、……でも、住み慣れた深山町が蹂躙されてるのにこんな所でグズグズしてなんて、いられない。それに、イリヤを助けるならどっちにしろあのデストルージュとかいう化物を何とかしないといけないわけだし」
 言いながら、凛や桜に向けた視線は『自分だけで行くからお前達は逃げろ』とわかりやすく意思表示していた。
 本音を言えばセイバーにも逃げて欲しいのだろうけれど、そちらに関しては力無く微笑んだだけだった。無論、セイバーだけでなく凛も桜も彼の意思に応じるつもりは全く無いものらしい。鋭く睨み返していた。
(わかりやすい人ですね。……いや、この期に及んで回りくどくても悪徳なだけか)
 士郎から志貴へと視線を移しシオンは嘆息した。焼け焦げ、瓦礫に埋もれたメーサーの着弾地点を気にしている素振りが僅かに見てとれるのはリィゾとの因縁によるものだろうか。
 もっとも、気懸かりであるという点ではシオンとさして変わらないだろう。彼も迷うことなく行く気でいるようだ。これ以上はいつ脳が焼き切れるかもわからない、アルクェイドや秋葉達の事を想うなら自重してくれ、などと言ったところで無駄だろう。結局、行くしかないのだ。
「じゃあ、早くイリヤを助けに行こう」
 シオンが何か言う前に、さっさと歩き出したリズは少し進んだところで振り返り、『行かないの?』とでも言いたげに小首を傾げた。それを見て、全員の顔に微笑が浮かんだ。
「さ、俺達も行こうか」
 ポンと士郎の肩を叩き、志貴も歩き出していた。
「まったく、助けなくちゃいけないお姫様が多すぎて困るよ」
「本当ですね」
 志貴の軽口にそう返してから、士郎は既に助け出した自分のお姫様へと手を伸ばした。その手を掴んだセイバーの頬が朱に染まる。
「お姫様扱いは……少々むず痒いものがありますが、……その、悪くはありませんね」
「あーあー。士郎、アンタ捕らわれたのがセイバーやイリヤじゃなくてわたしや桜だったとしても、ちゃんとお姫様扱いで助けに来てくれるんでしょうね?」
「き、来てくれますよね先輩! ……絶対に来て、くれますよね?」
 手を繋いで先へ進む二人を追いながら、凛と桜が冗談とも本気ともつかない調子でそんなことを言った。
「そ、そりゃ助けに行くさ、お、お姫様扱いで」
「……私の事も、お姫様扱いしていただけますか?」
 当然、と答えようとした士郎だったが、生首状態のライダーが相手だと微妙に躊躇してしまう。
「そうですよね。私のような可愛げの無いデカ女……今ではデカいどころか首だけですし」
「い、いやいやいやいやちゃんとライダーも助けるから! お姫様だから!」
 先程までの暗い雰囲気はどこへやら。
 歩み行く先ではゴジラとデストルージュが人智の及ばぬ激闘を繰り広げているというのに、誰ももう気負ってなどいないようだった。
『……強い子達ね』
「そうだな。みんな強くて、良い子だ。……カオルちゃんと同じで、守り甲斐があるよ」
 後もう何回鎧を纏えるか、軋む身体に鞭打って零も皆の後へと続く。こういう時、復讐者ではなく守りし者として、魔戒騎士としての生き方を選んで良かったとつくづく思う。
「ほらほら、軍師殿。置いていかれちゃうぜ?」
「……ええ。そうですね」
 万策尽き果てているというのに足取りが軽いというのも不思議なものだ。それでも、何とかなるんじゃないか……だなんて、甘い考えを抱いてしまう。
 その甘さは、人の強さなのだろう。
(計算出来ない未来……どれだけ精確な予測をすら上回るものがあるとすれば、それはこんなにも簡単なものだ。人の希望という、それは簡単なものだったはずなのですよ、タタリ……いえ、ズェピア・エルトナム・オベローン)
 背後の瓦礫を一瞥し、タタリではなくもはや完全に消滅してしまったズェピアに哀悼の意を捧げ、シオンもまた歩き出していた。





◆    ◆    ◆






 深山町のシェルターの中で、人々は頭上から響いてくる巨獣の咆吼に怯え、憔悴しきっていた。
 一度は山間部の方へと遠ざかっていった足音が、今度は二つに増え、さらに戦闘が激しさを増していくほどにシェルターを大きく揺らすのだ。誰もが生きたまま地獄へ放り込まれたかのような、そんな感覚に囚われてしまっているのが、ESPを使わずとも未希にはよくわかった。
「……怖がるな、なんて無茶だよな」
 力無く呟く綾子の言う通りだった。
 この状況下で怖れを抱くな、希望を持とう、みんな元気を出して、など無茶振りもいいところだ。
「でも、遠坂さん達……みんな、まだ頑張ってるのに」
 これ以上の同行は許可出来ない、と山間部へ向かう彼女達と別れ、もっとも近くにあったこのシェルターまで待避したまでは良いものの、由紀香は自分達だけ逃げてしまった事をいたく気にしているようだった。
 さらに、凛や士郎達だけならまだしも親友である楓や鐘までおそらくは自分達に何か出来ることはないのかと新都の権藤達に合流してしまったのだから余計にやりきれない部分が大きいのだろう。
 綾子だって由紀香の事は言えないのだ。武芸百般、どれだけ鍛えてきたのだといってもこのような状況下においては自分の力など何の役にも立たないことは、この数日間で嫌と言う程思い知らされた。命の懸かった戦いでなら、自分は凛どころか士郎にも及ばないのではないかとさえ思う。
 悔しい。それを認め、こうして逃げ出してしまった自分の情け無さが、悔しい。
「キャッ!」
 またも激しい震動がシェルターを襲った。
 各所から子供の泣き声が聞こえ、念仏を唱えている老人もいる。綾子達のすぐ隣に座っている女性は、目を閉じて必死に「お母さん、お母さん!」と母を呼び続けていた。
「何か、わたし達にも出来る事って……無いのかな」
 何も出来ない、自身の無力さを由紀香は誰よりも理解していた。それでも縋りたかったのだ。そこに希望を見出すことで、頑張れば未来は明るいのだと信じることで、戦っている人達の事ももっと心から応援したいと思った。
「……出来ること、あるかも知れないよ」
「未希お姉ちゃん?」
 能力の酷使による疲労のためか、シェルターに待避してからずっと口数の少なかった未希が、何か思いついたかのように「確証は無いんだけど」と断ってから弱々しく笑みを浮かべていた。
「私の力……ESP、超能力のことだけど。その思念を全力でぶつければ、ゴジラの進行方向くらいは変えられるかも知れない」
「で、でも! そんな事したら、……お姉ちゃんは、大丈夫なの?」
 未希がその能力で、ゴジラの状態をただ探るだけでも尋常ならざる疲労が蓄積されていくであろう事は、傍で見ていた由紀香も綾子もわかっていた。その上、今度はゴジラに思念を送り、その動きを僅かながらもコントロールしようだなどと、未希がどうなってしまうのか想像もつかない。
 が、心配そうな由紀香と綾子に、未希は手を差し出した。
「一人だと、無理。でも……二人が力を貸してくれれば、何とかなるかも知れない」
「力を貸す、って」
「あたし達が?」
 顔を見合わせる二人だったが、無理も無い。
 もしかしたら自分でも知らない秘められた才能があるかどうかはこの際置いておいて、少なくとも自覚している内では異能の力とは縁もゆかりも無い生活をおくってきた少女達なのだ。いきなりゴジラへと思念を送るから力を貸して欲しい、と言われても首を傾げるしか無かった。
 そんな二人を、未希は優しく諭した。
「何も特別なことは必要無いの。私もこんな風に力を使おうとするのは初めてだけど、超能力や魔力なんて無くても人は誰だって“力”を持っていると思う。こうして手を繋いで、一緒に念じてくれるだけで……きっと助けになってくれるわ。だから、お願い」
 そう言われては断る理由も無い。半信半疑ではあったが、もしその事が力になるのなら……未希の助けになる事で、今戦っている知己の人達の助けになるのなら……二人は力強く頷くと、差し出された手に優しく指を絡ませた。
「難しいことは何も無いわ。……けど、出来ることなら、ゴジラを憎んだり、怖れたりするのは今だけはやめて、静かに念じて。海へ、って。ただ、それだけ」
「ゴジラを怖れるな、か。……わかった、やってみるよ」
 精神集中ならお手の物だ。
 武道を学ぶ中で覚えた精神、残心を心懸け、綾子は静かに瞑目した。最初は静謐とした水面を夢想し、やがて波を立て、海をイメージする。
 その海へ向かって、ゴジラに対し、呼びかける。
「わたしも……う、うん」
 由紀香は綾子ほど簡単にはいかなかった。彼女の中には十年前の災害、その時に見たゴジラの黒い影が色濃く残っており、往時の恐怖をほんの一時とは言え払拭するのは並大抵のことではなかった。
 ゴジラのことを考えただけで、震え、身が竦んでしまう。
「由紀香ちゃん……無理はしなくても大丈夫よ。怖いのならそのままでもいいから。大切な人達のことを、守りたい人達のことを思い浮かべてみて」
「は、はい……そっちなら」
 それなら何とかなりそうだ。ゆっくりと深呼吸をし、今はおそらく実家の近くにある所定のシェルターへと避難しているであろう両親、祖父母、それに弟達の顔を由紀香は頭に浮かべてみた。
 みんな心配しているだろう。こんな所で未希と再会した事を伝えたら、なんと言うだろうか。身寄りの亡くなった従姉のことを、家族みんな心配していたから。
 続いて凛や士郎達の事を思い、由紀香はギュッと強く瞼を閉じた。
 柳洞寺へ向かうと言っていた彼女達は、今頃戦っているのだろうか。傷だらけになって、人類の未来のためだとかそんな由紀香には想像もつかない大きなもののために。
 そして、楓と鐘。
 動向の知れない二人のことが一番心配だった。
 あの時、自分が目を離してしまった隙にバルスキーについて行ってしまったらしい親友達は果たして無事なのかどうか。
 今無事なのだとしても、ゴジラがこうして暴れ続けている以上この先どうなるかわからない。十年前のゴジラ襲撃で、由紀香も見知った人達を何人も失った。もう、あんな思いは二度としたくない。絶対に。
 だから、未希の手を強く、強く握り締めた。
 あれだけ怖かった、震えの止まらなかったゴジラへの恐怖心はいつの間にか薄らいでいた。
「そう、それで……いいの」
 由紀香と綾子の想いが握り締めた手を通して流れ込んでくるのを未希は確かに感じ取っていた。
 二人の強い想い、願い、を心の中で増幅させ、そこに自分の想いも重ね合わせる。
 あの強大なゴジラへ、自分如きの思念が通じるのかどうかはわからない。それでも未希は一心不乱に念じた。
 ゴジラに向けて、海へ向かって欲しい、と。
 ドス黒い怒りの念に支配された怪獣王の心へ、ひたすら、真っ直ぐに。
 少女達は、切に願った。





◆    ◆    ◆






 デストルージュの大攻勢を前に後退を余儀なくされていたゴジラに、異変が生じていた。唐突に動きを止め、何かを探すかのように忙しなく首を動かし始めたのだ。
 いったい何を探しているのか、ともあれデストルージュにとっては関係がない。ゴジラにトドメを刺す絶好のチャンスとばかりにオキシジェンデストロイヤー・レイを放ち、その鋭利な角や爪で漆黒の肉体を刻んでいく。
 ゴジラの体皮が斬り裂かれ、鮮血がデストルージュを濡らした。狂喜するように、角で、爪で、牙で、破壊光線で、デストルージュが破壊の限りを尽くしていく。
 酸鼻な匂いが辺りへ充満した。そのまま一方的に嬲り殺しにされるかと思われたゴジラだったが、痛みと怒りに咆吼しながら、急激にデストルージュへと背を向けたかと思うと怨敵の顔面を尻尾で強烈に打ち据えた。
 唐突すぎてバリアを張る余裕すら無かったのだろう。畳み掛けようとしていたところに痛恨の一撃を喰らい、破壊月姫が少女の声で泣き叫ぶ。
 千載一遇。
 誰が見ても逆転のチャンスだった。顔面を強打され藻掻いているデストルージュは隙だらけだ。この機に乗じてゴジラが残された全ての力を振るえば、或いは決着がついていたかも知れない。
 しかし、ゴジラはそうしなかった。



「なんだ、ゴジラの野郎、どういうつもりだ?」
 ガルーダのコクピットで、結城は突如進路を変えて海の方へ移動し始めたゴジラを訝しんでいた。これではまるで尻尾を巻いて逃げ出しているようではないか。あのゴジラが、絶対無敵、不敗の大怪獣王が。
 茜も結城と同じく眼下の光景が信じられない。
「逃げる? いえ、でも……まさか」
 過去いかなる状況にあってもゴジラが無様に敗走したという記録はない。それが、そのはずが……
『ヤッホー、アカネちゃん、少佐、元気〜?』
 呆然としていた二人の間に漂う停滞した空気を打ち壊し、モニターから無闇に明るいメレムの声が響いた。
「元気、まぁ無事っちゃ無事だ。墜とされちゃいねぇよ」
「急に声かけないで。操縦誤って墜落したらどうするのよ」
『アカネちゃんならそんな事にはならないって信じてるよ。それより、陸戦部隊が深山町の沿岸部に到着したんでこれから山間部へ一気に進撃、ってとこだったのにゴジラがこっちに向かって来てるみたいなんだけど、何かあった?』
 ゴジラの巨体なら、特に高層建築物のない深山町では沿岸部からは丸見えだろう。メレムの背後からひっきりなしに指示を飛ばすメガドロンの声が聞こえるのは、急いで迎撃態勢を整えているらしかった。
「何があったのかは俺達が聞きたいくらいだ。あのゴジラが、いきなり敵方の、例の化物に背を向けて逃げ出しやがった」
『逃げた? ゴジラがかい? まっさかぁ』
「本当の事よ。もしアレを逃走と呼ばないなら新しく言葉を作って辞書に登録し直す必要があるってくらい見事に逃げてくれたわ」
 ゴジラの逃走に相当苛立っているのか、茜の態度も口調も荒々しかった。まだまだ若いねぇと苦々しい感想を抱きつつ、さてどうしたものか結城も悩む。
『大急ぎで陣形整えてるから迎撃は間に合うと思うけど、どうする? まずゴジラから、集中砲火? ヤッちゃう?』
 一方のメレムは何やらおもしろくなってきたとこの混迷を愉しんでいるかのようなフシがあった。自分が蚊帳の外で事態が進行していくのはおもしろくないが、混沌とした渦中で大暴れするのは望むところであるらしい。
「あっちの赤黒い方もゴジラを追おうとしてるが、そうだな。ゴジラが射程に入り次第、出来る限り町に被害を出さないよう配慮しつつ奴を集中攻撃してくれ。こっちも空から狙い撃つ。今は大分弱ってるはずだからな、あれだけの火力を叩き込めば、倒せるかも知れねぇ」
『倒せる? ……勝てる、じゃないの?』
 メレムの言葉に舌打ちし、結城は「いったん切るぞ」と乱暴に言い放つと通信を切った。
「あの野郎、わかってて言ってやがるな」
「気にしては駄目ですよ。あんないい加減な奴」
 今の一言には茜も大いに憤慨しているらしい。
 結城や権藤はゴジラに手酷く敗北し、多くの仲間を失ったという忘れがたい過去がある。茜は茜でゴジラに直接的な恨みは無いはずでも、怪獣災害そのもの、ひいてはその暴威の象徴的存在であるゴジラ撃滅に並ならぬ執着があるのを結城も知っていた。それでも、むしろそんなだから、今の二人はどうにも納得しがたい奇妙な心境でいた。
 いったいどうしてゴジラは敗走するかのように進路を変えたのか。それがちっぽけな少女達の、祈りにも似た呼びかけによるものだなどと、二人が知る由はなかった。





◆    ◆    ◆






 迫るゴジラを迎え撃つべく、沿岸部に扇状に展開したガンヘッド大隊、及び特自戦力は、ゴジラが全隊の射程内におさまるのを緊張した面持ちで待ち構えていた。
「空気がピリピリしてるねぇ」
「相手はゴジラですからな。並の怪獣が相手なら冗談交じりにトリガーを引けるような豪傑であっても緊張せざるをえんでしょう。……私も緊張していますぞ?」
 そう言われても、人外の面相であるメガドロンの緊張は表情から窺い知るなどは不可能だ。
 メレムも既にウインダムとジグラ、シルバーブルーメを召喚し、配置につかせている。ゴジラ相手というのは確かにメレムでさえ些か緊張するが、それ以上に愉しみが上回っていた。アルトルージュと敵対するのとは異なる、この地球最強の生命体と喧嘩をやらかすというのはどうにも昂揚してしまうものだった。
「なんせボクもオトコノコだからねぇ」
「どうしました、突然?」
「いや何ね。道化だ二七祖だ司祭だピーターパンだとボクにも色々と肩書きがあるけど、一世一代のやんちゃを前にするとしみじみとね、そんな風に思ったんだよ」
「やんちゃと言えばやんちゃですかな。人間の感覚で喩えるなら……勝てそうもないガキ大将に挑む際の吹っ切れた清々しさに似ているのかも知れません」
 こちらも感慨深げに言うのを見て、メレムはジト目で重機甲兵軍団豪将を見据えた。
「……メガドロンってさぁ、たまに思うんだけど実は中に人入ってたりするんじゃない?」
「中の人などいませんぞ」
「ドランガーやバルスキーもだけど君ら人間より人間臭いから本気で疑わしくなってくるよ」
 これは造り主であるヴァン=フェムを大したものだと誉めればいいのやらどうしたものやら。
「ゴジラが射程に入るまで、間もなくですな。残り五〇〇メートル……」
「もうホントすぐじゃないか。……四〇〇メートル」
 何しろ一歩で数十メートルの歩幅なのだ。
 残りはもはや秒単位。やけに緩慢な時間が流れていく。
 人間と吸血鬼の総力を結集した怪獣王ゴジラへの集中攻撃。
 頬が突っ張る。肩が強張る。喉が渇いて仕方がない。
(普段は吸血衝動はそこまで強くないんだけど、今ばかりはタップリ飲みたいや)
 ゴジラへと向けられたツィタデルの全砲塔、ガンヘッドやメーサー車両、メーサーヘリ、対怪獣ミサイルを装備した重機甲兵軍団員。
「……一〇〇メートル」
 メレムとメガドロンの声が重なった。
 ゴジラの咆吼が、歩行が、震動となって伝わってくる。
 そして、ついに怪獣王は、射程内へと踏み込んできた。
「ッてぇええええええええええええいッッ!!」
 メガドロンの号令一下、各所で怒号があがり、ありとあらゆる砲弾が、メーサーが、ゴジラへと吸い込まれていく。
「こりゃ凄い! 弾幕でモニターが埋まってらぁ!」
「まだまだぁ!! 砲身の冷却など考えるな! 他の怪獣のことは後でいい、まずはゴジラだ! 何がなんでもここでゴジラを撃滅しろ!!」
「って、ちょっ、これ、鼓膜破れ……って!」
「はぁ!? どぉしましたぁ!?」
 ゴーレム兵は良いとして、この爆音は一応生身の身体を持つメレムには酷過ぎた。特自の隊員達も気の毒に、と思う反面もういいから自分もぶちかまそうと使い魔達に指示を出す。
「あー、もういいからウインダム! 撃って撃って撃ちまくれ! ジグラとシルバーブルーメは砲撃の合間を縫って足下と頭上から嫌がらせみたいに攻撃!」
 ダンカンとの戦闘時に数倍するのではないか、という程の出し惜しみゼロな壮絶極まりない完全滅殺砲火だった。
 こんなもの、生物が耐えられるわけがない。幾ら怪獣でも絶対に無理だ。そう断言出来る。
(ってか、例外なんて考えたくもないよ、コレ)
 この攻撃で倒しきれない生命が存在するだなんて、それは地球としても許してはおけないだろう。メレムも、そう思う。そこまでいってしまったなら、それはもはや生命の範疇に収まりきるものではない。地球の手に余る。
 ダメージは確実に受けているのだろう。ゴジラの痛哭が爆音をさらに上書きするかのように轟いた。がむしゃらに吐き出したのであろう放射熱線が海を焼き、水柱と蒸気があがる。
 そのまま乱射した熱線によって運の悪いガンヘッドやメーサー光線車が爆散させられたようだが、怯むことなく砲火は続けられた。
 どれだけの時間、どれだけの爆薬やエネルギーがゴジラの全身を焼き、焦がし、打ったのだろう。
「まだだ! まだ、まだまだ、まだ――ッ」
 濛々たる爆炎の向こうで、グラリ、とゴジラの身体が傾いだかのように、その場にいた誰もが錯覚した。上空から攻撃を加えていた結城と茜もだ。
 そしてそれが、錯覚でないのだと皆が理解するまで二秒は最低でも必要だった。
「ゴ……」
「ゴジラが……」
 倒れる――誰もがそう思った瞬間、
「うぇえっ!?」
 大きく横倒れになりながら、ゴジラは咆哮とともにとてつもない太さの放射熱線を吐き出していた。
 断末魔、最期の一撃だったのか。決して少なくない数の車両が薙ぎ払われ、爆散する。
 けれど本当に、それで終いだった。
「あ……」
 驚きのあまり思わず片脚で立ち上がってしまい、転びそうになったメレムを咄嗟にメガドロンが抱きかかえてくれた。
 ゴジラの巨体が、沈む。爆炎の中に倒れ込んでいく。
 人類が夢見続けた光景が、そこにあった。
 今、ゴジラは確かに力無くその場に崩れ落ちていた。








〜to be Continued〜






Back to Top