episode-19
〜破壊の月姫〜
Part 6 破滅―東進―


◆    ◆    ◆






 途絶させられていた意識が回復し、目覚めた途端ゴジラは大狂乱した。そもそも、屈辱などといった概念をゴジラは知らない。誇りなどという人間の些末な理念も関係が無い。狂乱の理由はもっと単純にして明確なものだ。
 自分が、倒された。
 倒された挙げ句に意識を失っていた。
 ゴジラの野生はそれを許せない。
 本能はその怒りを際限なく膨れ上がらせ、憎恨憤怨怒、凄絶なまでの負の力が集束し、エネルギーの尽きていた肉体をそれでも立ち上がらせたのだ。
 自分を無様に地に伏せさせた砲火。
 漆黒の身体に爪を突き立て、光線で破壊した赤黒い怪獣。
 その怪獣デストルージュの中から感じる、小賢しくも十年前に自分を従えようとした、聖杯の気配。そして……知る由が無い、その事実を知り得ようが無いはずなのに、ゴジラはそれがかつて自分の同種をこの世から消滅させた兵器から生まれ落ちた、不倶戴天の宿敵なのだとわかっていた。
 全て壊す。
 全て潰す。
 全てを、滅ぼす。
 放射能がゴジラのエネルギーなのではない。この激情、衝動こそが原動力なのだと、人間にも、吸血鬼にも、地球ですら永遠に理解は出来ないだろう。
 ゴジラの眼前で、デストルージュも泣きながら起き上がろうとしていた。そこ目掛け、逆襲の進撃が開始される。
 もう何者も怪獣王を止めることなど出来ない。
 再び咆吼が天を劈き、地を揺るがす。
 あらゆる矮小な存在を、蹴散らすために。





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 ゴジラの復活は、凱聖ドランガーの帰還で活気を取り戻していた重機甲兵軍団と、長年の宿願であったゴジラ撃破に沸き立つ特自の面々を戦慄させ、その気力を刈り取るには充分過ぎる出来事だった。
「まさに……怪物……、いや……それどころか、これは……」
 言葉に詰まり、メガドロンが力無く肩を落とす。あのメレムですら軽口を叩く余裕が無い。
 全て終わった。もはや勝ち目がない……そんなムードが全隊に漂い、何人かが殆ど作業的にトリガーを引くだけだというその状況下で声を荒げたのはドランガーだった。
「えぇい、なんだなんだ情けない! 貴様ら、それでも我が重機甲兵軍団の軍団員か!? 恥を知れ!」
「いや、ボク違うんだけど……」
「メレム殿とて死徒二七祖の一角ではないですか!」
 反論を許さず怒鳴り散らし、重たげな身体を揺らしながらドランガーはツィタデルの操縦席へと向かうと何やら操作を始めた。
「ドランガー様、どうなさるつもりです?」
「ふん、知れた事よ。このツィタデルの電力をしらさぎに回し、機龍をもう一度起動させる。……直接エネルギーを送れればいいのだが、一度しらさぎを通してからでないといかんのでな、ちと面倒だが仕方がない」
 何でもないことのように言い放ち、どんどん操作を進めていく。画面には無数のウインドウが開き、何度もエラーを吐かれては半ば無理矢理にドランガーは作業を終えていた。
「ふむ、これでよかろう」
「よかろう……と言いますが、いくらなんでも無茶すぎます。確かにツィタデルの電力なら多少動かすくらいは何とかなるかも知れませんが……」
「何とかなるではない」
 厳めしい巨躯をフンと仰け反らせ、大股開きでドランガーは出入り口へ向かい、ハッチを開けた。
「何とかするのだ。私は、彼女達からそう学んだ」
 ドランガーが出て行ってから、暫くの間メレムとメガドロンは互いの顔を見合わせていた。二人ともおそらく考えていることは同じなのに、何というか、気まずい。
 ポツリ、と沈黙を破った呟きはメレムのものだった。
「……ドランガーの言う“彼女達”ってさ」
「……はい」
「どんな娘達なのか、気になるよね?」
「それは、まぁ……」
 少年吸血鬼の顔は、いつの間にか普段の彼通りの飄々としたものへと変わっていた。
「アカネちゃんだけでも落とすのが大変でいるってのに、この上まーたボク好みのイイ娘が増えたらと思うと、愉しみだけどひどく困った話だよ」
『誰が、誰を落とすのかしら?』
 通信機の向こうから、憮然とした茜の声が聞こえてきた。
『バカなコト言ってないで、今度は二体同時に相手よ? 気合い入れなさい』
「……いやはや、ボクのお姫様は厳しいねぇ。まぁ、そこがいいんだけどさ」
「電力は機龍に回しますが、ツィタデル自体はこのまま固定砲台として使用出来ます。……まぁ元より回避に有効な機動性など備えていませんからな。こうなったら弾が尽きるまで撃ち続けましょう」
 メガドロンのあっけらかんとした物言いに、手足を消失しダルマとなって椅子に鎮座しながらメレムは小気味よいウインクで答えた。





◆    ◆    ◆






「幕引き、か」
 見事、と認めざるを得ない流麗な太刀筋だった。
 あらゆる魔を断つと言われる魔戒剣の一撃も、それを使いこなす零の腕も、今や黄金騎士と比べても遜色無いだろう。
 小技の応酬は無し。互いに必殺必滅を狙った斬撃の交差を経て銀狼剣に両断された呀は、そう呟くとドォッとその場に倒れ伏した。途端、肉体を構成していた霊子部分がが分解され、霧散していく。残った血と肉は地面に広がり、大きな赤黒い染みを作っていった。
「お、おぉおお……っ」
 呀を中核としたタタリは持てる力の全てを使い果たし、魔導馬に跨ってトドメを刺そうと突っ込んでくる零を迎え撃ちはしたものの、一瞬たりとも彼の進攻を止めることは出来ず虚しく蹴散らされた。あれ程しつこかったものが最期だけは存外呆気ないものだと、割れた顔を歪ませた本人が一番驚かされていた。
「……どうかね? 怨執渦巻く因縁の相手をようやく自らの手で斬った感想は? 是非とも聞きたいものだ」
 呀の顔はいつの間にかタタリになっていた。
 真っ赤な眼と口からゴボゴボと血を流し、それなのに声はやけに澄み切っている。そもそも発声機関が無事なはずもないのだから、声のようで実際には声ではないのかも知れない。
「……なんだかなぁ」
 鎧を解除し、双剣をしまいながら零は自分でも予想外な、気の抜けた調子で呟いた。
「思ったよりも特に感慨もないな。不思議だけど」
「ほう? 養父と恋人を奪った相手を斬るために君は数多のホラーと戦い続けてきたのではないのかね? 食事はまるで砂を噛むようなもの、眠れば見るのは愛しい女が殺され続けるだけの悪夢、ホラーを幾ら斬っても心の飢えと渇きは充たされず、それでもただひたすら追って追って追い求め、その結果――自分以外の、男に斬られてしまった」
 グズグズに溶けたタタリが不思議そうに首を傾げた。
「そんな相手をようやく斬ることが出来たというのに、感慨がない? どういう事だ? わからない。ワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ。私の計算とも予測とも異なっている。君の中の燃え滾る怨念はどこへ消えてしまったというのだ? キィ、キキキ、キィキキ!」
 無性に、零はこのタタリという吸血鬼の、正確にはタタリと化してまで己の願いをかなえようとした男の残滓を、どうしようもなく哀れに感じていた。
 彼は何を求めてこうなったのだろう。成り果てたのだろう。
 一つ事に拘り、周りを顧みず、自己を顧みず、狭隘な精神のまま行き着く先は結局こんなものなのかも知れない。
 零も、もし鋼牙やカオル、それにシルヴァらがいなければ、目の前でポカンと首を傾げて嗤っているこの男と同じ結末をいつか迎えていたのかも知れないのだ。
「……あんた、可哀想だな」
「可哀想? 私が? 哀れ? 憐れ? ……嗚呼、そうか。なるほど。君は、そうだな。君は私とは違った。だからそう思えるのか。哀惜をもって私を送ろうというのか」
 寂しげに呟き、首から下を全て失ったタタリの首はゴロリと転がって天を仰いだ。
「この自我も滅ぶ。君達の恐怖から生まれた仮初めの自我に過ぎなかったが、それにしては愉しかったよ。いい、とてもいい生命の脈動に満ちた舞台だった。君達は紛れもない名優だったと酸鼻な血溜まりの中で讃美するよ」
「そうかい。俺はもう、こんな面倒な舞台は御免だなぁ」
『まったくね。アナタ、演技過剰な上にしつこすぎよ』
「フフフ。しつこいついでに申し訳ないが、私は滅んでもまた姫君の中に還るだけだ。今、姫君はいまだかつてなく乱れ狂っている。努々、気をつける……こと……だ……」
 ついにタタリの全ては血溜まりの中に消えていた。
 酷い虚脱感を覚えたが、守りし者として、零の戦いはまだ終わったわけではない。
「みんな、そろそろイリヤちゃんを助けた頃かな?」
『ええ、そうね。きっと助けてる頃よ。……でも、また砲撃が聞こえるようになってきたし、急ぎましょう、ゼロ』
 一つの戦いが終わっても大忙しだ。
 最後に血溜まりを一瞥し、零は守るべき仲間達がいる戦場へと急いだ。





◆    ◆    ◆






 ゴジラとデストルージュの最後の戦いは、放射熱線とオキシジェンデストロイヤー・レイの正面衝突によって火蓋が切られた。オキシジェンデストロイヤー・レイがいかに万物を破壊する威力を秘めていようとも、放射され続ける熱線を一度に根刮ぎ消滅し尽くせるはずもない。全てを打ち消さんとする膨大なエネルギーの奔流が大気を歪ませる。
 そんな、先に途切れた方がダメージを受ける熱線と光線の大激突の軍配は、ゴジラに上がった。
「なっ、なんという馬鹿げた威力だ……!」
 機龍を再起動させながら、モニターに映し出された光景にドランガーはあるはずもない舌を巻いた。互いに息が尽きるまで吐き出され続けた熱線と光線が、絡み合い、うねり合い、そしてゴジラの放射熱線によって全てが飲み込まれ、残るアブソリュート・ゼロの氷は瞬時に蒸発、水蒸気が巻いたかと思えば、次の瞬間爆心地には巨大なキノコ雲が生じていた。
「あれが、怪獣王ゴジラの本気……! 怒りのままに放たれた全力か!」
 デストルージュの表皮はグズグズに溶け、肉は爆ぜていた。
 それでいて原形をとどめながら悲鳴を発しているのはこれも大した生命力だと褒めてやるべきか、それとも容易く滅びることが出来ないそれを哀れんでやるべきなのか。
 ここで機龍が割って入ったところで果たして何が出来るだろう。ルナチクスやチタノザウルスとは、正直格が違う。それでも、ヒトの叡知が通用する相手ではないのだとまざまざと思い知らされながらも、ドランガーは起動キーを押そうとした。ヒトの叡知に可能性と未来とを見出し、吸血鬼と化しながらもソレを求め続けた男の結晶体として抗わず退くわけにはいかなかった。が、そこにエラー音が響く。
「な、なんだ、どうした!?」
 機龍の口が開き、鋼の咆吼が木霊した。
 エラーの原因はわざわざ調べるまでもなかった。
「これは……アルトルージュッ!」
 いったいいつの間に忍び寄っていたものか。機龍の足下には、黒い蔦のようなものが絡みついていた。それは半壊したデストルージュの巨躯から伸ばされ、散らばり、なおも拡がろうとしている。失われた力を取り戻そうとしているのか、泣きながら救いの手を求めてでもいるのか。怨嗟にまみれたドス黒い汚泥は機龍を、ガンヘッド大隊を、特自の残存戦力を、そして冬木を呑み込もうとでもするかのように張り巡らされつつあった。
「奴め、まさか周囲のものを取り込んで再生する心算か!?」
 ドランガーがそう警戒したのも無理はない。しかし実際には異なり、デストルージュ――アルトルージュ・ブリュンスタッドが求めていたのは再生ではなかった。結果的にそれは再生をもたらすものではあったかも知れないが、彼女の嘆きが求めていたのは、それ以上に……
『イ、リ……ヤ……ス……ール……オ……オ、オォオオオオオオオ……』
「呪詛攻撃? いや、ただ呻いているだけにしても、常人には猛毒になりかねんぞ、これは……」
 デストルージュの“呼び声”から検出された魔力量に驚愕しつつ、ドランガーはブースターを全開にして泥からの脱出を試みようとした。早く元を絶たなければ、デストルージュのこの鳴き声だけで冬木は死都になりかねない。
 そこら中に撒き散らされた泥がそれぞれデストルージュの影となり、オキシジェンデストロイヤー・レイをオールレンジからゴジラに浴びせかける。ゴジラのことだけは取り込むのではなく始末してしまいたいのだろう。アルトルージュの中にある怪獣王への恐怖と怯えを、ドランガーはがむしゃらな攻撃に垣間見た気がした。
「あれでなお、火力はアルトルージュが上か? ……いや、所詮は小技。あの出力では、おそらくトドメは……」
 ドランガーの読み通り、ゴジラを倒しきるにはもっと大出力の一撃が要る。そのために小技で時間を稼ぎ、回復を図ろうとしているのだ。呑み込めるだけの全てを呑み込み、己の糧、血肉として。
「ぐっ、こんな泥なぞ……」
 ツィタデルから回させた電力の残量も心許ない。現状では離脱して一撃が精々、アブソリュート・ゼロはどちらにしても使用は困難だ。
「駄目だ、動かん! えぇい、動け、動かんか機龍!!
 熱線と光線がぶつかり合い、爆風が機龍を揺さぶる。この場で行動不能でいるだけで、いつ巻き込まれて破壊されてしまうかもわからない。
 そんな焦燥に駆られていたためか。ドランガーはレーダーに新たな反応があったのを見落とししまっていた。だが冷静であったとしても反応の出現はあまりに急速すぎて、気付くのにはやはり数瞬の時間を要したかも知れない。
 どうにかして泥から抜け出せないかと藻掻いていたドランガーがレーダーに注意を向けた時、既に二つの巨大な影は地表に衝突する寸前だった。
「……む、う?」
 天空からマッハ2以上の速度で急降下してきた二つの流星は、ゴジラとデストルージュの間に割って入るように激突すると、そのまま熾烈なドッグファイトを開始した。



「モスラ!」
 コスモスの叫びが重なり、二人の両の眼からは止め処なく涙が溢れ落ちた。
 数多のギャオスを屠り、バトラとの攻防を繰り返し、冬木へ地球側の援軍が流入するのを防ぎ続けたモスラは全身の至る所に傷を負い、極彩色の翼も所々が千切れ、欠けて見る影もない。もはや満身創痍、セラの目から見ても死を待つだけの身でありながら、それでもモスラは諦めなかった。
「くっ……い、いったん――」
 ――退かせることは出来ないのですか? ――と。
 喉まで出かかった言葉を呑み込み、セラは下唇を噛んだ。
 コスモス二人はとうに覚悟を決めた悲壮な顔でモスラの最後の戦いを見つめている。バトラを迎え撃ちながらゴジラとデストルージュを撹乱し、こちらの陣営が両巨獣を撃破出来るようにと舞い踊る姿はあくまで神々しい。
 どうしてここまで出来るのか。
 ヒトを守るために産み出された、ヒトのための守護神獣だからと言って、そのあまりに自己犠牲的過ぎる献身はこれもまたアインツベルンの、イリヤのために造られたホムンクルスであるセラをして気高く、尊すぎた。
「ああ……モスラの」
「最期の、鱗粉です……」
 滂沱する落涙を拭いもせず、空中で繰り広げられる死闘を見上げていたコスモス達がそう呟いたのと、モスラがゴジラとデストルージュに鱗粉を振りかけたのは同時だった。
 白熱する放射熱線と赤熱するオキシジェンデストロイヤーレイが鱗粉にぶつかり、火花を散らしながら乱反射、巨獣達を光の檻へと閉じ込める。両者は悲鳴をあげながら仰け反り、そのおかげで機龍や他の戦闘車輌も上手くデストルージュの汚泥から解放されたようだった。が、そのせいでモスラに生じてしまった隙をバトラが見逃すわけもなく。
「あっ!」
 バトラの鋭い牙がモスラの喉笛に喰い込み、夥しい量の体液が宙空を染め上げた。流れ落ちていくそれは大蛾神獣の生命力そのものだった。その最期だけでもせめて安らかに終えさせてやらないものか、コスモスもセラもそう願わずにはいられないのに、モスラはあくまで気丈だった。
「まだ、鱗粉を……!」
 より深く牙を喰い込ませてくるバトラを払い落とそうともせず、そんな不安定な状態でも傷だらけの翼を羽ばたかせてモスラはゴジラとデストルージュを鱗粉の結界で閉じ込め続けた。その僅かな時間が、ドランガー達が体勢を立て直す上でどれ程の助けになった事だろう。
『もう、もういい! 退避しろ!!』
 機龍のスピーカーからドランガーが訴えてもモスラはまるで聞き入れず、ただ機龍を何事か意味ありげに一瞥だけしたように見えた。その視線の意味をドランガーが考える間も無く、モスラの口からは断末魔の叫びが洩れ、ついに最期を迎えようとしていた。
 だというのに――
『アァアアアアアアアアア! アア、イ……リ、……ス……ル……ゥ、アアアッ、イィイイイアァアアアアアアッ!!』
 鱗粉の結界内で自らの吐き出したオキシジェンデストロイヤーレイのダメージによってボロクズのように成り果てたデストルージュの巨躯が、拡散した。影のような汚泥そのものへと変化し、大地を覆い、空へも手を伸ばし、空中を舞っていたモスラとバトラをも取り込もうと足掻く。
「モスラ!!」
「逃げて!!」
 デストルージュから触腕のように伸ばされた泥は、まずバトラの脚へと絡みついた。バトラとしては仮にも味方側のはずの者から攻撃を受け面喰らったのだろう。モスラへと喰らいついていた牙が外れ、拘束が弛んだ。
 今ならモスラは逃げられる。逃げたところで既に助かる傷ではないが、それでもこのままモスラが取り込まれ、デストルージュの糧とされてしまうはあまりに惨すぎる。その光景に見入っていたあらゆる人々がどうか逃げてくれと願う中、しかしモスラがとった行動は誰も予想し得ないものだった。
『なにっ!?』
 その場から動くことなく、急速回転。
 おそらくは残されていた本当に、それが最後の力だったのだろう。猛烈な勢いで回転したモスラの身体からはバトラが引き剥がされ、その勢いで泥も千切れて放り出されていた。
 バトラは果たして、この仇敵の行動に何を思っただろう。
 万の年月を超えて憎み続け、何があろうとも必ず倒すのだと誓った相手が。あろう事か自分を助け、ドス黒い泥に美しかった翼ごと呑み込まれていく。
 モスラがどうしてこの期に及んでバトラを助けたのかは、モスラの心を読めるはずのコスモス達にすら正しく理解の及ぶ範疇ではなかった。近しい存在でありながらも、ヒトを守るために生きた自分とは真逆に地球生命に命じられるままひたすら戦い続け、その挙げ句に味方のはずのものに取り込まれようとした事への同情か、憐れみか。それともただ咄嗟に助けられるものを助けてしまっただけなのか。
「モスラが……」
「生命、尽きて……」
 淡く輝いていた燐光が、徐々に消えていく。
『アァアアアアアアアアア! イィイリィイイァアアアスゥウウウウウィイイイイイイイル!!』
 神獣モスラを取り込んだことで幾分か回復したのか、デストルージュは再び泥から形を成そうとし始めた。その動きはゴジラよりも機龍よりも速く、破壊のエネルギーが体表を放電したかのように駆け巡る。
『何という往生際の悪さだ! それでも吸血鬼を、祖を統べる姫君か!? 恥を知れぃ!!』
 モスラの壮絶な逝き様と比べあまりにも醜い姿に、ドランガーは怒りのまま機龍を突っ込ませた。同時にメーサーやミサイルが雨霰とデストルージュ、そしてモスラの遺した結界に封じられたままとなっているゴジラへと降り注ぐ。
『このまま最大出力で殴殺してくれるわ!!』
 機龍の鋼鉄の拳がデストルージュの崩れかけた頭部へ迫る。が、そこにあったのはデストルージュの頭ではなかった。
『バカな、こいつはッ!?』
 ドランガーにとっては見覚えのない、キングザウルスV世の頭が生え、障壁を展開してメーサーとミサイルを防いでいた。これでは機龍の拳も届かない。正面からのあらゆる攻撃をキングザウルスのバリアは受け止め、弾き返している。
 そう――
 正面からでは、無理だった。
『うぉおおおおおおおおおおおおっ!!』
『よし、今だ撃て、家城ぉおおおお!!』
 真上から、ずっと勝機を窺い続けていたガルーダが急降下、キングザウルスV世の首を狙い、頭上にあるバリアの死角へありったけのメーサーを叩き込む。
『アァアアアアア! イィイイイイイリィイイイイイァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
 キングザウルスの頭部は消し飛び、障壁も霧散していた。そこに今度は機龍の背後からツィタデルがありったけの砲弾を叩き込み、駄目押しとばかりにウインダムの火炎弾がデストルージュの脇腹に風穴を空ける。
『あっはは! ほら今度こそ潔く滅びなよ、お姫様ぁ。こちとらゴジラも倒さないといけないんだしいつまでもキミの相手なんかしてられないんだよ!』
 ザマーミロ、とメレムの哄笑が木霊した。
 這いつくばり、蹌踉けながら、デストルージュは息も絶え絶えに手と思わしきパーツを伸ばしていた。赤黒い怪獣然としていたそれは、いつの間にか病的なまでに白い少女の腕へと変貌し、啜り泣きながらたった一人の友達を求め、彷徨う。
『イィイ、リ、アァアアアア』
『……ふぅうン!!』
 その醜悪な姿に、いっそ介錯をとドランガーは拳を突き立てた。脇腹の風穴をさらに拡げ、鉄の爪で臓腑を抉る。
『アァアアアアアアッ!! スゥウウウウウウ、ヒィイイイイイイイイイイウッ!!』
 断末魔だと、誰もがそう感じていた。
 理知の欠片も感じさせず、ひたすらイリヤを求めて暴走する狂神と化した破壊獣は、ウインダムと機龍の攻撃で胴体を半分喪失しながらも最後の力を振り絞った悪足掻きとしてオキシジェンデストロイヤーレイを放とうとしている――メレムの目にもドランガーの目にも、結城の目にも、そう見えた。
 最初に異常に気付いたのは、茜だった。
『……結城少佐、あいつ、おかしくありませんか?』
『なに?』
 ボロボロになった身体を引きずるようにして蠢くデストルージュの巨躯の何ヶ所かが、奇妙に膨らんでいた。まるで何かのでき物、腫瘍だ。
『まだ、何かする気か?』
 腕を引き抜き、機龍にも念のため距離をとらせながらドランガーはボコボコと膨れる腫瘍を見ていた。全身焼け爛れ、怪獣の外殻の合間合間から白い少女の手足が無数に生え、伸びている今のデストルージュの姿は極まって歪だ。そこに出来た腫瘍の一部が、ついに膨張の果て、裂けた。
 瞬間、空気が凍った。
『本当、どこまでも最悪なお姫様だよ……』
 頬筋を引き攣らせながら、メレムは毒突いた。
 熟し切った果実の皮が勝手に剥けてしまったかのような、裂けた腫瘍の部分からはオキシジェンデストロイヤー・レイと同質と思われるエネルギーが溢れ、手近にあった岩塊を破壊していた。針でつつけばすぐにでも破裂しそうな今のデストルージュが何をする気なのか、全員が息を呑む。
『自爆……黒の姫君が、自爆を……!』
 彼女の出自、性質、目的、そのどれからも、誰も自爆という結末は予想だにしていなかった。
 彼女に残されているエネルギーがどれだけで、実際に自爆したとしてどのくらいの規模、範囲を破壊せしめるのか。ただの爆発ではなく、万物を破壊するエネルギー粒子によって引き起こされるその威力は予測もつかない。最低でも冬木は消滅、やもすれば西日本、否、日本列島そのものが破壊し尽くされかねない。
『何とか止める方法は……っ』
『無理だよアカネちゃん。あれはもう、破裂寸前だ。触れただけであの醜い毒袋はパーン! ……本当、コレが仮にもお姫様のとる手段かってね』
 万事休す。
 こんな事になるならアブソリュート・ゼロを温存しておくべきだったかと悔やみながら、ドランガーは何とかもう一度撃てないものかあらゆる側面から計算を繰り返した。デストルージュの自爆に効果があるとすれば、絶対零度で瞬時に再び奴を凍らせる以外におそらく方法が無い。
 仮に残りのエネルギーで撃てたとしても、全身を凍り付かせるのは不可能だろう。せいぜい一部、出来て半身か。
『ええい、ままよ!』
 主機関をオーバーロードさせてでも、ここで撃たなければ全てが終わる。部下達にも残っている冷凍兵器があれば出し惜しみせずブチ込むように指示を出し、ドランガーはアブソリュート・ゼロの照準を再びデストルージュに合わせた。
(出来る限り中心を狙い……全身は無理でも、大半を氷結させることが出来れば……!)
『アブソリュート・ゼロ! 今一度喰らえぇい!!』
 エラーを吐くOSを無理矢理ねじ伏せ、不完全な絶対零度砲が発射される。撃った途端、動力の切れた機龍はその場に倒れ込んだ。
(これで駄目なら、もはやどうしようも――)
 全システムがダウンした機龍の中からは外の様子は何一つわからない。急いでツィタデルと回線を繋ぎ、モニターもそちらに合わせたドランガーは自らが撃った最後の絶対零度砲の結果を確認して、愕然とした。
『イィイイイイイイリィィイイイイイイイイイッ!!』
『……外した、か』
 アブソリュート・ゼロはデストルージュの中心から僅かに外れ、その右半身を氷結させたにとどまっていた。残る左半身が益々膨張していくのを、残っていたほんの数発の冷凍弾や冷凍メーサーで止められるわけもない。
 終わった。
 しかしこれでアルトルージュもゴジラも何もかも吹き飛ばしてしまえるなら、意外と悪くはないのかも知れない。
 願わくば被害が最小限にとどまるよう――そう願い、皆爆発に備えようとした時、一筋の閃光が空を切った。
『……へ?』
 メレムの間の抜けた声が聞こえ、閃光がデストルージュの左半身へと突き刺さる。
 パキリ、と音がした。
 薄氷を踏み締めたかのような、そんな音だ。
 と、同時に。

 ――ダメよぉ? その程度で諦めちゃうようじゃ――

『は、はは……プッ、アハハ! なんだい、やっぱり生きてたのか。あの酔っぱらい』
 思わず噴き出したメレムの耳には、モニターの向こうでデストルージュが凍り付いていく音と共に随分と懐かしい声が聞こえていた。この声を聞けば、リタも大層喜ぶことだろう。
 が、それにしても。
『これはちょっと美味しすぎるんじゃないの? スミレ』





◆    ◆    ◆






「……ふぅ。あんがとね」
「礼なら“マンダ”に言うがいい」
 いつも通りのムスッとした不機嫌顔で返されても、今のスミレはアブトゥーに対し腹も立ちようがなかった。今、日本の冬木には自分の顔馴染みが何人もいる。理由や経緯はさておき、彼女らを救えたのが単純に嬉しい。
「あの悪魔のような怪獣が自爆していれば、その被害はおそらくあの場で戦っておられたどなたの予想よりも大きかったはずです。防ぐことが出来たのにはこちらとしても感謝したいくらいですよ」
 アネットの言葉に嘘は無かった。デストルージュがあのまま自爆していた場合、日本が消し飛ぶどころかユーラシア大陸が剔れ、地球に大規模なポールシフトが生じていた可能性が高い。ムー達海底側としてもそれは望ましくないのだ。
「フフ。そっちの誰かさんと違ってアネットは素直ねぇ。よし、お姉さんが一杯注いであげちゃう!」
「いえ、あの、お酒は……今はちょっと」
 そんな風にじゃれ合うスミレとアネットを一瞥し、忌々しげに鼻を鳴らすとアブトゥーは吐き捨てるように言った。
「祝杯とは気が早いものだ。見ろ、あの化物、まだ動くぞ」
「あらま……ホントに、つくづくあの黒姫様は」
「力の殆どは失っているようだが……大した怪物ぶりではないか。で、どうするのだ? 我らは地上との交渉が成立しない限りこれ以上手助けする気は無いぞ」
 底意地悪く口の端を釣り上げて見せたアブトゥーに、スミレは溜息一つ、気の無いように首を回して、唸った。
「うーん、……でもまぁ、決着つけたがってる厄介なのがもう一匹、いるからねぇ」
 地上を様子をやや呆れながら見守りつつ、スミレは盃の中の酒をどこか寂しげに弄んだ。





◆    ◆    ◆






『ヒィヤァアアアアアアアアアアアアア……』
 凍り付き、自爆さえも止められたデストルージュは、微かに露出した部分を顔の形へと変化させ、悲しげに啼いた。
 どうにかして氷を砕き、傷ついた身体を再生させようにもうまくいかない。一度目は表層のみ凍結するにとどめる事が出来たアブソリュート・ゼロの冷気が今度は中身まで浸透していく。対抗しようにも、力がどこかへ消えていく虚脱感にアルトルージュはただただ啜り泣いていた。
 自分の力を奪っているのが凍てつく氷だけでなく、自分のもっと深く、内側に在る事に気付いていたなら、或いはまだ逆転の余地も残されていたかも知れない。しかし少女はその事に気付くことなく、ただ外からははっきりとそれが視認出来た。
「鱗粉が……!」
 デストルージュを包み込む淡い光の粒子に、セラはモスラの魂を見た気がした。自分が呑み込まれることすら織り込み済みでの、これがモスラの最後の攻撃だったのだ。
 鱗粉はデストルージュを光で拘束し、その怨念じみたドス黒い力を浄化、雲散霧消させていた。
『いかに黒の姫君と言えども、今度こそ終わりか』
『いやいや、念のため凍ってるうちに粉々に砕いて欠片も残さず焼却しちゃおうよ。このお姫様のしぶとさについては今さら論じるまでもないしね』
 メレムの言う通り、完全に焼き尽くして灰にしてしまわない限り、放っておけばすぐまた復活するかもわからない。やり過ぎるくらいに徹底しておいて間違いはないのだ。
 残存する各機が照準をデストルージュに合わせ、トドメの集中砲火を浴びせかけようとする。
 その時、不意に大地が揺れた。
『地震……なワケ無いよねぇ』
 うんざりとメレムが呟く。
 地響きに混じって、咆吼が響き渡った。
 口にせずとも誰も皆わかっていた事だ。奴があのまま静かに封じられてくれているわけがない。むしろよく今の今まで大人しくしていたものだ。
 大気を青白く発光させながら、ついに結界を抜け出したゴジラは激怒の熱線を灼熱させた。



 蹂躙だった。
『機龍はもう無理だ。指一本、動かせん』
『ガルーダも、こりゃお手上げだな』
 一方的すぎる、ひたすら残虐な殺戮ショーを見せつけられ、表情を変えられないドランガー達ゴーレム以外の全員が顔を顰め、あのメレムですら笑顔を凍り付かせていた。
『……神に、祈りたくなってくるよ』
 結界を抜けたゴジラは全身発光による不意打ちでガルーダ始め各戦闘機、車輌を退けると、すぐさまデストルージュへの攻撃を開始した。荒れ狂うゴジラに対し、氷骸も同然のデストルージュは抵抗すらままならず、ただ恐怖からか闇雲に動ける部位を動かしては殆どカウンターのようにゴジラからの憤撃を受けている有り様だった。
 嬲り殺しだ。ゴジラもまたエレキングから取り入れた電気エネルギーが底を尽き、度重なる連戦によるダメージは回復のしようも無くこちらも死に体寸前な状態だったが、それ故に怒りも深かった。
「う、あ、うぅ……」
「未希お姉ちゃん……!」
 あのゴジラが今日だけでどれだけダメージを喰らい、地に倒れ伏したか。その怨執は、シェルターから地上へと出た未希の心を焼いていた。読もうとしていないのにゴジラの思念が心を蝕んでくるのだ。こんな事は、初めてだった。
 由紀香に肩を借りながら、未希は込み上げてくるものを必死に堪えていた。こちらからゴジラの心を読み取ろうとした時よりも余程ダイレクトに伝わってくる。受け止めきれずに気を失った時と異なりそれすら今の未希には出来なかった。
「欠片も、残さない……何もかも、全てを許さない。……人類への怒りも、アルトルージュ・ブリュンスタッドへの怒りも、……今のゴジラは、地球に対しても激しく怒ってる」
「……なんで」
 かつての記憶に心痛めながら、それでも由紀香は悲しむような、憐れむような、そんな表情を浮かべてゴジラを見上げ、目を細めた。
「どうしたら……そこまで怒ることが出来るの? どうすれば、そこまで憎めるの……? お姉ちゃん……わたし、わからないよ……そんなの」
 普通の、特に由紀香のような人間にはおそらく永遠に理解出来ないのだろう。こうして直接感じ取っている未希でさえ理解しかねるのだ。どうしてゴジラはあんなにもこの世全てを憎み、壊し尽くそうとするのか。数万年の孤独と、人間の愚かな行為によって肉体を激変させられたことと、それらの要因からしてまず常人の理解の範疇に収まるわけがないのだから、道理と言ってしまえば道理だった。
「以前は、ね」
「……」
「ゴジラこそが環境を破壊し続ける人類に対しての地球の怒りや悲しみ、憎しみを代弁する存在なんじゃないかって、そう言う人達もいたの。私も、そう思っていたことがあった。けど、違う」
 ゴジラの振り回した尾がデストルージュの顎を跳ね上げ、ガラ空きになった腹部だった部位(・・・・・)へ黒い巨体が丸ごと激突する。地響きと、デストルージュの悲泣に目を背けたくなるのを、未希と由紀香は懸命に堪えた。
「人間も、地球も、ゴジラという一個の存在を自分達の価値観で無理に定義づけようとしたのが多分、間違いだった……生命に対する傲慢だったんだわ。だって、産まれてしまったんだから。ゴジラはゴジラとして、もうそこにいるのに」
 倒れたデストルージュの身体をゴジラが何度となく蹴りつける。全身を青白く発光させ、残る放射能エネルギーを惜しむ様子すら見せない、破壊獣に対する徹底的な破壊だ。
 セイバーのエクスカリバーすら寄せ付けなかったデストルージュの外殻は凍てついた表面ごと見る影もなく砕け、一撃ごとに乾いた音を立てて飛散してしまっていた。もはや存在を維持出来ないのか、雪の結晶のように大地に降り注いだ欠片は溶けて黒い泥と化し、そのままドロリと拡がって大地に染み込んでいく。冬木を再び浄化するには、また長い時間がかかるかも知れない。
 後はデストルージュが死に絶えるまで、一方的な蹂躙劇が続くのだろう。未希も、由紀香も、綾子やシェルターから出てきた他の人々も、全員そう思っていた。逆転は無いと、誰の目にも明らかだった。そこで、
「あっ!」
 本当にこれが、最後の悪足掻きだったのか。それとも純粋な生存本能に突き動かされて行った今際の抵抗だったのか。
 倒れ伏し、蹴られるだけだったデストルージュの口が開き、至近距離からのオキシジェンデストロイヤー・レイがゴジラの胸部を直撃した。赤いプラズマが迸り、ゴジラの咆吼が苦しげに轟く。
「まだあんな力が……」
 蹌踉めいたゴジラに向かって、デストルージュは残された力の全てを振り絞って飛び掛かった。これ以上ないくらい完璧なタイミングだった。いくらゴジラでも至近距離から破壊光線を喰らったのでは胸部に甚大なダメージを負っているはずで、そこに起死回生とばかりにデストルージュがその鋭角なツノや牙を突き立てれば逆転も充分あり得る。
 巨大な獣鎧の中で、アルトルージュは果たして何を考えていたのか。ゴジラへの逆転勝利を確信しての行動だったのか。
 しかし、
「ゴジラが!」
 それさえも――
「ッ!」
 ――届かない。
 怪獣王には、通用しない。
 とてつもない衝撃がデストルージュの顔面を襲い、イリヤ救出のために割られていたツノの根本付近を中心にして粉砕微塵する。もはや悲鳴をあげることさえままならず、赤黒い巨獣が仰け反っていく。
「頭……突き……」
 あの局面で、胸部を破壊されながらそれでもゴジラは怯まなかった。怯むどころかさらに踏み込み、突っ込んできたデストルージュの頭部へ逆に自分の頭をブチ当てたのだ。
 デストルージュの全身が、ひび割れた。
『イ、イィイイイイイイイイイイ……』
 何度も立ち上がった。
 致命傷と思われるダメージを幾度も喰らいながら、まさに吸血鬼と怪獣の不死性を併せ持つかのような不死身ぶりを人々とゴジラに見せつけた。
 それも、ついに終わる。
 破壊獣が、消えていく……



『イリ、アァアアア……アァアアアアアアア……』
 小さな肉塊となってもなおイリヤを求め、デストルージュ……否、アルトルージュは崩れた双眸で辺りを見回した。
 友達を探して。友達を求めて。
 白い手をどこまでも伸ばす。
 イリヤの魔力は感知している。すぐそばに、まだいるはずなのだ。イリヤさえ戻ってくれば自分は何もかも平気で、全然元気で、またすぐに怖いものを全て蹴散らしてやるのにと泣き喚きながら這いずったその先に。
「……アルトルージュ・ブリュンスタッド」
 聖剣を正眼に構えた騎士王が、待ち構えていた。
『……なん、で?』
 その英霊は、自分の手駒だったはずなのに。黒き血の契約で縛られた命令通りに動くお人形だったはずなのに。どうしてそれが自分に剣を向けているのかが、わからない。
『ねぇ……、なんで?』
 もう一度、少女は疑問を口にした。わからないから。何もかも、わからないから。その子供らしい純真な無垢さが、邪悪と縁遠いものならばどれだけ良かった事だろう。
 迷いを振り払うかのように、セイバーは唇をキッと引き結んだ。この少女だけは、ヒトの世の未来のために生かしてはおけない。
 不思議そうにしている少女の顔へ、聖剣が振り下ろされる。
「約束された――」
 残された魔力の全てを込めた、一振り。
 今度こそ、あの呪われた黒き泥を消し飛ばすために。
「――勝利の剣ッ!!」
 あらゆるものを光芒の彼方へ、灰燼と帰す一閃。
 それが、超破壊月姫デストルージュの、最期だった。





◆    ◆    ◆






「……ゴジラが、東に」
 足音の地響きが遠ざかっていく。足は道を割り、尻尾は建築物も自然もお構いなしに薙ぎ払い、悠然とゴジラは冬木から去っていく。
 エネルギーは、最早完全に底を突いているに違いなかった。数々の怪獣達との戦闘に加え、デストルージュとの死闘を終えたその巨体は満身創痍のはずなのだ。
 ゴジラの不死身とも言える全身が軋み、悲鳴をあげているのを、未希は確かに感じ取っていた。しかしその内に渦巻く憤怒の激情は一時も安らぎはしない。むしろデストルージュを倒し、粉砕したことで彼女の闇さえも取り込んでより凶悪さを増したようにさえ思えた。
 今のゴジラの胸中は計り知れない。元より人間が理解出来る相手ではなかったとは言え、今や単純な憎悪や破壊衝動といったものよりもさらに深まってしまったような……覗いてはならない深淵に触れた気がして、未希はゾクリと身を震わせた。
「大丈夫?」
 心配そうに尋ねてくる由紀香に努めて明るく振る舞うことさえ出来そうにもない。今は、ただ深く、深く、自らが授かった異能へと神経を研ぎ澄ますのみだ。
「急がなくちゃ……」
「未希お姉ちゃん?」
「ゴジラは、飢えを満たすためにエネルギーを求めてる。でも、最終的に向かっているのは……東京。東京に、ゴジラを呼んでいるヤツが……いるわ」
「そうですね。最終目的地は東京で間違いないでしょう」
 いつの間にやって来たものか、未希のすぐ側に、別れる前と比べ随分と汚れの目立つ格好となったシオンが立っていた。他に志貴達の姿も見えるが、いずれもゴジラ同様に満身創痍でありながら目だけは輝きを失っていなかった。それを見れば今回の勝利がどれ程に辛く困難で、またどれだけの価値があったかがわかる。
「あっ」
 士郎に背負われ、穏やかな寝息を立てている少女の姿を見つけた由紀香は思わず涙ぐんでいた。
「ああ……よかった……本当に、よかったよぉ」
「三枝さん達にも心配かけたけど、みんなのおかげでお姫様は何とか助けられたよ」
 士郎の優しい言葉が張り詰めていた神経を解きほぐし、心にじんわりと温かく染み込んできた。
 由紀香にとっての残る気懸かりは言うまでもなく鐘や楓の安否についてだったが、イリヤの無事な姿を見ればそちらもきっと無事に違いないと信じる力が湧いてきた。
「どうせなら、あの怪獣王さんも倒して完全無欠のハッピーエンド、っていきたかったのだけどね」
 やや年寄りじみた仕草で肩を叩く凛の言葉は、ほぼ全員の総意だった。
「このまま東進するのだとして、足止めは……ほぼ、無意味でしょうね。今回の戦いで改めて思い知らされました。ゴジラには、出し惜しんだ戦力など梨の礫だ。人類が……全てのヒトが総力を結集しない限り、あの怪物には絶対に勝てない。勝てる未来が、浮かばない」
 言ってから、シオンは今自分が感じているこの絶望は、かつてワラキアも味わったものなのに違いないと感じていた。 デストルージュが消滅する間際、他の皆は聞こえなかったようだが、シオンには確かにワラキアの叫びが、あの耳障りな哄笑が聞こえたのだ。
 アトラスの錬金術師として生まれてから、今ほど不確定な未来が欲しいと思った事はない。計算可能な確定的未来ではなく、ただ漠然と未来が、希望が欲しい。自分は、そのために戦うのだろう。
 ゴジラは、おそらくこのまま太平洋側を東進して行く。東京へ至る途中にはかつて一度襲撃したことのある静岡の井浜原子力発電所がある。今の進路から見て、ゴジラはその食事場を覚えているのに違いない。
 伊豆に集結している特自の残存兵力やヴァン=フェムの戦力でも、東からギャオスやレギオン、西からゴジラに攻められてはひとたまりもない。結局、決戦の場を選ぶとするならば――
「東京。……ORTが待つ水晶の魔都が、最後の決戦の舞台です」
 そこしか、無い。
 アルトルージュに連れ去られたアルクェイドも、まず間違いなく東京にいる。あの地こそがこの星の未来を決定づける場所なのだという、それはアトラスの未来予測ではない、シオン・エルトナム個人の予感があった。この場にいる全員が程度の差はあれ各々感じているだろうとも思う。
 皆、去りゆくゴジラを、そして東の空を見上げていた。
 暗く黄昏ゆく空はあまりにも朱く、けれど煌めく星々の光のように希望が潰える事は無いのだと、そう信じたかった。





◆    ◆    ◆






「ぐっ、あ!」
「いい加減、観念なさい」
 構えた魔剣ザラードを右手首ごと斬り飛ばされ、喉元に日傘の切っ先を突きつけられたフィナは、血塗れのリタの姿に惚れ惚れと嘆息した。
「本当に、惜しいな……リタ。君が女でさえなければ、俺達がこんな風に傷つけ合う事は無かったろうに」
「この期に及んでまだ戯れるつもりですの?」
 冷然と言い放つリタの身体にも、フィナの撃った弾丸が無数の風穴を空けている。傷の程度はさほどには変わらず、結局相打ち同然だったことに苦笑しそうになりながらもリタは日傘の柄を握る力を緩めなかった。自分も、フィナも、これ以上のダメージは吸血鬼であっても致命傷となる。もうほんの僅か日傘を突き出せば、白騎士と呼ばれた祖との因縁に決着をつけることが出来るのだ。
「墓碑にどう刻めばよいか、希望くらい伺いますわよ?」
「優しいじゃないか。俺のために墓を建ててくれるなんて」
「永い付き合いでしたもの。先代ロズィーアンの……父の顔を立てようというまでのこと」
 去来するものは複雑で、とても一言では言い表せそうになかったが、それらを呑み込めてしまうくらいにはリタは永く生き続けてきた。
「で、どう刻みますの?」
「ああ、そうだな……そう――」
「ッ!?」
 唐突に、背後に生じた気配に反応したリタはドレスを翻して襲撃者を避けた。ダメージが深過ぎたのか、それともフィナとの決着という感慨に耽っていて気が弛んだか。どちらにしても不覚だ。不意打ちを受けた屈辱に歯噛みしながら、リタは逃げようとするフィナに向かって日傘を一閃させた。
「うぐっ!」
「フィナァアアア!!」
 白騎士の右脚を膝下から斬り飛ばし、リタは崩れた体勢を直しながらなおも追撃をかけようと試みたが、それ以上は襲撃者が許してはくれなかった。
「そこまでです、リタ・ロズィーアン」
「リィゾ!」
 そこにいたのは肉体は傷一つ無いもののボロボロの黒装束を纏った黒騎士リィゾと、生きているのかも疑わしいくらい血塗れ、傷だらけでプライミッツ・マーダーに背負われているアルトルージュ・ブリュンスタッドだった。
「手酷くやられたものですな、フィナ」
「ああ、すまないな、リィゾ」
 形勢逆転だった。
「……まさか、こんなエンディングとは思いませんでしたわ」
 悩ましげに溜息一つ。構えを解いたリタは降参だとばかりに手を挙げた。見たところ、アルトルージュは瀕死なもののリィゾもプライミッツ・マーダーもまだ充分に戦闘可能なようだ。どうやら墓に刻む言葉を考えなければならないのは自分の方だったらしい。
 俎上の鯉とはよく言ったものだ。最期まで潔く、毅然としたまま迎え入れようと覚悟を決めたリタに、しかしリィゾはフィナに肩を貸すとあっさりと背を向けた。
「……情けをかけるつもりですの?」
「我々が優先すべきは何よりもアルトルージュ・ブリュンスタッド様の御身。今は貴女に構ってさしあげている余裕はありませんので」
 虚仮にされた怒りに、リタは全身の血が煮え滾るのを感じた。討ち死に覚悟で挑めば、瀕死のアルトルージュとフィナを道連れにすることくらい可能な自信はある。
 残る力を振り絞って日傘を構え直し、必殺の呼気を整えたリタはそのままリィゾ達に斬りかかろうとして、
「……気が、削がれましたわね」
 やめた。
 ここで殺すのも、殺されるのも、おもしろくはない。それならば今日の激闘で敗走する彼らを笑って見逃してやるのも一興だろう。
「ええ、ええ。無様にお逃げなさいなオセロコンビ。それに真っ黒お姫様も。せいぜい念入りに首を洗ってなさいな」
 リィゾもフィナも一言も発することなく、廃墟の闇に消えていく。少しくらい皮肉でも込めた負け惜しみを期待したのだが、そんな余裕すら無いのだろう。
「並の吸血鬼なら、死んでいる。祖でもあの傷ならまず致命傷。アルトルージュ・ブリュンスタッド……これで滅んでくれるようなら楽なのですけれどね」
 言ってから、流石にもう限界だった。
 膝が笑っている。
 尻餅を突かずにいられた自分に、リタは拍手でもしてやりたい気分だった。





◆    ◆    ◆






 巨大な水晶塔と、それを中心に立ち並ぶ水晶の卒塔婆――今の東京の中心を喩えるならまさしくそのような、まるで墓地だった。水晶塔の正体は東京タワー、卒塔婆は言うまでもなく高層ビル群だ。その塔の真下で、ORTは静かに踞っていた。
 ダメージを受けたのでは無い。睡眠や休息とも異なる。ただ時折、真紅の瞳を明滅させては無数の触角を天空へ向けて奇妙に振り回し、旋回させていた。触角が風を切る音は人間の耳には殆ど聞こえない低周波を放っていたが、そもそも今、この東京には生きた人間など一人もいやしない。
 この街は死都だ。
 逃げ遅れた人々は水晶に囚われ、その肉体を変質させ、残らずレギオンという異形の素体へと成り果てた。他の動植物も例外なく辿った末路は同じだ。ORTの水晶渓谷は一度発動してしまえばその侵食を食い止める事は困難を極め、僅かに難を逃れる事が出来たのは極一部、高位の魔力、霊力を備えた魔物や守護霊のみだった。
 国家中枢たる東京には、いかなる魔的存在による侵略にも耐えられるよう各所に結界が張られ、それらは或いは霊脈に沿い、或いは要石によって気溜まりを作られ点在していた。
 例えば渋谷のハチ公像も、その一つだった。
 彼がただの銅像ではなく、東京を鎮守するための比較的新しい要石の一つである事を知っている者は少ない。作られてから百年近く、戦時中一度は接収されたものの新たに作り直されてなおこの地を守り続けていた。
 亡き主を待ち続ける、忠節に憂いた瞳は変わり果てた渋谷駅前を静かに見据えていた。
 動けぬ身体で彼は思う。もし主人が生きてこの光景を見たなら、何と漏らすだろうか。主人はこの東京という街を、少なくともあの当時は愛していた。だから自分もこの街が好きだった。時代と共に移り変わる街と人の様子に色々と思うところも無くは無かったが、それでもハチ公は亡き主を待ちながら静かにこの街を守護し続けてきた。
 この身が僅かにでも動けば水晶の化物達の喉笛に噛み付いてやるのに……などと考えていたハチ公の足下で、もう一匹、主の帰りを待つ小さな――こちらはまだ生きている黒猫が、物悲しそうな瞳でORTとその眷属、そして水晶都市東京を見つめていた。
 無力なのは二匹共に同じだ。
 一方は動けず、一方は抗えるだけの力が無い。
 そんな中、不意に黒猫が弾かれたように空を見上げた。
 正確には空ではない。もっと向こう、天空の彼方、電離層を抜け、無窮の闇を超えた先から感じる、邪悪な気配。ハチ公も黒猫も、それを明確に感じ取っていた。
 ハチ公に礼を言うかのように黒猫は小さく頭を下げると、駆け出していた。蠢くレギオン達の合間を縫って、水晶の都をひた走る。
 何もせずに主人を待ち続けるわけにはいかなくなった。
 自分如きには何も出来ないかも知れないが、それでも黒猫は、駆ける。
 ORTの触角の一本がピクリとざわめいた。
 長い一日が、始まろうとしていた。








〜to be Continued〜






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