その真白き祈りと呪いの果てに




◆    ◆    ◆




「なぁ、マミ」
「なぁに? どうかしたの?」
 台所で鼻歌交じりにゆったりと鍋を掻き混ぜているマミの背中に、杏子は不満げに眉を顰めたまま鬱屈とした視線を向けた。
 Cerchioの営業時間の都合上、夕食は基本的に閉店後、日付が変わるか変わらないかの時間になってしまう場合が殆どだ。今夜も既に時計の針は午後十一時三十分を回ってしまっている。
 受験を控えたゆまだけは先に食事を終えて今は自室に籠もって勉強中のはずだが、先程杏子が顔を合わせた時、Cerchio唯一の十代生魔法少女はやはりげんなりとした顔でフルフルと首を横に振っていた。
 溜息も出てこない口をモゴモゴと動かし、杏子はすぐ隣で寝っ転がっているほむらを見下ろした。今の季節、ほむらは炬燵で丸まり猫と化す。普段はクールぶって無表情なくせに、炬燵に入っている時の彼女と来たらだらしなく口元を歪め横になったまま蜜柑を一つ二つ三つ四つ……放っておくと籠が空になるまで食べ続けるので始末に負えない。
 そんな彼女だから、もしかすると自分やゆまと比べて現状をさして不満にも感じていないのかも知れないな、と杏子は今度こそ溜息を吐いた。心なしか、息が重い。正確には息を吐き出した喉が重苦しく感じる。
 風邪ではない。インフルエンザでもない。
 もっと、質量的な問題として重たく感じてしまうのだ。
「温まったわよー」
 マミの朗らかな声が、地獄の鬼の声にも聞こえた。絵本に載っているような、罪人を釜茹でしている黄鬼だ。彼女が手にしたお盆の上で、一見お椀に見える冥府の釜の中には黄泉の供物がホカホカと忌まわしい湯気を立てている。
「それじゃ冷めないうちに食べちゃいましょう。フフ、今日もすっかり遅くなってしまったわね」
「……よっこらしょ、っと」
 億劫そうな声を漏らし、ほむらがのらりくらりと起き上がった。乾いて少しひび割れた唇の端に蜜柑の白い筋――橘絡が引っ付いている。女も四半世紀を生きるとどうしようもなくこうなってしまうのだといういい見本だった。自分達を疑いなく魔法少女と自称出来ていた頃が心底懐かしい。
 しかし、懐旧は所詮虚しい逃避だった。
「はい、こっちが杏子、こっちがほむらさんね」
 杏子のお椀は朱塗りの無地、ほむらのお椀は黒地に可愛らしい猫の顔が描いてある。同じく黒地のマミのお椀に描いてあるのは狸……なのか何なのかよくわからない、丸っこい珍妙な生物だった。ちなみにゆまのお椀は黒地にデフォルメ化された魚の骨だ。
 濛々たる湯気の中、椀の中身は猫でもなければ狸でもなく……まだ骨と化していない魚の姿がまず見て取れた。焼きハゼが澄んだ汁の上に浮いているのだ。他にも千切りにされた大根、ニンジン、ゴボウ、それにカマボコやズイキも見える。が、それだけのはずがなかった。まだ、主役が沈んでいる。焼きハゼの出汁が効いたこの芳しい香りの汁の底に、白いアイツが沈んでいるはずだった。
「じゃじゃーん。今日は仙台風にしてみましたー!」
 明るく響くマミの声。
 その反対側でモゴモゴと唇を動かし、手も舌も使わずに橘絡を落とそうと試みているほむらの仕草は果てしなく残酷で、彼女を慕う鹿目タツヤにはとてもではないが見せられたものではなかった。クールで知的でカッコイイほむらお姉さんが所詮は幻想に過ぎず、これこそ彼女の正体なのだと中学二年生の少年に突きつけるのはあまりに惨い。
 ともあれ、両手を顔の前で合わせ、「イタダキマス」と無機質に声を発した杏子はあらゆる感情を排し機械のように箸を動かした。
 そもそも、杏子は食事というものを極めて重要な、ある種神聖なものとして捉えている。好き嫌いなど以ての外、こうして毎日美味しい食事にありつける幸福を、かつて父が信仰した道からは外れてしまった今でも神という高次の存在に心の底から感謝しているつもりだ。
 が、しかし。
 そんな杏子をして、箸の先にズシリと絡まる白いヤツの感触には眉を顰めざるを得なかった。
「どう、美味しい?」
 ニッコリと、マミが尋ねてくる。
「ウン、オイシイヨ」
 メカ杏子の返事が部屋の空気に溶けた。
 美味しい。
 そう、美味しいのだ。不味いはずはないのだ。
 焼きハゼは出汁も身肉も実に美味で、野菜類も汁の旨味が沁み込みつつも決して煮えすぎず口当たりの良い歯応えが残っている。そしてその中に沈んでいた、ムッチリモチモチとした粘りとコシのあるアイツを杏子は口に運んだ。
「ウン、オイシイ。スゲェ、オイシイ。……オモチ」
 餅。
 お餅。
 蒸した餅米を突き練り作られた、日本古来の食品。主に冬場、特に正月に好んで食べられる縁起物でもあり、杏子も好きか嫌いかで言えば間違い無く好物に分類されるものだった。
 凝り性のマミらしく、雑煮の中の白餅はいったん炭火で焼いてあり、微かな焦げ目がまた香ばしく食欲をそそる。悔しいくらい美味しくて、杏子は思わず涙ぐんでいた。
「……ひょうほ」
 モゴモゴと口を動かしながら、ソッとほむらがティッシュを差し出してくれたのを掴み、涙を拭う。その際、杏子の視線は僅かに下がり、見るでもなく自身の腹部を凝視してしまっていた。
(……ああ、畜生。どうしてこんなに美味いんだよ)
 お椀の中はいつの間にか空になっていた。
 じっくりと味わう余裕すら与えられない、魔性の美味だ。しかも理性はこれで満足だと必死に訴えているのに、腕は勝手に空の椀をマミへと差し出している。
「あら、もうおかわりなの? ちょっと待っててね、追加のお餅焼くから」
 マミの笑顔も、雑煮の味も、極上だった。
 極上過ぎて、杏子は目の前が真っ暗になった。ソウルジェムは濁って良いのか悪いのか判断つきかねるのか奇妙な明滅を繰り返していた。
(どうしてこんなコトになっちまったんだろうなぁ……)
 杏子曰くのコトの起こりは、今からおよそ一ヶ月程前に遡る。





◆    ◆    ◆





「ついに、買ってしまったわ」
「おぉお……」
 目の前に鎮座するAm○zonの段ボールから発せられる神々しいまでの威圧感に、杏子とゆまはうっとりと目を細めていた。
 どことなく得意げな顔をしたマミが、二人に小さく頷きかけてから、カッターでテープを切り裂きテキパキと段ボールを開封していく。ふと横を見てみれば、我関せずと炬燵で猫化していたほむらもピクピクと耳を動かしていた。……本当に猫みたいだった。
 段ボールの中からビニールに包まれた仰々しい発泡スチロールの塊が現れ、さらにその中身がマミの手によって露出されていく。
 白い本体に刻印された“ZOUJ○RUS○I”の文字。炊飯器を彷彿とさせる外見ながら、この家で普段使われているものより幾分か四角く、一回りは大きく、そしてゴツい。
 その重厚な外見に暫し圧倒された三人だったが、ほむらがモゾモゾと寝返りを打った拍子に我に返ることが出来た。
「それじゃ、明日、早速使ってみるわね」
 ワクワクウキウキとした童女じみた情動を抑えきれないマミの言葉に、杏子もゆまもブンブンと猛烈な勢いで首を縦に振った。
 明日は大晦日、明後日は正月だ。この最新型マイコン餅つき機が活躍するにこれ以上相応しい日取りはあるまい。
 マミは基本作るのも食べるのも洋食党ではあるが、かといって和食が苦手だったりするわけではない。むしろ凝りすぎるきらいのある洋食よりも家庭的で飾り気のない和食の方が杏子としては好みだった。毎年正月になるとマミが作ってくれる雑煮も、限られた期間しか食べられないという希少価値を除いてなお大好物だ。
 年明けは、このマイコン餅つき機によって作られた出来たての餅を使ってマミがさぞや美味しい餅料理をたくさん用意してくれることだろう……――そんな杏子の期待を裏切ることなく、むしろ期待以上にマミはこれでもかと餅料理を大量に繰り出してきた。



 一日目はおせち+ごくごく普通のお雑煮だった。昆布とカツオでとったお出汁に醤油で味付け、餅以外の具は大根に里芋、飾り人参、他に鳥肉が入っていた。あっさりとしていてとても美味しかった。
 二日目は磯辺餅。一日目について切り餅状にしておいた餅を使用し、これがまた困った事にいくらでも腹に入るときた。
 三日目はあんころ餅ときなこ餅。醤油ベースが二日続いたためここでこの甘味はとても嬉しい。加えて『残ったあんこは後でお汁粉にしてあげる』というマミの言葉は、ほむらに『あんこがあんこを……』と正月お決まりのネタでからかわれたのもまるで気にならないくらいにステキで甘美な誘惑だった。
 四日目はずんだ餅。枝豆の素朴な味わいと正月ももう終わりだなという寂寥感とが相まってなんとも儚げな感じだった。
 五日目は一昨日の約束通りにお汁粉だった。
 六日目はかき餅。あらかじめ乾燥させておいたらしい。抜け目がない。
 七日目は七草がゆかと思いきや七草雑煮。お米のかわりにお餅という変化球ながらお餅大好きな杏子もゆまもほむらも問題無く食べた。
 八日目にからみ餅、九日目に揚げ餅、十日目に草餅がきたあたりで、まず最初に音を上げたのは、ゆまだった。
 一応、おかずは毎日色々と工夫されていた。焼き魚だったり、煮物だったり、豚肉の生姜焼きだったり。ただ、主食は餅だった。米ではなく、餅だった。パンでもなく、餅だった。油断するとうっかり食べ過ぎてしまう高カロリー要注意な餅野郎は淑女達の心とお腹を確かに蝕み始めていた。
 そうして、久しぶりに餅以外が食べたいとゆまは控え目ながらもマミに告げようとして……失敗した。台所の片隅に、大量に積まれた餅米の袋。そして「今日はどんなお餅が食べたい?」と尋ねてくるモチさん……じゃなかったマミさんに、少女は完全に呑まれてしまっていた。
 十一日目、裏切り者が出た。『今夜はちょっと用事があって……』と言って外出したほむらからは、帰宅時、カレーの匂いがした。
 十二日目は、ピザ餅だった。十三日目は白味噌に丸餅の京風雑煮、十四日目は善哉だった。
 十五日目、事件は起こった。
 風呂上がり、鏡台に向かっていたマミに、ゆまは何の気無しに呟いた。『マミさんってほんとう、餅腹だよね』と。
 別に悪意があって嫌味を飛ばしたのではない。ただ、少々餅が続きすぎたため頭が餅で毒されていたのだ。本当はゆまは『マミさんってほんとうもち肌だよね』と言うつもりだったのだと、後に泣きながら杏子に述懐した。
 しかし全ては手遅れだった。
 ゆまの謝罪を、マミは表向き穏やかな笑顔で受け入れた。だがその腹の内は文字通り煮え滾る雑煮だった。すっかり煮崩れてドロドロの餅地獄と化したマミの内面を、無言で察することが出来てしまう自分を杏子は呪った。
 十六日目以降も餅は続いた。
 延々と餅ばかりが続いた。
 マミは終始笑顔で餅料理を振る舞い続けた。
 ゆまは贖罪のつもりなのか餅を受け入れ続けた。
 杏子は起きて寝て仕事をして魔獣を倒して餅を食べるだけの機械となった。
 ほむらは飯時の外出が増えた。
 キュゥべえはたまに雑煮に浮かんでいた。
 マイコン餅つき機は、毎日元気に稼動し続けていた。





◆    ◆    ◆





「なぁ、キュゥべえ」
「なんだい杏子」
 ここ最近、餅から逃げるようにしてこの家に寄りつかなかったキュゥべえが久方ぶりに姿を現したので、杏子は気晴らしのつもりで質問してみた。
「餅を喉に詰まらせて死んだ魔法少女って、いるのか?」
「少なくとも僕は聞いたことがないね」
「……まっ、そりゃそうだろうな」
 まったくくだらない話だ。けれどこうも餅ばかり食べていると、喉に詰まっていようがいまいが窒息しそうになる。地球の大気が、重力が、全て全身に絡みつく餅のように感じられてくるのだ。
 杏子も、ゆまも、それにマミも、餅に縛られてしまっている。唯一ほむらだけは昨日も濃厚なとんこつの匂いを漂わせて帰宅したくらいなので抜け出せているのかも知れなかったが、この餅の呪縛は単純なようで厄介に過ぎた。
 マミだって、わかっているはずなのだ。白い餅の先には暗黒の世界しか広がっていないのだと。果てしなき闇に蝕まれ逼塞する世界の先に、それでも餅を笑顔で食べ続けていられるだなどと彼女も考えているわけがない。巴マミは聡明な女だ。しかし聡明ながら哀しい程に情が深いのだ。喜悦も、怨念も、正負の感情が黒ごま餡と白餅のように黒白入り交じってしまっている。
「解放するすべは、ねぇのかよ……」
「さぁ、わからないね。でも、鏡餅はとうにカビが生えてひび割れてしまっている。そうなってしまえば固くはあっても意義としては砕かれるための存在だ。君なら、打ち砕くことも可能なんじゃないのかい?」
「……あたしに、それをしろってのか。この、あたしに」
「君だから、だよ。どんなに粘りの強い餅でも、永遠に千切れないなんてことは有り得ない。断ち切るんだ、杏子。君には、そのための力がある」
 キュゥべえの言葉には相変わらず魔力があった。人を誘引し、惑わす言霊だ。けれど今回ばかりは乗せられても構わないと杏子は思った。
 白く、長く、伸びきった餅を断ち切るのだ。
 この世界が餅の重圧で押し潰されてしまう、その前に。



「……なぁ、マミ」
「なぁに? どうかしたの?」
 既視感。
 幾度となく繰り返された気がするやり取りに、杏子は惑わされまいぞと頭を振った。鼻歌交じりで台所に立つマミが用意しているのは、明日の分の餅米だ。しかも数日前から丁寧にあく抜きをした栃の実も見える。明日は自家製の栃餅なのだろう。本当に、つくづく凝り性な女だった。
(マミのお手製栃餅か)
 きっと美味しいのだろう。美味しいに違いない。美味しくない道理が無い。
 けれど、杏子はここで引き下がるわけにはいかなかった。
 負けてなどやらない。膝を屈してたまるものか。
 腹の底から気合を入れ直し、真っ直ぐにマミを見据える。
「マミさん」
 さん付けで呼ぶのはいつ以来だろう。
 尊敬する師だから。かつて憧れた、今だって憧れ続けている理想の魔法(元)少女だから、杏子は一歩、踏み出した。
「もう、いったい何を――」
 振り向いたマミの笑顔は一瞬で凍り付いていた。
 キュゥべえの言った通りだ。鏡餅はとうにひび割れていたのだ。だから杏子は金槌を振り下ろさなければならない。鏡開きをしなければ、この呪縛から解放されることはない。
「アンタだって、わかってるはずだ。こいつの、意味を」
 杏子の金槌は、四角かった。
 本来は手に持つものではない。その証拠に、下三分の二程の部分に足を乗せるためのマークがついている。そして上三分の一についたメーターの部分では細長い針が今のマミの心のようにユラユラと不安定に揺れていた。
「きょ、きょう……」
 杏子、と名を呼ぼうとして、マミには出来なかった。
 パクパクと虚しく開閉する唇からは何の音も発せられず、打ち拉がれた瞳はがらんどうのまま虚空を見つめていた。
 そんなマミに、杏子は金槌を振り下ろす。
「この一ヶ月、……こいつに一度でも、乗ったか?」
 体重計と言う名の、金槌を。
「あっ……あ、……あ、ああ……っ」
 ようやく唇から漏れ出た音が空気を微弱に震わせる。
 金槌の破壊力は抜群だった。
 マミは聡明で、しかし意地っ張りだ。だから杏子にはわかっていた。彼女が体重計を避けていることくらい手に取るように。
 杏子もほむらも、太りにくい体質だ。魔法とは関係無しに、そこそこの暴食程度では劇的な体重の変化などしようはずがないとタカを括っていたが、それも過去のものとなりつつある。
 だって、もう二十五歳なのだから。
 四半世紀以上生きた肉体からは明確に若さは失われ、徐々に胃も小さくなりだした気がする。脂っこいものを食べると翌日までもたれているなんて事も増えた。ならば、一つ歳上のマミだって当然そうに違いなかった。餅腹に立腹なのも、ぶっちゃけ洒落になっていないからだ。現役女子高生の生魔法少女にそんなことを言われてマミのメンタルが平静でいられようものか。だから逆に意地になって餅を出し続けていたのだ。
「う、うぅ……ごめ……ごめんなさいっ……私……グスッ、ヒック……私……ぃ」
 泣き崩れたマミの肩を、杏子は優しく抱き寄せた。
 泣けばいい。いっぱいに泣けばいい。
 大人になって自分達は以前程自由に涙を流せなくなってしまった。けれど人間は悲しい時、嬉しい時、辛い時、苦しい時、こうして涙を流すのが自然なのだ。涙を流せるうちは人間なのだ。
「……この子とも、来年までお別れね」
 ようやく泣き止んだマミは、この一ヶ月美味しい餅を提供し続けてくれた可愛い餅つき機を優しく撫でた。来年も、また美味しいお餅をたくさん作ってもらおう。そのために今は別れの時なのだ。
「いやいや、待てよマミ」
 そこに杏子が待ったをかけた。その指は調理台の上に乗ったままの餅米と栃の実を指し示している。
「せっかく用意したんだ。明日は栃餅が食いたいよ」
「……それもそうね」
 クスリと笑い、マミはしまおうと持ち上げかけた餅つき機をいったん下ろした。





◆    ◆    ◆





 これで最後かと思えば、全員いつになく素直に雑煮を味わうことが出来た。
 合わせ味噌の汁に栃餅の苦味が心地良い。杏子もゆまも、ほむらも、マミも笑顔でおかわりし、鍋一杯の雑煮を平らげた。
「ふー、ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「なんだかこれで最後かと思うともっと食べたくなってきちゃうね」
「フフ、そうかもね」
 食後のほうじ茶を啜りながら、アハハッと四人で談笑する。そこには呪いも絶望もない。希望に満ち溢れた、光り輝く新年の情景だった。その情景の中に、ピンポーンとチャイムの音が入り込んできた。
「あら、誰かしらこんな遅くに」
 いつも通り、時間は既に午後十一時を回ってしまっている。知り合いでなければ不審者を疑うところだが、生魔法少女一人に魔法(元)少女が三人もいるのだからそれが魔獣の大軍ででもない限りどうにかなるものでもない。
 もう一度、チャイムが鳴った。
「はーい、今開けます」
 パタパタと玄関へ駆け出したマミの後ろで、念のため杏子とほむらはいつでも飛び出せるよう身構えておいた。
「いったいどなた――」
「夜分遅くに、ごめんなさい」
 フッと緊張の糸が弛む。
 半開きになった玄関扉の向こうに見えた顔は、知己のものだった。
 美国織莉子。彼女がいるということは、おそらくその後ろには呉キリカもいるのだろう。年始に一度Cerchioに顔を出してから、なにやら遠方に住まう魔法少女の知人に助っ人を頼まれただかで二人とも暫く見滝原を離れていたものを、ようやく帰ってきたところなのだろう。
「少々荷物が多くて、お店の営業時間中は邪魔になるかと思ったものだから」
「わざわざ気を遣わせてしまって、ごめんなさいね。ありがとう。遠慮せず、上がってお茶でも飲んでいって?」
「じゃあそうさせてもらおうかな。ね、織莉子」
 やはりいたらしい。
 そう言うなり、玄関扉を全開にするとこれまた織莉子以上に荷物を抱えたキリカがよいせよいせと入ってきた。
「ちょっと北の方に行ってたんだけど、お土産たくさん貰ってしまってね。生ものもあるから早めに届けたかったと、まぁそう言うワケさ。消費期限は儚く有限だから」
 ドサリ、と玄関に下ろされた大量の土産袋には萩の月だの牛タンだの書かれているので、二人は宮城の方に遠征していたものと見える。先日仙台風の雑煮を食べたばかりなので、奇妙な縁を感じるところだった。ともあれ、ようやく餅から解放され、明日からは宮城の特産品がたっぷり味わえるのかと思うと杏子は自然顔が綻んだ。
「喜んでいただけたようで、何よりね」
「いやー、あっはっは。持つべき者はお土産くれる友人だな」
 横からほむらが『教会の娘のくせに即物的すぎる』とジト目で非難してきているのがわかったが、こればかりは性分なので仕方がない。杏子はキリカからまず生ものを受け取ると手早く冷蔵庫にしまい込んだ。
「それと、多分明日クール便で生牡蠣が届くはずだからよろしく」
「え、マジ? 悪いね、ホント。あんがとさん」
「やった! じゃあ明日は牡蠣だね。そう言えば今年に入ってからまだ食べてなかったよね、杏子」
 ゆまの言う通りだった。生牡蠣どころか牡蠣鍋もカキフライも食べていない。これは明日は牡蠣祭だなぁと喜び勇んでいる杏子の前に、キリカが一番の大物をドサリと置いた。
「うん、これで最後だね」
「こりゃまたタップリだけど……なんだいこれ?」
「“みやこがね”だよ」
 その名を聞いた途端、杏子と、織莉子と談笑していたマミの笑顔が凍り付いていた。ほむらは一人明後日の方向を向いて黄昏れ、ゆまだけが『……みやこがね?』と小首を傾げている。
「みやこがねってなんですか?」
 ゆまの疑問に、キリカは他三人の様子がおかしいことに気付きつつもサラリと答えた。
「餅米さ」
 宮城産のこがねもちなので、みやこがね。
 地域名産にありがちな安直なネーミング。
 へー、なるほどーと相槌を打ってから二秒後、ゆまはカクリと糸が切れた人形のようにその場に膝を屈した。
「あ、あれ? どうしたんだい?」
 いったいこは何事ぞ、と織莉子に助けを求めたキリカだったが、流石の彼女もこんな未来は予知していなかったらしく訝しげに四人を見回している。
「白い……闇。……底無しの、白い沼が……」

 ――どこまでも伸びて、追いかけてくる――

 そんな幻想に包まれていく。
 ブツブツと呟き、マミは今度こそしまうつもりでいた餅つき機に手を伸ばした。
 どうやら自分達はまだまだこの粘りのある呪いから逃れる事能わぬらしい。
「は、はは……」
 みやこがねの消費期限を確認し、そっと眼を閉じてから杏子は嘆息した。
 翌日からジョギングの徹底を誓わざるを得ない。
 空笑いしつつ、この一ヶ月で心なしか増量してしまったお腹を、杏子は聖母が愛し子にそうするかのようにゆっくりと優しく撫で回したのだった。





〜end〜






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