十月十日。晴コノ日
言うまでもなく、白銀武は真面目な生徒ではない。置き勉上等、長期休暇中でさえ大半の教科書は学校に置きっぱなしだ。そんな武だから、普段なら提出期限を控えているわけでもない問題集のためにわざわざ私服からまた制服に着替えてまで教室に取りに戻ることはしないのだが、テスト週間に入ったとなればさすがに事情も異なってくる。 特に二学期の中間試験といえば文化祭、体育祭とイベントが続いた直後にあるもので、すっかり勉強のことを忘れた脳ミソを叩き起こしておかないと悲惨な結果を迎えることになってしまう。周囲のイメージに反して案外成績は悪くない武だ。大幅に点数を下げるような事態はやはり避けたい。まして万が一にも幼馴染の純夏と低空飛行のいい勝負をしてしまうなんてことになれば──武にとって、自らの沽券にかかわる重大事である。 そういった事情で夕日の差し込む教室にやって来た武は、ドアを開けたところで先客に気付いた。部活動も休止中の今、まさか誰かと会うと思っていなかったので意表をつかれて立ち止まる。 「あれ。どうしたの白銀くん?」 「……柏木か?」 逆光で顔は陰となって見えないが、声に聞き覚えがあった。クラスメイトの柏木晴子だ。 武は自分の席に向かう。晴子の席は窓際、武の位置から見れば斜め前となる。その机に腰掛け、晴子は気さくに手をあげてくる。 「やっ」 「おっす」 武も挨拶を返す。「それで?」と小首を傾げてみせる晴子には、机の中から目的のモノを取り出して示した。 「俺は忘れモノ。そっちはなんだ? バスケ部だってテスト期間は休みだろ」 武にとって晴子はあまり親しい相手ではないが、なんとか所属部活動を思い出せた。水泳部の活躍ばかりが注目される白稜柊だが、そんな中彼女は女子部のポイントガードとして中々の結果を残していたはずだ。おかげで大学も既にスポーツ推薦枠で決まっていると聞いた覚えがある。ということはもう晴子には定期試験なんて関係ないのかもしれないが、周囲も同じなわけでなし。部活が休みではやはりこの時間まで教室に残っている理由はないと思えた。 「あー、うん。なんていうか」 気恥ずかしげに目を逸らし、晴子は頬をかく。 「実は今日って、私の誕生日だったりするんだよね」 「え、マジで?」 そういえば朝のホームルーム前後に、クラスの女子がおめでとうだのと言っているのを聞いたかもしれない。今日はというか今日もというか、寝坊したせいで慌しい朝だったため気にする余裕はなかったが、なるほどなと武は頷いた。 「そっか。誕生日おめでとう、柏木……って今さらかって感じだな」 「そんなことないって。ありがとう白銀くん」 クラスメイトとはいえ普段そう話すほうでもない武からのお祝いの言葉に、若干照れを見せながらもにこやかに笑って礼を言う。 「さっきまでは部活の友達とか後輩に、お祝いしてもらっちゃってたんだ」 「へえ、そっかそれでなあ」 放課後残っていた理由に納得する。クラスの誰とでも仲良く話せて男女の別なく人気が高い晴子だから、部内でもさぞかし人望があるのだろう。まだ一週間あるとはいえ、テスト前にわざわざ祝ってもらえるくらいだし。置き勉を習慣にしたせいで忘れ物をし、隣に住んでいてもっとも親しい仲にある幼馴染に貸してくれと頼んだものの、日頃の行いがアダとなりあっさり断られた武とはえらい違いだ。 「白銀くん?」 「……いや、なんでもねえ」 自分で比べたくせになんだが、二人の差にちょっと凹んだりした武である。 「にしても、十月十日が誕生日かあ。イメージぴったりだな」 「……“元”体育の日だから?」 ハッピーマンデー法とやらのおかげで今年は八日がそれとなったが、『十月十日は体育の日』という十数年分の印象が、一年程度で変わるわけもない。晴子は見たまま活発な運動少女で、だから武もイメージ通りだと言ったのだが。その言葉は晴子の気に入らなかったようで、ほんの少し渋い顔になる。 「そ、そうだけど。……俺、なんかマズイ事言ったか?」 「ん? ああ、ゴメン。白銀くんが悪いわけじゃないよ。ちょっと、ね……思うところがあるわけですよ」 気まずげな武に気を遣ってか、晴子はことさらおちゃらけた物言いをしてみせた。 「と、言うと……“元”の辺りか?」 「んー、まあねぇ」 曖昧に頷き、隣の窓から空を見上げる。 「今日はいい天気だよね」 「はあ?」 唐突な話題の転換についていけず、武は間抜けな声を出す。確かにいい天気だが、日が暮れそうな時間になって言うことではないだろう。 「でも一昨日。体育祭の日はあんまりだったでしょ?」 「まあ、そうだったな」 一日中曇っていて、一時小雨がぱらつきもした。が、だからなんなのかと首を捻る武に、晴子は苦笑する。 「知ってた? 十月十日って、東京オリンピックがはじまった日なんだって」 「え、いや……知らんかった」 今度は突然の豆知識。なんとなく、だから十月十日が体育の日だったんだなとは想像できたが、それ以上はさっぱりだ。 「……スマン、柏木。結局おまえは何が言いたいのか、俺には全くわからん」 お手上げだと降参する武に、晴子は笑った。 「あはは、ゴメンゴメン。分かりづらかったよね。えーと、つまりね、十月十日って理屈は分からないけど晴れることが多い日なんだって」 特異日って言うらしいんだけど、と晴子は続ける。 「だからオリンピックの開会式に選ばれたらしいんだよね。でさ、それにあやかって運動会とか体育祭も前は今日の日付にやるところが多かったじゃない? 少なくとも私は小中とそうだった。おかげで当日はいっつもいい天気でさー」 今日みたいにねと無念そうに言って、はぁ、とため息を吐いてみせる。 「そういうちゃんとした理由と由来があって作られた祝日なのに、日付変えちゃったのはどうなんだーって、思ってるわけです」 「ふぅん、なるほど。言われてみればそうかもなあ。俺なんかは連休増えてラッキー、くらいにしか考えてなかったけどよ」 「ま、普通はそんなもんだよねー」 分かりやすい武の感想に、晴子はクスクスと笑う。 「まあ私もそんな真剣に考えてるわけじゃないけどね。今のは建前みたいなもので、本音はもっと感情的だよ」 「なんだそりゃ。思ってたより適当なヤツだなー、柏木も」 「いやー、ドーモドーモ」 「おーい。褒めてねえぞー」 呆れたように言う武だが、その声音は好意的なものだ。晴子とこんなに会話したのは初めてだが、男友達と話すみたいな気安さを感じる──が、武はハタと気付いた。 (……いや、俺そういえば男友達いねえじゃん) 教室で一番話す相手は純夏で、気が合うのは美琴と見事にどちらも女である。他に男子と話すことがないわけではないが、放課後連れだって遊びに行った記憶は少なくとも三年になってからだと全くなかった。 これは凹む。かなり凹む。 出来れば気付かないままでいたかった残酷な現実に、武は泣きそうになった。 「し、白銀くん?」 「柏木ぃ……友達って……どうやって作るんだったろうなぁ」 「えぇっ? よ、よく分かんないけど……私は白銀くんの友達だよ?」 とても優しい慰めの言葉に、武の視界がいよいようるんだ。でもだいじょうぶ、だいじょうぶさ。上を向けば涙はこぼれないのだから。 「ありがとう、ありがとうよ柏木ぃ」 「う、うん……はは、やっぱ面白いなコノ人……」 後半の呟きは武の耳に届かない。武はグイッと袖で涙を拭うと、ヘヘっと力無く笑ってみせた。 「いいヤツだなぁ柏木は。人気者なのも頷けるぜ」 「ちょ、やだなぁおだてないでよ。別にそんなのじゃないって」 「へへ、謙遜しなさんな。女バスの柏木さんといやあ、男女学年問わずおモテになるってんで、友達いない俺ですら噂に聞くぜ」 妙に卑屈な武である。よほどのショックで、微妙にキャラが崩れてしまったらしい。 「もう、ホントに違うんだってば。本物の人気者っていうのは、茜みたいな子のことを言うんだよ」 「茜? ……ってもしかして水泳部の涼宮か?」 「うん。なにかあると、自然とみんなの中心になってるんだよねぇあの娘。……ああ、そう考えると白銀くんもなのかな?」 「なぬ?」 「いつも騒動の中心にいるもんね。私はそういう柄じゃないけど、二人がちょっと羨ましいな」 「そ、そうか? なは、ぬはははっ」 校内随一の有名人にして人気者である涼宮茜と並べ立てられ、アッという間に自信を回復した武が哄笑する。晴子の二人に対する評価には微妙に差違があったのだが、それを聞き分けない程度に武の耳は都合が良い作りをしていた。 それも全て思惑通りなのか、あっさり調子を戻した単純な武を晴子は微笑みで見守る。その様は手のかかる弟の面倒を見る姉のようでもあった。 「まあ言った通り柄じゃないからね。いつもだと疲れちゃうだろうけど、私もたまにはみんなを引っ張る側に回りたいなあなんて思うんだ。それが本音の部分」 「ん? ああ、体育の日が変わっちまったことのか?」 「そうそう。私さ、ちっちゃい頃から体を動かすのは得意だったし、昔から運動会では結構活躍出来たんだよねー。しかもその日は私の誕生日じゃない? 親も友達もちやほやしてくれて、一年の内で唯一自分が主役だーって思える日だったんだ――なんて、自分で言っちゃ世話ないって感じ?」 「いやいや。まあ、柏木って結構お調子者なんだなとは思ったけどな?」 自分のことは棚の最上段に置く発言に、思わず晴子もプッと笑いを噴き出す。 「あははっ、なにそれ。もー、白銀くんってば面白すぎ」 「な、なんだよ、俺なにか変なこと言ったか?」 ワケがわからんと憮然とする武の顔がまた滑稽で、ツボにはまってしまった晴子はしばらく笑い転げた。ひとしきり笑うと「スゥ、ハァ、」と深呼吸。落ち着くと、今度は「――フゥ」と堪能の吐息とも憂鬱の溜息ともとれる息をついた。 「まあそれも一昨年まで。以降は誕生日と体育祭の日付がずれちゃうし、おまけに去年は体育祭が雨で中止。今年もハッキリしない天気のせいでイマイチ調子出なかったから、前ほど楽しくなくってさあ」 ほら私晴子だから、と晴天でないと力が出ないのだと言う。武は呆然として「あれでか?」と呟いた。なにせ一昨日のことである。リレーから騎馬戦まで、マルチな分野で鬼のような活躍を見せた晴子の姿は脳裡にしっかり焼きついていた。あれで調子が悪かったなら全開の力ではどうなるというのだろう。 水泳部の魔物といいうちのクラスの委員長といい、この学園は女子がパワフルすぎると改めて認識し、武はおののいた。聞いた話では、あの一学園の設備としては立派すぎる屋内プールを作らせた伝説の先輩も女だったというから、これは白稜の伝統なのかもしれない。 ――二週間後。その伝統に最強の称号を持って名を残すことになる二人の転入生がやって来ることを、武はまだ知らない。 「そんなわけで、ハッピーマンデーがアンハッピーな理由。本音の話もおしまい。ごめんね、結局ただの愚痴なのに聞いて貰っちゃって」 なんでこんな話しちゃったのかなぁと晴子は首を傾げる。構わないさと武は答えた。クラスメイトの意外な面を見られたわけで、テスト勉強の息抜きと考えれば上等なものだ。 「でもよぉ」 どうもしっくりいかないと首をひねる。 「イベントと誕生日が離れるのって、そんな嫌なもんか? むしろ逆じゃねえの」 「え?」 「ほら、よく言うだろ。クリスマスと誕生日が一緒だと、プレゼント貰える機会が一個減って損だとかさ。……かく言うオレも、それで何度涙を呑んだことか」 武の誕生日は十二月十六日でクリスマスの一週間以上前だが、うちの親も大概アレだからなぁと憎々しげに言うと、当時の悔しさを思い出してか、顔をしかめて唸った。 「あとは正月生まれもお年玉とプレゼント一緒くたにされそうで嫌だよなぁ。てか、クリスマスと正月の中間ぐらいに生まれたヤツだと全部纏められるんかな? ゲゲ、最悪だぞそれ」 「はあ……まあ、うん。そうかもねぇ」 気の無い相槌に、武はムッとして言い募る。 「なんだよ、柏木だって他人事じゃねえぞ。おまえの親だって誕生日と、運動会よく頑張った褒美を一緒にしてたかもしれないぜ。いや、してたに違いねえ」 「えぇー」 うさんくさげに疑問の声をあげる晴子をよそに、まったく親ってのはロクなもんじゃねえと独りごちた武は、したり顔で頷いた。 「ま、つーわけだ。誕生日がイベント日に重なってもいいことねぇって」 「んー……」 「てかよ、柏木は今年の体育祭でも十分目立ってたぜ? みんな柏木をアテにしてたし、間違いなく主役の一人だった。んで今日は今日で誕生日ってことで祝ってもらったんだろ。メインを張れる日が年に二日になったって、素直に喜んでおけばいいじゃんか」 「──ん」 物欲に裏打ちされた先の言葉はともかく、後のは晴子の耳に留まった。プラス思考の武らしい考え方だ。二年かけても晴子では全く辿り着かなかった発想である。 半分になったことばかり憂えていて、二倍になった方に目を向けることが出来なかった。そんな過去は無かったことにでもなったのか。ストンと、不思議なくらい簡単にその武の言葉を受け入れられた。 けれど、わだかまりが解消され気分はまさに晴れ模様になった晴子は却って考え込む。 「……?」 うつむき黙る晴子を、怪訝な様子で見守る武を横目にする。自然と口元がゆるんだ。 「なるほどなぁ」 二重の意味をこめて、晴子は呟いた。一つは武の考えに感心して。来年からはまた新たな気分で十月を迎えられそうなことに感謝した。 もう一つは──── 「そっか。今日は私が主役って思っていいんだー」 「お、おう?」 ニンマリと、今度は意図的に口を歪める。嫌な予感に気圧された武が、ガタッと音を立て後ろの美琴の机にぶつかった。 「もちろん白銀くんも私をお祝いしてくるんだよね?」 「そりゃまあ……っていうか、さっきおめでとうって言ったような」 「いやぁ、体育祭なら言葉だけでもいいけど今日は誕生日だしさぁ」 ゲッと呻き顔を歪める武に、晴子は渾身の笑顔をもっておねだりする。サービスにウインクもパッチリと。 「──なにかプレゼントちょうだい。ネ?」
「白銀くん、か……」 プライズゲームの景品らしい、ちっとも可愛くないマスコット付きのキーホルダー。まるで追剥ぎにでもあったかのように情けない顔で帰っていった武を彷彿させないでもない、ヌケた造作のそれを晴子は指に引っ掛け、目前に垂らす。 「鑑さん、榊さん、珠瀬さん、鎧衣さん……あとは彩峰さんもかな? なるほど、伊達じゃないよねぇ」 ツンとつつく。プラプラ揺れながら翻弄される様が実に愉快だ。クク、と笑いが漏れた。 「ホント──面白いなぁ」 ──あるいはこの日から、柏木晴子の多難な恋は始まったのかもしれない。 ~To be continued."ALTERED FABLE" |
〜to be Continued〜 |