マブプレ





◆    ◆    ◆





 茹だるように、暑い日のことだった。
「セーターの編み方を教えて欲しい?」
「……うむ」
 本当に、茹だるように暑い日だった。
 今年は猛暑。八月半ばの夏真っ盛り。
 なのに親友から唐突にセーターの編み方を教えて欲しいと切り出され、純夏は困ったように隣に座るもう一人の親友へと視線を向けた。
「……あー。霞ちゃん」
「はい」
「今、夏だよねぇ?」
「夏ですね」
 自分よりも年下ではあるが、それにしたところでもう二十を幾つか過ぎたはずなのに幼く可愛らしい霞のきっちりはっきりしっかりした返答に、純夏は再び正面を向いた。
「あの、ね。冥夜」
「うん」
「セーターは、冬に着るものなんだよ?」
「そのようなことは無論知っている」
 純夏のあまりにも当たり前な言葉に、冥夜は『何を言っておるのだ?』と不信気に眉を顰めた。
「だって、今夏だし」
「夏だな」
 霞も頷く。
 暫し、沈黙が下りた。
「……ふむ」
 風鈴が鳴った。
 冥夜の希望から、この家は基本的には冷房を入れない。不自然な涼風は心身共に悪影響を及ぼす、とは彼女の言だ。……とは言え、昨今の異常気象自体が不自然な暑さなのだから――こちらは彼女の夫の言である。なのでエアコン自体は取り付けてあった。
 頬や額を汗で濡らしながら、純夏と霞はジッとエアコンを見つめた。
 続いてテーブルの端のリモコンに視線を移すと、冥夜が「おっ」と何かに気付いたように席を立った。
「すまん、麦茶のお代わりか。気付かなかった」
 どうやらリモコンの手前にある空いたコップを見ていたものと誤解されてしまったらしい。きびきびと、彼女らしいとしか形容しづらい足取りで台所へと向かった冥夜は冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、テーブルまで戻ってくると空いたコップの八分目くらいまで麦茶を注いだ。
「ありがと、冥夜」
「ありがとう、ございます」
「この麦茶は月詠に作り方を教わった特製のものでな。美味いだろう?」
 確かに美味しかったが、それ以上に二人は感慨深かった。結婚前は麦茶を作るどころか、台所に立つだけで煙を生じさせ、料理に手を出そうものなら必ずや爆発を起こしていた冥夜が――人間、変われば変わるものだ。今ではお茶くらいなら普通にいれられるし、食事も簡単なものならば一通り用意できるくらいに成長していた。
 ……と、話が逸れてしまった。
「麦茶は美味しいけど、それよりもセーターだよ、セーター」
「ああ、うん。だから、セーターの編み方を教わりたいのだ」
 ループ。
 純夏は窓の外を眺めた。
 ユラリと陽炎立ちそうな暑さ。まったく、気怠い。
「あー……なんか話が擦れ違ってる気がするよ……」
「私もそう思っていたところだ」
 霞も同意。
 三人とも取り敢えず現状を再確認することにした。
「それで、冥夜はセーターを編みたいと」
「その通りだ」
「編み方を教わりたいって」
「恥ずかしながら……編み物の経験は全く無いのだ」
 言われずともわかる。冥夜が編み物なんて、かれこれ長い付き合いだが一度として見たことも聞いたこともないし、まったく想像がつかない。
 さておき、情報を整理しながら純夏は一番肝心な事を聞くことにした。
「……なんで?」
 そう、何故なのか。
 夏だとかそういうこと全てを除いて、どうしてセーターを編みたいのか。
 ……正直わざわざ聞かずともわかる気はするのだが、純夏はダレた頭に渇を入れつつ真意を問うた。
 と――
「……う、うん。それは……」
 さっきまで涼しい顔をしていた冥夜の頬が、急激に赤く染まる。
 ――畜生、やっぱり聞かなきゃ良かった――
 今更後悔しても遅い。
 純夏は渋い顔を霞に向けた。
「……あがー」
 霞も何とも言えぬ渋い顔をしていた。



 冥夜の名字が“御剣”から“白銀”に変わって、早数年。それは即ち、今は彼女の夫である白銀武を巡る争奪戦が終決してから数年が経過したことも同時に意味していた。
 一人の男を巡る、十人近い女の争い。
 それは時に激しく、時に穏やかに……時に学園を、町中を巻き込みながら繰り広げられ――常に正面から正々堂々と競い合った彼女達の間には、妬みや嫉み、憎しみなど負の感情よりも、清々しいまでに深い純然たる友情が育まれていた。その結果として、今も全員交流がある。
 純夏と霞が今日白銀家を訪れたのも別に特別なことではない。家は相変わらず近所だし、二人とも千鶴や慧のように時間を作りにくい仕事をしているわけでもなかったから、何かあるたびにしょっちゅう顔を出していた。
 で。
 セーターの編み方を教えて欲しいと唐突に頼まれたのである。
「い、いや、そのだな! こ、こう、私としても悩んだのだ! 二ヶ月くらいは悩んだと、思う。だ、だがやはり、こう……うん。既製品を買うよりも、己の手で労苦して編んだものを身につけて欲しいというか、あー……う、うぅ」
 恥ずかしそうに俯いた冥夜を、純夏と霞は頬をヒクつかせながら見下ろしていた。いったいいつまで、どこまで彼女はこんなにも純粋なのか。新婚気分が抜けないだとか、そんなレベルの話ではない。
「でも、なんで八月にセーターなの?」
 純夏の問いに、冥夜は俯いたままボソリと呟いた。
「……誕生日の、プレゼントだ」
 一瞬、純夏は自分の耳が遠くなったのかと思った。けれど同じように瞠目している霞を見れば、聞き間違いでないのは明らかだった。
「一応、訊くけど」
「……ああ」
「ダレへの?」
「そ、そんなのっ! ……決まっておろう」
 震える声で、ゴニョゴニョと。純夏は頭を掻きむしりたくなる衝動を必死に抑えながら深呼吸した。ピンとはねたアホ毛だけは抑えきれなかったものか、激しく形を変えている。
「……ルへの、プレゼントだ」
 冥夜らしからぬ小さな声。
「聞こえない。聞こえないよね霞ちゃん」
「はい。聞こえませんでした」
 ちょっとだけ意地悪に、二人は申し合わせた。
 さらに縮こまりながら、冥夜はそわそわと肩を揺らし、気付いては止め、また揺らし……大きく息を吸って、吐いた。
「タケルへのっ……た、誕生日、プレゼントだ」
 わかってた。
 わかってましたよとばかりに純夏と霞は深々と頷いた。
 でもやっぱりわからないことがある。
「タケルちゃんの誕生日って、冥夜と同じ日だから十二月なんだけど」
「そのようなことは承知している! ……だが、ああー……うう」
 本当にらしくもない。
 冥夜は頭を抱え、唸っていた。その懊悩の激しさたるや、見ていて不憫に思えてくる。
 やがて意を決したかのように、冥夜は言った。
「私は、知っての通り不器用なのだ」
 ああ、なるほど――と。二人、ポンと相づちを打った。
 冥夜の不器用さは筋金入りだ。本人もその事を自覚している。
 武は『冥夜は冥夜らしければそれでいい』と何度も言っているし、冥夜自身それで構わないと、むしろそうあらねばと思ってはいるけれど、それでも時に手料理、掃除や洗濯、そして今回のような手編みのプレゼント――どうしても自分の手で行い武を喜ばせたい事柄というものがある。
 だから二ヶ月も悩んだ。
 悩んだ末に、誕生日の四ヶ月も前にこうして純夏に持ちかけたのだ。
「おそらく……いや、間違いなく私が一丁前のセーターを編み上げるには、数ヶ月はかかる。そのくらいはわかっているつもりだ」
 的確な自己分析、そして判断だった。
「確かに……今の冥夜さんがセーターを編んでも……首の穴が三つ空いているようなセーターになってしまうと思います」
 霞の正直な意見に、冥夜は沈痛な面持ちで頷いた。
 武がキングギドラだったらそれでも問題はないのだが、残念なことに彼は首は一本しかないごく一般的なな動物界脊椎動物門ほ乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒト種の人間成人男性だ。
「でもわたしも編み物なんてそんなに上手いわけじゃないよ? セーターみたいな大きいのは編んだことないし。霞ちゃんは?」
 フルフルと霞は首を横に振った。霞も冥夜程ではないとは言えそう器用な方ではない。当然の返答と言えるだろう。
「榊さんとかの方がこういうのって得意なんじゃないかなぁ」
「正直、私も最初はそう考えもした。だが榊をそのためだけにこの街に呼び戻すわけにもいくまい」
 学生時代は武の昼食のためだけに世界中から一流シェフを呼び寄せもした冥夜が言っても今一つ説得力に欠けたが、今や彼女は御剣ではなく白銀冥夜だ。
「気を悪くしたなら、すまん。しかし純夏、社。その……やはり、そなた達に頼った方が……様々な観点から見ても最上であると……だな。うん」
 歯切れが悪い。
 けれど理由は何となくわかった。
 二人とも、冥夜とは親友だ。彼女がどうしてわざわざ純夏と霞――否、純夏を選んだのかなんて、わからないはずがなかった。
「……ふぅ。じゃあ、出かけよっか」
 苦笑しつつ、純夏は席を立った。霞も無言で続き、冥夜だけが何とも心細そうに取り残される。
「どうしたの、冥夜? 行かないの?」
「は? あ、いや……その……」
「行こうよ。毛糸買いに」
 その一言を聞いて、冥夜は一瞬呆けた表情を見せ……すぐさま、立ち上がっていた。感極まっているのか、目尻には涙が浮かんでいる。
「そ、そなた達に感謝を」
 冥夜に感謝されると不思議と心が温かくなる。この暑いのに厄介なことだなんて思いつつ、純夏は笑顔で歩き出した。
 武の好きな色や柄なんて誰より熟知している。幼馴染みの本領発揮だ。
「取り敢えず報酬はタケルちゃんとの一日不倫権でいいよ?」
「ダ、ダメに決まっておろう!」
「……じゃあ、わたしは、一晩不倫権でも、いいです」
「社まで何をっ!?」
 玄関までの短い距離を騒がしく歩きながら、純夏はふとあの朴念仁の事を思い浮かべた。冥夜が四ヶ月も前からプレゼントを用意しようとしているのに対し、彼は誕生日を同じくする妻に果たしてどんな贈り物を返すのか。余程のものでなければ釣り合い取れないよね、と――幼馴染みの果報者加減に、純夏は苦笑いしか漏れなかった。





◆    ◆    ◆





 ――四ヶ月という時間を長いと見るか短いと見るか。

 当初、純夏と霞は長いと考えていた。
 しかし一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、三ヶ月が経った頃……
 思い知らされた。
 甘かった、と。





◆    ◆    ◆





「っっ!!」
 高々と出来上がったものをかかげ、冥夜は満面の笑みを浮かべた。
「……出来、たぁ……」
 そしてすぐさま、ヘナヘナとその場に座り込む。
 純夏と霞は肩を寄せ合って寝こけていた。
 現在は十二月十六日の午後四時半。武が定時で仕事を終え、家に帰ってくるのはだいたいいつも六時半頃だ。昨日一昨日と年末の忙しさもあってか残業だったが、今日は定時で帰れると言っていたから最低でも二時間の余裕がある。
 ……二時間しか、余裕がなかった。
 完成したセーターは……一言で表すなら、不格好だった。
 ほつれだらけで、左右の袖の長さも微妙に違う。首元も怪しい。けれど編み始めの頃のキングギドラ用やアシュラマン用のセーターと比べれば、首も腕も胴も人間が備えているのと同数の穴が空いているのだからよっぽどまともなものだ。
「う、むぅ……」
 流石に睡眠時間を削りすぎた。
 蹌踉けながら台所へと向かい、冥夜は今夜の――夫の誕生日を祝うための料理を始めようとした。しかし手も目も限りなく怪しい。ただでさえ人並み以下の料理の腕なのに、このような状態では台所が久しぶりに大爆発だ。それだけは避けなければ、と。そう考え、頭を振った冥夜の肩に、
「お疲れさまでした、冥夜様」
「月詠……?」
 優しく置かれた手は、元侍従である月詠のものだった。
 彼女だけではない。
「まぁ、冥夜。そなた目の下が酷い事になっていますよ?」
「姉上……それに、皆も」
 悠陽と、友人一同が勢揃いしていた。
「お久しぶり、御剣さ……じゃなかった、白銀さん。お誕生日、おめでとう」
「おひさー。おめでー」
「冥夜ちゃん、お誕生日おめでとー!」
「いやぁ。昨日まで地球の裏にいたからどうやって帰るかまいったよぉ」
「私からもおめでと。でも流石にこの人数が揃うと台所狭すぎだね」
 千鶴、慧、壬姫、美琴、晴子が、口々に祝福の言葉を投げかけ、冥夜の背を押して台所から締め出そうとする。
「ちょっ、そなた達、いったい何を……」
「さぁさ。悠陽様もリビングでお待ち下さいませ」
「あら、わたくしもですか?」
 一緒に追い出され、悠陽は少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
 しかし戻ろうにも、
「今日は二人とタケルさんをお祝いする日だもん」
「料理くらい私達で作らせてもらうわ」
 壬姫と千鶴からキッパリと言い渡され、渋々頷く。
「……と、そういった理由だそうですよ、冥夜」
「で、ですが私は――」
 なおも食い下がろうとする冥夜の口に人差し指をあて、悠陽は穏やかな笑みを浮かべた。こうなると、それ以上の反論は出来そうもなかった。





◆    ◆    ◆





「白銀武さん、冥夜さん、御剣悠陽さん、三人とも、お誕生日、おめでとうございまーす!!」
「おわっ!?」
 玄関を開けた途端、物凄い数のクラッカーを一気に浴びせられて武は思わず後退った。危うく尻餅を突くところ、踏ん張った自分に拍手したい。
「お、お前らなんで――っ!?」
「なんで、と申されましても……今日は武様と冥夜のお誕生日ではありませんか」
「あんたもだけどね」
 悠陽の言葉にツッコミを入れつつ、慧は武の手を取ると一気に玄関から引っ張り上げた。
「ちょっ、彩峰、靴、靴!」
「……相変わらずとろいねぇ」
「とろくねーっ!?」
 好き勝手言われて激昂する武の靴は、いつの間にか後ろに回っていた美琴が手早く脱がしにかかっていた。続いて壬姫がそれを揃える。
「はい。もう大丈夫だよ」
「たけるさん、ご招待〜」
 勝手知ったる我が家の廊下を押しに押されて流されて、武はあっという間に居間に放り込まれた。そこには、まだ少し眠たげな純夏と霞に挟まれて、やや顔色の悪い冥夜が緊張した面持ちで立っていた。
「……お、おかえり……タケル」
「お、おう。ただいま」
 釣られて武まで緊張してしまう。
 そんな二人の緊張を吹き飛ばすかのように、
「それじゃー! タケルちゃんと冥夜、悠陽さんの誕生パーティーを始めようと思いまーす! カンパーイ!」
 純夏が大声で音頭を取った。
「乾杯!」
「カンパーイ!」
「か、かんぱー……って俺まだ飲み物受け取ってないぞ!?」
 こうなったら後はもういつものどんちゃん騒ぎだ。
 途中から茜やまりも、夕呼達まで加わり、白銀夫妻&悠陽の誕生パーティーは夜遅くまで続けられた。





◆    ◆    ◆





 冥夜の前には、武が立っている。
 数時間続いた誕生パーティーも、終盤を向かえようとしていた。最後に待っていたイベントは、当然、四ヶ月の時間をかけた総決算だった。
 冥夜はそわそわと落ちつきなく周囲を見回し、全員からエールの視線を送られ、さらには純夏と霞に軽く背を押された。
「あっ」
 疲労もあってか二、三歩前に蹌踉け、手にした包みを武に差し出す形となってしまう。もはや引き返しようもない。
 改めて、包みの中身のことを思う。
 完成した時は心底から嬉しかったが、今になって冷静に考えてみるとあれは酷く下手くそな、不格好なセーターだ。果たしてあのようなものが愛する夫への誕生日プレゼント足り得るのか、と。そんな事を考え、憂いてしまう。けれどそんな冥夜の気持ちなどお構いなしに、
「お、プレゼント……だよな?」
 武の手が包みに触れていた。
 無言で勢いよく頷き、冥夜はギュッと目を瞑った。
 武のことだ、不格好なセーターを目にしても嫌がりなどすまい。喜んでくれると思う。でも、それが冥夜には心苦しかった。どうしたものだろうと眉を顰め、助けを求めるように純夏達に視線を送るが、皆一様に首を横に振るばかりだった。
「あ……開けて、いいか?」
 逃げようにも両側から純夏と霞にガッチリとホールドされていた。さらに背後からは慧が全力で羽交い締めにしてきている。逃走は、不可能。
 仕方なく、ゆっくりと首肯する。
 こうなると、武が包みを開けるのは早かった。
「おおっ」
 驚きの声。
「うぅ」
 反して、呻き声。
「これ……セーター、手編みだよな?」
 確かめるような武からの問いに、冥夜は怖ず怖ずと頭を垂れた。
 見るのが、怖い。
 目を逸らしてしまう己の弱さを恥じつつ、冥夜はどうしても武を見ることが出来ずにいた。駄目だ。もう限界だ。純夏達には悪いが、三人を何としても振り解いてこの場から一刻も早く逃走を――
 冥夜が本気でそう考えかけた、まさに瞬間。
「よっ」
 バサリと、何かが落ちる音がした。
 武のYシャツだ。
 となれば次はどうなるか、子供だってわかる。
「ん、しょっと」
「なっ!?」
 冥夜作のセーターをやや窮屈そうに着込み、顎を引いて武は自分の姿を見下ろした。さらに首を回し、横や背面も確認する。
「お、おお、おーーーっ?」
 顔から火が出そうだ。
 武の声は弾んでいた。その事が、余計に冥夜の頬の熱を上げる。
「すげぇ、すげぇよこのセーター……俺にピッタリだし」
 世辞を言うような男ではない。
「おう、温かいなぁこれ。冥夜、ありがとな」
 冥夜の夫は、妻を気遣って発言できるような男ではないのだ。だからその嬉しそうな声色は、まま彼の本心と言うことになる。
 鼓動が早鐘のように鳴るのを冥夜は感じていた。
 どうすれば、いい。
 素直に喜ぶべきだろうとは思う。でも身体が動いてくれない。声も出ない。武を正面から、見られない。
 それでも何とか目を開いた冥夜の目前に、
「……?」
 一通の、封筒が差し出されていた。
「え、なになに? タケルちゃんからのプレゼント?」
「わー、なんだろ? ホテルのディナー券とか」
「……熱海。一泊二日」
「元御剣のお嬢様相手にそれはないんじゃ……」
 勝手気ままに騒ぐ周囲の声もほとんど耳に入らない。
 やがて皆静まり、果たして中身が何なのかと興味だけが集中する。
「いや、そんな大したものじゃないんだけど……」
 武の申し訳なさそうな声に、息を呑む。
 ゆっくりと、冥夜は封筒の中に細い指を差し入れた。
 破裂しそうなくらい心臓が高鳴る。
 そうして、封筒から一枚の紙切れが取り出され――

「……」

 皆、完全に沈黙していた。
 どのような理由からの沈黙なのかは、言うまでもない。
「……えー、と」
 渇いた笑みを浮かべながら、壬姫は隣の慧を見た。いつもと同じ感情の動きをあまり感じられない無表情ではあったが、何を言いたいかはわかる。きっと他の皆と同じ事だろう。
「……あがー」
 間の抜けた霞の声。
 そして次の瞬間、凄まじい速度で右拳を繰り出していたのは、言うまでもなく純夏だった。
「アホかぁあああああああああっ!!」
「ひげぇっ!?」
 ぶっ飛ばされた武の身体が宙に舞う。
「なぁにさ! なんなのさこの『白銀武を自由にしていい券』ってのは!? 馬鹿にするのもいい加減にしろこのスットコドッコーーーイ!!」
「ほがぁーーーーーっ!?」
 さらに幻の左。
 武の身体がくの字に曲がり、壁まで吹き飛ばされる。他の皆も次々と武に殺到するや、罵倒しながらボコボコにし始めた。
「い、いやっ、ちょ、待てお前らっ、ぎぇえええーーーっ!!」



 タコ殴りにされていく武を溜息混じりに見やり、霞は恐る恐る視線を冥夜へと移した。四ヶ月もかけて苦労して編んだセーターに対し、武からのあのプレゼントはあんまりだ。霞だってそう思う。
 なのに、
「……え?」
 冥夜の反応は、霞の予想からは大きく外れていた。
 悲しむでもなく、怒るでもなく、さもおかしそうにクックッと笑いを堪えている。そうして、何とも優しそうな目で例の紙切れを見つめていた。
「まったく、いや、本当に……く、くく……タケルらしい」
 どうせ誕生日自体直前まで忘れていて、昨日一昨日と駅前の店を探し回ったのだろう。残業だとか言っていたが、まるわかりだ。
 散々迷って、悩んで、決められずに……何か適当なもので済まそうとしてもやはり無理で――いつものパターンだった。それでも今まではキーホルダーやらぬいぐるみやらガラス製の小物やらを申し訳程度に送ってきたのだが、今年のこれはいやはや、何とも。
「……あ、あの――」
「ふふ。社、そのような顔、せずとも良い」
 怒ったり悲しんだりするべきなのだろうなとも思ったが、どうしてかそんな気にはなれなかった。むしろこんな紙切れだからこそ、彼がどれだけ悩んだかの証になっているような気さえするというのは贔屓が過ぎるか。
 ともあれ、冥夜は不思議なくらい、嬉しかった。
「それに、よく見て欲しい」
「?」
 言われ、霞はもう一度よくと文面を見直してみた。
「この券、なんと回数制限などが一切無いのだ」
「あっ」
 驚き、ボコボコにされている武に目を向ける。相変わらず酷い状況だが、彼もそれなりに楽しんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
 ――単なる書き忘れなのか、それとも……
「ふふ。さて……まず手始めに何をしてもらおうか」
 仲間達に暴行を加えられている夫を見つめ、冥夜は目を細めた。
 どんなことを命じるでも構わないだろう。何せ、冥夜は武をずっと自由にして良い権利を得たのだから。
「……お、お手柔らかに」
 霞からの言葉に、
「うんっ」
 冥夜は、満面の笑みで応えていた。





〜END〜





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