◆    ◆    ◆





 自分が今“夢を見ている”ことを、自覚出来る夢を“明晰夢”と呼ぶのだと、昔誰かから教わった記憶があったが、いったい誰からだったろう。思い出せないのなら、おそらくは他愛のない会話の中での出来事が頭の片隅に残っていただけに過ぎないのかも知れない。
 今重要なのは、誰から明晰夢について教わったかではなく、自分がそれを見ているのだという事実だ。
 夢について考えてみたことは、何度もあった。
 ユウヤにとって日常的だったそれは、まず悪夢だ。
 自分と母親を捨てて逃げた父親に対する憎悪、自分を異分子としてしか見ようとしない周囲に対する嫌悪、祖父や祖母に対する絶望、それでも父を愛し続けた母に対する憐憫。
 そういった負の感情が睡眠時に見せる忌まわしい体感現象こそが夢の代表であり、朝、目が覚めた時に『いい夢見たなぁラッキー』なんて、数えるくらい、あったものかどうか。
 夢に対して良い印象なんて無かったし、懐疑的でもあったのだ。
 だから今も、目の前の光景と耳に入り込んでくる甘い囁きにユウヤは固く身構えていた。
「……ユウヤ」





 





 思わずゴクリ、と生唾を呑み込んでしまいたくなる自分を浅ましいと、ユウヤは頭を振った。
 確かに、彼女との関係は良好だ。それどころか初めて会った頃の悪感情が嘘のように、好意すら抱いている。
 しかしこれは無い。
 これは、無い。
 まだ、相手が一人なら良かったのだ。
 それならまぁ、自身を納得させ、夢を夢として呑気に楽しむ余裕もまたあったかも知れない。
 だが、しかし。
 眉間に皺を寄せ、煩悩を振り払おうと頭を振るユウヤの耳にもう一人が甘く囁く。
「……ブリッジス」










 日頃聞き知っている彼女の声は、もっと固く、良くも悪くも北方の冷たさを感じさせるものなのに、夢の中ではこうも違うものなのかとユウヤは胸を抑えた。
 あまりの雰囲気の違いに眩暈がする。
 そう考えれば、もしかしたら今見ているこれもやはり悪夢なのかも知れないとさえ思えてきた。
「……ユウヤ、どうかしたのか?」
「いっ!?」
 油断していた。
 敵は二人いるのだ。片方にのみ注意を払えばもう片方が隙を突いて狙ってくるのは自明の理。テストパイロットとは言えユウヤも実戦を経験した一人の、それも腕利きの衛士だ。現場における臨機応変な対応を心懸けようと即座に体勢を整え直し、襲撃者に備え――
「ユウヤ?」
「ぶほっ!」
 ――迎撃は失敗した。
 ゆっくりと擦り寄ってくる彼女の仕草は、要撃級の一撃をも遥かに凌駕する破壊力を秘めていた。
 まさに必殺だ。
「う、おぉおお……」
 何なのだろう。
 いや、夢だからとは思うのだが、それにしたところで単騎で相手をするには敵は強大すぎた。










「ッ!?」
 戦況の立て直しを計るため、近付いてくる彼女の姿を確認しようとして、不覚にも窮屈そうな衛士強化服に包まれた太股と、その根本を思いっきり凝視してしまったユウヤはあわや思考がフリーズしそうになるのを寸でのところで堪えた。
 そもそも二人はどうして衛士強化服……しかも、見慣れないカラーリングに身を包んでいるのか。
 ここは戦場か?
 ……戦場なのかも知れなかった。
「クソッ!」
 吐き捨てつつ、まず必要なのはこれが夢の中であったとしても冷静な状況の分析と整理だ。
 ユウヤは彼女達が着ている見慣れない色の強化服が何であるのかを見極めようとし、
「……ブリッジス、私を、見たいのか?」
「……ぐはっ!」
 生死の境を彷徨いそうになった。










 夢の持つであろう自分とはあまり縁の無かった側面を今頃になって思い出し、ユウヤは身悶えた。
 見ている者の、希望や、願望。
 絶望ではなく。
 自分が、望んでいる状況や光景。
 馬鹿馬鹿しくなるくらい男に都合の良いこれが、今の自分が彼女達に望んでいる事なのかと思うと、罪悪感と同時に拭いがたい感情が湧き上がり、ユウヤはもう一度生唾を呑み込んだ。
「……唯依、クリスカ」










「ユウヤ」
「ブリッジス」
 ただ名前を呼び合っただけなのに、重苦しい重圧とは別の優しい感情が浮かんでくるのは、自分が彼女達を意識的にせよ無意識的にせよ“そう見ている”からなのか、ユウヤは自問し、懊悩した。
 二人が向けてくる視線はひたすらに優しく、甘く、色っぽく、男としてのユウヤ・ブリッジスを再認するには充分すぎた。
「なんで、二人とも……」

 ――オレなんかに――

 そう問おうとしたユウヤに微笑みかける二人を、本当に、心から綺麗だと思った。
 思って、しまった。










「……あ」
 もう手を伸ばせば触れそうな位置に、二人がいる。
 二人はきっと、自分が手を伸ばすことを望んでいるのだろう。それが勝手極まりない願望であったとしても、夢の中においてはあくまで自然な流れだった。
 その流れに身を任せ、ユウヤは夢に見た願望をかなえようとして――



「メリィィイ〜〜〜クリィスマァ〜〜〜ス、ユゥヤァア〜〜ッ!」
「……あっ?」
 突如、邪魔された。
 聞き覚えのある声に。
「いよぉ〜う、ユウヤ。元気にしてるかぁ?」
「な、何でVGがっ!?」
 今にも手の届きそうだった唯依とクリスカは一瞬で十メートルほども離れ、自分と彼女達を遮る壁のように陽気な同僚、ヴァレリオがニヤニヤしながら立っていた。
 ……妙に露出の高いサンタルックで。
「フハハ! ユゥウヤァ、おまえさぁ、今、『なんで夢ン中にこいつが!?』とか失礼なこと考えやがったろぉ? そう邪険にしなさんな。オレはヴァレリオであってヴァレリオじゃ〜無い。無論、マカロニでもない。言うなれば、最近不知火弐型の慣熟にせよぉ、唯依姫やスカーレットツインとの関係にせよぉ、色々頑張ってるおまえにご褒美をあげに来たサンタクロ〜スの化身ってぇやつだ」
「サンタって季節じゃねぇだろ!? 今まだ九月だぞ」
「んなこたぁ関係無い。要はキモチの問題だ。なぁ、お二人さん? ちなみにお姫様達の強化服のカラーリングはクリスマス特別仕様だと思ってくれ。オレもなぁ」
 そう言ってヴァレリオがスッと身をズラすと、そこには色っぽく絡み合った唯依とクリスカの艶めかしい姿態があった。










「ユウヤ、私は、その、日本人だし、カタブツで、奥手で……お、女としては駄目駄目かも知れない。いや、駄目駄目だ……! で、でも、ユウヤが望むなら……その……」
「ブリッジス……最近、私はおかしいのかも知れない。貴様の側にいると、精神が不安定になる。……気がつくと貴様のことを考えている自分がいるんだ。……だから、私は……」
「おぉっとぉ、そこまでだお姫さん達ぃ」
 頬を上気させながら言い寄ろうとする二人を、再びヴァレリオが遮っていた。はっきり言って、洒落にならないくらい邪魔だった。鬱陶しさのリミッターを振り切っている。ウゼェ。
「だが残念ながらなぁ、ユウヤァ。オレがどれだけ万能無敵な彷徨える愛のサンタクロースでも、二人ともってぇワケにはぁいかねぇ。そのくらい、わかるだろぉ?」
 この男の口からそんな事言われても説得力皆無だったが、確かに、夢とは言え二人ともというのは現実の唯依とクリスカに悪い。そう思ってしまうのがユウヤの誠実さであり、また日本人的な思考でもあった。
「だから、選ぶんだよ〜、今、ここでぇ」
「え、選ぶ?」
 ただの夢だというのに、ヴァレリオのその言葉は奇妙に重く、鋭利だった。長刀で愛機をスッパリ両断されたかのようだ。
 唯依とクリスカは、変わらず潤んだ瞳をこちらに向けている。どちらも夢だからとかそんな事はさっ引いて、非現実的なまでに美しく、趣味嗜好から外見で選ぶなどといった選択肢は端から無かった。
 時間の感覚が、狂っていた。
 長く、果てしなく永く息苦しく感じる時間が、それでも過ぎていく。夢の中でも時は止まってくれない。
「……お、オレ、は」
「オレ、はぁ?」
 どちらを、選ぶのか。
 自分は果たして、どちらを本心から望んでいるのか。
「オレは……オレは――」
 口が勝手に開いていく。
 自分はいったいどちらの名を呼んだのか。どちらの名を呼ばなかったのか。
 音と映像が不意に遠のき、ユウヤは――





◆    ◆    ◆





「オレはぁあああああああああああッ!!」
「きゃっ!?」
「あッ!?」
 突然、ベッドからガバッと半身を起こしたユウヤは腹話術の人形のように口を開閉しながら、声にならない言葉を虚空に発した。右手の人差し指はあらぬ方向を指している。
 選んだ。
 どちらかを。
「……あ」
 どちら、を?
 思い出せない。
「う、う〜ん」
 思い出せずに唸っているユウヤに声をかけてきたのは、
「おいおいユウヤァ、おまえ、大丈夫か?」
 ヴァレリオだった。
「ゲェーッ、マカロニサンタ!?」
「はぁ?」
 いきなりマカロニでしかもサンタ呼ばわりされ、ワケがわからないと言いたげなヴァレリオは強化服を着たままで、ユウヤ自身もよく見れば強化服を着ている状態だった。そこで、ようやく自分がどうしてベッドに寝かされていたのかを思い出す。
「そうか、オレ、模擬戦中に……」
「おう。無理言って唯依姫に模擬戦の相手をしてもらったまではぁ良かったが、斬り結んだ拍子に足場が崩れて弐型は転倒。乗ってたおまえさんは脳震盪……ってな」
「弐型、弐型は!?」
「今タリサがブーたれながら回収作業手伝ってるぜぇ。で、ジャンケンで勝ったオレがこうしておまえさんの様子を見に来たってぇワケさ。まぁ、あとで礼を言っといてやんな」
「……そうか。悪ぃ、VG」
 礼を言われ、ヴァレリオはニヤニヤと笑い出すとスッと身体を脇にズラした。まるで夢の中のような、既視感。
 と、そこに広がっていた光景は既視感どころの話ではなかった。
「……な」
「うっ」
「……ぅ」
「……何やってんだ? おまえら」










 そこにいたのは、まるで夢の中の最後の光景のように絡み合っている唯依とクリスカだった。と言ってもその顔は扇情的な赤みではなく羞恥の赤に染まっている。
 客観的に見て、転けた、のだろう。
「まぁ〜ったく。心配して駆けつけてきてくれたってのによぉ。それがあんな風に驚かしちゃ、悪いってもんだぜ」
「あっ」
 どうやら突然起き上がった自分に驚いて二人は転んでしまったらしい。よくよく記憶を辿ってみれば、目覚めた瞬間可愛らしい悲鳴を聞いた覚えがあった。
「わ、悪い、二人とも」
「あ、ああ。……いや、無事で良かった」
「……私は、気にしていない。大丈夫だ」
 起き上がり、埃を払う二人もやはり強化服のままだ。……どうしてかところどころ破けているのが目に入ったが、あまり気にしてはいけない気がしたのでユウヤは敢えて無視することにした。
「それにしても、唯依……あ、いや。篁中尉はわかるとして、どうしてクリスカが? おまえの方も、確か今日は模擬戦があるって昨日言ってなかったか?」
 いつものように散歩と称してやって来たイーニァと、それを探しに来たクリスカと他愛もない話をした際に確かにそう聞いたと思うのだが、勘違いだったのだろうか。ユウヤが小首を傾げていると、クリスカはどうしてかまたも頬を赤くして、俯き気味に答えた。
「……模擬戦は、終了した。そこで貴様が模擬戦中に怪我をしたと、聞いて、……イ、イーニァが! ……イーニァが、とても心配していたんだが、模擬戦後の検査が長引きそうで、し、仕方なく私が……様子を見に……」
 最後の方はよく聞き取れなかったが、どうやらユウヤが模擬戦中に担ぎ込まれたことを聞いたイーニァに頼まれて替わりに来たらしい。
 残念なようなホッとしたような、不思議な心持ちでユウヤはクリスカと、そして唯依を見やると、深々と頭を下げた。
「心配かけて、悪かった。ありがとうな、二人とも」
「うっ!?」
「なっ!?」
 ボンッ、と。
 急激に茹で蛸となった二人は頭を下げたままのユウヤの前でワタワタと忙しなく身体を動かし、そんな微笑ましい光景にヴァレリオは口笛を吹き鳴らすとそそくさと踵を返した。
「……や〜れやれ。まったく、おもしろいことになったねぇ」
 ステラやヴィンセント、それにタリサにどう報告するか。
 どちらにせよ、これで暫くは酒の肴と、ユウヤをからかう材料には事欠くまい。
 ニヤニヤと頬を歪ませほくそ笑みながら、ヴァレリオはきっともう数秒後には喧噪に包まれるであろう救護室を後目に、軽い足取りで格納庫へと戻っていった。





〜END〜





Back to Top