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「誕生日おめでとう、月詠」
「……は?」
 生涯忠誠を誓った主に対し、不敬とも言える斯様な態度を月詠真那がとってしまったのには、無論理由がある。
 まず第一に、主――御剣冥夜の言葉があまりにも突然の、予想もしていないものだったこと。
 次に、彼女がとても喜ばしいとばかりに差し出してきた一つの包みの存在について、だ。
 誕生日おめでとう……言われて、真那は『ああ、そう言えば今日は一月の十四日でしたか』と、別に今日の日付を失念していたわけでもないのだが、年末年始を御剣家の侍従長として問題無く過ごすために師が走る以上の速度でもって奔走した結果、その日が自分に持つ意味を忘れていた。
 誕生日。
 二十を超えたあたりから、殆ど気にすることの無くなったイベントだった。
 ……別に加齢を気にして敢えて思考から追い出していたのではなく、単純に多忙を極める立場がために、構ってなどいられなかったのだ。
 そんな真那の誕生日を、冥夜も知らないはずだった。
 知っていたら彼女の性格上、毎年無視するようなことはありえず、真那がどんなに固辞しようとも祝いの言葉を述べ、今目の前に差し出されているように贈り物を用意するに違いないのだ。
「水くさいぞ。まったく……いや、今までに聞いていなかった私にも問題はあるのだが、教えてくれてもよかったのに」
「……いえ、勿体ないお言葉で御座います、冥夜様。ですが、どうして私の誕生日を?」
「うん。神代達が話しているのを偶然耳にしてな」
 そう言えば、神代達三人には以前に誕生日を教えたことがあった。以来、毎年一応祝ってはくれるし贈り物もくれるのだが、正直大した物を貰った覚えがない。気持ちだけはありがたいのだが、肩叩き券を二十枚綴りで三人からそれぞれ、つまりは三セットも貰ってあの娘達はどうしろと言うのだろう。
「そうですか。わざわざ私などのために……」
「など、と言うものではない。そなたには、いつも感謝しているのだ。なのにこれまで誕生日のことすら知らず、いや、自分が情けない。どうか許して欲しい」
「そんな、冥夜様!」
 深々と頭を下げた冥夜に真那は慌てふためいた。こうなっては下手なことを言っても冥夜に気を遣わせるだけだ。彼女のそういった性分は心得ている。
 ここは素直に喜び、祝いの言葉と贈り物を受け取っておくべきだろう。
「……ありがとうございます」
 嬉しさの余り、真那は両の眼に涙を浮かべていた。
「うん。……だが、すまない。正直何を贈ればいいのか迷ってしまい、タケルに意見を求めてしまったのだ」
「まぁ、武様に?」
「ああ。なのでこれは、私とタケル、二人からの贈り物だと思って欲しい」
 冥夜だけでなく、武からまで。
 贈り物を受け取り、胸にグッと抱き締めながら、真那は心からの感謝を込めて、ただひたすらに頭を下げた。感無量とはまさにこの事だ。
 そうして暫く感動に浸っていたところ、
「月詠、そういつまでも頭を下げていなくても……」
「は、はい。失礼しました」
 見かねた冥夜に言われ、真那は少し赤くなった眼を擦ると笑顔で顔を上げた。
「では早速だが、開けてみてくれるか?」
「よろしいのですか?」
「そのために贈ったのだし、是非もない」
 何やら包みを開けることさえ勿体ない気がしてならないのだが、こう期待するような眼差しで見られては開けないわけにもいかず、真那は「では、失礼します」と断りおいてから丁寧に包み紙を解いていった。

 ――……で。

「……」
「武に相談したら、『コレしかない!』と力説されてな」
 嬉しくないなんて事は、あるはずがない。
「神代達もコレが一番だと」
 誰一人として悪気などあるはずがないのだ。神代達もそれは同様で、まったく、別に後で怒ろうだとか絞り上げようだとか普段の十倍くらい仕事を与えようだなんて真那はこれっぽっちも考えてはいなかった。
 だが、しかし、それにしても、だ。
「……お」
「ん?」
「お手伝い券……で、ございますか」
「うん。二十枚だから、二十回分だな。何でも好きなように命じてくれ」
 えっへんと胸を張ってそんなことを言われても、真那の立場から冥夜に何かを命じるなど出来るわけがない。まさかこれを見越して三人組みからの嫌がらせかと真那が頬をヒクつかせていると、冥夜が不安そうに覗き込んできた。
「……その、本当はタケルも神代達も『肩叩き券』が良いと言ったのに、肩叩きだけでは私の気が済まぬのでお手伝い券にさせてもらったのだのだが……肩叩き券の方が良かっただろうか?」
「いえ、お手伝い券で結構でございます」
 キッパリと即答してから真那はしまった、と眉間に皺寄せた。だが今の冥夜の顔を見て、そう答える以外どう出来よう。
「ほ、ほんとうにたすかります」
 しかしそれにしても、困った。
 冥夜の心遣いは嬉しい。心底から、とても嬉しいのだ。嬉しくてたまらない。が、だからといって彼女に手伝いを命じるなど出来ないし、かといって何も命じないと冥夜はひどく残念がるに違いなく、また傷つくだろう。
 どうすればいいのか。
 真那は悩んだ。
 悩みに悩んだ。
「月詠、何でも良いのだぞ? 部屋の掃除や風呂の掃除、洗濯に洗い物、何なら肩叩きやマッサージでも良い」
 掃除や洗濯はちと不安なので兎も角として、肩叩きやマッサージならまぁ畏れ多くはあるが一番無難ではある。いっそそれで済ませてしまおうかと、そこまで考えた瞬間――
「……はうぁあっ!?」
 ――真那の脳内で冥夜の発言が化学反応を起こした。



 冥夜

 と

 風呂

 で

 マッサージ










「……ぶはっ!!」
「つ、月詠!?」
 突如その場に倒れ伏した真那を抱き起こし、冥夜は動転しつつも懸命に助けを呼んだ。
 耳に、必死な冥夜の叫びが木霊する。
(……ああ、申し訳ございません、冥夜様……)
 ドクドクと大量の鼻血を垂れ流しながら、真那は心中で深く、深く不純な己を詫びた。まったく、不敬極まりない。
 しかし、それにしても。
(そう言えば、あのお手伝い券、武様も含めてということは、三人で……お風呂……マッサ――)
「どぶばっ!!?」
 あーかいまがくしさーいたー♪
「つ、月詠ーーーーーーーっ!?」
 今度こそ黄泉の国へと旅立ちつつある真那を抱え上げ、冥夜は家中を右往左往駆け回った。
 そんな今の状態をこの上なく幸福に感じながら、真那は深い悦びの闇へと沈み込んでいった。



 なお、それから暫くの間、真那は神代、巴、戎に対して妙に優しかったのだが、三人は理由もわからずむしろ恐れおののき、より一層仕事に精進したのだった。





〜おしまい〜





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