剣を振るう腕は巨大だった。 巨大な、鋼鉄の腕。自らの腕ではない、しかし己の意思通りに動く手足を自在に駆り、化物を斬り刻んでいく。まるで無限の、波濤が如くに押し寄せる悪鬼の群れを、斬り伏せ、貫き、蹴倒して、戦場を歩んだ。 剣を、鋼鉄の巨人を操る者――即ち、我が名は冥夜。御剣冥夜。 神威の御剣その腕に、冥府魔道を突き進み、夜天の下で築くは屍山。 暴に荒れ狂う風は血河を血風へと変え、その流れに乗って鋼鉄の巨人はそれ自体がまるで一振りの剣であるかのように化物を蹂躙し続けた。 しかし冥夜は知っている。 知っているのではなく、もっと深いところで理解していた。今の自分は、この戦いを眺めているだけだ。実際に戦っているわけではない。戦場で血を流し、未来を願って咆哮する自分はまるで銀幕の向こうの存在のようで…… ――夢を、見ているのだと。 だから、識っているのだ。全てを。 幾たびも繰り返される絶望の戦い。たとえ幾百、幾万、幾億の化物を斬り伏せようとも、そこに勝利はない。激闘の果てに剣は折れ、鋼鉄の巨人は膝を突き、冥夜の意識も肉体も闇に呑まれてその意味を失う。 それは、死だ。 繰り返される死へと向かう戦い。 けれど戦場に立つ冥夜はそのような事を知る由もなく、ひたすらに未来を切り拓こうとする。全ての戦いには、理由があったから。 守るべき者のために、愛する者のために、冥夜はひたすらに、ひたむきに戦った。 時には愛する者と共に戦場に果てた。時には守るべき者の盾となり、散った。そして時には……地球を棄て、遥か遠い星へと逃げ出したこともあった。 あらゆる結果を識りつつ、今日も冥夜は夢を見る。 それは、絶望の地平に朽ちゆく魂の残照。滅びゆく世界に燃え上がる命の炎。その先に紡がれる未来は――常に、闇に覆われていた。 だが闇の中には一筋の光明も無かったわけではない。むしろ、冥夜の側には常に彼女にとっての光があった。燦然と輝く、白銀色の光が冥夜を照らしてくれていた。 冥夜を照らす光――其の名は武。白銀武。 夢の内容は同一ではない。ある夢では居たはずの人物が、別の夢では居ない……そんな事はよくあった。どれだけ身近なはずの人物であっても居ない場合がある。なのに、こうして全てを識る冥夜をしてなお異常と思えるくらい、常に冥夜の側には武がいた。そして、冥夜は必ず武に惹かれ、彼を愛していた。 武もまた冥夜を愛してくれた世界もあれば、他の女性と結ばれた世界もある。なのに冥夜の想いは変わらない。絶対運命などというものが仮にあるとすれば、それは冥夜が武に向ける愛に他ならないだろう。そう考えると、どこかホッとした。
「スキーの時はお互い裸だったではありませんか」 「いやだってあの時は非常事態だったし!」 そう、あの時は非常事態だったのだ。吹雪に襲われ山小屋に閉じ込められ、悠陽は怪我のせいか発熱して衣服も濡れきっていたのでやむを得ずお互い全裸になって一つの毛布に入り暖めあって―― 「――あら」 「ん?」 「お元気そうで」 「ギャワー!」 悲鳴を上げた。いやもうそれしかなかった。 そりゃそうだろう。あのときのこと――悠陽の体温と感触を思い出し、しかも眼の前にはそのときとほとんど変わらない姿の悠陽がいるのである。これで元気にならなかったら色々と問題がある。男として。 「それに武様、今も非常時です」 「いやまあそりゃそうなんだけど」 あの時と今じゃ状況が違うだろうとか、そもそもこんなことしている場合じゃないだろうとか言いたいことが山ほどありすぎて何から言えばいいのかわからずにいると、 「えいっ」 そんな声とともに世界が回った。 「のわあっ!?」 そしてぐるりと回った後に、ぼすりと音を立てて着地。そこはというと窓際にあるオレのベッドだった。ちょうど枕のところにオレの頭が来て、体勢的にはそのまま布団掛ければ眠れそうだったりするけどもちろん寝ている場合ではない。 「悠陽、いったい何を」 「『仕返し』ですわ」 「『仕返し』って――まさかアレか? 昨日の昼飯の時ことか?」 「私も恥ずかしい思いをしたのですから、武様も同じぐらい恥ずかしい思いをしていただかなくては不公平というものです」 そう言って妖艶に微笑む悠陽の顔は、そう。まるで獲物を食べようと這い寄る蛇のようで――いかん、喰われる。オレは生物の本能がそう告げるのを確かに聞いた。 「いやでも! 今アレだろ? 何か侵入者とかそんなんがやってきて、それを防ぐために真耶さんとか頑張ってるんだろ? そんな時にお前、こんな――」 そう、真耶さんや御剣の警護部の人たちがオレのために頑張っているというのに、オレたちがこんなことをしていていいわけがない。悠陽だってそれはわかっているはずだから、そこを指摘すれば思いとどまってくれるはず―― そんなことを思って必死に叫ぶが、悠陽は決して止まらない。 「『そんな時』なればこそです」 「え?」 わけがわからなかった。 「真耶さんたちが頑張ってくれているからこそ、私もここで引くわけにはいかないのです」 本当にわけがわからなかった。 何がなんだかわけがわからず、きっと間抜けな顔をしているだろうオレを見て悠陽は一度クスリと笑い、ベッドの上へと上がってくる。 ベッドのスプリングが二人分の体重にギシリと音を立ててきしみ、オレと体を重ねるように、寸前まで覆いかぶさってきた悠陽の体からその体温と匂いを感じる。 思わずつばを飲み込み、あまりの状況にどうすればいいのかわからずにいると悠陽はにっこりと――しかしその笑みは普段とは違い、妖艶に輝く笑みを浮かべ――そしてゆっくり、オレの耳元に囁きかけるように声をかける。 「それとも、お嫌ですか?」 そしてまたクスクスと笑う。 ああ、やっぱり悠陽は腹黒い。 この状況で、ここまで追い詰められて、そんな表情でオレを見つめながら妖しく笑って、まさかそんな状況で『嫌だ』なんて、たとえ嘘だとしても、そんなこと言えるわけがない。
「ふっふっふ……タケルちゃんがそう言うのは予測済みだよ! 我に秘策あり!」 「何だよ、純夏。やけに自信あるじゃねーか」 「ふふん? これを見てもタケルちゃんはそんな事が言えるかな?」 「こ、これはっ!?」 自信ありげに、というか満面の笑顔で純夏が広げた箱の中身は確かに普段の弁当とはひと味違った。 長方形の弁当箱は中央に仕切りがしてあり、左と右で様子が違う。左側は見慣れた純夏の料理だというのは想像が付くが、右側の方はなんというかどこかいびつなのである。 だが、どこか一生懸命さが伝わるその弁当に武は一つだけ思い当たる節があった。 「純夏、もしやこの弁当はお前と霞の……」 「ぴんぽーん! タケルちゃんだいせーかーい! これはわたしと霞ちゃんの合作なんだよー!」 嬉しそうに言う純夏の後ろから、霞が不安そうに覗き込んでいる。期待半分不安半分と言ったところであろう。小動物が物陰から様子を伺うようで何とも微笑ましい。 「くっ……普段のオレなら好きな物を食うと、我が道を行くが…」 「さあ! 食え〜食え〜」 「……しょうがねぇ、今日はお前の思惑に乗ってやる! 霞の料理の味も気になるしな!」 かなり苦しい言い訳だった。しかも、どっちの弁当にしよー? において、確かに武には両方とも選ばず、オレはオレの食いたい物を食べる! という逃げ道があるのだが、何故か始まって以来、武の中にはそんな選択肢がなかった。まるでそんな因果は存在しない、とばかりなほどに二択なのである。 ついでに言えば、純夏はああ言ったが彼女にそんな打算はない。強いて言うなら「霞も一緒に作った」と言えば、武が嫌という筈はないという確信こそあれど、それを牽制の材料に使うつもりは毛頭なかった。単にそう言えば例え何が出てきても、武は霞の想いを優先してくれるだろう、というそれだけである。 おまけに武はこと、純夏に対しては扱いがぞんざいである。その上、プライドが邪魔して素直に食べさせろとは死んでも言わない。それが白銀武の鑑純夏に対するスタンスでもあった。
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