◆    ◆    ◆





  木々の合間から溢れる光に赤みが射しているのを確認しつつ、アレインはスッと息を吸うとノワへ向き直った。
「ノワ、間もなく日が暮れるが……」
 どうする、とアレインが尋ねるより先に、ノワは自らの戦杖を構えていた。
「戦士長! ノワならまだ大丈夫だから、もっともっと鍛えてよ!」
 気迫は充分。そこだけは常に満点だ。
「よし、よかろう」
 アレインもまた戦杖を構え、愛弟子に何処からでも好きにかかってくるよう視線で訴える。
「いっくよぉおッ!」
 大地を蹴ったノワの身体が、まるで矢のようにアレインへと迫った。しかしあくまで直線的、カウンターを合わせてくれと言わんばかりの猪突だ。
「……む」
 ノワの性格上、打ち込みが素直なのはいつものこと。とは言えここまで真っ直ぐなのは流石に誘いかとアレインは逡巡し……ノワを注視して即座に答えを出した。
「はっ!」
「わわっ!?」
 アレインの戦杖が突き出されたのは正面ではなく、右。ノワから見て左側に鋭い一撃が繰り出される。
 猪突から全身のバネを総動員し右に方向転換しようとしていたノワは、ものの見事に妨害されて飛びずさった。全力の突進で相手の注意を正面に引き付け、そこから急激な方向転換。単純ながら決まれば相手の無防備な側面を突けるノワの奥の手だったのだが……
「速度は申し分なし! だがほんの一瞬、視線が僅かに左を見ていた! 相手に気取られてはどれだけ速かろうとも無意味だ、ノワ三〇点!」
「うぅっ、なら!」
 飛びずさったところで再び激しく大地を蹴ったノワは、今度は頭上、大樹の枝へと飛び乗っていた。しかし樹上での戦いでもアレインの優位は揺るがない。
 いったいノワはどうするつもりなのか、アレインだけでなくレイナとトモエもその動向を見守り――
「ぃやぁあああああああッ!」
「ッ!」
 驚いたことに、ノワは今度は大樹の幹を蹴りつけ、樹上から流星のようにアレイン目掛け吶喊してきたのだ。
 猪突も猪突、これ以上の突撃は存在しないであろう絶対の突撃だった。避けるとか避けないとか、それ以前の問題だ。アレインの反射を持ってしても、出来たのは構えていた戦杖を僅かに動かしノワの渾身を受けるのみ。
「ッたぁああああっ!!」
「ぐ、むぅうっ!」
 アレインとノワ、身体能力に優れてはいるが膂力に関しては華奢なエルフの肉体である以上人間の戦士と比べ幾分か劣るのは否めない。
 そこを、速度と全体重でもって補ったノワの一撃は、
「あっ」
「……今のは、肝を冷やしたぞノワ」
 それでもアレインによって防がれてしまっていた。
 自身の身長よりも長いアレインの戦杖、その先端の片方はノワの一撃を受け止め、反対側はしっかりと地面に突き立てられていた。
 どれだけの速度、重さを用いようとも、ノワのそれでは大地を揺るがすこと能わず。
「二手三手先を読むよりも相手を完全に倒しきることにのみ重点を置いたのはなんとも貴様らしいが……」
 ノワの身体がストンと着地したのと同時に、アレインはその足を引き抜いた戦杖で払っていた。
「はぅっ!?」
 いとも簡単に転ばされ、尻餅を突いたノワの眼前へまたもや戦杖が突きつけられる。
「まだ甘い。相手の力量、そして地形をよく考慮した上で仕掛けねば無意味だ。ノワ、五〇点」
 もし今の攻撃が足場の悪い、例えば沼地や、それこそ樹上で放たれていたならアレインと言えども受けきれずに跳ね飛ばされていただろう。
「痛つつ……はい、戦士長」
 どうやら思ったよりも強(したた)かに尻を打ってしまったらしい。痛そうに顔を顰めているノワに、手を差し伸べるか否か少しだけ迷いつつも、結局アレインは厳しきに徹しきる事は出来なかった。
「さぁ、立て。まだ続けるのだろう?」
「勿論!」
 嬉しそうにアレインの手を掴み、ノワは次こそは勝ってみせると元気良く意気込んだ。
 そんな師弟のやりとりを見て、触発されたのかレイナとトモエも小さく頷き合う。
「それじゃ私達もそろそろ」
「はい。自分の修行に」
「あ、二人とももう帰っちゃうの?」
 寂しそうに顔を曇らせるノワを見ているともう少し長居してやりたくもなったが、二人の中の闘士としての性情が勝っていた。
「ごめんね、また今度一緒にご飯でも食べに行こう?」
「ええ。その折は、どうぞアレイン教官もご一緒に」
「……うん」
 これ以上引き止めるのも悪いと思ったのだろう。ノワは小さく手を振り、アレインも会釈して二人を見送った。
 ――その、時だった。
「……え?」
 アレインにしては非常に珍しい、やや間の抜けた声。
 ガコン、と。妙に鈍く、重たい音が響き、全員の視線がそこに集中した。
 ノワも、レイナもトモエも無言で瞠目していた。
 各々の視線が、上から下へと移動する。
 今度の音は、ドサリ。
 草の生い茂る地面に落ちた鈍色の塊を、誰もが声もなく見つめていた。
 そのまま、無音の時間が数秒。
「あぁああああああああああっ!?」
 最初に大声をあげたのは、ノワだった。しゃがみ込み、落ちた塊を手にして慌てふためいている。レイナとトモエは何が起こったのかまだ理解しきれずにいた。
「た、大変大変、あぅっ、ど、どど、どうしよっ!?」
 拾い上げた塊とアレインとを交互に見やり、ノワは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 一方、アレインの目はノワでも塊でもなく、自らが手にした愛用の戦杖――その先端へと注がれている。
 欠けていた。
 ものの見事に、先端の部位が破損していた。
「……」
 まばたきすら忘れ、齢千年の戦闘教官はいったい何十年ぶりになるのかもわからない茫然自失とした様をいつまでも晒し続けていた。










◆    ◆    ◆





 我に返ると、いつの間にか激しい剣戟の音がそこかしこから聞こえてくることにニクスは気がついた。
「は、はれ? 何が、どうなってんの?」
 フニクラの操り人形のようにブラブラと身体を動かされながら、周囲を見る。
 リスティの怒濤の攻撃を防ぐトモエとシズカ、メナスが呪法で作り出した砂魔人と戦っているアレインとレイナ、そしてメナス自身の攻撃を懸命に捌いているイルマとユーミル。入れ替わり立ち替わり、相手を変えながらの激闘が展開されていた。
「え? な、なに……これ? クイーンズブレイド? 前哨戦? バトルロイヤル? ……なんで?」
 全くチンプンカンプンだ。が、そんなニクスの眼前を凄まじい勢いでロッドが振り下ろされていく。
「ひぃいぇええっ!? なに!? 何なのよいきなりぃ」
 フニクラの触手に支えられたままの状態で咄嗟に身を捻り、クルクルと回転しながらロッドの一撃を回避したニクスは涙目で相手を睨んだ。
「あっ、ニクスさん。こんにちは!」
「……ふぇ? ノワ、ちゃん?」
 見知った笑顔がそこにあり、ニクスは思わず頬を弛めてしゃくり上げた。戦いの最中でも、ノワを見ていると無性に安心する。
「な、なんであんたが……グスッ、……こ、こんなところに? それに、今、何がどうなってるの?」
「うんっ。ノワ達ね、大切な用事があって火竜さんに会いに来たんだけど」
「火竜に?」
 ビクリ、と震えながらニクスは恐る恐るフニクラの単眼を見上げた。表情など無いので何を考えているのかはわからないが、まるで自分の浅はかな考えなどお見通しだと嘲笑されているような気がしてニクスは全身から冷や汗を流した。
 そんなニクスの様子を見て、ノワが珍しく険呑な顔つきとなり、やや声を荒げた。
「……むー、ニクスさん、まだその杖捨ててなかったの?」
「えっ!? あ、いや、だって……」
 フニクラとノワを交互に見ながら、ニクスは縮こまってしまった。
「その杖は本当に危ないんだよ? 戦士長も言ってた! 早く捨てないと、ニクスさん大変なことになっちゃうかも知れない、って……」
「う、あぅ……」
 怒られるのには慣れている。けれど、ただ失敗を責められるのでも苛立ちをぶつけられるのでもなく、案じられて怒鳴られるのには、慣れていない。
 ノワと初めて会ったのは――かれこれ、もう数ヶ月前になるだろうか。
 秘宝フニクラを拾い、手に入れた強大な魔力を使って世直しの旅をしている最中、討伐した山賊団をフニクラが皆殺しにしようとしたのを止めたのがノワだった。以来、ノワはどうやらフニクラに支配されるニクスのことが本気で心配らしく、顔を合わす度にフニクラを手放すよう熱心に説得を繰り返してくるのだ。
 ニクスとしては、自分のためにこんなにも親身になってくれる相手は初めてで、ノワの真剣さが伝われば伝わるほどに嬉しくて涙が出そうだった。
 ……けれど、フニクラを捨てられない。フニクラを捨て、再び脆弱で哀れなだけの女に戻るのが怖ろしい。
 弱い自分が嫌で、なのにフニクラを捨てる勇気のない自分はさらに惨めで……
「だ、だけど……こ、今度こそは……っ」
 火竜の肝さえ手に入れば――フニクラを、捨てる事が出来る。そうすればノワの心に報いることだって、きっと出来るに違いない。
 そう信じて、ニクスは頬を引き攣らせた。
「あたし……あたしはっ!」
 ふらつきながら大地を踏みしめ、ニクスはフニクラを構えた。
「……ニクスさん?」
 ニクスの身体をフニクラの触手が這い回る。
「は、ぁああっ」
「あっ、こらーっ!」
 何とかニクスを解放せんとノワが杖を振り回すも、フニクラの触手に牽制されて近付けない。打突武器である以上、ノワの戦杖でフニクラに効果的にダメージを与えるには頭……と言うか本体的な部分を直接殴るしか無さそうだった。
「フ、フニクラさま……んぐっ!? ぐぶっ、ごぼ、おぉごぉ、……ぶぇっ、ング、ごぶっ」










 ニクスの口内に侵入したフニクラの触手から、分泌された液体がドクドクと大量に流し込まれていく。液体の正体はわからないが、見ただけでよろしくないものだろう事は明白だった。
「くっ! ニクスさんを、放せぇッ!!」
「キキーッ!」
 何とか本体を叩こうと戦杖を突き出し、さらにルーも触手を引っ掻いたり噛みついたりとしてくれているのだが、やはりダメージが無い。
「はぐっ、う……ぐ、……ぶほぁっ!!」
 どれだけの量を口から注ぎ込まれたものか、遂に限界を迎えたらしく、ニクスの仰け反った身体が大きく跳ね、飲みきれなかった液体を夥しく吐き出した。
 ボタボタと溢れ落ちるそれは白く濁り、泡立っている。
「ニクスさん!」
 泣きながら白濁液を吐き出すニクスのあまりの痛ましさに、ノワの中で憤怒の感情が爆発した。
「こんのぉおおつ?」
 全力のスイングが数本の触手を薙ぎ払い、ニクスまでの道を開く。
「よし、今っ――」
 ニクスを捉え、謎の液体を飲ませながら恍惚と単眼を輝かせていたフニクラへと、ノワの戦杖が伸びた。
 一撃で弾き飛ばす。ニクスの手から離れれば、さしたる驚異ではないはずだ。踏み込みの鋭さは、小兵であるノワの非力さを補って余りある威力を生み出していた。
(そこ!)
 杖が、フニクラを打つ。
 そう思われた瞬間、
「――ッ!?」
 ゾクリ、と。
 背筋を嫌な感覚が逆撫で、ノワは無理矢理にブレーキをかけてその場にしゃがんでいた。跳んで逃げなかったのは本能としか言い様がない。
「暴燐紅炎弾ッッ!!」
 紅蓮の炎がノワの頭上を掠め、髪の先を焦がす。
「ひゃあっ!」
 とてつもない熱気。轟々と響く炎弾の音に、まともに受けていれば一撃で致命傷だったに違いないとノワは歯噛みした。しかし、今はニクスの方が先決だ。
「ダメだよ、その杖を捨ててっ!」
 体勢を整え直しながら、ノワは声を張り上げていた。
 目の前にはフニクラを構えたニクスの姿。その面相は先程までとは打って変わり、凶悪に歪んでいた。
「うるっせぇーーーんだよこのノーパン娘がぁ! あたしからフニクラ様を奪おうとする奴ぁみんな死ね! 死ね、死にやがれぇえええええッ!!」
 ニクスの手の先から生み出された無数の火球が宙を舞い、ノワ目掛けて殺到する。一つ一つの大きさは小さくとも、その殺傷力は決して舐めてはかかれない。
「ルー!」
「キキッ!」
 武器による攻撃ならルーに守ってもらいもするが、火球は駄目だ。体毛を高質化させたとしても燃えてしまっては意味が無い。ノワはルーを退かせると、ニクスの狙いが定まらないよう左右に大きく飛び跳ねた。
「チョコマカと、ウザッてぇんだよぉオラァ!」
 魔力は大きくてもニクス本人は闘士として修練を積んだ人間ではない。魔法発動時の反射や火球の命中精度自体は低かったのがノワには幸いした。
「このっ、このぉオオッ!」
「よっ! はっ!」
 岩をも溶かす火球を避け続け、ノワはニクス、そしてフニクラに隙が生じるのを辛抱強く待った。
「あたれッ、あたれよあたれぇえッ!」
「もう、少し……たぁあっ!」
「おぉおおおにゃあにぃいいイイッ!?」
 業を煮やしたニクスが大振りな動作で火球を放った瞬間、ノワは神速の踏み込みでもって懐に入り込んだ。
(うんっ、いけるっ!)
 下から掬い上げるような戦杖の一撃が目指すのはフニクラを持つ右の手首。
 貰った、とノワは自身の勝利を確信し――
「……バ〜カッ」
「えっ!?」
 瞬間、炎幕が視界を遮っていた。





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