お姉ちゃん奮戦記
〜あるいはいもの話〜



◆    ◆    ◆





 〜お姉ちゃんへ〜

 お姉ちゃん、お元気ですか?
 クリスはもうすっかり元気です。
 お姉ちゃんの方は無理はしていませんか? ウィッチーズの皆さんと、喧嘩なんてしていませんか?
 お姉ちゃんはとても強くて優しくて真面目だけど、時々真面目すぎてあらぬ誤解を受けてしまうことがあるので妹としてはそこがちょっとだけ心配です。
 でも、お姉ちゃんならきっと大丈夫ですよね。
 どうかエーリカさんや宮藤さん、他の部隊の人達と仲良く、私を大切にしてくれているようにみんなのお姉ちゃんとして頑張って下さい。

クリスより   



 追伸
 シャーリーさんともあまりケンカしちゃダメだよ?





◆    ◆    ◆





「わっ、すごーい!」
 あるうららかな日の午後。今日も今日とて厨房にてジャガイモの皮を剥いていた宮藤芳佳は、元々子犬のようにくりっと丸い目をさらにまん丸に見開き輝かせながら眼前で繰り広げられる早技に感嘆した。
「シャーリーさん、前よりもまた早くなってません?」
 ささやかな褒称にフフンッと口元に笑みを浮かべたのは、包丁片手に鼻歌交じり、とてつもない速度と精度でジャガイモの皮を剥き続けているシャーロット・E・イェーガーこと通称グラマラス・スピード狂・シャーリー。
「まっ、いつもいつもこんだけ剥いてればなぁ」
 と言ってるうちに、クルッと小手を返した手の内ではまたも一つのジャガイモが綺麗に剥かれ、芽も一つ残らずくり抜かれている。芳佳も炊事は大の得意とするところだし、調理の腕自体はシャーリーとは比べるべくも無いのだが、こうした皮剥きに関してはまったく太刀打ち出来る自信がなかった。
 現状、不足しがちな食料をカールスラントから大量に送られてくる補給物資ジャガイモでやりくりしている連合軍第501統合戦闘航空団“ストライクウィッチーズ”に所属するウィッチ達は、必要に迫られてか極一部の例外を除き殆どの者はイモの皮剥きに並ならぬ上達を見せていたが、その中でもシャーリーの腕前は今や神業と言って差し支えないものだった。
「でも本当に助かりました。今日はリーネちゃんが熱出しちゃったから……」
 いつもなら大抵は芳佳と一緒に行動しているリネット・ビショップことリーネは今日は朝から熱を出してしまいダウン中。そのため本来なら“三人”でやるべきところを“二人”でやらなければならなかったのだが――
「シャーリーさんが助けてくれなかったら私とバルクホルンさんだけでこのお芋の山を全部剥かなくちゃいけなかったんで」
 そう。
 ニコニコと喜びを隠そうともしない芳佳の隣ではもう一人の本日の炊事担当であるゲルトルート・バルクホルンが先程から一言も話そうともせずにムスッと仏頂面のまま芋の皮を剥き続けていた。こちらはシャーリーほどの速さはないが、彼女とは真逆の精密機械が如き動きで規則正しく剥かれた芋を籠の中に積み上げている。
「あっははは。そーかそーか」
 そんなバルクホルンのことなどまるで気にしていないとばかりに、シャーリーはさらに「見てろよ」と速度を上げた。
「フンフフフ〜ンっと」
「わわっ、もっと早く!?」
 手の中で凸凹としたジャガイモをクルリクルリと回転させ、その表面を滑るように包丁が薄皮のみを剥ぎ取っていく様はそれこそ魔法のようだ。
 向こう側が透けて見えるくらい薄く剥かれた皮を指で摘み上げた芳佳は自分の剥いた皮と見比べながら首を捻った。
「どうすればこんな風に手早く出来るようになるんですか?」
「そりゃー才能だろ」
 ニヤッと口の端を吊り上げたシャーリーは、これがイモの皮剥きでさえなければ思わず見惚れてしまうほどに格好良かった。
 一方、わーすごーいとパチパチ拍手を打っている芳佳の横で、バルクホルンの眉間に皺が寄っていることに二人は全く気付いていない。
「……なーんてな。こんなの、コツさえ掴めば簡単なモンさ。それに宮藤だって上手いモンじゃないか」
「うーん、でもやっぱりシャーリーさんみたいにはなかなか……」
「肩に力を入れ過ぎなんだよ。もっとリラックスしてやってみなって」
「肩の力を抜いて……えーと……んー……」
 急に力を抜けと言われてもこれでなかなか難しい。悪戦苦闘する芳佳を微笑ましく見守りながら、シャーリーは「あー、そうじゃない」「こうやるんだよ」と優しく手ほどきした。その間も、バルクホルンは無言で皮を剥き続ける。
「えっと、こ、こうですか?」
「うんそうそう。おっ、イイ感じだ。やっぱ料理に関しては宮藤はあたしなんかよりよっぽど筋がいいな」
「えへへ、ありがとうございます」
 と、そんな仲睦まじい様子の二人をチラと一瞥し、バルクホルンは硬く引き結んでいた唇を僅かに開けた。
「……二人とも、もう少し静かにやったらどうなんだ?」
 雑用とは言え、芋の皮剥きも任務であることに変わりはない。一に規則、二に規則、三も四も五も六もそこから先も規則規則……『軍人たる者常に軍規を重んじるべし!』を信条とするバルクホルンにとっては、今の二人のように和気藹々と私語を交わしながら作業するなど言語道断。それでも今まで我慢していたのは、今朝最愛の妹であるクリスティアーネから届いた手紙の事があったからだ。
 お姉ちゃんは真面目すぎてあらぬ誤解を受けることがあるから心配だ、などと妹に書かれてしまっては、バルクホルンの性格上『そんな事は無い』とばかりに努めて柔軟に振る舞おうとするのは自明の理だった。ただし、妹がそんな姉の性格を見越して手紙にそう書いたのだという事には気付いていない。
 手紙のことは差し引いても、善意で手伝ってくれているシャーリーへの感謝の念があったのも確かだ。なのであくまでやんわりと二人を注意した……の、だが。
「ところでさー、こんなにたくさん皮剥いて、今日の夕飯は何にするんだ?」
「あ、それはですねー――」
 会話に夢中なためか聞こえなかったらしく、二人のお喋りに止む気配は無い。
 ムッときたバルクホルンだったが、何とか自制する。
(……いや、ここは寛容に。うむ、寛容さが肝要だ)
 寛容な精神は人間として間違いなく美徳だ。そう、決してクリスに心配されたからではない。そんなわけで、ここで怒るのも大人げなかろうと普段なら怒鳴り散らしているところを堪えたバルクホルンは小さく深呼吸してからぎこちなく笑みを浮かべた。
「……なぁ、二人とも。もう少し、静かにやろうじゃないか」
 二度目の注意。
「で、まずは肉じゃがとですね」
「おー、肉じゃがってこの前も作ってくれたアレだろ? アレは美味かったなー」
「ジャガイモの煮っ転がしに、あとジャガイモのお味噌汁に……」
「ニッコロガシ? それも扶桑の料理か?」
「はい。ジャガイモを出汁と醤油、砂糖なんかで煮込むんです。簡単なお料理なんですけど美味しいですよ」
「へー、そいつぁ楽しみだ」
 まるで効果無し。
 シャーリーだけでなく芳佳も聞いてくれていないというのには地味に傷ついたバルクホルンだったが、それでも、堪えた。
(シャーリーはあくまで善意で私達を手伝ってくれているのだ。恩義には、報いるのが正しいカールスラント軍人というもの。それに宮藤だって、あんなに楽しそうにしているのだから……、うむ。ここは冷静に……穏やかな心で)
 楽しそうにシャーリーと談笑している芳佳の姿を心中でクリスと重ね合わせ、何とか落ち着きを取り戻す。そう、自分は軍人であると同時に姉なのだ。クリスに言われたように、501部隊みんなのお姉ちゃんなのだ。お姉ちゃんは妹に対していつでも優しく、尊敬され、頼られる存在であらねばならない。こんな事ですぐに怒るようではいけないのだ。
 思えば確かに自分は少々沸点が低すぎたかも知れない。それもこれも全てバルクホルンなりに相手を慮ってが故の事ではあっても、クリスの言う通り度が過ぎれば誤解を呼び、誤解は不和を呼び、不和は争いを呼んでしまう。そんな事では駄目だ。
 雨が降っても槍が降っても芋が降っても泰然自若、ニコニコと笑みを絶やさず妹を愛し導き慈しみ、見守る――それが、それこそが……
(そう、私は、そんな優しいお姉ちゃんであらねばならんのだ!!)
 頬を震わせながらの精一杯の笑顔を二人へと向け、バルクホルンは裏返った猫撫で声で遂に三度目の注意を促す。
「……ふ、二人ともー? もう少し、静かにだな、任務中だし、うん。私語は慎んで作業を、しよう! お姉ちゃん、その方が、嬉しいなー……?」
「ん、上手い上手い。もう私と大して変わらないんじゃないか?」
「でもやっぱりまだシャーリーさんみたいに早くは……皮の厚さなら同じくらい薄く剥けるんですけど」
 またしても完全無視。
 聞こえていないどころか、自分の存在すら忘却しているのかも知れない。そんなことを考え、頬を引き攣らせたまま込み上げてくるものを懸命に抑え込んでいるバルクホルンの目の前で、
「……うふふっ」
「ん、どうした?」
 芳佳は心底嬉しそうにシャーリーを見上げると、
「シャーリーさんのこと、なんだかこうしてると、お姉ちゃんが出来たみたいで……嬉しいなー、って」
 トドメ――とばかりにそんな事を言い放った。
「〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!?」
 衝撃は、バルクホルンの心身を瞬時に打ちのめしていた。。
 無論、芳佳にもシャーリーにも悪気など無い。無視していたのも単にバルクホルンの声が本当に小声だったため聞こえなかったせいで、彼女を虐めるつもりなど欠片も、これっぽっちも無かった。……無かったのだ、けれど――このダメージは深刻だった。ゲルトルート・バルクホルンにとってネウロイの光弾どころか、祖国カールスラントの秘密兵器たる列車砲を撃ち込まれたかのような壮絶極まりない痛恨の一撃だった。
「よせよー、照れるだろ」
 微かに頬を染めつつ満更でも無さそうなシャーリーは、再び高速で芋の皮を剥いては籠の中に放り込んでいった。片やバルクホルンはと言えば、哀れにも抜け殻のようだ。
 と、そこでシャーリーはようやくバルクホルンの存在を思い出したらしい。
「おいおいバルクホルン」
「……なんだ、大尉」
 幽鬼のように振り向いたバルクホルンに「うっ」と気圧されながらも、シャーリーは照れ隠しのつもりなのか早口に捲し立てた。
「なんだ、じゃなくて。それじゃ皮が厚すぎて食べる部分無くなっちゃうだろ? 次の補給がくるまではこの芋があたし達の生命線なんだ。もっと大事に食わないと、勿体ないだろう?」
 いつものバルクホルンならこの手の注意には素直に「す、すまん」と謝罪し言われたところを直そうと鋭意努力するはずで、シャーリーも普段何かあれば口論している喧嘩友達のそういったところは気に入っていた。
 なのに、どうも様子がおかしい。
「……? ど、どした?」
「バルクホルンさん?」
 芳佳もようやく異変を感じ取ったようだ。シャーリーと二人、俯いて肩を小刻みに震わせているバルクホルンをのぞき込み、いったい何があったのだろう大丈夫だろうかと心配していると、突然凄まじい勢いで項垂れていた頭が上がった。
 そのまま、ビシッとシャーリーを貫かんばかりに指差す。
「きっ」
「……き?」
「貴様のようなお姉ちゃんがいてたまるかぁああああ!!」
 魂ごとぶつけるかのような、咆哮だった。
「……はぁ?」
 ワケがわからないのはシャーリーの方だった。芳佳もいったいバルクホルンが何を言っているのかサッパリ意味不明だ。
「だいたいだなぁ、お姉ちゃんというのはもっと真面目で、しっかりしてて、優しくて、温かくて、柔らかくて、清楚貞淑で、勤勉実直で、質実剛健で、絶対無敵で、眉目秀麗で……」
「取り敢えず温かくて柔らかいけどなぁ」
「うわっ……あったか〜い……やわらか〜い」
「やめんかぁあ!!」
 芳佳に胸を揉ませてやりながら首を傾げているシャーリーを一喝、バルクホルンはテーブルをドンと殴りつけるとやおら仁王立ちした。衝撃で宙を舞った芋を危うくシャーリーと芳佳がこれまた立ち上がってキャッチする。
「兎に角! 貴様のような破廉恥極まりない脳天お気楽極楽なリベリアンを宮藤のお姉ちゃんだなどと認めるわけにはいかん! お姉ちゃんならシャツのボタンを上までとめろ! 廊下やハンガーを下着姿でうろつくな! やたらと乳を揺らすな! と言うより乳がデカ過ぎる!」
「そんなこと言ったって動くと勝手に揺れるし」
「わざわざ揺らすなと言うに!!」
 見せびらかすようにたゆんたゆーんと乳房を揺らすシャーリーに激昂すると、バルクホルンはキッと芳佳に視線を向けた。
「宮藤! 貴様も貴様だ!」
「ひゃいっ!?」
「こんな本来脳へ送られるべき栄養の全てが乳に回ってしまいそのせいで脳萎縮性疾患にかかってしまってるようなピーマン女をお姉ちゃんと呼ぶなど我がカールスラントであれば軍法会議モノだぞ!?」
 そんな軍法会議があってたまるものか……と、普通の軍人なら誰もが呆れ果てるところを、しかしいかんせん芳佳は普通の軍人ではなかった。
「えぇえええええっ!? わ、私軍法会議にかけられちゃうんですか!? もしかして銃殺刑なんですか!?」
「無い無い。ってか脳筋の戯言にそんなに慌てふためくなよ……」
「え? 大丈夫なんですか?」
「誰が脳筋だッ!!」
 即座にピッとバルクホルンを指差すシャーリー。
 もはや開戦を免れる術など無かった。怒りに紅潮したバルクホルンはそのまま爆発したかのように叫んだ。
「ならば勝負だ! どちらがお姉ちゃんとして相応しい存在か、私と正々堂々勝負しろイェーガー大尉!! 宮藤のためにも、貴様のような姉失格の人格破綻者にはここでヘルヘイムへの引導を渡してくれる!!」
 流石にこうまで言われてはシャーリーとしてもカチンと来ざるを得ない。
「ハッ。しょうがない、勝負してやるさ。あたしとしてもこんな可愛い宮藤がお前さんみたいな胸についてるのがおっぱいなのか大胸筋なのかもわかんない筋肉女になるのを黙って見てるのは忍びないからね。吠え面かくなよシスコンゴリラ」
「私はシスコンではない!」
「じゃあただのゴリラだ。やーい、ゴリラゴリラ! 森の賢者〜」
「キーーーーッ!!」
 まるで子供の喧嘩だ。
 二人に挟まれた芳佳は、ただただ頭を抱える他無かった。





◆    ◆    ◆





「……ケホッ、ケホッ」
 どうにか熱は下がったものの、今度は咳が止まらない。
 先日の雨中での哨戒任務が原因とは思うが、仮にも軍籍に身を置く者としてこれはあまりにも情けない、とリーネは布団の中で溜息を吐いた。
「芳佳ちゃん……バルクホルンさん……二人で大丈夫かな?」
 女所帯だというのにやたらと大食らいばかり抱え込んでいる501小隊の炊事はこれでなかなか重労働なのだ。芳佳は元より、バルクホルンもああ見えて実のところリーネより料理の腕自体は(悔しいが)かなり上なので、そこまで心配することもない……とは思うのだが、妙な胸騒ぎというか、嫌な予感がする。
「エイラさんの占いでも今週の運勢は最悪って出てたし……」
 大して当たらないことに定評のあるエイラ・イルマタル・ユーティライネンのタロット占いではあったがここぞという時に限って大当たりすることもあるから油断出来ない。事実、今週リーネは調理中に軽く火傷するわ風呂場で転んでコブを作ってしまうわこうして風邪で臥せってしまうわろくな目に遭っていなかった。
 そんな悪状況な中で、魔女の直感とでも言おうか。当のエイラの未来予知とまではいかないもののリーネの中で何かが警鐘を鳴らしているのだ。
「……うん、そう……なんだろう。今にでも、その扉の向こうから良くない出来事がわーっと凄い勢いで飛び込んできそうな――」
 ――リーネがそこまで言いかけた時、突如ドアが、爆ぜた。
「リーネ!! お姉ちゃんが看病しに来たからにはもう大丈夫だ!!」
「あっ、きったねーフライングだぞバルクホルン!」
「ふんっ、お姉ちゃんは神速を尊ぶのだ」
「なっ、……え? ……あ、……ふぇ?」
 涙目のリーネの目の前ではバルクホルンとシャーリーがグイグイと肩で互いの身体を押し退けあっていた。ドアが爆ぜた……ように錯覚したのは、バルクホルンの怪力かシャーリーの高速でもって強引に開け放たれたためのようだ。
「ちょっとちょっと、シャーリーさんバルクホルンさん! まだ駄目ですよそれにリーネちゃん吃驚しちゃってるじゃないですか」
「よ、芳佳ちゃん……っ」
 突然の事態に困惑しきっていたリーネの目には、芳佳はまるで救いの女神のように見えた。
「ど、どうしたの? なんで三人で……」
 そこまで言って、リーネは芳佳の後ろにさらに訪問者がいることに気がついた。
「まったく……突然呼び出されて来てみれば、何事ですの? ……べ、別にわたくしはリーネさんのお見舞いのつもりだなんて……」
 いつものテンプレ通りなツンデレ台詞をブツブツ口にしているペリーヌ・クロステルマンと、
「嫌なら来んなよなー。一応病人の部屋なんだぞ」
 そんなペリーヌの言い様に呆れ果てた様子のエイラの二人だ。
「い、嫌とは言ってませんわよ!? ただ、その……どういうつもりでこのメンバーを揃えたのかがわからないと、そう言っているのですわ」
「私もいきなり連れてこられただけだかんなー。今夜は夜間哨戒があるから寝ておきたかったのに……理由くらい聞かせろよ」
 確かに。
 リーネとしてもよくわからないメンツ過ぎた。
 芳佳とバルクホルンが一緒にお見舞いに来てくれたというのならわかる。今日は元々自分を含めた三人で炊事当番だったわけだし、作業を終えた二人がリーネの様子を診に来てくれるというのは、申し訳なさはあるけれどまぁ、普通だろう。
 ペリーヌもわかる。口は悪いし意地っ張りだし事あるごとに嫌味ばかり言ってくる彼女ではあるが、共に幾多の激戦を戦い抜き、半年もの間一緒にガリア復興へと尽力してきた今となっては、ペリーヌが自分のことをどう思ってくれているかくらいリーネとて心得たものなのだ。
 シャーリーとエイラだって、それぞれ個別に見舞いに来てくれたというのなら何も疑問に感じるところなど無い。けれど、この組み合わせで、しかもシャーリーとバルクホルンに至ってはまたぞろ何かで争ってそうなのがリーネの熱に浮かされた頭をさらに苛んだ。
「あの……実はね」
 タハハ、と苦笑いしながら芳佳が事の経緯を説明している間も、シャーリーとバルクホルンはやれ氷嚢を作るのは自分だとか座薬を入れるのは自分だとか不穏な言い争いを続け、リーネをゾクリと震えさせた。



 説明を一通り聞き終えた三人の反応は、概ね芳佳の予想通りだった。
「意味がわかりませんわ! 意味がわかりませんわ!」
「ツーかなんだよお姉ちゃん勝負って。私ら関係ねーじゃん」
「……あの、芳佳ちゃん。出来れば、私静かに寝てたい――」
「おっとリーネ! 眠いのならお姉ちゃんが子守歌を唄ってやるぞ!」
「そんなゴリラソング聞かされたって睡眠中に上腕二頭筋が逞しくなるだけだろ。あたしが何か絵本でも読んでやるよ」
「はい待った、待ったです二人とも! どうどう」
 間に割って入った芳佳のおかげで事無きを得たものの、興奮しきっているバルクホルンとそんな彼女を小馬鹿にしたように見下ろしているシャーリーの視殺戦は続いている。リーネは今や病床どころか針の筵状態だ。
「えっと、ね。それで、シャーリーさんもバルクホルンさんも『じゃあどちらがお姉ちゃんらしいか妹に決めてもらおう』……って事になって。それで、実際にお兄さんお姉さんのいるリーネちゃんをちゃんと看病できた方を勝ちにしよう、って」
 有り難迷惑にも程がある。
「ではどうしてわたくしとエイラさんまで呼ぶ必要があったのです?」
「あ、それはお二人から『宮藤、審判役が務まりそうな奴を適当に2〜3人見繕ってきてくれ。なるべく妹っぽいので頼む』って頼まれたからで」
「審判役? 妹っぽい? わたくしが?」
 訝しげなペリーヌに芳佳はコクコクと元気良く頷いた。この辺の仕草はなんともはや、犬っぽい。
「最初はルッキーニちゃんやハルトマンさんにお願いしようと思ったんだけど、ルッキーニちゃんは十点満点の評価でシャーリーさんに『ウジュジュ! シャーリーいっちおっくまんてーん!!』とかやらかしそうだったからボツにして、ハルトマンさんはハルトマンさんでバルクホルンさんをからかうためなら幾らでもシャーリーさんに点を入れそうだったから……」
「おい!? どうして戦う前から私が四面楚歌なんだ!?」
「みんな硬ーいジャガイモよりもジューシーなハンバーガーが好きなんだよ」
 勝ち誇ったかのようにほーれほれと夢と浪漫のダブルバーガーを揺らしてバルクホルンを挑発するシャーリー。このままでは戦う前から勝敗がついてしまいかねない勢いだ。
「えっと、それとサーニャちゃんは夜間哨戒明けでグッスリ寝ちゃってて、わざわざ起こすのも悪い気がして……」
「当たり前だろー。疲れて寝てるサーニャをこんなくだらないコトにつき合わせてられるかってーの」
「それで、悩んだ挙げ句に一応妹さんがいらっしゃるハルトマンさんに相談してみたら、『ツンデレ貧乳は妹の鉄板じゃないかー?』って言われて――」
「失礼極まりないにも程がありますわ!?」
 ひとまずブーイングは無視して芳佳はペリーヌが審判で問題無いかどうかをシャーリーとバルクホルンに窺いたてることにした。合流した勢いのままにリーネのもとへと押しかけたためまだ確認をとってはいなかったのだ。
「そういうわけで、ペリーヌさんは審判役として大丈夫そうですか?」
「……うーん。まぁギリギリ有りじゃないか? 贅沢は言えないさ」
「私の妹観からすれば甚だ不適当ではあるが、まぁ仕方あるまいな」
 二人ともしょうがないから我慢してやるよという不満を隠そうともしない。
「いった何なんですのよ!?」
「まぁペリーヌはまだいいとして。宮藤」
「はい?」
 喚くペリーヌを無視して、バルクホルンはもう一人の審判役へと視線を送り、やがて盛大に溜息を吐いた。
「サーニャなら大歓迎だが、どうして『妹っぽい審判役』がよりにもよってコイツなんだ? おかしいだろう常識的に考えて」
「んだよご挨拶だな!?」
 どうやらバルクホルン、ペリーヌ以上にエイラの人選に不満があるらしい。
「ご挨拶もへったくれもないだろう。以前にも言ったはずだがお前が妹だなんてガラか? いくら何でも妹に対して失礼というものだ」
「ってか私に対して失礼だろ!?」
「まぁ、寝ているサーニャを起こすのは確かに忍びないが……」
 姉耳東風。
「聞けよ人の話を!」
「これならルッキーニの方がまだ妹らしいぞ。審判としては公平さに欠けるかも知れないが、少しはそこのスチャラカリベリアンにもハンデをくれてやらんとな。一億万点くらい私ならすぐにひっくり返せる」
 姉の耳に念仏。
「なんなんだよ……このまるで私が悪いみたいな不条理な空気は……」
 奇妙な疲労、そして敗北感に打ちのめされて膝を突いたエイラを芳佳はペリーヌと一緒に慰めた。
「で、でもバルクホルンさん。確かにエイラさんは妹っぽくはないかも知れないけど、リーネちゃんを除けばこの中じゃ一番妹なんですよ?」
「なぬ、どういうことだ?」
「だってエイラさん、お姉さんいるって前に言ってましたもんね」
 その一言に、バルクホルンは愕然と瞠目し、ヨロヨロと後退った。
「ば……バカな……っ」
「うん、いるぞ。姉ちゃんならスオムスで陸戦ウィッチやってるよ」
「嘘だッッ!!」
 取り乱しながら懸命に否定しようとし、けれど力を失ったバルクホルンはその場に膝を突いた。散々言いたい放題言った反動は大きいらしい。この世の全てが信じられなくなったかのような虚ろな表情で、床を指で剔る。
「そんな……妹というのは……、妹というのはだなぁっ……希望なんだ、未来なんだぞ? お前みたいにすぐにヘタレて口癖は『ムリダナ』とか『キョウダケダカンナー』みたいな奴が妹であっていいはずがない!」
「いや妹なんてこんなもんだって。大尉は夢見過ぎなんだよ。現実見ろよ現実。そーら、これがリアル妹だぞー」
 バルクホルンはもはや風前の灯火だった。
「やれやれ。あるがままに現実を受け止めるのだって大切だぜ? ほーらエイラー、今お姉ちゃんがハグしてやるからな〜」
「おー、シャーリー姉ちゃーん」
「あっ、エイラさんずるい」
 両腕を広げたシャーリーの胸にダイブしたエイラが極楽のような感触を堪能するのを見て芳佳は羨ましそうに呟いた。
「なんだぁ、宮藤、羨ましいならお前もハグしてやるぞぉ?」
「え……っ」
 そう声をかけられるや、フラフラと、まるで誘蛾灯に向かっていく蛾のように芳佳はシャーリーの手招きによって招かれ、スポンとその腕の中に収まった。エイラが左、芳佳が右の乳房に顔を埋め、無垢な赤子のように口元をほころばせる。
「うふふ」
「えへへ」
「ふ、ふふふ不潔ですわ!?」
「よ、芳佳ちゃん……エイラさん……」
 ペリーヌもリーネも、赤くなって顔を逸らしてはいるもののあまりにも幸福そうな二人の姿に興味を覚えずにはいられなかった。それを見たシャーリーは芳佳とエイラを抱えたままゆっくりとベッド脇に移動し、リーネを優しく誘った。
「ほら、リーネも」
「……あっ」
 抗え、と言う方が無理だった。
 誘蛾灯どころかこれはもはや完全無欠の引力だ。右と左に芳佳とエイラを抱えたシャーリーの中心へと顔を埋めたリーネは、ほぉっと息を吐いた。
 何と言えばよいのか、兎に角、凄い。
 普段自分の胸の大きさをむしろコンプレックスに感じていたリーネだったが、そんな彼女をしてシャーリーのそこは完璧だった。人の心の優しさ、温もりに直接包み込まれているかのような幸福、そして陶酔感。もし世界中がこの柔らかな温かさに覆われたなら、ネウロイだって戦争を止めてくれるかも知れない……そんな夢すら、見たくなってしまう。
 普段芳佳やエイラ、ルッキーニ達がやたらと自分の胸を触りたがる理由が、今ようやくリーネには理解出来た気がした。
「は〜」
「ふ〜」
「ほわ〜」
「……これでまずはシャーリーさんに一点追加ですわね」
 忘我の極みへと旅立ってしまった三人を見やりつつ、どこからか取り出したメモ帳に得点を書こうとするペリーヌの頬も赤い。けれど彼女はその徹底した意地っ張り根性によって湧き上がる羨望を打ち消した。ササッと表を作り、得点を書き込んでいく。乗り気でなかったように見えてこういうところはマメだ。
「お、おのぉれぇリベリアン! ってお姉ちゃんらしさ対決なのにどうして胸の大きさで勝敗が決まらなければならんのだ!? ……わ、私だってなぁ!」
 そう言って自らの胸とシャーリーの山脈とを見比べたバルクホルンは、膝を突いたまま悔しげに歯軋りした。大きさにも形にも密かに自信はある。しかし、こればかりは相手が悪い。悪すぎた。
「まぁなんてーか。これも姉の包容力? みたいなさー」
「だ、黙れ! まだ勝負は、勝負は始まったばかりだ!」
 己を鼓舞しつつバルクホルンが立ち上がる。が、その拍子に腕がテーブルに触れ、その上に置いてあった花瓶がガシャンという大きな音と共に床に落下し水と花びらが派手に飛び散ってしまった。それを見たリーネが「あ……お花が……」と悲しげに呟く。
「す、すまんリーネ! 今すぐお姉ちゃんが代わりの花瓶を――」
「既にシャーリーさんが取りに行きましたわ」
「なにぃいっ!?」
 驚くも後の祭。つい今の今まで三人娘を抱きしめていたはずのシャーリーの姿はもはや部屋のどこにも無かった。今頃は新しい花瓶を探して基地内を奔走している頃だろう。その速度、まさに疾風迅雷だ。
「あーあー。こりゃ大尉には勝ち目ねーなー」
 桃源郷から帰還したらしいエイラがしみじみと呟いた。その目には憐憫の情がありありと浮かんでいる。
「うるさい! ちょっとは妹らしく姉を思いやれないのか!?」
「ムリダナ」
「でもこれでシャーリーさんが二点先取ですよ?」
 同じく現実に回帰し、箒とチリ取りを手に花瓶の破片と零れた水を片付けようとしていた芳佳の言葉にガックリと肩を落としたバルクホルンだったが、不意に何か閃いたのか不敵な笑みを浮かべた。
「……二点先取、だと?」
「え、ええ……そのはず、ですけど……」
「勝負はまだ終わってはいないぞ! 宮藤!!」
「はへ?」
 言うが早いか、バルクホルンは芳佳の持っていたチリ取りから花瓶の破片をひったくるや、それらを両手で包み込み……
「いったい何のおつもりで……」
「ナ、ナニする気だ?」
 各々が興味津々と見守る中、スッと息を吸い込むと、
「……お姉ちゃんパワー、全ッ開ッ!!」
 ギュッと全身全霊、渾身の力でもって握り締め、魔法力を解き放った。
「な、なんですのぉおおおっ!?」
「ワケわかんねーよ何してんだこれぇえエッ!?」
 バルクホルンを中心にして、凄まじい魔力の奔流が暴風のように吹き荒れる。
「噴ぬぅぁあああああああああああッ!!」
「よ、芳佳ちゃ〜〜〜んっ」
「リーネちゃん!」
 怯えるリーネを庇うように抱きかかえながら、芳佳は見た。
「ふぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 バルクホルンの手が、光っていた。眩いばかりの光芒を放ち、膨大な熱が室内の温度を急上昇させる。エイラもペリーヌも気付けば汗だくだ。
「熱ッ、ちょっ、熱いですわっ!?」
「サ、サウナ妖精の加護を……ト、トントをぉおお……」
 このまま全員焼け死んでしまうのではないかとバルクホルンを除く全員が短くも悔いだらけの生涯を諦めかけた瞬間――光と風が、止んだ。
「……よし、出来たぞ」
「は?」
「出来た?」
 勝ち誇った顔で、バルクホルンはテーブルの上にそれを置いた。まだ相当熱いらしく煙をあげているその物体は……
「……か、花瓶?」
 そう、花瓶だった。
 ただし壊れる前の、陶製のものでは無い。
「ゲッ!? この花瓶、硝子になってんぞ!?」
「はぁあっ!?」
 エイラとペリーヌが素っ頓狂な声をあげて目を見張る。そこにあったのは、あまりの高熱と圧力によってなのか、一回り小さく、そしてやや歪な形に変化した“硝子製の”花瓶だった。
「フフ。私の固有魔法と飽くなき闘争心、それに姉力とちょっとの腕力が合わされば壊れた花瓶を修復するくらいワケもない」
「いや違うだろ!? 明らかに姉じゃなくてほぼ魔法ってかむしろ大部分闘争心と腕力の方じゃねーか! ゴリラパワーじゃねーか!」
「非常識ですわ! 非常識ですわ!」
「さて、花を生け直そう」
 知った事かとばかりに熱でヘタレた花を花瓶に移すバルクホルン。そこに新しい花瓶を手にしたシャーリーが猛然と駆け込んできた。
「そらリーネ! 新しい花瓶を――」
「遅い、遅すぎるぞ、リベリアン!」
 勝ち誇るバルクホルン。
 最初は呆然と、次第に頬を引き攣らせていくシャーリー。
「あ、あたしが遅い……あたしがスローリィ?」
「……バルクホルン大尉に一点追加、ですわ」
 諦めたようにペリーヌがメモ帳へとペンを走らせる。
「なぁ、ツンツン眼鏡」
「なんですの?」
「これホントに姉がどうこうで審査しなきゃなんないのか?」
「……考えたら負けですわ」
 審査員も楽ではなかった。



 その後も二人の一進一退の攻防は続いた。
 リーネが汗をかいたと言えば即座に彼女をひん剥いて全身隅から隅までタオルで拭き取り、喉が渇いたと言えば超加速で雪解け水を取りに行ったり超怪力で基地の庭に井戸を掘ったり、花壇の花に水をやらなければと言えば何故か基地が水浸しになって反省文と始末書を書かされたり、芳佳とエイラの提案で水着審査をしてみたり、ようやく眠りにつけたリーネが寝言で芳佳の名を呼んだかと思えばリボンで彼女をグルグル巻きにした挙げ句に進呈しようとして「……やはり基地内で不純同性交友はダメだぁあああ!!」という絶叫が木霊してみたり……
 かくして両者点数は互角のまま、気付けばとっぷりと陽が暮れようとしていた。



「勝負つきませんでしたね」
 いまだに身体にリボンを巻き付けたままの芳佳がボソリと呟いた。と言うよりほぼ拘束状態なため満足に身動き出来ないでいる。
「互いの実力が拮抗している証拠ですわね。悪い方の意味で」
「ってかもう姉関係ねーよこれっぽっちも」
 などと文句ばかり言いつつ、結局ずっとつき合っていたのだからペリーヌもエイラも人が好い。一方、リーネはまだ目を覚ます気配は無かった。この状況下で熟睡出来てしまうあたり、肝の据わりようは仮にも軍人と言ったところか。将来的には胸以外の意味でも大器なのかも知れなかった。
「しっかし最後の勝負が晩飯勝負とか、嫌な予感しかしないぞ」
 先程からタロット占いをしていたエイラだったが、何度繰り返してもろくでもない未来しか出やしない。過去の事例を鑑みるに、こういう場合に限ってよく当たるのだ。
 度重なる勝負の果てに決着をつけられなかった二人は、どちらがより美味しいおかずを用意出来るかで白黒つけようと言い出し今は厨房に籠もっていた。一度様子を見にエイラとペリーヌが向かったものの、しっかりと施錠されていて中の様子はまるでわからなかった。ただ、時折変な奇声だけは響いていた。爆発音が聞こえなかったのがせめてもの救いか。
「仕方ありませんわ。今日の食事当番は元々宮藤さんとリーネさんとバルクホルン大尉ですし。そのうち欠員が二名ともなれば」
「……ペリーヌさん、エイラさん、いい加減に助けてくださいよぉ」
 モゾモゾと芋虫のように芳佳が床を這う。不安なのは芳佳も同様なので一刻も早く厨房へと向かいたいのだが、とは言えこんな状態は行っても何か作れるはずもない。
「ムリダナ」
「ですわね。バルクホルン大尉が思いっきり固結びしてましたもの」
 そんな結び目を二人の力で解こうなど無茶な話だ。
「このゴリボンを解けるとしたら大尉本人か本物のゴリラだけだろ」
「何がゴリボンだ!!」
 怒声が響く。三人が視線を向けると、そこには意外……というか極々普通に配膳台の上へと料理を載せて運んできたバルクホルンとシャーリーがいた。
「いーじゃんゴリボン。可愛いじゃないかゴリボン。なー、宮藤もそう思うだろ? ゴリボン可愛いよなぁ」
「え? ……あ、はぁ……えーと、可愛い、かなぁ」
 可愛い可愛くない以前に解いて欲しい。シャーリーに振られて返しつつも芳佳は懸命に藻掻いた。が、二人の注意は既に芳佳を通り越してリーネに向けられてしまっていた。もしかしたら一生このままゴリボンに縛られて生きていかなければならないのではないかという不安が芳佳の脳裏をよぎる。
「……エイラさん」
「なんだ?」
「もし私が一生このままだったらサーニャちゃんのついでいいんで養ってください」
「アッ、アホなこと言うなぁっ!?」
「ほら、お馬鹿な事を仰っているうちにリーネさんが目を覚ましましたわよ」
 ペリーヌが指し示した先ではまだ熱っぽいのか気怠げに半身を起こしたリーネがバルクホルンとシャーリーを交互に見やり、まずペコリとお辞儀した。
「あ、おはようございます」
「おはよう可愛い妹よ。お腹が空いただろう?」
「お姉ちゃんが美味しい料理作ってきてやったからな」
 二人とも自信満々だ。一方リーネは熱に加えて寝起きで意識が曖昧らしく、何が起きているのか理解しきれていないようだった。そんな様子にエイラが不安げに眉を顰める。
「……本当に病人に食わせて大丈夫なもん作ってきたと思うか?」
「……一応、お二人ともメシマズではないのが救いですわね」
「でもバルクホルンさんはまだしもシャーリーさんって簡単なイタリア料理とあとはリベリオン的なファーストフードしか作れなかったはずですよ?」
 芳佳の言う通りだとすれば、たとえまともに作ってあったとしてもリーネが危険だ。病人に脂っこいファーストフードなど勝負以前の問題ではないか。
「い、いや〜でもシャーリーはああ見えて常識的だし、まさか間違ってもフライドポテトやらフライドチキンやらを病人に食べさせようとは――」
「ほーらリーネ。たっぷり揚げてきたからいくらでも食べてくれ、あたしの作ったフライドポテトとフライドチキン、あとハンバーガーだ!!」
 信頼は見事に打ち砕かれた。どこからどう見ても不健康極まりない、脂と油でギットギトなファーストフード、しかも山盛りだ。見ているだけで胸焼けしそうだった。
「これはもう、勝負はつきましたわね。バルクホルン大尉の方は流石にもっと健康によいものをお作りになっておられるでしょうし――」
「さぁ、リーネ。我がカールスラントが誇る伝統のソーセージ、ブルート・ヴルストにたっぷりのジャーマンポテトを添えてある! そこの文化無き料理と異なる歴史深い味を堪能してくれ!」
 こちらも信頼は見事に打ち砕かれた。
 確かに油っこさではシャーリーのものより随分とマシに見えるが、供された赤黒いソーセージの見た目と香りは病人の減退しきった食欲に対しあまりにも無慈悲且つ残忍なものだった。ブルート・ヴルストとはバルクホルンが言う通り、カールスラントを中心として欧州各所に古くから伝わる伝統的な腸詰め料理だが、いかんせん主材料は豚の血と脂身だ。今のリーネにこれをさぁ美味しいぞ食べてみろ、と言うのは些かどころか大層酷というもの。
 加えて言うなら二人ともフライドポテトにジャーマンポテトとなんともはや、実に芋々しい。見ただけで喉に詰まりそうだ。風邪引きさんにこんな水分と無縁のものがそうそう食べられる道理が無い。
「え、あ……その……」
 引き攣った笑みを浮かべながら、リーネはようやく覚醒してきた頭を巡らせて芳佳達三人にSOSの視線を送った。しかし、エイラはポケットの中の妖精さんと会話中、ペリーヌは十字を切って神に祈りを捧げるばかり、頼みの綱の親友はリボンに縛られ身動きもとれない状態で『よくもリーネちゃんをー!!』と明後日の方向に向かって叫んでいるときた。
 とは言え、二人とも別に嫌がらせでこのような料理を作ってきたわけではない。
「はんっ! 何が文化無き料理さ。これぞ今の若者向け、病気で気が滅入ってる時にはこういった娯楽的な料理こそがいいんだよ。そーんな伝統なんてカビの生えた古臭いモン食わされちゃ風邪に加えて食中りするってもんだ」
「黙れスチャラカリアン。古来より連綿と受け継がれてきた伝統には人間の叡知が詰まっているのだという事すら理解出来ず知った風な口を。いいか? 人によって紡がれてきたものこそが人に活力を与えうるのだ! それをわかれ!」
 互いに良かれと思って作ってきたのだけは確かなのだ。ただ、二人とも熱くなりすぎて周りのこと……食べる本人であるリーネの体調への気遣いが圧倒的に不足してしまっていた。と言うより、今なお気付いていない。
 だいたいこの勝負が始まってから結構時間も経っているのだし、ずっと無駄な競い合いをしてきたのだから二人の気力と体力だって限界のはずだった。事実、よく見れば二人とも膝がカクカクしている。
「……いい加減に、そろそろ負けを認めてもいいのだぞリベリアン? 貴様はよくやったが、足下がフラついているんじゃないのか? その無駄なバラストが重すぎるのかもしれん。設計ミスなら早めに何とかした方が良いぞ?」
「ヘッ、よく言うよ。そっちこそ膝が笑ってるのはイモのかわりにワライダケでも食べたってか? それともカールスラントにゃワライイモでもあるのかね。流石はイモの大国だけのことはあるな帝政オイモラントさんは」
 互いに頬を引き攣らせながら睨み合う姿を見る限り、譲歩なんて絶対に不可能そうだった。どちらかが敗北を認めるまで、二人はこの不毛な争いを止めることは無いだろう。
「どうせなら一丁アレか? 模擬戦でもやって白黒つけるか?」
「ほほぅ、それは話に聞くリベリアンジョークというやつか? まさか貴様が私に勝てるつもりでいたとは驚きだぞ」
「ヘッ。ウィッチの戦いは筋肉でするもんじゃ無いって事をそろそろ教えておいてやらないと、世間様から『魔女って大型類人猿のことなんだよね?』って勘違いされちまうってーかさ?」
「全くだな。胸にぶら下げた乳袋を魔力タンクだと思われてはかなわん」
「……見せてやろうか? 音速の向こう側ってやつを」
「我がカールスラント民族の最強を今こそ証明してやろう」
 既に会話の中に姉という単語すら出てこなくなってしまった。物騒険悪、最後の勝負にどのような決着をみるか、そこに全てが懸かっている。
「宮藤! 私のMG131を持ってきてくれ! 実弾入れてだ!!」
「無理です! 動けません!!」
「エイラ! あたしのも実弾入りで持ってきてくれ!!」
「無茶言うなーーッ!?」
 そんな事したら隊長であるミーナにどんな雷を落とされるかわかったものではない。むしろ雷で済めばもうけものだ。
 武器を用意して貰えないと見るや、睨み合う二人は体力の限界にも関わらず互いの間合いギリギリにまで躙り寄った。バルクホルンは開手にて組み合いを狙うレスリングスタイル。一方シャーリーは腋を絞め、軽く握った左拳を前方に突き出したボクシングスタイルだ。
「この期に及んで格闘戦とは……」
「二人とも結局脳筋じゃねーか」
「動けませーん!」
 このまま見守るしかないのか、とペリーヌとエイラが息を呑み、芳佳がゴリボンから脱出せんと藻掻く中、ついに両者の制空圏が触れ合おうとした瞬間――

「もぐ……もぐ……ンッ、……ケホッ」

 聞こえてきた可愛らしい咳によって、バルクホルンもシャーリーも寸前で動きを止めていた。芳佳達三人もハッとなって後ろを振り返る。
「もぐ……ケフ、コホッ! ……ふ、ぐ……ふぅ。……バ、バルクホルン大尉、シャーリーさん……け、喧嘩は……やめて、ください」
 そこでは、夥しい脂汗を流しつつフライドポテトとジャーマンポテトを頬張っているリーネの姿があった。モソモソとした芋をうっぷすうっぷすしながら口へ運ぶ姿はあまりにも痛ましい。さながら殉教者のようだ。
 当然食べきれるはずもなく、すぐに咽せってまた咳き込んでしまう。
「……お、お二人の作ってくれた料理、どっちも……ゲホ! お、美味しいです……、から……喧嘩は……ゲホッ、ゲホッ!!」
「ああっ、リーネちゃんお水! お水飲んで!!」
「ほらリーネ、水だ! 飲め!」
「傷は浅いですわ! しっかりしてくださいまし!」
「……ゴク、ゴク……ん、だ、大丈夫だよ、芳佳ちゃん、ペリーヌさん、エイラさん。私、たくさん食べて、早く風邪、治すから……ゴホッ!」
 後光が射して見えるかのようだった。
 エイラとペリーヌに抱えられ、水を飲まされて唸りながらもまだ懸命にフライドチキンとブルート・ヴルストを口に運ぼうとするリーネの姿に、その場にいた全ての者は磔の聖人の姿を見た気がした。
 こうなっては諍い争う者達も槍の矛先を下ろさざるを得ない。
 戦意の消え果てたバルクホルンとシャーリーはしょんぼりと肩を落とし、二人並んでリーネに頭を下げた。
「……すまん、リーネ」
「……ああ、あたし達が悪かった」
 それを見届けてニコリと微笑んだリーネだったが、最後の力を振り絞ったのか、そのまま糸が切れたかのようにベッドに倒れ込んでしまった。
「リーネ!?」
「しっかりしろよ!?」
「大丈夫です。眠っているだけですわ」
 脈拍と呼吸を確認したペリーヌの言葉に各々ホッと胸を撫で下ろし、ようやく戦いは決着を迎えたのだった。





◆    ◆    ◆





 翌日。
 馬鹿馬鹿しい勝負に病床のリーネを巻き込み回復を遅らせた罰としてミーナから芋の皮剥きを命じられたバルクホルンとシャーリー、ついでに芳佳は、黙々と剥いては積み、剥いては積み、ジャガイモの山を築き上げていた。なお、ゴリボンはあの後バルクホルン本人の手によって引き千切ってもらえたため(解くのは無理だった)芳佳は自由を取り戻している。
「……私は、ダメなお姉ちゃんだった」
 皮を剥く手は止めず、ボソリとバルクホルンが呟いた。
「クリスには心配され、リーネの看病も満足に出来ず……これで姉とは、いったい何なんだろうな?」
 自嘲気味な笑みを浮かべ、ザックリと芋の実にまでナイフを切り込ませてしまったバルクホルンは大きく溜息を吐いた。
 リーネには迷惑をかけ、芋の皮は剥けず、クリスには心配され通しで……自分が情けない。つくづく自己嫌悪だ。
 と、そんなバルクホルンの手に、不意にシャーリーが自分の手を重ねた。
「お、おい……何を……」
「いいから、ちょっと任せてみ」
 そのまま芋の皮を、バルクホルンの手を使ってスルスルと剥いていく。
「……別にいーじゃん? たまには妹に心配されて、教えてもらうお姉ちゃんでも」
「だ、だが! 姉というのは常に妹の規範として、完璧であらねば――」
 綺麗に剥きあがった芋を眼前にズイッと突きつけ、シャーリーは抗弁しようとするバルクホルンを黙らせた。
「あのなぁ。お前の妹のクリスちゃんは何か? お前がいないと何も出来ない子なのか? 全てにおいてお前に劣るようなダメ子ちゃんなのか?」
「そんな事は無い! クリスは私なんかよりよっぽど可愛いし、器量もいい。家事全般の才能もある。私より優れたところなどいくらでも――」
「だったら」
 突きつけていた芋を取り下げ、シャーリーはニンマリと微笑むと、再び自分の皮剥きへと戻りながら言った。
「だったらいいじゃないか。そんな良く出来た妹に、たまには色々と学べよ。なぁ、バルクホルン大尉殿」
「私も、一人っ子ですけど、どんなに良く出来た人がお姉ちゃんでもやっぱり心配はすると思います。大好きな、お姉ちゃんなら……当たり前です」
 シャーリーと芳佳、二人の言葉にバルクホルンは暫し押し黙っていたかと思うと、やがて静かに、スルスルと皮剥きを再開しだした。なるほどシャーリーほどには早くないが、さっきまでよりも幾分か手際がいい。
「そう、だな……その通りかも知れない。私は良い姉であろうと無理をし過ぎて、また意固地になってしまっていたというわけか」
 フッと、今度は自嘲ではなく清しい笑みをバルクホルンが浮かべると、芳佳とシャーリーにもそれは伝播し、三人は和やかに笑い合った。
「そうそう、もっと気楽にさ。ハルトマンにでも学べばいいんじゃないか?」
「おいおい、それは流石にズボラ過ぎるだろう」
「あっはっは。まぁなー」
 ハルトマンのようにズボラになったバルクホルンなど想像するだけで笑える……と同時に、ジークフリード線を挟んだ東西がどちらもあのゴミ山になるのかと思うとそら怖ろしい。
「そうですよ。それに、よくよく考えてみるとあれですし」
「ん?」
「なんだー、宮藤?」
「シャーリーさんって、お姉ちゃんって言うよりもお母さんですしね」
 空気が、凍った。
 能天気に、悪気など欠片も無い笑顔での発言だった。
 アハハっと笑う芳佳の隣で、シャーリーは完全に固まっていた。
「普段のルッキーニちゃんとのやりとりとかもう完全に親子だし」
「いや、……おい、宮藤?」
「バルクホルンさんもそう思いますよね? ミーナ隊長よりも501のお母さんっぽいみたいな」
「だから、おい、宮藤……」
 凍り付いたまま微動だにしないシャーリーと、それに気付かず呵々大笑と喋り続ける芳佳とを交互に見やり、バルクホルンは渋面を作りながら懊悩した。
(お姉ちゃん、こんな時どうすればいいんだろう?)
 答えなど出るものでもない。
 胸中でクリスに問いかけつつ、バルクホルンはそっとシャーリーの肩に手を置いたのだった。





〜了〜






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