艦娘がサンタクロース
「傾聴、傾聴ー」 暗き水底より来たる正体不明の侵略者、深海棲艦より御国を守る防人達の城の中枢部。横須賀鎮守府は提督執務室に、部屋の主にして艦隊司令たる提督の声が朗々と響き渡った。 執務室、と言えば聞こえはいいが、ほぼ提督の私室であると同時に艦娘達の溜まり場と化しているこのさして広いとも狭いともつかぬ部屋の中には誰が持ち込んだのかよくわからない私物が溢れている。部屋の中央にどっかと珍座している大きめのコタツもまた、然り。提督は持ち込んだ記憶がトンと無い。家具屋さんで購入した覚えも無い。なのにいつの間にか執務室の中央にあった。ご丁寧に、執務机を部屋の隅っこに退かして。ついでに請求書は提督宛に届いていた。 そんな曰く付きのコタツがモゾモゾと動いた。正確には、コタツにどっぷりはまってゴロ寝していた四人の美女達が提督の声に反応してそこから出ようとして……全員、断念してまた戻っていった。なるべく足が干渉し合わないよう膝を丸め、うまい具合に首から上だけがコタツから出るように。 「……第五艦隊、コタツに帰投します」 「第五艦隊なんて解放した覚えは無いしお前らが帰投すべきは現実だよ」 コタツ布団をバサッと捲り上げられ、四人の悲鳴が木霊する。ガクガクブルブル震えながら、まったくもってやる気のない眠た顔をしてようやく半身を起こしたそれぞれの頬には座布団の跡がついてたり、口端から涎が垂れてたり、寝癖で頭が爆発してたり、『艦娘は日本を守る正義の味方! 我らがスーパーヒロイン!』と信じている国民の皆様にはとてもではないが見せられない凄惨極まる様相を呈していた。 「んあぁあああーーーー……寒い、マジ寒い。……んだよ提督ー……オレを死ぬまで眠らせろよ、コタツからオレを外すなよぉ」 「……私もここは譲れません」 かつては修理のためにちょっとでも前線から外そうものなら『オレを死ぬまで戦わせろ!』と喚き散らしていた天龍の成れの果てに、提督は目頭が熱くなった。コタツの脚にしがみついている加賀も加賀だ。一航戦の誇りはどこへいった。艦載機と一緒に飛ばしたまま未帰投にでもなってしまったのではあるまいか。ボーキサイトで補充出来ればいいのだが。 「提督……あまりコタツには触らないで欲しいものだな。寒い」 「あんなー提督。ウチはな、他の三人と違うて脂肪足りないんや。メッチャ寒いの。わかる? わかったら放っといてくれん? 寒すぎて胸にポッカリ穴空きそうや。これ以上ウチの胸が抉れるのなんて見たないやろ?」 捲り上げられたコタツ布団を引っ掴み、往生際悪くでかい図体でなおも丸まろうとしているのは世界に名だたるビッグ7の長門。龍驤に至っては自虐ネタすら厭わないのかあからさまに無い胸アピールしつつ恨めしそうに睨め上げていた。 全員、コタツから出る気ゼロ。永遠のゼロ。 怠惰。まさに怠惰。怠惰の極みを謳歌する四人だったが、哀しいことに彼女達、横須賀鎮守府でもレベル上位十傑に名を連ねる艦隊のエースだったりする。 「龍驤、脂肪が足りないというのは聞き捨てなりません。前回の健康診断で体脂肪率を測った際、あなたの数値は――」 「シャラップ。ちゃうねん。……ちゃうねん。……な? 別にこれ以上イジメんでもええやろ? やめよ……やめてください加賀さん、お願いします」 脂肪という言葉が引っかかったのか、ジト目で言いかけた加賀を龍驤は死んだ鯖みたいな目で制した。最後の方は普段の胡散臭い関西弁が嘘のようにまともな標準語だった。 「いやまぁ龍驤のガキみてーなポッコリ腹のことはこの際置いといて」 「ちょい待ち。誰のお腹が第六駆逐隊並でんがなまんがな。怒るでしかし」 「なんでオレ達をコタツから追い出そうとすんだよ。せっかく争いも忘れて平和な時間を謳歌してたってのに、提督……あんたはオレ達からほんのひとときの安らぎすら奪おうってのか? そんなにオレ達を戦うためだけのブァトゥルマッスィーンにしたいのかよ……」 哀しげに吐き捨て、天龍は口の端を頑張って皮肉っぽく歪めた。正直、ニヤケ顔を堪えているようにしか見えなかった。この際バトルマシーンの発音の珍妙ぶりには言及してやらないのが提督の優しさというものだろう。 「だいたい提督よ、『お前らレベル上がりすぎたし経験値勿体ないからしばらくおやすみね』と言って我々を戦場から遠ざけたのは貴方ではないか。そのくせ99いってる大井や北上はちゃっかり戦わせておいて。今さら普通の女の子に戻ったも同然の私達に何をさせるつもりだ?」 普通の女の子が頭にアンテナ生やしてるのかどうかはさておき、長門の不平ももっともだった。 天龍と加賀はすでに99でカンスト、長門は97、龍驤はやや低く94だが他の軽母を育てるために長いことベンチ状態が続いている。出撃と演習は言うに及ばず、わざわざこんな高レベルの艦を遠征に出すのも気が引けるという理由でそちらも無し。四人がこうして日がな一日コタツに首までスッポリ浸かっているのも、無理からぬ事ではあった。 「それに関しては悪いと思っている。すまん。だがな、うちもカツカツなのだ。わかるだろう? 加賀と長門は大量に食べるし、天龍と龍驤はすぐに壊れてドック占拠するし。そうそう出してられねーんですよああ悪かったなはいはいごめんね!」 「いや逆ギレされても困るわー……ほんま何やのこのおっちゃん」 「うんまぁそれでだ。暇持て余してる諸君にだな、ちょっとした任務を頼みたいのだよ。非常に困難な任務ではあるのだが君達ならきっと出来ると信じている」 「春からでいいか? あ痛っ!?」 即答した長門の頭をスパーンとスリッパでシバき、提督は再びコタツ布団を、今度は捲り上げると言うよりも思いきり手繰り寄せた。 「のぉおおおおお……!」 「これは……譲れ、ません……!」 「いいからっ、大人しく、いったん、コタツを出て、シャンと、話を、聞け!!」 「わかった、聞く! 聞くから、オレ達からコタツを奪わないでくれ!」 ある意味深海棲艦を相手にする時よりも真剣な四人の姿に、提督はドッと疲れに襲われると諦めて手を放した。おかげで全力で引っ張っていた龍驤が後方にいた天龍と加賀に頭っから突っ込んだが、柔らかなクッションのおかげで九死に一生を得たようだ。 「怒るでほんま! なんやこれ柔らかっ! クソ、ビッチ共が!」 「なんで怒られてんだよオレら……」 「気難しいお年頃ですね」 「いいから聞きなさいお前ら」 取り敢えずコタツを直し、一方空けてそこに提督を座らせると四人はしぶしぶ半身を起こしてコタツの上にあった蜜柑を手に取り皮を剥き始めた。 「……凄いな、蜜柑取って皮剥くタイミング合いすぎだろ。四つ子か」 「そりゃ……ムシャムシャ。……ここ暫く、ずっと四人でここでこうして生活してたしな。ンなこと提督だって知ってんだろ。ハムハム……ここで仕事してんだし」 確かにその通りだ。ここは卑しくも提督の執務室。当然ながら普段の職務はここでこなしている。本当は執務机が望ましいのだがいかんせんこの有り様なのでコタツに座り、山のような書類に目を通しつつサインをサラリ、印鑑をペタリ。 「……今さらながら、俺、よくここで仕事出来てたな」 「秘書艦が有能なおかげだな」 「ですね」 「なに自分達がその有能な秘書艦デスみたいな顔してるんだお前ら。違うからね? 君達もう随分長いこと秘書艦のお仕事なんてやってないからね?」 一応断っておくと、秘書艦は当然ながらこの四人のいずれでもなく最近はずっと武蔵が務めてくれている。豪放磊落な武人気質で痴女っぽい格好が玉に瑕+股間に悪いが、彼女、あれでなかなか細かいところにまで気遣いが行き届いており秘書艦としては有能だった。 「……武蔵め。あいつ私とキャラが被ってるからな。むしろパクリと言っても過言ではないくらいだ。そろそろ真剣にお互いの立場について話し合っておかないといかんと思うのだが」 「せやせや。だいたいなんやのあの包帯。綾波か。大和型のくせに綾波か。むしろモグ波か。パイパイボイーンと強調してクイーンズブレイドみたいな中破絵しくさってからに。AT-Xやったら乳首見えるんちゃうか。DMMに掛け合って視聴制限かけたるわ」 「おい、うちの優秀な秘書艦虐めるなよ。提督としてそれだけは許さんよ」 新人いびりに余念のない不穏さを醸し出す長門と龍驤を注意して、提督は今の今まで背後に置いておいた荷物をうんしょと小脇に引っ張り出した。やたら凸凹とそこら中が角張った白い大きな袋に天龍と加賀がそれぞれ訝しげな視線を送る。 「実はずっと気になってたんだけど、なんだソレ? あ、追加の蜜柑か? オレ的には蜜柑も喰い飽きてきたしタイ焼きとか大判焼きとか、あったかくて甘いモン欲しいんだけど」 「ああ、いいですね。提督、私はあんまんでも構いませんよ。つぶあんよりゴマあんでお願いします。お汁粉とかもいいですね」 「違う! と言うか今の時期にこのでかくて白い袋を見てどうしてそんな夢の無い発想しか出来んのだお前達は。今日は何の日?」 「子日や!」 「子日と大差無いどころか下手すりゃ小さい胸張ってそんなネタかまさなくてもよろしい。今日はクリスマスイヴだろうが、クリスマスイヴ! イエス・キリストの降誕祭の前日!」 言われてようやく気付いたのか、四人はポンと手を叩いた。 なるほど、今日は12月の24日。深海棲艦により国交困難なご時世ではあるものの、別に西洋文化が廃れきってしまったなどと言うこともなく明日にクリスマスを控えたその前日だ。 「え、んじゃなに、それオレ達にプレゼント? ……うわーっ、いいぜいいぜ、そういうの欲しかったんだよなぁ!」 「提督、素敵です。あなたはやれば出来る人だって私は信じていました」 「ああ、胸が熱いな」 「で、何くれるん? 高い? 高いモン? 改二? ウチもついにおっぱい!?」 興奮して手を伸ばしてくる四人から守るべく、再び袋を背後に庇う提督。 「黙れ悪い子軍団。サンタさんは良い子にしかプレゼントはやらんのだ。これは主に駆逐艦の子達にやるやつだ。あと龍驤、俺だってそれをあげられるもんならあげたい。あげたいとも。……だが、……すまん。無力な俺を、許してくれ……」 「え、ちょ、やめて、そんな素面で謝らんといてーな。あは、あはは……えっ、みんなもなんでそない深刻な顔しとんの? ただの冗談やてほんまイヤやわー……あは、あはは、あははは……、……笑えよ」 誰も笑えなかった。降誕祭前日と言うよりは通夜の湿っぽい空気が執務室に蔓延する中、龍驤は泣いた。どんなに望んでも、願っても、指の間をすり抜け、零れ落ちていく切ない夢を想って、ひたすら噎び泣くことしかできなかった。 「――とまぁ龍驤の貧乳ネタいい加減にして。お前達にな、サンタをやって欲しいんだよ」 「……は?」 「サンタぁ?」 「そう、サンタだ。サンタクロース」 そう言って、提督はプレゼントの袋とは別に抱えていたもう一つの荷物からこの時期にはお馴染み赤と白のサンタ衣装を取りだした。用意のいいことに白い付けひげ、付け眉、付け毛まで揃っている。一式全部装備すればサンタの出来上がりだ。 「なるほど。つまり、駆逐艦の子達を喜ばせてあげるために明日予定されているクリスマスパーティーで私達にサンタに扮して協力して欲しいとか、そんな感じですか」 「うん、まぁそういうことだ。まだ小さいのにいつもいつも遠征やら何やらで頑張ってるあの子達を少しでも喜ばせてあげたくてな」 そう言うことなら、といまだにコタツの魔力で寝惚け半分だった四人の目がパッチリと見開かれる。提督の言う通り、駆逐艦の多くは年齢的にも小学生や中学生が殆どだ。艦娘としての適性が高かったばかりに真っ当な子供としての生活を奪われている彼女達へのささやかなプレゼント、ともなれば協力も吝かではない。それに、こう見えて四人は駆逐艦娘達からは慕われ、尊敬されてもいる。今でこそ出撃もなくダラダラしてばかりだが、それでも艦隊のエースには違いはない。そんな相手からプレゼントを配られたなら喜びもひとしおだろう。 が、しかし。 「でもよ、これサイズ的に提督自分で着るように用意したんじゃねぇの?」 天龍の指摘通り、そのサンタ服はやや大柄な成人男性向けのサイズだった。長門や加賀はまだしも天龍には大きすぎるし、龍驤に至ってはダボダボだ。 「……ああ。実際な、最初は俺が自分でサンタをやるつもりで用意したんだ。だったんだが……」 「何かあったのか? クリスマスに用事が出来ちまったとか」 提督というのもこれでなかなか忙しい。深海棲艦側もここしばらくは大きな動きは見られないとは言え、人間同士の戦争と異なりどのタイミングで攻勢を仕掛けてくるかがまるで読めない。僅かにでも何かありそうな、兆候が見られるたびに大本営に招集されるなどしょっちゅうだ。そして当然ながら、連中はクリスマスだろうと正月だろうとお構いなしに攻めてくる。 そういった事情があるのか、と思いきや。 「……煙突、通れなかったんだ」 「……はい?」 思いっきり深刻な表情で提督が何をほざいてやがるのか、四人ともすぐには理解出来なかった。 「いや、少し前にな、娯楽室に暖炉買って取り付けたろ? アレ、実はクリスマスにあそこからサンタさん登場〜、でみんなを驚かそうと思って買ってみたんだが、……まぁなんと言うか、俺も最近はちょっとお腹も弛んできちゃったというか、こう、中年男性にありがちなお悩みのせいでな、その……うん。さっき試したら、……詰まっちゃって」 四人の視線が提督の腹と、ついでに顎の辺りに集中した。元々体格の良い提督ではあったものの、そこには中年の悲哀がでっぷ……たっぷりと詰まっていて。 「了解した。わかった。引き受けるからそう肩を落とすな、提督」 「私達にお任せ下さい。提督は正規空母にでも乗ったつもりでどうかご安心を」 「ああ、うん。ありがとう。ありがたいけどその哀れんだ目はやめような」 艦娘達の優しさがお腹の脂肪に突き刺さって痛い。ともあれ、どうやらやる気を出してくれたようで助かった、と提督が胸を撫で下ろしていると、 「でも提督で駄目だったんなら長門と加賀もやべーんじゃねぇの?」 天龍がここぞとばかりに爆雷を投下した。 「聞き捨てならんな」 「聞き捨てなりませんね」 長門も加賀も女性にしては背も高く、大柄な方だ。そのくらい二人とも自覚してはいるし、天龍が悪気からでなく単純に体格的な問題で無理なのではないかと言ったのだろう事も理解はしているが、それでも中年男性のメタボリックな体型と同類扱いされたのではたまったものではない。 これは艦娘以前の、女としての矜持の問題だ。 「今すぐ屋根に登るぞ。ビッグ7の力、見せてやろう」 「煙突くらい鎧袖一触よ。心配いらないわ」 「いや頼むから壊すなよ。高かったんだから」 鼻息も荒く執務室を出て行く長門と加賀を、サンタ衣装とプレゼントの袋を抱えて提督が追いかける。その後ろからさりげなく袋を支えてやっている天龍を見送りながら、龍驤は『どうせ予想通りのオチなんやろな』と卑屈な笑みを浮かべていた。 「ほらやっぱり! やっぱりや! テンプレやないか! あーっはっはっは!」 「うぐ、ぐぅ……」 勝ち誇って囃し立てる龍驤の目の前では、見事なまでに煙突に詰まって身動きの取れなくなった加賀が顔を真っ赤にして踏ん張っていた。なお、長門は既に轟沈。屋根の隅で膝を抱えている。 二人の名誉のために断っておくならば、当然ながら提督のように腹がつかえたわけではない。高笑いする龍驤の頬を濡らす涙が物語る通り、詰まったのは言うまでもなく女性としてはむしろ誇るべきあの部分だ。太股や尻もかなりキツくはあったがかろうじて通ったものの、それ以上にあの部分が無理だった。 ふにゅん、と。 何とも柔らかそうな音を立てて。見事に、つっかえてしまった。 「い、一航戦の、誇り……! く、うぅ! こ、んな、ところ、で……ぇ!」 「加賀、おい加賀! これ以上無理をするな! わかった、お前の、一航戦の誇りはしっかと見届けたから!」 「マジで抜けられんなくなっても知らねぇぞ!? ほら引っ張るから、もう出よう? な? おいっしょ……!」 「ふ、ふふ……赤城さん、あなたが無事ならいいの……先に逝って……待ってるわね……」 提督と天龍に引っ張られ、虚ろな顔をした加賀が煙突からすっぽ抜かれる。救出は完了したが被害は予想以上に甚大だった。長門に続いて加賀も轟沈。二人とも、完全に目が死んでいる。 「まっ、しゃーないねんがなまんがな。二人ともあないバカでっかいバラスト積んどるんやから初めっからこんな狭い海峡抜けられる道理がなかったんや。うちの勝ちや、勝ち。圧倒的な、勝利!」 フッフッフ、と。加賀が脱いだサンタ衣装に袖を通し、龍驤がこれでもう自分の勝利は揺るぎようがないと澱みきった負け犬の目をして勝利宣言した。と言うか、別に勝負なんて誰もしていなかったはずなのだが龍驤の中ではいつの間にか負けられない戦になっていたらしい。 「ま、まぁこれはさすがに、なぁ?」 「ああ、龍驤なら上手くいくだろう」 プレゼント袋をえっこらせと担ぎ、ダボダボの衣装で少々危うげにふらつきながらも煙突に到着した龍驤は、ビッと敬礼をして見せた。 「今こそ、ウチの独特のシルエットの使い時や! 気張るでぇっ! 見さらせ、提督! 天龍はん、長門はん、加賀はん、それに駆逐艦のチビッコ共! 軽空母龍驤、聖夜に向かって吶ッ喊ッ!!」 叫ぶなり、龍驤の衣装でダボついた矮躯が煙突へと吸い込まれていく。いきなりつっかえた提督、長門、加賀と異なり至極あっさりと、これ以上なくスムーズに、全身が煙突の中に呑み込まれて消えていく。 「どないやぁぁぁぁ〜〜〜〜〜」 「やったか!?」 ヒュルルルルルル、と特に詰まったり引っかかったりする事もなく、龍驤の身体は下へ下へと一直線に落下していった。これならいける、今度こそやった、と見守る二人も勝利を確信していた。 龍驤サンタはは落ちていく。 どこまでも、どこまでも。 そう―― 「……あり?」 途中で一切、引っかからずに。 煙突を、真下まで。ノンストップで。 「ちょっ、あかん、ブ、ブレーキ! ブレーキィイイイ! ダメやぁああ手が袖で隠れてもうてすべっ、すべるぅうう止まらなぎゃぁあああああーーーーー……」 「ちょっ、龍驤!?」 「龍驤ぉおおおおおおおっ!?」 ドベシャッ、と。 鈍い音が煙突を通じて提督と天龍の鼓膜を震わせた。下を覗き込むと、暗い暗い煙突の先で……中破した龍驤が、親指立てて煙を噴いていた。 「これで残る希望はお前だけだ、天龍」 「……」 龍驤をドックへ送り届け、再び屋根に登った提督は、自分を含め四人もの犠牲者を出した魔の煙突を改めてマジマジと睨め据えた。自分は中年太りが故に、長門と加賀はそのたわわすぎる胸部装甲が故に、龍驤は……あまりにも引っかかりの無さ過ぎる平坦なシルエットだったが故に、敗れた。 しかし天龍は違う。 確かに彼女も豊かな胸部装甲を備えてはいるが、長門、加賀の両名に比べると体格自体はごくごく平均的な女の子のそれだ。小柄と言う程でもないが、線自体は細い。それでいて龍驤と事なり手足も伸びきっているため衣装もピッタリ。袖がダボダボなせいで滑ってしまうということもなく、上手いこと煙突を慎重に伝い降りていくことが可能なはずだった。 「頼んだぞ……いたいけな駆逐艦達のために。そして……犠牲になった者達のために!」 提督の檄に、天龍の身体がブルリと震えた。 武者震いではなかった。 12月の冬空は今にも雪が降り出しそうな曇天で。 冷たい風が白い素肌を撫で上げる。 寒い。どうしようもなく、寒い。寒いから震えている。ガチガチと歯を鳴らして。 それもその通り、寒くて当然だ。 「ってなんでこんな中破したボロボロの衣装で行かなくちゃいけねーんだよ!? 寒いしヘソとか下乳とか尻とか、まっ、丸出しじゃねぇか!? 痴女だろこれ! 聖夜を騒がすただの変態じゃねーかァックションッ!!」 天龍の絶叫通り、龍驤が煙突内でなんとかブレーキをかけようとした名残か、サンタ衣装はところどころが破れ、千切れ……全身の八割以上は肌が露出してしまっていた。普段の中破絵よりも肌色率が高い。 「大丈夫だ天龍。色っぽいぞ。全国の提督達も大悦びだ」 「オレが喜ばせなきゃなんねーのは駆逐艦のガキ共だっつーの! エロオヤジ悦ばせてどうすヘクシュッ! くっ、は、う、うぅううマジで寒ぃいいい……っ」 「残念ながら時間が無いんだ、もうすぐみんなが遠征から帰ってきてしまう。本番までにはもう一着、予備のを持ってくるから今はそれで我慢して取り敢えず降りられるかどうか試してみてくれ」 「そ、そんなこと言ったって……うぅ〜〜〜……」 どれだけ頭に血が上って怒鳴り散らそうとも寒いものは寒い。このままでは風邪をひいてしまう、せめて上に何か羽織ろうと屋根から降りて着替えようとした天龍だったが、 「う、……はっ、はっ、はっ……ハーーーーックションッ!!」 本日最大級のクシャミに、体勢を崩した。 そこへ、トドメの突風。 「あっ――」 何でもいいから掴んで踏ん張ろう、と手を伸ばしたものの、屋根の上にはこれといって掴めるものも何も無く。煙突の縁に手をかけるには、タイミングがずれた。 「天龍っ!?」 「おわぁあああああああーーーーーっ!?」 頭っから、真っ逆さまに。 これでは先程の龍驤の再現だ。しかも衣装は中破状態、素肌丸出しの手や足を引っかけてブレーキなどかけようものなら皮がズル剥けて大変な事になってしまう。それでもノンブレーキで頭から落ちるよりは、と意を決して両手を壁面にかけた天龍の両眼がカッと見開かれた。 「こっ、こいつは……っ!?」 摩擦が熱い。が、皮が剥ける痛みは無い。 いったいどうして、何故なんだ、という天龍の疑問は壁面と擦れあう己が手に視線を向けた瞬間氷解した。どんな時でも、たとえサンタのコスプレをしている最中でも決して外そうとはしなかった、眼帯と並ぶ天龍のトレードマークたる指貫グローブ。ミリタリーショップの通販で見かけ、\2380で購入し以来龍田に笑われながら365日ほぼ毎日着けっぱなしの、人差し指と中指のみが露出したそれが手の皮膚を守り、見事落下にブレーキをかける。 (……ありがとよ、戦友) 自分の仲間は、僚艦ばかりではなかった。こんな所にも、掛け替えのない戦友がいたのだ。それが嬉しくて、天龍はさらに気合を入れた。 「よし、いいぞ天龍! そのまま速度を調節して巧いこと落地するんだ!」 「応ッ!!」 \2380は伊達ではない。提督の指示に従い、しっかと掌で速度を落とした天龍は暖炉の底に降着する寸前で身を捻り、頭ではなく肩から接地すると巧みに体勢を入れ替えてグルンと前転、娯楽室へと飛び出しそのまま片膝を突いてポーズをキメた。 「おっしゃーーーーーッ!!」 沸々と湧き上がる衝動が声帯を震わせ、勝利の雄叫びとなって迸った。 勝った。 四人の戦友を打ち負かした魔の煙突に、自分は勝利したのだ。 (長門、加賀、龍驤、提督……終わったよ) 歓喜に打ち震え、ボロボロの状態で余韻に浸る天龍に、提督は屋根の上から拍手を送り、次いで敬礼した。加賀も長門も提督に倣った。ドックでは龍驤の頬を一筋の涙が伝っていた。 「フ、フフ……これなら、本番も怖いもの無しだ……ろ……」 全て終わったはずだった。死闘は文句無しの勝利で幕を閉じ、後はクリスマス本番を待つのみのはず、だった。今の自分に怖いものなんて何も無い……つい一瞬前までは全身全霊でそう感じられていた、のに。 「……」 「……」 「……」 ようやく、娯楽室全体を見渡して、天龍の顔から表情が抜け落ちた。 突き刺さる無数の視線、視線、視線。 そこにいたのは主だった駆逐艦娘が十数人。遠征から帰ると同時に娯楽室へ飛び込んできて、明日のクリスマスを祝うために飾り付けの追加などを行っていたのだろう。ワイワイキャッキャとやれどんなプレゼントが貰えるかなどんなご馳走が出てくるのかなとはしゃいでいたところに煙突から痴女登場。しかもやたらカッコ良くキメポーズなどされた日には全員どう反応していいかわからなくて当然。 「え……」 「えっと……」 みんな互いを肘でつつき合い、お前何か言えよお前こそ言えよという空気がまたなんとも辛く居心地が悪い。そうして最終的に押しつけられたのは、可哀想に、潮だった。いつもオドオド気の弱そうな少女がいつにも増してキョドりつつ、それでも精一杯のはにかんだ笑みを浮かべて、 「あ、あの……わっ、わたしは、……か、カッコイイと、思います……よ?」 そう告げた目は、けれど思いっきり泳いでいた。 天龍は逃げた。脱兎の如く、勝利も何もかも全てを投げ出して、逃げた。 どれだけ傷を負おうとも『オレを死ぬまで戦わせろよ!』と戦場で吼え続けた少女は、今、改めて撤退の重要性を知ったのだった。
クリスマスを数日過ぎて、龍田は朝から厨房に立っていた。 別に食事当番というわけではない。提督の執務室でコタツに引き籠もったまま出てこない天龍、加賀、長門、龍驤の分の食事をこしらえていたのだ。 「フフンフンフンフ〜ン♪ 今朝のメニューも〜竜田揚げ〜♪ くーじらくじら〜竜田揚げならやっぱり〜くじら〜♪ ファッキン米帝〜反捕鯨派は死にくされ〜♪ ポール・ワトソンのケツメドに〜ポールアクスをブチ込むぞ〜♪ シェーパシェパシェパシーシェパは〜会敵次第ブッ殺コロコロ殲滅よ〜♪」 お得意の鯨の竜田揚げをカラリと綺麗に揚げながら唄う物騒ソングに、隣で意外とヘルシー朝カレーをコトコト煮込んでいた比叡がガチで怯えてドン引きしているのなど気にもかけず、龍田は出来上がった分の油を切ってから丁寧に皿に盛りつけると、フゥッと悩ましげに嘆息した。 結局、クリスマスパーティーでは那珂がサンタに立候補、気合入れまくったサンタコスで颯爽と煙突から登場するなどして事無きを得た。駆逐艦娘達はそんな余興や提督の用意してくれたプレゼントに一喜一憂していたものの、パーティー会場に現れない四人組のことをいたく気にもしていたようで…… 「このまま取りに来ないようなら、どうしちゃおうかしらねぇ」 いつまで経っても自室に戻って来もしない天龍達へ、駆逐艦娘達からのちょっとした預かり物。食事と一緒に届けてやっても良いのだが、それもそれで味気ないし有難味も少なかろうとそのままにしてある。さてどうしたものやら。 「年が開ける前には出て来て欲しいんだけど」 と嘯きつつ、だいたい予想は出来ている。 今日か、遅くとも明日辺りにはバツが悪い顔で部屋に戻ってくるに違いない。その時可愛らしいリボンでラッピングされた預かり物を見ていったいどんな反応をするか。それもまぁ予想はつくが、龍田は敢えて思考から締め出した。どうせならなるべく新鮮に楽しみたいものだ。 「……けど、いくら新品でもお正月に眼帯とグローブだけは阻止しないとねぇ」 晴着にもかまわず真新しい眼帯とグローブを着けてきそうな姉の姿に苦笑を浮かべ、龍田はレタスをやや多めに千切ると、仕上げとばかりに皿へ添えたのだった。 |
〜end〜 |
■登場艦娘■
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