なのはさん恋愛事情




◆    ◆    ◆





「あれ? なのはさん」
 その日、久方ぶりの休暇ながら特にするようなこともなく、仕方なしに自主練に明け暮れていたスバル・ナカジマは、休憩がてらに六課隊舎の敷地内の芝生に横になっていたところ、向こうから憧れの上官である高町なのは教導官が歩いてくるのを発見した。
「スバルこそ、どうしたのこんな所で? ティアナは?」
「ティアは部屋で勉強してます。執務官試験の」
 そう言えば、となのはは部下である少女の将来の夢について思い出し、ポンッと手を打った。亡き兄の遺志を継いで執務官を目指すティアナ・ランスターにとって、貴重な休日はそれこそ幾らでも使い道があるのだろう。
「この前も、その前も休暇は二人で街に遊びに行っちゃったし、そうそう毎度毎度出かけてもいられないからー、って」
「そっか。それで、スバルは」
「はい。一人で自主練してました。そろそろお昼なんでご飯にしようかと思ったんですけど、食堂がお休みだったんで……」
 たはは、と笑いながら、スバルは恥ずかしそうにお腹に手をやった。隊員食堂も売店も、今日は揃ってお休みだった。
「ダメだよースバル。食糧の確保はどんな時でも凄く重要なんだからね」
「はい。肝に銘じておきます」
 ビシッと敬礼し、直後にスバルは力無くへにゃ〜っと再び腰を下ろした。こうなっては仕方がない。近所の定食屋で出前でも……と考えていたところ、
「はりゃ?」
 ストン、と。
 なのはが隣に腰を下ろしていた。そのまま伸びをしたかと思うと、いっぱいに深呼吸している。どうもしばらく自分と同じようにここで過ごすつもりらしい。
「なのはさんは、今日は何の予定もないんですか?」
 何の気は無しに、スバルはそう尋ねていた。まぁ、伝説のエース・オブ・エースにだって何もせずに芝生に寝転がるような休日は必要なはずである。それになのははスバル達が休日でも働いている場合がほとんどで、一体いつ休みをとっているのか不思議なくらいだ。
 すると、なのはは「う〜ん」と頬を掻く仕草をすると、ちょっとだけ困った顔で、
「本当は出かける約束があったんだけどね。彼の方に急な仕事が入っちゃったらしくて……」
 そう言って軽く溜息を吐いた。
 が、軽くで済まないのはスバルだった。
「……はぇ?」
 何やらなのはの台詞の中に聞き捨てならない単語を聞いた気がしたからだ。
「な、なのはさんって恋人いたんですか!?」
 そこでスバルの口から飛びだしたのは、傍で聞くには失礼極まりない質問だった。空腹なぞ何のそのとばかりに勢いよく立ち上がったスバルの顔は、驚きと好奇心で満ち溢れている。
 スバルはボーイッシュな外見のせいで誤解されがちだが、中身は年相応に十五才の女の子だ。となると色恋事、特に他人のそれについては強く興味を抱かずにはいられない。……もっとも、最近浮上した父親の再婚話に関しては興味というか色々と複雑なのだが、それも今は関係のない話だ。
 何せ尊敬する、憧れの人の彼氏なのである。一体どんな人なんだろうとスバルが目を輝かせて色めき立ってしまうのも無理からぬ事だった。
 だが、そんなスバルの勢いとは打って変わって、なのははまったくこれ以上ないくらいの自然体で首を軽く振ると、
「あはは、違うよ。恋人なんかじゃなくて、友達だよ」
 拍子抜けするくらいあっさりと、そう言ってのけた。
「……はれ?」
 勢いを完全に殺され、好奇心の行き場を無くしたスバルは仕方なく再度腰を下ろした。
 今のなのはの答え様は、嘘を吐いて誤魔化しているようなものではなかった。まったく、嘘偽り無く事実を述べているような――要するに、その通りなのだろう。
 これで相手がティアやキャロだったらおもしろがって「え〜、ホントに?」と冷やかしもするのだが、いかんせんなのはを相手にそんな事出来るはずもなく。
「じゃあ、……今日は、そのお友達さんにドタキャンされちゃって、それで隊舎に?」
「うん。本当は水族館に行くはずだったんだけどね。……ああ、そうだ。スバル、お腹空いてるみたいだし、一緒にお弁当食べない? このままじゃ無駄になっちゃうから」
「ええっ、いいんですか!?」
 憧れのなのはの手作り弁当だ。断る理由なんて無い。
 嬉しそうに頷くと、スバルはささっとその場に行儀良く正座した。
「もう、そんなに硬くならなくて良いよ?」
「だってなのはさんの作ったお弁当を食べられるだなんて、やっぱり嬉しいですし」
「あは。ありがとう、スバル。じゃあ早速……」
 ゴソゴソと、ハンドバッグに手を入れてなのはは弁当箱を取り出し始めた。バッグの大きさから判断するに、女性用の、まぁ軽めのお弁当なのだろう。食欲を満たすには少々足りないかも知れないが、休日になのはと話しながらなのはの手作り弁当を食べられるだなんてとスバルは純粋に喜んでいた。
 そして――
「はい。そっちから並べていってね」
「……はい?」
 スバルはまず、我が目を疑った。
「ほらほら、もっとたくさんあるんだから」
 そう。微笑むなのはの言うとおり、たくさんあった。
 ……重箱が。
 どうやってあの小さなハンドバッグにこれだけの量の弁当が収納されていたのか。おそらく何らかの魔法がかかっているのだろうが、それにしても……
「四つ、五つ、六つ……七重!?」
 大きめの重箱が、七段分。明らかに多すぎる。今日は複数の友達と仲良くお出かけ、料理はなのはの担当だったとか、そう言うことなのだろうか? ……でも彼って言っていたし……。そんな風にスバルが考えているうちにも次から次へと重箱は手渡されてくる。
 仕方なく、スバルは芝生にマットを敷くと、その上に順に重箱を並べていった。
 先祖が地球の日本出身であるスバルは、これこそが噂に聞いたアレなのかと首を傾げていた。
「おせち料理?」
「違うよ。そんなんじゃなくて」
 クスクスと笑いながら、なのはは重箱の蓋を開けていく。
 その中身に、スバルは今度こそ絶句していた。
「ん? どうしたの?」
「……あ、いえ……その」
 なんか、こう、色々凄かった。ミッドの料理を始め、地球産と思われる料理、どこのものかもわからぬ料理、しかもそのいずれもが見た目からして食欲を誘う、何とも見事な腕前だった。と言うより気合い入りすぎではないのだろうか。
「たまに作るとねぇ。どうしても、気合い入っちゃって」
 そう言って苦笑したなのはが、最後の重箱の蓋を持ち上げる。
 スバルは、ついに目が点になった。
「……あのぉ、なのはさん?」
「?」
「今日は、その……お友達と、出かけるつもりだったんですよね?」
「そうだよ」
 基本的にスバルはツッコミ役ではない。ツッコミは、相棒のティアナの役割だ。
 だが、ツッコミたかった。今日のスバルは目の前で微笑む憧れの上官に激しくツッコミを入れたかった。
「……」
 何故――
 どうして――
 ……友達と出かけるために用意した弁当のご飯に、デカデカとハートマークが入っているのだろう?
「なのはさん。……やっぱり、恋人さんとデートだったんじゃ……?」
「だから、違うよ〜。ほらほら、そんな事よりボーっとしてないで、召し上がれ」
 否定するなのはには照れとかそういった感情は見て取れない。
 釈然としないものを感じつつ、首を傾げながらスバルは「いただきます」と言って箸を動かし始めた。
 どの料理も、とんでもなく美味かった。





◆    ◆    ◆





「は? なのはちゃんの恋人?」
「はい。八神部隊ちょ……えフンッ。……はやてさんなら、知っらっしゃるんじゃないかなーと思って」
 スバルの『八神部隊ちょ』の部分で傍目にもわかる顰めっ面を見せたはやては、続く『はやてさん』という訂正に少しだけ表情を和らげ、それでもまだ何か不満そうな目つきで皿の上のヒレカツを一切れ摘んだ。
「あんなぁ、スバル。いつも言うとるやん」
「……はい」
「周りに誰もいない時は、“お義母さん”って呼んでええんよって」
 口元を引きつらせながら、苦笑いを浮かべてスバルはサーモンフライを囓った。なんだか食堂でこうして二人きり昼食をとるのにも、随分と慣れてきたものだ。きっかけは……スバルの父、ゲンヤとはやての間に持ち上がった再婚話からである。
 母が亡くなって大分経つけれど、別にスバルは父親の再婚に反対するつもりなど無かった。母のことは今でも大好きだし、複雑な想いは確かにある。けれど、局では有能な部隊長として知られながら、家ではズボラでどこか抜けている父と新たに連れ添ってくれるという女性がもし現れたなら素直に祝福しようという気でいたのだ。
 ……が。
 その相手が自分が所属する機動六課の部隊長であると言うのなら、話は別だ。
 はやての事が嫌いなのではない。父親との再婚話が浮上するまであまり個人的に話をしたことはなかったが、部隊長としての卓越した能力と、それ以上に気さくで面倒見の良い性格により部下からの評判は総じて高い。
 良い人だ。こんな女性に惚れられたというのだから、父は自分が思っていたよりもよっぽど魅力的な男性なのかも知れないなぁなんてスバルは考えもした。しかし、それでも……
「ほら。なぁ? 試しに一回、呼んでみて。お・か・あ・さ・ん……って」
 はやては十九歳。
 スバルは十五歳。
 ……歳の差僅かに四つ。
「……あの、はやてさん」
「うん?」
 姉のギンガとも二つしか違わないのだ。そんな女性を、義母とは……――
「やっぱり無理ですよぅ」
 ――無理だ。呼べるわけがない。
 スバルの言葉にはやてはしょんぼり俯くと、ワナワナと肩を震わせていた。そんな様子を見ても特にスバルは心配はしない。……まぁ、いつもの事だ。いつもの通りに、やがてガバッと顔を上げる。
「うぅっ。で、でもわたしはめげへんよ? スバルがお義母さんと呼んでくれるその日まで、頑張ってみせるから! 見とってください、ゲンヤさん!」
 何やら変に火が入ってしまったらしい。はやてはガッツポーズをとって熱血していた。スバルとしては最近なんだかお株を奪われたような気分だ。
 さておき。
「……まぁ、努力はしてみますけど、それより今はなのはさんの事を……」
「ぶー。ほんまいけずやなぁ。やっぱアレか? スバルの本命って、なのはちゃん?」
「ブッ!」
 スバルは思わず茶を吹いた。飛び散る飛沫をはやてはニタニタしながら器用に避ける。
「そない動揺せんでも……愛の形は人それぞれやし、お義母さんはその辺理解あるから安心してええよ?」
「ち、違いますよ!」
 正直、初恋らしい初恋もまだなスバルだが、所謂“そのケ”は無いつもりだ。自分はいたってノーマルだと信じている。ちょっと古めの少女漫画のような恋に憧れる、スバル・ナカジマは十五歳のごく普通の乙女……のはずである。
「なんやー。ほなら本命はやっぱティアナ?」
「ブーーーッ!」
 スバルは思わず味噌汁を吹いた。飛び散る豆腐やワカメをはやてはニヤニヤしながら器用に避ける。
「スバル、食べ物を粗末にしたらあかんよ? お義母さん怒るよ?」
「だ、誰のせいですか誰の!」
 もっともこの“スバル×ティアナ”説は訓練校時代から流れ続けている噂なので、正直もう慣れている。慣れているが、義母を名乗る上司に言われるとたまったものではない。
「もう、スバルは怒りっぽいなぁ。味噌汁のワカメを粗末にするからそうなるんよ。もっとカルシウム取らんとダメやよ?」
「……うぅ。はやてさんがこんな人だとは、思ってませんでした」
 気さくでも根は真面目な人だと思っていたのに。
「あっはは。理解のある義娘で嬉しなぁ」
 もう、なんだ。どうとでもなれ。スバルはネガティブに覚悟を決めた。
「それで、話を元に戻してなのはさんの恋人についてなんですけど」
「ふむふむ。スバルもなんや、なかなかええ性格しとるなぁ」
 悪代官フェイスで義娘(予定)に答えると、はやては腕組みをして意味ありげに目を閉じた。
「なのはちゃんの恋人は、な」
「……恋人、は……?」
 ゴクリ、とスバルの喉が鳴る。
 なのは自身は恋人じゃないと否定していたし、その言葉にも表情にも嘘はないように思われた。が、それでもあのデカデカと描かれたハートマークを見てしまっては好奇心が鎌首をもたげてしまって仕方がない。と言うか実に美味しいハートマークだった。鯛の身を使った桜田麩の甘味が最高級のコシヒカリと渾然一体となって口中に広がる味わいたるや、思い出しただけで幸せな気持ちになる。果たして好きでも何でもない男相手にあんな至高の美味を振る舞おうとするだろうか? スバルが出した答えは、否である。
 となると、一体全体あのエース・オブ・エースのハートを射止めた人物とはどんな凄い男性なのだろう。
 ティアナからは『やめておきなさいよ』と小言を言われたが、気になる。激しく気になる。
 スバルは静かにはやての言葉を待った。
 待つこと、数秒。
 はやては深々と息を吸うと、
「……まぁ、実際のところ、いないんよ」
 盛大な溜息とともにそう答えた。
「……えぇー?」
 当然のようにスバルは不満だった。散々気を持たせてそんな回答では、そりゃそうだろう。
 しかし不満そうなのは、何故かはやても同様だった。
「そうなんよ。いないんよ。そういうことになっとるんよ。……うん」
 あまりにも奥歯に物が挟まりすぎたような言い様に、スバルは首を傾げた。
「どーいう意味ですか?」
「そのまんまの意味や」
 ますます首が傾く。はてさて、はやては何を言わんとしているのか。スバルがさらに追求しようとしたまさにその時。
「はやてちゃん、スバル、一緒にお昼?」
「ほわぁっ!?」
「ななななのはすぁんっ!?」
 当のなのは本人が、不思議そうに立っていた。今の今までまったく気配を感じなかったのに、さも当然のように。
「も、もしかして……き、聞いとった?」
「え? 何が?」
 どうやら話は聞こえていなかったらしい。スバルは安堵のために胸を撫で下ろ――そうとして、よく見るとはやてが渋い顔をしたままなのに気がついた。……どうやら、はやては聞かれたものと判断しているようだ。義母(予定)の心中を読みとり、スバルもまた頬をヒクつかせる。
「最近、二人ともよく一緒にいるよね。何かあったのかな?」
 ちなみに、はやてが結婚するかもという噂は広まっているが、相手が誰かまではまだまだ八神家とナカジマ家、双方の家族しか知らない。幾らなんでも混乱が大きかろうし、部外者がまたはやての事をやっかんであらぬ醜聞を囃し立てかねないというのが主な理由だ。……あと、ゲンヤが照れて嫌がったという理由もある。
 よってなのはも、スバルとはやてが最近やたらと同席していることの理由は知らない――はずである。
「いや、まぁその……なんや。なぁ?」
「えーと、はい、その……ですよねぇ?」
「あはは」
「えへへ」
「?」
 なのははますますわからないとばかりに首を傾げた。
 はやてもスバルもワケのわからないまま成り行き任せに笑った。
 食堂の一角は、一種異様な雰囲気を醸し続けていた。
「う〜ん。よくはわからないけど……二人の仲が良いのなら、それで良い……のかな?」
 そう言うと、なのはは朗らかに笑った。幼いあの日、スバルの命を救ってくれた憧れの笑顔だ。このように笑われてしまうと、なんだか好奇心に駆られて探りを入れた自分が酷く無粋に思えてくる。今のスバルは、言うなれば振り上げた拳を降ろそうとしている心境だった。
 しかしそんなスバルに目配せする者がいた。
 ……無論、はやてである。
(はやてさん……やっぱりあたし、これ以上の勘ぐりは――)
(まぁ待ちぃスバル)
 念話で諦めの意を述べようとしたスバルをはやてはビシッと制した。その視線がなのはへと移る。
(見てみぃ、なのはちゃんの様子)
(?)
(妙に嬉しそうやない?)
 言われてみれば、確かに。いつも通りの笑顔のようでいて、こう、変に子供っぽいとでも言えばいいのか。以前、地球の海鳴市に任務で赴いた時に見た表情に似ている気もする。時空管理局武装隊にその人有りと知られた戦技教導官・高町なのは一等空尉ではなく、十九歳の、まだ成人していない少女としてのなのはの笑顔がそこにはあった。
「なぁなぁ、なのはちゃん」
「どうしたの?」
 一方、スバルの義母(予定)は邪悪な気配に充ち満ちた笑みを浮かべ、純粋極まりないなのはへと語りかけていた。
「なんや嬉しそうやけど、今日は何かええコトでもあったん?」
 はやての質問に、なのははサイドテールを揺らしてコクリと頷く。
「うん。さっきユーノ君から電話があって、この前の埋め合わせに今夜は一緒に食事にでも行こうよって」
 勿体ぶるような事もなくあっさりとそう答えたなのはに、スバルは覚えがあった。先日、恋人の有無やデートだったのではないかと訊いた際とまったく同じ、照れや誤魔化しなんて欠片もない、実に透き通った返答だった。
 嬉しそうに見えるのは、もはや疑いようがない。しかしやはりそこには『恋人なんかじゃない』と言った彼女の自然体がある。
 さらに、スバルが気になったのはサラリと出てきた名前だった。
(あの、はやてさん)
(どしたん?)
(ユーノさん……って、もしかして無限書庫の?)
(ああ、そうやよ。ホテル・アグスタの一件で一応紹介はした思うけど。無限書庫司書長のユーノ・スクライア。わたしらの幼馴染みで、なのはちゃんの魔法の師匠なんよ)
 なのはの師匠――そこら辺の経緯も、簡単にだが聞き知っている。
 なのはの過去――彼女がどのようにして魔法と出会い、現在の道に進む事となったかも含め、ユーノはなのはにとって掛け替えのない大切な人物なのだろう。
「郊外に前から行ってみたかったお店があるんだけどね、じゃあそこに行ってみようかって。……えーと、なのでその、八神部隊長。出来れば今日は、急な残業とかは……」
「はいはい、わかっとるよ。緊急出動とかがかからん限りは大丈夫やと思うし。安心して楽しんできてなー」
「了解っ。それじゃ高町なのは、職務に戻ります」
 嬉しそうに敬礼し、なのはは『じゃあね、スバル』と言い残すと足早に食堂を出ていった。
 そしてスバルは……
「……」
 唖然としていた。
 本当に楽しみなのだろう。まるで今にもスキップを踏みそうななのはの後ろ姿が頭から離れない。いつもの彼女とは……いや、微笑みと言い穏やかな物腰と言い表面的にそこまで違うワケではないのだが、けれどスバルは本当に言葉もなかった。恋人じゃないただの友達と、デートではないただの食事に、とても嬉しそうに出かけようとする憧れの人。
 途方に暮れたかのように、スバルははやてに視線を戻した。対してはやては『わかっとる』とでも言いたげに頷くばかり。
「……はやてさん」
「……なのはちゃん、なぁ」
 遠い目をして、はやては誰にともなく呟いていた。
「トランプ、むっちゃ強いんよ」
 彼女が何を言わんとしているのか、スバルはわかる気がした。なのはは決して無表情だとか、感情が淡泊だとかいうわけではないのだが、兎角本心を悟りづらい。いつも優しく微笑んでいる姿が印象的過ぎて、その笑みの奧がなかなか見えてこない。今回のコレでスバルはその事を嫌ってくらいに理解した。
 彼女の喜びよう……と言うより浮かれようは間違いなく本物だ。しかし同時に恋人やデートを否定した時の彼女も嘘をついているようにはどうしても見えなかった。だから違和感が消えない。無粋と知りつつ、気になってしまう。
「十年間や」
「え?」
「十年間、なのはちゃんはずっとああやった。ちなみに、ユーノ君も大概あんな感じ」
 嘘でしょう? とばかりにスバルはフルフルと首を横に振った。
「仲の良い男と女がいて、それを全部恋愛ゴトに結びつけるのはわたしもどうかなー思う。実際、男女の間にも友情は存在すると思うし。でもなぁ、あの二人に関してだけは……」
 正直、わからない。
 以前にフェイトの義姉であるエイミィは言った。『二人とも仕事が好きだから、その辺の話はもうちょっとしてからじゃないと進まないかもね』と。だが、彼女がそう言ってからも既に数年経っている。もうちょっとどころの話ではない。
「皆さんには恥ずかしいから内緒にしてるだけで、実はつきあってる……とかは」
「その可能性も何度か考えてみたんよ。そやからあの二人が“デートっぽいお出かけ”する時に、ヴィータにシグナム、リィン、ザフィーラ……うちの子らは全員スパイ経験があるくらいや」
「あれ? シャマル先生は」
「そっこーでバレた」
 変装したのがむしろ悪かった。その後、シャマルにスパイさせたことは一度もない。
「わたしもフェイトちゃんも、三回くらいスパイ経験がある。でも、なぁ」
 はやての頬が朱に染まり、何やら名状しがたい百面相を見せながら身をくねらせ始めた。
「な、何があったんですか?」
 身を乗り出してスバルが問う。するとはやては眉を寄せ、
「……手、繋いで歩いとった」
 出先でたまたま入った寿司屋にて出涸らしのお茶をたらふく飲まされたかのような表情と声で、答えた。
「めっちゃ幸せそうに二人で手ぇ繋いで。こう、なんや。うん。当時はわたしも恋人なんておらんかったし、羨ましいとか思ったんも事実や。でも、なぁ……」
 俯いて、はやては肩を落とした。
 一回目は微笑ましく観察した。二回目も、まぁあの二人ならこんなものだろうと思いながら後ろをつけた。非常に虚しかった。そして、三回目。
 毎回毎回、手を繋いで、楽しそうに遊園地に行ったり動物園に行ったり映画館に行ったり。食事をして、買い物を楽しんで、陽が暮れる頃には笑顔で手を振ってさようなら……
 思い出すだけで恥ずかしい。いきなり肉体関係から恋愛がスタートした自分とは大違い過ぎてはやては思わず机に突っ伏した。なんだ、中学生どころか小学生か? 今時、エリオとキャロだってもっとマシなデートをしてそうだ。そう言えば最近はフェイトがよく二人と一緒に、もしくはエリオと二人で出かけているようだが、何かあったのだろうか。
 ……考えが脇道に逸れた。
 兎も角、なのはとユーノの関係、その真実は十年来の付き合いである面々から見ても不自然極まりなく自然に続いているのである。
 大仰に溜息を吐いてはやては身を起こした。娘の前でなんだが、ゲンヤに逢いたくてたまらなくなった。
 スバルはなのはとユーノが手を繋いで水族館を見て回っている光景を思い浮かべてみた。
 ……やたらと絵になっていて、寧ろ自分が不健全なのかと頭が痛くなった。
 義母(予定)と義娘(予定)は、なのはが去っていった食堂の出入り口を一瞥してから、残っていた昼食に手をつけた。冷めていて、すっかり美味しくなくなっていた。





◆    ◆    ◆





 オフィスワークも滞りなく進み、機動六課の主な面々にも終業時刻が訪れようとしていた。
 午後の間中ずっと笑顔でいたスターズ分隊長に、事情を知るスバルだけでなくティアナも何事か感じ取っていたようだが、相方にやめておくよう小言を言った手前特に何か口にするようなことはなかった。
 副隊長のヴィータはと言えば、なのはのコレにも慣れたものなのか黙々と書類を片付けていくだけ。途中、スバルがちょこっと念話を送ってみたところ、はやてからスパイを命じられたりなど自分に累が及ばない限りはわりとどうでもいいらしい。
 古いベルカの諺に曰く、『他人の恋路を邪魔する奴は、竜に蹴られて次元の藻屑』だとか何だとか。聞いたこと無いけど、何だか凄そうだとスバルは何度も頷いて納得していた。
 時計の針がゆっくりとその刻に向かって動いていく。
 誰かが喉を鳴らした。もしくは、その場にいた全員だったのかも知れない。
 そうして……カチリ――
「っ!」
 すかさず、なのはが立ち上がっていた。ついさっき覗いた時は書類と筆記具で散らかっていた机が整然と片付けられている。
「それじゃ、今日もみんな、お疲れさま」
 分隊長としての、終業を告げる言葉。いつも通りのなのはだ。いつも通りのはずなのに、今やスバルには何もかもが違って見えた。ヴィータの溜息がやけに遠い。
 と、その時。
「失礼します」
 扉が開いてフェイトが顔を見せた。
 まさか緊急の用件か、とむしろスバルが緊張し硬直する。しかしフェイトの顔に浮かんだ微笑を見る限り、どうやら悪い報せではないらしい。
「なのは」
「フェイトちゃん、どうしたの?」
 なのはにも焦燥は見て取れない。優しく語りかけてきた親友に平然と返し、続く言葉を待っている。
 一体どうしたのだろうと気が気でないスバルを余所に、フェイトはスッと身体を横にずらした。
「うん。お客さんだよ」
 現れた人物に、スバルは目を丸くした。今の今まで我関さずを貫いていたティアナも、直後になのはがとった行動を見て口をパクパクさせている。
「ユーノ君!」
 喜色満面、なのははタタッと駆け出していた。
 ティアナにとっても今やなのはは心から尊敬する上官であり、また師でもある。そんな女性が、よもや飛ぶように軽快に駆けていく様をよりにもよって職場で目にしようとは、そりゃ驚こうものだ。
 その後の展開は、普通に考えるなら抱きついてもおかしくはないのだが、はやての話を聞いた限りこの二人にそういった常識は通用しないと考えていい。そんなスバルの読み通り、なのははユーノのすぐ手前まで到達すると両手を後ろで組んで立ち止まった。
「やぁ、なのは。お疲れさま」
「どうしたの? こっちに来るなんて、珍しいよね」
「ああ、早めに仕事が終わったからね。迎えに来たんだよ」
 なんだか二人の周囲が魔法を発動させてもいないのにピンク色に靄がかかって見えた。桃色時空に隣接するように立っていたはずのフェイトはいつの間にか消えている。まさに閃光、退避行動も迅速極まりない。
 では自分達はこの時空浸食にどう抗するべきか、あたふたするスバルとティアナを横目に普段と変わらぬ人物もいた。それが誰かなんて、言うまでもない。
「おら、オメーら、帰るぞ」
「ヴィータ副隊長」
 鞄に荷物を詰め込み、上着を羽織って帰り支度を整えたヴィータが顎をしゃくって二人を促す。しかし入口は桃色時空によって浸食中、どう見ても脱出は困難だ。
「帰ると言われても……どうするんですか?」
 スバルの真っ当な質問に、ヴィータはフンッと鼻を鳴らし、
「構うこたねぇよ。じゃあなー、なのは、ユーノ。あたしらはこれであがるぞー」
 ズカズカと小さな姿に見合わぬ大股で、堂々と桃色時空に接近していく。自分達の副隊長の男らしさに激しく感動しつつ、果たして無事に外の世界に脱出できるのかとドギマギしていた二人だったが、ヴィータは言葉通りに構わず二人の横を素通りしていた。
「うん。ヴィータちゃん、お疲れさま」
「……はれ?」
 桃色だったはずのなのはが、元に戻っている。
「お疲れさま、ヴィータ」
 ユーノも、普通に気さくな挨拶を返していた。
 狐につままれたように、スバルとティアナも首を傾げながら二人の横を通る。
「お、お疲れさまです」
「お疲れさま、です」
「うん、二人ともお疲れさま。明日も頑張ろうね」
 ぎこちなく歩く二人とは打って変わって、なのはは本当にいつも通りだった。さっきまでのピンク色が嘘のようだ。おかしいなぁと唸りながら廊下を歩いていくと、中央階段前のホールでフェイトとヴィータが待っていた。
「まぁ、オメーらが言いたいことはわかるよ」
 ヴィータがやれやれと肩をすくめた。
「でもな、まぁなんツーか……気にしたら負けなんだよ」
 しみじみと述べる姿には哀愁が漂っている。十年間、側で見続けてきた者の哀愁なのだろう。
 ティアナはヴィータの言葉に納得したかのように深々と頷いていた。正味の処、あまり深く考えたくないのかも知れない。けれどスバルは違う。先日のなのはの手作り弁当や、昼間のはやてとの会話もあるし、やはり気になる。
「あの、ヴィータ副隊長」
 気になった挙げ句、スバルは数日分の疑問全てを一つにまとめ、直球で訊いてみることにした。
「あん?」
「なのはさんとスクライア司書長は、どうしてお付き合いしてないんでしょうか?」
 本当に直球過ぎてティアナは渋面を作って天を仰いでいた。フェイトは苦笑している。
 ヴィータはと言えば、疲れた様子でスバルを一瞥してからボソリと呟いていた。
「知るか、ンなこと」
 あまりにももっともな回答だった。





◆    ◆    ◆





 仲間達が全員帰ったことを確認すると、なのはは部屋の電気を消してから扉を閉め、ユーノと並んでのんびりと歩き出した。いつの間にかそれぞれが伸ばした手が自然と重なっている。
 それはもう何年も二人にとっては当たり前の事なのに、なのははどこかくすぐったそうに目を細めていた。ユーノも同様、残った右手が手持ちぶさたそうに頬を掻いている。
 互いの手の感触と温度は、十年間変わらず安堵を与えてくれる。放したくないし、離れたくない。二人ともそう思いながらも、なのはの手は杖――レイジングハート――を、ユーノの手は書――無限の知識――を、それぞれ掴まざるをえないのが現状だった。
 自らが望んだ結果であるが故に、二人の手は僅かな逢瀬を終えれば離れざるをえない。だから、なのだろうか。重なる手が、それ以上を求め欲しようとしないのは。
 自らの感情の意味を、なのはもユーノもとうに理解していた。
 理解してなお、どちらからとも何も言い出すことなく過ごしてきた十年間。互いの夢や仕事、それに八年前の大事故など色々と理由はあるのだが、はやてやスバルが気になるというのも無理からぬ事だろう。どれだけ自然で、なのに不自然な関係なのか、一番よくわかっているのは他ならぬ自分達なのだから。
 ふと、なのはは親友達のことを思い浮かべていた。
 はやてから恋人が出来たという報告を受けたのは、つい数日前のことだ。各所でまことしやかに囁かれるはやて結婚の噂話もあったし、特に驚くこともなくなのはは彼女のことを祝福した。
 フェイトも、最近少し変わったような気がする。おそらくは誰か好きな相手でも出来たのではないだろうか。どうも親しい人達からは自分はこの手の話に関して凄まじく鈍感だと思われている節があるが、なのはとしては別にそんなことはないつもりだった。
 はやてもフェイトも、最近以前にも増して綺麗になったのは恋をしているせいなのかも知れない。
 みんな変わっていくのだ。
 永遠に変わらないものなんて無い。他ならぬなのは自身が、十年前にある女性へと向けた言葉だった。
 なら、自分とユーノの関係は一体何なのだろう。
「考え事?」
「うん。……ちょっとね」
 ユーノの手。相変わらず女性のように白くしなやかだが、十年前よりもずっと大きくなった手。あの頃は広げてみれば自分とほとんど変わらない大きさだったのに、今は包み込まれてしまいそうなくらい大きい。
 その手をギュッと握りしめながらなのはは彼の顔を見上げた。
「ん? どうしたの、なのは」
 自分も変わってみるべきなのだろうか。
 変わる機会は今までにだって何度もあった。けれどその機会を逃し続けてきた。
 距離を取っているのは自分なのか、ユーノなのか。それとも、二人どちらもなのか。考えてみたところで致し方ない。距離を縮めるには、もっと他に、すべき事がある。
「……んっ」
 なのはは思い切ってユーノから手を離してみた。途端、それまで感じていた温もりを失った手に震えが走る。
 だから、震えを止めるために――
「な、なのは!?」
 なのはは、全身で体当たりするかのようにユーノの腕に自分の腕を絡めていた。
「……う、うん」
 声が上擦る。滅茶苦茶、恥ずかしかった。けれどその恥ずかしさを超えるだけの嬉しさでもって、なのはは満面の笑みを浮かべていた。手を繋いでいた時よりもさらに温もりを感じる。その温もりが、足を前へと進ませる。
「は、早く行こう? ユーノ君」
「そ、そうだね。それじゃ――」
 ユーノの側からも、組んだ腕に力がこもった。
 こうして組んだ腕さえも、数時間の後には離れる運命にある。だが、たとえ僅かな時間であっても触れ合う力が強くなったのだとしたら、それは変化の前兆としては充分なのではないか。そうすれば、もっとはっきりした変化が訪れる日も近付くはず。
「……え、えへへ」
「……あ、あはは」
 いつかきっと、変われるはずなのだと信じて。
 ぎこちなく微笑みながら、なのははいつも以上の安らぎにその身を委ねていった。





〜to be Continued?〜






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