数の子・愛の劇場
その1



◆    ◆    ◆





 風鈴の音色が質素な部屋に優しく響く。
 自然の風が揺らしたのではない。今時見かけない、古くさい扇風機によって起こる微風だ。地下深くに設けられた施設内の一室で自然の風まで求めるのは、贅沢に過ぎるだろう。
 が、たとえ扇風機の風でも、むしろ扇風機の起こす風が奏でるからこそ、ナンバーズの五女、チンクはこの風鈴の音色が気に入っていた。
 彼女の部屋は、地球で言うところの所謂和風の作りをしていた。
 ナンバーズの個室は、彼女らの生みの親であるスカリエッティの意向により個々の趣味に任せた内装となっている。自らが作り上げた生命が、勝手気ままに紡ぎ出していく個性を観察するのも彼の好むところ……とは言ったものの、何せ真意の読めない男だ。実際のところ、あの“父”が何を考えて娘達に好き勝手させているのかはチンクにはわからなかった。わかっている姉妹がいるとすれば、おそらくは長女のウーノくらいではあるまいか。
 畳張りに、障子、そして襖。
 まったく地球の日本家屋そのものの室内で、チンクは和装であった。右目に痛ましい眼帯があることを除けば、清楚な少女に紺の着物はよく似合っていた。
 ともあれ。
 隻眼の小柄な少女は、誰が見ているということもないのに非常に行儀良く正座しつつ、お茶を啜った。そうして、羊羹を一切れ、口にする。
 美味い。
 お茶の苦味と、羊羹の甘味。
 チンクはこの静かなお茶の時間がとても好きだった。
 姦しい姉妹達と一緒に過ごすのもそれは好ましいし、とても大切な時間であるのに違いはないのだが、妹達のまとめ役としていつも立派な姉を努めているチンクにも、むしろそのようなチンクだからこそ、静謐な一人の時間は尊いものだった。
 しかし、その静寂は大概は短くして破られる。
「わ〜〜ん! チンク姉〜〜っ、助けて欲しいッス〜〜!」
「む。ウェンディか」
 今日の闖入者は十一女、ウェンディだった。
 襖を開けるなり飛び込んできた妹は、自分よりも小さな姉へと泣きついていた。
「困ってるッス、ホントに大変なんスよ〜〜〜」
「やれやれ。今日はどうした?」
 呆れつつも優しげに苦笑し、チンクは湯飲みを傍らにそっと置いた。そうして残りの羊羹を妹へと差し出す。
「甘くて美味しいから、食べると良い」
「うわーっ! 流石はチンク姉ッス! 他の姉達とはお姉ちゃんとしての格が違うッス!」
 いったい何が流石で何が格なのか。
 チンクは立ち上がると、戸棚から来客用の湯飲みを取り出してきた。ウェンディ用のものは朱塗りの、一見けばけばしいが深い朱色がなかなかに趣深い逸品だった。ちなみに夫婦品で、大きい方がウェンディ用、小さい方は九女のノーヴェ用として使われている。
 茶を注ぎ、胡座をかいて羊羹をモグモグしている妹の前に湯飲みを置く。
「粗茶だが」
「そんなことないッス。あたしはチンク姉のお茶好きッスよ。苦いけど。ノーヴェも、他のみんなも好きだって言ってるッス」
 言いながら、ウェンディは行儀もへったくれもなくガブガブとお茶を一気に飲み干した。
「熱くはなかったか?」
「んー。いや、大丈夫ッス。相変わらずチンク姉のお茶は熱すぎずぬるすぎず、結構なお手前ッス」
「そうか。そう言って貰えると姉としても嬉しい限りだ。……さて」
 のびのびと胡座をかいたウェンディと、ぴしっと姿勢を崩すことなく正座しているチンク。対極的な姿勢の姉妹は、暫し真剣な表情で互い顔を見やり合った。
「何か、この姉に頼み事か」
「……実はそうなんス」
 実はも何も助けて欲しいと飛び込んできたのはウェンディだ。
 ウェンディはずずいっと前に身を乗り出すと、いつになく真面目な面相で、囁くように、言った。
「チンク姉」
「なんだ」
「今月のお小遣いがもう無いんス……ッ!」
 ――風鈴が鳴った。
「……またか」
 仕方ないなとばかりに、チンクは溜息を吐いた。
 何せナンバーズは機動六課の面々と違い、日々をテロという名の悪質な悪戯行為で過ごしているので収入なんて無い。そのためスカリエッティからウーノを通して毎月お小遣いをもらい、それぞれやりくりしているのだが、ウェンディが小遣いを使い果たしてチンクに泣きついてきたのはこれまで一度や二度ではなかった。
 姉妹の中でもチンクは際だって倹約家だ。貰ったお小遣いも必要最低限しか使おうとはせず、それ以外は有事に備えて貯金してある。そのせいか、姉妹達には金に困るとチンクを頼る者が少なくない。中でも特に多いのが六女のセインと、そしてウェンディだった。
「今回はいったいどうして金が欲しいのだ」
「うー。よくぞ聞いてくれたッス」
 言うなり、ウェンディはゴソゴソとポケットを漁ると中から一枚の雑誌の切り抜きを取りだしていた。
 ……ホビー雑誌だった。
「実はさっきまですっかり忘れてたんスけど、今日は地球から密輸されてくるMGターンエーの発売日なんス」
 当然ながら、ミッドチルダにはガンダムなどという文化はない。ガノタはアンダーグラウンドの住人である。しかしアンダーグラウンドであるが故に、根は深かった。
「ヒゲか」
 チンクがスッと隻眼を閉じる。
「ヒゲッス」
 ウェンディは真剣極まりなかった。
 またもや風鈴が鳴った。
「実は、白いおヒゲの機械人形の発売日をてっきり忘れて今月はノーヴェと、あとまだ世間に疎いオットー、ディードを連れて高級スィーツ食べ歩きをやってしまったッス……!」
 他にディエチとラーメン食べ歩き、セインとはホテルのランチバイキング荒らしに出かけたりもしたのだがそれは伏せておく。
 後悔に打ちのめされたかのように、ウェンディはがっくりと頭を垂れていた。グスグスと啜り泣く声まで聞こえる。よっぽどターンエーが欲しいのだろう。
 チンクは目を開け、よく通る声で話し始めた。
「……ウェンディ」
「……はいッス」
「姉はいつも言っているな。お金とはとても尊いものだ。特に我々のお小遣いは我々が自分で稼いだのではなく、父様が一生懸命研究した成果によって稼いだものをいただいているのだ。だからくれぐれも無駄遣いはするな、と」
「……うぅ、わかってるッス」
 しかしウェンディも年頃の女の子、親の金であろうと何だろうと、あるものは使い切らずにはいられない。
 美味しいものは食べたいし、お洒落な服は着たいし、おヒゲの生えたガンダムだって欲しいのである。
 暫しチンクは黙ってウェンディの顔を覗き込んでいた。
 そうして、やがて溜息と共に笑みを漏らすと、
「仕方ない。姉に任せろ」
 言って、背丈に反して豊かな胸をポンと叩いた。
「うわーーーーっ! チンク姉大好きッスー!」
 ウェンディは正座した状態から跳び上がると、そのままチンクに抱きついて頬ずりした。
「こ、こらこら。くすぐったいぞ」
「うー、チンク姉、恩に着るッス」
 結局自分は妹達に甘いなぁとか考えると、チンクは少々困ったように眉を寄せた。が、仕方がない。長女のウーノ、次女のドゥーエはスカリエッティのサポートで忙しく、三女のトーレは姉と言うより戦闘の師匠としての面が強い。四女のクアットロは、姉として妹を育てようなんて意識はゼロである。
 結局、姉として常に妹達の面倒を見、その規範たらんと己を律しているのは、五女のチンクまで誰もいないのだった。だから懸命に立派な姉として努めているわけだが、面倒を多く見ているということはそれだけ情も移る。元来の性格、というのもあろう。
 ……要するに、チンクは甘かった。
 甘々なお姉ちゃんだった。
 自分では厳しいつもりでいるのに、実際には角砂糖を幾つも放りこんだせいで粘性がやたらと強い某お茶のように甘かった。
「どれ」
 チンクはガサゴソと戸棚を漁り、ガマ口財布を開けると、MGターンエーが買えるだけの金をウェンディに手渡した。
「ちゃんとヒゲを買うだけにしておくんだぞ」
「わかってるッス!」
 ばびゅーんとライディングボードに乗って飛んでいくウェンディを見送り、チンクはやれやれと襖を閉めた。騒々しい時間は終わり。もう一度、静かな一人の時間を楽しもう。
 ……と。チンクがお茶を入れ直そうとしたまさにその時。
「チンク姉ーーーーっ!!」
 畳からニョキッと少女の首が生えていた。
 常人なら驚きのあまりに泡を吹いて倒れそうな光景にもチンクは微動だにせずに、生えてきた首に羊羹を差し出した。
「……で。どうしたのだ、セイン」
 六女、セイン。
 ウェンディと並んで騒々しいナンバーズのムードメーカーだ。そして借金率もウェンディと並ぶ困ったさんである。
 どうしたのかという姉の質問に、セインは実に堂々と、悪びれない態度でもって返答した。
「お金貸して!」
「やはりお前もか」
 Et tu,Brute。まったく困り果てた妹だ。
「それでお前はどうして小遣いを使い果たしたのだ?」
「おニューの水着買っちゃったから!」
 威張るところではない。
 しかしこの開き直りこそが、姉妹のほぼ真ん中に位置するセインの人柄というやつなので仕方がない。妹達に対しては気さくで話しやすい陽気な姉、姉達に対しては自分勝手だが天真爛漫で放っておけない妹、セインはそんな二面性を備えている。クアットロあたりに言わせれば、『お得な性格よね〜』ってところだ。
 チンクは真っ直ぐにセインを見据えた。
 セインも真っ直ぐに揺らがぬ瞳でチンクを見つめていた。
「……はぁ。で、幾ら要るんだ?」
「さっすがチンク姉っ! 二万貸して!」
 無邪気で奔放なセインはその点でウェンディ以上だ。
 チンクから手渡されたお札にキッスすると、セインは『サンキュ、チンク姉!』と言い残してズブリと畳の中へ沈んでいった。
 それにしても。
「……ふむ」
 なかなかに手痛い出費だった。普段のチンクなら今日の出費くらいどうと言うこともなかったのだが、つい二日程前、新しい自作PCを組みたいからと言うクアットロに二十万程貸してしまったばかりなのだ。クアットロは借りる時は大きく借りるが、個人で株やらやって手堅く稼ぎ、他にチンクは詳しくは知らないのだが自費出版で本を出してそれなりに儲けているらしいので返す時もわりかし早くスッキリ返してくれる。よってこの姉に関してはいつもすんなり大金を貸したりしているわけだが、どうにも今月は他の姉妹達からも借金要請が多すぎた。
「まぁ大丈夫か。クアットロ姉様は月末には返すと言っているし」
 今のままだと流石にキツイ。金遣いの慎ましいチンクだけれど、それでもまったく出費がないわけではない。唯一の楽しみと言っていいお茶や羊羹だって無料ではないのだ。
 お茶を飲み干し、チンクはさて湯飲みと羊羹の皿を洗おうかと立ち上がり、
「……ん?」
 何者かが戸を叩く音に気がついた。
 まさか、と思いつつ、戸を開けてやる。すると、そこには二人。末の妹達が、変化に乏しい表情にほんの僅かな申し訳なさを浮かべて突っ立っていた。
「……オットー、それにディード」
 八女のオットーと、十二女、末妹のディード。数字に開きがあるが、元になった素材が同じであることと完成が同時であったために皆からは双子のように扱われている、最も幼い妹達だった。
 しかし双子とは言え、オットーはショートカットでボーイッシュな外見、スタイルもスマート――と言うよりむしろ完全な少年体型なのに対し、一方のディードは艶やかなロングヘアーと、さらに身体の方は大変起伏に富んだ破壊的なスタイルの持ち主で、傍目には見事に対照的な二人だった。
 二人ともまだ生まれて間もないため多分に世間知らずであり、人見知りもするのか姉妹の中では珍しく物静かなコンビだった。そんな二人はひがな一日を読書や映画鑑賞をするなどして過ごしているのがほとんどだ。最近ではセインに手伝って貰って管理局本局の無限書庫に進入し、膨大な量の本と格闘しているのだとか。
 当然、金遣いも荒い方ではない。この二人がチンクに金を借りようなんて、これまでに一度もなかった。だから今回も、きっと別の用事なのに違いないとチンクはそう思おうとしたのだが、
「……チンク姉様」
「……チンク姉様」
 二人は揃って頭を下げた。
 表情も相変わらず変化はなかったし、声にも抑揚無いのだけれどそこは姉妹だ。二人の必死さは伝わってきた。似ていると言えば、過去に一度だけ、ノーヴェがお金貸してくださいと言ってきた時とよく似ていた。ノーヴェ程この二人は粗暴ではないが、そこはやはり姉妹だからなのか、どこがどうと言うこともなく、似ている。
「……あの、その……チンク姉様」
「……ご、ごめん……なさい。でも――」
「ああ、いい。わかっている」
 わかっているとも。
 だってチンクはお姉ちゃんなのだから。
 ニコリと微笑み、財布のガマ口を開けると、チンクはこの幼い二人にはさてどのくらいの額を貸し与えてやるのが適正か、少しだけ頭を悩ませていた。





◆    ◆    ◆





「チンクちゃんってば、本当に優しいわよね〜」
「……面目次第もない」
 深夜。
 ドクター・スカリエッティの地下研究所の一角に設けられた、年長者向けの娯楽施設――平たく言えばBAR――で、チンクはクアットロと一杯やっていた。ミッドチルダは若年者の飲酒に対する取り締まりは地球程には厳しくないし、そもそも見た目には幼げだがチンクとて十二人姉妹の中では五番目、特に精神面では充分すぎるくらいに大人だ。嗜む程度には酒も飲む。
「まぁ〜ねぇ、私もチンクちゃんから借りてる身分だから何も言えないけど……でもやっぱり限度ってあるじゃない?」
 言って、クアットロはグラスを傾けた。スクリュードライバー。オレンジ色の液体が妖艶な唇へと注がれていく。
「しかしあの人付き合いの苦手なオットーとディードが他の姉妹達と遊びに行ったせいで小遣いが足りなくなってしまったと言うのだから、貸さないわけにも……」
 一方、チンクが口づけているグラスの中身は、琥珀色が大変に美しかった。
「ふぅ」
「それにしてもデンキブランだなんて、ほーんとチンクちゃんは珍しいもの好きよねぇ〜」
「手に入りにくいのが難点ですが」
 とは言え好きなものは好きなのだから仕方がない。趣味の点で言うならああ見えてホッピーが好きなウーノよりはまだマシなのではないかと不敬ながら思ってしまう。
 ここだけの話、酔ったウーノの性格は団塊世代のソレなので一緒に飲んでいると色々と、その、まいる。
「でも困ったわ〜。チンクちゃんに返す分のお金は月末にならないと手に入らないし、多分他の娘達も金欠だと思うのよね〜」
「やはりウーノ姉様に頭を下げるしか……」
「う〜ん。チンクちゃんにならウーノお姉さまも来月分を前借りくらいさせてくれると思うんだけど……」
「いや、それは申し訳がない」
 空になったグラスを置き、チンクはションボリと肩を落とした。
 確かに、常から真面目で、妹達の面倒もよく見ているチンクが前借りを頼んだなら、ウーノも嫌な顔一つせず出してくれるだろう。しかし他ならぬチンクの性格がそれを許さなかった。
 姉妹に貸してしまったのが原因とは言え、結局は後先を考えなかった自分が悪いと、そう考えてしまうのがチンクであった。
 だからこそ、クアットロに相談を持ちかけたのだ。
「まぁバイト先くらいは紹介するけどねぇ」
「頼みます、姉様」
 本当に、真面目すぎるくらい真面目な五女に頭を下げられ、普段は姉妹達にもなかなか本心を覗かせないクアットロも気恥ずかしげに頬を掻いた。
 そして、一枚の名刺を差し出す。
「じゃあ、このお店なんてどうかしら?」
「ふむ。……これは、喫茶店?」
 喫茶店、だった。
 ただし――
「ええ、そうよー。メイド喫茶なんだけどねぇ〜」
 ゴスロリメイド喫茶・メイデン。
 いったいどのような店なのだろうと首を捻るチンクに、クアットロは眼鏡を怪しく光らせていた。










〜to be Continued〜






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