数の子・愛の劇場
その3



◆    ◆    ◆





「……オチューゲン、ですか?」
「そう、お中元なのよ」
 ギフトカタログを真剣な、それでいてどこか楽しそうな面持ちでペラリペラリと捲りながら、ウーノは末妹であるディードの質問にさらりと答えた。
「これがね……なかなか難しいの」
 やはり、妙に楽しそうだ。しかしディードは件の“オチューゲン”とやらが果たして何を意味する言葉なのかわからず、首を傾げていた。一応、スカリエッティや他の姉達の蔵書、テレビ番組、そして敵方の施設ではあるけれど無限書庫に忍び込むなどして知識の収集に余念のない勤勉実直なディードではあったが、やはり既知と未知では後者の方が圧倒的に多い。
「ウーノ姉様」
「なぁに?」
 ウーノにしては珍しい、ポヤンとした受け答えだった。お中元とは、そんなに楽しい事象なのだろうか。もし楽しいのなら、双子の姉であるオットーにも教えてあげたいし、いつも世話になっているチンクやセイン、ディエチ、年少組として仲の良いノーヴェやウェンディにも伝え、皆で分かち合うべきだろうなと思う。……それと、無限書庫でいつも自分の相手をしてくれる優しい司書長さんともオチューゲンを楽しみたいなと、ディードはぼんやりと思った。
 と、そんなわけでディードは姉にオチューゲンの正体を訊いてみる事にした。
「オチューゲンとは何なのですか?」
「? ……ああ、ディードはまだ知らないのね」
 ウーノは唇に指をあて、ふむ、とごちた。
 確かに日常的な知識を綿が水を吸うかの如くに吸収している年少組と言えども、お中元のようなイベントの内容まではまだまだ知るまい。そもそもミッドチルダではそこまで一般的なものではなく、別次元世界である『地球』から輸入された行事の一つだ。
 成り立ちから説明した方がこの真面目な妹には良いだろうか、と考え、そこでウーノの中に茶目っ気じみた感情が首をもたげた。あまり硬く考えすぎるのも良くないだろう。この娘には、もっと社会生活を愉しむことを学んで欲しい。
「お中元というのは、お世話になった人や懇意の人、親族などに贈り物をする事を言うのよ」
「贈り物……プレゼントですか?」
「ええ、まぁそうね」
 ニュアンスとしてはかなり異なっているような気がしなくもなかったが、そのくらい柔らかい方がむしろディードには丁度良いようにも感じられたのでウーノは敢えて訂正はしなかった。彼女のことだから、詳細はきっと自分で調べてしまうことだろう。ならばこちらからは感情的な面のみ伝えてやれば充分のはずだ。
「このカタログに色々と載っているでしょう? 食べ物とか、各地の特産品とか。こういったものを親愛や感謝の気持ちと一緒に贈るのよ」
「ウーノ姉様はどなたに贈られるのですか? ドクターですか?」
「それはないわ」
 キッパリと即答だった。まぁ、そうだろうなとディードも納得した。
「あんまりじゃーないかね!?」
 そしたら柱の影から当のスカリエッティが飛び出してきた。マジ泣きしていた。
「確かにウーノから私にお中元というのもなかなかトンチンカンな話だが、流れからすればむしろ贈るのが筋じゃーないか!」
「筋はちょっと……私は脂の方が好きですね」
「姉様、私は筋も好きです」
「わけわからんよ愛娘達!?」
 頭を掻きむしりながら、スカリエッティはまるでこの世の終わりだとでも言わんばかりに天に吠えた。
「ドクター、そんなに泣かないでください。毎年バレンタインにはチョコを差し上げてるじゃないですか」
「十数年間ずっとチロルなんてどうかしてると思わないのかね!?」
 ちなみにトーレは五円チョコ。ドゥーエは出稼ぎを理由にいつも『ごめんなさいドクター、忘れてましたわ♪』と二、三日後にメールを送ってくる始末。まともなチョコをくれるのはチンクとディエチくらいだが、それも毎年必ず真ん中にでっかく『義理』と書かれているものばかりだった。
 ……なお、セインは自分で食べる分を買うだけ買ってバレンタイン終了。クアットロは物凄く高価なお返しを要求してくるためむしろスカリエッティの方から逃げ回っていた。
 来年は年少組のからのチョコを……と内心密かに期待していたスカリエッティだったが、どうやら無駄なようだ。そう思うとまた涙が滲んだ。
「……もういいよ。わかった。もういいさ」
「ドクター、拗ねないでください。そのような無様な姿はディードの教育上よろしくありません」
 スカリエッティは絶望のままに膝を突いた。そのままウーノが見ていたのとは別のカタログを広げ、渇いた笑いを浮かべてわざとらしくゆっくり捲り始める。
「ウーノ、もう選び終わったのかい?」
「いいえ、まだです。……不思議ですね、カタログというものは。眺めているだけでも結構楽しいものです」
 そんなウーノの返答にスカリエッティも気を取り直してカタログ談義に熱を入れ始めた。どうやら長くなりそうだ。一方、『眺めているだけでも楽しい』という部分が気になったのか、ディードはウーノの服の裾を摘み、自分にも貸して欲しいと意思表示をした。ウーノもスカリエッティの話を黙って聞いているフリをしながら小さく頷き、そっと渡してやる。
 恐る恐るディードが覗いてみたカタログの中身は、何と表現したものか。取り敢えず、世界の真理に迫るような秘密が掲載されているわけでもなければ、戦闘技術の秘奥が記されているわけでもなく、ただ単に様々なギフト品が載っているだけのまさに何の変哲もないカタログだった。
 ……が、どうだろう。
「……ミッド南部ザキミヤ地方産最上級牛霜降り肉」
 すき焼き用だった。……スカリエッティ家は大所帯な上にこれといった収入もなく、大体いつも貧窮に喘いでいる。すき焼きに入れる肉と言えばいつもセール品の豚バラ肉だ。牛肉なんて滅多に食べさせて貰ったことがない。
 我知らず喉を鳴らしながら、ディードは次のページを捲った。
「……ベルカ式高級ハム詰め合わせセット」
 古代ベルカの技法に則り連綿と受け継がれてきた様々なハムの詰め合わせだった。……スカリエッティ家でハムと言えば、四枚一組98円が四つセットになって348円の平凡極まるロースハムだ。生ハムって何だろう? そもそもハムって生なんじゃないのだろうか? ディードは未知の世界に対する好奇心を膨らませた。あと、喉が鳴った。
 いけない。カタログ、滅茶苦茶楽しい。
 このままではカタログの虜になってしまいかねないと判断したディードは、決死の覚悟で顔を上げた。この薄っぺらい冊子は実に危険だ。ロストロギアも真っ青だ。
 と、意識をカタログから外したおかげでスカリエッティとウーノの会話がようやく耳に入ってきた。
「しかしあれなのだね。私にも見栄というものがある。流石に洗剤セットを贈るわけにはいかないだろう」
「ですがドクター、我が家の財政を考えてみてください。火の車どころかプロミネンス・ホイールです。こんな時に見栄を張らなくても……もうすぐドゥーエから仕送りも来ますから、それまで待てば……」
「いや、ウーノ。こればかりは我が儘を通させてくれないかい? 頼むよ」
 スカリエッティは何やら必死なようだった。いったい、どこのどなたに高級品を贈るつもりなのだろう。
「ドクター」
「ん? なんだねディード」
「ドクターは、どなたにオチューゲンを贈るつもりなのですか?」
 末娘からの質問に、スカリエッティは『おお』と驚いたように目を見開き、ポンと手を打った。
「そう言えば君達にはまだ何も言っていなかったね」
 君達、とはおそらく今年に入ってから起動した年少組のことを差しているのだろう。ディードは今やお中元のことが気になって仕方がなかった。このイベントの詳細をとても知りたい。
「ふむ、実はだね。うちは毎年必ずスポンサーである時空管理局にお中元やお歳暮を贈っていたのだが……」
 オセーボ……また聞き慣れない言葉だ。が、それは後で調べればいいだろうと判断し、ディードは黙ってスカリエッティの説明を聞き続けた。
「今年はほら、機動六課にもとても世話になったろう? だから当然、あそこにもお中元を贈らねばなるまいと思ってね」
 確かに、世話になった。
 専ら戦闘行為ではあったけれど、何だかんだとお人好し揃いで面倒見も良い六課の連中は生まれたばかりの自分達にも優しい。ディードもつい先日の話になるが、買い物中に街で姉達とはぐれたところを六課のティアナに助けて貰った恩義がある。そう言えばスバルにはアイスを奢って貰った事もあった。
 ……なるほど。これまでに得た情報を総合すると、六課にはオチューゲンを贈らざるをえないようだ。その品目でスカリエッティとウーノは揉めていたのだろう。スカリエッティは見栄っ張りだし、ウーノは吝嗇極まりないしと財布の口に関しては正反対の二人だ。揉めるのは当然の展開だと言えた。
「では、ドクターは何を贈るおつもりなのですか?」
「これさ」
 訊かれるや否や、スカリエッティはビシッとカタログの一角を指差した。
「……超高級蟹詰め合わせ」
 様々な次元世界の、およそカニと呼ばれる食材の全てをぶち込んだかのような豪華絢爛完全無敵見敵必殺天元突破な内容に、ディードは喉を鳴らした。ついでにお腹も鳴った。……ふと隣を見ると、ウーノもポーッと見とれながらヨダレを垂らしていた。無理もない。
「ですが、ドクター。それ、物凄く高いようですが」
 0の数があり得なかった。きっと姉妹全員仰天するはずだ。特にセインとウェンディなんてスカリエッティに対してクーデターを起こしかねない。
 スカリエッティはそんな末娘の反応に寂しげに微笑むと、両手を広げて宣った。
「ディード。君に、大切なことを教えておこう」
「はい」
「贈り物とは誠意、真心なのだよ! それらは本来は金銭で語られるべきではない。だがね、贈り物である以上、金額はただの貨幣価値として以上の意味合いを持ってしまうのだよ」
 力説だった。
 ちょっとだけ、ディードはスカリエッティを尊敬し直した。いつもいつも横目で乳房を覗き見てばかりのかなりアレな父親だが、やはりやる時はやる人だったのだ。
「……いえ、真心ならやはり金額に拘らず洗剤セットで構わないと思うのですが」
「そう言わないでくれたまえよウーノ。兎も角、私は六課に蟹を贈りたいのだ」
 蟹という言葉に、またもディードのお腹が可愛らしく鳴った。
 その後もあーでもないこーでもないと言い合いを続ける姉と父を後目に、ディードは退室し、他の姉達がいるであろうリビングへと足を向けた。その手には、しっかりとカタログが握られていた。





◆    ◆    ◆





「断固クーデターだ」
「クーデターッス」
 ディードからお中元の話を聞いた途端、セインとウェンディは拳を振るわせながら他の姉妹達に向けてそう言い放った。と言っても年長組はほとんどいない。この場にいるのは五女のチンク以下八名だけだ。
「クーデターとはまた穏やかでないな。どうしたんだ、二人とも」
 どうせまたしょうもない理由だろうと半ば呆れつつ、それでもチンクは姉としての責任感から二人の真意を問うた。クーデターだなんてまったく馬鹿馬鹿しい。身内同士で何を争う必要があるというのか。
 セインとウェンディは普段チンクには決して向けないような尖った視線を向けると、唇をわなわなと震わせながら咆吼を紡いだ。
「だって許せるわけないっしょ!?」
「そうッス! これは重大な裏切り行為ッス!」
「……誰が、誰を裏切ったの?」
 ディエチの疑問はそのまま全員の疑問だった。姉妹の視線がやさぐれているセインとウェンディに集中し、説明を待った。と、セインが悔しさに頬を濡らしながら裏切りについて吐露し始めた。
「だって、だってさぁ……あたしら、食べたこと無いんだよ?」
「何を?」
「そんな高い蟹」
 雷が落ちたかのような気がした。
 それまで疑問を浮かべていたノーヴェとディエチが場所を移動し、セインとウェンディに並ぶ。
「……ごめん、チンク姉。あたしもクーデターに参加する」
「……狙撃による要人暗殺は任せて」
 クーデター組が四人に増えてしまった。
「ま、待てお前達! ……じゃあ、何か? そんな高い蟹を食べたことがないからドクターに対してクーデターを起こすというのか?」
「イエス、アイ・ドゥーッス」
 チンクは激しい頭痛に見舞われた。だが四人の革命戦士達は本気だ。
「だって可愛いあたし達にも冷凍の安い蟹くらいしか食べさせてくれた事ないくせに、六課に超高級蟹詰め合わせを贈ろうだなんてふざけてるにも程があるよ! 普段のセクハラ行為にはまだ目を瞑るけど、こればかりは許せないね!」
「あーそうだ。許せるワケねーよ! そりゃ、高級蟹なんて食ったこと無いからそもそも味がわかんないけどさ、問題はそんな事じゃねぇ……あたしらには普段カニかまくらいしか食わせないくせに、敵であるはずの六課に高級蟹を贈ろうってその根性だ!」
 ちなみにカニかまとはここミッドチルダでも地球と同様、魚のすり身などを加工しあくまで“カニ風味”にした魚肉練り食品の事である。要するに、カニは欠片も入っていない。……が、おそらく妹達はその事実すら知るまい。ここでそれを説明するとまた不必要に興奮させそうなので、一人カニかまの真実を知るチンクは口を噤んだ。
「……」
 それにしても、そう言われてみると怒りがわいてこない事もない状況だ。ディードはさて自分はどうしたものかとオットーと視線を交わした。セッテは我関せずと傍観を決め込んでいる。
「……ねぇ、オットー」
「ん?」
「高級蟹って、どのくらい美味しいんだと思う?」
「どう、だろうね。ボクもカニ缶やカニかまくらいしか食べたことないから」
 正直、ディードはカニかまがあまり好きではなかった。と言うよりカマボコなどの練り物系全般が、舌触りがとでも言おうか、どうにも苦手なのだ。オットーは特にそんなことはないようだったが、むしろそのせいかディードは先程カタログに載っていたあの見るからに豪華な蟹のことが気になっていた。超のつく高級蟹とは果たしてどれだけの破壊力を有しているのだろう。
「チンク姉は許せるの? 超高級蟹を、六課に贈るのを」
 ディエチに問われ、チンクはやや気まずそうに頬を掻いた。
「いや。私は……別に、わりと高い蟹とか、食べたこともあるし、な」
 再び雷が落ちたかのような気がした。
 革命戦士達は、まるで信じていた縋るべきものに裏切られたかのようにフルフルと首を振っていた。
「う、そ……だよね? チンク、姉……」
「いや、ノーヴェ。私はだな――」
「嘘だ! 嘘だって言ってくれよチンク姉!!」
 ノーヴェは泣いていた。泣き崩れ、膝を突きそうになるのをウェンディに支えられていた。とは言えウェンディもディエチも、それにセインも苦しげだ。
「……そっか。チンク姉は、タラバとか毛ガニとか、冷凍じゃなくしかも地域名が頭に冠されてるような立派なズワイとかを食べたこと、あるんだね」
 今まで見たことがないくらい虚ろな目をしたセインだった。
「味は、どうだったの?」
 訊かれても、チンクとて食べたのはもう十年近く前だ。思い出すには些か時間を要した。アレはセインやディエチが起動するよりも前。まだ一家が財政的にそこまで窮乏としていなかった頃のこと。ドゥーエも出稼ぎに行っておらず、すき焼きにも牛肉を使っていた頃だ。懐かしいなぁとチンクは瞑目した。
 ゆっくりと、記憶の扉を開けていく。
 蟹の味。
 そう、アレは……茹でた蟹を懸命にほじり、生臭くなった指に辟易としつつも蟹酢につけて食べた、遠い記憶。無駄な労力と言いつつも人一倍懸命に蟹をほじくるクアットロに、みんなで頬を弛めたものだ。そう、労力を必要とする食べ物だった。が、その労力に見合うだけの味だった。
 記憶のパズル、ピースが徐々に組み合わされていく。いつの間にか余計なことを話さず、皆が無言で、まるで何かの儀式のように食べ続けていた、味。
 ――蟹。
「ああっ!?」
 突然、セインが何かに気付いたかのように素っ頓狂な声をあげた。
「どうしたの、セイン」
「チンク姉の口元!」
 言われ、ディエチもチンクの口元をよく見てみる。
「はぅっ!?」
 ――ヨダレだった。
「ま、まさか……そんなに……?」
「そんなに……美味しいの……?」
 二人は何か怖ろしいものでも見たかのように後退り、顔を顰めた。あのチンクが……味を思い出しただけでヨダレまで垂らして……それは、果たしていかなる最終兵器だというのか。
「あ、いや違う! 違うんだ二人とも!」
 慌ててヨダレを拭きながら弁明を試みるも時既に遅し。チンクのヨダレは一気に妹達の間に波及していた。それは静かに事態の推移を見守っていたディードも例外ではない。
「……オットー。私、クーデターに参加しようと思う」
 双子の妹の決意に満ちた瞳に、オットーは軽く驚かされていた。基本的にディードは受け身だ。自分から何かしようだとか、そういう事は滅多にない。せいぜいが趣味の読書……特に無限書庫に出かける時くらいか。
「ディード……本当にいいの?」
「うん。あのチンク姉様が垂涎するほどの蟹……興味、あるし」
 それに、カタログで蟹を見た瞬間の感覚が忘れられない。あの時、安物の蟹の味くらいしか知らない自分を何かが貫いたのだ。ディードはその何かを信じたかった。生まれたばかりで世を知らず、戦闘機人として感情も稀薄な自分が得たあの感覚を、もっと突き詰めたい。……知りたかった。
「わかったよ。じゃあ、ボクもクーデターに参加する」
「いいの? 別に、私につき合うことは……」
「違うよ。ボクも、高級蟹に興味がある。それだけだよ」
 オットーはやや照れたように笑うと、ディードの手を取った。そのままチンクと向かい合うようにセイン達の側へと足を運ぶ。
 かくして革命軍はさらに二人増え、ついに十二人の半数にまで膨れ上がってしまった。こうなってしまうと頭が痛いのはチンクだ。今や自分の側にいるのはセッテ一人。この場にいない姉妹達も、出稼ぎに出てるドゥーエを除けば残るは五人なのだから数の上では既に革命軍は正規軍を超えている。
「六人とも、考え直せ! たかが蟹で家族同士が争うなど、醜いとは思わんのか!?」
「たかが蟹、されど蟹ッス! 蟹の鋏は家族の絆すら断ち切るッス!」
「そうだそうだ! チンク姉は高い蟹食べた事あるからそんな風に言えるんだ! あたしらはドクターが高い蟹たらふく食べさせてくれるまで断固たる決意で挑み続けるからな!」
 革命軍リーダーのセインは、そう吠えるや否やどこからともなく紙と筆を取り出した。
「あたしらの要求を書いてドクターに宣戦布告してくる!」
 退く気まったく無し。
 チンクは痛む頭を押さえながら、隣に立つセッテにもたれかかった。
「……はぁ。どうしたものか」
「……あの」
「ん?」
 見上げれば、セッテがいつも通りの無表情ながらも僅かに困っているのが見て取れた。一体どうしたのかと、チンクが尋ねるよりも先に、
「非常に言いにくいのですが、実は、私も高級蟹に興味があります」
 セッテはそう切り出していた。両手は人差し指と中指で鋏を形作っている。ユーモアセンスの欠片もない仕草だった。
「バカな! セッテ、お前まで……ッ!」
「別に食い気から興味があるのではなく、あの鋏の動きを取り入れれば私のブーメランブレードによる空間戦闘にも幅が広がるのではないかと思ったのです。……ジュルリ」
「ジュルリと聞こえたぞ今!? ジュルリって!」
「気のせいです」
 駄目だ。セッテすら敵に回り、彼我戦力差は四対七。ドクターを入れても五体七だ。経験の差で埋めようにも、これでは些か分が悪い。
 向かい側に立つ妹七人を見渡し、チンクは舌打ちした。自分は……果たして、愛する妹に刃を向けられるのだろうか。戦闘技量においてチンクはトーレと並び突出している。カタログスペックではセッテやディードの方が最新型である分自分達を上回っているのだが、能力相性や戦闘経験も含め、ここで戦闘になっても最低でも二人は道連れに出来るとチンクは結論づけた。……が、実際にはおそらくそんなこと出来まい。
 チンクは妹達が可愛い。彼女達に爆裂刃を向けるなど、不可能だ。
「なぁ、チンク姉」
 姉の苦悩に気付いているのかいないのか、寂しげにセインが一歩踏み出していた。無防備に、あまりに無防備に。懐の短剣、スティンガーに手を伸ばしつつチンクは彼女の一挙手一投足に注意を払った。
「チンク姉も……チンク姉ももう一度、美味しい蟹を食べたくないのかい?」
 心が、揺れる。
 気付けば、ディードがセインの隣に立ちカタログを広げていた。
 肉厚の、実に食いでのありそうな蟹だった。
「チンク姉、考えて欲しいッス。もしこの蟹が六課の手に渡ったら、どうなるか」
 ウェンディの言葉が胸を鋭くえぐる。
「そうなったが最後、蟹は八神はやての手によって間違いなく鍋ッス。いいんスか? これだけ肉厚な蟹なら、刺身にしても凄く食べ応えがあるはずッス。グラタンの具にしてもいいし、何よりこの花咲蟹を見るッス。この身をふんだんに使ってカニクリームコロッケなど作ろうものなら……」
 ゴクリ、と――
 複数の音が室内に響いた。
「チンク姉! チンク姉は、そんな蟹達の未来を、可能性を、全部鍋に放り込まれちまって、本当にそれでいいのかよ!?」
 大きく腕を振りかざし、ノーヴェが熱情に任せて訴えた。
「そうだよ。チンク姉、カニクリームコロッケ、大好きだったじゃないか……っ!」
 叫びながら、ディエチが悲しそうに頭を振る。
 妹達の魂の雄叫びに、チンクは目眩を覚えた。花咲蟹をたっぷり使い、ベシャメルソースと渾然一体となった滑らか極まりないカニクリーム。想像しただけで……身も心も震えが走る。もし六課に渡ったならウェンディの言う通り、そんな輝かしい未来が全てグツグツ煮え立つ土鍋の中だ。別に蟹鍋を否定するつもりは毛頭無いが、カニクリームコロッケという可能性を費えさせるはやての暴挙を許すわけにはいかなかった。
「チンク姉様……一緒に、カニクリームコロッケを食べましょう?」
 ディードが優しく微笑む。
「花咲蟹だけじゃなくて、本ズワイガニを使ってもきっと美味しいよ」
 オットーが手を差し伸べた。
 ――例え父に、姉達に逆らうことになろうとも。
「……ジュルリ」
 セッテが唇を舐めるのが見えた。
 チンクの儚い抵抗は、そこでついに瓦解した。小さな姉の頭が、コクンと垂れる。



 革命軍烈士八名。
 この日、スカリエッティ家において、クーデターは静かに、されど熱く、幕を開けたのだった。









〜to be Continued〜






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